2001/3/8
訂正3/10
清和源氏とは系図を遡って最初に辿り着いた天皇が清和天皇である血統を持つ家系のことを意味しています。これは他の源氏においても同様です。辿り着いた天皇よりも更に前の天皇に遡ることはありません。もし、これが許されてしまうと〇〇源氏という名称そのものが意味を成さなくなってしまうからです。
清和源氏19流とはつまり、清和天皇の次男から14男までの13人の皇子の系統の源氏がそれぞれにあるという事なのです。清和源氏が19流もある理由とは正にこの為です。このようにして清和源氏19流は誕生しています。清和天皇からみて彼の子供や孫の代に「源氏」の姓を賜って臣下に下った系統を数えると19流になるのです。
ちなみに皇子を親王とするかそれとも源氏として臣下におくかという判断の基準は母親の身分にあったとする見方が一般的です。要するに王氏などのように天皇の血筋を濃く受け継ぐ女性や藤原氏一族を母親に持った子供は親王として選ばれて皇族の立場におかれましたが、地方の豪族一族のような身分的に低い(といってもそれなりにかなり高いのですが)女性を母親に持って生まれた皇子は「源氏」の姓を与えられて臣下におかれた可能性が高いように思っています。
このように清和源氏には19流もあるにもかかわらず6男貞純親王を始祖とする系統が清和源氏であるかのように言われ続けてきたのです。しかしこの定説が崩れそうな状態になっているのは先日書いたとおりです。
それでは貞純親王とは一体どのような人物だったのでしょうか。いざ彼について調べてみると想像以上に資料の絶対量が不足している事に気づかされます。
例えば生誕年について下記のような事が分かりました。
@貞観15年(873)生まれ説(系図纂要)
A仁寿3年(853)生まれ説(尊卑分脈)
B貞観16年(874)生まれ説(将門・純友東西軍記)
C仁和元年(885)生まれ説(日本紀略)
ちなみに没年については延喜16年(916)でほぼ間違いないようです??
これで見ると貞純親王の生まれた年についての記述が一世代くらいのスパンを持っていることが分かります。つまり約30年間の誤差を持っているのです。これほど長い期間では例え「善意の誤解」であったにしても、記述上で全くの別人が入れ替わる可能性が十分に可能であるように思われて来ます。
Aであれば、清和天皇(850〜880)が3歳頃に生まれた事になってしまいますから論外だと思います。どう見ても清和天皇の弟(文徳の子)以外にはあり得なくなります。
Cであるとすれば清和天皇が亡くなられてから5年後に生まれたという事になります。この場合も完全に別人の子供です。
@Bの生誕年とは清和天皇が23〜24歳頃にあたりますからかなり可能性があると思います。
しかし、史料としてはCが一番まともであるとされているのです。それでは873年生誕説に間違いがないと全幅の信頼を持つことが出来るのかと言えば、兄の貞保親王の生誕年が877年とされている史料もあるのです。このように貞純親王については実のところほとんど何も分かっていないのと同じ状態なのです。
貞純親王の生誕年の可能性が一番が高い??と想われる「系図纂要」によれば彼が生まれたのは貞観15年(873)3月とあります。するとわずか生後1ヶ月ほどで親王にあげられている事になるのです。しかしこれは極めて例外的な出来事だと言われています。貞純親王は成年になって上総国や常陸国などで太守の地位を歴任していますが、これらの国は親王任国でしたから実務はありませんでした。その他では中務卿や兵部卿などにもなっていますが、これもまた実務を免除されていました。そして晩年に四品に叙せられています。この人の場合、逸話や伝承が全く伝わっていないのです。これらのことから判断出来るのは、貞純親王とは記録するような話を持たなかった平凡な生涯を送ったであろうという事です。でもそれはこの人が不幸であったという事では決してありません。親王の身分は経済的には十分に保証されていたからです。
※参考
清和天皇(850〜880)
第56代天皇で名は惟仁(これひと)。
文徳天皇の第4皇子。母は藤原明子。
外祖父藤原良房が摂政。
(在位858〜876)
− |
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生年〜没年 |
母の父の官職 |
母親 |
長男 | 第57代陽成(貞明)天皇 | 868〜949 | 権中納言 | 藤原長良の娘(高子=藤原基経の姉) |
次男 | 貞固親王系統1 | ??〜930 | 治部大輔 | 橘休陰の娘 |
3男 | 貞元親王系統2 | ??〜909 | 参議兼治部卿 | 藤原仲統の娘 |
4男 | 貞平親王系統1 | ??〜913 | 神祇伯(右中弁??) | 藤原良近の娘 |
5男 | 貞保親王系統2 | 877??〜931 | 権中納言 | 藤原長良の娘(高子=藤原経基の姉) |
6男 | 貞純親王系統2 | 873〜916 | 中務大輔 | 棟貞王の娘 |
853〜916 | ||||
885〜916 | ||||
| ||||
7男 | 貞辰親王系統1 | 874〜929 | 摂政 | 藤原基経の娘(佳珠子) |
8男 | 貞数親王系統1 | 875〜916 | 在原行平の娘 | |
9男 | 貞真親王系統4 | 876〜932 | 藤原諸藤の娘 | |
10男 | 頼親王系統1 | 876〜922 | ||
11男 | 源長淵系統1 | 石見守 | 大野鷹取の娘 | |
12男 | 源長猷系統1 | 越中守 | 賀茂岑雄の娘 | |
13男 | 源長鑒系統1 | 信濃権介 | 佐伯子房の娘 | |
14男 | 源長瀬系統1 |