過去ログ149(2002年〜2月19日)


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茨城弁講座^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月19日(火)22時14分38秒

☆「あそこの会社のキムタクに似ている英語をしゃべる色男は、誰ですか?」
「あたしの彼氏だろうよ。」

☆「あすこの会社のキムタクに似くさいい−ごをしゃべるえろ男は、誰げ?」
「あだしのカレシー♂だっぺよ。」

この変換は「ぱんださん」が作られた茨城弁翻訳講座というフリーソフトの例文から拝借しましたv(^o^)

このソフトをダウンロードして茨城弁の達人になってみて下さい^^
下記のページからダイレクトにダウンロードできます。

http://www.vector.co.jp/soft/win95/amuse/se161550.html

ぱんださんのHPはこちらです^^
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/8555/game/p3.htm



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ハリポタ4巻 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月19日(火)21時05分24秒

は600ページ以上です。

>読み終わるまで(寝ないで読みつづけ:わら)約5日半かかるという計算で
Toshyさん
私の場合だと1日に翻訳できるのが10ページと仮定すると稼働日で60日も必要になります^^;;
実際は1ヶ月当たりの稼働日は20日くらいのはず(笑)ですから、たっぷり3ヶ月はかかると思います。
翻訳本の発売日くらいまでには何とか頑張りたいと思っています、自爆(;^_^A)

ペギラさんのところではどのくらいまで読み終えたのですか??^^
24時間以内に発送するとあったのに惹かれて私はアマゾン・ドット・コムで注文しました。
多分明日には届くように思っています。
ちなみにセブンイレブンのeブックでは発送まで3日から2週間とありましたよ。

>親ばかはあちらこちらを走り回る回る(笑)
さすがに良いお父さんをしていますねv(^o^)



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高坂さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月19日(火)21時04分26秒

詳しい説明を有り難うございました^^
大坂JF生さん、お久しぶりです^^

データをバックアップするのとは違って音楽の場合は低速で書き込むようにした方がいいとよく分かりましたv(^o^)

ちなみに私の持っているCDR/RWはメルコ製です。
実はエクスプローラーのようにCDRに書き込む事が出来るパケットライトというライティング・ソフトを使ってHDDのバックアップを取っていた(つもりになっていた、笑)のですが、このソフトは特殊なので普通のCDでは読めない事が最近分かったのです。
これだとバックアップの意味が無いですよね自爆^^;;

それで一般的に読むことが出来る形式でバックアップを取りました。
ちなみに書き込みソフトはWINCDRです。
このマニュアルを読んでいると音楽も録音できるとありましたのでやってみることにしたのです。

USBタイプのCDRWなのに12倍速の設定は限界を超えていたのかもしれません。
それにしてもUSBで12倍速なんて本当に可能なのでしょうか、笑

録音が終わった後174回エラーを修正しましたというメッセージを確かに見ました(;^_^A)



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ハリポタ4巻 投稿者:ペギラ  投稿日: 2月19日(火)16時11分58秒

この本を探すのが、結構大変でした。

あちこち大きめの本屋を回ってみても、どこにも無い状態。
これは一体どうなっているんだ!と叫びながら、
親ばかはあちらこちらを走り回る回る(笑)
そしてついに見つけたのはわがまま娘本人でして、
名古屋でも指折りの専門書の多い本屋でした。

今、注文するといつごろ手に入るのですか>きんたろうさん



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怪談 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月19日(火)14時34分49秒

そんな話も投稿しましたね。
大丈夫、これから怖い話はすべて安部さんの掲示板に書き込むようにしますから(わら

きんたろうさん>
まだ英語になれていない高校時代、英語の雑誌を5ページ読むのに1時間かかったという記憶があります。よって、
663÷5=134.6時間=
読み終わるまで(寝ないで読みつづけ:わら)約5日半かかるという計算で。



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またまたお久です。 投稿者:大阪JF生  投稿日: 2月19日(火)09時13分42秒

きんたろう様、皆様、お久しぶりです。
CD-Rの話が出ていましたので、いっちょかみます。

 1昨年夏、LPの愛憎版をビシバシCDに落として、
アナログ版と泣く泣く別れた小生ですが、
そのときにかなり入れ込んで調べました。
もう知識は古いかもしれませんが、一言ご参考までに。
 高坂様ご指摘のように、CD-Rメディアによってもかなり差があるようです。
コンピュータのデータを焼いても、初期の頃は他で読めないような
粗悪品も確かにあったようです。
小生はその頃から、比較的安定していた太陽誘電の製品を
使い続けていますが、使い出してからはご指摘のようなトラブルは
いまのところ一度もありませんでした。
(音楽CD、MP3、データディスクすべてにおいてです。)
ただ、確かにCDプレーヤーのビットレートが高すぎて
何かトラぶっている可能性もあるかもしれません。
(ごめんなさい。安物しか聞いたことがないので)

 当時はもっとシビアなCD-Rの比較研究がいろんなHP上であったのですが、
今見てみると

http://www.geocities.co.jp/SiliconValley/3728/

程度しか残っていないので、驚きました。
またジッターエラーといわれるようなエラー等発生していませんか?
他のCD-ROMやハードディスクとの読みこみのタイミングが狂っても
書き込みエラーが良く発生します。
小生の経験では、(小生のマシンの)CD-ROMドライブの読み込み速度が結構遅く、
コピーではよくエラーが発生するので、時間はかかりますが、
いつもWAVファイルにしてから書き込むようにしています。
(それは、ちょっと手を入れたり、選曲したり、またMP3等に
落としたりする必要からですが・・)
あんまり参考にならなかったかもしれませんが、メディアは
いいものを使われたほうが良いと思います(必ずしも高くないです)。
それではまたお邪魔します。



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CD 投稿者:高坂英吾  投稿日: 2月18日(月)22時35分24秒

CDにはいくつもの規格があるので、オーディオを書き込んだCDがオーディオCDとして機能するのか、もう一度説明書をチェックしてみることをお薦めします。

書き込んだCD-Rでだけ聴けるものもありますし、CD-RWはオーディオ機器では聴けません。
また、正常に曲を書き込んでも、ファイナライズしない限り曲を追加書き込み出来ますが、オーディオでは聴けるようにならないので、注意が必要です。

雑音の可能性ですが、CDのキズは雑音にならず、読み込みエラーになると思います。
音が割れているようであれば、借りてきたCDからデータを読むソフト、または設定に問題がある可能性が強いです。

書き込むレーザーの強さによっては、正常に書き込んでも、CDを読めないプレイヤー、読めたり読めなかったりするプレイヤー等、様々あるようです。
それから、私は音楽CD制作に限っては、高速モードは使わず1倍でやっています。

結局のところ、どこに問題があるかを特定するのはかなり難しく、再度(時間をかけて)マニュアルを読むしかないかもしれませんね。
パソコン関連って、使いこなせるようになれば、とても便利だし簡単に感じますが、そこに到達するまでは、物凄いエネルギーを要しますよね。(^_^;



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びっくりした^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月18日(月)21時54分30秒



そう言えば昨晩の丑三つ時に歯磨きをしていたら背筋がぞくっとしましたよ^^;;
鏡の向こう側で何かが動いたような錯覚に襲われました。
ガタという幻聴もありました、笑
(嘘ですよ)

ところでついにハリポタ4巻を注文してしまいました。
果たしてへんてこりんな単語に溢れている英語ばかりを633ページも読めるのかどうか??自爆(^^ゞ



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どうしてくれる! 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月18日(月)19時57分45秒

なんとなしに、掲示板の去年の過去ログを読んでいたら怪談話が・・・

これから夜道を帰るのに。怖くなってしまった。

ロトさん、Toshyさん、恨みますよ。



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Slashdogさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月18日(月)18時15分04秒

久しぶりですね(^o^)

雑音の原因の可能性について考えてみました、笑
1.借りてきたCDに傷が付いていた??
試聴していないので何とも言えないです^^;;
2.録音したCDに傷が付いていた??
3.CDR/RWの能力が低いため??
4.CDプレーヤーの再生能力が低い、若しくは高すぎるから??
ちなみに今まで雑音を感じたことはありません(^o^)
5.録音するときに高倍速でしたため??

ちょっと考えてみるとこのくらい怪しいところがありました^^;;
音楽をダビングするときは面倒でもソースの音を確認する必要がある事を痛感しました。
エラーが出ないような対策としては低速で録音するくらいですよね。

>イタリアのカンツォーネ、フランスのシャンソンまでやっているくらいです。
なるほど^^
Toshyさんの書き込みを読んでこの人はかなり優秀な人だと分かりました。



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いや 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月18日(月)13時47分38秒

フリオ・イグレシアスはスペイン人です。
でもこの人、ラテンの音楽をそれぞれの言語で歌う人なのですよ。
イタリアのカンツォーネ、フランスのシャンソンまでやっているくらいです。
ともあれ、「アブラサメ」はポルトガル語の歌です。



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CDの雑音 投稿者:Slashdog  投稿日: 2月18日(月)00時15分32秒

CD−Rにコ○ーしたっていうことですよね?
基本的にホームオーディオやカーオーディオには
対応していないのでいろいろ不具合が発生します。

CD−Rとオーディオとの相性もあります。
エラーで再生しないとか、最悪イジェクトしないとか
問題ありますので出来る事なら使用しないほうが
いいかもしれません^^

全然、問題ない場合もあるのですが「その差」がどこに有るのかは
ハッキリしません^_^; メーカー側もはっきり言いませんし(笑

そのCDプレーヤーで市販のCDを聴いた時、雑音が入るようなら
コードに問題あるかもしれませんね。



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徳川時代 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月17日(日)23時39分34秒

が良かったのか悪かったのかは各人の価値基準によるところが大きいと思いますが、いずれにしても徳川時代の鎖国が現代の私達に影響をまだ与えている事は間違いがないと思います。

250年間の安定と200年間の鎖国は日本列島に暮らす人達の資質をそれ以前と比べて大きく変えてしまったかも知れないと思えます。

イフの話をするときにはこのような現実の歴史ではない道を辿ったとすればどんな世界があったのだろうと思ったりするわけですよね^^

もし鎖国が行われずにいたのなら「島国根性」という言葉は存在しなかったように思っています^^;;
もう少し現代のようになるのが早く訪れた様な気もしますが逆に自己責任がはっきりとする社会になっていたのかもしれません。

徳川時代はゼロサム社会でしたから現代人の感覚からすると理解できない部分が多くあるように思っています。
限られた空間で日本人が食べていくには新たに耕地を開墾するしか方策はありませんでした。
250年間に1000万人の人口増はそれだけ食糧供給量が増加したものだと考えていいと思います。

勿論日本列島は長いですから同じ年でも豊作の地域があったり凶作だったりしたところが同時に存在した年は何度もあったと思います。
また、保存期間が短い野菜の場合などはいくら豊作でも遠方への輸送は不可能です。
これは生鮮食料品は全て言えますよね。

ですから現実的にはこのような状態が起こることによってもう少し(と言うか、かなり)複雑になりますがモデルとして掴む分には問題はないと思っています。

>この藩政の硬直化と徳川家に対する恥も外聞もないすりよりです
太田さんが言われるこの点は加賀藩だけに見られたものではないのではないでしょうか??
藩政の硬直は鎖国体制によるあの環境ではむしろ必然だと言える様な気がします。

明治維新が成功したのは、幕藩体制が潰れて新しい体制になれば全国の大名達が抱えていた借金が棒引きされるからだと判断したところが多かったからなのかもしれない、と思いました、笑
つまり明治維新は巨大な徳政令だったという訳です。



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レコンキスタ 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月17日(日)23時36分05秒

を確認してみました。

732年のツール・ポアチエ間の戦いから始まったと仮定して1492年のグラナダ陥落までの760年間もの長期間にわたる異教徒同士の戦いだったのですね。
実際はツール・ポアチエ間の戦いよりも前からアッバース朝や後ウマイヤ朝の領土獲得戦争は始まっていたものと思われますから、更に長期にわたる異教徒間の確執だったというわけですね。

これだけ長期間にわたる戦国時代とはすごすぎて逆にイメージが湧いてきません^^;;

それにしてもレコンキスタを完了したと同時にスペインやポルトガルがアメリカ大陸で異文明を滅ぼしてしまったのは「狂気」の延長だったような気がします。

Toshyさん、フリオ・イグレシアスはポルトガル人だったのですか??
てっきりスペイン人だとばかり思っていました(^^ゞ



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下書き 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月17日(日)16時39分49秒

藤原鎌足(614〜669)
大化改新とその後の改新政治の中心人物であり藤原氏の祖。
中臣連御食子(なかとみのむらじみけこ)の長子であり母は大伴夫人。

鎌足は大和国高市都の生まれであり藤原の姓はその居所にちなんで賜ったと考えられていますが、常陸出身説もあります^^;;
幼時から学を好み書伝を読み、特に兵家権謀の書「太公六諮」を反復熟読したと伝えられています。
また彼が師事した僧旻(びん)はかなり高い望みを持ったといわれています。

これらの内容は鎌足の功を顕彰しようという意図の強い「大織冠伝」に記すところによるものですから細部まで信用すべき性質のものではありません。
しかし、鎌足が天性聡明で武略や術数に長けた人物であったことは確かのようです。

鎌足が青・少年の頃は蘇我蝦夷・入鹿父子の全盛期に当たります。
中臣氏は神事祭祀を司る家柄と伝えられます。
仏教の伝来した当時の中臣氏の長、勝海は物部守屋と結んで仏教を排斥しました。
そして乱を起こして殺されたと伝えています。

日本書紀のこの記事は仏教伝来に関する事と、物部・中臣らの諸氏と蘇我氏との対立抗争に関する内容が混交して出来たような感じがします。
蘇我氏は帰化人たちを受け入れる大手窓口として彼らの技術力などを背景としたために仏教などの外来文化を受用したように思っています。
そして政治的な権力を振るうに至った蘇我氏に物部、中臣氏らは圧伏されました。

勝海と鎌足との続柄は実は不明です。
しかし全盛を誇った蘇我氏に対して鎌足が快く思わない政治的な立場にいたことは確かです。

鎌足は隋・唐に留学してきた僧や南淵請安などに師事して彼地の進んだ文物制度を知りました。
彼もまた新しい知識を吸収して国政の改革を思うに至ったようです。

まず軽皇子(かるのみこ=孝徳天皇)と親交を結び、次に皇族のうちで最も有能な??中大兄皇子に近づき密かに蘇我氏打倒の計画と国政改革の計画を進めました。
645年(皇極天皇4年6月)鎌足らの立てた周密な計画によって入鹿は暗殺され蘇我氏は滅亡しました。

蘇我氏を滅ぼした理由としては中臣氏の恨みを晴らそうとする心持ちは無論あったであろうと推測されます。
しかし、その後の国政改革の計画が極めて速やかに進められているところや、改革の内容が極めて画期的な性質を持ったものであったところからみると、鎌足らの蘇我氏打倒の計画は国政を改めようとする意図の元に打ち立てられたものと判断出来るように思っています。

この改革がいわゆる大化改新であって大陸の制度を日本に移し植え、その後日本吉代社会の基礎構造を形づくる事になんのです。

蘇我氏の滅んだ後、皇極天皇は中大兄皇子に位を譲ろうとしましたが鎌足は皇子に勧めて軽皇子を位につけました。
中大兄皇子白身は皇太子となって実際の改革を推進したのです。
鎌足自身も左・右大臣にはならずに内臣となって中大兄を補佐しました。
鎌足は政界の表面には出ませんでしたが改新以後の政治の実権は中大兄と鎌足に握られていました。

654年に大紫冠を授けられ封戸を増されました。
斉明天皇が死に中大兄皇子(=天智天皇)が即位してからも内臣として天皇の腹心となり皇室内の分裂を防ぎました。
近江令の制定を総覧するなど改新政治を推しすすめることに全生を捧げたと言っても過言ではないように思います。

669年天智天皇自ら病床を見舞い、次に皇弟大海皇子(=後の天武天皇)を使わして大織冠を授けて内大臣に任じました。
そして藤原の姓を賜ったのです。



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失敗(;^_^A 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月17日(日)11時00分28秒

ネスケ最大の欠点とは起動の時間がかかり過ぎる事だろうと思っています。
それに輪をかけて時間を取る原因になっていたネットいばらきのメールアカウントを削除してみました。
何故かといえばメーラーを立ち上げる度に存在しなくなったアカウントを毎回読みに行くわけです。

ところが、アカウントの削除をした途端にこれの下にあった全てのフォルダまでも無くなってしまいました。(泣)



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tea_cupに掲示板を作りました 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月17日(日)00時33分18秒

http://8517.teacup.com/compose_green/bbs

テーマは山本七平さんです。でも最初のうちはなかなか山本七平ファンは来ないでしょうから、好きなことを書きこんでください。少しずつ集まったメンバーでやろうと思っています。



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安部さんの 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月17日(日)00時32分21秒

掲示板が新しく出来ました。

トップページから飛ぶことが出来ます。
是非遊びに行って下さいねv(^o^)



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CDプレーヤーで 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月16日(土)22時55分52秒

録音した音楽を聞いてみるとかなりひどい雑音が入っていました。
パソコンやカーオーディオでは分からないのですが、CDプレーヤーだとはっきり聞こえるのは何故なのでしょうか??
これならテープに録音した方がずっとマシだったように思いました(;^_^A

それにしてもソフトやハードの梱包を解いて、マニュアルを読みながらドライバをインストールをいくつかするとあっという間に部屋中が空き箱やビニール袋で溢れてしまいますよね、笑



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初めて 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月16日(土)15時22分27秒

音楽CDをダビングしてみました。
今は全てオートラン機能が付いていますからマニュアル通りの順番で事を進めないとダメなんですね^^;;

初めてやることは慣れていないのでずいぶん時間がかかってしまいました。
その上よく分からないのですがディバイスがないと何度か表示されてしまいました??

ちょっと遊んでみようと思って始めただけなのですが...思いっきり疲れてしまいました、自爆(;^_^A



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スペイン語とイタリア語 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月16日(土)11時12分12秒

発音ですが、スペイン語とイタリア語は近いように思いました。
母音をはっきりと読むところです。
でも会話はスペイン−ポルトガルよりも難しいでしょう。
ポルトガル語の鼻音やRの発音などは、フランス語を思わせるところがあります。
スペインとイタリアは会話に多少なりますし、スペインとポルトガルも通じる。
でもイタリアとポルトガルはおそらく通じないでしょう。。。。



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受け狙いです(^^) 投稿者:大三元  投稿日: 2月15日(金)22時37分33秒

>でもまさかハリー・ポッターまで守備範囲に入っているとは思いませんでしたよ^^;;



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幕末の 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月15日(金)19時06分10秒

時代の水戸藩は散々な出来事ばかりが起こりました。

加賀藩は主導的立場を取り損ねましたが、水戸藩のように藩を二つに割って同士討ちをしたわけではないのですからまだいいように思っています。
茨城の優秀な人材はあの内乱でほとんど絶滅してしまったのではないかとさえ思えるくらいです。

たしか天狗党の落ち武者達が捕まったのは前田領内だったのではないでしょうか??
彼らは最後の望みを慶喜に託して京都へと向かったのですが...
慶喜は何の力になってくれなかったようです。

確かに大局的に見れば慶喜の判断は正しいと思います。
でももう少し「情」があっても(示しても)ばちは当たらないと思うのです。
この対応から「貴人の血は冷たい」と言われるようになったのだと思っています。



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Parselmouth 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月15日(金)19時01分24秒

大三元さん、有り難うございました。
さすがに大三元さんですね。

でもまさかハリー・ポッターまで守備範囲に入っているとは思いませんでしたよ^^;;

紹介していただいたページを見てきましたが「専門用語」がずいぶん多いですよね。
これでは翻訳本の発売を待っている方が賢明のような気がしてきました。



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イタリア語 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月15日(金)18時59分38秒

とスペイン語は耳で聞いた感じではちょっと違うような気がします。

基本的にはイタリア人の植民都市から発達したのがスペインだと思うのですがきっと古代イタリア語(=ラテン語)が現地の言葉と融合して変質を遂げたのがスペイン語なのではないでしょうか??

そう言えばどのようにしてラテン語からイタリア語へと変わっていったのでしょう??
古代ローマ帝国の崩壊によってラテン語への同化力が減退したせいなのでしょうか??
民族大移動に伴うゲルマン系のローマ帝国内への大量流入によって帝国そのものが変質を遂げてしまったという証拠なのでしょうか??

スペイン語とポルトガル語については標準語と関西弁くらいの差だと聞いたことがありますがこれらの言語について無知なのでこの比喩が正しいのかどうか判断できません^^;;



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スペイン語とポルトガル語 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月15日(金)15時35分20秒

うちの板で前に話題になっていましたが、俺はポルトガル人とスペイン人がそれぞれの言語で口論しているのを見たことがありました。スペイン語のほうしか出来ない俺ですが、ポルトガルでスペイン語を話しても多少は通じたものです。東北弁と九州弁くらいの差でしょう。
イタリア語は、字を見れば簡単な文章なら理解できます。
これにフランスを加え、ラテン語系4つの音楽が入っているCDを買って歌詞を見た時、一目では区別がつかなかったもので…ルーマニア語もラテン系ですが、こっちは見たことない。



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パーセルマウス 投稿者:大三元  投稿日: 2月15日(金)09時56分52秒

ここをご参照

http://www2.rosenet.ne.jp/~chatnoir/harry/terms/1_3_p.htm



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訂正^^;; 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月15日(金)09時23分14秒

mouseではなくmouthだと思います、ますます自爆かな(;^_^A



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おお^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月15日(金)00時58分27秒

面白い話題が続出していますね。
私はつい先ほどハリー・ポッターを3巻まで読み終えましたv(^o^)

剣と魔法のSFアドベンャー小説(でいいのですよね、笑)を読んだのは久しぶりでした。
読み始めると途中からストーリーに引き込まれていくのが確かによく分かりました。
ハリー・ポッターは大人が読んでも楽しめる小説だと思います。

何しろ4巻がまだ翻訳されていないのでペーパーバックを買って来ようと思い始めているくらいです。
でも英語力がぼろぼろになっているのではっきり言って読めるかどうか自信はありません、自爆^^;;

ところで「パーセルマウス」という単語が出てくるのですがご存じでしょうか??
「蛇語」を話せるという意味で使われているのですが辞書を引いても良く分かりませんでした。
スペルは多分「par cell mouse」だと思うのですが...??



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禁門の変の前夜は 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月15日(金)00時20分05秒

攘夷の勅許がでたり、薩摩藩がイギリスと交戦したり、長州藩が外国艦を砲撃したり、天狗党と天誅組が決起したり、大坂と江戸では大火が起き、京都では天誅が横行するなど、まさに革命前夜といった争乱の時期でした。

しかし、とりあえずは禁門の変の時までには長州藩の劣勢と尊王攘夷派の劣勢は決定的になっていました。この時期に長州藩に同情的な行動をするのははっきり言って自殺行為です。加賀藩はおそらく、将軍が何度も上洛したり勅許が頻繁に発せられるようになったので、高位の人物を一人京都において置かざるを得なくなって、前田寧慶を上洛させたのでしょう。(私は幕末の加賀藩のことは全く調べたこと我なりので推定です。)前田寧慶に科せられた任務は、京都でのおつきあいに出席することで、前田藩が京都でどう行動すべきかの判断は、多分若様に家老級の人物が付けられていたはずですから、その人の仕事でしょう。

さらに言えば、江戸時代も後になってくると家老というのもただの家柄だけの人物になりますから、その家老の下にいる人物が情報を集めて、判断を下して、家老に決裁を仰いで、藩主が家老に従うという風になるから、加賀藩が禁門の変で幕府に疑われるような行動をとったのだとしたら(あるいは取り越し苦労だったのかもしれませんが)それは、加賀藩の下っ端が悪い。

私の想像は、おそらく加賀藩は幕末になっても情報収集を怠っていたため、京都が風雲急を告げるようになってから急に藩主級の人物を京都において情報収集と朝廷の工作に乗り出したが、朝廷との窓口がなかったために、少数の跳ねっ返りの尊王攘夷派の藩士に頼らざるを得なくなった。しかし、彼らの持ってくる情報は著しく偏っている上に、朝廷を担いでばくふに攘夷を強要する方向に藩を持っていこうと陰謀していた。おそらく長州藩や土佐藩の志士に「うちは大藩だから、加賀藩が動けば日本が動く」くらいの大言壮語はしたと考えられます。

京都にやってきて右も左もわからない若様と家老たちは、このような藩士たちに振り回されて、禁門の変で変な行動をとってしまう。禁門の変の結果に驚いた本国は、京都の連中を呼び戻して、尊王攘夷派を粛正した。

多分そんなところだと思います。これは加賀藩以外の藩も例えば阿波の蜂須賀家とかも何処の藩もこのころは似たり寄ったりの行動をとって尊王攘夷派が粛正されていますから、そもそも薩長と土佐が活動しすぎで、加賀藩の方が日本の平均的な藩の姿だったと思います。



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天皇を引き取るといったって 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月14日(木)18時26分07秒

それは幕末に飛び交った空手形の一つに過ぎないでしょう。

長州藩のそのような誘いに乗ること自体、その藩主は認識が甘いといわざるをえません。おそらく志士の大言壮語にだまされたのでしょう。

まず禁門の変のときの長州藩の行動というのは、全く戦略を描いた行動で、ヒステリーとしか言いようがありません。あの時の長州藩に味方するのは、先見の明があったのではなく、志士の言葉のにだまされただけでしょう。

禁門の変の時点では、長州藩討伐の側に回るのが、藩を守る者として当然の行動です。禁門の変のときのその若様の行動は、その若様の有能さよりも、むしろ無能さを証明しているように私には思えます。



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前田の時代を評価しないのは 投稿者:太田守人  投稿日: 2月14日(木)17時36分47秒

>18世紀には停滞を招き、社会は硬直化してしまい、19世紀には加賀藩は大藩であったにもかかわらず、幕末の動乱では全く主体的な行動は取れなくなってしまいます。

私が、前田を評価しないのは、この藩政の硬直化と徳川家に対する恥も外聞もないすりよりです。ただ、安部さん、一応前田の幕末の動きに対して弁護させてください。私は、最後の藩主前田寧慶は、それなりに評価しています。彼は、お世継ぎの時、禁門の変に際し藩主名代として、京都へ行きます。この時、長州と密約を結び、長州を攻撃しないことともし長州が負けたら、天皇を加賀に引き取ることを約束します。そして、長州が負けたらさっさと兵を引きます。これに驚いたのが、藩主以下重役陣で、若君ご乱心ということで、寧慶を謹慎させ、松平民部以下の尊王思想を持っている藩士を全員粛清します。もし、この時寧慶が天皇を引き取っていたらと思います。
金沢市に野田山というところがありますが、ここは、山が全て藩政時代からの墓所で、藩主は頂上、その下に家老という風に葬ってあります。金沢では、死後も身分制は崩れず、藩主に奉仕するようになっています。



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ますます行きたくなった 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月14日(木)15時37分59秒

スペイン語かポルトガル語を勉強して絶対行くぞ!

そういえばスペイン語とポルトガル語とイタリア語がほとんどおんなじというのは本当なのですか?



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ピレネーの向こうはアフリカ 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月14日(木)15時25分25秒

これはナポレオンの言葉ですよね(彼よりも前に言った人がいたかもしれないけれど)
ナポレオンは、ロシア平原とイベリア半島で敗北しました。フランス軍の侵入に対して、スペイン人はゲリラで抵抗します。ゴヤの絵には、フランス軍がイベリア半島で行った残虐行為を告発した作品が多くあります。

ピレネーの向こうがアフリカだとしたらこれはスペインに対する誉め言葉でしょう(笑)

ヨーロッパの中でも一番文化度が高かったのは、イスラム統治下のスペインでした。西ヨーロッパの学者は多くがスペインに留学して勉強しました。スペインのイスラムは宗教に寛容でしたので、キリスト教徒もユダヤ教徒も自由に生活できました。

これに対して、レコンキスタをやった連中は、占領地からイスラム教徒とユダヤ人を追放しました。居残った人たちにはキリスト教への改宗を強制しました。

後から来たヨーロッパのキリスト教徒のほうが野蛮人であったことは明白です。



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「アブラッサメ」 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月14日(木)14時24分14秒

有名なフリオ・イグレシアスさんの歌ですが、これはスペイン語はなくポルトガル語です。
(スペイン語版もあるかもしれませんが、聴いたことはありません)
日本語では「抱きしめて」という題で女性歌手が歌っています。
アンダルシアはイスラムの文化の影響が強く残っているようですが、見たことはありません。
そういえば「ピレネーの向こうはアフリカ」と昔言われていたもので。



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徳川政権というよりは 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月14日(木)14時09分02秒

徳川幕府というのは経済に足しては割と開明的でした。それに幕府は、他藩の政治には口出しができません。

能登の経済を駄目にしたのは、前田氏でしょう。前田氏は、三百諸藩の中でも特に米中心の経済運営をしたことで有名です。この米をとにかく増産増産という前田氏の政策は17世紀には成功し、加賀藩は非常に裕福になるのですが、18世紀には停滞を招き、社会は硬直化してしまい、19世紀には加賀藩は大藩であったにもかかわらず、幕末の動乱では全く主体的な行動は取れなくなってしまいます。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 2月14日(木)13時17分52秒

能登は古代は、加賀より裕福でした。石川県最大の古墳といはれているのは、能登の志雄町にある,金田散田古墳です。ここからもう少しいった所に、羽咋市がありますが、そのそばに、雨の宮古墳群という大きな古墳群があります。私は、ここは斉明紀にある、阿倍比羅夫軍に従軍し、戦死した能登臣馬身竜一族の古墳ではないかと思っています。ただ、古墳時代前期は、この志雄町の豪族が、雨の宮古墳群から今の七尾(当時は香島)あたりの豪族を臣従させていたが、後期には、立場が逆転したそうです。また、つい最近、七尾市の万行町で古代最大の倉庫群の遺跡が見つかっています。私は、古代能登は、朝鮮半島等との貿易でかなり豊かだったと思っています。能登が豊かでなくなるのは、徳川政権が米中心の経済にしてからだと思っています。
それと、船のトンについてですが、今はあまり使われていないようですが、客船等旅客を乗せる船で、旅客用の施設(例えば、レストランとか船室等)のみを表すのに、純トンという言い方もあります。戦前は、この純トンのほうが幅を利かせていたようです。日本の海上保安庁は、対外的には、ジャパンコーストガードと今は言ってます。(その前は、ジャパンマリタイムエージェンシー)しかし、その船艇は全て総トンで表しています。これは、世界でも唯一つのことで、アメリカ始めコーストガードを持っている国は、いずれも、その船艇は排水量です。これは、戦後軍事のにおいを消したいということとともに、戦争中海軍に虐められた運輸官僚の意趣返しもあるようです。また、排水量には、日本海軍には公試排水量というものがあり、これで軍艦の速度等を測っていました。これは、食料・燃料・水・潤滑油等は3分の2、弾薬・人員等は満載の状態で、海戦時の状態のことをいいます。(日本海軍は、燃料等の1/3は戦場への進出、1/3は戦闘、残り1/3は帰港と考えていたようです。)この方法は、割合合理的だったようで、今は世界の海軍で、速度の試験時に使われているようです。(今は、常備排水量といいます。)
ちなみに、船が入れ物として、一番大きくなるのは、長さが幅の6倍(これを速長比というらしいです。)だそうで、有名なノアの箱舟も聖書のとおりなら、速長比は6:1だそうです。また、幅が狭く、長さを長くすれば高速になるが、転覆しやすくなるそうで、昔の駆逐艦は、だいたい10:1だったそうです。ただ、一番細長いのは、私の知ってる限りでは、マオリの戦闘カヌーの12:1です。ギリシア等のガレー船は、大体10:1くらいだったらしいです。今の護衛艦は、トップスピードより、荒れた海で潜水艦を追っかけますので、9:1から8:1らしいです。



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訂正 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月13日(水)23時44分58秒

ブラガンサ工→ブラガンサ公



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ポルトガルは 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月13日(水)23時43分57秒

元々は、レオン王国(スペイン西部の王国)の領主の1人でしたが、1129年にレオン王国から独立しました。

しかしセバスチャン王の時にアヴィス家が断絶して、母方の叔父のハプスブルグ家のスペイン王フェリペ2世(ポルトガル王としてはフェリペ1世)に王位が移ってスペインと統合されます(1580年)。しかし政府は別々であったはずです。

スペインの無敵艦隊が敗北するのはその8年後の1588年です。

その後1640年に、きんたろうさんがおっしゃったように、スペインが弱体化したのでポルトガルはアヴィス王家の遠縁であるブラガンサ工のジョアンを王として擁立してスペインから独立しました(ジョアン4世)。



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Sinさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月13日(水)22時17分34秒

そうですね、笑
今度またクイズを出し合うというのはどうでしょうか??
実は最近「タイムショック」を見てクイズに凝っています、笑
クイズ王を目指して1000万円を獲得したいです^^;;

Toshyさん
そうなんですよ。
「んぐ」(ここは軽く発音)と言った感じでまるでフランス語を気取って話すようなイメージなんです、笑

東北弁がフランス語に似ているとよく言われていますよね??
茨城弁の場合は歯切れが良く尻上がりのイントネーションが特徴です。
私はこのような伝統的な茨城弁はこよなく愛しています。(笑)

そう言えば先週の「夜も空騒ぎ」のタイトルが「ごじゃっぺ男」とありました。
茨城弁も全国区になったのかと思って感動しました^^;;

太田さん
確か輪島の方だったと思いますが江戸時代の船主も百姓とされていたようですね。
江戸時代は特に田んぼを作ることに執着していた時代のような気がしています。

素人考えですが、能登は地形から見ても交易で成り立つ場所だと思います。
朝市は交易で栄えた名残なのかなと思ったりしています。



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イベリア半島 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月13日(水)22時16分06秒

が各地で独立性が高いのは山地によって空間が区切られているという環境にあるからではないでしょうか??
かなり古い時代から人が住んでいたにも拘わらず、山で区切られているために外部との接触が少ない場所であるという環境は人と人の融合度合いを低くするものだと思います。
このために地域ごとの独自性が強まったような気がします。

スペインと言えば「アブラッサメ」という言葉から始まる歌を思い出しました。
歌のタイトルかどうかは思い出せません^^;;
哀愁を帯びたあの旋律は飲んで聞くと更に深く心に響くような感じがします^^
アルハンブラ宮殿とかマドリッド以外にも行ってみたい場所が数多くある国ですよね。

ポルトガルと言えばリスボン特急を反射的に思い浮かべました。
この特急はリスボンと何処の都市を結ぶ急行なのでしょうか??
今では空路が発達しましたからもう無くなってしまったのでしょうか??

太田さん、
ポルトガルは一時スペインの支配下にありましたが元々は独立していたようですよ。
スペインの無敵艦隊の敗北等による勢力の低下に伴って独立を回復したと思います。

船の大きさを表すトンについては今までこれほど色々な意味があるとは考えた事がありませんでした。
さすがに船に関してものすごく詳しい太田さんだけのことはあると思いましたv(^o^)

それにしても「トン」で表現しながらこれほど「差」があるのは不便のように思ったのですが...??
実際はどうなのでしょうか??

>1トンは、ワイン樽1個を積める船を表していました。
ふと思ったのですがこの当時使われていたワイン樽は今よりも大きな物だったのではないでしょうか??^^
ヨーロッパ人は相当のんべいがいると実感しました、笑



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千枚田 投稿者:太田守人  投稿日: 2月13日(水)18時51分24秒

能登の輪島市に、千枚田という観光名所があります。ここは、海辺の崖に段々田んぼを積み上げたもので、俗に千枚の田んぼがあるということで、千枚田と言われていますが、実は、2,400枚強(確か2,466だったように記憶しています。)の田んぼがあり、1枚平均は6平方メートルで、1平方メートルに満たないのもあるそうです。
藩政時代、多分前田だと思いますが、殿様がこの千枚田を見に来て、何度数えても、999枚しかなくて、おかしいなーと思って、立ち上がって見たら、自分の坐っていた、床机の下に1枚あったという、伝説があるくらいの小さな田んぼです。
このような,小さな田んぼですので、収益率が悪く、年寄りが死ぬと誰も耕さなくなり、約半数の田んぼが、見捨てられていたそうですが、なにしろ、観光地なので、輪島市が買い上げ、今は維持管理をしているそうです。



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ナマリ 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月13日(水)17時30分39秒

>「ぎ」の部分を意識して??鼻濁音にして発音する
もしかすると、日本語が東北弁化している?!
こちらの方言では、<母音の後ろのK>をGもしくはNGと発音するのです。
例)わからない→わがんねぇ

ちなみに第一音節の「き」、または<子音+き>は「ち」になります。(?!)
例)気をつける→ちぃつげる/スキー→スチィ

この方が言いやすいんだべが?

http://homepage2.nifty.com/snowwolf/index.htm



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船のトン 投稿者:太田守人  投稿日: 2月13日(水)13時26分44秒

船をトンという大きさで表すのは、ポルトガルに由来しているらしいです。1トンは、ワイン樽1個を積める船を表していました。例えば、200トンの船は、ワイン樽200個を積める船を表します。ワイン樽を叩くとトンという音から由来したそうです。日本の千石船と同じような感覚です。ただ、このトンもメートルトン、英トン、米トンがあります。1英トンは1トン未満ですのでショートトン、1米トンは1トンを超えるのでロングトンといいます。
船のトンには、総トン、重量トン、排水トンが代表的です。総トンは、客船等が使うもので、1平方メートルが1トンです。重量トンは、貨物船等が使うもので、その船に積載できる重量をいいます。排水トンは、軍艦等が使うもので、船の重量です。ただ、かっての共産圏は、ソ連時代に排水トンしかなかったので、排水トンが多いようです。
排水トンには、基準排水量、満載排水量というのがあります。基準排水量は、ワシントン会議の際、各国の戦艦の総保有量をトン数で決めましたが、どの状態にするかで紛糾した時に、イギリスのある提督が、軍艦の燃料・潤滑油・真水を抜いた状態で、弾薬や食料・乗員を満載した状態にしようという提案が採択され、この状態を言います。満載排水量は、すべての物品を積んだ状態です。ただ、今世界最大の軍艦である、アメリカの空母ニミッツ級は、満載にすると底が港につかえるので、外洋に出た時にのみ本当の満載にする戦闘状態排水量というのがあるそうです。世界の主要な港は、喫水12mまでの船でないと入れないところが多いそうです。
ちなみに、マンモスタンカーは、石油を満載にすると、マラッカ海峡に底がつかえるため、海賊の被害覚悟で狭いロンボク海峡を通っているそうです。



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久しぶりの展開ですね 投稿者:Sin  投稿日: 2月13日(水)00時21分05秒

Toshyさんの掲示板を見ないと話の流れがわからないという現象。



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先ほど 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月12日(火)23時13分29秒

かなり大きな地震がありました。
家がミシミシ音を立てているのを聞くのはいい気持ちがしませんでした^^;;

ここは震度4でしたがすぐ近くの町では震度5弱でした。
この辺で起こった地震としてはこれほど大きな規模のはちょっと記憶にありません。



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ドラクロワ 投稿者:太田守人  投稿日: 2月12日(火)18時59分20秒

彼は、オリエント的なものが好きだったようで、トルコのハーレムの絵なんかを多く残しています。私も,うろ覚えなのですが、ポルトガルはスペインから独立したんじゃなかったですか?このあたりをご存知の方は教えてください。



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イベリア半島 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月12日(火)18時30分43秒

の両国はどうして別々の国になっているのでしょうか??
ちょっと不思議な感じがします。
もっともバスク地方の独立問題などを見ても各地方の独立性がとても高い地域のように思いますからスペインとポルトガルだけではなくもっと多くの国に分かれた方が自然の状態に近いのでしょうか??

もう一つ不思議だった事を思い出しました^^
レコンキスタ運動が何故成功してイスラム勢力を圧倒する事が出来たという事なんです。

>メレデュスの筏
については全く知りませんでした^^
さすが太田さんです。
このような話はとても面白いですね。

ドラクロワの作品と言えば「民衆を率いる自由の女神」しか知りませんでした。
でも多分??ドラクロワの作品なら目にしたことはあるはずですv(^o^)



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Sinさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月12日(火)18時28分33秒

あのページへは秘密の迷宮を抜けないと辿り着けないようにしてあります、笑
さすがにSinさんは迷宮を抜ける通路を知っていましたね、v(^o^)

イベリア半島の話題は面白いですよね。
ユーレイルパスを使って1〜2ヶ月くらいのんびりとヨーロッパを旅してきたい気持ちはとてもよく分かりますよ。
でもユーレイルパスを使えるのは学生だけでしたか??



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久しぶりですね^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月12日(火)18時26分01秒

私の風邪はようやく峠を過ぎたようです^^;;
今回の風邪にまるまる一週間もかかっていました。

安部さんも引いたのですね??
その点Toshyさんは健康そうでなによりです。
でも今年の風邪はかなり悪質な菌のようですから、気がゆるむと一気に風邪菌に押し切られますよ。
気をつけてくださいねv(^o^)

ところで、ここ数年の間にいい年をした人までが語尾を上げる話し方をする人が多く出てきましたよね^^;;
あれはとても聞き苦しいと感じています。
あのような話し方をする人は本人がいい気になって話しているようなのでよけいに始末に負えないですね。
更に「いばらき」を「いばらぎ」とわざと??発音する人がいるのは困ったものだと思っています。
この様な人の場合は「ぎ」の部分を意識して??鼻濁音にして発音するのが上品だと勘違いしているようです。
彼らは美しい日本語を根本的に勘違いしているような気がします。



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スペイン 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月12日(火)14時30分58秒

俺の旅行中も、バルセロナで激しい独立運動があり騒動を見ました。
カタルーニャ・アンダルシア・ガルシアの地域紛争も未だに絶えません。

マドリッドの冬は寒い。
年末〜元旦をそこで越しましたが、氷点下5度くらいでした。
ヨーロッパ各国の首都の中で一番標高が高いのがこのマドリッド。
しかし大晦日にはユースホステルが閉鎖になるため、
旅行中に知り合った2人の放浪者とともに地下鉄駅で一晩過ごしました。

犯罪も侮れない。
新年を迎える騒ぎが街の広場で行われ俺も見に行きました。
そこで日本人の旅行者と会ったのですが、彼女はスリにあい財布を盗まれたと。
俺はボディガードとして彼女をホテルまで送ることにしました。
ところが後から俺のカバンを開ける奴が。。。。
それに気づいた俺は振り向きざまにパンチを食らわせ、彼女とともに逃げた。

けっこうスリルある旅行をしたものです。

http://homepage2.nifty.com/snowwolf/index.htm



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メレデュスの筏 投稿者:太田守人  投稿日: 2月12日(火)12時45分53秒

ドラクロワの絵画に、メレデュスの筏という名作があります。これは、本当にあった海難事故を題材にしたものです。フランス革命で、各国は干渉戦争を行いますが、イギリスはモロッコを補償占領します。ところが、フランスが王政復古し、ルイ18世が即位すると、イギリスはきまえ良く、このモロッコを返してくれます。そこで、フランスは、ここに送る、入植者を乗せた、フリゲート「メレデュス」、コルベット「エレ」、運送艦「ローヌ」の3隻からなる艦隊を、ブレストから出港させたそうです。ところが、王政復古で家柄だけで貴族にしたため、この艦隊の司令官でフリゲート「メレデュス」艦長は、海上経験がほとんどない上、アル中で女にだらしのない中佐だったそうです。こんな人物に、指揮された艦隊なので、ブレスト出港時に勝手に出港したので、まず運送艦「ローヌ」がおいてけぼりを食います。更に、モロッコにあるベルデ岬沖には、100海里(約180km)の大暗礁地帯があり、当時の海図にも、ちゃんと記入されていたが、メレデュス艦長は、海図の見方も知らなかったそうで、その海域に向かって航行します。ただ、「エレ」艦長は、度々暗礁地帯の警告を発しますが、すべて無視され、危険を感じた、「エレ」艦長は、単独で進路を変更します。暗礁地帯にはいった、メレデュスは暗礁に触れ沈没しますが、艦長と総督は1隻しかないボートでさっさと逃げ出します。残った乗員は、筏を作り漂流をします。まず、生き残った士官が全員、兵員の手により,海へ叩き落とされます。食料や水のない筏の上では、死んだ仲間の肉を食べるという悲惨な結果を迎えます。約1ヶ月位で、この筏は救われますが、ほとんどが死に絶えていたそうです。ドラクロワは、この生き残った乗員達が入院していた、カサブランカの病院に日参し、話を聞き、更に添削をして貰い、あの絵を完成させたそうです。
ちなみに、今でもフランス海軍では、大佐を「軍艦の艦長」、中佐を「フリゲートの艦長」、少佐を「コルベットの艦長」と呼ぶそうです。



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私が最初にスペインに興味を持ったのは 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月11日(月)23時49分15秒

高校のときに、ヒュ―=トマスの「スペイン市民戦争」を読んでからです。

スペイン市民戦争(1936〜39)は、軍部ファシズムと左派社会主義者達が国土を二分して戦った大変凄惨な内戦でした。軍隊のほとんどが反乱軍となってしまったために、左派社会主義政権は労働者達を兵士として徴用してゲリラ戦で抵抗せざるを得なくなり、そのため民衆とゲリラの区別がつかなくなって、同国民どうしで凄惨な殺し合いが続きます。

マドリードなどは2年以上も市街戦が続きます。一つのビルを巡って一月も戦いつづけるような戦いです。

その間、イギリスは第一次世界大戦に懲りて融和政策をとっていました。この融和政策と言うのは、端的に言ってしまえば「イギリスに戦火が及ばなければヨーロッパ全土がファシズムになっても良い」と言うもので、イギリスは結局スペイン市民戦争には手をだしませんでした。

国民戦線(社会主義政党と共産党の合同政権)が政権を握っていたフランスは市民が和を助けようとしますが、あまり深入りしすぎると国内に飛び火するので、義勇軍を出すことしか出来ない。

市民側に国家として立ったのはソ連だけでしたが、これも曲者で、あわよくばスペインを衛生国にしようとしている。ソ連が送った軍隊は、ソ連のためにしか行動せず、決定的なときに役に立ちません。

一方ファシズム側にはナチスドイツとファシストイタリアがついて協力します。ナチスはスペインで近代戦の練習をします。

まあ結局はフランコ将軍率いるファシズムが勝つのですが、フランコはナチスに協力させながら、第二次世界大戦ではうまく中立を保ちます。

スペインはユーゴとかインドシナ並みに国民の間の憎しみがあったはずなのですが、これをどのように克服したのか私は興味があります。



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ポルトガルの旅行 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月11日(月)16時51分46秒

は、けっこう悔いが残っています。もう一度行きたい。
スペインでは、バルセロナが気に入っています。
マドリッドはロンドンと雰囲気が似ていて、異国情緒を余り感じなかった。



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私も風邪 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月11日(月)16時14分53秒

峠は越したみたいなんですが、まだだるさが抜けません。今年はなかなか厄介な風邪のようです。

最近、ポルトガルとスペインに興味があります。
風景がきれいならしいし、飯もうまいらしい。ゴヤの絵も見てみたい。なんといっても酒がうまいらしい。そのうえ物価はイギリスとかフランスとかと較べて安い。
是非一ヶ月くらいまとめてイベリア半島へ行ってみたいです。

というわけで?ポルトガルのファドのCDとアストラッド=ジルベルト(この人はアルゼンチン人だけど)のCDを買ってきて聴いています。そうそう、ポルトガルとスペインは音楽も良いんですよね。哀調を帯びていて。旅行したいなあ。



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Toshyさんの掲示板での 投稿者:Sin  投稿日: 2月10日(日)23時32分55秒

私の姿を見てみたいとのご要望にお応えして大阪オフ会の時の
写真を紹介しておきました。
水戸ミニオフ会の時の写真の方が私の姿がわかりやすかった記憶があるのですが(笑)



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安部さんの 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月10日(日)22時12分06秒

尊王思想19をアップしました^^
是非ご覧になってみて下さいね。

私の方は女帝と摂政というタイトルで聖徳太子と推古、並びに馬子について書こうと思っていたのですが風邪のために頭が働かなくなっています。
その代わりと言ってはなんですがハリーポッター第一巻を読み終えました、笑

安部さんが書かれている「あの山の向こうに国境を」を読んで武田信玄の領土拡張の神髄を思い出していました。
詳細に書くと長くなるので簡潔にいうと武田信玄の施策とは「甲斐」の安全保障のためだけにあったというところなのです。

同心円説と言う言葉は以前に井沢先生のところなどでも言われましたが、実のところこの用語につていてよく分かっていません、笑
恐らくは微妙に違っている(あるいは正確に伝えていない??)ように思っています。

信長との決定的な違いをいえば、信長は「統一」をまず考えてそれを実行するために行動したのですが信玄は「甲斐」の安全保障が第一にあったところにあったところです。
この差は似ても似つかぬほどに大きいと思っています。
もっともこの発想は信長だけにしか無かったのかもしれません。

Toshyさん、この時期は一番大切な時期ですよね。
私も何とか大丈夫です、^^;;



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終戦の詔勅(現代語訳) 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月10日(日)00時05分48秒

 私は深く、世界の大勢と日本の現状とを照らし合わせて考え、非常の措置をもって今の情勢を収拾しようと思い、忠実で善良なるあなた方日本国民にお知らせする。
 私は、アメリカ・イギリス・中国・ソビエト連邦の4国に対して、それらからの共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れることを、日本政府に通告させた。

 そもそも、日本国民が平穏無事であろうとし、世界各国が共に繁栄していくことは、天皇家の先祖からの願い続けていることであって、前にアメリカ・イギリスの2国に宣戦した理由も、真に日本の自存と東アジア諸国の安定とを強く望んでいたからであり、他国の主権を排除したり、領土を侵略したりするようなことは、もとより私の思いではなかった。

 ところが戦争を始めて4年の歳月が経過し、私の兵士たちの勇戦、私の臣下たちの頑張り、私の国民たちの奉公、おのおのが最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は好転しないばかりか、世界の大勢もまた日本には不利な状況である。
 それだけではなく、敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、しきりに罪のない民を殺傷し、惨害の及ぶ状況は、じつに測りきれないほどである。

 しかもこのまま交戦を継続したとしたら、ついには日本民族の滅亡と言う事態を招くだけではなく、ひいては人類の文明もめちゃめちゃになることである。
 そのようなことになれば、私はどのようにして日本国民を守り、天皇家先祖の霊前に謝罪すればよいのだろうか。
 この様な思いから、私は日本政府に共同宣言に応じさせることにしたわけである。


 私は日本と共に、終始東アジア諸国の開放に協力してくれた各国に対して、お詫びの気持ちを表さなければならない。
 日本国民に対しても、戦死したり、殉職したり、天命を全うぜずに死んでいった国民達、そしてその遺族のことを思うと、我が身が引き裂かれんばかりの思いだ。
 かつ、戦傷を負い、戦災をこうむり、家業を失った者達の暮らしについて、私はとても心配している。

 思うに、今後の日本が受ける苦難は、言うまでもなく尋常なものではない。
 あなた方日本国民の真心は、私もよく知っている。
 しかしながら私は時運の赴くところ、堪え難いことに堪え、忍び難いことを忍んで、将来の為に太平の世を開こうと思う。

 私はここに、国体を守り、それを得て忠実で善良なるあなた方日本国民のうそ偽りのない誠の心にたより、常にあなた方日本国民と共にある。
 もしあなた方が、激しい感情のまま、むやみに事端をおかしくしたり、あるいは国民同士で陥れあい、互いに情勢を乱れさせ、そのために人としての道を誤って、世界に対しての信義を失うようなことは、私が最も忌むべきこととして嫌うものである。

 どうぞ、一国全体、一家、子孫にまでこの私の思いをひろく伝え、日本の不滅をかたく信じ、仕事は重く道は遠いと思い、総力を将来の建設に傾け、心を込めて人の踏み行うべき正しい道を進み、堅く守ってかえない志をしっかり持ち、誓って国体の真価となるべきところを高くあらわし、進歩発展する世界に後れをとるまいという決意を持って欲しい。
 日本国民よ、どうぞ私の言うことを理解してこれからを行動しなさい。



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終戦の詔勅(原文) 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月10日(日)00時03分44秒

きんたろうさん、「尊皇思想の研究」のアップありがとうございます。

参考に、終戦の詔勅、いわゆる玉音放送の原文と現代語訳をのせます。

朕深ク 世界ノ大勢ト 帝國ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ 忠良ナル爾臣民ニ告ク
 朕ハ 帝國政府ヲシテ 米英支蘇 四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ
  (syusen1.wav 258KB 33sec)

 抑々 帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ 萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遣範ニシテ 朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦 實ニ帝國ノ自存ト 東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 他國ノ主權ヲ排シ 領土ヲ侵カス如キハ 固ヨリ朕カ志ニアラス
  (syusen2.wav 278KB 35.5sec)

 然ルニ 交戰巳ニ四歳ヲ閲シ 朕カ陸海将兵ノ勇戰 朕カ百僚有司ノ勵精 朕カ一億衆庶ノ奉公 各々最善ヲ盡セルニ拘ラス 戰局必スシモ好轉セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス
 加之 敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
  (syusen3.wav 352KB 45sec)

 而モ 尚 交戰ヲ繼續セムカ 終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
 斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
 是レ 朕カ帝國政府ヲシテ 共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
  (syusen4.wav 254KB 32.5sec)


 朕ハ 帝國ト共ニ 終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ 遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
 帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ 非命ニ斃レタル者 及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内為ニ裂ク
 且 戰傷ヲ負ヒ 災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ
  (syusen5.wav 297KB 38sec)

 惟フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス
 爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル
 然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス
  (syusen6.wav 206KB 26.3sec)

 朕ハ茲ニ 國體ヲ護持シ 得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ
 若シ夫レ 情ノ激スル所 濫ニ事端ヲ滋クシ 或ハ同胞排儕 互ニ時局ヲ亂リ 為ニ 大道ヲ誤リ 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ 朕最モ之ヲ戒ム
  (syusen7.wav 270KB 34.5sec)

 宣シク 擧國一家子孫相傳ヘ 確ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ 總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ 誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
 爾臣民 其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ



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その点 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月 9日(土)16時18分33秒

わしは健康そのもので生きています。
今ダウンすると、代わりがいないという危機感が支えているのだと思われ。

皆様おだいじにしてください。



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私の場合 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月 9日(土)11時56分30秒

は主に鼻水専門の症状が出ています^^;;
まるで、「まことちゃん、笑」のようです。
これなら熱を出してうなっている方がまだましのような気がしてきました。
薬を飲んでいる内はまだ良いのですが...

輔住さん、太田さん、Sinさん、有り難うございます^^
皆さんもご注意下さいね。

ところでふと思いつきに「正義は何処へ行った」という小文をアップしました、笑

http://www5d.biglobe.ne.jp/~kintaro2/seigi.htm



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