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セリーグは 投稿者:輔住 投稿日: 6月30日(日)10時41分47秒
ヤクルトが一番安定してるような気がします。
(その分、大きな連勝も厳しいかもしれませんが)
横浜も調子が上がってきましたし、(順位的にはまだまだ論外だけど)
貯金しやすいゲームは少なくなるでしょう。
7月・8月は6月のW杯用の特別日程の反動のため、ハードな日程ですが、けが人が
あまりでないことを望みます。
太田さん
崇俊天皇の説読みました。
私は古代史のことはよくしりませんが、一理あると思います。
毒にも薬にもならない人間なら「暗殺」する必要はあまりないですし!
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サッカーを 投稿者:きんたろう 投稿日:
6月30日(日)04時29分09秒
見ていたはずなのですが...
いつの間にか寝ていました^^;;
安部さんも相当宵っ張りですね、笑
確かに阪神よりもヤクルトの方が巨人にとっては不気味かも知れませんね。
太田さん説崇峻天皇はなかなか面白いですね。
私は崇峻天皇については実は良く分かりません。
イメージがはっきりするほどの情報量を持っていないだけなのかもしれませんが...
でも確かに太田さんの推理の可能性はあるかも??と思います。
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何でこんな時間に起きているのか? 投稿者:安部奈亮
投稿日: 6月30日(日)04時16分30秒
という問題はさておき、北の国から懲りない面々がまた現れてどんぱちをやらかしたとか。
お祭の仲間入りができなくて寂しかったんでしょうね。
クラスに1人はいた、かまって欲しくて迷惑行為を繰り返すガキにしか見えない。
みんながワールドカップにかまけている間にヤクルトは2位!阪神はAクラスすら怪しくなってきました。ヤクルトに優勝の芽が出て来た以上阪神を応援する必要はない。今年も優勝じゃ。
木曜日にスキャナを買いました。自分の絵を取り込んで、Photo
Shopで加工したりして遊んでいます。次はCD―RWとHDを買い足したいです。ADSLとプリンタとスキャナの配線で机の周りはごちゃごちゃ。これでCD―RWを買って、DVDとかをつなげればもう立派なオタクです。ダメ人間への道まっしぐら?!
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祭りの終焉 投稿者:きんたろう 投稿日:
6月29日(土)13時35分24秒
というタイトルでアップしました。
Wカップ並びにその組織であるFIFAについての印象です^^;;
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kintaro2/matsurinoato.htm
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氷室の饅頭 投稿者:太田守人 投稿日: 6月28日(金)14時07分50秒
7月1日は、加賀藩が氷室から雪や氷を出して、江戸幕府に献上した日だそうです。この日に、金沢周辺では饅頭を食べる風習があります。この饅頭を食べると、夏負けしないし一年間無病息災に過ごせると言います。藩政時代は、この氷室饅頭を親戚や知人に配りあう風習があったそうで、饅頭は、万頭とも書きますので、万(よろず)の頭に出世出来るという言い伝えがあったそうです。
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帝京大学医学部 投稿者:安部奈亮 投稿日:
6月28日(金)12時05分44秒
淫祀邪教(カルト宗教)なみの集金手口が明らかになりました。
安部英のようなやつは当然出るべくして出るような大学だったのですね。
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行きたいですね。 投稿者:太田守人 投稿日:
6月28日(金)08時32分20秒
北海道。でも、お金がない。(自爆
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今日も 投稿者:きんたろう 投稿日: 6月27日(木)16時10分01秒
快晴です。
空気が乾燥しているために日差しはかなり強いのですがあまり汗をかきません。
先週は北海道の北の方では雪が降ったそうです(^_^;
太田さんもぜひ北海道を訪れてみて下さい(^_^)v
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いいですね。 投稿者:太田守人 投稿日:
6月27日(木)08時12分56秒
梅雨のない北海道は。私は、北海道に行ったことないですが、今の季節が一番良いかもしれませんね。
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北海道 投稿者:きんたろう 投稿日: 6月26日(水)20時43分39秒
の天気は快晴でした(^_^)v
やはり日本列島は長い事を実感しました。
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崇峻天皇 投稿者:太田守人 投稿日: 6月26日(水)12時31分06秒
私は、中央集権というか天皇を中心とした律令政治を目指した、人物は崇峻天皇の方が、聖徳太子(タリシヒコ大王)よりよほどうまく立ち回っていたように思います。少なくとも、馬子に付け入る隙を与えなかった。そこで、馬子も強硬手段を用いざるを得なかったように思います。
馬子にすれば、聖徳太子(タリシヒコ大王)が動けば動くほど、自分に取って都合の良い状態になってきた。そこで、崇峻のように殺すより、生かしておいた方が、よほど利用価値があったのだろうと思います。
私は、崇峻という人物は、一般のイメージのなにか冴えない天皇というより、馬子も手を焼くほどの、相当優秀な人物であった可能性もあると思います。
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きんたろうさん 投稿者:太田守人 投稿日:
6月26日(水)08時31分09秒
蘇我馬子が、足利尊氏だと思っています。馬子は、豪族の味方であった。隋の滅亡も、聖徳太子(タリシヒコ大王)に不利に働いたでしょうが、もっとも大きな力は、諸豪族の不満だったと思います。聖徳太子(タリシヒコ大王)は、その純粋性により、馬子には十分利用価値があったと思います。そして、諸豪族との間を乖離させることに成功した。これにより、蘇我氏の勢力は絶大になっていったと思います。
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太田さん 投稿者:きんたろう 投稿日: 6月25日(火)19時27分50秒
聖徳太子の奇跡3を読んでいただいてありがとうございました。
>冠位12階を「えこひいきだー。」という不満が充満した。
はは(^o^)
このような不満がずいぶん高まったであろう事は私も思っています。
そして聖徳太子がこの圧力を押さえきれなくなった理由とは随の滅亡にあると考えています。
この付近は聖徳太子4で書こうと思っていますのでまたよろしくお願いします^^
後醍醐天皇との類似性を見いだすとはさすがに太田さんだと思いました(^o^)
ところで明日から北海道へ行って来ます。
ネットを見つけたら向こうから書き込んでみますね。
見つからない時は携帯からも書き込むつもりです^^
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最近の 投稿者:きんたろう 投稿日: 6月25日(火)19時25分19秒
日本国債の格下げは日本資金を呼び込もうという陰謀が匂ってきますよね。
確かに日本の利息はゼロでありペイオフの発動により預金に対するリスクが高まっていますがこの程度のリスクは海外では当然です。
ですから現在の格付けをまともに信じて投資した結果、数年後にアルゼンチン国債のような状況が訪れても自己責任という事で片づけられてしまうと思います。
安部さんの言われるように確かにアメリカ国債を買う事によって貿易収支の日本の黒字分はアメリカに還元していった図式になると思います。
それとは別に日本のGDPの大多数は国内での消費の積み上げによるものですから、貿易分だけを過大に考えるのは経済の本質を見誤るような気がしています。
とは言っても日本の経済規模は世界経済の1割を占めているのですから、詐欺師のような強者がカネを引き出そうといろいろな手段を使ってくるだろうという事は想像できますね^^;;
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後醍醐天皇と聖徳太子 投稿者:太田守人 投稿日:
6月25日(火)12時34分28秒
聖徳太子(タリシヒコ大王)と後醍醐天皇は、よく似ていたように思います。どちらも理想を追っていた。ただ、聖徳太子は、戦争してまで自分の意志を通すつもりはなかった、ここが、後醍醐との決定的な違いだと思います。
私は、17条の憲法は服務規程だと思っています。普通、服務規程の17条の憲法を発布してから、冠位12階を出せばよかったのに、彼は、文帝の言葉にあせって、先に冠位12階を出したので、豪族に混乱が起こった。冠位12階は、能力主義でいくと言うことだと思います。そこまで、社会的成熟がなかった、倭では、冠位12階を「えこひいきだー。」という不満が充満した。そこで、17条の憲法を作らざるを得なくなったと思います。私は、聖徳太子(タリシヒコ大王)も、律令制というものは、よく分かっていなかったと思います。私は、聖徳太子(タリシヒコ大王)の治世はなにか、朝令暮改の建武の中興を思い出します。
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北朝鮮崩壊 投稿者:太田守人 投稿日: 6月25日(火)12時08分36秒
私は、安部さんのご意見とは反対で、割合北朝鮮は持つのではないかと思っています。北朝鮮が崩壊すると、中国はアメリカと、1,200kmに渡って対峙しなければいけなくなる。そうすると、中国は国防費をもっと増やす必要があると思います。更に、韓国は、東西ドイツの統一による、ドイツ経済の停滞をみているので、統一には腰が引けている。そこで、中韓両国は、北に援助して、潰さないようにすると思います。
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安部さん 投稿者:太田守人 投稿日: 6月25日(火)08時42分45秒
就職内定おめでとうございます。私も、石油ショックの一番底の時に、就職しました。私の頃は、指定校が花盛りで、会社訪問すると、出身校ではねられるというとんでもない時代でした。
きんたろうさん。聖徳太子について読ませていただきました。私は、この頃、蘇我と物部って結構仲がよかったと思っています。馬子の奥方は、守屋の妹ですから。ただ、守屋の国粋主義が、最後はどうにも諸豪族にも鼻持ちならなくなっていったと思います。守屋は、どうも今の右翼の親玉のようになっていったように思います。
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まあ 投稿者:安部奈亮 投稿日: 6月24日(月)22時18分41秒
全くの推測なんですが
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いえ私は 投稿者:安部奈亮 投稿日: 6月24日(月)20時50分50秒
もっと上の方の政治的な取引で、日本の政府や銀行が、アメリカや西ヨーロッパを財政的に援助したのではないかと疑っているんです。
多分日本が財政的に困窮してそれらの国の国債をたたき売りすれば、影に隠れていた欧米の財政赤字が再び露見して世界経済が大変なことになるので、むこうとしても日本を無下には扱えない。これは国策としてはそれなりに正しいと私は思います。
しかしこれは国民には全く断りなく行われたことです。
日本の財政赤字は400兆円といわれています。銀行の不良債権もそのくらいあるらしい。私は、これはバブルの時の過剰な投資や発展途上国へのODA垂れ流しだけが原因ではなく、むしろ先進国のアメリカ合衆国やイギリスやフランスやイタリアの財政赤字の埋め合わせに使われたのではないかと疑っているわけです。
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財政的 投稿者:きんたろう 投稿日: 6月24日(月)19時24分33秒
にみると日本の政治家は国の将来という長期ビジョンを描く力量を持っていないことがよく分かります。
年収400万円の人が800万円の支出をしたらどうなるのか?とは小学生でも普通分かりますよね。
個人レベルならあっという間に「自己破産」です。
日本国の財政もこれと同じ事をしているのです。
これを見ると私達の老後や次世代を担う子供達の将来を考えるとこれほどの負債を相続させていいものかと思うのです。
クレジット・カードが普及し始めた頃はカードの普及によって消費者の消費意欲を向上させる事に成功しました。
現金では購入を躊躇する場合でもクレジット・カードによって消費を可能にした事は現代社会経済が大きく進歩する原動力になりました。
しかし、いくらクレジットカードを数多く持っていたとしても収入が増えるわけではありませんから収入以上の支出をする事は不可能なのです。
クレジットカードはタイムラグで支出が収入よりも上回る事を可能にしましたがこれは破滅への近道であるのです。
これとリンクするかのように日本経済はバブルへと突き進んでいきました。
でも日本以外の大多数の国の経済は日本が破綻している以上に破綻しているのです。
問題は数字上成長を続けているリスクの高すぎる国に安易に投資をしてる事だと思っています。
無用なODAなどは特にそう思うのですが、その様な余剰金があるのであれば国内に投資をして雇用など興すべきだと思うのです。
歴史的に見ても好況、不況と波があるのは好況におけるバブルの調整期として不況があるように思っています。
日本史では強制的デフォルトとして「徳政令」が出されています。
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Xデーは近いかもしれない。 投稿者:安部奈亮
投稿日: 6月24日(月)11時52分39秒
北朝鮮がますます89年の東欧に似てきました。
国連難民高等弁務官が、北朝鮮―中国国境に難民キャンプを作ることを中国政府に打診しました。
案外崩壊は早いかもしれません。来年あたりに北朝鮮と言う国はなくなっているのではないかと思います。
崩壊した場合、韓国には北朝鮮を支える力がないし、中国と直接国境を接することを国防上彼等は望んでいないので、アフガニスタンやカンボジアのように、国連監視のもとに復興政府がまず作られるでしょう。治安維持部隊として,朝鮮半島とは利害の関係がないカナダとか北欧の部隊が送られるのではないでしょうか。そして多分資金は日本が出すと言うことになるでしょう。日本には責任がありますからね。また大変ですね。
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不良債権の正体? 投稿者:安部奈亮 投稿日:
6月24日(月)11時46分45秒
80年代のアメリカと西ヨーロッパ諸国は膨大な財政赤字にあえいでいました。
しかし90年代の経済発展と、財政健全化政策によって、彼らは赤字を解消したことになっています。
本当でしょうか?
アメリカの財政赤字は100年かかっても返せないだろうといわれていました。ヨーロッパ諸国も似たり寄ったりです。油田が見つかったわけでも、金山を掘り当てたわけでもないのに、ものの10年で返せるものなのか?私はずっと疑問でした。
知り合いとこのことを話していたら、その理由が見えてきました。
日本の政府と銀行がアメリカと西ヨーロッパの国債を買うことによって、彼らの財政赤字は解消されたのではないか?80年代と90年代に日本が彼等に経済援助をして、アメリカと西ヨーロッパは「損失飛ばし」を行ったのではないだろうか?
今の日本の不良債権の責任はもちろん日本の経済がごじゃっぺだったからですが、しかし、不良債権の隠れた大きな原因は、アメリカと西ヨーロッパに行った経済援助だったのではないでしょうか?
ちょっと陰謀史観じみていますが、アメリカと西ヨーロッパはこの「損失飛ばし」が表面化しないように、格付け機関で日本を貶めたり、かと思ったら国際会議で日本をおだててみたりしているのではないでしょうか?
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人間が 投稿者:きんたろう 投稿日: 6月24日(月)00時00分57秒
基本的には同じであるという考えは私も持っています。
民族とか特徴などを形成するのは地理的環境による部分がかなりの比重を占めていると思います。
そして人類は地球上の様々な地域の異なった環境に適応していったために食生活に代表されるような生活の基本的部分に差が現れているのだと思っています。
この差は決して小さいものではないと思います。
この差を無視して人間は何人であっても同じであるという人がいますが、この様な意見ははっきり言って薄味過ぎると思っています。
この程度では「嬉しい」「怒り」などの基本的部分の共通くらいしか見ることは出来ないと思います。
同じところがあるのは人間なのですから当たり前なのですから。
さて安部さんの話は面白いです。
でも男女の性差というのは雌雄の差ですから人間としては同じでも別の人種であると言っても良いほどの違いを持っているような気もしています。
と言っても同じ人類ですから同じように物を考えて同じように行動するのは当然だと思います^^
>でなければ児童虐待のような悲惨な事件は起きないはずだし
これは極端な例だと思いました。
確率的に壊れている人は残念ながら存在するのだろうと考えています。
みのるさん、お久しぶりですね。
順調に回復されていますか??
編集済
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おひさしぶりです 投稿者:みのる 投稿日:
6月23日(日)23時30分40秒
足を骨折してしばらく書き込めませんでした。
会社もお休みです。安部さんおめでとうございました。
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男女差とは? 投稿者:安部奈亮 投稿日:
6月23日(日)17時17分20秒
みなさんありがとうございます
これは私の推測なのですが、
人間の行動パターンと言うのはそう多くはなくて、行動パターンを何に向けるかによって特徴と言うものが出ているのではないでしょうか?
私は人間には本能は無い(あるいは壊れている)と考えています。でなければ児童虐待のような悲惨な事件は起きないはずだし、逆にものすごい自己犠牲的な善行も存在しないはずです。すべて後天的な有形無形の教育によって人間の性格と言うのは作られるのではないでしょうか。
そして先天的な男女差も、体格の差以外は全く無いはずです。
そして男女差というのも男は○○な行動をしがち、女は○○な公道をしがち、と言う風に私達は考えていますが、そのような差すらなくて、男も女も行動は全く同じ、違う点は何にそれを向けるかにしか違いは無いのではないでしょうか?
例えば何かに尽くすと言う点では全く同じでも、それを家事に向ければ女性的と言うことにされて、それを会社などに向ければ男性的とされる。両方とも女性らしい性格、男性らしい性格を持っていて、それをどこで出すかで男か女か評価されるのではないでしょうか?
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安部さん 投稿者:輔住 投稿日: 6月22日(土)22時31分37秒
就職内定おめでとうございます。v(^_^)v
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聖徳太子が 投稿者:安部奈亮 投稿日: 6月22日(土)20時40分23秒
かなりのやり手であったろうという意見に私も賛成です。
伝説では聖徳太子は生まれた時から聡明で目をかけられていたことになっていますが、馬子を始めとする調停の人間に一目置かれるようになったのは、物部との戦いで目覚しい戦功を挙げたからかもしれないときんたろうさんの文章で思いました。
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安部さん 投稿者:きんたろう 投稿日: 6月22日(土)19時19分06秒
就職内定獲得、おめでとうございます。
これでいよいよ来年から社会人ですね。
安部さんのような人材を得た会社は将来性もばっちりだと思います。
今のうちに株式を買っておこうと思いますので後で教えて下さいね^^
>近代社会においては、女は男と結婚し、男は会社と結婚をするのです。
現代社会においては女も会社と結婚する場合が多くなってきていると思います。
このような変化が出生率の低下や晩婚が増えた原因にあると考えています。
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聖徳太子の軌跡 投稿者:きんたろう 投稿日:
6月22日(土)19時18分10秒
ははっきり言ってかなりの自信作ですv(^o^)
今まで聖徳太子について書かれている本をかなり読みましたが私のような切り口に重点を置いたものは無かったと思います。(と自画自賛しておこう、笑)
編集済
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醍醐 投稿者:きんたろう 投稿日: 6月22日(土)19時17分33秒
とは仏説の五味の一つで五味には乳味・酸味・生酥(しょうそ)味・熟酥味・醍醐味があります、と言っても五味について実は良く分かりません^^;;
乳を精製して得られる最も美味なるものであり仏教の最高真理に例えられると広辞苑にありますがチーズもヨーグルトも究極の乳製品と言われていますから...
さてどちらなのでしょうか??^^
牛または羊の乳を精製した濃厚液で五味中最良の味とされる。
ともありますから「コンデンス・ミルク」が実は正しいのかなと思ったりしますね。
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で、妻がなぜ夫の会社を恨むか 投稿者:安部奈亮
投稿日: 6月22日(土)14時56分53秒
もう当然ですね、男は会社と結婚しているのです。
女にとって企業は恋愛のライバルです。「会社が恋人なのよ」という言葉は非常に含蓄のある言葉だったのです。
近代社会においては、女は男と結婚し、男は会社と結婚をするのです。
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となると今の私の心理は 投稿者:安部奈亮
投稿日: 6月22日(土)14時51分59秒
マリッジブルーかも?(笑)
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就職活動と恋愛 投稿者:安部奈亮 投稿日:
6月22日(土)14時44分59秒
3月から始めた就職活動もようやく終わり、何とか内定を取ることができました。いろいろ勉強になったのですが、その中でも一番面白いことを書こうと思います。それは、就職活動が恋愛、それも結婚相手を決めるときの女性の心理と非常に似ている(あるいは同じ?)と言うことです。
まず、就職活動が始まると、今まで身だしなみなど全く気にしていなかった男どもが、急に髪型を決めて、恋する少女のように服装のことを気に掛け始めます。スーツの色が隣に座っていた人とちょっと違ったと言ってはくよくよし、スーツに似合うネクタイはなどとショーケースをうろうろとします。言葉ではなかなか相手に自分を全て伝えるのが難しいので、身だしなみや挙措動作で自分の人間性をアピールしようと言うねらいですね。これは相手の気を引こうとする女性の心理と全く同じといって良いでしょう。
就職先を結婚相手と考えるとまた面白いことが見えてきます。男が就職活動の時に使う言葉は「本命」とか「第二希望」とか恋愛の時に使う用語と似ていることに気がつきます。また、本命の業種に行けば心は満足するけれども難しいし給料も少し見劣りする、けれども羽振りの良い業種に行けば内定も取りやすいし、給料も良さそうだ、などと逡巡する様は、二股をかけて悩んでいる女性と全く同じです。これはおそらく就職した後も続くでしょう。本命の業種に入れたから少々苦しくても我慢しようと思ったり、第二志望を選んでしまって、生活はそこそこ満足しているけれど「私には別の道があったのではないか?」とどこか満足できない、これらはまさしく主婦の心理でしょう。
内定をもらう時期と良い仕事に就けるかどうかは全く別であるのに、早く内定をもらった人の方が何となく偉いように言われるのも、早く結婚した方が正しいかのように言われるのと同じでしょう。
またはっきり言って無能な大学出の新入社員を会社が採りたがって、なかなか中途採用をしようとしないのは、処女を結婚相手に選びたがる男と同じといえます。
そう考えると大学というのは花嫁修業と同じであり、お琴とかお茶を習うのと同じことで、日本の企業が大学教育に実戦で役立つことを全く期待していないのは当然であるということになります。
内定は勿論婚約ですね。
就職活動における学生の狡猾さというのは恋愛における女性の狡猾さと全く同じ種類の物です。それに対して採用担当が憤慨するのも、女性に振り回されて憤慨する男と全く同じ。
あまりにも両者は似通っています。単なる偶然以上の意味があるはずです。
てなことを考えていたら、岸田秀さんも同じようなことを言っていました。岸田さんは産業革命によって、家族制度が会社をなぞるように変化したと書いていました。ですが私はむしろ、近代の企業が恋愛をまねしているのではないかと思います。
ともかく人間の考えることと言うのは常に全てで連関があっていろいろなところでつながりあっているのがわかります。
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パレスチナのテロ 投稿者:安部奈亮 投稿日:
6月22日(土)12時12分29秒
何でイスラエルがあれほど押さえ込もうと躍起になっているかと言うと、かつてユダヤ人は同じ方法で独立を勝ち取ったからです。
第一次世界大戦のあと、パレスチナはイギリスの委任統治なっていました。イギリスがユダヤ人、アラブ人両方と独立の密約を交わしていたのは有名な話です。しかし第二次世界大戦後もイギリスは独立を引き伸ばそうとしました。それに対してユダヤ人はイギリスの要人の暗殺、駐屯部隊の暗殺などのテロを繰り返して、イギリスをパレスチナにいられないようにして、どうしようもなくなったイギリスは匙を投げて国連に裁定を求め、ユダヤ人に有利な形でイスラエルの独立が決まりました。
したがってこれはユダヤ人にとっていつか来た道であり、自分ってやったことがそのまま跳ね返ってきているわけです。むきになろうと言うものです。
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聖徳太子の軌跡3 投稿者:きんたろう 投稿日:
6月22日(土)12時02分00秒
をアップしました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kintaro2/shotokutaishi3.htm
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きんたろうさん 投稿者:太田守人 投稿日:
6月21日(金)13時36分02秒
すいません。チーズって醍醐でしたっけ、私は蘇だったと思っていますが。ヨーグルトが醍醐でなかったでしょうか?記憶ちがいでしたかね。
明日香の飛鳥寺の売店で、古代の蘇を再現したものを買ってきましたが、今のナチュラルチーズより、味が濃く、コンデンスミルクをチーズにしたという感じでした。
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能登は 投稿者:太田守人 投稿日: 6月21日(金)08時35分31秒
大体自給自足が出来ません。高い山がない。(能登の最高峰宝達山でも500m)川も大きなものがないで、農作物の生産には適しません。江戸初期には、長氏という殿様が、穴水だったにいて、一応独立した藩だったのですが、倒産し加賀藩に吸収合併されました。米経済では、能登は立ち行かず、加賀藩もお荷物だったようです。ただ、古代にあっては、海運の中継地として、加賀より豊かでした。特に、七尾の万行遺跡という古墳時代の倉庫跡は、今まで出土した、倉庫群から想像もできないほど大規模で、越の国全体の物流センターだったのでないかとも言われています。
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ムショ 投稿者:太田守人 投稿日: 6月21日(金)08時26分42秒
刑務所のことをムショって言いますが、私は、「けいむしょ」の略だろうと思っていましたが、そこで出る麦飯のことで、昔は、麦6に米4だったので、ムショになったという話を読みました。
ただ、戦時中、刑務所の囚人は、あの食糧不足の際でも、きっちと必要カロリーを取っていて、戦後、進駐したGHQが、日本の官僚の能力の高さと言うか、クソ真面目さに感心したと言います。
海軍が、麦飯を明治に導入したのは、刑務所の囚人に、脚気患者が、ほとんどいないことに着目したと言います。海軍は、米7と麦3の麦飯だったそうですが、きんたろうさんのおしゃるように、1〜2割の麦飯でも、ポロポロですから、食べ難かったと思います。ただ、高橋孟著の「海軍めしたき物語」という本がありますが、米7麦3ではうまくないので、もっと米の量を増やし、会計検査院が来る、前の日の晩に帳尻をあわすため、麦を捨てていたそうです。この麦を捨てる作業が、又大変で、ばれないようにするのに苦労したそうです。
話は変わりますが、日露戦争の203高地で勝利した、日本軍は、大量のシャンパンを手に入れたそうで、兵隊はこれをラッパ飲みしますが、大概は炭酸に驚き、こいつは腐っていると言って吐き出し、全部捨ててしまったそうです。
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水戸黄門 投稿者:きんたろう 投稿日: 6月20日(木)21時53分21秒
はラーメン以外にもチーズを食べていたらしいです。
でも中国人はチーズが大嫌いな筈ですから「中国かぶれ」の黄門様にしてはちょっと変だなと思っていたのですが、こちらは後醍醐天皇にかぶれていたせいだと思いつきました、笑
黄門ラーメンは近年になってそのレシピから再現されたようですが実は良く分かりません。
一説によると大変美味しいとも言われています、笑
今度食べた時には感想を書きますね^^
>いくらタダだからといって、虫の食ったうどんを食わすとはなにごとだー
はは^^
これはおかしいです。
でも納得してしまいましたv(^o^)
ビーフンの感想は輔住さんと同じです^^
でもあれって「そうめん」「ひやむぎ」みたいな感じですね。
にんにくなどの香辛料については肉食の比重が高いところで発達していますね。
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魔異夢さん 投稿者:きんたろう 投稿日:
6月20日(木)21時51分40秒
は中華丼が得意なのですか??
でもあれはカツ丼や親子丼、あるいは牛丼と同じ発想ですからひょっとしたら「日本製」かも知れないですね、笑
麺のルーツは華北地方に求められるのですか??
それは全く知りませんでした。
とするとイタリアン・パスタはいつ頃からの物なのでしょうか??
曇徴と共にうどんが日本に伝わったのが600年くらいだったと思いますが...??
あれ、違っていたかな。(思い出せない^^;;)
もし古代ローマ時代からパスタがあったとしたら西と東の大帝国の交易が成立していた事になりますからものすごい事ですよね(^o^)
曖昧な記憶なのですが確かパスタの歴史は古代ローマにまで遡れると何かで聞いたが読んだ記憶があるのですが...自信はありません^^;;
安部さんの書かれているようにメソポタミア付近でしたらエジプトから地中海社会へと伝わったのかなと思います。
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太田さん 投稿者:きんたろう 投稿日: 6月20日(木)21時50分22秒
一回の食事で一升も食べてしまうのですか??
すごすぎます^^;;
これだと「大食い選手権」に出られそうですね、笑^^
確かにご飯は美味しいですよね。
私も普通は米だけをそんなに食べる事はないのですがおにぎりととかだと普段の数倍位を平気で食べてしまいますよ。
米の炊き方を比べると日本と大陸とではずいぶん違います。
うるち米とかタイ米といった差ではなく実際料理としての炊き方がずいぶん違っています。
日本では重しを乗せたような重い蓋をしてご飯を炊いていますが、このような方法を採っている国は日本以外には無かったと思います。
ですから中国の場合はどちらかと言えば水の少ない「おかゆ」に近いご飯だったように思います。
能登の場合は恐らく自給体制が整った場所というよりは交易により適した場所だったのだろうと思います。
江戸時代になって強制的に土地に縛り付けようとする圧力が増大したために米の「価値」が高まったのでしょうか??
大体の場所では安部さんの書かれているように米は人が食べてこそ価値が出るものだという商品の特徴から言えばほとんどの人達は米を食べたと思っています。
ただしこれはマクロ的に見たものですから飢饉の年もあれば地方によっては冷害のところもあったはずです。
また各家にめをやれば病気をしたために小作農になっていった者もいたはずですよね。
ただし白米100%ではなく麦をブレンドしたものなどを食べた比率が高かったのかも知れませんね??
以前麦トロ定食を食べたことがありますが1割〜2割くらい麦を入れただけで「麦だらけ」といった感じになっていましたよ。
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ベトナムの生春巻きは 投稿者:安部奈亮 投稿日:
6月20日(木)21時49分03秒
米の粉で作るのではありませんでしたっけ?
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ビーフン 投稿者:安部奈亮 投稿日: 6月20日(木)19時48分23秒
中国人が料理してくれたビーフンは美味しかったですよ。
でもビーフン自体にはほとんど味はありませんから、味のつけ方が大事でしょうか。そう言えばその中国人は香港の人でした。
中国軍はビーフンを食糧にしているみたいです。米を携帯食にしようとすれば、ビーフンにするのが一番良いかもしれませんね。乾麺の時のビーフンは、プラスチックのケーブルみたいです。
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聞いた話ですが 投稿者:輔住 投稿日: 6月20日(木)17時14分38秒
>米から作った麺って、どんな味なんでしょう?
ビーフンは米から作った麺だということです。
だとすれば、私の味覚では特にうまくもなく、まずくもなくと
いったところでしょうか!
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米の麺 投稿者:太田守人 投稿日: 6月20日(木)15時41分53秒
中国の南の方だったと思いますが、米の麺があるそうですね。米から作った麺って、どんな味なんでしょう?
きんたろうさん、黄門様の食べたラーメンですが、どんなものなんでしょう?日本で初めてラーメンを食べたのは、黄門様と言いますから。
マカロニと言えば、おもしろい話があります。日本海軍は、イギリス海軍を軌範にしていますので、下士官・兵の食事は、結構洋食のおかずが多かったらしいですが、マカロニを出すと必ず、「いくらタダだからといって、虫の食ったうどんを食わすとはなにごとだー。」と言う文句がでたそうです。
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調べたところ 投稿者:安部奈亮 投稿日:
6月20日(木)13時46分02秒
中国人の中には、生にんにくをかじりながら餃子を食べる人がいるようですね。
それを見た日本人が、生のにんにくは私達には少しきついので、餃子の中ににんにくを刻んで入れたのでしょう。
私は麺くらいなら、世界中の複数の場所で発生しうると思います。
どっちにしろパスタはイタリア起源ではないでしょう。エジプトかメソポタミアだと思います。
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麺類 投稿者:太田守人 投稿日: 6月20日(木)08時26分15秒
イタリア人が聞いたら、怒るかもしれませんが、麺類って華北が発祥のように思っています。中国の山東省あたりに生まれ、それが伝播したと思います。日本も、蕎麦を今のように麺にして食べるのは、新しいらしいですから。
私は、蕎麦が好きですが、大阪で蕎麦を注文して、白い蕎麦が出て来たのには、驚きました。あの関西の白い蕎麦は、つなぎに小麦粉を大量に使っているのでしょうか?やはり、関西はうどんですね。うどんでは、きつねうどんが好きです。
餃子は、中国ではお祝い料理だとか。特に婚礼では、欠かせないものだとか言いますね。餃子というのは、西安あたりが発祥の地なのでしょうか?西安で、多種類の餃子が昼食だったかに出てきて驚きました。更に、あのあたりでは、餃子にニンニクは入れないと聞きました。日本ではニンニクをいれますが、どこで餃子にニンニクを入れるようになったのでしょうか?現地ガイドが、日本で餃子にニンニクを入れると言ったら驚いていました。
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餃子 投稿者:きんたろう 投稿日: 6月20日(木)02時31分30秒
確かに餃子も美味しいですね^^
そして北方系であるにもかかわらず各地域に対応したのが現在の餃子のバリエーションだと思います。
ところで餃子もつまりはパスタですよね。
これはローマでマカロニタイプのパスタが創られたと同じ様な発想からだったのでしょうか??
餃子はワンタンが進化(笑)したものだと勝手に決めつけたところからの発想です^^
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なんだか同じ時間に目が覚めたようで 投稿者:安部奈亮
投稿日: 6月20日(木)02時23分17秒
江戸時代にラーメンが流行らなかったのは、作ることが出来なかったからだと思います。
調べたわけではないのですが、ラーメンが流行るようになったいきさつは餃子と同じではないでしょうか?
餃子は日中戦争で華北に進駐した人達が、現地人から製法を教わって、戦後に大流行しました。ラーメンも多分同じではないでしょうか?小麦を麺にして食べるのは華北の習慣ですよね?
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強力粉 投稿者:きんたろう 投稿日: 6月20日(木)02時05分59秒
名前だけは知っているのですが小麦粉と区別が付かない私です、笑
さすがに安部さん、グルメですね。
すると明治に入って強力粉が輸入されたためにラーメンが広まったというわけですね^^
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強力粉 投稿者:安部奈亮 投稿日: 6月19日(水)21時35分41秒
ラーメンやパンに使うのは強力粉です。グルテンの量が多い小麦粉ですね。
日本の小麦はグルテンの量が少ないので、うどんを作ったりてんぷらことして使う分にはよいのですが、ラーメンやパンは上手に作れません。
多分それが原因だと思います。
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長年の疑問、笑 投稿者:きんたろう 投稿日:
6月19日(水)19時19分22秒
ラーメンほど日本人に愛されている食べ物はないのではないかと個人的には思っています。
子供の好物ベスト3はラーメン、ハンバーグ、カレーライス(順位不明^^;;)だと思いますがこれは私の好物でもあります。
ところがこのラーメンは江戸時代に普及していません。
どうして江戸時代には普及しなかったのかよく分かっていません。
何か特別な理由があったからなのでしょうか??
恐らくはラーメンの味覚に対する拒絶反応ではなくて出汁を取るための食材が普及していなかった事が原因だと思うのですが...
でも東京ラーメンは醤油味ですし塩味のラーメンも美味しいですよね。
豚骨ラーメンだけが普及しなかったというのであれば何となく分かるような気がするのですが不思議だと思っています。
豚骨スープを取るには豚を飼う必要がありますので家畜を大々的に飼育する歴史を持ってといなかったのでこれについてはやはり何となくですが分かります。
でもこちらには「黄門ラーメン」があって水戸黄門が食べたラーメンを再現したもののようですからラーメンが日本に入っていなかった訳ではないと思います。
尤も黄門様が食べたラーメンとは朱瞬水が作ったものかもしれないと思っています(^o^)
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お箸 投稿者:安部奈亮 投稿日: 6月19日(水)15時17分25秒
白川静先生もお箸は神事に使われる道具だったと言っていましたね。
殷の文化は日本や東南アジアの文化と通ずる面が多いのだそうです。
お箸と言うのは照葉樹林文化圏(雲南、揚子江流域、日本)が発明したもので、元々神さまやあるいは祖先の霊(これも神さまかな)に食べ物を捧げる時なんかに使っていたのではないでしょうか?それが本来は箸を使っていなかった中国の中原の方にも伝わったとか。
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中国地方でも同じような話がありまして 投稿者:安部奈亮
投稿日: 6月19日(水)15時12分29秒
備前備中それに播磨は水田地帯ですが、中国山地と言うのは余り米が取れません。安芸や備後の山奥では、病人の枕元で米の入った袋を振って、「元気になれば米が食べられるぞ」と言って励ましたと言う話が伝わっています。
でもこれは日本の大多数ではなかったと私は思います。
大正の頃から「日本の農村は遅れている、悲惨だ、何とかしなければならない」と都市のエリート達が思うようになって、色々な調査や改善のための運動が行われたり、教育で農村の悲惨さが訴えられましたが、だからと言って日本人がみんな江戸時代にそんな生活をしていたとは思えないんですよね・・・それに私は日本の農村は明治時代になってからむしろ貧しくなったのではないかと考えています。江戸時代の年貢と言うのはかなりザルでした。それに対して明治政府の地租取立ては本当に厳しくて逃げ道がありませんでした。小作人が増えたのも明治になってからです。
農村の残酷物語は、都市のエリートの想像と、明治になってから農村が荒廃して行くにつれて、江戸時代の本来の農村の姿よりも増幅されて伝わったのではないでしょうか?
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中華料理^^v 投稿者:まいむ 投稿日:
6月19日(水)15時09分46秒
どちら様もお久しゅう^人^
個人レベルで言うと、中華料理。。。うーーん、中華丼が得意でございます。
あとは、ニラレバ炒めのレバーを豚肉にすると、うまい! ^ー^!
http://www3.nsknet.or.jp/~maimu/
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水田地帯では 投稿者:安部奈亮 投稿日:
6月19日(水)15時03分01秒
季節労働者にもお米を食べさせていたそうですから、江戸時代の農民がなかなか米が食べられなかったというのは疑問なのですが、前田藩は外貨?収入を米に頼っていましたから、米の取立てが厳しくて,生産者が米にありつけないようなことになったのかもしれないですね。
米を年貢として取りたてたからと言って、食べてくれる人がいなければ売ることは出来ません。江戸時代には、小さな町に住む人や村にいる職人まで農民として登録されていましたから、専業農家は人口の9割よりは少なく7割くらいだったのではないかと私は思いますが、それにしたって2割から3割の武士と商人と職人だけでは年貢の米は食いきれない訳でして、では誰が食っていたのかと言うと、農民が金を出して米を買って食っていたのではないかと私は考えています。
それに江戸時代を通じて米の値段は下がっていますから、農民でも米を買うのはそれほど大変ではなかったはずです。
不景気とか不漁とかで、山村や漁村で現金収入が得られなくなったときは、大田さんがおっしゃたようなことも起こったのだろうなと思っていますが、大多数の平地に住む農民はそれほど米に不足はしていなかったと思います。
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能登のもっそう飯 投稿者:太田守人 投稿日:
6月19日(水)08時30分12秒
奥能登にもっそう飯を食べる祭りがあります。おかずは、漬物と汁と大根の煮物だけだそうです。昔は、一人一升ぐらいの白米を出し、それを平らげた剛の者もいたそうですが、今は半分の4〜5合ですが、平らげる人はほとんどいないそうです。藩政時代に、年貢が厳しかったため、隠田で作った米を一年に一度、腹いっぱい米を食べた名残だそうですが、日本は塩分過多の食事をするのも、少ない副食でいかに多く主食を取り、満腹させるかということだと思います。
この前、ある本で関西は、米の粥を食べれただけ豊かだった。と書いてありました。私の住む、石川県では稗飯や粟飯、蕎麦という雑穀が中心なので、米を延ばしてでも食べられた関西地方は、確かに豊かな地方だったと思います。
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