過去ログ148(2002年〜2月8日)


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風邪 投稿者:Sin  投稿日: 2月 8日(金)23時46分41秒

私もやられていました。
私の場合、体調が悪くなると思考回路が若干攻撃的になってしまいます。
自覚しているので表には出しませんが。



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PQ17船団 投稿者:太田守人  投稿日: 2月 8日(金)12時46分37秒

きんたろうさん、風邪お大事になさってくださいね。今年のは、しつこいです。
安部さんの戦争は、多分に心理的なものだという投稿で、第2次大戦中のPQ17船団の悲劇を思い出しました。第2次大戦中、アメリカとイギリスは、ソ連に軍事援助を行うため、イギリスのリバプールだったかから、ソ連のアルハゲンスクまで、船団を運行します。ソ連向けはPQ、イギリスに帰る船団はQPというコードネームで、これに1番からの番号で呼んでいました。護衛艦は、イギリス・アメリカから出すが、バレンツ海でソ連の護衛艦隊に引き渡すという協定がありましたが、ソ連はまったく履行していなく、英米の軍艦が最後まで船団護衛についていました。
ドイツは、PQ8くらいまでこの船団の存在に気がついておらず,偶然このあたりを哨戒していた、U−ボートが見つけ、その存在に気がついたようです。
そこで、ドイツ艦隊は、ドイツ最大で第2次大戦中NO3の巨大戦艦ティルピッツを中心とした、大艦隊を、当時ドイツ占領下のノルウェイのトロンへイムに派遣し、いつでも攻撃できる態勢をとります。このPQ17船団が、イギリスを出港し、ノルウェイ近海に近づいた時に、このティルピッツ艦隊が出港したという情報が、イギリス海軍軍令部に、現地のレジスタンスからきます。
ロンドンは、この情報にパニックを起こし、直ちに船団司令官及び護衛艦隊司令官に、「分散せよ。」という電報を発信しますが、この「分散」が、決裁時に「四散」とスペルミスを起こし、更に、パニックを起こしていた、海軍を始め軍部の上層部は、誰もこのスペルミスに気付かず、そのまま、「四散せよ。」と発信されます。連合軍は、いままでの経験から、戦艦等の水上艦艇の通商破壊艦隊が出てきた時は、船団を分散させるのが一番と分かっていて、その手順、どの船にどの護衛艦がつくか等の細心のマニュアルがありましたが、「四散せよ。」という電文を受け取った、船団司令官及び護衛艦隊司令官は、中央のパニックに伝染し、そのまま「四散せよ。」という命令を下します。これで、船団は空中分解を起こし、それぞれ勝手に逃げ出し、50隻位の商船で出港した、船団のうち、生き残ったのは、わずか6隻で、後は、ドイツ潜水艦と航空機に撃沈されてしまいます。スターリンは、この失敗をチャーチルのせいにしたため、チャーチルは激怒し、ルーズベルトにソ連との同盟解消を言い出します。ルーズベルトがチャーチルを、何とか説得します。



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今年の風邪は 投稿者:輔住  投稿日: 2月 8日(金)07時33分26秒

経験上、油断するとすぐにぶり返します。お大事に。



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風邪を 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 8日(金)01時31分12秒

引いてしまいました^^;;
インフルエンザが大流行しているとのことです。
皆さんもお気をつけ下さいね。

早く寝過ぎたために目が覚めてしまいました、自爆



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恐怖と攻撃性 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月 7日(木)23時47分06秒

 日本がなぜ日露戦争をしなければならなかったのか、これは朝鮮半島と満州の地形を見れば簡単です。
 朝鮮半島というのは山がちなのですが、朝鮮半島の山地は、中国との国境で終わりかというと、そうではなくて鴨緑江の北側も同じくらい高さの山地です。朝鮮半島から満州南部に続く山地は、吉林・長春・奉天・遼東半島を結ぶあたりまで続き、ここで始めて満州平原になります。
 日露戦争で日本軍が進出した地域を見てみると、きれいにこの満州南部の山地になっていることがわかります。つまり、朝鮮半島を防衛するためにはその北部の山地を取らなければいけなかったのです。

 しかし、日本は朝鮮半島を領有して、満州南部を勢力範囲において、始めて陸上に国境を持つ恐ろしさに気づいたと考えられます。
 200kmくらいの幅の満州平原の西側は大シンアンリン山脈からモンゴル高原へと続きます。
 つまり「満州南部を防衛するためにはモンゴル高原まで手に入れなければ」、となってしまいます。満州全土を手に入れれば「内モンゴルも必要だ」となってしまい、キリがありません。
 日本軍は、見渡す限り続く「国境」というものを目にして恐ろしくてたまらなくなったのだと私は思います。

 「海を見るまで安心できない」という心理は、ロシアのシベリア領有と、アメリカの西部開拓に見ることができると思います。

 「マニュフェストデスティニー」とか「満蒙は日本の生命線」とかいろいろ威勢のいい言葉がありますが、人間が攻撃的な行動に出るのは、何かを怖がっているときです。
 戦争というのは多分に心理的な現象であるのではないかと思うようになりました。
 歴史を見てみると、どのような屈辱や窮乏でも、人間は耐えられるときには耐えています。
 しかし戦争が起きるときには、電報の文言の間違いでも戦争が起きます。
 戦争というのは多分に心理的なものではないかと思うのです。



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あの山の向こうに国境を 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月 7日(木)23時25分28秒

 先日NHKの「そのとき歴史が動いた」で、サラエボの銃声のことを取り上げていました。さてオーストリアは、周辺のスラブ諸国の反発を知りながらもなぜ19世紀末から20世紀初頭に描けて領土をバルカン半島に広げていったのでしょうか?

 オーストリア=ハンガリー帝国の心臓部はオーストリアとハンガリーとボヘミアです。オーストリアは言うまでもなくハプスブルグ家の本拠地、ハンガリーは穀倉地、ボヘミアは工業地域です。
 南東ヨーロッパの地形を見てみると、北部にアルプス山脈、ボヘミア(チェコ)の高地、カルパティア山脈とトランシルバニア山脈(ルーマニア東部)があります。
 南部には、ディナルアルプス山脈(クロアチアとボスニア=ヘルツェコビナ)、バルカン山脈(セルビアとブルガリア)があります。
 これらの山に囲まれて、ハンガリー盆地があります。
 山がちな南東ヨーロッパの中にあって、ハンガリーだけが平地であり、この地域を支える穀倉地帯です。しかしハンガリーを防衛するためには、周囲の山地を制圧しなければなりません。高いところから低いところに攻め入るのは非常に簡単であるからです。逆に高地から攻め降りる敵を防衛するのは至難の業です。

 ハンガリーの北部のオーストリアとボヘミアとスロバキアは元々ハプスブルグの土地です。しかし南部はオスマン=トルコ帝国の土地でした。オスマン=トルコは何度もハンガリーに攻め込み、ハプスブルグ家はオスマンの脅威と300年にわたって戦い続けなければなりませんでした。
 19世紀後半になって、オスマン=トルコが弱体化すると、オーストリア=ハンガリー帝国は、積年の懸案を解決するために、バルカン攻略に取り組みます。バルカンの高地を制圧しなければ、帝国の心臓部の低地を防衛できないからです。
 
 ボスニア=ヘルツェコビナとセルビアとハンガリーの位置関係はどうなっているのでしょうか。
 ハンガリーとセルビア北部はひとつながりの盆地になっています。そしてペオグラード(セルビアの首都)のあたりから急に1000m級の山地になります。従ってセルビアからハンガリーに攻め入るのは簡単です。
 ボスニア=ヘルツェコビナはセルビアの西部にあります。ボスニア=ヘルツェコビナは全体がセルビアから続く山地の山国です。ボスニアの北部のクロアチアは、やや低い山地です。
 従って、オーストリア=ハンガリー帝国としては、ボスニア=ヘルツェコビナを領有すれば、高さではセルビアと同じ位置に立てることになり、セルビアを牽制することができます。

 似たようなことは、ほかのハプスブルグの辺境領にも言うことができます。
 ルーマニア西部のトランシルバニアもまたハンガリーの隣の高地であり、ハプスブルグとしてはトランシルバニアを領有することによって、ロシアとルーマニアとの国境をカルパティア山脈とトランシルバニア山脈にまで持っていきたかったと考えられます。
 「回復されざるイタリア」のチロルもまたオーストリアから続く山地であり、チロルまで領有しておけば、イタリアとの国境はロンバルディア平原になるのでオーストリアにとって有利です。

 このように、大陸に住む人々にとって「国境を山脈の向こうに持っていきたい」「海岸まで国を広げてやっと安心」という気持ちは、我々島国の人間にとって想像もつかないほど強力であるようです。



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鬼 投稿者:太田守人  投稿日: 2月 7日(木)17時39分33秒

大航海時代以前は、唐代に胡人といはれた、アラビア系の人種が鬼でなかったかと思っています。
ただ、大航海時代以降は、Toshyさんのおっしゃるように白人であった可能性が高いと思います。



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なまはげ 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月 7日(木)14時40分25秒

俺もよく知りませんよ(わら
子供の頃見た記憶が、脳裏のずっと奥にある。。。。

考えてみれば、「あまめはぎ」は、ずっと囲炉裏にあたっている怠け者を懲らしめるのだから、
冬に出てくるのに決まっていました。
その冬というと、西高東低の気圧配置のため西風が強い。
ロシアから船が吹き流されてくる可能性は充分で、
やっぱり冬とロシアとなまはげ・あまめはぎは関連が見えそうです。

蘇我氏というと、「日本書紀」で確かに善政をしいているような記述があったと思います。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 2月 7日(木)12時40分28秒

私は、なまはげについては、秋田の男鹿半島だったと思いますが、冬鬼の面を被った若者が、子どもを「なまけものはいないか。」と言って脅す意外に知りません。
話は変わりますが、蘇我三代は善政を引いていたと思います。そこで、大化の改新後、相当蘇我の治世を懐かしむ声があり、中大兄も大化の改新後直ちに即位できず、母を立てざるを得なかったと思っています。書紀に、と宝皇女(後の斉明)の間に、漢皇子というのがいたとありますが、私はこの高向王が蘇我入鹿で、漢皇子こそが天武だったと思っています。そこで、中大兄は風除けに母を即位させざるを得なかったのだと思います。
私は、武烈を殺したのは、大伴金村でなかったかとも思っています。なぜなら、継体を迎えに行く前に、倭彦王の元へ行きますが、彼は金村の軍勢を見て逃げ出し,行方不明になってます。これも、金村が自分を殺しにきたと思ったからではないでしょうか。そうでないと、逃げ出す理由がないように思います。
蘇我が悪し様に罵られるのは、渡来人であったのと持統・不比等コンビが、大化の改新を正当化しようとしたからだと思っています。



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今日まで 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 6日(水)18時56分19秒

HPがネット茨城にありました。
いつまで置いてくれるのかなと楽しみにしていました、笑

Toshyさん、太田さん
なまはげについては全く無知なので後で教えてくださいね^^



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高坂さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 6日(水)18時51分47秒

高坂さんの力作「聖徳太子はいなかった」は以前に拝見していますよ(^o^)

確かに聖徳太子の付近は謎が多いですから高坂さんの述べられている内容はなるほどと頷ける点が多いですよね。
私も面白い視点の説だと思っています。

蘇我馬子悪人説などは全く持って幼稚な二元説によるもののような気がしています。
歴史的敗者とされた馬子の業績を消してしまいたいという意図は否定できないと思います。
結果として聖徳太子業績とされた可能性はありますよね。

私の場合はどちらかと言えば固有名詞よりも大局的な流れの方に興味があります(^o^)

ところで、蘇我氏は元々有力な豪族だったのではなく天皇家に配偶者を送り込む家に選ばれたために有力になったのではないか??とまたまたふと思いました、笑

これは要するに卵が先か鶏が先かという問題のような気もしますが...
でも蘇我氏が元々有力な家ならばもっと前の代まで遡れてもいいような気がします。
要するに蘇我氏とは藤原氏が天皇家の寄生貴族として栄華を極めていったような存在だったのではないでしょうか??

太田さんは古代史も詳しいですね^^
私の場合は基本的には固有名詞は「記号」であると考えている方です。
マクロ的史観の方が得意としています、笑

昨日、今日で一気にイメージが出来上がりましたv(^o^)



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 2月 6日(水)17時18分21秒

私は、聖徳太子は蘇我馬子でなかったかと思っています。聖徳太子は、古事記に載っていません。最も、有名でない本名(笑)で、古事記に乗ってるかもしれませんが。更に、タリシヒコというのは、聖徳太子の別名で、なかったように記憶しています。そもそも、こんな風に思うようになったのは、馬子の跡取の蝦夷の名前からです。蝦夷というのは、蝦のように、腰の曲がった夷という意味だと聞いた事がありますし、蝦夷というのは大和朝廷の蔑称のように思うからで、最高権力者の跡取にはふさわしくないように思います。勿論、厩戸王とか書紀に書いてある、聖徳太子の別名の王はいたと思っています。(少なくとも、このあたりは書紀では、現代史でしょうから、そう無茶苦茶は出来ないと思いますが。)馬子・蝦夷・入鹿と言うのは、トンデモ説ですが、推古・藤原不比等がつけた蔑称のように思っています。また、聖徳太子も蘇我の横暴を浮き立たせ、大化の改新を正当化するために、馬子の業績をコアとし数名の皇族の業績を足した、書紀が作った人物のように思っています。また、斑鳩から明日香までは、20キロ近くあります。摂政という立場にいる人が、こんな遠くにいるとは考え難いと思います。
蘇我三代が、書紀の書いてあるように横暴なら、中大兄は直ちに即位出来たとも思っています。



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Toshyさん 投稿者:太田守人  投稿日: 2月 6日(水)16時35分45秒

あまめはぎも冬です。
能登には、面白いものとして「あえのこと」というのがあります。これは、輪島辺りでやっているのですが、冬、田の神様を自宅に招き、山海の珍味をご馳走して、今年のお礼と来年の五穀豊穣を祈る神事で、この神様は、夫婦ですが、稲穂で目が潰れているので、主人が手を引いて案内し、ご馳走の説明をするというものです。春、田起こしの時期に、再びお帰り願うというもので、両方とも、国の無形文化財になっています。



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なまはげ・あまめはぎの類 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月 6日(水)15時36分19秒

http://www.bakebake.com/kaido/akita/eg02nama.htm

↑面白いサイトを見つけました。



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そうなんですか 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月 6日(水)15時08分26秒

>鬼になるのは、小学校の高学年から中学生らしいですが。
なまはげのほうは大人がやります。訪問した家でお神酒などをいただく風習があります。
あまめはぎを子供がやるというのは面白いですね。
季節はいつでしょう。なまはげのほうは真冬です。
もし「なまはげ=ロシア」の図式が正しいとすれば、
ロシア人が冬に日本近海にやってきたことを暗示すると思うのですが…
あまめはぎも冬だとするとさらにその考えに力を得ます。

http://homepage2.nifty.com/snowwolf/index.htm



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聖徳太子 投稿者:高坂英吾  投稿日: 2月 5日(火)22時44分04秒

私は、聖徳太子は必要以上に英雄として強調されてしまっていて、実際はそれほどの人物ではなかったと考えています。
だいたいの理由は下記ページに書きました。

ただ、これを根底から覆すかもしれないと思っている説が、「聖徳太子は天皇だった」という説です。個人的には、天皇だったことはない、と思っていますが、天皇でなかった決定的証拠など知りません。
きんたろうさんの「摂政」の話し、結構面白いですね。私も、聖徳太子は何でイキナリ摂政なんだろうと思います。そのまま素直には納得したくない気分です。
素直に納得しない場合、次の二つを考えます。
一つは、「天皇でも何でもない人物を準天皇として持ち上げるためだ」という説があり、
もう一つは「本当は天皇だった」というものです。
後者は「まったくあり得ないね」と思っていましたが、最近「ひょっとして」とも思うことがあります。

http://www.interq.or.jp/pluto/minstrel/Rekishi/earlyjapan/shotoku.html



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突然思いついたのですが...笑 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 5日(火)19時32分34秒

聖徳太子と摂政について何となく考えていると面白い事に気が付きました^^
これは聖徳太子が摂政だった理由についてのまとまっていない意見です、笑

摂政の第1号と言えばあの有名な神功皇后になります。
彼女は皇后ではなく実際の天皇(この時代の表現だと「おおきみ」ですね)ではなかったかとも言われているのは周知の通りです。

一方の推古天皇は女帝第1号として良く知られています。
藤原氏時代の摂政・関白はこの時点より後世の出来事なので無視して考えると「摂政」が誕生した時はともに「女帝」だったというキーワードがあるのです。
これから考えれば私達が女帝、もしくは女性の「おおきみ」と呼ぶ相手を元々は「摂政」と表現したのではないかという疑問が湧いてくると思うのです。

大王とは男性がなるものだという不文律があったとすれば、まさかの時のピンチヒッターに有能な皇后がなったとした場合に彼女を「摂政」と称したのではないでしょうか??
有能な皇后が大王の代打を務めるのは当時の幾重にも重ねられた血縁者同士の結婚の中でも特に親しい関係にあるという側面を軽視する事は出来ないような気がします。

かしやき姫が政権の代表者になった事を前例に倣って表現すれば「推古」こそが「摂政」だったのではないかと思うのです。
推古は息子の竹田皇子を「おおきみ」にしたかったであろうという推理は人情として当然のように思われてきます。
いくら天才の呼び声が高い聖徳太子が自分の甥だとしても一つしかない「おおきみ」のポジションを争う息子のライバルだとすれば彼は推古にとって最大の敵なのです。

ところが竹田皇子の早世により(これは全くの推測です^^;;)聖徳太子と推古のの関係はコペルニクス的展開を遂げたように思うのです。

竹田皇子が死んだ瞬間に聖徳太子は推古にとって極めて近い身内として再登場したのではないでしょうか。
子供を失った推古は自分の次の「おおきみ」として聖徳太子にその地位を譲ったのではないかと思うのです。

この瞬間に聖徳太子と推古の二人が最高権力者として存在したのではないでしょうか。

ここでは聖徳太子こそが「おおきみ」であり推古は「摂政」という姿が正しい当時のものだったように思います。
だからこそ裴世清と会った「たりしひこ」は男性だったのてす。

聖徳太子が死んでも伯母のかしやき姫は生き続けました。
彼女は本来の意味の「摂政」として孫の代の「大王」の誕生に関与する事になるのです。

ところが歴史を執筆する側としては最高権力者が二人同時に存在する事を説明するのは論理的矛盾をはらんでいると判断したのではないかと思うのです。

その結果として女帝を誕生させ聖徳太子を摂政という身分に置かせることで論理的矛盾を回避しようとしたのではないでしょうか??^^;;



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あまめはぎ 投稿者:太田守人  投稿日: 2月 5日(火)17時43分42秒

は,鬼になるのは、小学校の高学年から中学生らしいですが。日本海側で、このようなことをする所は、外にありますでしょうか?



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あまめはぎ 投稿者:Toshy  投稿日: 2月 5日(火)15時10分22秒

は聞いたことがありました。
子供の頃に買った、水木しげるさんの妖怪辞典の中に収録されていたのです。
「なまはげ」と似たようなイベントをするのですね。
昔からの言い伝えの中に、なにか歴史の真実を言い当てるものがあるかもしれない。

http://homepage2.nifty.com/snowwolf/index.htm



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鳥 投稿者:太田守人  投稿日: 2月 5日(火)08時33分45秒

きんたろうさん、古代の航海には、鳥が必須だったようで、珍塚古墳からも鳥を積んだ船の絵がっ出てるそうです。使い方は、聖書にあるノアの箱舟と同じで、鳥を放し、陸地を探させるそうです。また、古代中国には、指南車という南を指す磁石(磁石でないとする説もありますが。)が春秋時代からあったそうです。唐代には、アラビア人がこの磁石を水に浮かべて方位を調べ、航海していたとも聞いた事があります。



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ホグニさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 4日(月)22時18分27秒

久しぶりですね^^
拝見して来ましたよ。
それにしても本になるとはすごいですね。
早く出版されるといいですねv(^o^)

会社を興すのですか??
おお^^それはまたすごいです。

Toshyさんと太田さんが言われているようにロシア人の漂着者は間違いなくいたと思います。
もしくは水などをもらいに陸地に上がってきた姿が誇張されて伝えられたのかもしれないですよね^^



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節分 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 4日(月)22時15分50秒

にはつい大豆を食べ過ぎてしまうようです。
正直なところ大豆は美味いのですがお腹の中で一気に膨れるような感じがしますよね^^;;

kitunoさん
トラのパンツをはいた鬼と言えばうる星奴らのラムちゃんを思い出してしまいました、笑

太田さん
頭には牛の角、そしてトラの皮の腰布まいた姿に鬼が描かれた理由は丑寅の方角が鬼門になる事にあるようですよ。

>遣唐使が半島経由を出来なくなった事情とよく似ていると思います
なるほど^^
確かに新羅の半島統一により沿岸近くを航海する事が出来なくなったからという理由はあり得ますよね。

それにしても日本海を横断して来たとすればその航海術はかなり高度なものだったと思います。
島があるとその上に雲が出来やすいという話を聞いたことがあります。
その雲を目標にしていけば陸地が見つかるという訳ですね。

でも海上からこのような雲を見つけられる距離り限界はせいぜい100キロくらいまでだと思います。
ですから1000キロもの距離がある日本海を横断するためには、もっと別のしっかり方向を把握出来る方法を知っていたのだろうと思います。
ひょっとしたらコンパスの様な物があったのかも??



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あまめはぎ 投稿者:太田守人  投稿日: 2月 4日(月)17時32分53秒

Toshyさん、能登の内浦町に「あまめはぎ」というものがあります。私は、「あまめはぎ」というのは、どういう風なのか良く知らないのですが、「あまめはぎ」も鬼のような面をつけ、「怠け者はいないか。」といって、子どもを脅し、親がいい加減のところで、お引取りを願うというものだそうです。「あまめ」と言うのは、いろりにあたっていると、皮膚が赤くなることを言うそうで、それをはぎとるという意味らしいです。「なまはげ」と同じかなと思っています。



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太田さん 投稿者:Toshy  投稿日: 2月 4日(月)14時12分11秒

俺の地元からは離れますが、秋田には「なまはげ」という鬼に似たものがあります。
漂流記調査のために雑誌や論文などを見てたら、
その中に「なまはげ」とロシア人の関係を書いたものがありました。
秋田から日本海を横切ればすぐロシア大陸ですから、
太田さんが書かれたことと共通するものがあると思います。

もちろん「なまはげ」の起源はいつまで遡るかの問題もありますが。

http://homepage2.nifty.com/snowwolf/index.htm



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こんにちは 投稿者:ホグニ  投稿日: 2月 4日(月)13時21分03秒

近況をコピーして書き込みに来る俺って、愛想なしだろうかと真剣に悩む、、、、、、
でも正直者なので、、、、、、
以下はロトさんの所に書いたもののコピーです。
みなさん怒らないでね(笑)。
きんたろうさん、もう少し暇になったら、また遊びにきますからね(笑)。

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冬場は暇なはずだったんですが、何故か代表で新しい商売をすることになり、準備に時間を取られていました。
まあアルバイトの派遣会社なんですけどね。
家で本読んでる方が性にあってるんですけど、、、、、、

最近、ネット上で本にしたい作品の募集をしていて、ためしに送ってみると審査が通って掲載してもらえました。
さらに本の予約が100に達すると出版してくれるみたいです。
きんたろうさんも覗いてみてくださいね(笑)。
『詩と写真』の分類のコーナーです。

http://www.dreambookclub.com/
http://hogni.tripod.co.jp/



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虎のパンツ 投稿者:太田守人  投稿日: 2月 4日(月)12時55分33秒

鬼はなんで虎のパンツなんでしょうか?基本的な質問ですが、教えてください。誰が、最初にはかせたんでしょう。虎のふんどしでなくパンツなので、最近のように思いますが。私は、鬼は漂流してきた、アラブ系若しくは白人系の人間ではないかと思っています。



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渤海使節 投稿者:太田守人  投稿日: 2月 4日(月)12時34分18秒

きんたろうさん、これはあくまでも私の個人的見解ですが、平群広成一行は、漂流し崑崙国に流され、ここで現地人に殺されたりし、735年に唐につきますが、この使節団の話を聞いた、玄宗をして「聞くに堪えず。」というほど悲惨なもので、彼は、渤海使節の船に便乗し、日本を目指しますが、途中で嵐に巻き込まれ、出羽に漂着したそうです。このことから、矢張り、日本海を横断していたと思います。統一新羅に対し唐は敵対しています。渤海は、唐の友好国ですので、統一新羅沿岸は通れず、日本海を横断したと思います。これは、遣唐使が半島経由を出来なくなった事情とよく似ていると思います。私は、前期まだ唐と統一新羅が蜜月の時は、半島経由という方法もあったが、そうでなくなると伴に、日本海横断航路になったように思います。



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節分 投稿者:kituno_i  投稿日: 2月 3日(日)22時34分46秒

私が住んでいるところでは、雨の節分でした。
寅のパンツしかはいていない鬼さんも、震えながら逃げていたでしょうね。^^;

明日は立春。
新しい春がやってきます。



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更新情報 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 3日(日)21時12分08秒

ちょっと前に掲示板に書いた平将門に加筆した文章を平将門のIFとしてアップしました。
下記のアドレスです。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~kintaro2/masakadonoif.htm



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大三元さんの 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 3日(日)21時11分06秒

言われる通り、間違いなく漢字はありがたいものだと私も思っています。

漢字と日本語についての私の意見は下記のページにありますのでご覧になってみて下さい、笑

http://www5d.biglobe.ne.jp/~kintaro2/manyougana.htm

漢字にしてもアルファベットにしてもこれを作りだした功績は絶大なものがあると思っています。
ちょっと前までパソコンでは半角文字しか使えませんでしたが、DOSVからウインドウズの発達によってパソコンで全角文字が絵として表現出来るようになりました。
漢字は詰まるところアルファベットを合体させて作られた(ような)ものですよね、笑

確かにアルファベットを一文字に凝縮した(ような、笑)ものが漢字ですから一文字当たりの情報量は漢字が勝っているように思っています。
ですから漢字文化圏とは情報を外に出すのは容易でも逆に輸入するのは大変困難だと思われます^^;;

ところで、話は逸れてしまうのですが漢字の旧字体を最近多く目にするような気がしています。
例えば浜を濱、広を廣などです。
私ははっきり言うとこのような並立した使い方は止して欲しいと思っています。
更に、斉藤の斉の字は幾つもありますがこれも紛らわしいだけだと思っています。
旧字に対するこの辺のこだわりだけは愚かだと思います^^;;

大阪JF生さん、お久しぶりです^^
日曜日なのに忙しいのですね。
ワーリホリックにはお気をつけ下さい。
実は私も今年初めて太巻きを北北西に向けて食べてみましたよ、笑



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北北西に進路をとれ 投稿者:大阪JF生  投稿日: 2月 3日(日)14時24分32秒

 きんたろう様、皆様、ご無沙汰しております。
この曜日・この時間に珍しいのですが、本人です。
ちょっと時間が取れましたので、覗いてみました。
いつもどおり暖かい板で話題も豊富ですね。
 表題は、関西の変な習慣をご存知の方なら
分かると思いますが、今年の恵方です。
今度いつこれるか分かりませんが、
またお邪魔します。どうも失礼しました。



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漢字 投稿者:大三元  投稿日: 2月 3日(日)09時00分07秒

無闇かどうか知りませんが漢字はありがたいですよ。
一字で意味があるんですから。
英語だと一語平均5.5文字でしたっけ。
和文を英訳すると4〜5割増のページ数になる。
それをパソコン画面で出すと、どうしてもフォントを小さくしてしまう。
年寄りに英語のサイトはきついです。
むしろアルファベットの世界の人たちが漢字を習得して
我愛爾 と書いて I love you と訓読すれば情報効率は高まると思うのですが。



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茨城県のページの改訂 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 2日(土)14時02分10秒

少しですが茨城県のトップページを直しました。
茨城弁を使った紹介文の方が茨城をより近く感じられると思います^^

http://www5d.biglobe.ne.jp/~kintaro2/ibarakititle.htm



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太田さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 2日(土)14時00分58秒

>私は、渤海に使節は日本海を横断していたように思います
さすがに太田さんのように船舶に詳しい人の意見は説得力がありますね。
なるほどと思いました。

>特に、朝鮮半島経由で日本に来ていたとすれば、敦賀客院なんて施設を設けず、大宰府を利用できたように思います
確かにそうですよね。
敦賀付近から上陸する事から考えると朝鮮半島づたいに南下して下関とか北九州へ着いたルートでない事は明かですね。

>能登半島から、ロシアのウラジオストックまでは1000km弱ですので、横断も無理ではないように思います
何だかワクワクしてくるような感じがしました^^

魔異夢さん
実は過去ログが最大のボリュームを持っています、笑
はっきり言ってこれを全て読破するのは大変ですよ^^

>私が興味関心を持っていたのは、浦島伝説かな。
さすがに魔異夢さんですね。
浦島伝説については先日紹介した三浦先生のページに面白い内容があります。
ここです。

http://homepage1.nifty.com/miuras-tiger/index.html

Toshyさん
桃太郎の話はきっと日本列島という閉ざされた空間の中で歴史を創り上げてきたために海外のものとは違う意味づけをされていったような気がします。

確かにアテルイのような存在を鬼と勝手に名付けたように思います。
大和が自分たち以外を「えみし=蝦夷」と名付けたのはギリシア人が自分たちの住む意外の場所にいる人達を「バルバロイ」と呼んだようなものだと思います。
これは古代中国人が「東夷」などと命名したのと同じですよね。



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kitunoさんの 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 2日(土)13時57分36秒

連続書き込みには驚かされました^^
元気になられて良かったですね。

>私が住んでいる近くに「小原」という所があります。
言われるように空間の距離的にはほとんど誤差のレベルかと思います。

それにしても同じ様なことを考えるとは!!v(^o^)
>星の香々背男」を祀ってある神社とか!!
そうなんですか??

古代常陸国に元々??勢力を張っていた豪族とはつまり常陸国のアテルイと言えるような気がします。
彼を倒すために鹿島から出陣したのが出雲で有名な武甕槌命になります。

春の花として桜、梅、桃とありますがこの中でどれを選ぶかとなると悩みますよね^^;;
中国と桃の関係は何となくそうかなと思いがちですが唐土かぶれの黄門様が「梅里先生」と自ら名乗った事を考えると明の時代には梅の方が好まれていたのでしょうか??

聖徳太子と物部氏の書き込みを読みました^^
古代氏族の代表である物部氏が大王家と密接な姻戚関係にあったであろう事は想像が付きます。
詳しい内容についてはkitunoさんのトピックを頼りにしていますね。



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「桃太郎」を読むと 投稿者:Toshy  投稿日: 2月 2日(土)10時42分35秒

アテルイ公と「鬼」をだぶらせる(わら)。桃太郎の鬼は、何もしていないんですよね。
いわゆる侵略行為を寓話的にしたのが「桃太郎」話でしょう。

太田さんが前に憤慨なさっていたように、
我々東北の者たちは、もっと田村麻呂とアテルイ公について考えなければならない。
そして安倍一族についても。
俺は親戚の小説家K先生の遺志を継いで安倍貞任の名誉回復…といいたいが、
まだそれだけの知識がないもので。

そういえば、産経新聞にわしらの「若宮丸」の記事が掲載されましたが、
その隣に「アニメ・アテルイ」の声優募集という広告があった。

http://homepage2.nifty.com/snowwolf/index.htm



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最後にキリスト教について 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月 2日(土)01時36分32秒

 イエスは、神の息子である無垢な自分が血祭りにあげられることによって、モーセ殺害の罪を帳消しにしてもらおうと思っていたのではないか、とフロイトは書いています。

 自分の死によって、ユダヤ人がモーセ殺害のコンプレックスから解放されれば、ユダヤ教は教条的ではなくなり、より友愛的な宗教になるのではないかとキリストは思ったのかもしれません。


 これもフロイトが言っているのですが、なぜヨーロッパの人間はユダヤ人を迫害するのか?
 これは多分、ヨーロッパ人が本当は押しつけられた窮屈な宗教であるキリスト教を嫌っていて捨てたいと思っている。ヨーロッパ人は心の奥でキリストを憎んでいる。しかしキリストをいじめるわけにはいかないので、キリストの代わりにユダヤ人をいじめるのだろうと言っています。

 フロイトがこれらの論文を書いたのは、ナチスの迫害が激しくなった頃でした。フロイトはオーストリアに住むユダヤ人です。オーストリアがドイツに併合された後フロイトは追放されてロンドンに住みます。ロンドンの自由な雰囲気の中でフロイトはモーセと一神教に関する論文を書きます。

 ドイツでユダヤ人が特に迫害されるのは、ドイツ人がキリスト教に改宗させられたのが最後であるので、まだキリスト教に対する恨みが強く残っているのだろうと言うことです。

 この論文は一神教に対して強烈な物ですが、あまりに強烈だったからか、歴史学の世界でも心理学の世界でもこの論文は「なかったこと」にされているそうです。もちろんちゃんと存在はしますけど。



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言われるまで 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 2日(土)01時16分46秒

桃太郎がこれほど面白い物語だとは思いもしませんでした。
この物語のプロトタイプは安部さんが仮説として言われているように、現実にあった事実の可能性がかなり高いような気がします。

恐らくこの基本的ストーリーにToshyさんやkitunoさんが言われている内容が上書きされていったのではないでしょうか??
また、魔異夢さんが言われている桃を股にかけた説は解釈の多様性を示しているように思われます。
それにしても桃太郎の話がこれほど奥が深いとは思いもしませんでした。

ところで桃太郎がロムルスやオイディプス達のパターンとよく似ている事は最終的には桃太郎が王様になった可能性も否定できないような気がします。

アジアでこの話に特に似ていると言われているのが「ラーマーヤナ」にあるラーマの武勇伝です。
ヴィシュヌ神の化身のラーマ王子が魔王ラーヴァナを滅ぼす物語には猿や熊の軍隊が付いているのです。
更にはガルーダも援軍になっています。
勿論ラーマーヤナは中国や朝鮮にも伝わっています^^



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週刊ポスト 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 2日(土)01時12分52秒

の書評欄に文春文庫の「漢字と日本人」(高島俊男先生著)が載っていました。
私も週刊ポストにあるようにタイトルに惹かれて(笑)先日本屋さんへ行った時にこの本を手に取ってみました。
実際は八段飛ばし読み(笑)程度をしただけなのですが、確かに面白い内容だと思いました。

この先生本を読んでスカッとするところは「漢字を無闇に有り難がる奴はバカだ」と明確なメッセージを伝えてくれているところです^^
特に私のように文盲に近い者にとってはこの言葉は心強く感じられました、自爆かな^^;;

日本語に同音異義語が多すぎるという事は言語として健全な姿ではない、という先生の意見にはなるほどと思いました。
これだけでもこの先生の本に接する事が出来た喜びを感じます。

私は漢字をありがたいと思う気持ちの深層は「科挙試験」を「耳づてに」聞いたところから来ているような気がしています。

舶来物に対する無批判主義は英語崇拝にも繋がるところがあるのではないでしょうか??
ひいては「真理は海を越えてやって来る」と巨大化してしまうという先生の結論はとても納得が行くものだと思いました。

先生の言われたこの呪縛から離れれない人は現代にも数多く存在すると思います。
それが「社会主義共和国連邦」「人民共和国」などの言葉に勝手に幻想を抱いてしまうという弱点となって現れてくるように思います。

更には情報の伝達があったという結果だけから判断して物理的移動能力を無視した結論に持っていこうとする人なども見かけます。
時間的スパンや人的移動の物理的限界を無視して虚構を構築する事は完璧なトンデモに陥っていしまうと思っています。

この人たちの論理に従えば明治維新後の社会はヨーロッパ人によってこの日本が支配されたという結論になるのでしょうか??笑
勿論、現代人の私たちも「新弥生人」として江戸時代までの日本人とは人種が別物であると強弁するものと変わりがないように思ってしまいます。



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いや否定したのではなく 投稿者:Toshy  投稿日: 2月 1日(金)15時48分23秒

おそらく安部さんが書いた吉備の伝説に、わしの書いたような設定が付随していき、
室町時代のものになったといいたかったわけですが。

柳田国男の「遠野物語」は、たしかに明るい。
佐々木喜善という人の「遠野物語」に出てくる妖怪は、恐ろしい姿をしています。

http://homepage2.nifty.com/snowwolf/index.htm



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原罪と女性恐怖 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月 1日(金)14時42分15秒

 このキリスト教がヨーロッパへ行ったとき、変なことが起こります。
 ユダヤ人にとって「原罪」はモーセ殺害のことで、ユダヤ人は自覚してはいないが、自分が「GOD=モーセ」を殺害した罪の意識にさいなまれているので原罪は理解できるのですが、気楽なローマ人やがリア人やゲルマン人には、自分たちが生まれながらに深刻な罪を負っているというコンプレックスはとうてい理解不能でした。
 キリスト教がひろまるにつれて、ヨーロッパ人は原罪という理解不能な足枷に苦しみます。その結果カトリックの教父たちが下した結論は「原罪とはSEXを通じて人間が生まれることである」という恐るべき物でした。
 人間(この場合男のこと)は元々罪を持っていないが、女が性的魅力によって男を誘惑し、GODとは無縁の快楽であるSEXをするように我々を仕向けて我々に罪を負わせる。女こそが罪の元凶である。このようなとんでもない女性恐怖をカトリック神学は生み出してしまいます。
 ヨーロッパにおいては、女性が女性らしく娘として妻として母としてかいがいしく生きることが、性的魅力によって男を罪に陥れることとなってしまいました。ヨーロッパの女性は女性らしく生きることを強要されながら、そのことを罪とされるという、人間性を無視した存在にされたのです。
 FASCINATION,CHARMING,GLOMOUR,ATTRACTING女性の魅力を表現する言葉はすべて元々は魔女が男性を誘惑して罪に陥れたあげく虚勢してしまう魔術を表す言葉でした。
 この女性恐怖のコンプレックスは宗教改革によってむしろ増幅されます。
 この裏返しとして、処女をやたらと神聖視して、あがめおそれる思想が蔓延します。
 女性が男性の中に入って罪を振りまかないためには、女性は処女であらねばならなくなり、あまり体の線を出さない服装にするとか、職業の呼び方を「〜パーソン」にしろとか言う現象はその名残です。、
 処女の体型というのが、毛が生えていない、やせていて女性的な体つきをしていないなどですが、中世の聖女の中には明らかに摂食障害によってこの体型を保とうとした人物が何人もいます。少なくともヨーロッパアメリカにおいては拒食症は、社会の処女信仰による物でした。
 戦後のフリーセックスなどの現象はそのたががはずれた結果で、極端に女性を怖がるところから、極端に性を解放するところへ飛び移ったわけで、分裂的です。
 アメリカのテレビやら映画の中の女性がやたらと「性的魅力を振りまくことは悪ではないのだ」と力説しますが、それは性的魅力を「摘み」として排撃する考えが頑として存在しているので、それに対して自分らしく生きるためにそれを主張し続けなければならないからです。
 昔から女性にかなり権利が認められている日本人がそれにやたらと感心したり、あこがれたりする必要はないと私は思っています。



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モーセと一神教と怨霊説 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月 1日(金)14時41分05秒

 では「旧約聖書」という壮大な物語が隠したかったことは何か、これはフロイトが最晩年に書いた3つの論文(「モーセ一人のエジプト人」「もしもモーセが一人のエジプト人であったとするならば」「モーセ、彼の民族、一神教」)に書いてあります。「隠されたファラオ」などの最近のモーセ論は半世紀前に書かれたフロイトの著作の焼き直しにすぎません。
 「旧約聖書」が隠したかったのは
(1)モーセは生粋のエジプト人であった
(2)ユダヤ人の一神教の起源はアクエンアテン王の宗教改革の時に生まれたアテン信仰である
(3)ユダヤ人という民族は5千年前には存在せず、モーセが連れ出したエジプト人たちとシナイの遊民が合体してできた人工的な民族である
(4)モーセはあまりに厳しい戒律を出エジプトの民に科したために、彼らによって殺害された

 モーセという名は、エジプト語の「〜の子供」を意味する言葉であり、モーセはトトメスとか言う名前のエジプト人であったろう、というのはほとんど定説になっています。
 モーセの生きた時代に、アメンヘテプ4世は、突然宗教改革を始めて、多神教を廃して、アテン神の一神教を信仰することをエジプトに強要しました。この一神教は、これより前にオンの神官学校で研究されていたらしく、エジプトがエジプトの外にも出てヌビアやシリアまで手中にしたこの時代に、他民族を束ねる思想として王は採用したと考えられます。
 モーセはその熱心な信者であり、王が死んだ後、その一神教が破壊されるのに耐えられず、自分の部下とエジプトで働いていた遊民を引き連れてシナイ半島へ脱出した。その際に選び出した人々に一神教の神との契約を命じた。
 そもそも神というのは、日本の神ように、一つの民族や土地にずっと昔から着いてまわる物であって、ある時代のある場所に突然現れて、特定の民族を選ぶなどと言うことは、後にも先にもモーセの出エジプトの時にしか存在しません。
 ことの真実は、モーセという個人が、後にユダヤ人となる人々を「選び」彼らに新しい戒律を強要したのです。
 モーセがエジプト人であったことを示唆する材料はほかにもあり、「出エジプト記」ではモーセはどもりで弟に自分の言葉を聞き取ってもらって、弟を通してユダヤ人と話をしたことになっていますが、これは彼がユダヤ人の言葉を解することができずに、通訳を使っていた可能性を示唆します。
 しかしこの新しい宗教に彼らはなじめず、「出エジプト記」では彼らとモーセの間に何度も衝突があったことが書かれています。そして結局彼らは厳しい戒律を科するモーセを殺して、彼の戒律を破棄したと考えられます。
 このことを「旧約聖書」はどのように隠蔽しているかというと、ユダヤ人たちの態度に憤激したモーセが石版をぶちこわす場面があるのですが、実はぶちこわしたのはモーセではなくてユダヤ人自身であって、モーセにその罪をなすりつけていると考えられます。モーセはその罪によって、約束の地パレスチナに着く前に死ぬだろうGODから言われてしまい、事実そうなるのですが、これはユダヤ人がモーセ殺害の罪をGODに着せていると考えられます。
 「旧約聖書」のGODは怒りっぽくて、妬みやすく、人をすぐに罰する性格を持っていますが、これはGODの性格と言うよりはむしろモーセの個人的資質をユダヤ人が神に投影したと考えられます。
 ユダヤ人はその後、シナイの遊民へブル人と合体したり、建国した後バビロニアに滅ぼされて復活して、などと何度も民族存亡の危機に立ちながら、復活するという経験を経るに従って「我々は何者かに守られているのではないか?」という思いを強くして、モーセの宗教に帰っていきます。
 しかし、なぜユダヤ人があれほど神を恐れてその戒律を偏執的にまで守ろうとするのか?ユダヤ人はそれが信仰だ、といいますが真実はそうではないだろうとフロイトは言います。
 ユダヤ人は殺害したモーセの復讐をおそれていて、そのために彼が作った戒律を一字一句守っている。そのことによって、モーセに許しをこっているのではないかとフロイトは言います。
 そして民族の起源モーセ殺害の事実=すなわち原罪!を隠蔽するために作られたのが「旧約聖書」であるのです。

 気づきましたか、これはまさしく「怨霊説」なのです。
 順番は逆で、私は梅原猛先生がまずフロイトのこの論文を読んで、それを日本に適用してみたのが梅原怨霊説ではないかと考えています。



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モーセと一神教と怨霊説(1) 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月 1日(金)14時40分17秒

 人間は合理化を求める生物であり、どんなに否定したい苦しみであっても完全に忘れることはできず、なんらかの物語を作って自分の心をだましだまし現実に適応させていかなければ生きていけない生物だというのは、多くの心理学者が指摘するところです。
 つまり物語がそこにあるとき、登場人物、舞台、時代、などのディテールはおそらく真実なのです。しかし登場人物の間の関連性に作為が加えられていて、一見もっともらしいけれども、都合のよい嘘が出来上がっているのです。
 物語はできるだけほんとらしくなければなりません、なぜならばそうしないと自分の心をだますことができないからです。
 これらのことは個人や家族だけでなく、もっと大きい集団、民族にも当てはまります。
 そもそも民族にしろ、会社にしろ、人間が作る集団である以上、その集団の構造は個人の心と同じ構造を持たざるを得ないし、それ以外の物を人間は作ることは不可能です。
 民族が壮大な物語を作るとき、その物語の九割九分は真実なのでしょうが、その真実らしい物語は、残りの一分を覆い隠すために作られると言っても過言ではないでしょう。

 物語(歴史書も)何か隠したいことがあるから書かれるのです。



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過去ログをたどって熟読しました^^ 投稿者:魔異夢  投稿日: 2月 1日(金)14時03分34秒

なるほどーーー芥川から、環日本海航路にまではなしはおよび・・・そうして、桃太郎伝説。
私は高齢出産の女性が当時恥ずかしくて、桃の中に入って流れてきたのだと話した。つまり、桃=腿と思っていました^^;;そうかーーーいろいろな伝説があるのですね。桃太郎伝説にも興味がわいてきました。私が興味関心を持っていたのは、浦島伝説かな。あの時間の感覚が、SFっぽくて、当時の人々想像力というか、すごいなーーーと感嘆したことです。

それから、輪島には鬼の仮面をつけて太鼓を叩きながら、敵を追い払う「ごじんじょ太鼓」(感じが危ういので表記できない^^;;)だとか、七つ島だとか、祭りの山車「きりこ」だとか、七つ島だとか、まあ、古代の風はたくさん吹いていますよん^^v

しかしなーー地元にいながら、あんまよくわかっていない私でした。ちゃん、ちゃん。

http://www3.nsknet.or.jp/~maimu/



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桃から離れてください 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月 1日(金)13時12分03秒

風水とか道教以前に、「高貴な子供が父親に捨てられて、川の上流から流れてきて、それを動物かあるいは下賎なものが拾って育てて、やがて長じるに到ってから、父親を打倒して英雄となる」と言うモチーフは世界中に非常に古くから存在するのです。

桃太郎は少し歪んでいますが、このモチーフに当てはまるのです。
ですから、先ず「プレ・桃太郎」とも言うべき物語が存在して、それに天孫の神様を優位とする考えや、中国の風水が後からこじつけられて、「桃太郎」の形になったと私は言っているのです。

「プレ・桃太郎」においては、恐らく桃太郎は桃に乗っては川の上流から流れてこなかった事も十分考えられます。小船か笹の葉にでも乗って流れてきたのかもしれない。

大事なのは
(1)桃太郎は川の上流から流れてきた
(2)桃太郎は貧しい夫婦に育てられた
(3)桃太郎は動物を従えていた
(4)桃太郎は大きくなってから鬼を倒した

と言うことで、桃に乗って流れてきた事と動物と方角のつながりなどは、後からのこじつけに過ぎない。

モチーフから考えていくと、桃太郎の親は鬼であり、多分「プレ・桃太郎」が出来た頃は、鬼はまだ鬼ではなくて、土着の神様か豪族だったはずなんです。

吉備に残っている吉備津彦の伝説では、吉備津彦はべつに桃に乗って流れてこないし、鬼も最初は山にすんでいるんです。ですから、元々あった「プレ・桃太郎」を吉備津彦がのっとってしまったと考えられるのです。



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渤海使節 投稿者:太田守人  投稿日: 2月 1日(金)12時48分47秒

きんたろうさんのご意見に異議を唱えるようですが、私は、渤海に使節は日本海を横断していたように思います。
1.日本海が荒れるのは、冬季でその他の季節は、結構鏡のようなことが多いこと。
2.敦賀に敦賀客院という、渤海専用の迎賓施設を設けていたこと。
特に、朝鮮半島経由で日本に来ていたとすれば、敦賀客院なんて施設を設けず、大宰府を利用できたように思います。
人指し指と中指の角度は、平均5度で六分儀が発明される前は、これを使い、北極星との角度をはかる、簡単な天文航法があったそうです。古代人は、特に自然との付き合いは、現代人以上でしょうから、このようなことも知っていたと思います。
能登半島から、ロシアのウラジオストックまでは1000km弱ですので、横断も無理ではないように思います。



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ついでついでに^^; 投稿者:kituno_i  投稿日: 2月 1日(金)11時43分59秒

宣伝です。
kitunoのYahooトピックに「聖徳太子と物部氏(1)〜(6)」を掲載しました。
『記紀』からkitunoなりに考察したものです。

物部氏と聖徳太子の関係を述べるためには、どうしても古代からの物部氏と天皇家の
関わりを説明しなくてはなりません。
そのため少し長い文章になってしまったのですが、興味のある方はおつき合い下さい。^^;

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=l&board=1835208&tid=c0bbfabc0bbra1a2bfa5edbfaed9a4knxa47a4fa4a4a4dea49a1a3&sid=1835208&mid=3175



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ついでに桃太郎 投稿者:kituno_i  投稿日: 2月 1日(金)11時38分53秒

桃太郎の伝説は「風水」からできています。

恥ずかしい話なのですが、私はつい最近まで「何故鬼に角が生えていて、トラの毛皮の
パンツをはいているのか」知りませんでした。^^;
高島暦などを見るとわかるのですが、「風水」でいう鬼門の方角が「丑寅の方角」に
あたるのです。だから、鬼には丑のような角が生えていて、寅の毛皮のパンツをはい
ているのだそうです。

それから何故「鬼退治」に「桃」なのか?
「桃」は昔から薬草として知られています。「桃の葉」は皮膚病の薬、よく漢方薬に
処方されている「桃仁(とうにん)」は桃の種から作る鎮咳・鎮痛の薬です。
飛鳥池遺跡の周辺からは、桃の種も発掘されました。
苑池周辺には、「薬効のある植物園」があり、桃・梨などが植えられていたことが
橿原考古学研究所の調査によりわかっています。

古代、病気などは全て「鬼の仕業」と思われてきたのではないでしょうか?
このため、鬼退治には「桃太郎」が登場するのです。

では、付き人は何故「犬・猿・雉」なのか?
これも「風水」の方角を見れば一目瞭然。
「鬼門」のほぼ反対方向が「犬・猿・酉」だからなのです。
実によくできている昔話ですよね。

旧約聖書もモ−ゼの話。
実は私も投稿しようと思っていました。^^
安部さんに先を越されちゃった。^^;

安部さんの桃太郎解釈、とても面白いと思って読ませてもらいました。^^



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安部さんの 投稿者:kituno_i  投稿日: 2月 1日(金)11時19分41秒

「尊王思想の研究」ときんたろうさんの「藤原氏の秘密6」を読みにきました。
安部さんの「尊王思想の研究」は15から読んでいませんでした。(ごめんね。^^;)
一度プリントアウトしてkitunoなりに読み下さないとなかなか理解できない分野でも
あるので、まずは印刷しました。^^;
プリンタ−が時々ストライキをしまうので、印刷に1時間半もかかってしまいました。

そろそろ買い変え時期のようです。
どんなプリンタ−がいいかな〜?

きんたろうさんの「藤原氏の秘密6」に書かれていることは、私も以前調べたことが
あるので、とても納得しながら読むことができました。
私が住んでいる近くに「小原」という所があります。
そこが「イバラキ」の名前の由来である、という説もあります。

実際、そこには面白い伝承の神社があるのです。
「星の香々背男」を祀ってある神社とか!!



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