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2000/3/6訂正



藤原氏の秘密3


天皇家にとって最大の脅威とは一体どんなことでしょうか。その答えには1000年以上の長きにわたった歴史の中では当然の事ながら色々なものがあったと思います。数多の豪族達の頂点に立てるだけの現実的な能力(武力)を保持し日本を支配した時から天皇家の歴史とはその力を部下達によって奪われていったとも言えると思います。それは時代を経るごとに前の時代よりも多くなっていったのです。


しかしそれでも天皇家が存続し得た理由とはどんなことなのでしょうか。天皇家が滅亡せずに世代を続けて来た事はこれだけで次の世代には大きな力(権威)を生み出して行きました。どの時代でも実力者達は自分の家の伝統、格式を誇ろうとしました。これは言い換えれば彼らの家系が過去に遡れば天皇家との繋がりがあるという古さ(伝統格式がある)を示す事でもあったのです。一方では天皇家とはアマテラスの子孫でなければ成れないといった血統主義のバリアがあります。


彼らにとっては自分の血統を誇れば誇るほど天皇家を粗末には出来ないという論理がここに成立するのです。またそれが統治には必要でもあったのでしょう。


天皇家が歴史的にピンチだったのは足利義満のときがそうです。義満には明らかに皇位を簒奪する意思があったようです。次には血統の長さに対してさほど歴史的重みの重要性を感じなかった信長の時がそうでした。この時も朝廷が対応を間違えれば(足利義昭のように同様に)滅亡もあり得たのではないかと思います。


ところで藤原氏の場合は一体どうなのでしょうか。


藤原氏二代目の不比等の出生については色々な説があります。しかし歴史は鎌足の実子であることを物語っているように思います。当時渡来人の血統は恥じるものではなく逆に誇るべき血筋であったようです。しかし、蝦夷の血統はそうではありませんでした。東国にある鹿島出身者の鎌足はその距離的近さから言っても蝦夷の血が入っていると考えた方が自然です。血脈に対する劣等感が根底にあると考えれは藤原氏の歴史的行為は確かに筋が通っていると思います。


藤原氏一族のその輝かしい成功の理由は彼ら各人が能力的に優れ、かつ運にも恵まれたからというのは当然のことです。しかしさらにこのようなプラスアルファがあったと思われるのです。


藤原氏は道長の代の様に絶頂期ですら皇位を狙わない(狙えない)寄生体質を続けました。これはあくまで「太陽の光を得て輝く月」であることを認識していたからではないでしょうか。


そしてこの様な相手とは天皇家から見ればどんなに強力てであっても敵ではないのです。


鎌足から見て三代目にあたる藤原四家の兄弟達にしても何故彼らがあれほど仲がよかったのか、また、どうして協力し合い争う事をしなかったのかという疑問は以前から持っていました。その理由とは彼らが血脈に致命的弱点を有していたからこそだと思うのです。また不比等の超人的な結婚方式もここに根本理由を見つけることが出来るのではないかと思います。


このような藤原氏の手法が天皇家存続の先例を築いたと言っても過言ではないと思います。