2000/6/5
2001/5/14タイトル変更



古代天皇制 第七章 古代を再建する現代人


ここまでは古代の天皇制を律令制度を支えるイデオロギーとしてみてきました。


古代というのはここでは農業技術が向上して都市文明が発達した紀元前1000年以降に限定します。ここでは商業と工業が発達し合理的な思想が発達しています。インドでは絢爛な都市文明の上に仏教が生まれています。発生当時の仏教は目には見えない死後のことに囚われることを止め個人が血縁などの昔からのしがらみから脱して個人として世界と直面するための思想でした(これは勿論仏教の一面であり私のようなものにはその全てを語る事は不可能であります)。


中国でも春秋戦国時代が長く続きましたがこれは内戦というよりは中原に限定されていた中華世界が主として鉄製農具の普及による農業生産力の向上によって拡大し続けた時代でした。この世界の広がりについていけず混乱したと言ったほうが正確ではないでしょうか。その中でも儒教思想、法家思想、兵法など現実的、合理的な思想が発達しました。


春秋戦国時代の蓄積の上に前・後漢帝国の繁栄があります。 ヨーロッパではギリシャ人の合理的思想が発達しローマ人の実学(建築と法学が特に)も発達します。ローマ帝国が現代顔負けの統治機構を築き、社会福祉も発達し安定した社会の中で繁栄を謳歌したのはよく知られていることと思います。


日本がこの「古代」に参加するのは律令国家の建設を通じてと言えましょう。それ以前の古墳時代(今はこの言葉は使われないのかもしれませんが)の日本には整備された国家体制や流通機構と商業、工業(近代と比べれば未熟ですが)が備わっていたとは到底言えません。この時代の日本がそれなりに発展していたのは確かでしょうがそれだけで不充分なのです。日本列島を一つの国として統合する思想が必要だったと思われます。


その私なりの物語として先の6篇を提示いたしました。 古代は現代時の目から見ると進んでいました。しか、それを支えるのは奴隷でした。このような文明ができるためには豊富な生産力があり、かつ文明の担い手が無為徒食をしても大丈夫でなければならないのです。古代の生産においてローマ、インドは完全に奴隷に頼っていましたし、中国の春秋戦国、漢帝国の農民の話は私はほとんど聞いたことが無いのですが奴隷に近かったのではないでしょうか。 日本も斯様な「古代」に参加しようとしましたが奈良時代・平安時代の日本にはこのような明るさは見当たりません。それは何故だったのでしょうか?