3/4訂正



茨城県や茨城県人についてのあれこれ



このページでは郷里の茨城県を過去へ遡って考察し、より愛される茨城の姿とはどのようなものになるのかを考えてゆきたいと思っています。


茨城県は古くはそのほとんどが常陸国と呼ばれていた地域と重なり合っています。利根川が千葉県との自然の県境となっていますが(一部例外あり)この利根川を挟んだ部分は下総国と呼ばれていました。


新治、茨城、筑波、那賀、久慈、多珂の6つの「くに」が大化改新によって常陸国として一つにまとめられました。そして新しくできた常陸国は新治、茨城、筑波、那賀、久慈、多珂、白壁、河内、行方、香島、信太と呼ばれた11の郡によって構成されていたのです。これらの中には現在でも名前が使われているものが多いのを見ると歴史の重みを感じざるを得ません。


「茨城」の言葉は常陸国風土記の中にも見られるように由緒ある名前です。しかしこの単語からは当時の大和朝廷がどのようにこの地域を見ていたかは一目瞭然だと思います。要するに辺り一面に茨が生い茂っているような極東の僻地といった印象だったのではないでしょうか。


常陸国は関東平野の北部に属することからそのほとんどが平野にあるため、耕作可能面積としては全国でも有数でした。勿論住居可能面積においてもそうなります。農業が当時の先端技術だった時代ですから、このメリットは極東であるという事を考えても余りあるものだったのかも知れません。そのため常陸国は親王統治国という全国でも重要な地域として位置づけられる事になります。