どこでも図書館


第4部

この前の第3部は、こちらです。

 トップへ戻る

 


コンクールでお会いしましょう 中村紘子著 2003
中央公論新社
大転換思考のすすめ 畑村陽太郎&山田眞次郎 2003 講談社
アウステルリッツ W・G・ゼーバルト著 2003 白水社
反抗期のシュタイナー教育 ヘルマン・ケプケ著 2003 学陽書房
盲目の科学者 ヒーラット・ヴァーメイ著 2000 講談社
海を失った男 シオドア・スタージョン 2003 晶文社



コンクールでお会いしましょう

コンクールでお会いしましょう
ー名演に飽きた時代の原点

中村紘子著
2003 中央公論新社


現在、クラッシクはどれほど聞かれているのでしょうか?
1970年代の初めにドイツの指揮者カール・ベームが来日したのが、
私にとってのクラッシクに親しんだそもそものきっかけでした。
当時、クラッシク・オーケストラの世界では、カラヤンとベームとが抜きん出た存在であり、
その一人が来た事で話題になったのですが、
今は、彼ら二人に匹敵するほどの存在感を持つ人もいないし、
よってあの頃のようにクラッシクの指揮者が来日することでニュースになることもなくなりました。
私の体験から言えば、クラッシクに親しむ機会が減ってきている。
そんな中で、今一番多く機会を提供しているのは、映画ではないかと、独断します。(^^ゞ


CDに代わったクラッシクレコードの売れ行きが落ち込んでいる事を、
中村さんもこの本で書いています。
中村さんが所属しているCBSソニーレコードでの話ですが、
1968年頃には、クラシックとポピュラーの売り上げ比率がほぼ半々であったのに、
今ではアメリカのソニークラシカルでは、クラシックの売り上げが1%を切るような状況になっているそうです。


このことについて、中村さんは、
「「豊かな社会」、その情報洪水のなかで芸術文化が質量共に増えて多様化し、
その価値も多元化したことの影響なのです」と説明しています。


レコードの売り上げがかくも落ち込んでクラッシク音楽の存在が危うくなっているかというと、
そんなことはなく、ピアノ・コンクールがかってないほど盛んになっているようなのです。
いくつかのピアノコンクールで審査員をつとめてきた中村さんが、
自らの経験を織り交ぜながら、ピアノコンクールについてこの本を書かれました。


そもそもピアノコンクールが始まったいきさつを振り返れば、
ピアノという楽器が完成され、それが音楽全体を広く普及させるということがありました。
ピアノの完成の背後には、産業革命後の技術革新、特に鉄鋼生産技術の進歩があります。
そして、蓄音機の発明、電話会社の設立、ガソリン自動車の完成、等の影響が相俟って、
音楽を取り巻く状況が更に変化し、ピアノコンクールの誕生を迎えるのです。


ピアノコンクールの歴史について、多くのエピソードを交えながら、
書かれているのが、この本の大筋なのですが、
実は、この本の狙いはその向こうにあります。


音楽の聴かれ方、演奏者のあり方を通して、
私たちの音楽の聞き方を今一度振り返る。
映画「シャイン」、フジ子・ヘミング、梯剛之さん等についても言及しております。
お終いの方で、畳み掛けるように展開されている中村さんの主旨が、
読んで胸に迫ってきました。


ピアノコンクールは、その中に本質的な矛盾を抱えながらも、
「クラシック音楽の比類ない感動をとにかく守り伝えたい」気持ちで、
今も、これからも開催されます。


最後の方で、コンクールの楽しみ方を、その道の達人として、(笑)
中村さんが紹介してくださっている。
どうぞ、この本をお読みになって、
あなたも、是非一度、ピアノコンクールへお出かけ下さい!

2003.12.3 記


大転換思考のすすめ

大転換思考のすすめ
畑村陽太郎+山田眞次郎著
2003 講談社


長引く不況で多くの企業や人が苦境に立たされているし、
不快な事件も後を絶ちません。


この不況が、早く終わってほしいと誰もが願っていますが、
一番の元凶とされている不良債権処理が終わっただけで景気が立ち直る、
とも、もう思えなくなってきています。


時代が、社会が確実に変わっている潮目を誰もが感じているでしょう。


世界に冠たる日本の一流企業ソニーが「第2次構造改革」を発表し、
営業利益率を、2%から10%以上にする目標を掲げ、
約2万人もの人員削減を行うことを明らかにしました。
これだけでも、生き残りをかけている事が十分伝わってきます。


こういう今の時代を、ものづくりの現場から見て議論し、書かれた本を読みました。
大学で機械工学を専門にされている畑村洋太郎氏と、
金型製造で世界の先駆けをしているインクス社長山田眞次郎氏との、共著です。


技術が垂直から水平へと推移する事や、
あるひとつの産業なり、企業が、萌芽から衰退まで大体30年の周期を持つ事、
などを踏まえた上で、ものづくりの現場が如何に生き延び成長するのかを、
探り紹介しています。


この本での核は、山田さんの仕事の転機です。


本格生産に必要な金型づくりに二ヶ月はかかるのが、あたりまえの時代に、
山田さんは、顧客から「一日でできないの?」と疑問を投げかけられた。
そして、
CAD(設計者がコンピューターの支援を得ながら設計を行うシステム)と、
光造形(特定波長の光に照射されると固まる特性を持つ光硬化性樹脂を利用)
との技術を活用し、大体6日で出来るようにしました。


従来の思考方法、「順演算思考」(ある定式に当てはめる考え方)では、
もううまくやっていけない。
「逆演算能力」と「課題設定能力」とが
これからは求められると、説いていきます。


詳しくは本書に譲りますが、
新書版なので、分量は余りなく、読み易い。
関心ある方は、ぜひお読みください。


ここで提案されている考え方の有効性は幅広く、
企業は無論、個々人にとっても役立ちますし、
一般論としても、危機管理に有効である旨、論旨を展開してもいます。


マスメディアで、不景気のニュースに飽いて、もううんざりだと思われている方、
実は私でしたが、(^^ゞ
そんな記事を暫らく脇に置いて、ちょっと読まれてはどうでしょうか?


マスメディアの記事は無論、身の回りのことが違って見えてくるかもしれません。
前向きに読まれた方には、新しいことがいろいろ心に浮かび上がってくるでしょう。
同じ日々を暮らすのであれば、少しでも希望を持っていたいですね♪

2003.11.8 記


アウステルリッツ

アウステルリッツ
W・G・ゼーバルト著
2003 白水社


これは、ネタばれの感想です。
この作品は、読むにつれ次第に世界が広がっている趣が、
魅力の一つとして欠かせないので、
これからこの作品を読まれる方は、私の感想は後回しにされた方がいいかな。(^^ゞ
読まれた方、途中で挫折して読めなかった方、向きかと愚考します。
あっ、絶対読まないぞ、って方もどうぞ♪(笑)






旅先のアントワープ中央駅待合室で出会った主人公へ向けられた、
アウステルリッツによる語りで、物語は進みます。
その話は、アウステルリッツの自己発見の旅。


彼の言及する建物は、最後の一つを除き、
すべて廃墟といっても過言ではない。
廃墟を透かし、その向こうの世界から見出して、
アウステルリッツが描くのは、第二次世界大戦下のヨーロッパです。


リヴァプール・ストリート駅の旧待合室、
テレジン、乃至はテレージエンシュタット、
マリーエンバート、
等などをアウステルリッツと共にめぐりながら、
プラハに住んでいたユダヤの一家族が、どのようにこの時代の嵐に吹かれたのかを、
読者は知っていきます。


廃墟がキーワードなら、この本に添えられた写真もそれに見合っている、
と納得できるのではないでしょうか?
古めかしい写真こそ、過去の物語を背負った廃墟に並んでしかるべきもの。


そして、誰かの語りをアウステルリッツが、主人公に語るこの文章も、
物語を個々の人に止めないし、
あやふやな事をそれなりに正確に伝えられるし、
何より、読み人を度々我に帰らせて、
これは紛れもなく現実にあった真実の話だという、
著者の思いを伝えているようです。


小説の技法として、
題材はありふれていながら、
その組み立てで、目を瞠らされる文章でした。


最後に来て、アウステルリッツが、
オーステルリッツ駅とダブって表記されているのも、
ハッとさせられました。


その企みに満ちた文章が、意外に読みやすいのは、
訳者の苦労のおかげかもしれません。


読みながら、どこかで、一瞬、
映画「耳に残るは君の歌声」を思い出す…。


2001年の作品ですが、
今なおこうして、あの時代を新しい技法で、描くのは、
あの悲劇の影が今でもあるからなのでしょう。
強靭な歴史意識を示されて、心震わされました。


己の歴史意識を問い直されて、
心苦しく、恥ずかしくもあった読書でした。

2003.10.20 記


反抗期のシュタイナー教育

反抗期のシュタイナー教育
ヘルマン・ケプケ
2003 学陽書房

シュタイナー教育の本は、今では多く出て、
一市民が読み通せるどころか、目を行き渡らせる事さえ叶わぬ状況になってきています。
それだけシュタイナー教育が行き渡ってうれしく思う反面、
何から手をつけていいのか、
自分の知りたいことがどこにあるのかが、
分かりにくくなっているわけで、ちょっと立ち往生してしまいます。


そんな時に、小説仕立ての読み易い、そして対象が今の自分の子どもたちに即している本が出て、喜び勇んで読み始めました。


今の私にはピッタリの本で、いろいろ考えさせられる事多く、収穫がたくさんありました。
(上の長男が高1、下の長女が小5)


生徒が思春期に入り、これまでのやり方が通用しなくなり、
どうしていいのか分からなくなったシュタイナー学校5年目の教師が主人公です。
引退した先輩教師の助言を得ながら、次第に事態を把握し、
親たちとの連携で少しづつ前進していきます。


前半は全体的なことを対象にし、
後半には、二人の生徒を対象にして書かれてあります。


シュタイナー教育について知っていると分かり易いですが、
知らなくても理解できると思います。


読みながら、自分の経験に照らして、深く頷ける至言が此処彼処にありました。


思春期には、子どもの思考方法の変化が起こる。
だらしなさ&乱暴さは、自分を客観視できていないからである。
決意しそれを実行に移すということは、自分が自分から自由にならなければならないということを意味する。
何かを抑圧しようとするのは、間違ったやり方だ。
良い面と悪い面の両方をよく吟味する事で、自分の動機と決意は強まる
両側面を見ない場合、私たちは自分の意見を子どもに押し付けるだけになるでしょう



一通り読み終えて思ったことは、
落ち着いて、根気よく、注意を払いながら、何かを主体的に行うように持っていくのが、
好ましい。


自分の経験を思い返せば、
本を読んだり、文章を書いたり、囲碁を打ったりした事が、
これらの面で自分を成長させてくれたように思えます。
そういう経験を通して、だんだんに勉強へ気持ちが向い、
学力もつき、何とか進学できたのではないか、と感じ入ります。
又、自分が本当にやりたい事を探し求める道でも、歩みがしっかりしていった、のかな?(^^ゞ
2003年9月9日 記


盲目の科学者


盲目の科学者
ヒーラット・ヴァーメイ著
2000 講談社

副題:指先でとらえた進化の謎


著者は、オランダ生まれですが、
10歳の頃に、家族と共にアメリカに渡り、
そこで貝に出会いました。
視力を失った著者に対する両親や兄等の愛情あふれる接し方が、
とても素敵です。
そんな家族も、彼が大学に進む頃にはオランダに帰り、
彼は一人アメリカで自分の道を切り開いていく。


大学に入る時に盲人協会に対して行動を起こしたあたりから、俄然話が面白くなり、
学問に精を出し、フィールドワークに乗り出す辺りから、読んでて元気が出てくる。(笑)
それと知らぬ間に、
貝類を中心とする自然科学の世界に導かれて、
彼が盲目である事は十分意識させられながらも、
紹介されている自然界の不思議さに惹かれてしまいました。


この本は、自然科学への素晴らしい招待状でもあります。
貝を研究しながら、海をより知り、地球を深く知り、
動物の行動学を取り込み、化石の研究へと止まるところを知らず進みます。
経済学モデルの導入に至った時、読みながら開いた口がふさがりませんでした。(@_@)
貝の形状・分布は無論、貝殻に残された傷跡からも、世界が広がります。


有名な進化論について、素人は進化はすべて適応だと思ってしまいますが、
その辺りについて論争を紹介しながら、進化論への案内にもなっている。


読み出して、障害者が普通の学校で学ぶ箇所など、
自分と同じ聴覚障害者の教育にも参考になると思ったりしていましたが、
読み終えて、随分遠くまで連れてこられました。(笑)


アメリカならではの障害者に開かれた環境、例えば全米盲人協会のやり方など、に関心のある方、
そして、あの貝の巻きから広がる、目くるめく自然の不思議な世界に関心のある方、
今日の科学者が置かれている状況とそこでの生き方に関心ある方、
本当に多くの方々に勧められる、間口も奥行きも広い本です。

2003.8.6 記 


海を失った男


スタージョンの感想を書こうとして、
それに適した言葉がなかなか出てこない。
SFとか、幻想とか、異色などの言葉がこの本の周囲にちらほら見えるが、どれもピントハズレ。
私の寡聞を棚の遥か彼方に放り投げて言おう。
スタージョンの作品は、スタージョンの作品、としか言いようが無い。


読んでいて、懐かしく、おいしく、楽しかった。
350頁程の本は、例えて言えば、一杯のグラス。
ワインの香りもするし、ウイスキーの舌触りもある。
存分に味わいたく、毎日チビチビとすする。(笑)
それでも、一週間で無くなってしまった…。


現実的ではないが、明らかに現実世界が舞台です。
非日常の世界で、
戦慄や、エロスや、愛や、認識や、生き方や、世界観等などを
しっかり書き込んでいる。
そのお話の世界の巧みさが、語り口と相俟って、強い印象を残します。


人にこの作品を語ろうとすると曖昧になるが、
受け取った印象はきわめて明確に在る。
この作品世界の存在感は、並大抵なものではありません。


スタージョンの作品を読んだのは、初めてですが、
この世界、ちょっと懐かしいと、先に書いたのはわけがあります。
子どもの頃親しんだ、
手塚治虫や石森章太郎、とりわけ石森さんの作品を、連想してしまうのです。
「ジュン」とか、「サイボーグ009」とかを思い出しながら読んでいる時、
ネットで、スタージョンを紹介してくださった方から、
石森さんの作中に、スタージョンを読む人を書き込んである事、
教えていただきました。
思わず、ニヤッとして、あの世の石森さんに思いを馳せる。
まだ、死にたくはありませんが、(^^ゞ
あの世へ行ったら、石森さんに会いに行こう♪


読んでいて、全く古さが感じられず、
彼の息子と同い年の私は、読み終えて驚きました


死ぬまでに、彼の短編全集が翻訳され、読めればいいな、
と思う、否、切に願う!祈る〜ぅ!

2003.7.26 記