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天皇家(当時は大王家)、蘇我氏、物部氏の三氏は格から言ってもほとんど同格と言っていい立場です。彼らの間には明確な差は見られません。また中大兄皇子は葛城皇子が本名ですから葛城氏の血を引いているのかも知れません。
豪族達の連合体とは群雄割拠状態の進化系と同義語でもあります。そして三氏はほとんど対等の関係だったようですからそこには明確な差がありませんでした。この事は容易に立場を取って代わる事を意味します。
これは戦国時代の大名のようなものと考えればいいのではないでしょうか。(織田家を除く)
例えば徳川家の場合は秀吉により関東に移封された結果として家康自身の直轄領の増加を獲得できました。これにより家臣団と圧倒的な差をつけることが初めて出来たわけです。
大化改新とは大王家と同等の力を持つ蘇我氏排斥こそが目的だったように思われます。
何故ならば実際は不比等こそが律令の完成者でもあると言われているからです。
また鎌足の力の根元をなした鹿島軍は不比等の代には全国軍へと変貌してしまっていたのではないでしょうか。この時より未来の出来事として足利家や徳川家のシステムが日本全国を覆った事例は推理として参考になります。足利家の場合は私兵が官軍に変化し自前の兵が消滅しました。同じような事が行われていたものと考えています。
それは鹿島軍の拡散を意味し同時に消滅でもあったのです。
そしてちょうどその頃には常陸の国は脅威にはさらされなくなっていました。
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