2001/5/22
尊王思想の研究9の続きです。江戸時代に様々な「明君の家訓」が、帝王学のテキストとして流布しましたが、これをたどっていくと、「理尽鈔」が描く楠木正成に行き当たります。
●「太平記」が描く楠木正成
「太平記」においては、楠木正成は縦横無尽の活躍をします。楠木正成は元々日本の軍紀物のスーパーヒーローですが、これはあくまで軍略上のヒーローです。「太平記」は暗君の後醍醐天皇を、暗君と知りながらの補佐して殉じ、死に望んでなお朝敵を滅ぼことを願う忠義者として描いています。また「太平記」の楠木正成は、仏教信者としても描かれています。「太平記」の描く楠木正成は、用兵の天才・宋学的な忠義者・仏教信者です。
●太平記読みが描く楠木正成
これに対して太平記読みのテキスト「理尽鈔」では、楠木正成を数ある武将の中でも別格とし、全ての武将を彼を基準にして評価しています。「理尽鈔」の中では新田義貞、名和長年、足利尊氏ら諸武将がこぞって楠木正成に軍事・民生など、あらゆる教えを請います(勿論これはフィクションです)。
後醍醐天皇にも建武の新政の問題点を指摘します。徹底的な文章主義で整然とした行政を行い、領内の殖産興行をし、家臣を訓練し、またその菩提を弔います(これもフィクションでしょう)。
楠木正成は、源義経を研究して用兵の参考にしたとも「理尽鈔」はいっています。これなど、源義経の人気に一役かっているかもしれません。
「理尽鈔」において楠木正成は、理想的な君主として描かれているのです。これは表現技法の一つといえるでしょう。楠木正成の口を借りて、太平記読みは、自分の意見を述べているのです。しかし、太平記読みの楠木正成は一人歩きしていきます。近世の知識人の頭の中にはスーパーヒーローとしての楠木正成が植え付けられていたのではないでしょうか。どう考えても分の悪い南朝を一流の学者が持ち上げようとするのも、楠木正成を褒めてあげたい一心だったからではないか?などと私は思ってしまいます。