喫茶店「けやき通り」

2003年6月

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忍足亜希子さ〜ん、お会いしたい♪


昨日は降ったり止んだりだったけれど、今日はしっかり晴れる。


午前中は、息子の通う高校で進路説明会を清聴する。
聞いて、時代の変わりようをまざまざと感じさせられた。


午後から、福祉文化会館で聴覚障害者情報提供センター学習会に、途中参加する。
京都からのゲストによる講演は、残念ながら聞けなかったが、
県の説明をいろいろ聞くことが出来た。
施設建設面は、既に矢が放たれたも同然の由。
後は、それ以外のことで、いいものが出来るよう関係者が協力して、
話し合っていくことを確認し合い、お終いとなる。


それから、帰宅し、娘と一緒に残っていた家事を片付け、
図書館へ向い、ネットで知った幾つかの本を借りて帰る。




と、日記に書いておこう。
でも、ここに書いてしまっているから、いいかっ。(^^ゞ


高校での進路説明会に要約筆記をお願いしました。
その要約筆記者に、忍足さんの講演会が地元であることを聞く。


ええー〜、あの忍足さんに、生の彼女に近づきになれるの〜ぉ…。
こ、この機会、逃すまじ!
早速、開催所の岡山西ふれあいセンターへアクセスすると、
うわ〜ぁ、申し込みは明日必着じゃん!
もう、メールしか間に合わんけん。
ふ〜ぅ、…。
後は、招待されん事を祈るのみ。


というわけで、皆さまへのお知らせが大変遅くなりました。
というより、ぜんぜん間に合ってないのです。m(__)m
忍足さんへの想いが、今ひとつ足りなかったようです。
深く反省し、これからは、免許証入れにでも、彼女のプロマイドを入れて、肌身離さぬようにしましょう。
(真に受けてはいけませんよ)

2003.6.29 記


「きみの帰る場所/アントワン・フィッシャー」


休日の朝、梅雨の空の下を旭川土手に出、
相生橋を渡ると、向こうに建設中の県立図書館が見える。
冬の間中、囲いの塀だけしか見えなかったけれど、
春から次第に鉄骨の骨組みが積み上がり、予定の3階に達した。
橋を渡り終え、右手に土手を歩く。
川向こうは、後楽園。
城下の雑木林は鬱蒼として、小雨なら傘をたたんで歩けるほど。
城門の前を通り、月見橋の前を過ぎた頃から、ポツリポツリと降り出す。
小走りで、映画館「シネマ・クレール」へ向う。


映画「君の帰る場所/アントン・フィッシャ」は、良かった。


雨上がり、見終えたばかりの映画のことを思いながら歩いて帰る。


まだ今より若かった時に見たティモシー・ハットン主演「ロングウェイ・ホーム」を、思い出したけれど、
あれよりは、ズーッとふくらみのある作品です。
主人公のモデルが脚本を書き、デンゼル・ワシントンが監督をしている。


海軍で喧嘩速いアントワンは、処罰を受け、精神科医の診察を受ける。
アントワンのガールフレンド、精神科医の夫人を合わせて、
4人が主な登場人物で、どなたも素敵な面立ちでした。
精神科医の治療を通し、アントワンの過去が次第に明らかになり、
そうして、彼が過去の重いくびきから解き放たれていくドラマです。
会えたことで母を許せ、父の残してくれた家族から迎えられた時、
涙が止まりませんでした。
この過程で、精神科医夫婦も救われます。


自尊心とか、人間の尊厳とか、人への優しさとか、
虐げられ荒んだ心の荒廃とか、家族のぬくもりとか、
いろんなことが渾然として、伝わってきました。
そうして、自分の人生を受け入れ、誇りを持って生きる事の幸せを感じました。


主人公のガールフレンドや精神科医との出会いや、母親との面会で、
人と人とが顔を合わせることの深さに、あらためて思い至り、
自分がこれまで出会った方々の面影を一人ひとり思い出しました。


しんみり心に沁みる作品で、
「こういう作品見たかったんだ」
と、知らず一人頷いていました。

2003.6.28 記


「ブラック・ジャックによろしく」の感想、その弐


今春のテレビドラマ中、拙一押しの「ブラック・ジャックによろしく」が終る。
最後は、やはりと言いましょうか、
最初からズーッと見ている人にしか分からない展開で、締め括りとなった。(^^ゞ


私が途中からとはいえ、このドラマに引き寄せられたのは、
脇役陣の顔ぶれと、話のテーマによるところが大きいのです。


テーマの中の一つに、親による新生児の治療拒否がありました。
ドラマでこのテーマが中心になっている時、
同時に朝日新聞の「くらし欄」で、同じようなテーマが取り上げられる。
副題は、「重度の障害もつ新生児 治療を親が拒むとき」。


新生児に重たい障害が残ることなどを理由に、
親が治療を拒否する例が紹介され、
医師は、親の意向に従うべきか、親を説得して治療を続けるべきか、悩む、というものです。
具体症例は、水頭症です。


このケースでは、弁護士が中に入り、
その助言により、乳児院へ入れることとなりました。
親がすべて背負わなくていい、というものです。


この記事の反響が、追って紹介されています。
朝日新聞朝刊木曜日の「くらし欄」にあります。


ドラマでは、父親が考えを改め、受け入れる展開になりました。


障害のある新生児をどう受け入れるかは、
本当に当事者になってみないと決められない問題で、
軽軽しく論じられません。
このような問題で、最近知った観方があり、それを紹介したいと思います。
詳細な裏付けが未だなのですが、日が経つと印象の度合いが薄れるので、
取り急ぎ、覚え書きのような感じで書いておきますね。


柳澤桂子さんの著書でしたか、
遺伝的に何%かの割合で生まれてくる障害児は、
社会として受け入れるべきという考えが記されていたように見受けました。


その当事者になったのは、選ばれてなったのであり、
そうならずに済んだのは、偶々その何%かに入らなかったからに過ぎない。
そうならなかった人々が、代わりに障害を負った人の、
世話をしてもいいのではないか、というものです。


翻ってみると、
私が難聴学級の世話になり、今、ここにこうしてあるのは、
難聴学級を創設された高原先生が先頭になって、
社会として難聴児を受け入れて下さったからではないか?
そうわが身に照らして深く思い至ります。
その恩恵は、計り知れない。


残念ながら、私が受けた恩恵は他の難聴児に十分行き渡っていません。
そこには、他にも幾つかの問題が絡んでおり、解きほぐすのは今の私の手に余ります。
でも、この基本的な考えを知っておき、選択の余地がなくて困った時に、
思い出していただき、少しでも役立てられたらいいと思います。


ささやかな思いつきの走り書きですけど、よろしく。

2003.6.22 記


南総里見八犬伝


久々に、仕事が立て込み、パートにはフル出勤してもらい、
私も残業をした。(^^ゞ
でも、来週は、また、暇になりそう…。


梅雨の景色を見る日々で、
稲田には水が張られ、植えられた穂が風にそよぐ。
街角の垣根から紫陽花が顔を覗かせる。
タチアオイも遅れじと茎を伸ばし花を咲かせる。


今週に入って、読書がにわかに捗っています。
とりわけ、「南総里見八犬伝 一」を読み進められたのが予想外!
版は、新潮日本古典集成別巻として5月から出始めたもの。


贅沢な書物です。
活字ポイントが大きく、行間が広い。
なにぶん長い作品ですから、
これまでの書物は、詰めてきた感じが否めない雰囲気でした。
でも、今回の新潮社版は、全体の量、先のことは考えずに、
今、眼前にある文章作品をたっぷりと鑑賞し得る環境を整える事に専念した仕上げを行なっている。


学生時代に、テレビで人形劇をしていました。
それから、作者滝沢馬琴の評伝小説を読んだ事があります。
しかし、この代表作は未読。


図書館でこの本を手にしてみれば、
ルビ、版組みとあわせて大変読みやすそうに、思えました。
残業から帰宅し、早々に布団に入ってページをめくると、面白い!


今様の言葉に飽き足らなくなっていたのだろうかと思えるほど、
とても新鮮な言葉遣いです。
漢文調で難しい言葉もあり、事細かな解釈となれば不安が先立ちますが、
ともかく言葉の響き、登場人物たちの心映えを頼りに読めば、
よく分かる。
現代の作家・翻訳では、得られない読書味です。(笑)


これまで読もうとして挫折した方は、この新版を試みに読まれては如何?
読み出せれば、当然、早く続きが読みたくなる。
しかし、次巻が今月末の発行で、後も月一回のペースでしか出てこない。
無論、待てるわけがありません!
岩波から1984〜5年に出た版に乗り換え、続行です。(笑)

2003.6.22 記


素人、脚本を語る(笑)


今日の昼下がり、家事をしながら、
テレビで放送していた映画「エアポート2001」を見ていると、
どこかで見た女の子が副操縦士をしてる…。
なかなか思い出せず、放送が終ってから、思い出しました!(笑)


そう、ERですよ♪
カーターの彼女にして、ダグと一夜を共にしちゃったんですよね〜。
それでも、カーターを何かで責めてキッパリと振って、ERを後にした…。


ERは、前回・今回と趣向を変えてきています。(勿論、地上波の7シーズン)
前回は、マークも含めて患者アングルで展開していました。
今回は、スタッフが通常の仕事以外に、
それぞれ抱えている、なかなかけりをつけられない個人的問題が中心です。
見ながら、いろんなことを感じさせ、わが身をも振り替えさせられる仕掛けになっています。
こういう脚本は、明らかに複数人で書いているように見受けます。
多重構造にして、含みを持たせ、それでいて作り過ぎない見事さ!
日本でもそういう試みをしてもいいのでは無いでしょうか?
そうすれば、テレビドラマも綻びが減るし、見応えするはず。


自分が歳取った所為か、見ていて作り手が若いなと感じさせられる事、ママあります。
「僕の生きる道」というドラマが有りました。
このドラマを見ながら、
岡山で筋ジストロフィーの難病と闘いながら教壇に立ち続けていた難波先生を思い出しました。
そうして、最後に主人公が木陰から出て、「僕は生きた」と言う。
思わずのけぞりました!
「それはない、生かされたんだよ、君!」と言いそうになっていました。(笑)
これなど、人ぞれぞれの人生観死生観が出て、多くの人が頷けるのはなかなか難しい。


これほど突っ込んだテーマになると、
ドラマより実話の方が受け入れられやすいでしょう。
「モーリー先生の火曜日」がジャクレモンの映画もしくはドラマになっているビデオをレンタル屋さんで見かけて驚いたのにも、繋がります。
あの作品は、絶対にドラマなんかで見たくないな、と思います。
本で十二分でした。


映像作品の強み・弱みということを思うと、
もっとオリジナル作品が映画にあっていいと痛感します。


書く題材によっては、ある程度年期の入った分別が要求される。
「僕の生きる道」は、ドラマの成り立ちでその辺りにちょっと至らなさが、
個人的に感じられた作品でした。
ドラマの成り立ちといえば、
「愛していると言ってくれ」は、聴覚障害の問題を含めているけれど、
それとは距離を持った、コミュニケーションのアプローチを織り交ぜて、
破綻を感じさせず、旨く成り立っていたように見受けました。

2003.6.15 記


梅雨の休日、新聞を片手に


土曜日の新聞を開いて、メモするものが多いのに驚く。


グレゴリーペックさんが亡くなった。
「ローマの休日」の新聞記者を一番に思い出す。
明るく落ち着いた雰囲気で知性と品性を兼ね備えた風貌は、今の俳優さんに見当たらない。
子どもの時にこの映画を見、
大人になるなら、あんな大人がいいな、と思わせるに足るものがありました。
アカデミー主演男優賞を取った「アラバマ物語」は、恥ずかしながら未見です。
今月初めに米国映画協会が発表した、過去100年の映画ヒーロー・ベスト50のトップに、
その役、フィンチ弁護士が選ばれたとあっては、見ておかない手はありません。
また、銃規制論者である事を天声人語で知り、さらに、西部劇「大いなる西部」とチャールス・へストンとの交錯も、印象に残る記事です。


読売新聞によれば、
〉近年お気に入りだったのは周防正行監督の「Shall we ダンス?」で「優れた映画制作の好例だ」と激賞していたという。
これも、彼らしい好み・記事と思う。
最後まで一貫した感じの人柄だったようです。


生活保護受給が人口の1%に、達した由。
不景気の指標の壁を又一つ破ってしまった暗澹さに、胸塞ぐ。


先日ここで紹介した高野文子さんの「黄色い本」が、
手塚治虫文化賞漫画大賞を受賞された事はご存知だと思います。
彼女が、「世代間関係を考える会」で、図書館の本を巡る話をされ、
読みながら、思わずウンウンと頷いてしまった。(笑)
私も、自分の文章が若い人に読み継がれて欲しいと思う。
それに耐え得る程のものかは、別にして…(爆笑)


「私の視点」と題して、脚本家の市川森一さんが書かれている、
「脚本ライブラリー 過去の作品未来の糧に」を読み、
知らず、背筋が伸びていました。
ご自分の仕事への誇りと、
その仕事に対して行き届かない時代のあり方への憤りが伝わってきます。


昨日も書きましたが、岡田恵和さんの本を読み終えたばかり。
この頃、岡田さんの名前を週刊誌でよく見かけます。
山田太一さんの対談相手にもなっていました。
その岡田さんの本の中にも、市川さんの名前が出てましたよ。


「ドラマを書く」を読み出し、冒頭で、
天安門事件の時、香港に居られたことを知り、ビックリ!
岡田さん、私もあの時香港に居たんですよぉ〜。(笑)
もっとも私は社員旅行の二泊だけという駆け足でしたが…。
岡田さんの名前は、私にとって、
「彼女たちの時代」「君の手がささやいている」とともにあって、この本を手にしたのですが、
書かれているのは、「彼女たちの時代」寸前まで。(笑)
でも、最近の「ちゅらさん」等のお仕事で、
脚本界のメインストリートに踊り出ているようなのを知り、うれしい。
これからも、いい仕事をお願いしますね♪

2003.6.15 記


「ブラック・ジャックによろしく」の感想、その壱


やっと休みの土曜日が来た!
(私の勤め先は、基本的に第二第四土曜日が休みなので、
土曜出勤の日があるのです)


今週、梅雨に入りました。
騒々しい春も終わり、街角には紫陽花が姿を表わす。
梅雨入り宣言の出た火曜日には、梅雨にふさわしいしっとりと落ち着いた雨が降り出しました。
先土曜日の雷雨や、その前週の台風も今となっては、
天候異変でなくご愛嬌♪


週末は、テレビを見る日々で、
今夜は「ブラックジャックによろしく」。


だんだん、気に入っています(^^ゞ
今夜は、小児科に入って二回目。
今の医療システムの中で最善を尽くす事の迷いを主に描く。


医療システムそのものにいろいろ問題があるので、
ベストは尽くせず、常にベターで対処せざるを得ない。
これを、若者と大人との視線も綯い交ぜにしているので、
自分が青年から大人になる過程を思い出して尽きるところがありません。


若い時って、自分がこうしたい、ああ在りたいって、いろいろ思う。
でも、できない事の方が多い。
仕事が一通りできる大人になってみれば、
自分が出来ることがいつも計られて、責任ある決断を常にしていかねばならない。
いつ、どこで、そう変わったんだろう?


多分、自分が眼一杯仕事をして、逃げなかった時だろう。
出来ない時には、そうはっきり言うなり、態度に出す。
出来ないから「じゃ、お前やってみろ?」とは、言わない。
以前は、自分の言う事を人が笑って聞き流す。
以後は、自分の言う事で、人が動く。
自分の限界を受け入れられた時、責任が与えられると言ったらいいのだろうか?
後は、体力と知力と知恵とを用いて、その限界を押し広げるのみ。


書いていて、斉須政雄さんの事を思い出しました。
(「調理場という戦場」という本が去年後半話題になりましたね)


一通り出来る仕事には、勿論、妥協やいい加減さがあります。
でも、出来ることが、ハッキリしている。
若い時の夢や希望や理想が大きく深ければ、
それだけその人の限界を押し広げられるのではないかなぁ〜、
と主人公を演じる妻夫木君を見ながら思う。


岡田恵和さんの「ドラマを書く」を読み終えたばかりなので、
マジに、テレビドラマの感想を力いっぱい書いてしまいました。(^^ゞ


評は、まとまりがつかず、書き辛いですねぇ〜。
書き手の作為が見え、じゃ自分なら?となって、お手上げ。
自分の事は棚に上げなきゃ、書けません(笑)
ね、岡田さん♪

2003.6.14 記


訃報 入谷仙介さん亡くなられる


今月6月1日に、入谷仙介さんが亡くなられました。


私が大学生の頃、難聴に関する一般書は二冊しか見当たりませんでした。
その最初の一冊が、岩波新書で1975年に出版された、
『昔から隔てられて』で、
入谷さんは、編者の一人です。
難聴学級の友人以外に難聴者を知らない私は、
この本を読み、大変驚き、且、大きな励ましをいただきました。


その前後に、
入谷さんが、吉川幸次郎さんの門下生であることを知ったのも、
驚きでした。
その頃、吉川幸次郎と言えば、面と向って論を唱える人のない程、傑出した中国文学者です。
その吉川さんの名のもとに、岩波書店と朝日新聞社とから出た、
中国文学叢書の中にも其々その名を留めています。


中国文学の第一線に立ち、島根大学で教鞭をとっている人が、難聴者。
私にとって、
難聴者である自覚を大きく進め、
難聴者だからという甘えをかなり引っ込めさせた名前です。


全日本難聴者・中途失聴者団体連合会の前身、
全国難聴者連絡協議会の会長も勤められ、
全難聴公式HP内にある、「(社)全難聴のあゆみ」にも、
「昭和50年  入谷仙介・林瓢介編集『昔から隔てられて』(岩波新書)出版。」
と一項あります。


まだ、69歳でしたが、肺がんで亡くなられました。
ご冥福をお祈りします。

2003.6.7 記


ハシゴしてみた映画二作品


先週の金曜日、試写会で「コーリング」を見てきました。
ケビン・コスナーの新作です。
この試写会は、隣街のシネコン「ムービックス」で行なわれ、
出向いたついでに、そこの音響効果秀逸のスクリーンで上映している、
「8mile」もハシゴして見ました。


コーリング


ケビン・コスナー、少し顔が変わったな…
と、見始めた頃、思いましたが、
しばらく見ているうちに、いつものケビンに…(笑)


ケビン・コスナーが演じているのは、
ベネズエラの僻地医療に従事していた妻を亡くした主人公です。
妻の死後、ERに勤める彼の前で、次々と異変が起きます。
死んだ子どもが生き返ったり、妻のシンボルであるトンボをめぐっての奇妙な動き等など。
そんな中で十字架に似たシンボルが、彼を一気に亡き妻の元へ連れて行く。
そこで彼が出会ったのは…。


というお話です。
最初は、オカルトかと思いきや、サスペンスが効いた展開になって、
見ている最中、楽しめます。
そうして、最後は愛のお話で、めでたしめでたし。
死後の世界を信じられる人には、味わえる作品です。
佳作の部類に入るでしょう。
後々に深い余韻が残るというところまではいきませんでしたが、
見て損したという気分にはならないと思います。


8Mile


カーティス・ハンソン監督の語り口で、
エミネムの青春・人生のターニングポイントを描いた作品。


見終えて、ずしんと重い余韻が残りました。
ラップ音楽でのバトルを目の当たりに見、
主人公とその仲間たちの日々の暮らしを見ているうちに、
今までぼんやりと想像していた世界が、
くっきりと眼前に迫ってくる。


荒廃した暮らしの中でのやりきれない気持ちを持て余す。
気持ちの通じ合う仲間がいるのはうれしいが、
ここから抜け出さねば、とも思う。
どこから冗談でどこからマジか分からない時もある。
ともかく自分を表現できるヒップホップへ思いのたけをぶつける。


独特のリズムに乗って交されるフレーズのきつさは、例えようがありません。
思いのたけを伝えるには飾った言葉も気遣いも無用。
自分が持ち合わせているありったけの言葉の力を総動員し、
韻を踏んだり、シンボルを旨く使ったりしたフレーズが、
概ね汚くも鮮やかで、感心させられる。
無論、十分に理解できたとはいえないけれど、
この映画を見る前と後では凄く違います。


このリズムとスタイルは、かなり強烈で、台詞まで、ラップじみている。


良し悪しを越え、今の時代が象徴的に感じられました。
心の中を曝け出したらこうなっている、と。
SweetSixteenも、心が痛んだが、これも劣らず胸が痛む。
マジで、やばい。
子どもを連れて見に行く映画じゃありませんでした。


SweetSixteenのタイトルが出た序でに申せば、
SweetSixteenは、ケン・ローチ監督の思いが伝わりますが、
8Mileは、監督の思惑を越えて現実・物語が迫ってくる感じでした。
紛れも無く、エミネムの存在・演技によるところが大きい。

2003.6.1 記