過去ログ152(2002年〜3月22日)


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第4艦隊事件 投稿者:太田守人  投稿日: 3月22日(金)08時58分52秒

きんたろうさん、面白い話があります。昭和初期に、連合艦隊が赤・青両軍に分かれて、演習をします。ここで、敵のアメリカ艦隊になったのが、第4艦隊です。ところが、三陸海岸沖で凄い台風にぶつかります。最新鋭駆逐艦の「白雪」が艦首切断、駆逐艦「睦月」が艦橋が潰れ、艦長殉職。空母「鳳翔」と最新鋭空母「龍じょう」は艦橋破損の上、飛行甲板が折れ曲がるとい被害がでます。これを第4艦隊事件といいます。ここで、被害の出た軍艦は、新鋭の溶接技術を用いていたのが多く、溶接はいけないのではという意見を、造船の神様平賀譲中将が出します。この人は、戦時中の学徒動員の時の東大総長をやったひとです。この平賀は、「ニクロム線」「平賀不譲」といはれたほど、自分が正しいと思ったことは、絶対他人と妥協しないひとでした。ここで、日本海軍に限らず、日本の造船はりベットに戻ります。このため、戦争中大量の艦船を必要とした時に、アメリカのブロック建造のようなことが立ち遅れ(ブロック建造は、溶接が不可欠です。)、計画のまずさもありますが、この溶接技術の立ち遅れが、生産性を阻害します。
海上自衛隊が出来た時、アメリカからセコハンの艦艇を貰いますが、その時、半分リベットで止めてあった、リバモア級駆逐艦を2隻貰いますが、この船はしょっちゅうリベット締めのタンクから、油漏れがあったそうです。
ちなみに、リベットの時は、木材等で海水が入らないよう、コーティングしていたそうですが、海戦で至近弾を受けると防水がはずれたそうです。ちなみに、溶接のほうが、リベットより重量を軽く出来るので、大砲等を多くつめます。全溶接の戦闘艦は、私の記憶では、ドイツが再軍備した時の、「ドイチュランド」級装甲艦だったと思います。溶接のお陰で、10,000Tの巡洋艦の大きさで、戦艦並みの28cm砲を装備していたので、「ポケット戦艦」とも言われています。さらにこの軍艦は、28ktと言う高速で、戦艦を振り切り、巡洋艦にはその大砲で圧倒するということで、当時の世界の海軍に衝撃を与え、速力30kt以上の高速戦艦を流行させます。



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NHKで北京が写っていましたが 投稿者:安部奈亮  投稿日: 3月22日(金)01時10分13秒

空気が黄色でした(笑)

北京では,砂漠化の進行もあって,ここ数年黄砂がひどいとニュースで入っていました。桜島が噴火した時の鹿児島のような感じといえば想像がつくでしょうか、道行く人も息苦しそうで、大変そうでした。



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今日の 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月21日(木)23時03分48秒

風は春何番になるのでしょうか??
わが家の回りでも今まで見た事が無いような黄砂が吹き荒れていました。

こちらであれほどすごいのですから発生元の中国ではどれほどの砂嵐だったのでしょうか。
ちょっと想像がつきません。
バビル二世に描かれていたような砂漠の嵐が吹き荒れているのではないかと思ってしまいそうです。
それにしても北京郊外の砂漠化について以前何かで読んだ記憶がありますが確かに正しい考察だったのだと再確認したところです。
黄砂の発生をみると中国大陸が痩せた大地だとつくづく思われます。

安部さんは私よりもひどい状態だったのですね。
もう大丈夫なのですか??
私は今朝起きたらまた微熱があったので今日も一日中寝ていました^^;;
おかげでほとんど回復したと思っています。
体の蓄積疲労も取り除く事が出来ました。
皆さんも不調の時は早めにねて疲れを取るようにして下さいね^^

輔住さん
家康も一向一揆でずいぶん苦労をしたようですね^^;;
まして自分の片腕のような人物が一揆側に行かれてしまう経験を持っている訳ですから宗教に対しては複雑な感情を持っていたと考えて良いと思っています。
このようなところからも権現様を選択したのかもしれませんね??

みのるさん
敦盛は信長が一番好んだ舞でしたよね^^
ところで熊谷直実が僧になったと言われているのは事実なのでしょうか??



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しかし 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 3月21日(木)11時31分53秒

一の谷の合戦で命を落とした話があったからこそ、
みのるさんがファンになったのかもしれないと。(笑



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平敦盛について 投稿者:みのる  投稿日: 3月21日(木)06時43分02秒

私は敦盛のファンである。一の谷の合戦で命を落としたのが
残念でならない。。。
弱冠17歳であった。討った熊谷直実も後悔して出家しております。
笛の名手で従五位であったが官職がなかったので
無官の大夫と呼ばれていた。。。。



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有難う御座います。 投稿者:みのる  投稿日: 3月21日(木)01時17分53秒

有難う御座います。大変勉強になります。



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きんたろうさんも安部さんも 投稿者:輔住  投稿日: 3月21日(木)00時30分13秒

風邪は回復に向かっているみたいですが、ぶり返さないように気をつけて下さい。

>「いや,GODはそれを望まない」と言えば、行長はたとえ主君の命令といえども拒否しなければなりません。
こうしたことを考えると家臣が宗教にのめりこみすぎるのはあまりいいこととはいえないでしょうね。
家康も若い頃、三河の一向一揆で家臣で敵になったものが多くいますからね。
本多正信もこの時期に1度出奔してますし!



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最後になんでキリスト教が禁止されたか 投稿者:安部奈亮  投稿日: 3月20日(水)23時19分09秒

例えば太閤さんが行長に対して「明へ攻め入れ」と命令した場合,行長は一言バテレンに相談する必要があります。

「我が主君は明へ攻め入れと言っていますが,GODはどうお考えでしょうか?」

それに対してバテレンが「別にいいよ」と言えばどしどし人殺しをしてもOKなのです。

しかし「いや,GODはそれを望まない」と言えば、行長はたとえ主君の命令といえども拒否しなければなりません。

カトリックの場合、自分で勝手に「これは神様も認めてくれるだろう」「これは認めてくれそうにないな」と判断してはいけません。すべては教会が決めます。プロテスタントの場合は自分で決めても良いけれど,この当時はまだ日本までは来ていませんね。

しかし、これは日本人一般の考えから言うと,バテレンと小西行長が「密通」していることになります。信者の行動に対してバテレンが一々許可を与えるようでは、信者の主君はバテレン引いてはローマ教皇やスペイン国王になってしまいます。そして、キリスト教は否定するでしょうが,事実これは密通であり、スペインやポルトガルはこの手口を使って植民地を増やしてきたのも事実です。徳川幕府がキリスト教を禁止したの賢明であったといえるかもしれません。


きんたろうさん、了解しました。私も人間の対戦相手に飢えているもので(笑)
楽しみにしています。
私もこの一週間と言うもの,ひどい下痢と熱と咳でぶっ倒れていました。やっと回復に向ったようなのですが,まだ本調子ではありません。



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安部さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月20日(水)23時10分10秒

了解しました^^

今日はそろそろ寝ようと思っていますので明日の11時にお願いします。
それまでにベクターからソフトをダウンロードしておきますね。
ちなみに私の腕前は35級くらいのままです、自爆^^;;
ダウンロードした「小次郎」「綾」をやってみたら小指であしらわれている状態です。
オセロもようやく時々勝てるようになりましたが違うソフトで勝負したら負け続けています(^^ゞ

みのるさん改め両さんかと思いました^^
小西行長とはキリシタン大名として有名ですね。

恐らくはみのるさんが言われるほど厳密にキリスト教に帰依したというものではなかったと思っています。
つまりはほとんどの戦国武将は仏教に帰依している形を取っていますが彼らが宗教者であると思われていません。
上杉謙信や武田信玄などは代表格ですね。
これとほとんど同じ様なものだったのではないでしょうか??

更には南蛮貿易を遂行する上からも必要性があったのかもしれません。
いずれにしてもキリスト教の洗礼を受ける事が戦闘を否定する事ではないのはヨーロッパ諸国が世界中でしてきたことや日本に来た宣教師が日本侵略の困難さを本国に伝えている事などから見ても明らかだと思っています。

蛇足ですが神に近づこうと真摯に祈る人たちを否定している訳ではありません。
これは仏教についても同様です。
でも戦国時代の本願寺などは何処から見ても戦国大名そのものだと思っています。
利害の対立する集団を打ち倒す事に関して「仏敵」などと言うのは天に唾をする行為だと思っています。



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江戸時代 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月20日(水)23時09分16秒

は250年もの長期にわたる安定した時代でしたからが庶民の活力というか底力がかつて無かった程高められた時代だったと言えるのかもしれませんね。
この時代があったからこそ明治に入って英仏などの列強に飲み込まれなかったのだろうと思っています。
勿論「極東」という地理的要因は無視できませんがそれはあくまで二次的なものだと判断しています。

>江戸時代のお家騒動と言うのは,たいてい善玉が旧来の保守勢力で悪玉がやり手の経済官僚でして,藩を立て直すために藩主が有能だけれども家柄のない人物に改革をさせようとするのを、忠誠心だけはあるけれども無能な連中が妨害すると言う形です。

江戸時代の三代改革にしても安部さんが言われている事が当てはまるように思います。
つまりは旧勢力のあがきと言ってもいいような気もしますよね。
質素倹約だけでは乗り切れないのにそれを実行した吉宗などはある意味ではドンキホーテのようなものだったのかもしれません。
でも彼の場合は自らが先頭に立って質素を実践して行ったわけですからやはり大した人物なのだと思っています。

江戸時代は商人に対する税が低すぎたのではないでしょうか??
農民に対する税が4公6民くらいと言われていますが商人に対しても同程度の課税をしていれば元禄期以降の歴史は少し変わったものになったのではないかと考えています。

外務省を筆頭にした公務員の堕落についてはいろいろと考えていますが長くなりそうなので...^^



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突然の 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月20日(水)23時07分59秒

風邪もようやく回復したみたいです。
予期しない出来事って本当に起こるものだと思いました^^;;
昨日今日ととてもいい天気だったのに寝ているばかりでした。
健康の有り難みをつくづく感じました。

太田さん、詳しい説明を有り難うございました。
>氷山にぶつかった時、22ノットだったと言います。当時の巡洋艦で25ノット、駆逐艦が28〜30ノットがトップスピードです。今のアメリカ海軍の基準速度(戦場へ向かう速度)が、20ノットです。今のタンカーの航海速度が15ノットですので、当時としては大変な高速です。当時の戦艦のトップスピードが、20〜23ノットです

これでは当時の戦艦のトップスピードを出していたという事になりますよね。
ブルーリボン・ホルダーを目指した行為なのは分かるのですがそれも時と場合によるものなのは言うまでもありませんよね。
処女航海でブルーリボン賞受賞というシナリオだったのでしょうがそれをするならば時期を選ぶべきだったのでしょうね。

それとも氷山は一年中大西洋の航路付近にあるのでしょうか??
もしそうだとすれば安全性を高めるために航路を少し変更する必要があるように思われますね。

リベット止めというのは要するに釘を打ち付けるようなものですか??
強度は溶接よりも劣るのでしょうか??
圧接面が広がる分だけ力が分散されるのでしょうか??
(と思いっきり無知でした、笑)
鉄筋の場合は伸び強度が問題になるわけですから...と書いてきてよく分からなく成ってしまいました、自爆^^;;

確かにブロックごとに製作するという発想は素晴らしいものがありますよね。
これは現代社会を支えているソフトだと言っても過言ではない様な気がしています。

それにしてもSinさんや大三元さかはモールス信号にも詳しいのですね^^
さすがです。

タイタニック号に日本人が乗り合わせていたとは知りませんでした。
でもそう言えばこの日本人の名誉回復について「知ってるつもり」のような番組で取り上げていた事があったような気もします??(^^ゞ

ちなみに広辞苑によると下記のようにありました。
タイタニック‐ごう
(Titanic) イギリスの旅客船。46328トン。
1912年4月14日夜ニューファンドランド島南方沖の北大西洋上を処女航海中、濃霧のため氷山に衝突、翌日未明沈没。
乗客・乗員2200百余人中1500余人死亡。
海難事故として世界最大。



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ここらへんのことは余り私では言えないのですが… 投稿者:安部奈亮  投稿日: 3月20日(水)22時46分33秒

たしかキリスト教では,外面では世間の決まりに従うけれども,内面ではGODを信じると言うことが認められています。これはパウロが始めた考えです。ですから、キリスト教の戒律に反しない限りにおいて、非キリスト教社会に徹底的に従う人間と言うのは存在しうるのです。ここがキリスト教徒ユダヤ教の違うところです。ユダヤ教はそのような二面性を絶対に認めません。

ユダヤ教の場合、どんな飯を食うかまでが宗教的行為でなければなりませんが、キリスト教の場合は,内面でGODを信じることが大事ですので、そこらへんは誤魔化しが聞きます。そもそもそうでなければローマ帝国の中では生き残れませんでした。そしてそれでもローマ帝国の中で異分子と弾圧されてしまうのです。

パウロは,外面の生活においてはローマ帝国に従うべきであるが,内面においてはキリストを信じよというようなことを言っています。戦国時代に日本へ伝導に来た人もそのようなことを小西行長などに言ったかもしれません。



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ですから 投稿者:安部奈亮  投稿日: 3月20日(水)22時36分48秒

教会の名の下に結ばれた契約ならば,キリスト教の世界の中では有効です。
ですから,封建君主と騎士は,一応必ず教会の名の下に主従契約を結びます。これはGODを媒介にした契約ですから,この契約を両方が守ることは宗教的行為となります。騎士がGOD以外の君主に忠誠を誓うのはGODに対する反逆ではなくなり、むしろGODとの契約を一生懸命守ることになります。この場合宗教と世俗の間に矛盾は生じないわけですね。

しかし,これは主君と臣下が同じGODを信じていなければ成立しません。異端や異教徒は別のGODを信仰しているわけですから、君主がキリストに対して契約し、臣下がアラーに対して契約する、と言うことは不可能です(実際はそうでもなかったのですが,理論上はそうなる)。だから,新旧教徒の宗教戦争が発生するわけです。臣下が別の宗教を信じると言うことは,君主にとっては「反乱」となるわけです。

ですから,みのるさんがおっしゃていることは,この契約関係においては正しいと言えます。豊臣秀吉がクリスチャンで小西行長と教会の名の下に主従契約を結べば、その契約は有効ですが,そんなはずはありませんから、理論的に突き詰めれば,小西行長は世間を欺いていることになります。しかし当時の日本人がそこまで突き詰めて考えていたとは思えません。

しかし,徳川幕府はこの危険性に気付きます。上と下が別の宗教を信じていると,国家の統合が出来なくなる、と言うことで厳しくキリスト教を弾圧します。でも,太閤さんがそこまで考えていたかどうかは分かりません。



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詳しく説明します 投稿者:安部奈亮  投稿日: 3月20日(水)22時23分33秒

一神教と言うのは契約宗教です。
一神教の戒律というのは,GODに保護してもらう変わりに,信者が守らなければ行けないきまりです。
一神教の戒律を守らなければ行けないのは,その宗教の信者だけです。

例えば,一神教の戒律と言うのは会社の社規のようなもので,その宗教の信者は基本的に全ての行動を、宗教の戒律に照らし合わせて、GODと言う絶対的な相手との契約と言う形で行います。

従って,金の貸し借りも,AがBと貸借契約を結ぶのではなく,AがGODに対してBに金を貸すと言う契約を結び,BはGODに対して,Aに期間内に金を返すと言う契約を結びます。

十戒の中の「汝殺すなかれ」と言う決まりは、基本的にキリスト教者に対してしか効力がありません,正確に言うと「汝(キリスト教徒を)殺すなかれ」となります。ですから,キリスト教と言うコミュニティーに参加していない人をいくら殺したところで神との契約を破ったことにはなりません。

最近では教会もこんな考え方をしていませんが,つい最近まではそうでした。



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南無八幡大菩薩 投稿者:安部奈亮  投稿日: 3月20日(水)22時06分31秒

小西幸長の参考になるかどうかは分かりませんが…

私が西洋の歴史とキリスト教の歴史を調べた所、西洋の騎士たちはキリストを、日本の武家が強い神様として八幡様を信仰していたのと同じ感覚で信仰していたようです。

私が何度もここでいっていますが,キリスト教と言うのは特別高尚な宗教ではなく,現地ではもっともっと土着的な泥臭い宗教です。クリスチャンだから特別悩まなければいけないだろうとか言うのはおかしな話です。

だいたい,仏教だって殺生を禁止しています。

キリスト教徒だって,ていうかむしろ西洋のキリスト教徒ほど無意味に人間を殺してきた種族もありません。

みのるさんの問題の持ち方は少々甘い気がします。



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間違いました 投稿者:みのる  投稿日: 3月20日(水)21時40分52秒

りょうさんというのは慶応関係でつかっているHNで歴史、文学関係ではみのるです。。。



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小西行長の不思議 投稿者:りょうさん  投稿日: 3月20日(水)21時36分40秒

行長は切支丹であった。。。
モーセの十戒で殺人は硬く禁じられている筈・・・
又、神より親しい者があってはならないはず・・・
なのに、彼は秀吉に必死に仕えた。。。。
彼は生涯世間を裏切ったことになる。。。。
きんたろうさんはどう想われますか?



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きんたろうさんへ 投稿者:安部奈亮  投稿日: 3月20日(水)19時11分47秒

もしよろしかったら、碁の通信対局しませんか?
私も通信対局はやったこと七位ので、成功するか自信がないのですが、vectorで「碁 for Win95 」というフリーソフトをダウンロードすれば、通信対局できるようになるみたいです。

まあ駄目だったら、ヤフーのページャーで一回一回「1−5」という風に読み上げると言うことで(笑)

今日と明日の夜11時には、私はPCの前に座っていますので、気が向いたらそのときに連絡してください。



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SOS 投稿者:大三元  投稿日: 3月20日(水)13時28分34秒

SOS は ... --- ... です。
なお、.-. だと R です。

もと第二級アマチュア無線技士



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 3月20日(水)12時41分13秒

>どうしてなのか自分でもよく分からないのですが、急に寒気がしてお腹がしくしくして関節部分もちょっと変な感じです^^;;

きんたろうさん、お大事に。私の時の風邪と症状が変わりませんので、充分休養してください。
書き込みは、よくなられてからで結構ですよ。

>モールスだと・・・ −−− ・・・ だと以前教わった記憶が

Sinさんそうですか?もしかしたら、違ってたかも知れませんね。私も、昔聞いたので・・・。すいません。

タイタニック以前は、船客の給食は何カロリーとか、船室の面積はどれだけというハードの基準は、あったようですが、船の構造、救難設備等には規定はなく、タイタニックの全員が救命ボートに乗れなくても、当時は違反でなかったそうです。しかし、老舗のキュナード社は、乗員・乗客の2割増しの救命ボートを積んでいたそうです。
これ以降、イギリスでは、船主が集まり、このような、船の安全面での基準を決めるため、ロイド船級協会という組織を立ち上げ、海難保険等も扱います。このような、組織がこの事故以降、全世界で、ロイド船級協会のような組織が出来ます。日本では、日本船級協会という組織が出来ました。
今は、商船の浸水の安全基準として、2区画浸水(その船の一番大きな区画と隣の区画が浸水しても、沈没しないこと。)が基本になっており、救命ボート等も、最大積載人員の5割増しが、基準となっているそうです。



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こまかいツッコミ−SOS 投稿者:Sin  投稿日: 3月20日(水)06時13分43秒

モールスだと・・・ −−− ・・・ だと以前教わった記憶が



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袖の下 投稿者:安部奈亮  投稿日: 3月20日(水)01時51分06秒

 詳しく調べたわけではないのですが、江戸時代のお侍のお給料と言うのは、基本的にその役職を勤めるに当っての必要経費しかもらえなかったようですね。ですからお給料だけで生活しようとしたらものすごく困窮してしまう。従って手数料をもらわなければ生活できない。でもこの手数料が賄賂と紙一重なんですね。

 逆に江戸時代の商人は、私物化をものすごく禁じたから,もらった給料以外は絶対に誰からもお金をもらってはいけなかった。だからすぐに手数料を要求するお侍が泥棒にしか見えなかったようです。

 詳しくは知らないのですが,戦国時代のお侍と言うのも,主君からお金をもらって仕事を請け負って、あるいは領地の経営を請け負って,約束通り上に収めれば,それ以上の収入は自分のものにして良かったらしいですから,江戸時代のお侍のお金に関する考えはここらへんから来ているのではないかと思います。

 江戸時代のお家騒動と言うのは,たいてい善玉が旧来の保守勢力で悪玉がやり手の経済官僚でして,藩を立て直すために藩主が有能だけれども家柄のない人物に改革をさせようとするのを、忠誠心だけはあるけれども無能な連中が妨害すると言う形です。このやり手の人のほうは、仕事に対して報酬を要求しますから,ある意味お金には汚いところがあって,そこの所で足下をすくわれちゃう人が多い。で、このやり手の人は藩を立て直した後,ほとんどが終わりをまっとうできずに切腹させられちゃうパターンが多い。家をまとめるための捨石となる。これは気の毒です。

 汚職が何度も何度も起きて,その都度日本中が大騒ぎになりますが,大事なのは汚職のないクリーンな国家を作ることではない。大事なのは税金の少ない国家を作ることであって、税金が少なければ、汚職で政治家や官僚がいくら私腹を肥やしたって構わないんです。業者から賄賂をもらうのも泥棒ですが,税金を取るのだって泥棒です。だったら業者の財布が痛むのは私達にとってはどうでも良いことですから,税金を減らす方が大事です。

 今の日本は官僚が威張っていると良く言われますが,本当の意味で官僚に権威はないと思います。本当に権威があるのならばやるべき仕事はやるし,やる必要のない仕事は堂々とやらないでいられるはずです。何故役人に権威がないかと言うと,それは国の目標が定まっていないからです。目標が定まっていないから,人々の要求に全部耳を貸さなければならなくなっているのです。

 国の目標、これは別に富国強兵とかいうような立派なものではなくて,もっと気楽なもので良いと思うのですが,これが決まれば,役人は自分が何を進めるべきで,何が自分の仕事ではないので断るべきか決まります。進めるべきことは放っておいても誰かがやるでしょう。特に大事なのは我慢すべきことが決まる点だと思います。国民として何を我慢するべきかが決まれば、役人も「これは我慢するべきことですから聞くことは出来ません」と堂々といえる、これが必要です。

 今の日本人はうまい汁だけすって,自分の立場に付いて来る,被らなければならない不利益には目をつむっています。これがどうしようもなく我々を下品な存在にしています。まず何を我慢するべきかを決める必要があると思います。



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突然 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月19日(火)19時01分22秒

風邪を引いてしまいました。
どうしてなのか自分でもよく分からないのですが、急に寒気がしてお腹がしくしくして関節部分もちょっと変な感じです^^;;
ひょっとしたら流行っているのでしょうか??

太田さん、タイタニックに付いて有り難うございます。
明日書き込みをしますね^^
それではおやすみなさい。



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SOS 投稿者:太田守人  投稿日: 3月19日(火)17時52分23秒

タイタニックは、救難信号SOSを打電した世界最初の船とされています。それまでは、CQDが救難信号でした。タイタニックも最初は、CQDを打電したが、途中で通信士が、救難信号が変更になったのに気付き、SOSに変えたそうです。本によると、SOSは「セイブ・アワー・シップ」の略だとか書いてありますが、これは間違いで、緊急時に一番打ちやすいということで、採用されました。確かSOSは、モールス符号では・−・だったと思います。
ただ、この時代の商船の無線機は、軍艦のように両面通交でなく、一方通行が多く、送信している時は、受信できなかったのが多かったそうで、例えば20時から21時は、緊急信号を除き受信に専念することと国際法で、決められていたそうです。
ちなみに、タイタニックに日本人が、1名乗船していたそうです。この人は、逓信省のお役人で、2等船客だったが、背が小さかったため子どもと間違えられ、ボートに無理やりのせられたそうですが、後で日本人と分かり、欧米の新聞に「人を押しのけて救助された。」と中傷され、結局日本政府も、欧米の圧力に負け、クビにせざるをえなくなったそうです。この人は、ヨーロッパ留学から帰国するため、リバプールから最初は、別の船の切符を買っていたが、イギリスの友人が、「タイタニックの2等切符が1枚残っているが、乗ってみないか。」と勧められ、この船に乗ったそうです。タイタニックは、リバプール出港時に、別の貨物船と衝突寸前になる等、この航海は最初から運が悪いことが続いたそうです。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 3月19日(火)08時40分20秒

タイタニックの速力は、氷山にぶつかった時、22ノットだったと言います。当時の巡洋艦で25ノット、駆逐艦が28〜30ノットがトップスピードです。今のアメリカ海軍の基準速度(戦場へ向かう速度)が、20ノットです。今のタンカーの航海速度が15ノットですので、当時としては大変な高速です。当時の戦艦のトップスピードが、20〜23ノットです。大西洋を最速で、横断した客船には、ブルーリボンというものを与えられました。この、客船をブルーリボンホルダーといい、船会社も名誉でしたが、集客率も大幅にアップしたそうです。しかし、この時には、多くの氷山があり、その警報も出ていたそうです。そこで、こんなとこで高速を出すのは、自殺行為です。
ちなみに、当時はまだ溶接でなく、鉄板をリベット止めで造船していました。溶接が、一般的になるのは、第2次大戦中頃からで、この前のカサブランカ級護衛空母も、この溶接で建造されました。この溶接のおかげで、それぞれの船の部分を、事前に作っておいて(これをブロックといいます。)、造船所でそのブロックを、溶接で繋ぎ合わすというブロック建造が中心となり、建造期間を短くすることができるようになりました。



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太田さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月18日(月)22時04分12秒

タイタニックについて実はあまり知りませんでした。
超豪華客船が運悪く??巨大氷山にぶつかって沈没した程度の知識です^^;;
鉄板の溶接そのものが劣悪なものだったとすればいずれは航行不能に陥っていた様な気がしますね。

高速運行をしていたとは大体何ノットくらいだったのでしょうか??
乗客は猛スピードで走っているのに関して不安を抱かなかったのでしょうか??
尤も超豪華客船ですから安心しきっていたのかもしれませんね。
ひょっとしたら新幹線のように豪華・高速を売り物にしていたのかもしれないと思ったりしました。

Sinさん、了解しました^^
西山荘で売っているのですねv(^o^)



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魔異夢さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月18日(月)22時02分38秒

久しぶりですね、笑
冬から春にかけては新しい命の息吹を一番感じる季節だったのですが、風邪、インフルエンザ、そして花粉症の大流行でそれどころではなくなってきたような感じがします^^;;

春一番は日曜日に吹いたのでしょうか??
そう言えばつよい風が吹いていたと思いますが全然頭の中に「春一番」はありませんでした(^^ゞ
東京でたまに見られる黄砂もこの時期でしたよね??

こちらでは今日の夕方に春雷がありましたよ。
小粒のあられも大量に大空から降り注がれました。
真っ黒な雲の中で稲妻が閃光を発して縦横に走り回るのを久ぶりにちょっとだけですが見る事が出来ました。

今年の大河ドラマは楽しくていいですよね^^
特に新鮮に感じたのが前田から見た柴田のイメージです。
太閤記などではどうしても柴田のイメージは良くなかったのですが、前田アイでは秀吉の鼻につくところなども描かれていてグッドだと思いました。



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袖の下まんじゅう−追加 投稿者:Sin  投稿日: 3月18日(月)18時33分48秒

今日もまた袖の下まんじゅうのことをラジオで言っていたので聞いておきました。
西山荘でお土産品として販売しているらしいです。
黄門様のお膝元でよくそんなもん売るなあ(笑)



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タイタニック 投稿者:太田守人  投稿日: 3月18日(月)13時03分19秒

昨日、近所のスーパーでDVDで映画のタイタニックを見ました。私は、DVDはないのですが、実にきれいでした。そこで、映画タイタニックのこぼれ話を・・・。まず、ロシアの潜水艇ミールで、海底のタイタニックにいくところがありましたが、あれは、CGでなく(私は、CGだと思っていました。)本当に、キャメロン監督が、潜水艇ミールで撮影しにいったそうです。ただ、何度も取り直しをしたので、予算オーバーになり会社と揉めたとか。更に、沈没直前の映像は、ヒスパニック系のエキストラが多く、スペイン語で悲鳴をあげないかスタッフは、ひやひやしていたそうです。
タイタニックは、オリンピア級の客船の2番船で、俗に薄幸のオリンピア三姉妹と言われています。3番船のブリタニアも、第1次世界大戦でテムズ河口で、ドイツの敷設した磁気機雷に触れ、1000名の人を乗せて沈没します。
オリンピアは、最後まで生き残りますが、会社のホワイトスターラインが、タイタニックの補償で、倒産し転売を重ねたそうです。
フランス海軍の深海潜水艇ノチールが、タイタニックを調べた時に、まず、鉄板技術が幼稚で不純物が多いこと又低温では、非常に鉄がもろくなる鉄板をつかっていたこと。また、音響探査で調べたところ、従来言われているような、大きな亀裂が見つからず、小さな亀裂ばかりで、これでなんで沈没したか、謎がますます深まったそうです。(防水作業のミス説という人為的原因説まで、今はあるそうです。)
タイタニックのスミス船長は、この航海で定年退職だったそうで、なんであんな高速を出したのかも大きな謎だそうです。
それよりも、もっとも大きなミスは、氷山を発見した、当直の3等航海士が、「後進全速。」と命令しますが、氷山にぶつかりそうになったため、引き続いて、「取り舵一杯。」を命令します。
後進で舵を取ると、スクリューに空気が入るため、舵のききがすごく悪くなるそうで、もし、ぶつかりそうな場合は、氷山の場合、ぶつけてしまった方が、船首を潰したくらいで沈没には、至らないということが、この当時の常識だったそうで、もし、この行動を取っていれば、沈没しなかったということが、コンピュータシュミレーションで確認されたそうです。
この映画では、船のオーケストラが最後に「秋」を演奏しますが、賛美歌「主の身元に近ずかん」だったという、生存者も多くいて、沈没直後から生存者は、最後の曲はこの2つの説があり、前作の映画タイタニックの最後では、賛美歌「主の身元に近ずかん」になっていたそうです。
最も近くにいた、アメリカの貨物船「カリフォルニアン」号の船長は、卑怯者として指弾されますが、1950年に名誉を回復されます。ちなみに、カリフォルニアン号は、タイタニックに氷山警告を再三再四はしますが、乗客の電報発信にてんてこ舞いのタイタニックから、「うるさい。バカヤロー。こっちはタイタニックだー。氷山ごときで沈没するか。」と言われ、頭にきた、カリフォルニアン号の通信士は、通信機を切ります。
ちなみに、このタイタニックにぶつかったであろう氷山(タイタニックのペンキがついていたそうです。)は、翌日カルパチア号の船客が写真撮影して、今も残っているそうです。
最も先に駆けつけ、救助したのは、イギリスの客船会社の老舗キュナードのカルパチア号です。
このカルパチア号の船長は、第2次世界大戦で、世界最大の客船「クイーン・メリー」と「クイーン・エリザベス」の船長を歴任し、ヨーロッパ戦線の戦勝に多大の貢献をしたということで、戦後「サー」の称号を貰います。
ちなみに、タイタニックより、洞爺丸台風で沈没した洞爺丸以下4隻の連絡船の方の死者が多いそうです。



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どっぷりおひさしぶりっす^^; 投稿者:魔異夢  投稿日: 3月17日(日)18時02分15秒

なにかとご無沙汰いたしました。m−−m
こちらも春一番が吹いたようです。みなみなさまおかわりございませんか?
庭の梅ノ木のつぼみもほころび始めました。NHK大河ドラマ「利家とまつ」は、なんちゅうか、歴史をベースにしたコメディ?^^;;なんて思うこともあったり・・・久しぶりに大河ドラマを見ております。反町信長の「〜〜であるか?」が人気のこのごろ・・・何かの話の終わりにニタリとわらって、「で、あるか・」とするのでございます(微小笑)
石川県出身の田中美里さんが、お市役で出演しているのも興味深く・・・大河ドラマ見ながら、現実の人間関係とか、俳優陣の過去の作品とかが絡んでおもろいなーーーと思うのはわたしだけでござんしょか^^;;



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Sinさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月17日(日)15時02分28秒

久しぶりですね^^
体の方はいかがですか??

>商品名は「袖の下饅頭」と言うらしいですが(^^ゞ
これは知りませんでした^^;;
ひょっとしたら観光客向けに作られた商品なのかもしれませんね??笑
それにしても本物の小判が入っているとしたら(笑)相当高価な饅頭になろうと思います。
評判が上がれば納豆の中に小判を入れた「越後屋納豆」なんてのも出来そうですよね。
出来るわけがないかな...??
もし見つけたらSinさんにご連絡しますね。

kitunoさん、1億2千万人の国民の中で信雄に縁のある人同士がこうして知り合えるのはものすごい事だと思います^^
良かったですね^^
私も嬉しく思っています。

輔住さん、もう身近でこのウイルスに感染した人がいるのですか??
とにかく怪しいメールは即削除するのが一番だと思います。
私は先日ウイルスに感染したページを初めて見てしまいました。
ウイルス・スキャンがリアルタイムに警告を出したので分かったのです。

駆除、削除に失敗したのでちょっと焦ったのですがキャッシュとして読み込んであるテンポラリー・ファイルにある事を確認出来ましたので、IEのプロパティからファイルを削除しました。



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Toshyさん、輔住さんへ 投稿者:Sin  投稿日: 3月17日(日)05時08分31秒

おもちゃじゃなくてお菓子なんですよ、これ。
ただ、蓋を開けるとウルトラマンのオープニング曲が流れるとか
いろんな仕掛けがあるんですけど(笑)



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ウィルスは怖い! 投稿者:トータス砲(輔住)  投稿日: 3月16日(土)23時11分40秒

Sinさん
Toshyさん同様、私もおもちゃの方は知らないことが多いので!
たまにおもちゃ屋を除いて何かを買うことはあるけど!
本やCDにお金が消えることが多いので、そちらまで
あまり頭も廻りません。(笑)

きんたろうさん
>patch.exe
数日前、自分の会社の中でこのウィルスに感染した人が出てしまいました。
(現在はもう大丈夫ですが)
皆さんも気をつけて下さいね。



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ところで安部さん 投稿者:kituno_i  投稿日: 3月16日(土)16時17分50秒

先日お昼の時間に、思いもよらぬ人から私の携帯に電話がかかってきました。
一昨年夏、安部さんとデ−ト(え?こういう表現は迷惑だって?^^;;)したときにお世話に
なったタクシ−の運転手さんです。神社やしめ縄に詳しい運転手さん、覚えていますか?
(どうして私の携帯番号を知っていたかについては長くなるので省略)

あの時のことをHPの「kitunoの旅−太秦編」にまとめて載せてあるのですが、偶然同僚
の方が私のHPを読んで連絡してくれたのだそうです。
「タクシ−会社の宣伝や私のことを紹介してくれてありがとう」という内容の電話だった
のですが、HPを読んだ上司の方にもとてもほめられたそうで、私の方が驚いてしまいま
した。
「大酒神社について知りたい資料があれば送らせて下さい」とまで言ってくださいました。
私のHPのような小さなHPでも様々な方が読んで下さっているのだな、と改めてインタ−
ネットの凄さを感じてしまいました。^^;

>それから Sinさん
「袖の下饅頭」なんて聞いたことありませんよ^^;
きんたろうさんは?
水戸に売っているのかな〜?
「黄門何とか」というのならいろいろありますけど。

時間作って、また常陸に遊びに来てね〜!!

>新種のウィルス「ロタウィルス」
これは人間、特に子供に流行しているウィルスです。
発熱と腹痛、激しい嘔吐や下痢を繰り返します。
県西の病院では、この患者さんが大変増えているそうです。
初めの症状は風邪に似ているので要注意!!ひどくなると入院治療が必要です。
脱水を起こしたら命取り。
便の検査をしないとわからないそうなので、子供さんをお持ちの方、下痢・嘔吐が
ひどいときには念のために病院で検査してもらって下さいね。



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きんたろうさん 投稿者:kituno_i  投稿日: 3月16日(土)15時53分53秒

みのるさんに私のHPを紹介して下さり、ありがとうございます。
またトピックでも話題を提供して下さってとても感謝しています。
きんたろうさんの掲示板に書き込まれている方達の博学ぶりには、いつも感心してしまい
ます。みなさんの様々な意見を読むのはとても楽しいです!

今日は家にだ〜れもいないので、久しぶりにトピックの書き込みをしたり、自分の掲示板に
「ごじゃっぺkitunoの古代私論」を展開してみました。^^;
それから「おしゃべりタイム」である告白も.....。(へへ)

>みのるさん
さっそく遊びに来て下さって、とても嬉しかったです。
私は今諸事情で毎日の夜遅くのインタ−ネットを自粛しています。(禁止状態^^;;)
でも何よりも皆さんとの歴史話を楽しみにしていますので、また私のHPにも遊びに来て
下さいね。^^



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いや 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 3月16日(土)09時47分44秒

俺はおもちゃに詳しくないんで(わら



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おもしろ商品 投稿者:Sin  投稿日: 3月16日(土)06時25分21秒

Toshyさんや輔住さんはたぶん知ってるでしょうね、この商品。

http://www1.ocn.ne.jp/~yikawara/



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ラジオで聴きましたが 投稿者:Sin  投稿日: 3月16日(土)06時15分19秒

水戸のお土産品でおもしろい饅頭があるらしいですね。
饅頭箱が二重底になっていて、二重底の中には小判が入っているという(笑)
商品名は「袖の下饅頭」と言うらしいですが(^^ゞ

個人的に実物を見てみたいと思っていますが、何とか入手できないかなあ・・・



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トイレ 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月15日(金)22時24分11秒

の歴史はなかなか興味深いものがありそうですね^^

御家人残九郎でも「肥汲み」のバイトをしているシーンがあったような気がします。
ベルサイユ宮殿にトイレがなかったのは歴史的事実ですし現代の中国でも地方ではトイレのドアはありません。

一方では古代ローマでは既に水洗トイレがあったのが史跡から判断されています。
日本の場合は草むらがそのままトイレの時代が長かったような気がするのですが...??
実のところはどうだったのでしょうか??
トイレは人間生活に無くてはならない物なのに今まで「ご不浄」という事で正面から取り上げようとはしなかった様な気がしています。
船のように狭い空間の場合は特にトイレの重要性は増す事でしょうね^^



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信長 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月15日(金)22時22分41秒

の代で海外に進出したかどうかは不確定要素が多すぎるのでよく分からないのですが...
少なくとも織田政権の場合は「鎖国」を選択しなかった可能性が高いような気がしています。

これは海洋民族である日本人の本質により近い特性だと思っています。
農耕民族で島国根性と言われる現代の日本人の特性は江戸時代に作られたものです。
そうなると年功序列だけで責任感もなくトップになって破綻してもただ順番でなっただけなどとエクスキューズをするような現代のマイナス面は無かった可能性があるかもしれないと思ったりします。

また統一の過程の合戦で秀吉のように相手側全体を組み込む方式を取らないとすれば逆に年数はかかった場合も考えられますが、結果として「余剰人員」は秀吉の場合よりも少なくなる筈ですよね。
すると朝鮮出兵のような出来事は無かったような気もします。

そう言えば信長の場合は「南蛮趣味」と言われていましたが秀吉の場合は「明物」に興味があったようですね。
これは博多商人が取り入ったせいなのでしょうか??



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家康 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月15日(金)22時18分37秒

は秀吉と比べると大局的手法はどうしても劣っていたような気がします。
秀吉の大風呂敷マジックのようなきらめく知性の輝きをあまり感じることが出来ません。
しかし、少しスケールダウンした局地戦における兵の使い方は秀吉と互角だと思っています。

家康は信長と比べてしまうと確かに田舎親父の観がありますがこれは仕方がないような気がしています^^;;
でも兵を動かす時の迅速さや朱印状貿易をみると彼もまた間違いなく信長の生徒だったように思われますねv(^o^)
多分家康だけは幼少の頃からの経験からみて三河武士の水準を遙かに超えた広い視野感覚を持っていたのではないでしようか??
家康が誤解されやすいのは「視野が狭くて偏屈で被害妄想が強かった三河武士、笑」が長期政権を握ったために三河者の代名詞として使われたからだと思っています(^o^)



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またまたウイルスが発生したようです 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月15日(金)18時46分43秒

ウイルス W32/Fbound.c@MM

■■ このウイルスについて
現在、日本語の件名を持ったメール配信型ウイルス(W32/Fbound.c@MM)が、
繁殖を続けている可能性があります。(危険度:中)
このウイルスは、メールの添付ファイル(patch.exe)を実行させる(Wクリック
して開く)ことにより、Windowsのアドレス帳のすべてのアドレスに自身をメール
送信します。
なお、ウイルス自身がPCにインストールされることはありません。
このウイルスの詳しい情報は、下記ホームページをご覧ください。
http://www.sourcenext.com/mcafee/virus/virus.html

■■ このウイルスの特徴
patch.exeというファイルが添付されたメールが届きます。
メール本文はありません。
SUBJECT(件名)は以下のとおりです。
(送信元のメールアドレスが.jpの時は、件名は日本語となります)

SUBJECT: IMPORTANT
SUBJECT: 重要
SUBJECT: Re:重要
SUBJECT: 重要なお知らせ
SUBJECT: Re:重要なお知らせ
SUBJECT: 例の件
SUBJECT: Re:例の件
SUBJECT: お久しぶりです
SUBJECT: Re:お久しぶりです
SUBJECT: こんにちは
SUBJECT: Re:こんにちは
SUBJECT: 極秘
SUBJECT: Re:極秘
SUBJECT: 資料
SUBJECT: Re:資料
SUBJECT: 蛙
SUBJECT: ウャR
SUBJECT: うんこ

以上はウイルススキャンからのメールです。



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もしも 投稿者:輔住  投稿日: 3月15日(金)17時27分46秒

太田さん
>信長が長生きしていたら、或いは植民地獲得にのりだしていたように思います。
>家康には、そのような気概はなかったように思います。
信長が外国に出兵したかは、私は予測不可能です。家康に関しては同感です。
家康の子孫の将軍達も秀吉の朝鮮出兵を再び行なおうとはしませんでしたし!

Toshyさん
>仮に信長が桶狭間で戦死してたとすれば、
そしたら家康も今川の与力で終わった可能性もありますからね。
日本の歴史は今と全然違っていたことは間違いないですね。



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日本では 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 3月15日(金)15時56分34秒

平清盛・織田信長といった西日本の商業主義経済よりも、家康の農業主義経済が強いという特徴。
これは騎馬民族否定の、有力とはいえないけど一つの証拠と挙げることが出来る。

>信長の方が秀吉より上だと思っていますが
秀吉は信長あってこそ、でした。仮に信長が桶狭間で戦死してたとすれば、
秀吉も歴史上に名を残すこともなかったでしょう。

>城攻めの巧さ、人たらしという部分は秀吉の方が上でしょうね
同意。これがあったから、秀吉の天下があったんでしょう。
もし本能寺の変があったとき秀吉がいなかったら、戦国の世に逆戻りだったと思います。



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また三文話です。 投稿者:太田守人  投稿日: 3月15日(金)12時48分11秒

終戦直後、ある地方都市の小学校での話です。GHQの教育部長のあるアメリカ海軍士官が、視察に来て、感想を聞かれたところ、「Hed is Bad.」と校長に言い残して言ったそうです。
ところが、この校長を始め、付いてきた県のお偉いさんは、この意味がわからない。「頭が悪い。」と言うが、平均的な小学校です。関係者が数ヶ月頭を抱えていたそうですが、その内、この校長の友人の海軍大佐が、南方から復員してきて、この校長が一升瓶を抱えて、生還祝いにいったそうです。そこで、校長がふっとこの元大佐に、その時の話をし、一同困っていると言ったところ、ワシントンの大使館で海軍武官をしたこともある、この大佐は、「ああそれは、トイレが汚いと言うことだよ。」と教えます。そこで、翌日、校長以下教職員・児童で便所掃除をします。このアメリカ海軍士官の教育部長が、また来て視察したところ、「非常によろしい。」と言って帰ったそうです。
大航海時代のヨーロッパの船には、トイレはなく、錨の穴(ホースパイプといいます。)から排泄物を海に流していたそうです。この名残で、船のトイレは帆船時代は、船首にあったそうで、そこで、アメリカ海軍では、今でもトイレをヘッドというそうです。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 3月15日(金)08時29分17秒

>家康を見ていると秀吉よりも信長の目指した方向に向かって進んだ人物のような感じもしています。

私は、信長は重商主義者、家康は重農主義者のように思います。秀吉より、家康の方が、オリジナリティがあるように思います。もし、信長が長生きしていたら、或いは植民地獲得にのりだしていたように思います。家康には、そのような気概はなかったように思います。
信長は、日本人には、珍しい西洋的思考の持ち主であったように思います。これに対し、家康は、土臭い田舎の親父さんのように思っています。



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家康のやりかたは・・・・・ 投稿者:みのる  投稿日: 3月15日(金)02時46分58秒

家康のやり方はあたかも株数で圧倒してしまう、西武=堤義明流のやり方でした。譜代大名は持ち株のようなもので石高で圧倒してしまうのです。。。
秀吉のやり方は五島昇=東急のやり口でした。。。
株を持たず
人間的魅力で部下を掌握してくやり方でした。。。
ただこの方法当主に魅力がなければなりません。。
豊臣日秀頼=五島哲のような者
がトップにたった場合、
政権は砂上の楼閣です。。。



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信長と秀吉 投稿者:輔住  投稿日: 3月14日(木)23時26分29秒

Toshyさん
>信長と秀吉、単純比較ではなく個々の能力の長短を見るべきではないでしょうか。
確かにそうですね。
総合的に言えば私は信長の方が秀吉より上だと思っていますが、
秀吉の方が優れている部分もたくさんありますよね。

野戦や状況判断力などは信長の方が上回っているでしょうが
城攻めの巧さ、人たらしという部分は秀吉の方が上でしょうね。

>秀吉の場合は織田家乗っ取りに成功したとはいえその立場は盤石とは言えませんでした。
>ですから「旧織田家」の内部を牽制する意味からも外部の強力な外様を取り込む必要が
>あったわけですね。
秀吉の場合、信長時代からの直臣、信長時代の同僚、その他の有力な大名という
バランスは苦労したと思います。秀吉の場合、信長や家康(あるいは他の大名)と
違って先祖代々の家来はいないしね。



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信長 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月14日(木)23時00分01秒

の場合はよく強引な力攻めをしたような印象があります。
でも実際は合戦で実力の違いを見せつけた後の調略により相手を崩壊に導くという手法を取っているように思っています。
これは戦国時代の一般的な手法でもあります。

当時、織田家がいくら抜きんでた勢力を持っていたとはいえ信長は多面作戦をとり続けて目一杯の勝負をしてたと言えるように思っています。
そこには、はっきり言って余裕はなかったと思います。
チェスの10面打ちをしているようなものだと言えば分かりやすいでしょうか、笑
これをこなせる人物は信長以外には存在しなかった訳ですよね。

光秀の「電池切れ」は信長にとって痛恨の誤算となりました。
これは光秀に対しての評価が高すぎたせいなのかもしれません。
光秀に期待しすぎた反動なのかもしれませんね。
光秀は史上最低のアホとして歴史に名を残す事になりましたがこれは私にとっても残念ですが日本全体としても大きな不幸だったように思っています。

秀吉や家康は「本能寺の変の前例」を間近で見ていますからその対応をしたという具合だと思っています^^;;

秀吉や家康が信長と違う才能があるのは当然です。
Toshyさんの言われるのが本当は正しい様な気がします。
でも信長の事を考えると目の前のコップを掴むように確実だと思えた未来が突然奪われた不条理にどうしても捕らわれてしまうのです。

>「天下統一した秀吉>出来なかった信長」
最近このようなごじゃっぺな人を見かけますよね(^^ゞ
恐らくこの人は何故アウグストゥスではなくカエサルが「皇帝」の名前で呼ばれているかなど考えた事もないのでしょうね、笑^^;;

みのるさんの感情は血統を受け継ぐ者として当然のものだと思います。
全く関係のない私にとっても信長の政権があれば明治維新が250年早く行われた可能性を強く感じてしまうのです。
だからといって秀吉の時代や家康から江戸時代を否定している訳では全くありませんよ、念のため、笑
これらは歴史的事実なのですから色々と探求しく対象ですからね。
こちらもまた面白いと考えています。^^



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家康 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月14日(木)22時51分09秒

の場合も「関ヶ原の戦い」で正真正銘の東軍(=徳川)対西軍(=豊臣)の対決に持っていく事を本当は目指したていたのではないかと思っています。
しかし、秀忠率いる3万の軍勢が遅れたためにかなり玉虫色的支配形態になってしまいました。
これは信長の弟子である家康の本音から見るとかなりかけ離れたものだったのではないでしょうか??
大阪の陣で豊臣家を滅ぼしてから家光に至るまで代を重ねて徳川は外様大名をずいぶん取り潰してきましたがこれは関ヶ原で一気に達成する事が出来なかった事を長年かけてやり遂げた様な気がしています。

家康を見ていると秀吉よりも信長の目指した方向に向かって進んだ人物のような感じもしています。

輔住さんが指摘されていたように対毛利戦ははっきり言ってどうなるのかよく分かりません^^;;
ただし毛利が豪族連合体であるところから判断すると毛利のために我が身を犠牲にする者がどれほどいたのかと疑問に思っています。
両者の実力の差は歴然としていますから、毛利も武田のようにひどくはないにしても歯が抜けていくように内部崩壊が進んだのではないでしょうか??



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本能寺の変 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月14日(木)22時49分40秒

が無ければ小牧・長久手の戦いは起こりませんでした。
これははっきりと断言出来ると思っていますv(^o^)

家康が安土から京都を少人数でのんびり出来た状況が復活するのは秀吉に屈する時点になってからですから数年間時間が逆戻りしてしまったような印象ですよね。

秀吉のように相手をそのまま取り込むパターンから大阪の陣以降の徳川家が実行したような強引に外様大名を押さえ込んだ方法まで信長の場合は選択出来る自由を持っていたと思います。

秀吉の場合は織田家乗っ取りに成功したとはいえその立場は盤石とは言えませんでした。
ですから「旧織田家」の内部を牽制する意味からも外部の強力な外様を取り込む必要があったわけですね。
つまり秀吉にはあのような方法しか選択枝は無かったと判断しています。

それにしてもまるで継ぎ接ぎだらけと言えるような状態にもかかわらず自分の元にまとめ上げる事が出来たのは秀吉もまた天才である事を物語っていると思っています。
何しろ秀吉の所領は220万石とは言っても正真正銘の本拠地は大坂65万石だったのです。
それにもかかわらず信長の後継者として本州中央部を支配しているとの錯覚??を全国の武将達に与えていたのですからね^^
でもこの脆弱さが関ヶ原の後に白日の下に晒されたように思っています。
ここに来て秀吉マジックの効力は消失したのかもしれません??



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信長公は・・・・・・ 投稿者:みのる  投稿日: 3月14日(木)21時05分22秒

信長公は不世出の天才でした。。。秀吉、家康とは比較にならぬ英雄でした。。。
天下を妨げる浅井、朝倉、今川、武田、松永等を
討ちさらに、比叡山、長島、越前等の腐りきった、まさに、修学退廃の時期にあった
仏教勢力を平定した大英雄でありました。。。
信長公がいなければ、日本は列強の植民地となったに違いありません。。。
現在の日本国の礎をきづいたのは聖徳太子でなくて実に信長公でありました。。。
世界史上、シーザー、リンカーンを凌ぐ英傑でありました。。。。
私は彼の血をひいていることを誇りに思います。。。



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一部では 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 3月14日(木)16時04分16秒

「天下統一した秀吉>出来なかった信長」という図式がまことしやかに書かれますけど、
これは公平な判断とはいえませんよね。
信長には戦国を荒々しく治めるという、たぐい希な才能がありました。
もし秀吉が1560年の信長の勢力とこれに匹敵する部下を持っていたとして、
京都を中心に天下の半分を征圧するまでは行かなかったと思います。

しかし、信長は実際に天下とりに失敗しました。
そして秀吉は暗殺されることもなく天下をとりました。
もし信長が生きていれば…という仮定よりも、
なぜ明智光秀の謀反を招いたか、防ぐことが出来なかったかを考えなければなりません。
秀吉には、信長にはない才能があるんだと思います。だから天下を統一できたのでしょう。

俺は経営の才能がありませんから、会社創立当時はもとの親分をしのぐ勢いでしたが、
今は逆転されているんです。創立の能力はあっても継続させる力はなかったということですね。
また、もとの同僚で社員としては優れた人も店を作ったけど、
経営能力は俺以下だったため(!)1年で潰えました。

信長と秀吉、単純比較ではなく個々の能力の長短を見るべきではないでしょうか。

信長は創立者として最強の人間であり、秀吉は店舗拡大に最も秀でた人。
そして家康は、出来上がった経営者として最高の人間だったといえるでしょう。



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「好物」も「歴史の楽しみ方」も 投稿者:輔住  投稿日: 3月13日(水)23時21分58秒

人それぞれでいいと思います。

話は代わりまして
>信長よりも能力の劣る秀吉が信長よりも劣悪な条件から統一を達成しています。
>この点から見ても、本能寺の変の直前の全国の状態を起点として考えれば信長による天下統一が近い未来に達成されるのは必然
>だったと思います。
秀吉の場合本能寺から8年ですが、信長だったら確かにもっと早いでしょうね。
ただ「毛利」をある程度の条件で残すか、武田家みたいに滅ぼすかで年月は代わると思ってます。
前者なら2年〜3年。後者の場合4年から6年と推測します。
毛利の吉川元春や小早川隆景と本格的に激突すると最終的には倒せても苦戦するでしょう。



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人間は 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月13日(水)21時33分00秒

「十人十色」なのですから各人の興味を引く対象がそれぞれ違うのは当然の事ですよ、笑

歴史という大カテゴリーに興味を抱く人であってもその中では各人ごとに興味の対象が更に細分化されていくのは当たり前であると考えるべきだと思います。
何故ならば(と言うほどでもありませんが、笑)人間はそれぞれが特徴を持っているからなのです。

もし誰もが同じ事だけにしか興味を持たないとしたらその方が不気味だと思います^^;;
比喩としてはちょっと不適切のような気もしますが、これを一定方向に強制的に向かせようとしたのが旧ソ連のような全体主義国家であり現代の北朝鮮のような国になるのだろうと思います。

民主主義が未成熟の段階では日比谷講堂焼き討ち事件のような事が日本でも起こりました。
これから推測すると日本の国旗や大臣の「わら人形」を平気で焼いて気勢を挙げている韓国の一般民衆の成熟度は日本の明治時代に相当すると判断する事が出来ると思います。

戦争は最もダイナミックな現象と捉える事が出来ますから興味の対象になり易い面はあります。
現代でも外国との関係を行う手段として戦争が認知されているわけですから戦争もまた政治の一面だと思います。
と書いているうちに話がずれてきたようです^^;;



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晴天の霹靂 投稿者:きんたろう  投稿日: 3月13日(水)21時30分23秒

とは正に「本能寺の変」の為にあるような言葉だと実は思っています^^
光秀のテロは必然であると言う人も多いのですが、これは歴史を後世からみて理屈付けをしようとした考えだと感じています。

信長は天下布武の元に四方を敵にしていましたから対立する相手や滅ぼされた相手の立場から見れば不倶戴天の敵になるわけです。
ですから機会があれば彼らが一矢を報いたいと考えるのは自然だと思います。
しかし、光秀はそれらのどれにも当てはまってはいないのです。

逆に「真空地帯」と言う人もいる中央部分で信長のすぐ近くに寄り添う13000人もの大軍を率いる役目を与えられたのが光秀なのです。
敵対する相手がこれをどのように感じたのかは容易に想像がつくと思います。
この事実から考えてみると光秀がいかに信長に評価されていたのかは一目瞭然だと思うのです。

信長よりも能力の劣る秀吉が信長よりも劣悪な条件から統一を達成しています。
この点から見ても、本能寺の変の直前の全国の状態を起点として考えれば信長による天下統一が近い未来に達成されるのは必然だったと思います。

ところがここで理解を超えた行動が光秀によって行われてしまいました。
私が信長のIFを好むのはピンチヒッターではなく本当の4番打者が切り開こうとした未来に対する期待感からです。

ところでkitunoさんは吉乃に繋がる人なんですよ^^
みのるさんもkitunoさんのHPもご贔屓にお願いしますv(^o^)
トップページから飛ぶことが出来ます。



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