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  緑豊かな自然に恵まれた下田原の丘陵地に祖先の御霊(みたま)やすらかにと、守口市、門真市、大東市、四條畷市の四市で公園墓地飯盛霊園が造営されました。面積は 42.6ヘクタールあります。
  斎場は、昭和43年に開設しましたが、老朽化のため平成6年に新築されました。最新技術を駆使し、無煙無臭の無公害施設です。

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  天の川が、大阪と奈良の国境です。古堤街道と磐船街道が接している天の川の上流に、上田原から奈良県南田原に架かる橋があります。これが両国橋です。そのたもとに二基の府県境界碑が立っています。 一つは、年号は書いていませんが、明治のもので、もう一つは、「從是西北大阪府管轄」 「大阪府奈良縣境界標」「住道郡山線北河内郡田原村大字上田原」「大正十二年十月建」とあり、高さ170センチ幅27.24センチの角柱です。
 また、下田原の清滝街道が、奈良県へ入る天の川に架かる「高橋」のところに国境碑があります。「從是南奈良(縣)、從是東大(阪府)」 「大正八年三月建設川中央国界」 「拒奈良縣四里二(丁)、距生駒郡郡山町柳三丁元(標)」と記されています。(   )は、50センチはどの埋没部分です。高さ185センチ、幅30センチの角柱です。

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 秋祭りには、鉦(かね)太鼓を鳴り響かせながら地車
(だんじり)が村なかをねり歩きます。 地車とは、木車の上に神座を乗せたもので、若者がかつぎ、子どもらがひいて氏子地(うじこち)をまわります。氏子は 五穀豊穣
(ごこくほじょう) ・ 村内安全を感謝します。地車は、明和年間(1760年代)よりできはじめたらしく、 市内に11台ほどあります。 田原には住吉神社にあります。

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  住吉神社は、磐船神社から分祀されたと伝えられています。 創建は江戸初期であろうといわれています。祭神は住吉四神、海の神です。境内にある石の風呂は、天の川から出土しています。 縦2メートル、幅1メートルの花崗岩でつくられ、深さ80センチにくりぬかれています。鎌倉時代のもので、四天王寺にあるものと同型であるといわれています。浄身用として身の潔斎(けっさい→ 神仏につかえる前に身をきよめること。)に使われていたようです。府の有形文化財考古資料に指定されています。 水吐けの穴については古老の話によると、大正時代に村人たちが開けたということです。

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   絵札は、照涌墓地の一石六地蔵です。墓地の入り口には、 必ず六地蔵さんがおられます。 普通、六石六地蔵ですが、とくに照涌墓地にある一石六地蔵(元禄9年1696)はめずらしいものです。 近くには大東市の龍間に一基あります。 「 人間は、 前世の業 (ごう)によって、地獄、餓鬼(がき)、畜生、修羅(しゅら)、人間、天上界の六道を輪廻(りんね)するという。 この六道世界での苦しみを軽減すべく、 死後の守り神として六地蔵を祀るのである。」 といわれています。田原には十ケ所の墓地があります。

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