過去ログ116(2001年〜5月25日)


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Jリーグが手本 投稿者:Toshy  投稿日: 5月25日(金)00時42分06秒

というのは、一球団の言い成りにさせない、コミッショナーの強さですよ。
読売が「新リーグだ」とのたまった時の野球(諂い)とサッカー(強気)の姿勢の違い、これのことをわしとSinさんはいっているのですな。

ワールドカップは、我が仙台にも来ます。正直のところ来て欲しくなかったんだが。



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怨霊? 投稿者:勇者ロト  投稿日: 5月24日(木)23時34分44秒

怨霊の原型というものを、「神の一面」である「荒ぶる神」とか「禍津神」であると想定しての考えなのですが・・・・・。

これらがまず、

1・仏教的感覚の善悪対比により一つの神の中の性格という立場から善・悪二元に分離された。

2・悪神は調伏すべきものだとの考えが生まれた。

3・初期のころは、仏法や道教によって悪神(怨霊)を調伏(神やらい)できた。

4・これがだんだんと難しくなって(調伏できかねる場面に数多く接することによって)一般的意味での怨霊信仰が発生した。これは原点回帰ににも似ているが怨霊を経た神と当初からの神の概念は分離されたままであった。

道真型の「怨霊自体を崇める」という一般的な意味での怨霊信仰は、平安時代を待たねばならないと思いますが、怨霊というか悪霊(禍津神)を恐れて、それを退治、雲散霧消(神やらい)させようという意識は聖徳太子の頃には既にあったのではないかと思います。だからこそ外来新宗教の仏教が重宝されたのではないかと思います。

一般的な意味での怨霊信仰が聖徳太子以前からあったとしたら、それは太子信仰という形でなく、山背大兄信仰、入鹿信仰という形であらわれたのではないでしょうか?

斉明天皇は、都周辺で狂ったように土木工事を繰り返し、また出雲大社を修造させたといいます。これは「蘇我氏」の怨霊を恐れたものではないかとも思います。しかし道真型の怨霊信仰と違うのは、「怨霊自体を崇めなかった」ということではないかと思ってます。

つまり、道教の祭祀施設である「観」を多武峰に建て、呪術的建造物をつぎつぎに建立したのは、怨霊を崇めるのではなく、怨霊を叩き潰すとか、追い出そうとかまたは消滅させようとした意識があったのではないかと思うのです。

斉明の飛鳥での土木工事や出雲大社の修造は、純粋に善神を崇めることによってその御稜を利用して「蘇我氏を背後に感じる怨霊」「荒ぶる神」「禍津神」を退治しようとした意識の現れのような気もしています。つまりこの時点では、「怨霊」に近い概念は育っていても一般的な意味での「怨霊信仰」はなかったのだと思います。

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/index.html



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ちょっとした関連 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月24日(木)23時17分13秒

過去ログを読んでいると、井沢先生の話題が随分と出ていて、最近は
巨人の話題も出ていたので、両者に触れた文章を・・・。

http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/tigers/sa_t2.htm



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藤原氏の秘密5(その2) 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月24日(木)22時52分11秒

鹿島・香島というのは、ありふれた地名のようにも思えますので、相互に
特に深い関係はないようにも思いますが、色々と調査していけば、今まで
知られていなかったような深い繋がりが見付かるのかもしれません。
海の道は、日本の形成を考える際に重要な視点だと思います。私も、諸地
域の交易を媒介とした連合を考える際には、陸路よりも海路の方に圧倒的
に比重を置いています。
私の見解に対して感想や批判がおありでしたら、遠慮なく私のHPの掲示
板の方に書き込んでください。



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劉公嗣さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月24日(木)21時19分52秒

あっという間に全過去ログを読破されてしまったのですね^^
はっきり言ってこれはすごすぎますよ。
でも、過去ログをこのように読んでいただけるのはとても嬉しいです。

「諸葛孔明とその時代」を読んでいただいて有り難うございました(^O^)g
中国の歴史編と言えば「杜子春の世界へ」が途中のままになっていました^^;;

劉さんのところでは横レスになってしまうので控えていたのですが、古代日本社会成立の仮説(と
いう程ではないのですが、笑)として私は「海の道」に注目しています。
これについては「藤原氏の謎5」に詳しく書いてありますのでよろしかったらご覧になって下さいね。
ひょっとしたら劉さんの参考になればと思っていますv(^o^)

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/fujiwara5-2.htm



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Toshyさん、Sinさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月24日(木)21時12分15秒

熱いプロ野球論ですね^^
色々改善する余地はきっとあるのでしょうね??

でも、Jリーグが手本になるとはとても思えないのですが...笑
はっきり言ってFIFAなんて金の亡者そのもののように思えて仕方がありません。
ワールドカップ誘致にしても、バブルの再現を夢見た地方公共団体が結果として餌食にさせられて
いるだけのような気がしています^^;;

あそこで使われている原資のかなりの部分は公共の税金が使われている訳です。
ですからもっと毅然とした判断をすべきだったと思っています。



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安部さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月24日(木)21時10分13秒

済みませんでした(;^_^A)
色々やっている内に何処かで間違えてしまったようです。
でも、タイトルは間違えていましたがリンク先は大丈夫でした^^
すぐに直しましたから今度は大丈夫だと思います。

Minstrel さんの質問についてですが、
>私は不慮の死を遂げた者が死後も恨みを抱いている、という考えは素朴な考えとしてありえるの
>ではないかと思うのですが
この意見に私も全くの同意見です。
確かに文献上で確認できるのは平安時代になってからだと思いますが、「恐れ」のような感情は人
間の持つ基本的な心理に根ざしていると思っています。
このようなものについては古代に生きる人も現代の私たちもさほど変わらないように思っています。

ですから、平安期における「怨霊」のようにはっきりしたものかどうかは別にすれば、聖徳太子怨
霊説は成立すると思っています。
だだし、これが伝説として残った理由の大きな要因としては後世の脚色付けに因るところが大きい
と思っています。

これと付随して現れてくるのが「不死鳥説」「不死身説」と「判官贔屓」ではないでしょうか??
でも私にはこれらの明確な区別基準が自分の中ではっきりしていないのです、自爆^^;;



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きんたろうさん、Minstrelさんへ 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月24日(木)15時45分03秒

私の「古代天皇制」の、第二章と第三章が同じ文章になっており、第三章の「怨霊もまた和から生まれた」が無くなっています。訂正しておいて下さい。

Minstrelさん、私の怨霊に関する考えは、その古代天皇制第三章の「怨霊もまた和から生まれた」に書いてあります。

原始的な社会において、言霊や怨霊に対する信仰が、世界中どの民族(部族)においても存在していたであろうと言う意見は、実は去年か一昨年に井沢掲示板でAwaji氏が述べており、私はその意見が一番まとまっていて分かりやすかったように記憶しています。ただし、古代の日本において、井沢先生が言うほど怨霊や言霊が歴史に影響を与えていたとは思えない(証拠が無い)、言霊や怨霊を使って古代史を推理していくのは、恣意的な面が入り過ぎる、というのが彼の意見でした。井沢掲示板のここ2年間の記録はほとんど取ってありますので、週末にその文章を捜してみます。



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怨霊の存在についての意見を聞かせて下さい 投稿者:Minstrel  投稿日: 5月24日(木)11時29分01秒

こんにちは。突然の乱入をお許し下さい。皆さんのご意見をお伺いしたくて来ました。

真偽のほどはともかく、聖徳太子怨霊説がありますよね。蘇我入鹿も怨霊になったのではないかという説もあります。また、大国主の怨霊を恐れて出雲大社を作ったとか、卑弥呼にも似た説があります。
これらを語る場合、そもそも当時「怨霊」は存在したのか、という疑問が起こります。
一般には怨霊といえば桓武朝が有名で、卑弥呼や聖徳太子の時代に怨霊の存在を示す文献は特に知りません(私は)。
文献だけでなく、宗教的にも当時、怨霊という考えがあったのかどうかアヤシイところです。

これらのことからも、卑弥呼や聖徳太子の時代に怨霊はなかったと思いますか?
怨霊がなければ、すべての怨霊説は崩壊します。
私は不慮の死を遂げた者が死後も恨みを抱いている、という考えは素朴な考えとしてありえるのではないかと思うのですが。

http://www.interq.or.jp/pluto/minstrel/



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Toshyさんに賛成 投稿者:Sin  投稿日: 5月23日(水)23時58分13秒

以前ナベツネが、金で買った優勝だと言われてもそれが企業努力だと
いう趣旨のことを言ってましたが、プロ野球球団のすべき企業努力は
自球団だけが勝ち続けることではない。
他のプロスポーツと比較して、良質な試合を観衆に提供することが
本来すべき企業努力であると思う。
セリーグ各球団(特に巨人、阪神、中日)はその本来すべき企業努力を
怠っているとしか思えない。

歴史談義の続き、書いてるうちに内容が無茶苦茶になってきた・・・(笑)

http://www31.tok2.com/home/sin007/



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駆け足ですが 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月23日(水)23時50分41秒

掲示板過去ログを読破しました。他の掲示板の話題も出ていたようで、
ちょっと話の流れが掴みにくいところもあったのですが、色々と勉強
になったり考えさせられたりしました。

「諸葛孔明とその時代」は、かなり上手く纏められているのではない
でしょうか。この時代に自給自足経済が復活してきたとかというと、
私も自信をもって言えるわけではないのですが、貨幣の流通量が減少
してきたことは間違いありません。前漢の頃の貨幣流通量に復活する
のは唐代になってからで、大きく凌駕するのは宋代になってからです。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/index.htm



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安部さん熱くなってますね(笑) 投稿者:Toshy  投稿日: 5月23日(水)23時03分26秒

わしは、一度プロ野球は瓦解したほうがよいと思っています。
そして改めて、Jリーグを見習った機構作りから始めたい。

「善六」の2章を事務所で書き直したのですが、原稿を持ち帰らなかった。
馬鹿である(藁

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/index.htm



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過去ログを 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月23日(水)23時01分24秒

50まで一気に読んだのですか!!
劉公嗣さん、それはすごすぎますv(^o^)
そう言えば過去ログもしばらくまとめていないことに気が付きました。
何とちょうど一年前くらい分までですからね、自爆^^;;

三国志の時代については私も玉石混淆のコーナーに少し書いてあります(^O^)g

安部さん、私も今度の背景の方が前よりもいいと感じていました^^
安部さんの文章の調子は素晴らしいものがありますね。
大人が子供に対して友達とか、対等の関係だなどと思って接する事は間違いなのではないかと思う
今日この頃です(勇者ロトさんの文章みたいでしょう^^)

人は鍛えられて一人前になっていくものです。
その時期を逸することはお互いにとって不幸だと思います。

それにしてもヤクルトは強いですね、笑
でも野球のヤジは昔からあんなものだと思いますよ^^
マナーについてこれに該当するのは巨人の選手だけというのは大きな間違いでしょう( ^^)ノ ((((((●~*

kisi akihitoさん、よくいらっしゃいました^^
ご訪問有り難うございます。
茨城の歴史はこのページのメインの柱です。
歴史を遡れば遡るほどに常陸国の存在が大きく感じられてきます。
ちょっと常陸国史観^^;;に捕らわれているようにも思っていますが、とても面白いですよv(^o^)



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お邪魔します! 投稿者:kisi akihito  投稿日: 5月23日(水)19時52分18秒

きんたろうさんのホームページ大変勉強になりました!
私も茨城県人ですし、古代史にもこの1年で興味をもったところなのでとてもおもしろかったです。これからも良いホームページになるよう心から祈っております。



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まさかここまでとは 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月23日(水)16時44分16秒

http://news.msn.co.jp/snkspt/20010523-120044.htm
↑出来れば見てください。

川相と二岡と仁志あたりはいい選手だと思いますが,巨人の選手のマナーの悪さは巨人ファン以外の間では有名です。まあヤクルトファンは特に読売に批判的なのですが。

こんなチームを応援している人が多いなんてマスコミに踊らされているとしか思えない。



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今日もいただきます 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月23日(水)13時18分06秒

http://www.isize.com/sports/bb/npb/sougou_news/N010522023.html

日本のプロ野球の浮沈はヤクルトの優勝にあり!

ヤクザなんぞに負けるな!



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波形はあれでOKです 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月23日(水)12時30分14秒

前の背景、細かい横線のせいで少し読みづらい所があったので、今の方が私としては良いです。

前の話の続きですが、
いっそのこと徹底して職業倫理や隣近所のお付き合いの感覚で通せば、変な戦争とかはしなかったかも。こんなことやっても儲からんとか、さすがにここまでちょっかいを出せば相手も怒るだろうとかね。上に立つ人があくまで生活感覚に根ざしていれば、大東亜共栄圏とか、新機軸とかいった訳の分からない実態の無い言葉に躍らされなかったかも、と思うこともあります。

日露戦争当時の陸軍と言うのは、兵隊の志気や技術をはなから信用していなかったそうですね。だからできうる限り進んだ装備をそろえて、兵隊は何も考えないでうちまくれば良いように作戦もしっかり立てた。最近良く言われるようになりましたが、日論戦争ではロシア兵の方が、日本兵よりも兵隊一人一人の勇敢さ、我慢強さは上だったそうです。日本軍の中で、精神主義が強く言われるようになったのは、「もう少しロシアを見習って」と言う意味も初めは含まれていたそうです。

またイギリスを引き合いに出しますが、イギリスの兵隊はそれはもう弱いことで有名です。私の友達の父親はイギリス軍人なのですが(それゆえに彼は香港や西ドイツに住んでいたこともある)、訓練は嫌いだ、訓練さえなければ軍隊ほど良いところはない、といつも子供の前でぼやいていました(笑)。しかし「イギリスは戦闘には勝ったことが無いが、戦争には負けたことが無い(このイギリス人の口癖の裏にはドイツに対する皮肉も含まれている)」ともいわれます。

職業倫理と生活規範が日本人は密着していますが、そのため○○村の○兵衛とか○○屋の○左衛門としてならば立派に生きられるけれども、でもその組織から外れてしまったときどうなるのかな?という心配があります。

今の教育はそういった組織に対する節度と言ったものを否定して、「個人として自立しろ!」と壮んに叫びますが、組織からはなれて何をバックボーンとして生きれば良いか、というのを日本人はまだ考えてはいないので、その用意もせずに「個人、個人」と叫ばれても、一体どうすれば良いのか分からない。

オヤジを馬鹿にする風潮は、このように組織の一員として節度を持って生きる姿勢を馬鹿にしているのではないかと思います。しかし、日本で生きていく異常、いずれはオヤジやオバサンの生き方をなぞらなければいけないのですから、子供にそれを馬鹿にする姿勢を植え付けるのはおかしいと思います。精神分裂に陥るのではないでしょうか、自分が表面では馬鹿にしながらその生き方を選ばなければならない。

後先を考えているのだろうか・・・と感じることが多いです。



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掲示板過去ログ読破中です 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月23日(水)07時24分17秒

漸く50あたりまで行きました。色々と興味深い話題が
議論されていました。

百姓というのは、元々周代に100(というのは象徴的
数字ですが)姓があったことを表しているのですが、姓
と氏が混同されるようになって、次第に一般民衆といっ
た意味合いに変化しましたよね・・・。日本でも、江戸
時代半ばあたりまでは、農民という意味合いに限定され
てはいなかったようですが・・・。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/index.htm



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安部さんの 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月22日(火)23時14分36秒

尊王思想2をリニューアルしました^^
是非ご覧になってみてくださいね。

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/abesonnou2.htm



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そう言えば 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月22日(火)22時47分28秒

江戸時代には船主も百姓として区分されていたようです??
これは稲作の浸透と共にこの生産方式が最上であるとされていったために起こったのかも知れませんね??
元々百姓という用語は数が多いという意味だけがあって、職業までは規定していなかったようです。
Toshyさん、最終章を楽しみにしていますね^^

魔異夢さん、爆泣の感覚はとてもよく分かるような気がしました。
早く固定電話にして存分にネットを堪能してくださいね(^O^)y
宮本武蔵と言えば実在の人物ですが、お通さんもそうなのでしょうか??
教えてくださいね^^

>強情で繊細な優しさはいかなる背景から構築されたモノだろうか?
確かに小説を読んでいると突然「強い女性」に変身してしまう感じがしますよね、笑

安部さん、「古代天皇編」と「尊王思想編」の今度の背景はどうですか??^^
もし前の方がイメージに合うというのであればすぐに変更しますv(^o^)

一般レベルで「国の将来」について熱く語るようになったのは明治維新による「市民平等」の実施
と「義務教育」の普及、並びに「富国強兵」策による「国民皆兵」制度によるところが大きいと思
っています。
しかし、実際問題として一番大きなものは欧米列強による「地球分割」=「植民地化」というプレッシャーだと思っています。



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そう言えば 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月22日(火)22時47分28秒

江戸時代には船主も百姓として区分されていたようです??
これは稲作の浸透と共にこの生産方式が最上であるとされていったために起こったのかも知れませんね??
元々百姓という用語は数が多いという意味だけがあって、職業までは規定していなかったようです。
Toshyさん、最終章を楽しみにしていますね^^

魔異夢さん、爆泣の感覚はとてもよく分かるような気がしました。
早く固定電話にして存分にネットを堪能してくださいね(^O^)y
宮本武蔵と言えば実在の人物ですが、お通さんもそうなのでしょうか??
教えてくださいね^^

>強情で繊細な優しさはいかなる背景から構築されたモノだろうか?
確かに小説を読んでいると突然「強い女性」に変身してしまう感じがしますよね、笑

安部さん、「古代天皇編」と「尊王思想編」の今度の背景はどうですか??^^
もし前の方がイメージに合うというのであればすぐに変更しますv(^o^)

一般レベルで「国の将来」について熱く語るようになったのは明治維新による「市民平等」の実施
と「義務教育」の普及、並びに「富国強兵」策による「国民皆兵」制度によるところが大きいと思
っています。
しかし、実際問題として一番大きなものは欧米列強による「地球分割」=「植民地化」というプレッシャーだと思っています。



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まいむ 投稿者:ふむふむ↓  投稿日: 5月22日(火)22時11分24秒

なるほどーー安部さん納得。目からうろこだわ・・・確かにその時代の人の職業倫理観や時代背景で思想だとか、世間というものも変わってくるのでしょうね。平成の今の感覚から「歴史」を慮っては危ういこともあるのね・・・



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上方の商人は 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月22日(火)16時10分00秒

かなり厳しい職業倫理を持っていました・・・が,日本人一般が持つ規範というのはきんたろうさんがいうように確かに職業倫理か,あるいは隣近所での付き合い方で終わってしまう面もありますね。人間一般としてどうすべきか,という点にまではなかなか行かない。

公共の規範をとりあえず愛国心に限って話を進めると

武士の規範だって,忠誠を誓うべき対象は藩でストップして,決して日本全体までには行かない。ここを少々いびつな形とはいえ,打ち破ったのが尊王思想だったのかもしれません。

「君死にたまふことなかれ」だって,反戦の歌ではなくて,「戦争なんかお侍がやることだ,弟よ,おまえは商人の子なのだからそんなことで死ぬことはない」という意味です。つまり,大変厳しい職業倫理を身につけていた上方商人の出の与謝野晶子の認識もこの程度なんですね。それなりに健康的だと思いますが。日露戦争当時ですら,一般民衆がどこまで「日本を守らなければいけない」と思っていたかどうかは怪しい。陸軍の下級将校あたりはかなりまじめに考えていたでしょうけれども。


しかし,イギリス人も,19世紀には「イギリス人はスエズ運河を越えると人格が豹変する」といわれました(笑)ジェントルマンからとたんに暴虐無人な宗主国の人間になってしまうのですね。ただし,どこへ行っても自分のスタイルを守らなければいけないという認識はあったみたいです。



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うーーん 投稿者:魔異夢  投稿日: 5月22日(火)14時43分41秒

大変ご無沙汰です。Tshyさんをはじめ、みなみなさまごぶさた!モバイルな私はなかなかじっくりとネット訪問できなくて爆泣き状態に近いですよ。

きんたろうさんの掲示板に訪問させていただくようになってから、歴史人物に恋する気持ちが何となく分かってきましたわん^^

最近のお気に入りは宮本武蔵。。。テレビの影響です。きっぱり。じつはおつうさんという女性像に興味関心を持っております。彼女のあの信念というか、なんちゅうか・・・強情で繊細な優しさはいかなる背景から構築されたモノだろうか?などと空想を巡らせております。楽しい時間です^^



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ありがとうございます 投稿者:Toshy  投稿日: 5月21日(月)23時39分44秒

善六のことは、わしもあまりしらなかったのです。日本に残っている文献では、高田屋嘉兵衛事件で活躍した晴れがましい人、と思っていました。しかしロシア側の文献を読み、隠された悲しみを実感すると、急に親しみが湧いてきました。
それでちょっと意外な結末があるのですよ。「事実は小説よりも奇成り」とはよくいったものです。
最終章を楽しみにしてください(^^)

渡来人の御意見に賛成です。遣随使・遣唐使もそうだし、また中世の東南アジアに移民した人々の気持ちもわすれがちです。歴史も偉大な人たちばかりではなく、庶民にも目を向けていくとなにか新しい発見がありますよね。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/index.htm



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劉公嗣さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月21日(月)22時31分53秒

信長の神髄を読んでいただきまして有り難うございました。
読み返してみると「うすあじ」だなあと(笑)改めて思うのですが、実は私の文章のモットーとは
「簡潔さ」なのです(^O^)W
特に信長編に関しては「資料的」な部分については敢えて省いてある点は私自身気に入っています、笑

それにしても、表現する事とは難しいものだとつくづく思います。
例えばこの前の井沢BBSでもそうでしたが、信長の偉大さについてどのように表したらより的確
に伝わるのだろうかとちょっと考えてしまいました。

K-beさん、本当に久し振りですね^^
これからもよろしくお願いしますね。



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群盲撫像を少し推敲してみました^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月21日(月)22時28分12秒

Toshyさんの「善六5」を読みました。
善六が哀れにも思えてきましたが、実は与えられた運命から逃げ出さないで精一杯生きたぞ、とい
うメッセージを何よりも強く感じられました。
この話を読んで人は限りなく強くなれるなのだと思いました。

確かに、善六は晴れがましい歴史的評価とは無縁の人物だとは思います。
しかし、人の幸福の次元はその様なところばかりにある訳ではありませんよね。

ところで、漂流民の話を読んでいて、古代における「渡来人」のパターンもここに見える様な気が
しました。
耐え難い望郷の念と航海の危険性を過小評価しているのような意見がどうしても多いように感じら
れてしまいます。

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/gunmou.htm



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お久しぶり過ぎます 投稿者:K-be  投稿日: 5月21日(月)01時54分42秒

お久しぶりです。『如水邸』の管理人です。
本気でお久しぶりです。1年以上ぶりではないかと・・・

先日は掲示板への書き込み本当にありがとうございました。マジで嬉しかったです。
実際の所、「果たして人が来るのか?」っていうのが本心でしたから、
カウンターとか無理に付けずに細々とやっていこうと思っていたくらいなので。
ここからのリンクもまだ貼って頂けているみたいで、どうもありがとうございます。

最近非常に忙しいので更新は遅々として進まないと思いますが、またひとつよろしくです。
それでは失礼致します。

m(_ _)m
http://www.rosenet.ne.jp/~wabi/qj.htm



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信長の神髄 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月21日(月)00時02分55秒

拝読致しました。HNは、御推察の通り、三国志から採りました。

うーん・・・従来言われているような信長の「先進性・独創性」と
いうのは、どうも怪しいのではないかと・・・。兵農分離にしても
楽市楽座にしても鉄砲の装備と運用法にしても。こうした点は、信
長以前の戦国大名にも認められるものですから・・・。

人材起用についても、織田家が大勢力となったため目立ったという
点もあるように思います。例えば、松永久秀は今もって出自不明で
すし、実質的な美濃守護代にまでなった西村新左衛門(斎藤道三の
父)の出自もよく分かりません。能力重視の起用は、他の大名家で
も案外頻繁に行なわれていたのではないでしょうか。

勿論、信長の凄さや偉大さを否定するものではありませんが・・・。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/index.htm



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劉公嗣さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月20日(日)22時24分38秒

よくいらっしゃいました^^
HNを一瞬見ると三国志を連想してしまいました、笑

書かれている内容を読んでみると私と近い感覚の人なのかな??と思ったりしました。
信長については「エポックメーキング16世紀編」のコーナーで「信長の神髄」という小文を載せ
ていますので、ご覧になってみて下さいねv(^o^)



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Toshyさんの 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月20日(日)22時20分59秒

言われるとおり長篠の戦いとは戦国時代でも希にしか存在しなかった両軍が真正面からぶつかり合
った「白兵戦」である、というのが正しい姿だと思っています^^
これは関ヶ原の戦いの死傷者数と比べてみると、その高比率から推測出来ると思っています。
一目瞭然ですよね。

倍以上の兵力差があるにもかかわらず「武田」が善戦しているのは「背水の陣」という精神的なも
のがあった為なのかも知れませんね??
尤も武田兵は強いという「伝説」とはこの長篠の戦いこそがその「核」になっているのではないか
と私は思ったりしています、笑

ここから派生して「川中島の戦い」なども評価されていったのではないでしょうか??笑



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全体像の把握 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月20日(日)11時27分13秒

歴史研究は、時代が下るにつれて専門・細分化し、全体的な歴史像を提示
しづらい状況になっていますが、この点は歴史家も痛感しているところで
すから、分析だけでなく総合する作業も必要だと言う歴史家は多くいます。
全体像の把握とはいっても、一般人がそうするには何らかの書物か講義が
必要で、それは結局は著者や編者などが直接・間接に知り得た根本史料か
ら組み立てた全体像ですから、案外危ういものだと思います。

やはり、より多くの専門・細分化された研究を持ち寄って相互に検証して
いくのが、迂遠なように見えますが、安全で却って早道なのではないかと
思います。研究が進展して全体像が覆ることはそう珍しいことではなく、
歴史研究が専門・細分化していくのは仕方のないことであり、また必要不
可欠なことでもあると思います。学問とは奥深く地道なものではあります
が、それ故に楽しいものでもあるのだと思います。

私のような一般人も、最初に思い描いている全体像に捉われず、時として
専門家の研究や根本史料に自ら触れてみる必要があるのだろうとは思いま
す。まあ、私は怠惰なので、なかなかそうもいきませんが。

初投稿で長文になってしまい、すみません。



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初めまして 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月20日(日)11時18分02秒

kituno_iさんのHPの掲示板から来ました。
長篠の戦いについての井沢先生の御見解ですが・・・戦国時代の日本馬が
鉄砲の音に驚いたであろうという見解は、他の複数の方も提示されていま
す。どなただったかは思い出せないのですが、井沢先生ではないと記憶し
ています。

そもそも、日本では騎馬戦闘はとっくの昔に衰退していましたし、戦場で
は下馬して戦うのが普通でしたから(日本馬は小柄で、しかも去勢されて
いないため気性が荒く、戦場ではあまり使えませんでした。戦国時代の馬
は、基本的に身分の象徴・移動手段です)、鉄砲の音に信長が過大な期待
をかけていた可能性は低いように思います。

確か、鉄砲が普及して初期の頃には、伝令や指揮官の乗っている馬が鉄砲
の音に驚き、戦陣が乱れた、との記録があったと記憶していますが、武田
軍は、既に1555年の時点で鉄砲300丁を川中島近くの旭山城に送り込ん
でいます。具体的な数は分かりませんが、武田側に包囲されていた長篠城
が激しい銃撃に遭っていたことからも、武田軍が1000丁近い鉄砲を戦場に
持っていっていたとしても、何の不思議もないでしょう。
武田軍も早くから鉄砲の装備と使用には熱心でしたから、対策は取ってい
たと考えるのが妥当だと思います。少なくとも長篠の戦いの頃には、馬は
後方に繋いでおくのが一般的だったようです。

織田家の鉄砲装備と使用法は、同時代の他の勢力と比較して、特に進んで
いたとか優れていたということはなく、鉄砲の役割を実際以上に重視する
と、却って信長を矮小化してしまうように思われます。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/index.htm



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轟音 投稿者:Toshy  投稿日: 5月20日(日)11時13分22秒

確かに織田の軍馬は火薬の音に慣れていたと思われます。
轟音で馬がびびって武士を振り落とす、逆走するというのは、第一陣の甘利隊には通用したと考えますが、第二陣以降は武田も対策を練ったでしょう。甘利が失敗したことに対策もなく無謀な特攻をするはずもないですから。
鉄砲隊が活躍したのはその程度で、実際には白兵戦ですね。武田2万のうち数千は長篠城の攻略に向かっていましたから、織田本軍と対峙したのは1万3千ほどでしょうか。これでよく戦えたと思いますよ。
馬場・山県の両隊はよく戦いましたが、武田信豊・穴山信君はほとんど戦わずに逃げました。敗走する勝頼を守るために必死で戦ったのは信濃・諏訪衆で、勝頼という大将の微妙な地位を象徴しているかのようです。。。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/index.htm



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Toshyさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月20日(日)06時08分36秒

つっこみを有り難うございます、笑

馬は訓練の動物ですから、轟音に慣れさせることが出来ます。
織田軍は当然その辺りの訓練はしていたと思っています。
勿論、武田においても銃に早くから目を付けているのは知っていますよ^^
しかし、数の問題から考えても、また武田の軍制からみても、大量の銃から発せられる轟音対策を
したとはどうしても考えることが出来ません。

長篠の戦いは信長軍約4万、武田軍約2万の対決でした。
この分母から見ると1000の鉄砲隊は40分の1です。
また、武田騎馬と言われていますが、普通の構成ですよね。
この戦いにおいて信長側1万、武田側8千の死傷者が出ています。
長篠の戦いとはこの点から見ると、正に戦国時代でも滅多にない両軍の正面衝突であったといえる
と思っています。
基本は織田歩兵と武田軍の相打ちという形だったのではないでしょうか??
武田の方が頑張ったとも言えますよね??
しかし、信長はこの戦いに動員できる兵力の4分の1だったのに対して、武田は全兵力だった事こ
そが両者の力関係を厳格に物語っていると思っています。

kitunoさん、この話は3週間ごくらいのポストに掲載されるはずですよ、笑
太子怨霊説を見て来ました。
感想を書きに行きますねv(^o^)



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勇者ロトさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月20日(日)06時05分43秒

仕事のサイトでも日々更新をしているのですねv(^o^)
>阿育王の宝鐸
とはかなりイケてるネーミングだと思いました。

輔住さん、有り難うございました。
逆説の日本史では「通史」を、掲示板では掲載スペース上あまり触れられなかった点に関して深く
探求するというパターンが良いのかな^^と思っています。



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宣伝^^;; 投稿者:kituno_i  投稿日: 5月19日(土)22時09分30秒

Yahooのトピックや井沢BBSで話題になった「太子怨霊説」をまとめて更新しました。
私なりの補足説明も加えました。

感想を聞かせていただけると嬉しいです。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/



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講演会の感想 投稿者:kituno_i  投稿日: 5月19日(土)22時06分09秒

読ませていただきました。
まさしく聖徳太子が「17条憲法」の第一条で上げていた
「上和らぎ 下睦びて、事を、論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
 事理おのずから通ず。何事か成らざらん。」
を井沢氏は言われているのだと思いました。

長篠の戦いにおける「鉄砲の役割」についても、何故このことに気づかなかったのかな
と思います。

何も鉄砲の弾は当たらなくても良かった。
馬が驚き、馬上の戦士を振り落とし、逆走する。

それまで聞いたこともない爆音を馬に聞かせるだけでも、十分効果があったのですね。
井沢氏の講演を、私も聞いてみたかったと思いました。^^



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長篠の戦・あえてツッコミみを(笑) 投稿者:Toshy  投稿日: 5月19日(土)21時48分43秒

井沢板があれば、間違いなく某研究家氏のツッコミが入ると思われ。
轟音を理由にするのはおもしろいけど、無理かな。武田勢がびびる前に、織田の軍馬が先にパニックを起こすような気がします。鉄砲からの距離は明らかに織田軍のほうが近いわけから。
織田軍は武田軍の3倍の兵力を有しているから、轟音などという小細工に頼らずとも勝てるので、そこまで信長が考えていたとは、ちょっと。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/index.htm



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きんたろうさん 投稿者:輔住  投稿日: 5月19日(土)10時08分17秒

講演会よかったみたいですね。

「逆説の日本史」は細部を見るとツッコミを入れたくなる
個所もありますが、おおまかなアウトラインはいいなあと
思っています。



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すいませんでしたm(__)m 投稿者:勇者ロト  投稿日: 5月19日(土)09時33分17秒

Toshyさん、そうかもしれません(自爆)

朝おきてすぐ書きこんだので、ちゃんと確認ができてなかったのだと思います。

きんたろうさん、早速直していただいてありがとうございましたm(__)m

http://wwwcam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kousin.html



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井沢先生の 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月19日(土)09時11分16秒

講演会の感想をアップしましたv(^o^)

タイトルは群盲撫象です。
下記のアドレス。

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/gunmou.htm



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今日も更新しました!  投稿者:勇者ロト(きんたろう)  投稿日: 5月19日(土)09時07分40秒

すみません^^;;
再掲しますね。

一瞬焦りました(^^ゞ

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/index.html



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ロトさん 投稿者:Toshy  投稿日: 5月19日(土)09時06分37秒

タグを閉じなかったのでは・・・・(笑)
うちの掲示板でも一度発生しています。



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すいません 投稿者:勇者ロト  投稿日: 5月19日(土)09時05分49秒

タグの打ちミスをしてしまいましたm(__)m

「更新しました」

という文章をタグ付きで送信したのですが、おかしくなってしまいました。

私の投稿を削除していただければ、治るのではないかと思いますm(__)m
重ね重ねすいませんでしたm(__)m

http://wwwcam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kousin.html



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原因は不明です、笑 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月19日(土)08時38分29秒

ソースを見るとフォントサイズがばかでかくなっていました。
書き込み欄以外の所まで大きな文字に変わっているのはどうしてなのでしょう??



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掲示板のトラブルかな?? 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月19日(土)08時35分51秒

フォントサイズがごじゃっぺになっています??
不思議です??



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ははは 投稿者:Toshy  投稿日: 5月18日(金)23時48分42秒

そんなに大した物ではありません(笑)
これから開国まではおおざっぱに行きます。で、ちょっと意外な結末が・・・



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井沢先生の講演 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月18日(金)19時50分33秒

を聴いてきました
実は井沢先生の講演会が地元団体主催で行われました。
これはリンクを貼っていただいている、まことさんから教えていただきました。
超ラッキーでした。
本当に有り難うございました^^

万障繰り上げて(今日は本当にそうでした、笑)井沢先生の講演を聞きに行ってきました。
先生は写真よりもいい男に見えました、笑
講演の内容についてはその内にアップしますね^^
噂に聞いていた「憲法17条」についてお話しされていましたv(^o^)

JUNAさん、あっという間に40000アクセスとはものすごいですよね^^
歴史好きの人をこちらに紹介してねv(^o^)



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日露関係はToshyさんに聞け^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月18日(金)19時47分40秒

をこれからの合い言葉にしようかなと思っています、笑

それほどToshyさんは私たちが(ひょっとして私だけかも??)あまり知らないロシアとの交
流史について精通されていますよね。
勿論、私だって少しは知っていますよ(大嘘^^;;)

北方領土問題は100%ロシア側に非があると思っていますが、やはりこのような歴史的背景を知
った上で見てみると予想以上に奥が深い問題なのだなと思いました。
それにしても更新がハイペースですねv(^o^)
これから見に行きますね^^



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ホワッツ ブシドー?? 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月18日(金)19時46分16秒

武士道もその内容を見ると時代と共にかなり変遷を遂げていると思っています。
そう言えば、最近セブンイレブンで新渡戸先生著の「武士道」という文庫を見かけたような気がし
ます??笑

一般的に言われる武士道とは江戸時代、特に元禄期において形成されたものなのは間違いがないと思っています。
生類哀れみの例も戦国以来の殺気だった空気を変えようとする、綱吉の方針とみる人もいましたよね??

初めは武士社会の成立とともに「もののふ」の道、「兵の習」といった道徳律が発生しましたが、
武士階級が支配する江戸時代に入ってから儒学が身分制度を理論化していったのですよね??
これについては安部さんが詳しいですから、復習したいと思っています^^

太平の時代とともに支配階級にふさわしい精神・行動が要求されるようになり、固定的社会のなか
で独自の観念論としての武士道が確立されて行くことになったのでしょうか??
主君への一方的忠誠や絶対的服従を基本理念とした上での尚武や廉恥、剛健などを内容とする思想
体系になったと思っています。

武士道をあまりに理想化するのは問題だと思いますが、かといって武士以外の階級の者が高尚な
「〇〇道」を持っていたかと言えば、答えはノーだと思っています。
勿論、これにも例外が存在するのは当然の事です...笑



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ノーブル・スピリット 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月18日(金)19時43分02秒

を形成する為には一体何が必要なのでしょうか??

大阪JF生さんが言われていたのは、プリンス・オブ・ウェールズのあたりの話でしたよね、多分??

名誉を重んじて降伏を潔しとしなかった彼らは、悪くいえば融通が利かない点でアメリカと好対照
でしたが、さすがに世界に冠たる大英帝国の貴族とはひと味もふた味も違うものだと感銘を覚えた
記憶がありました。
このようなイギリスの貴族と日本の貴族を比べると、雲泥の差があるように感じられて仕方があり
ません^^;;
勿論、何処にでも例外が存在するのは言うまでもありません...

K1的な能力万能主義とは素晴らしい事だと思うのですが、精神の気高さを求める事とはまた別の
次元であるのは明白ですよね。
最近のスーパーエリートと呼ばれる人たちの不正は能力主義ではカバーしきれなかった部分が現れ
ているためなのでしょうか??



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安部様走り書き(打ち?)ですみません、 投稿者:大阪JF生  投稿日: 5月18日(金)15時36分38秒

 おっしゃるとおりです。
高校までの教育は初等教育、乱暴に言えば読み書きそろばんの延長なのですね。
基本的に理科系の教育内容は明治当初とさほどの違いはありません。
 小生の師から聞いた話ですが、戦争が忍び寄ってきたときでも、
大学では研究の自由がある程度保障され、高校まででは言ってはいけない
ようなこと(たとえば天皇の祖先等の議論)も、講義できたようです。
ただし、たとえばあからさまにビラ等で共産主義礼賛のようなことを書けば、
憲兵隊に引っ張られたそうです。小生の師は推理小説として、マルキストの
議論を書いていたそうですが、全くお咎めなし・・というかそんなものは、
馬鹿しか書かないと思われていたとか(本人談)。
 内容的に変化がないものですから、事情はよくなるはずがありません。
20C初頭、ペリー(提督ではありません。イギリスの理工系の教授で、
日本でも講義したことがあります)の理科教育改善のグラスゴー講演について、
その直弟子の東大工学部井口在屋教授が日本でそれを紹介してくれたのですが、
数学教育が中心だったせいか、その言葉は現在でも全く活かされていません。
彼の趣旨は乱暴にまとめると、

「高等学校でもオリジナルな研究は可能で、若い学生にあとで必要だからと
古臭い知識を詰め込むのはよくない。必要な知識は使うときに勉強すればよいので、
若い学生は、先人が到達した最新レベルの地点から出発させるべきである。」

というものでした。非常にラディカルだと思いませんか?
日本では(日本でも?)高等学校までは知識・技能の伝達に過ぎず、
オリジナルな研究は大学あるいは大学院からとなっており、まったく方向性が
異なりますので、まじめな人ほど面食らって当然です。
でもこの改造運動に最も抵抗したのは、結局高等学校の先生方でしょう。
(○○組と言った方がいいかも・・)
(もちろん、最大の癌は入試制度ですが、ここではひとまず置きます。)
まず、教師たちがオリジナルな研究とはどういうもので、どのような教育法を
とればよいのかわかってもらわなけなりません。最新の地点から出発するためには
常に最新の論文に触れていなければなりません。
ペリーの主張はもっともですが、実行するには非常に垣根が高いのです。
しかし、現在でもドクターの高校教師はあまりいないでしょう。
日本は教師教育に全く力を入れていませんし、教師自身も負担になるような
資格の取得には抵抗するようです。
このようないわゆるハードアカデミズムは理系では早期に可能ですが、文系では必要な
基礎知識が多いらしい(小生は疑問に思いますが)ので、大学院レベルからしかできない、
というのが常識になっているようです。それで差が生じるのでしょう。

ちょっと時間がなくなってきましたので、だらだらとあまりまとまっていませんが、
続きが必要なら、週明けにいたします。何か参考になれば幸いです。



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そう言えばずっと前に大阪JF生さんが 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月18日(金)12時31分48秒

理科教育について書かれていましたが、それに少し関係があることで、

大学4年間やっていて、理系の学問、特に数学と物理は高校までの教育と全く連関がありませんでした。文系は高校までにやってきたことをもっと詳しくするという感じですが、理系に関しては、もう違う国の言葉を覚えるのと同じ感覚で勉強しなければならない。そう気付くまで3年かかりました。何しろ使う言葉の定義からして違っていました。周りの友人も皆同じようなことをいっています。

もう少し高校までの理科教育と、大学からの理科教育を連続的に出来ないものでしょうか?

これこそが真の高等教育重視だと思うのですが・・・



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バリバリの日本人?です 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月18日(金)12時16分19秒

私は小学校3年生の終わりに日本に帰ってきましたが、イギリスの子供は日本で言う小学校5年くらいのときに、まず将来の進路によって学校が代わってくるのでそこらへんは厳しいなと思いました。進学校へいったり、職業訓練学校へいったり、中学の終わりの歳に陸軍の学校へ進学した友達もいました。上の方の人はまず小学校からして違うのかもしれません。

少なくともイギリスでは、日本人として真面目にやっていれば認められました。私がイギリスへいった頃は80年代後半で、日本の経済も円高にも慣れて「ジャパンアズナンバーワン」が言われ始めた頃で、外国で評判を落としている日本人も多くいたのですが。評判の悪い日本人は、まず日本人として程度が低かったように思います・・・



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安部さんの 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月18日(金)11時54分02秒

尊王思想の研究1をアップしました^^
こちらも背景を替えてみました。
今度の方がみやすいと思います(^o^)

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/abesonnou1.htm



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すごいv(^o^) 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月18日(金)11時10分53秒

昨晩はネットに接続できませんでした(;^_^A
どんどん書き込んでいただけるのはとても嬉しいですから、よろしくお願いします^^

ところで先日は安部さんの「尊王思想〜8」のタイトルを「古代天皇制〜9」に変更しましたが、
背景を替えてみました。
今度の方が見やすくなったかなと思います。
天皇家のイメージにはこちらの方が相応しいような気がします。
でも、この背景からは何故か分かりませんが足利も連想されてきます??、笑

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/akodaitennou1.htm



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安部様、お返事遅れましたが・・ 投稿者:大阪JF生  投稿日: 5月18日(金)09時50分27秒

 ご意見、よくわかりました。
安部様はコスモポリタンと思い込んでいましたが、
やはり日本人的(?)なのですね。
日本の分析としては、同感です。むしろ、イギリスの状況との
比較をお聞きしたかったので、記事を書いたのですが、
思わぬ方向に話が行ってしまいました。
(以前の語学の話などは、興味がありました。)
またいつかご意見お聞かせください。

 昨夜はきんたろう様はお留守のようですね。
留守中にいっぱい書き込んで、すみませんでした。



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