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茨城の重要な地域 鹿島2


鹿島の神と香取の神は兄弟です。この事は本当に兄弟だったのだと思っています。例えて言えば本家を継いだ長男が鹿島で、分家をして新宅を起こした香取が次男というような関係だったと推測されます。


西暦645年中大兄皇子が最大の権勢を誇った大豪族蘇我氏を滅ぼした事件を大化改新と呼んでいますが、このとき中大兄皇子の側近として活躍したのが中臣鎌足です。後の藤原氏の初代としても名高い鎌足は鹿島の出身でした。当時において辺境出身者が奈良にある大和朝廷中央部にまで勢力を伸ばすことが出来た事についてはそれなりの理由があってしかるべきだと思っています。


彼は「鹿島」という強力な支持母体があったからこそ、あの地位にいたのだと思うのです。蘇我氏を滅ぼした実働部隊とは実は鹿島出身者からなる部隊であった可能性があると思っています。少なくとも鹿島産の最強の剣(鉄製の剣)を装備した部隊がその主役だったことではないでしょうか。


鹿島と大和の関係は後世の豊臣と北条の関係に似ていると思います。北条は最後まで逆らって滅ぼされてしまいましたが、鹿島は中央の傘下に加わったのです。さらにそれとは豊臣に対する徳川のようなものだったような気がしています。大和を構成する豪族連合の中における遅れてきた大物、それが鹿島だったのではないでしょうか。


遅れて加わったとはいえ最大勢力の鹿島は大和朝廷内でも有力な地位につくことが出来たのだと思います。大化改新は大和朝廷内での勢力争いですが、一種の「関ヶ原の戦い」もしくは「本能寺の変」と捉えることが出来るのではないでしょうか。その時最高権力者についた中大兄皇子の側近こそが中臣鎌足だったわけです。


ちなみに鎌足は大化改新の功績により茨城県の北部である久慈川流域を領地として認められています。この事は実質的には支配下であったこの地域を公的に認めてもらったという事だと思います。そしてこの地域は蝦夷との境界線でもあったのです。