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12/22校正
2/20推敲
大日本史は光圀によって編纂された歴史書として有名です。しかし光圀と大日本史の関係とは本当のところは逆ではないでしょうか。大日本史があるからこそ光圀の名が歴史に残っていると言っても過言ではないと思います。
大日本史の特徴は紀伝体を採用しているところにあります。紀伝体とは中国の正史の体裁であり、歴史現象の総体を本紀(帝王一代の年譜)・列伝(民族や個人の伝記)・志(特殊な分野の変遷)・表(制度の一覧)に分類して記述する方法です。
大日本史では本紀において神武天皇から後小松天皇に至る100代の事績を73巻にまとめて表しています。
列伝は后妃伝、皇子伝、皇女伝、列伝、将軍列伝、将軍家族伝、将軍家臣伝、文芸伝、歌人伝、孝子伝、義烈伝、列女伝 隠逸伝、方伎伝、叛臣伝、逆臣伝、諸藩伝などに分かれています。そのボリュームは170巻にわたっています。
そして将軍列伝は本紀に、将軍家族伝は后妃伝、皇子伝、皇女伝に、将軍家列伝は列伝に対応するという見方もあります。このような見方の方がより現実的に理解しやすいのではないかと思われています。
志は神器志、氏族志、職官志、国郡志、食貨志、礼楽志、兵志、刑法志、陰陽志、仏事志などについて書かれています。126巻です。
表は臣連二造表、公卿表、国郡司表、蔵人検非違使、将軍僚属などがあり28巻になっています。
そして目録が5巻ありますので総計402巻からなる大作になります。
ちなみに他の記述方法としては編年体、紀事本末体などがあります。
大日本史を完成させるのに明暦3年(1657年)から明治39年に至る約250年間もの気の遠くなるような長期間を費やしているのです。この期間の長さには驚かされますし不思議な思いがします。
大日本史の編集方針は極めて合理的な考えによっていると言われています。資料を重視するために光圀は部下達を全国に派遣して資料を採取させたことは有名ですが、さらに日本書紀、古事記以外のものから取り出した故事については必ずその出典を明記するようにしている点などが挙げられています。このような事実は元禄期においてすでにかなり科学的な発想があったことを伺わせるものだと思います。そして安積澹泊は「毎に史臣を戒めて曰く、皇朝の史を撰するはもとより汝輩の能く及ぶ所に非ず、後世必ず良史なる者出てこれを修る事有らん、吾はその稿に備ふるのみ、寧ろ繁なるとも簡に失する無かれ」と言っています。
これは史料の一次採取に務めようと努力した事を物語っています。