過去ログ129(2001年〜9月8日)


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輔住さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 8日(土)22時27分41秒

政宗の可能性もゼロという訳ではないのでしようが...笑
政宗から藤堂高虎を思い出してしまいました、笑

彼などは時代の見極めが早そうですよね。
何しろ外様大名で江戸−京都間にいるのは藤堂くらいではないでしょうか??
でも藤堂の場合は浅井が大名として存在している限り世の中には出てきませんが...笑



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シュミレーション小説などでは政宗あたりが多いけど... 投稿者:輔住  投稿日: 9月 8日(土)18時35分58秒

きんたろうさん
>再統一が成し遂げられるとすれば私達の全く知らない次の世代以降の人物に因ってだと思います。

賛成です。北条→足利のようにNO2が取って代わる場合もありますが、
足利氏全盛の頃には取って代わるような存在といえば3管領4識等
(最近は土岐氏も含め5識らしいけど)と考えられていたでしょう。
まさか斯波氏の家来にあたる織田氏なんて誰も考えてなかったでしょうし...。
乱世が長引けばさらに成り上がってくる一族が出てくるでしょうからね。



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kitunoさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 8日(土)15時36分46秒

信長の場合は「大儀」があると思うのですが、秀吉のそれはちょっと弱い様な気がしています。
最初に信孝を滅ぼそうとしたのは信孝の方が秀吉にとって危険人物だったと認識したからなのかも知れませんね。
三法師の保護者の立場を活用して彼を処刑していますが、これは正に下克上の典型であるように感じています。

さすがにToshyさん、視点を変えてきましたね^^
もし信長が存在していなかったなら戦国時代のような状態が更に続いていたと私も思っています。
そしてもし再統一が成し遂げられるとすれば私達の全く知らない次の世代以降の人物に因ってだと思います。

あるいはペリーが来る頃まで形式的とはいえ足利幕府が続いていた可能性も考えられると思っています。

信長−秀吉−そして家康
彼らはお互いに今の愛知県人ですからね^^
愛知県人による全国制覇という事実から見れば家康3代目説はよく分かります^^



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輔住さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 8日(土)15時34分41秒

有り難うございます。
北条氏と信長は友好関係^^;;にありましたよね。
あのまま信長生きていれば少なくとも「小田原評定」は歴史上存在していなかったように思っています。
そうすると北条氏は大名として生き残った可能性が強いと思っています。
でも北関東で後期に獲得した領地は没収された可能性の方が高いように思いますが...
そこで北条氏が信長に反旗を翻せば史実と同様に滅ぼされていたかも知れませんね。

でも関東三国志の一角であった武田氏が圧倒的に倒されたのを間近で見ていた北条氏の各重臣達は織田家と戦う事がいかに危険であるかよく理解していたと思っています。

輔住さんが言われているように上杉氏の方が滅亡の危険に瀕していたのかもしれませんね。
何しろ謙信から代が変わっているとはいえ織田家にとって上杉氏に煮え湯を飲まされた記憶は強く残っていたと思われるからです。
もっとも秀吉が和睦の使者として上杉を上手く丸め込んだ可能性は強くあると思います。
そうすると柴田勝家と秀吉はここでも反目し合う事になったのかも知れません。

北関東以北は北条氏が屈すればドミノ倒しのように信長の傘下に入っていったように思っています。

織田家の関東支店は前橋からさらに東へ移動して江戸くらいまで行っていたかも知れませんね。



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ちょっと違うことを… 投稿者:Toshy  投稿日: 9月 8日(土)11時23分00秒

信長という巨人がいなければ、戦国時代は終わることなく動乱の時代が続いていたことは間違いありません。
ところで武家政権として、
1.平清盛
2.鎌倉幕府
3.室町幕府
4.織田信長
5.豊臣秀吉
6.徳川氏
と6つが日本に存在しましたが、長く続いたのはすべて「幕府」ですね。これ偶然でしょうか…
厳密に言うと、「鎌倉幕府」は「2A.源頼朝」と「2B.北条氏」の二つに分かれます。すると2Aの頼朝…というか源氏は短期政権。

長期政権が続いた2Bと3については、ともに3代目で完全に権力を掌握したという共通点があって、つまり初代の力だけでのし上がった人たちは脆い、と考えることが可能です。
信長政権にしても、全国を支配下に入れることが出来なかったのは、その根本の基盤が脆弱だったことが理由ではないでしょうか。
それではなぜ、6の徳川政権が長く続いたか。実はこれも「3代目」なんですよね。いや、家光のことではありません。
信長−秀吉−そして家康。初代の時に全国の半分近くを固め、二代目が粗っぽくとはいえ、統一を果たした。そして最後に、家康は対抗馬を倒し、独裁することになったと…これは源氏から北条氏が政権を奪ったのと似ているといえば似ています。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/index.htm



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読みました。 投稿者:kituno_i  投稿日: 9月 8日(土)00時45分38秒

Minstrelくんの「同感」の意見に  同感!!^^

秀吉の幸運は、信長と一緒に信忠まで亡くなってしまっていることと信雄が凡人だったこと
そして「三法師」の後見人になれたことです。

秀吉の本性が「残酷」だったこと、「乗っ取り屋」だったこと、同感です。
信長ばかり残酷であるかのように言われていますが、柴田勝家だって秀吉だってすごく残酷。
信長が徹底して本願寺攻めに至るには、それなりの理由や経緯があります。

これからも「きんたろうさんの歴史のif」に期待しています。^^



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妄想(織田家の東国政策編) 投稿者:輔住  投稿日: 9月 8日(土)00時21分46秒

きんたろうさん、可能性の中の歴史を拝見しました。

本能寺がなければ、信長による天下統一は確実だったでしょう。
また柴田勝家などとの戦いなども起こらないでしょうから
それだけ考えても史実より早く行なわれていたと思います。

また後継者は信忠と決めてましたから後継争いが
おこる可能性も極めて低い。

個人的にどうなるのかな?と妄想するのが
織田家の東国対策。やはり天下を統一したら
関東にも強力な支部を作りたいと考えるでしょう。

そうなると対後北条氏というのが避けては通れないでしょうが、
武田氏との戦いなどを見ると後北条氏も信長にはかなり
気を使っている。ある程度の国替えや勢力ダウンは
したと思いますが、それでも史実より生き延びられる可能性はあったかも!
(逆に上杉や長宗我部はピンチかも)

また滝川一益を関東管領に任じていますが、最終的にはその上に織田家のものを
関東公方みたいな形に置いたかも知れません。信雄かな?信孝かな?
もっと下の子供かななんてことも妄想します。



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Minstrelさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 7日(金)23時33分53秒

早速読んでいただいて有り難うございました。
これだけ反応をいただけるととても嬉しく思いました。

>国内はどうなるでしょうか。幕府を開いたでしょうか。それとも天皇を滅ぼして織田帝国の皇帝になったでしょうか。

たしかにどうなのでしょうか??
私もよく分かりません。

信長を見ていると極めてフレキシブルだと感じています。
つまり初めから「こうだ」と決めつけて「青洞門」のように頑固一徹に対応するというのではなくて、極めてフットワークが軽いように思っています。
天皇家が「天下布武」に反抗して「建武の新政^^;;」を画策するような事態がもし起こったのなら、信長は足利尊氏のように「穏やかな」方法ではなく比叡山焼き討ちのように徹底して滅ぼそうとした可能性はあると思います。

信長の天才が遺伝するとは思えませんので、代を重ねるごとに普通の人が当主になると思います。
そうなると織田家の当主は「飾り物」に収まったのかも知れません??
あるいは「易姓革命」が起こって滅ぼされているかも知れませんね。

徳川幕府があれほど続いたのは「親政」を放棄したからではないでしょうか??
家康は秀忠には稟議書に判子を押すだけにする(ような??)体制にして2代目を渡しましたよね。
要するに独裁から協議制への移行が2代目から行われたのです。

天皇家にしても天皇自ら政治を行うのは天智、天武のような極めて優れた才能を持った人物の場合なら問題はないのですが、後醍醐のように能力不足の人物が政権を握るとあっという間に混乱してしまっていますよね。

自発的かどうかは別にしても直接の権力を握っていなかったからこそ天皇家は「権威付け」の本家として生き残ったのではないでしょうか??
もっとも天皇家の方式とは「勝った者に味方をする」という絶対に負けない手段を使っていましたよね^^

ところで今日は久しぶりに大きな本屋に行く機会が出来ました。
私の通勤路にある本屋はあまり面白い本が置いてないので思わず新書を3冊も買ってきました。
でもどれも今までに立ち読みをしたことがあるものばかりです、笑



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if 投稿者:Minstrel  投稿日: 9月 7日(金)21時29分15秒

こんにちは。とうとう本能寺の「IF」が出来ましたね。いつかきんたろうさんが作ってくれるのではないかと密かに期待していました。とても面白いテーマです。

> 「もう一つの歴史」の方が現実に起こった歴史の流れよりも本来あるべき必然の姿であるように感じられる

いいセリフです。全く同感です。
歴史に「もし」「たら」「れば」は禁句みたいに言う人もいますが、全く逆で、これを考えることには大きな意義があると思います。

> 信長麾下の一武将に過ぎなかった秀吉ですら天下を統一して天下人になる事が出来たのです。この歴史的事実は彼の主人である信長にとってはさらに容易に天下統一をする事が可能であった

まったく同感!!

> 彼らは織田政権の重鎮の家系として成り立っていったように思っています。

同感!

> 信長の場合は関心が「南蛮」へ向いていた事などから判断して南方へと航路を取った可能性の方が強いように思っています。

同感!
そしてかなりの成功をおさめていただろうと思います。日本は島国根性どころか、世界に開けたグローバルな国になっていたかもしれませんね。

同感がほとんどですが、唯一重要な部分で意見が違うところがあります。
信長が生き続け、天下統一した後です。
私も海外進出し、かなりの成功を収めただろうというところまでは一緒です。秀吉あたりは遠征隊長になっていたかもしれません。家康は天智を補佐した中臣鎌足のような立場になるでしょうか。

国内はどうなるでしょうか。幕府を開いたでしょうか。それとも天皇を滅ぼして織田帝国の皇帝になったでしょうか。

もし天皇を滅ぼした場合、相当強大な帝国となるでしょうが、人々の支持を得られない気がします。時間とともに、水面下では不満分子がうようよいる状況になり、第2の光秀が登場するのではないかと思うのです。

徳川幕府のような感じの織田幕府を開いた場合、その先を想像するのは難しいです。幕府の雰囲気は徳川のものや鎌倉、足利幕府とはだいぶ違うものになった気がします。

しかし、鎌倉幕府はあっという間に北条氏に乗っ取られ、足利幕府も前半以降は無力化しています。中臣鎌足の名前を出しましたが、この場合も強力な帝王(天智)の跡継ぎ問題で大きな乱(壬申)が起こっています。蘇我氏や平氏は長くみて3代、北条も実質3代(泰時、時頼、時宗)。これを思うと、世襲で次々に有能な人物を排出することの難しさが感じられます。すると、織田幕府も信忠の代かその次の代くらいに崩壊状態になる気がします。(徳川が執権となり続くのか、それ以上はわかりません)

これを書きながら、どうして徳川幕府はあんなに続いたのだろう、と思いました。一つの家が支配を続けたのは天皇家(?)と藤原、徳川くらいじゃないでしょうか。藤原氏は天皇家あってこそなので、ちょっと事情が違います。



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頑張ってくださいね^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 7日(金)00時24分42秒

Toshyさん、いつ頃転職をする予定なのですか??

畜産といえば牛か豚ですよね。
美味しいお肉をよろしくお願いします^^

安部さんも土いじりが好きとはさすがに里見育ちの環境が良かったのだと思いました。



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Sinさんは 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 7日(金)00時23分43秒

子供の時から大きかったのですねv(^o^)
納得しました、笑
一方勇者ロトさんがそんなに小さかったとは!!笑
無理矢理納得しました、爆

輔住さん、家康はずいぶん歴史を学んでいた様に思っています。
ひょっとしたら第二の「アマテラス」を目指していたのではないでしょうか??

大田さん、本の紹介を有り難うございます^^
私の場合は指向性無しのスーパー7段飛ばし読みですから、実はある気に入った言葉だけを覚えている場合がほとんどなので困っています、笑
これからは少なくとも参考にした本の題名くらいはまとめようかなと思っているのですが...

>六韜三略が一番面白かったです
私も是非読んでみようと思いました。



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今日は 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 7日(金)00時21分21秒

久しぶりに新作をアップしましたv(^o^)
タイトルは「可能性の中の歴史」です。

本能寺の変がもし無いとしたら、という仮定のお話です^^
見て下さいね。
下記のアドレスです。

久しぶりにまとまった文章を作ってみると頭が受け付けなくなっている様な気がしました、自爆^^;;
実はSinさんの新作へのレスを書いているうちに出来上がったものです^^

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/ifhonnoji.htm



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みなさん 投稿者:Toshy  投稿日: 9月 6日(木)14時54分24秒

応援メッセージありがとうございます。慣れない世界ですから大変だと思いますが、がんばっていけそうです!

畜産はイギリスで起こった狂牛病・こうてい疫などの問題が深刻になっているため、俺もそのあたりを慎重に選んでみました。
なお畜産で処理が問題になっている排泄のほうで、農作物用の肥料を作る工場もたくさんあります。
俺がギブアップしたのはこの工場のにおいです(わら
しかしこの肥料が、宮城米を支えているのかと思うと…ここに決めるとしたら、間接的に米作りをすることになりますね。

安部さんも農業をお考えでしたか。
企業訪問の時に、実際にそのようなことをしてきた人たちの話も聞いて感心しました。



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Toshyさんがんばれーー 投稿者:安部奈亮  投稿日: 9月 6日(木)14時16分03秒

農業ですかあ,うらやましいです。私も土いじりが好きです。

私は家庭菜園しかやったことがありませんが,自分で作った作物はおいしかったけれど,ものすごく手間がかかりました。「自分の家族が食べる分しかようつくらんな,売るほど作るのはえらい大変じゃろうな」と思いました。

それ以来,作物を作る苦労を知らないで,農薬や化学肥料を使う農家を怠け者や泥棒のように言う人達を見ると腹が立つようになりました。まあ,使わないに越したことはないのだろうけれど。

私も家庭科の授業で,人生設計をしたとき,定年退職してから農業をやると書いて,家庭科の先生の目を白黒させたことがあります。まだこの夢は捨てていません。



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お節介ですが 投稿者:太田守人  投稿日: 9月 6日(木)12時58分26秒

きんたろうさん。六韜三略は、プレジデント社から2,300円だったと思いますが、出版されてます。私は、孫子や呉子等の兵法書も読んだことがありますが、六韜三略が一番面白かったです。
私は、貞観政要や史記なんかも中国関係の古典では好きですが、一番面白いなと思ったのは、戦国策です。



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小学6年生の私 2 投稿者:勇者ロト  投稿日: 9月 6日(木)12時07分33秒

身長123p、体重38s(だったと記憶している、笑)

同学年男子全体で背の低い順から五番目以内だったと思います(爆)
ちなみにすんなり通ったと記憶しています。



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妄想ですが 投稿者:輔住  投稿日: 9月 6日(木)07時23分36秒

>国家に殉じた人を神様として祭るのは日本の伝統にはありません。
確かに昔の日本にはあまりないと思います。
日本でそういう考えが本格的に出始めるきっかけとなったのは
秀吉の豊国大明神や家康の東照大権現からかもしれません。



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小学6年生の私 投稿者:Sin  投稿日: 9月 6日(木)00時29分22秒

身長163p、体重84s(だったと記憶している、笑)
成人男性と比較しても十分大きい体格ですね(爆)
私の成長期はとても早かったらしい・・・



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大仏殿の柱の穴。 投稿者:kituno_i  投稿日: 9月 6日(木)00時00分23秒

>Sinさん!

小学生の時にすでに諦めざるを得なかったの?
あれは、大仏の鼻の穴と同じ大きさでしたか?^^;



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kitunoさんの 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 5日(水)23時28分44秒

応援歌と一緒です。
Toshyさん、頑張ってくださいね^^

先日(たまたまですが^^;;)定年になったりサラリーマンを辞めて農業に従事した方の書き込みがあるページを見ました。
かつては誰でもがサラリーマンを目指したような(と感じています)時代でしたが、農業という仕事もなかなか面白いように私も感じるようになって来ています。

農業と一口に言っても米作から梨、葡萄などの果実栽培、Toshyさんが焦点を絞っている畜産など多岐に渡っています。
でも食べ物は動物が生きていく上で絶対に必要な物なのですから、需要がなくなるという事はあり得ませんよね。

今年の大学生の話ですが、マスコミばかり何十社も受けた人がいるとか新聞で読みました。
また、内定を取った会社は3年くらいの腰掛けのつもりだと言っている学生の意見もありました。
なんという甘っちょろい考えなのでしようか。
社会人になることや就職の厳しさを全く理解していない感覚だと思いました。
彼らはモラトリアムが長かったせいか独立する直前になっても「一所懸命」な気持ちが湧き起こらないのかも知れませんね??

有効求人倍率も年齢や地域によってかなりの開きがあるとは思いますが、えり好みをしなければもう少し失業率も下がるのではないかと思ったりしています??^^;;



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大仏殿の柱の穴って何ですか??^^;; 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 5日(水)23時18分28秒

Toshyさん、Sinさん、笑
2年前に行ってきたばかりだというのに記憶にありません、自爆(^^ゞ

大田さんは中国史にも大変詳しいですね^^
六韜といえば太公望の兵法書として藤原鎌足が愛読したとも言われていますよね。
でも六韜を読んだことはありませんでした。

>最も重要なのは、民の収入を安定させ、仕事からあぶれさせないようにすることでございます
これを読んで中国には「人権」ではなく「生存権」こそが必要であるという言葉を思い出しました。
現代の中国の為政者達も六韜の言葉に従っているような気がしてきました^^

安部さんの意見は色々と深いですね^^
江戸時代の学者達の「理想」が時空を越えて蘇り大衆の中に拡散した時に、一種の化学変化を起こしたような感じがしています。

大河の一滴という言葉を思い出しました。



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Toshyさん、がんばれー! 投稿者:kituno_i  投稿日: 9月 5日(水)18時31分59秒

Toshyさんの言うとおりだと思います。自然と戯れながらの仕事は考えているよりずっと楽しいですよ!自分で作った野菜を食べると本当に食物のありがたみが実感できます。人間よ、自然に帰れー!殺伐とした都会の生活より、季節のある自然の中で働くほうがずーっと生きがいを感じると思います。Toshyさんの書き込みを読んで携帯から一生懸命書き込んでしまいました。



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企業訪問 投稿者:Toshy  投稿日: 9月 5日(水)15時42分26秒

かねてから転身を考えていた第一次産業の企業を訪問してきました。
次期就職先とにらんでいるところはすべて訪問、
あとは一つに絞るのみです。決まったら塾は閉めます。

はっきり言ってしまうと、学習塾という分野は不要になる時代がきていると思っています。
ともかくも黒字経営でいるうちに閉め、
生き物としての基本である「食」をこれからは中心に考えていこうかな、と。
ただ畜産の会社は、独特のにおいにまいりました(わら
おそらく畜産をやると思いますけど。。。

就職難・失業率5%とはいうけど、農業後継者は募集しているのだから、
何人でも俺のような人が出てくれるといいのだが。



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そうそう 投稿者:安部奈亮  投稿日: 9月 5日(水)15時00分44秒

きんたろうさんのおっしゃるとおりです。
で,今の中国が,外面だけかつての中華帝国がやっていたことと同じことをするのは,ただの侵略,民衆の圧搾でしかないと私は思います。

中国も韓国もそうなのですが,儒教体制とか,柵封体制とか,昔はそれなりの意味があったことなのでしょうが,うまくいえませんが・・・中国も韓国も(北朝鮮は問題外),かつての自分たちの伝統をちゃんと研究しないで,外面は民主主義とか共産主義とか自由を使って,その実昔の伝統の中で都合の良い部分だけを持ち出そうとしているのがおかしい気がします。

それに,中国の国家主席がかつての皇帝並に執務に励んでいるとは私は思えない(笑)昔の君主は,よく分からない儀礼とか,伝統とかに縛られてはいたけれども,その範囲内で真面目にやっていたと思うんですよね。

つまり・・・歌を詠むことが世の平和のためになる・・・と信じていた人が歌を詠んで満足するのはいいことだと思うんですよ。でも,歌を詠むことに意味がないと既に知ってしまってからも詠んでいて満足するのは欺瞞だと思う。


でも,易姓革命は,一応責任の所在がはっきりしていてちゃんと責任も取っている。でも,日本の場合,失政があったとしてもその責任がどこにあるのか最後まで分からない。死ねば皆神様だから・・・とか言ってしまうのは誤魔化しだと思うんですよ私は。

それに元々普通一般の民衆は死んだって神様になんかならなかったはずです。死者は供養するものです。国家に殉じた人を神様として祭るのは日本の伝統にはありません。日本では神様になるのは自然とか,政治的敗者とか,神話上の人物とかです。靖国神社は,逆説的ですが,朱子学から生まれた神社であるといえます。

本来の日本文化から考えると,靖国神社というのは異常な存在です。江戸時代までなら,靖国寺でも作って,供養するべきもので,国家に殉じた人が神様になるという発想は元々日本にはなかった。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 9月 5日(水)12時59分46秒

多分ご存知でしょうけど、宋代までは、新王朝は前王朝から政権を引き継ぐという禅譲が、中国における王朝交代の儀式のようなものでした。ほとんどは、武力を背景に無理やりで、その後最後の皇帝は殺されてますが。このあたりに、ホンネとタテマエの中国人(日本人も似たようなものかもしれませんが。)気質を見るように思います。
中国では、古来皇帝は「徳」で治める徳治が理想とされてきましたが、この前、六韜三略を読んだら、周の文王が太公望呂尚に「君主の最大のものは、徳であると思うがどうであろうか。」と問うたところ、太公望呂尚は、「徳は二の次でございます。最も重要なのは、民の収入を安定させ、仕事からあぶれさせないようにすることでございます。そうすれば、民の心も安定し、治安もよくなり全てがうまく回ります。」と答えていました。私自身、六韜三略は軍略・兵法書と思っていましたが、そうではなく、国の治め方もよく書いてあったことに、まず驚きました。この項目を小泉首相に読ませてやりたいと思いました。
ある新聞の社説だったと思いますが、松平定信と小泉純一郎が同じだと書いてありました。
松平定信も就任当初は、女性に人気が有り、妾奉公したいという女性が引きもきらなかったそうです。その社説には、理想に燃えるのは良いが、松平定信のように理想を追っかけると失敗するという結論でした。
私自身、今は太公望呂尚がいうように、5%の失業率をなんとかする方が先のように思います。



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大仏殿の柱の穴 投稿者:Sin  投稿日: 9月 4日(火)23時22分18秒

小学校の修学旅行で行ったとき、通るのをあきらめた記憶があります(爆)



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北東アジアの世界 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 4日(火)23時11分20秒

とは具体的に言えば中国を中心とする社会と言い換えてもいいのかも知れません。
でもこの中国という言葉はこの地域の歴史を語る上で適切な用語かと言えば、そうではない部分を多く持っています、笑

この地域における「国家」の概念とは現在の私達が有するものとは決定的に違っていたと思っています。
第一次世界大戦以前においてアジアではナショナリズムを主体とした国家とは日本しか存在していませんでした。
これを簡単に言えば「国民」がいるかどうかという事ですね。

中国大陸では柵封体制によって彼らの世界秩序を保っていました。
天子=皇帝が天に代わって天下に君臨するという体制なのはよく知られている事ですよね。
天子にとっては支配下の「民」がどの民族であるかといった事についてはあまり大きなものではなかったのです。
また、民に求められたのは皇帝にひざまづいて彼に従う意思を示す事だったのです。
これこそが天下秩序を維持するものと認識されていたように思っています。

ここでは「民」とはあくまで国、つまり天子=皇帝の所有物と見なされていました。
一方では民も「民族意識」などは持っていない存在でもあったのです。
例えるならば、激しい武力抗争による下克上の果てに皇帝が代わったとしても、結局は新しい権力者に対してすぐに服従の意を表す存在だったと言えるのかも知れません??

このように皇帝に向かう求心力が異常に強い事こそが「オリエンタル・専制」の特徴なのではないかと思われます。
これは「自己責任」とは対局に位置するものであるように思われてきます。
自立性を持たずに常に強い者に従うという意識が長い歴史の中で「蓄積」されている為に引き起こされたものなのでしょうか??

>国に対する忠誠心とか,国を思う心,とか言うのは,元々朱子学が作ったものですから,日本なんかよりも,中国や朝鮮のほうが本家なんです。
概念では確かにそうだと思います。
でも中国は究極の「作文の国」だという点にも注意を向けて欲しいと思います。

中国の歴史を見れば「文章に書かれていること」と「現実に行われてきたこと」がイコールではありませんでした。
日本の人がこのギャップ(特にモラル??)のあまりの大きさに気が付いたのは、明治になって彼らと直接に接する機会が増えてからの事ですよね。



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東大寺の大仏 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 4日(火)22時51分39秒

kitunoさん、見逃したのは残念でしたね^^;;
花園神社は北茨城でしたか??
確かに神社には石段がつきものです。
いくつもの石段上り下りするわけですから筋肉疲労が付いて回りますよね、笑

紋次郎さん、鳥居強右衛門といえば長篠で磔になっても味方の降伏を防いだ勇士でしたね。
長篠城は小城でしたが堀幅が広く、かつ3段にして??防御力を高くしたあったNHKで放送したことを思い出しました。
彼が磔にされた絵は見たことがあります。
壮絶な死に様だと思います。

マックは使ったことがありませんがとても使い易いとよく聞きますよね^^
データの移動さえ問題なく出来るのであればマックも次に買うPCの選択枝に入るのですが...

Toshyさんのところではケーブルテレビがあるのですね(^o^)
これは羨ましいです。
スカパをいれて多チャンネルにしようかなと思ったこともあったのですが...
でもなかなかテレビを見ている時間がとれません。

そう言えば最近の各番組の視聴率がいまいちなのは、内容だけではなくチャンネルが多くなったせいなのではないかと思っています。
要するにパイの大きさは変わらないのに人数が増えたので分け前が減ったという事ではないでしょうか??



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訂正 投稿者:安部奈亮  投稿日: 9月 4日(火)16時19分07秒

一行目
×中国史では,政治に対し適任を負うのは,究極的には皇帝ただ一人らしいですね。
○中国史では,政治に対して責任を負うのは,究極的には皇帝ただ一人らしいですね。



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易姓革命についてちょっと 投稿者:安部奈亮  投稿日: 9月 4日(火)16時17分44秒

中国史では,政治に対し適任を負うのは,究極的には皇帝ただ一人らしいですね。
それ以外の人は自分の利益のために行動してもいい,極端なことを言えば,高位にあっても,国を食い物にしてもいい。
勿論ちゃんと政治をするほうが正しいわけで,実際ちゃんと政治が行われた時代も多い。

中国の皇帝というのは,大変で,国家の書類にすべて目を通してはんこを押さなければならない。それだけでもうへとへとになってしまうそうです。治世の後半おかしくなってしまったような皇帝でも,必ず最初の数年は真面目に執務をしています。清朝の皇帝は特に真面目だったらしいです。国家の決定は一応,すべて皇帝が下す形になっているから(本当のところはほとんどめくら板なのでしょうが・・・でも康熙帝や乾隆帝なんかはしっかり目を通しています),責任はすべて皇帝が負う。

易姓革命は,そのような生態の国だから出てくるのでしょう。全責任を皇帝が負う以上,失政は前王朝の責任になる。

国に対する忠誠心とか,国を思う心,とか言うのは,元々朱子学が作ったものですから,日本なんかよりも,中国や朝鮮のほうが本家なんです。日本人は,19世紀の弛緩しきった清朝時代の中国と李氏朝鮮しかおぼえていないので,国家主義がアジアでは日本の専売特許だと思っていますが,それは違う。元々彼らのほうが,国家のことを一途に思う気持ちは重い。

でも,儒教では,国のことを一生懸命考えなければいけないのは,科挙に通った士大夫で大多数の庶民は好きにしていい。現在中国は一生懸命国民のロイヤリティーを高めようとしているみたいですが,表面的なものに終わると思います。

頼まれもしないのに,国を背負った気になっている人を「国士」と呼びます。国士は尊敬されますが,だからといって皆が皆国士になる必要はないのですね。

明治や戦前の日本人は,一生懸命皆して国のことを思っていましたが,それは中国や朝鮮の人にとっては多分,感心なことでもあり,気味悪くもあり,どこまで本物なのか眉唾でもあったでしょうね。



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きんたろうさん 投稿者:Toshy  投稿日: 9月 4日(火)15時40分48秒

こっちで4chというとケーブルテレビの「チャンネル4」です(わら
奈良の大仏には、俺も高校時代だったけど圧倒されましたよ。
大仏殿の柱の穴は、あの頃はスリムだったのでらくらく通りました。
今はどうだろう。。。中年太りではなく、肩幅が広くなったために不可能、ではないか。
その前に恥ずかしくて試す気にもならんだろうが(笑

10月にはロシアから来る学者さんと、いつもお世話になっているノンフィクション作家さんらと研究会が開かれるので出てきます。ロシア語、勉強せなあかんな。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/index.htm



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  大我ドラマの小さなシヤワセ    投稿者: 焼尻紋次郎  投稿日: 9月 4日(火)07時05分00秒

 あれ何というんですかね。ホームページの中に設えてある「E mail 」という文字ボタンです。
おらのマッキントッシュは、壊れてばかりいて、短い出張家庭教師さんの時間内では、そこの修復
にまでは、なかなか手が廻らずに、パソコンを始めて以来のここ3年間、ホぺ張ったご仁へのE
メール発信ができなかったのでした。
 このため、あっちこっちの方へ無用の心配や迷惑をかけること、しばしばでした。
 ところが、それが8日前、ようやく治ったのでした。

 さっそく、アイヌ語関係のホぺのひとつに遊びに行ったのでした。
 そして、きのふまでに二人の方から反応があったのでしたが、なんとなんと! そのお二人とも
あっしが27年前書いた『アイヌ語の謎』を持っていらっしゃって、その本に出していた小生の顔
写真までを覚えているとのことです。
 こんな嬉しいことは滅多にあるもんじゃありません。

 あのころ……、狭いアパートの二軒を借り、スポンサーも貯えもなく、9歳、5歳、2歳の3人
のこどもを抱え、おへま(女房)は、文字どおり赤貧洗濯の真っ最中でした。
 その決断の3ヶ月まえ、小生の身体は微熱が下がらず、いっしょに組んでいた A ちゃんとの仲
も、ケンカするみたいにして縁を切らなければならなかったのでした。
 刷り上がった1000册だけは6×で買い取りオレが売るという契約での出版でしたが、それに
しても、おへまを口説くのはためらわれました。
 しかし、やらねばならん。アイヌの土地正業まで奪い、あまつさえ言語まで奪ったシャモ(和
人)の、誰ひとりとして……金田一も、知里真志保も、そして英国人でアイヌ語辞書までだした
ジョン・バチェラーさえも気がついてなかった事実……アイヌ語のなかに大量の英語ドイツ語が混
在しているという事実……を広く世に訴えねばならなかったのでした。

 あの本、北海道ではかなり売れていたんですね……、どうりで……。
 「 O 型の血は脇が甘い」は、おへまのくち癖です。

  うれしいホぺ SITE ; http://sapporo.cool.ne.jp/bbs/kumanesir?page=0



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  言うなれば“大我に就く”なんでしょうけど   投稿者: 焼尻紋次郎  投稿日: 9月 4日(火)05時09分28秒

>でも、そこまでで考えることを止めてしまうのは思考停止そのものだと思います。
    よりよい社会を築くためには失敗も教訓とすべきですよね。

☆ そう仰っていただければ、へたな書き込み主は大幅に救われます。おらっち、失敗カキ
コの連続なんですからね。
 でも、きんたろうさんのように、歴史をふまえた洞察眼を得てしまうまでには、自由放任
の現代人は、個人勝手にそれぞれ大きな回り道をやらかすのでは?

 あっしの場合、セールス技術を修得したことで「ニッポン・ヒエラルキーの外に立つこと
ができたこと」が、あっちこっちで、これまた大きな回りみちをやらかしました。
 でもそういうとき、こころのどこかに神風特別攻撃隊がいて、小さな自分だけのシヤワセ
に閉じこもらなかったことは、結果的には“ああよかった”につながったと思います。
 「大我に就く」などという言葉は知らなかったのですが、神風特別攻撃隊に恥ずかしくな
生きザマは、お平和ボケして脳の弱いあっしには、大きな指針になりました。

 鳥居強右衛門だったでしたか……長篠の。あれ、どこかの旗じるしになったんですよね。
 神風特別攻撃隊の神像を作り、これを日本の旗印にすることはできない相談でしょうか。

 人生観に反映するまで歴史の勉強をする……やっぱ、大事なことなんですね。
 朝鮮人もシナ人もきんたろうさんくらいになるまで勉強してくれたらいいんですがね。



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奈良の大仏 投稿者:kituno_i  投稿日: 9月 3日(月)23時47分29秒

私も見ていたのに、いつの間にか、お昼寝してしまいました。^^;
障りの部分しか見ていません。
「たたら」の再現もあったのですか。(お昼寝しちゃって損したな〜、しまった。^^;)

トピックに、法隆寺夢殿の救世観音のことを書き込みました。
Awajiさんが以前井沢掲示板で書いてくれたことを参考にさせてもらいました。^^;

土曜日に花園神社に行って来ました。
奥の院まで行こうと思ったのですが、険しい山道。
ロッククライミングのようなこともしないとたどり着かないようなので、途中で断念。
でも、疲れた〜。
神社やお寺参りも、足腰を鍛えないとダメみたい。
東大寺も、大仏殿より、二月堂や三月堂の方にすごい仏像があります。
それから春日大社に廻って、ささやきの小径を通って...。
わ〜、また行きたくなってきたな。(うずうず)



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一週間 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 3日(月)23時38分52秒

くらいは前の読売新聞を今頃読んでいる事がばれてしまうのですが...笑

北海道餌差町にある横山家=「鯡御殿」はまさに威風堂々とした北の商家の隆盛を映すというタイトルがぴったりだと思いました。
「鯡粕」は北前船によって本州に運ばれて主に綿花の肥料として使われたそうです。
その繁栄ぶりは「江差の5月は江戸にもない」とまで言われたくらいのものだったそうなのです。
きっとものすごい繁栄ぶりだったのでしょうね^^

江差には近江商人を中心として御殿と呼ぶに相応しい豪邸が数多くありました。
これらの屋敷のほとんどはは関西風のスタイルだったのですが、やはり富を象徴するには「関西風」が相応しいと判断されたのでしょうか??笑

ところでこの横山さんの初代は能登国珠洲郡日置村の生まれだそうです。
漁業、商業、回船問屋を営んでいたとありました。

能登は海の民のDNAがとても濃く残されている場所なのでしょうか、笑
ちょうどToshyさんの善六にもクロスオーバーしてくる部分があるのかも知れませんね??^^

紋次郎さん、戦争には良いとか悪いという基準は全く当てはまらないと思っています。
好きとか嫌いであれば、これは感情に因るわけですからまた別物ですが...
基本的には「勝てば官軍」がグローバル・スタンダードだと思っています。
でも、そこまでで考えることを止めてしまうのは思考停止そのものだと思います。
よりよい社会を築くためには失敗も教訓とすべきですよね。

私は東京裁判も実は「易姓革命的史観」に因るものだと思っています。
とにかく半世紀前までは世界中が欧米列強によって分割されていた事実をベースに判断する事こそが有機的な解(なんて言葉があったかは??^^;;)を得る為に必要であると思います。



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奈良の大仏 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 3日(月)23時22分04秒

昨日の午後はのんびりビールを飲みながら4チャンネルで放送していた「奈良の大仏」の特集を見ました^^

奈良の東大寺の大仏は鋳造仏としては世界最大の大きさを誇っています。
私も一度だけ東大寺で実物を見ましたがそのものすごさに圧倒されました。
なお大仏殿も世界最大の大きさですが、このように巨大な建造物が750年頃に建てられた事は驚愕に値すると思います。

出雲大社にしてもあの大きさには同じように驚かされました。
全く古代の技術の偉大さに驚かされてばかりいますよね^^;;

テレビでは銅の鋳造のために「たたら」を再現した様子を見せてくれました。
もののけ姫のシーンと全く同じなのですね^^

15メートルの大仏を作るために8段の外壁を作って銅を流し込んだと言っていました。
足場もこれでクリア出来るという優れもののアイディアですよね。
なんてすごい発想かなと思いました。

これを見ても個人の能力に関して言えば現代人以上の知恵を持った人達が古代にも数多くいた事がよく分かると思います。
社会全体としては現代の方が遙かに進歩している訳ですが、個人の能力そのものについては大体において同レベルなのかも知れませんねv(^o^)



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  戦争は生体反応      投稿者: 焼尻紋次郎  投稿日: 9月 3日(月)20時00分17秒

 こんな歌知ってますか。
 ♪√ 花もつぼみの 若桜  五尺のいのち  ひっさげて
    國の大事に 殉ずるは  われら学生の 面目(めんもく)ぞ   
    ああ くれないの 血は燃ゆる  ああ、くれないの 血は燃ゆる

 おらの、すぐ上の三つちがい、4学年上の兄貴が、鍬をかついで、ゲートル巻いて歌った。

 良いとか悪いとかの判断基準は、戦時下でなければいつも4種類出て、それぞれも視角の成
果による正当性を主張するものです(参考 ; おらが価値観)。
 だが、暴力(軍備)を保留するヤツらに囲にょうされ、石油供給の途を故意に断たれたと
判ったとき、その“故意”を打ち砕こうとするのは、生命体の法則です。
 大東亜戦争は人間の思念を超えた RELATIONSHIP だけのことであり、そのことはインドの
検事役のナンとかさんが東京裁判で訴えたところでした。

 「こんな戦争……裁きは成立しない」……と。

 ♪√ ナニを すさぶか  小夜嵐  神州男児  ここにあり
    決意ひとたび  火となりて  護る国土は 鉄壁ぞ
    ああ、 くれないの 血は燃ゆる  ああ、くれないの  血は燃ゆる。

 ※ おれ、ペース・ブレーカーなんでしょ? 価値観は http;//www.you-i.org



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現代の 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月 2日(日)23時16分05秒

中国人一般のレベルでは欧米並の人権を認めようとすると行政そのものが成り立たないというジレンマがあるとも言われていますよね。
死刑も公開で行われたりしているところなどは日本の戦国時代のような感じを受けてしまいます。

中国とは「一族ありて国家無し」とも言われていますから、確かに為政者は日本よりも遙かに大変な面が多いと思います。
でもそうした歪みから目を逸らすために、あるいはガス抜きとして、日本を利用するのは私達にとって大変失礼な事だと思うのです。
これでは少なくともその様な政府に対して信頼感を抱くことは出来ない方が当然ですよね。

武来人さん、夜更かしをしたようですね??^^

紋次郎さんの経験談や個人的感覚に対して否定するつもりはないのですが...
ただそれを「日本人」一般にまで拡大解釈されるとどうかなと思ったのです^^;;

ところで韓国では「金太郎」を「きむたろう」と発音するのでしょうか??笑
もしくは「きみ たろう」とか??(^^ゞ

そう言えば昔は「きんだいちゅう」とか「きんにっせい」と発音していたのにいつの間にか変わってしまいましたよね??

これは相互主義に基づいての事なのでしょうか??
もし韓国や北朝鮮で「日本の固有名詞」を日本語に沿って発音していないとすれば不公平ですよね。

大三元さん、分かりました^^
今度チャレンジしてみますね。
でも次に行ったときには売り切れていると思いますが...笑



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きんたろうさん、 投稿者:大三元  投稿日: 9月 2日(日)20時43分20秒

きんたろうさん、その本、売るほどある、って出版社が云ってますから、どんどん買ってやってください、(^^)。



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  きむたろうと言われなすったら?   投稿者: 焼尻紋次郎  投稿日: 9月 2日(日)14時45分47秒

 あっしの誤解でありゃぁ、けっこうなこってござんすがねぇ。
 あれは昭和の18年ごろの実話にござんす。筑豊のある旧制中学校で、教師がウカツに「白がつく名前は
朝鮮人に多い」と喋ったんです。それをきいた白がつく名前の生徒が真っ青になって家に走って帰り、日本
刀を持ってきたのです……「ヤツを殺す!」と。
 いまの平均的日本人はいまの朝鮮人にはなんにも感じなくなった……は表向き。大衆心理のスパン(用
語?)が長ぇたぁ、そーゆーこって。海賊の巣窟だった筑豊は特別だったかもしれやせん。
 きんたろうさんはできていらっしゃるから「きむたろう」と言われてもなんにも感じられないのかな?
 語源(科学?)では同根がいえそうですがね。あっしの語源追求のおねらのひとつは、そーゆー国際感覚の養成ざんす。
 



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深夜の書き込み 投稿者:武来人  投稿日: 9月 2日(日)14時08分54秒

眠い目をこすりながら、書き込みしたので、間違いました。

ワアワアさわまた=ワアワア騒いでまた です。

太子のトピックでも間違ってしまいました。半分寝ていたようです。 



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中国の犯罪撲滅キャンペーン 投稿者:武来人  投稿日: 9月 2日(日)13時56分07秒

<3カ月間で1、781人の死刑執行> 

CNNのインターネット・ニュースによると、
「国際的な人権組織、アムネスティ・インターナショナル(本部・ロンドン)は6日、中国が過去
3カ月の間、凶悪犯罪だけでなく汚職、詐欺、ガソリン窃盗、売春教唆、薬物利用などの事件で逮
捕された者も含む計1、781人の死刑を執行した、と発表した。この数字は、世界各国で過去3
年の間、死刑に処された1、751人より多く、「人命の大きな浪費である」とも非難してい
る。」とあります。アムネスティの報告は、死刑の判決を受けた者は計2960人いるとも指摘し
ています。

中国は、もともと死刑の多い国と聞いていました。犯罪者に同情するつもりはありませんが、犯罪撲滅キャンペーンとは言え、この人数は、異常ですね。

>中国こそがアジアで孤立している事をもっと自覚すべきだと思います。

正にその通りです。



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