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村祭りの系譜 投稿者:きんたろう 投稿日:
8月 4日(土)11時21分01秒
昨日は黄門祭りの前夜祭でした。
この時期になると全国各地でお祭りが催されますよね。
皆さんのところではどうでしょうか??
水戸の花火はわが家からも(大玉だけは)見えるはずなのですが、昨日はちょっと曇っていたせい
か音だけしか聞こえませんでした^^;;
残念に思いました。
そう言えば朝日新聞のHPに掲示板がある事が分かったので面白そうなので投稿してみました。
ところが書き込みをした後で一番最後に「掲載する場合はメールで連絡します」という画面が出た
のです!!
これにはちょっと驚きました(^^ゞ
何しろ全てを登録をしてやっと書き込んだ後にこのようなメッセージが出るのですから...ね
これは一種の詐欺行為だと思いました、笑
朝日新聞では掲示板という形式を取っていますが、要するに自分たちの恣意のままに意見という形
で掲載しようとする意図がミエミエですよね^^;;
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正義の味方 投稿者:きんたろう 投稿日:
8月 4日(土)11時17分23秒
怪人なぞなぞおじさん^^
実は彼の噂については最近知ったばかりなのですが、総武線に「なぞなぞおじさん」と呼ばれる正
義の味方が出没しているらしいですね、笑
ある時は痴漢をしている男に「なぞなぞ」問題を出してこの男を軽く撃退し、被害にあっていた女
性を救ったと言われています、笑
またある時には一人で三人分のスペースを占領していた「がらの悪い人」に「なぞなぞ」を出して
(またこいつが面白いとか言って勝負を受けたらしい??^^;;)彼をそこから追い出したらし
いです??
もしこの話が本当なら痛快ですねv(^o^)
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テナコトイワレテ ソノキニナッテェッ 投稿者: 焼尻紋次郎
投稿日: 8月 4日(土)09時41分04秒
「これが3時10ぷん発のバスですね?」を、「√♪ てなこといわれて……」のメロディーに
乗せてくちずさんでみてください。
栃木県ではこんなイントネーションが一般的なんです。
これを初めてきいたとき、あっしゃこの県からは決して大物は出ないと確信しました。
ところが、そのあと渡辺ミッチ−が政界の大物として育ってきました。
そうこうするうち、もう6年ぐらい前のことになるのか、ある日(4月20日)ミッチ−さんは
自民党を出たり入ったりのブザマな醜態をさらして、そのあとすぐに死んだ。
そのブザマを見ていた角栄のムスメが「もう、こうなったら次の選挙ではなにがなんでも勝たね
ばならない。早速にも交通違反のモミケシなど、やりたい者はやったがいい」と、発言したのでし
たが、めくら一億ニ千万人……、モンダイにもならぬままテレビでこの暴言が流れました。
法のもとの平等を蹂躙するこの発言は許すわけにはいかん。
あっしゃ朝日新聞に投書したが、ボツになった。朝日のヤツらも交通違反も揉み消しをさかんに
やってもらっていたわけだ。
そうとわかって、あっしゃ週刊誌などへ呼び掛けて社会問題にしようとしたが、どこの週刊誌の
記者もゴールデン・ウイーク休みを先取りして身動きがとれなかった。共産党すら動かなかった。
そこへ、台湾から飛んできたヒコーキが墜落して話題がかっさらわれた。
こうして角栄のムスメは正義の虎口をのがれた。
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百済高官 と 思い川 投稿者: 焼尻紋次郎
投稿日: 8月 4日(土)09時00分30秒
白村江で國を失った百済の高官らしき人々が、大和政権のもとで2年間食わせてもらったあと
2000名の集団となって関東に入植します。この数字は、家人を入れると6000人ぐらいに
なっていたのか、それとも老若を入れて2000人だったかはわかりません。
百済は柱文化の國だったことはタシカで、北方の「星まつり」文化とは違っていたと見たいと
ころです。
個人でもそうですが、大きな挫折のあとはそれまでの生き方を変えます。
百済びと2000名が関東入りしたとき、道案内人として
熊野の修験道ヨギたちがいた……
のじゃないかなぁ。秀麗な富士山の姿に接したとき、アッとおどろく発想のテンカンが生まれで
たと思います。
関東は板東太郎と言うように広域に沼沢が広がっていました。TARAU
は沼沢です。
しかし、そのころ壬生〜栃木地方は別の民族がいただろうと思います。OMO
はウイルタ語の
沼沢で、そこを流れる川の I とは、ギリヤーク語で「川」です。
なぜ、7世紀末までこれらの民族がいたといえるのか……ですが、それは遺されている人相
やイントネーションを観ると、そういえるのです。
人相の地方ごとの偏りをみる目は、「その目を鍛えよう」という強い意思で見続けねばなり
ません。こんなことやったのも紋次郎だけじゃないすかねぇ。わかいとき、その目でセールス
やったとですタイ。
語源ハッピャク; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi
ナントカもハッピャク
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輔住さん 投稿者:Toshy 投稿日: 8月
3日(金)23時22分26秒
北畠軍が足利の背後を突いて壊乱させたけど、奥州軍は戦意が低く勝ち戦にかかわらず逃亡や投降が絶えなかったそうです。そして北畠と同様に、菊池のほうも裏切りが絶えなかったみたいですね。
箱根における新田といい、九州の菊池といい、南朝は武士に見放されていたようで。
それにしても、高師直に追われた足利直冬の逃げっぷり、実父の尊氏にそっくりというのは皮肉な話です。
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「気高さ志向」の根源・柱と柱のあいだ 投稿者: 焼尻紋次郎
投稿日: 8月 3日(金)09時16分06秒
あんまし自信のないことでも、ミナシャンの御胸借りてカキコし、それによって心証
固めを促進させることができる……。これ I.T.
掲示板“馬力”の根源ならずや。
そんなとこですので、そんなつもりで聞いて……いや、読んでくだせぇやし。
ゲルマン人の群れが柱偏執(文化)を持っていたことはタシカです。インド亜大陸の
先住民のドラビダ人の群れには「聖木」はあっても、柱はなかった……と仮説してみる
とハナシが早い。
アイヌは柱を I-KUSH-PE(神が貫くもの)としていますので、これはカイラス山の
頂きに降りかかる神霊の通過道筋を謂っています(2万年前、諸氏族共通の偏執)。
ところが、日本は「柱そのものが神」という、きわめて特異な偏執を持っています。
柱の語源も意味も「*BAS(神)RA(強調末尾辞)」のほかは考えられません。
「クズ」の構成概念に“歌♪”がありました。郷には固有の歌があった。その「歌プ
ラス“歌で讃えられる神”」の領域がサトでした。
旅人は夕方、次の“その歌の世界”に足を踏み入れ、その神と一夜を過ごしたあと、
その郷を通過しました(天皇に成るとき、王子は神とともに三昼夜を過ごします)。
峠や郷の境に柱が建てられたことは間違いありません。これは漁村にあっては二本の
柱を建ててその「柱と柱との間」を人々や物資が通過することによって祓い浄められた
……ものと思われます。
領界という概念になった「シマ」は、もともとは「境界線」の「シマナ」から発達し
た語彙です。
おらにはいま、このシマナの SI が神でいいのかどうかがワカリません。目に見えて
くるもの……が「著し」に代表される“SIR〜JHIL”なので、柱を
SIR とみて、その
柱と柱の空間を「シマ」と言ったか……オラシラン。
いずれにしろ、この「マ」とは柱と柱の間であって、絶対にケガレが存在することが
許されない神域です。そこに日本人は住み続けたのでした。
その住居はいつもキチンと整理され、掃き浄められ、その行為はイサギよく、メリハ
リが利いていました。オトコどもは垂直に背骨を伸ばし柱となって暮らしました。
空とか無という概念はシッダルタさん出現以前からあった聖域でした。有象無象の象
は空があるからこそ出現したもので、神聖とは象をHALLA(はしら・無にすること)
で得られます。これが「祓い」です。
暑気祓いカネ
http://www.you-i.org/
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きんたろうさん 投稿者:輔住 投稿日: 8月
3日(金)07時00分56秒
感想、ありがとうございます。
>九州でも大変だった訳ですね。
九州は懐良親王や菊池氏などの南朝勢力が強かったり、
観応の擾乱でも直義派が多く(小弐氏もそう)
この後も激しい戦いがあるのですが尊氏や義貞を中心に
書いてるとその辺はあまり触れられないと思いますけど。
>竹崎季長には子孫がいるのでしょうか?
どうなんでしょうか?子孫がいるとして九州の北条家と運命をともにした可能性も
あるかもしれません。
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輔住さん 投稿者:きんたろう 投稿日: 8月
3日(金)03時02分14秒
足利氏と新田氏その9を見て来ました^^
尊氏が謹慎のポーズからついに挙兵して新田を破り入京しましたが、今度は奥州からやって来た北
畠顕家に敗れて九州へ落ち延びて行くわけですよね。
そして九州で捲土重来を計るまでがとてもよく分かりました^^
さすがですv(^o^)
九州でも大変だった訳ですね。
>小弐貞経
大河ドラマで出ている子孫なのでしょうね??
そう言えば竹崎季長には子孫がいるのでしょうか??^^
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宣伝 投稿者:輔住 投稿日: 8月 2日(木)21時03分42秒
久々にHPを更新しました。特に歴史関連のページは随分久しぶりな気分がします。
足利氏と新田氏その9です。興味のある方は是非見てください。
>中国や韓国にしては「教科書」や「靖国」は外交カードのでしょうね?
同感です。こうした対応を見る限り韓国や中国の政治の基本方針は「反日」でしょう。
ですからただ韓国や中国の要望を聞いているだけではほんとうにエンドレスゲームです。
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/toutushou/a_n09.html
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30000ゲッターおめでとうございます(^o^) 投稿者:きんたろう
投稿日: 8月 2日(木)21時01分23秒
香具さん、初書き込みですねv(^o^)
すごいですね。
ROMしていただいて有り難うございます。
これを機にどんどん参加していただけると嬉しいですv(^o^)
これからもよろしくお願いします。
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ROMの言い訳 投稿者:香具 投稿日: 8月
2日(木)16時09分09秒
すみません。30000番、踏んじゃいました。
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Toshyさん 投稿者:きんたろう 投稿日:
8月 2日(木)09時57分48秒
ちょっと(久し)ぶりでしたv(^o^)
仕事が忙しいのは何よりですね。
>若宮丸研究会立ち上げ
これは楽しみですね。
Toshyさんのますますの活躍を期待しています。
昨日行ってきたゴルフ場では何と私たち1組しかいませんでした。
貸し切り状態でプレーしたのは初めてでした(^^ゞ
やはりある程度の忙しさはどの仕事においても必要である様な気がしましたよ。
マイコースなのでちょっぴり心配しました。
何しろあの松下ですら赤字決算だったとのですから...
これでは来年度の税収はどのくらいあるのか心配になってきました。
ODAなどとぱら蒔いている時ではないと思いました。
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シュリーマン 投稿者:きんたろう 投稿日:
8月 2日(木)09時50分39秒
の逸話は彼が接した人達がたまたま質の良かった人達というよりも平均的日本人の資質を的確に現していると見られていますよね。
明治維新後の日本の世界史への登場を見るとその背景にあるのは一般の日本国民の「勤勉さ」があると思っています。
これがあったかこそ世界の強国に名乗りを上げることが可能だったと思っています。
いくら為政者が「富国強兵」を唱えても、例えそのための施策が大筋において正しいものであったとしても、国民の基本的要素をなす「勤勉さ」というファクターが無かったとしたら所詮「絵に描いた餅」に終わった可能性が高いと思っています。
これは現代において「政治は二流」と言われ続けてきた事にも通じる真理のように思っています。
要するに先進国の首脳と発展途上国の首脳を比べてみた場合に発展途上国の首脳の方が遙かに優れている可能性があるということですね(^^ゞ
紋次郎さんが言われる「気高さ」は個人の資質によるところもまた大きいように持っています。
でもここ10年くらいの間に暴露されてきたスーパーエリートと呼ばれてきた人達の「さもしい行為」を見ると残念ながら「気高さ」という精神の高貴さが全体的に失われてきたような印象を持ちつつあります。
補住さんの言われているようにいつまでも相手の事を非難している事は友好とは反対の行為だと思います。
何故ならばこの半世紀も日本は「反省」をしてきたのですから...
この事実を知らない人がまだ足りないというのは非常に怠惰な態度からくるものだと思っています。
だから50年もエンドレス・ゲームをする羽目になったのではないでしょうか??
彼らが言っている事は意図しているかどうかは別にしてもこのエンドレスケームを更に続けさせようという事と同じなのです。
これは今の子ども達にも引き継がせようとするとんでものない思想だと思われて仕方がありません。
中国や韓国にしては「教科書」や「靖国」は外交カードのでしょうね??
これを作り出した日本国内の原因については先日書いたとおりだと思っていますが、日本国民も世代交代が続いている事に気づくときが来たように思っていす。
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敵も人間……アイヌのやりくち 投稿者: 焼尻紋次郎
投稿日: 8月 2日(木)09時33分13秒
おらはアイヌに「礼節を貫く者」という解釈を捧げています。
クルド語 AYIN(儀式) ネパール語 AYN(法律)
AYNA(鏡) / ネパール語 SALAM(挨拶)朝鮮語
SARAM(ひと)などなどから、アイヌとは「挨拶する者」……すなわち人間。
やっぱ、古代〜現代人は相手の価値観・世界観・生命観までたち入っての判断はできないんですよ、こ
りゃ。アイヌは固有の(偏った)人間観でモノを見て事態に対処したために、精神的には大勝利を収めた
のでしたが、物理的にはマケたのでした。
アイヌが完全に民族として自覚したのは1457年から1550年まで続いたコシャマイン戦争のとき
だったろうと思われます。
コシャマイン戦争では、初め10もあった和人系の砦は2ヶを残すまでになっていたのです。このとき
のアイヌは「おまえたち和人の本拠地は海の向こう側だろ、そっちに帰れや」と、逃げ出すのを待ってい
たのだと思います。
アイヌは相手を攻撃するときには、必ず、相手の逃げ道を準備してやるのです。このへん、北方朝鮮人
の「言うて言うて言いまくる」というヤリクチよりも遥かに文化的です。
末裔の人々が生きておられるし、名前を出すも恥じられるのですが、このときまだ陥落してなかった上
ノ国(カミノクニ)の食客の男が、アイヌの首魁を「和平だ」と饗宴に招いて、その場でダマシ打ちにし
てアイヌの支配網を混乱させて、和人勢力の挽回〜勝利に導くことに成功させたのでした。
熊襲を討った和人のヤリクチもそうですが、倭人〜和人の意識の底には「海賊」があると惟ふのです。
このヤリクチは次々と奥地の対アイヌ戦争に踏襲されました。まさにこれ、放火犯が現場に立ち戻る心
理です。
「和平だ、おらが砦に来てくれ」と言われたアイヌの長老たちは、殺されることが解っているのに、和
平には和平の礼儀で以って敵がたの砦へ軽装備でおもむき、そして殺されました。
安部奈亮さん、人間はなにかに酔っ払えるからメシも食えるんじゃないでしょうか。
晩年のシッダルタさん、ナニに酔っ払えたのでしょうかねぇ。大儀名聞とか愛情とか……。
http://www.you-i.org
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つまり謝っているほうも 投稿者:安部奈亮
投稿日: 8月 1日(水)12時43分47秒
謝っている自分に酔っているただの自己満足で,実際どうすれば最終的に解決するかは全然考えていない点が有害なんですね。
尊王思想とかマルクスレーニンとかの類は酒です。
「うちてしやまん」と叫ぼうが「ヘイワ」と叫ぼうが酒に酔っている点には変わらない。
戦前のことをなんでもかんでも否定している連中は,ウォッカに酔って立ちしょんしている奴が,焼酎に酔ってゲロ吐いている奴を笑っているようなものです。
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大衆深層心理のスパンはなげぇ 投稿者: 焼尻紋次郎
投稿日: 8月 1日(水)09時02分07秒
雑食性の羆(ひぐま)はオンコ(あららぎ・いちい)の実もくちに入れますが、
タネはじょうずにプイと吐き出します。タネには猛毒が含まれていることを知って
いるからです。
この知識は個の体験によって得たものではなく「プレ・DNA」ともいうべき、遺
伝性のストックだとみるべきでしょう。
誰から教えられたわけでもないのに、けふも小鳥が小鳥用語で楽しくさえずって
ます。小鳥のハナシ……おら、わかるモンネ。
大衆がマスとして獲得した精神性は優に2000年のスパンを持っているみたい
です。極端にいえば倭人は朝鮮人を「当然にも殺していいもんだ」との共通認識を
もっていたのです。そういう根が関東大震災のときなどにヒョイと出ます。
「気高さ志向」なども、なにかのときにヒョイと顔をだします。
関東とみちのくのあいだが海峡で切れていたら、東北6県と北海道は完全に朝鮮
系文化が濃厚な「くに」になっていたことでしょう。
935年に新羅が高麗に政権を禅定したことによる、源花軍人の移動……という
ことで、おらの謂うことは、人体のうごきだけではありません。
安藤、安東がたまたま日本海側(表日本)にいたため、これが南部藩(正体は朝
鮮系文化)の目の上のタンコブだったことでしょう。
いつもキチガイごとを並べてスミマセンねぇ〜。でも、先生たちが書いた本読む
だけなら「I.T.掲示板」は要らんわけですから……。そしてキチガイ・テンカンこ
そ、歴史や歴史観のケツを蹴上げて火をつけるんですから……。MAPHI
RA よ。
あ、数百年にわたっての策謀が稔って、安藤・安東勢力を弱体化することに成功
し、レッキとした新羅系の藩は16世紀の末にようやく「松前藩」として出現した
のです。
松前藩の正規記録帳の名前は「新羅の書」というのですが、ミナシャン知って
らっしゃったでしょうか?
アンドウ、ADODH , ANDOH とはめくら神……遮光器土偶のことだとおら惟ふ。
http://www.you-i.org
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若宮丸研究会立ち上げ 投稿者:Toshy
投稿日: 7月31日(火)23時24分02秒
ども、夏期講習で忙しくてここに来ませんでしたが、小休止で時間が取れました。
下のリンクから交流しているノンフィクション作家・大島幹雄先生の呼びかけによって、「若宮丸(津太夫の船)研究会」が立ち上げとなります。
歴史に埋もれた庶民や日露交渉史に興味のある方は、ぜひともご参加ください。
目標
1.津太夫の知名度アップ
2.レザノフの再評価
3.日露交渉史調査
俺は発起人の一人として、大島さんに全面協力の予定。
これから忙しくなりそうだ。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/tsu.htm
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安部さん 投稿者:きんたろう 投稿日: 7月31日(火)22時44分10秒
その通りです^^
まるで私の心理を見透かされたのかと思いました、笑
扶桑社に限らず、「もういい加減にして欲しい」という心理とはこの辺に説明が付くのではないか
と思っています。
何しろ近年はそれまで親韓派だった人達が上のように発言している訳ですからね。
儒教的バックボーンによる考察については先日大阪JF生さんが書かれていましたが私もその通り
だと思っています。
でも「時効」がないという考えとは、儒教という規格のフィルターが無いところにも存在した「意
識」ではないかと思っています。
別の言い方をすれば、近代化以前の社会においては「時効」という概念を思いつくことが出来なか
ったと言えるのではないでしょうか??
日本でも「仇討ち」の物語がありますよね^^;;
「時効」という言葉からは「犯罪」という単語が反射的に出てきます。
つまり犯罪ですら時効があるという事なのです。
第二次世界大戦以前の世界とは現代の私たちの認識からするととても野蛮な時代に映ります。
でも日本の行動とは当時の常識の範囲内でした。(当然です)
ですから犯罪行為と比べるのは本当は無理があるように思っています。
いずれにしても時の流れと共に人は老いていくものですから、いずれ当事者は存在しない時代がや
って来る訳ですよね。
その時に真実をねじ曲げて伝えようとした人達は後世の人達にどのように評価されても文句は言えません。
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紋次郎さん 投稿者:きんたろう 投稿日:
7月31日(火)22時39分15秒
>大衆アイヌには物凄い南方性の風俗がみられます
これはアイヌの先祖は南方にもいた(元々北にもいたかもしれません??)という証明になるよう
に感じています。
私は弥生人とは血液的に見ればほとんど縄文人のままだったように思っています。
そうした中で海外の「新しい情報」を積極的に取り入れた集団が結果として「大和」になって行っ
たのではないでしょうか??
このような同化政策に最後まで首を縦に振らなかった各地の集団が最終的にアイヌを形成した主体
だと思っています。
例えて言えば大阪の陣の豊臣家のような感じです^^;;
元寇は大陸にものすごい波紋を引き起こしましたから、この時代に混血が進み現代のアイヌの原型
になったのかもしれませんね??
>新羅の源花〜花郎(軍隊の名前)
これについては時代がちょっと違うように思っています^^;;
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しうちーさんの 投稿者:きんたろう 投稿日:
7月31日(火)22時35分18秒
嵐山古代史のページのリンク先が変わりました。
歴史から文学に至るまで心の奥にある扉を開けるための鍵を見つける事が出来るページだと思っています。
是非ご覧になって下さいね^^
下記のアドレスです。
http://arashiyama.hoops.ne.jp/
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確かに韓国や中国からすれば 投稿者:輔住
投稿日: 7月31日(火)20時59分54秒
明治〜戦前まで余計なお世話と受け取られることがあったかもしれませんね。
でも、その当時の中国や朝鮮の「格上意識」も同じ位自分勝手でしょう。
それがぶつかり合うのだから結果はかなりお互い傷つけあうようになってしまったのかも
しれない。
べつに過去のことを忘れろと言うわけではなく、いまは謝罪より
日本には日本の立場があること、中国や韓国がやっていることは
不当な内政干渉であることをはっきりいうべきでしょうね。
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極東にあった海賊の島 投稿者: 焼尻紋次郎
投稿日: 7月31日(火)19時14分40秒
トロイの遺跡を発掘したシュリーマンは、晩年アジアの國々をまわったそうですが、その紀行文に日本を
評して「この島の人々は車夫、馬丁にいたるまでもっぱら利害や力関係だけからの接しかたはしない。ほか
のアジアの國々と全然ちがう。だからこの國は将来大きくなる自覚があるのだ」と書き残しています。
ドイツ人には「気高さ」という語彙がないので、こんなもって廻ったような表現をしたのだと思います。
辱めをした相手には死を賭してでも報復する……それだけ毎日を「気高さ志向」で貫き通すというのがこ
のくにのシンショウでした。ところが古武士が開発した、この精神性を正当に受け継いだはずの武士階級は
大陸の儒教とか道教、仏教などで骨抜きにされて、江戸時代末期にはサラリーマンと堕しました。
これは京都見回り役が、関東の富農のムスコたちによってなされた一事を見ても明らかなことでしょう。
すなわち、古武士の精神性は武士階級ではなく、芸人や農民に浸透して、底辺で「気高さ志向」が普及し
ていったのでした。 その典型が神風特別攻撃隊の現象です。神風特別攻撃隊の死者は18900名に達
し、応募のべ数は最低200万人もいたのです。
國を護りきれずアイゴー・アイゴー言うて逃げまわっていた先輩たちの責任……、おめぇさんたちゃどう
引責しょうと言うんカネ。
日本古代の特徴的精神性は海賊のほか、インドのカースト制があったと思うのです。そんでもって、ほか
の民族をテテテキにバカにしたのでした。
http://www.you-i.org
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こんなにあやまっとるのにまだわからんのカー! 投稿者:安部奈亮
投稿日: 7月31日(火)15時51分43秒
下手に出れば付け上がるのがグローバルスタンダードです(笑)
つげ上がっているのを,謝罪が足りないからまだ怒っていると勘違いしているのが「平和主義」の人達です。しかし日本人というのは,ずっと謝りつづけているのに相手がおさまらないとつい「逆切れ」してしまいます。
ですから,現在中国韓国の側に立っているつもりの人はいずれ,
「俺がこんなに謝っているのにまだワカランノカーー!このバカヤローー」と言い出す日が来るのではないかと思っています。
これは大変勝手な物言いですね,相手が何を求めているのかも知らないで,意味もなく謝罪して最後に逆切れするのでは世話はありません。
かつて韓国を併合したときも,中国と戦争をはじめたときも同じようなことがありました。韓国が本当に必要としていること,あるいはああいった一筋縄では行かない宮廷を相手にするときの外交をわきまえずに,日本は日本人を相手にするときと同じ調子で自分勝手な「親切」を押し売りした挙句に「こんなに親切にしてやっているのにまだわからんのかバカヤローー」とばかりに韓国を併合してしまいました。満州事変のときも日中戦争のときも同じです。
自分勝手な親切は,露骨な侵略よりもたちが悪いのではないかと思います。
太平洋戦争中,日本兵はやたらと現地人を「バカヤローー」といって殴ると不評でしたが,これも同じ調子で,相手の文化も知らずに,親切を押し売りにした挙句,向こうが迷惑がったりそれを逆手にとるのを敵意と勘違いして「バカヤローー」と殴る。
ヨーロッパ人がアメリカやアフリカやアジアで植民地を作ったときは,最初から悪いことをするつもりで来ていますから,自分勝手な親切が裏切られるなんてことはなく,ある意味ドライに圧制を敷いていたわけです。人間をこき使うというよりは,彼らヨーロッパ人は牛馬と同じ感覚で植民地人をこき使っていました。そのため,かえって心理的な敵意は両者の間にそれほど残らない。
日本の植民地や戦争による被害は,ヨーロッパ人の災厄と比べ物にならないほど軽いものでしたが,このように迷惑な親切と逆切れはドライな圧制をよりも記憶に残るのではないかと思います。
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縄文人 と アイヌ 投稿者: 焼尻紋次郎
投稿日: 7月31日(火)06時07分37秒
アイヌとウチナンチュ−(沖縄人)が似ているのは、頬骨が巨大な人種だけのことで、この種の人相は
レイテ島にもありますね。古代人というと、なんだか我々の意識では骨ゴツゴツの人相をしていなければ
ならない……みたいな先入観があるのではないでしょうか? 白老コタンにいた浜弥一郎エカシがスネを
まくって見せてくれましたが、毛などまるでなかった。
アイヌといってもいろいろです。
アイヌで見落としてならないことは、東に追いやられた千島アイヌは、目が窪んでいて、これはメラネ
シアを写しているらしいこと。その動きがバベルダオブ島のチャシと三宅島空港南のペンケ岬に刻まれて
いるみたいな……ことです。大衆アイヌには物凄い南方性の風俗がみられます。
アイヌ(挨拶をすること)ということばそのものの中に、クルド語(現在イラン・イラクからいじめら
れている)やネパール語が入っています。
アイヌ民族が形成されたのは、元と戦ったあとで、14世紀か16世紀……つい最近のできごとです。
このとき中核をなした文化は「新羅の源花〜花郎(軍隊の名前)しかない」と思うんですがねぇ〜。
もし、日本列島縄文人という概念を北方で煮詰め固めようと思ったら、アイヌよりもウイルタ・ギリヤ
ークのほうがたしかな手ごたえを与えてくれる筈です。
エミシとかエゾと呼ばれた人々がいた近く……秋田〜岩手県北山岳地帯には、たしかに「ナイ・ぺツ」
がつく川の名前があります。しかしそれに付着している語彙には「これぞまぎれもないアイヌ語だ」と思
えるものは一つもありません。また、北海道にあるアイヌ語地名とは“統語法”がちがっています。
あそこに残っている「ナイ・ぺツ」は、地方統制の管掌機能を写したもので、その呼称がアイヌ社会に
流れて行ったものと見受けられます。なお、東のほう(根釧原野方面)には“ナイ”はひとつか二つしか
ありません。
縄文人……といった場合、すぐに思い浮かぶのは、沖縄から北海道旭川のカムイコタンまで連なってい
るストーン・サークルのことです。これを遺した氏族(民族)は消えています。
http://www.you-i.org
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30000アクセスが間近になりましたv(^o^) 投稿者:きんたろう
投稿日: 7月30日(月)22時39分46秒
これも皆さんのおかげです。
有り難うございます。
これからもよろしくお願いしますね(^o^)
そう言えば10000ヒットの時は安部さんが記録保持者でしたよねv(^o^)
今使っているカウンターはCGIを使っているので以前のものより精度が高いと思います。
kitunoさんのところをみて思ったのですがトップページよりも掲示板の方がアクセスが多い
のですね^^
これは予想していた事を証明してもらった様なものだと思っています。
そうするとここも同様と考えていいのでしょうね^^
大阪JF生さん、おかげさまで私も文章に表してみて「怨霊史観」的アプローチが有効だと認識が出来ました。
先日の書き込みは思いつきを走り書きしたようなものなのですが、もう少ししたらまとめてみよう
かなと思っています。
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人類の歴史 投稿者:きんたろう 投稿日:
7月30日(月)22時36分04秒
を一日の景色の移り変わりに例えてみると面白いと思っています。
現代を昼の12時に設定すると江戸時代は朝の6時くらいでしょうか??^^
更に時代を遡っていくと明け方の薄暗い頃が平安時代なのかなと思ったりします、笑
真っ暗夜中の風景は古墳時代の頃なのでしょうか??
いくら暗くてもそこに存在している景色は同じものなのに(地球の40億年という歴史に比べれば
人類の歴史など僅か1日の出来事のようですよね^^)情報量という光の具合によって私たちの目
に映る姿は大きく変わるように思っています。
>我利我利亡者ではない
安部さん、このがりがり亡者という新万葉仮名は面白かったです^^
紋次郎さん、ネパールと言えばカトマンズくらいしか思い浮かばないので申し訳ないのですが...笑
秦氏は古代氏族の中でもかなりユニークな存在なのかもしれませんね??
私は秦氏とは基本的には疑似血縁集団のようなものではないかと想像しています。
アイヌに関しては彼らもまた日本列島の主であった縄文人の末裔だと思っています。
最後まで「えみし」であり続けた一派(要するに反主流のようなもの??)がアイヌの主流だとは
思っています。
でも12〜13世紀の頃にツングース系と混血をしている可能性があるのかもしれませんね??
どちらにしても人類とは父系、母系の遺伝子を受け継いで誕生している訳ですから意図的に系図を
辿ればどこにでも行き着くように思っています^^
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そろそろ 投稿者:安部奈亮 投稿日: 7月30日(月)14時31分34秒
30000人までカウントダウンですね!
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スッキリ・クッキリ 投稿者:大阪JF生 投稿日:
7月30日(月)09時42分42秒
安部様、きんたろう様、いろいろご意見ありがとうございました。
休み中、小生も関連の文庫本を一つ読みましたが、
皆さんのご意見と合わせると、特によく理解できました。
加地伸行氏の意見でも、日本と違って儒教理論では人は死んでも人であり、
子孫が招魂再生儀礼を行うことで、(恨みを伴って)再生しうる
という考え方があると述べていました。
そういう、中国韓国側の意識に加え、きんたろう様ご指摘の日本側の
対応のまずさは怨霊で解けますね。
頭の中がすっきりしました。どうもありがとうございました。
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姓 と 秦氏 投稿者: 焼尻紋次郎
投稿日: 7月30日(月)09時34分05秒
ハタというのは「旗」ではなく、ハタミ大統領と同一の「カミナリ様」の謂いですよ、こりゃ。
秦(シン)の時代に“百姓”ということばがでますよね。
古代のシナには僅かしか姓がないのに“百姓”が出たのです。そして日本の姓は現在30万種の
姓があります。こんなところに推論の基盤を置くのはめちゃくちゃなことでしょうか?
秦(シン)と秦(ハタ)氏は同一でア〜〜ル。
やっぱ、これメッチャクチャやろか。
秦氏が命名したにちがいない地名……ウズマサは「水脈・頭」かまたは「竜・頭」になります。
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古代シナ大陸での倭人 投稿者: 焼尻紋次郎
投稿日: 7月30日(月)09時10分13秒
きんたろうさん有り難うございます。
おらの目ん玉の黒いうちになんとかしたい……というほどのテーマではないのですが、なに
しろオモシロくってオモシロくって気が惹かれるのです。
秦氏は応神天皇を産んだ豪族だと思えるのですが、彼等秦氏が日本列島に来たときには、す
でに日本語はかなりのところで決定されていて、秦語と「当時できあがっていた日本語」はち
がっていただろう……と、こう仮説をおいてみるのです。
小生が読んで「これだ!」と思った記事は、たしか安本美典さんの『日本語の誕生』だと記
憶していました。そこでいま調べ直してみたのですが、どうも記憶ちがいみたい。
なにしろ、シナに古い本があって、そこには倭人が収めた貢ぎ物が書かれている……と。そ
れをみると、ベトナムのそれとたいしたちがいがなく、ベトナム周辺の南方の特産品だったと
あるそうです。
あの広い(?)北海道にアイヌ語だけが蔓延し広がっている現象は自然な状態ではありませ
ん。自然な言語分布は現在のニューギニアみたいに、系統も掴めないような雑多な氏族がモザ
イク状に割拠しているのです。
この観点からいうと、あんなに偏向を持ったシナ語が、こんなに広域に拡散されている現状
は大戦争の焼跡としかなりません。シナ大陸にシナ語が蔓延する前は、雑多な言語を使う氏族
がモザイク状に割拠していたにちがいない……とこう惟ふのです。
日本列島の場合、湾や谷ごとに顔ネットができるのですが、そのコネクターは金属精錬士に
ほかなりません。窯焼き技術を持たなくても、遠くの金属精錬士にカオが利く親分が中心に
なってカオ・ネットができます。
その金属精錬士文化の核のひとつがネパール語だったのです。
もちろん、とちゅうで芸人(農民以外の職種)が同一言語を普及させたこともありました
が、やはりシナや朝鮮には凄い数の倭系氏族がいただろうと思うのです。
当分のあいだ、古代シナ大陸で喋られていた言語は「倭土民+ネパール系金属精錬士」の言
語だと、極端に考えたいところです。
ものごとは、極端に考えたほうがワカリが早いもんね〜。
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今日は過ごしやすい一日でしたね^^ 投稿者:きんたろう
投稿日: 7月29日(日)21時02分23秒
安部さん、中国の冊封体制と江戸幕府の幕藩体制を各地の独立性から比べると共通点が多いような
感じがしますね^^
紋次郎さん、赤壁の戦いにおける魏軍の船と呉軍の船では大きさが違うように思っています。
これは兵力の差から感じていることです。
魏は10万くらいの大軍を遠征軍として送ったと思っています。
そうすると必然的にかなりの大型船があったのだろうと思うのです。
でもこれが外洋航海に対応したものかと言えば「否」だと思っていますが...^^
この当時の「海戦」のイメージとは壇ノ浦の戦いに似たものではないかと思っています...??
(思いっきり勘違いをしているかもしれませんが??)
そうすると戦闘の主力とは小舟になりますよね。
倭人については実のところかなり曖昧な用語なのではないかと疑っています、笑
揚子江以南地域についてはかつて「島夷」と呼ばれていたようですよね??
倭人江南説についてはこの辺から来ているように思っています。
でも「魏志倭人伝」が日本のことを描いたと言われているのですから、好太王碑文の倭とは日本を
意味すると考えた方がより自然だと思っています。
好太王碑文の時代とは400年代後半ですが、この時代には中国大陸にそれ以前に書かれていたよ
うな倭人が存在していたのでしょうか??^^
この時代は中国王朝で言えば五胡十六国時代の後半から南北朝時代の前半に当たります。
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なぜ西域を取りたがるのか 投稿者:安部奈亮
投稿日: 7月29日(日)16時09分30秒
遊牧民は,生活物資を自給できません。
彼らが生産できるのは,毛と肉だけです。遊牧民とて,主食は穀物から作ったパンです。そのパンは,交易によって手に入れなければなりません。
遊牧民は,金属を作ることはできません。鉱物を掘って,精錬し,鍛錬して,包丁,刀,矢じりを作ることができるのはやはり都市民や農耕民です。遊牧民は,強力な兵士ですが,彼らはその武器を全く自給できません。これまた交易によって手に入れるしかありません。
中国の周辺の遊牧民は,これら生活に必要な物資を,西域で手に入れます。オアシス都市では,小麦が生産されますし,ペルシャインド中国から穀物が集まります。また,オアシス都市は高度な技術を持っていますから,そこで武器や馬具を購入します。
遊牧民とオアシス都市の関係は,通常は交易関係ですが,時には略奪の対象ともなります。
中国としては,西域を押さえることにより,遊牧民を押さえることができます。西域を押さえられると,生活必需品が手に入れられなくなるので,遊牧民は中国に服属せざるを得ません。
このような理由から中華帝国は,わざわざ砂漠を越えて,あのように遠い西域を征服しようとするのです。
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まあ,中華人民共和国とて我利我利亡者ではない 投稿者:安部奈亮
投稿日: 7月29日(日)16時01分47秒
なぜ,中華人民共和国が周辺民族を征服して強権で治めているかというと,第一に国防のためです。
漢民族が住んでいる平野部は,北,西,南すべてが高地に囲まれています。その高地を異民族に抑えられると,漢民族としては防衛の使用がありません。昔だったら馬で攻めてきますね,馬は高いところから低いところへ駆け下りてくるのはとても楽です。戦車でも同じことですね。漢民族の居住地だけでは防衛のしようがないのです。
東は海ですが,彼らはやはりまともな海軍を持っていないので,海から攻めてこられても防衛できません。
漢民族は三千年来異民族に攻められて悲哀をなめていますから,周辺を抑えておくことの大事さを身にしみて知っている。ですから,統一王朝ができたときにはまず征服事業を進めるのです。
東の正面は,ここだけは無防備です。ですから,いろいろな方法で攻勢に出て,守る必要があるわけですね。
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赤壁戦のときの船の大きさ 投稿者: 焼尻紋次郎
投稿日: 7月29日(日)06時44分16秒
質問のしかたがわるかったみたいです。どなたでも、また空想でもいいのですが、赤壁戦時代の
船の大きさについて教えて(あるいはカキコ)いただけませんか。
なお、「倭人が朝鮮に攻めて行った」というところのくだりですが、倭人というのは、そのころか
なり身体的な特徴をもった部族〜人種で、シナ大陸全域および江南・朝鮮にも生活拠点(コロニー?)
をもっていた……とは考えられませんでしょうか。
身体的特徴……短足、出っ歯、大きな声、張った胸など。古いシナの記録では、倭人はベトナム方面
にいたことになってるんでしょ?
そのころの倭人の最大の特徴は、舟上生活をする蛋民で、金属精錬士に率いられる前の倭人大衆は
沼沢に住む海賊だったと思いますが、この考え……イカン(如何)カネ。
http://www.you-i.org
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そう言えば 投稿者:きんたろう 投稿日:
7月29日(日)01時25分44秒
勇者ロトさんのところに書き込みをしていながらが浮かんだ事なのですが、出雲が大和に乗っ取られるという事は出雲の大きな失態のようなものがあったのではないでしょうか??
ひょっとしたら好太王碑文の倭の侵略とは出雲のことではなかったのでしょうか??
海を越えて出兵出来るほどの強大な勢力を持っていたという事なのかもしれませんよね^^??
とすれば空白の5世紀こそが国譲りの行われた時代という訳なのでしょうか??
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怨霊説 投稿者:きんたろう 投稿日: 7月29日(日)01時24分01秒
安部さん、有り難うございます。
このような矛盾した(と思えて仕方がない)点の説明には井沢先生説を使うと説明が付きやすいと思いました。
昨日の書き込みは走り書きのようなものなのですがもう少し続けられます。
靖国神社参拝反対も全てこの怨霊鎮魂という観点からは矛盾がなく一貫したものだと思うのです。
つまりは「向こうには迷惑をかけたのだから仕方がない」とか「向こうで言ってくるのだから仕方が無いなあ」と無意識に感じてしまった原因とはここにあるのだろうと言うことです。
この態度は真実を追究するものではない事が明白ですよね。
最近まで「正論」の声が負けていたのは「正論」の人達もまたこのような感情を(無意識だとしても)持っていたせいではないでしょうか??
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韓国を対等な国として認めているのは 投稿者:安部奈亮
投稿日: 7月28日(土)12時35分03秒
世界中で日本しかいないと私は思います。
中国やアメリカが韓国を同等と見ているはずがない。
ヨーロッパにとっては遠すぎてどうでもいい国のはずですし。
ですから韓国は日本を大事にしないといけないはずだと思うんですよ。
それとも,1500年ぶりに対等に付き合ってくれる国ができたので,急には素直になれないのかも?
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支社が怨霊となる? 投稿者:安部奈亮 投稿日:
7月28日(土)12時32分04秒
一番下の間違いですね,支社が怨霊となるとやはりトヨタや日産の社長の夢枕に現れるのでしょうか・・・?
漢民族の中国として妥当な領土は,北宋や明の後期の領土範囲ではないかと私は考えています。ちょうど,中華人民共和国のいくつかの自治区を取り除いた範囲にあたりますね。
満州は,清の時代から既に漢民族が大量に入植していたそうです。ですから,満州が無人だった,戦後漢民族が増えたというのはうそです。清の時代に既に,満州に漢民族が増えすぎて困るので,入植を制限せよ,という法律が出ています。
中華人民共和国になるまで,中華帝国は征服した,あるいは服属したい民族の文化にはノータッチでした。ですから現在の中華人民共和国の同化政策的な強力な支配と一緒にはできないですね。清や大唐帝国を過去の実績として持ち出すのはおかしいですよね。
しかし,よく考えてみれば,世界史の地図で朝鮮半島は中華帝国と別の色で塗っていますが(お互い独立国だったということになる),西域や,越(ベトナム)とか内蒙古が中華帝国の範囲に入ってしまうのならば,朝鮮半島も同じ色にして中華帝国としてしまってもよいはずですが?変ですね(笑)こういうのは歴史の書き換えにならないのでしょうか?
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なるほど怨霊鎮魂ですか 投稿者:安部奈亮
投稿日: 7月28日(土)12時21分44秒
きんたろうさん,グッドです
靖国神社というものについて,私なりに逆説の日本史チックに考えてみたのですが
釈迦のころの仏教であれば,霊魂は存在しないはずですから,死者が出てもほおって置けばいい(かなりはしょった言い方で,一応お釈迦様も在家の信者には死者の供養を進めています,あくまで理論的にの話)
中世の日本仏教ならば,兵隊というのは人殺し稼業であるのですべからく「罪人」になってしまいます(この判断が正しいといっているわけではありませんよ),ですから死ねば地獄に行っている筈です。であるから,もし靖国寺なるものがあるとすれば,その地獄に落ちたかつての兵士たちが成仏できるように,天国に生まれ変われるように祈る寺になるはずです。地獄では鬼や閻魔様が亡者を管理してくれるので,化けて悪いことはできませんね。ですから,死者としてできるのはせいぜい縁者の夢枕に現れて,「私は生前人を殺したから地獄で苦しんでいる,どうか私の菩提を弔ってくれ」と願うくらいが関の山です。
儒教やユダヤ教には死後の世界がないので,現代の価値観で量って,罪人と決められたら,現実的に目に見える形で罰を与えなければならない。墓を暴いて晒し者にしたり,歴史書で筆誅を加えたり,といった具合です。
しかし日本人が死者を弔う場合,上の4つは当てはまらないと思います。
既に江戸時代の人々からして,地獄極楽の存在は信じていませんでした(全員というわけではありませんが)。神社だから地獄に落ちた英霊の成仏を願っているはずもないし。
やっぱり日本人が死者を弔うのは,化けて出てこられるのが怖いからではないでしょうか。水子供養や先祖供養といった,新興宗教の極悪な脅迫商法がまかり通るのも,支社が怨霊となるのを今でもどこかで恐れているからではないかと。
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安部式部さん 投稿者:きんたろう 投稿日:
7月28日(土)03時40分28秒
かっこいいHNですね^^
これからは式部さんと言った方がいいですね??
かつての議論の時には私のレベルを超えていたために参加することが出来ませんでした、笑
あの時に触発されて書いたのが紋次郎さんに紹介した「その時代」です。
ありがとうございます(^o^)
確かに三国志は読んでいてとても楽しめますよね。
私は料理のうまい文明を持っているところを尊敬しています(^o^)
中華料理は大好きなんです^^
違うことは違うと言える関係こそが本当に親しい関係だと思っています。
はやくそうなれればいいですね(^o^)
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毎日新聞 投稿者:きんたろう 投稿日: 7月28日(土)03時35分40秒
は子供の頃に読んでいましたよ^^
確かあの頃は、私は朝日新聞の天声人語を読みたかったのにどうしてわが家では毎日新聞なのだろ
うと思った記憶があります、笑
教科書問題の大きな特徴は韓国や中国からの一方的な押し売りばかりだという点だと思いますが、
これについて思いついた事があります。
それは井沢先生が言われるところの「怨霊史観」によるものではないだろうかというものなので
す、笑
戦後の歴史の教科書は一言で言えば「自虐的」といわれるものですよね。
この程度が80年以降に加速度的に悪化していった結果が現在の状況であると思うのです。
ここにきての扶桑社の行動が起きた原因とは「自虐的」態度を強要する事に対していい加減にして
欲しいといった感情が限界に達したから起きたものと言えるように思っています。
さてそれでは何故このような自虐史観とでも言うべきワールド・スタンダードからは非常識な状態
に何十年も甘んじていたのでしょうか??
その謎を解く鍵は井沢先生がいわれる「怨霊史観」で解きほぐすことが出来るように思いました。
今まで教科書を執筆されてきた方が能力的に劣ると想定するのはかなり無理があると思うのです。
しかし現実的には世界的には非常識な教科書を造り出してきました。
このギャップはどこから起きたものなのか??
全てを合理的に判断できる人が敢えて自虐的態度をとり、かつ韓国や中国の言われるままになった
という点が矛盾として疑問にありました。
彼らは中国や韓国の教科書の内容も一般の人達よりは遙かに詳しく知っていたと考えた方が自然で
す。
つまり韓国や中国の教科書とは「日本基準」からすれば「極右」的なものであるのは十分に知って
いたはずだと思うのです。
それでも彼ら(=韓国、中国)の言うことには例え誤認があったとしても一切の訂正を要求せずに
日本の暗黒面ばかりをのみ表記しようとしてきました。
(といわれても仕方がないように思っています)
この原因とは第二次世界大戦の犠牲となった中国や韓国の犠牲者に対する祀りにこそ原因があると
理解すれば納得がいくものだと思うのです。
つまりは井沢先生が言われるところの「怨霊の祟り」に対する対処の仕方そのものなのではないか
と気が付きました。
要するに「物語」の中で死者に「活躍」させる事によりその鎮魂を願うものであると考えた方が分
かりやすいのではないでしょうか??
そう考えてみると韓国や中国の教科書などで彼らの行動が本当はいかにいい加減であろうとも「怨霊鎮魂」
という正義に基づいたものであるかという視点から書かれていれば??いかに誇張したものであろ
うとも、あるいは「捏造」を含んだものであろうとしても祟りを防ぐ意味では正しいものだという
認識をもっていたのではないでしょうか??
一方日本の教科書ではやっていない事までもあたかも歴史的事実として教科書に載せてしまうとい
うデタラメも全てこの「怨霊」の鎮魂という意味を持っているから許されると考えたのではないで
しょうか??
要するに攻めて行かれた相手の怨霊を恐れた心理によるものであると考えられるのではないかと思
ったのです。
ところが相手は日本人ではありませんから(当然ですが)日本式の鎮魂方式が通用しないのです。
彼らはもっと現実の世界に生きている人達だという点を理解していないように感じています。
そのために「鎮魂」を意図したものであるはずなのに、全く効果が無く逆に現在の混乱を生み出し
ただけという結果になっている気がしています。
輔住さん、私も読んだときには全く同じ感想を持ちました。
以前に世界の教科書に書かれている日本についてという??本を読んだときにもほとんど同じ様な
ことが書かれていたと記憶しています。
正直なところあの内容ではひどいと思います。
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トンデモでないイメージ力2 投稿者:きんたろう
投稿日: 7月28日(土)03時28分07秒
といいながら「常陸国史観」に囚われている事を自認している私です、笑
紋次郎さんに限らずここに書き込んでくださる方たちはかなりの勉強家だと思いますが、私の場合
は記憶は「紙にまかせろ」をモットーにしています、笑^^
「学ぶことは真似ることである」という言葉は強力な真理だと思っています。
ちなみに私の第二のモットーとはこれですv(^o^)
紋次郎さん、三国志付近についてはわたしも「諸葛孔明とその時代」というタイトルで載せてあり
ますので見て下さいね^^
http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/koumei.htm
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きっと何かの下書きです、笑 投稿者:きんたろう
投稿日: 7月27日(金)21時32分14秒
歴史を解釈するときに陥りやすい最大のものとは、各時代における常識を理解せずに現代の常識を持って過去を判断する事だろうと思っています。
これに関してはここのところ話題にしている教科書問題にも関わりがあるのですが、過去を現代の価値で裁く事の無意味さを感じているところです。
何故ならばこれは本来出来るわけがない事だからです。
普通に考えれば過去を善悪で色を付けようなどとはナンセンスであると誰でもが納得する筈だと思うのですが...
でもこの変化球を投げられると意外に簡単に陥りやすいものではないでしょうか??
例えば東南アジア史を通史で見ると一般的に言うところの「中国」という単語が色々な意味に使われている事に気がつくはずです。
その上でこれが現代の中華人民共和国の国境=歴史的中国の範囲として誤解されやすい点がますます訳の分からなくなる原因のような気がするのです。
要するに中華人民共和国の国境に過去の勢力範囲をほぼ重ね合わせる事が出来ると想定する事が問題をますます複雑にしている原因のように思っています。
歴史的に見ると中華人民共和国の領土とは清の領土をそのまま受け継いだ大きさですが、これは中国2000年の歴史の中で最大のものなのです。
まずこの辺りを誤解している人がかなりいるように思われます。
例えば漢の武帝の時代や唐の時代の領土の最大のものなどは教科書などでもよく見かける事が出来ますが、あれは冊封による全く赤の他人(というよりもどうでもいい存在)を王に後から任命した事によって出来た勢力の範囲なのです。
決してその時の王朝の支配力が及んだ地域というわけではないという事を忘れてはいけないと思っています。
これは朝鮮半島について見れば分かりやすいと思います。
要するに中国歴代王朝とは無関係に成立した独立勢力が形としては「王」になってるというものに過ぎないという事なのです。
よく中国の国土は日本の25倍もあると言われますがあれは本当のことを言えば極めて悪質な嘘だと思っています。
支配している国土のうちの半分以上に関して漢民族が歴史的に支配していた土地ではないのですから...
つまりチベットのように武力で制圧した土地の面積が元々の領土の倍以上も持っているという事なのです。
この様に中国に関しては極めて政治的問題を抱えた状態です。
これでは現代の姿を基準として過去を判断しようとすればこの地域の歴史の見方が歪んだものになってしまうのは仕方がないと思えます。
極端な例を挙げれば「日本は中国の領土である」などの妄想まであります。
その根拠はかつて朝貢をした事実があるからそこは中国のものであるのだ、というとんでもない理屈ですが、笑
このように歪んだ認識を持っている状態で文化や文明の話をすればかなり「きな臭く」なってしまいますよね^^;;
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