過去ログ164(2002年〜7月9日)


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英国 投稿者:きんたろう  投稿日: 7月 6日(土)13時55分11秒

では黒ビールが主流でしたがこれは今でもそうなのでしょうか??
パブでは「ワン・パイント・オブ・ビア」と注文するのが標準ですよね??笑

水があまりきれいでないためにヨーロッパではワインやビールを水代わりに飲むために消費が多いのでしょうか??
フランスだとビールよりもワインが主流だと思いますが、ドイツはビールもワインもどちらもですよね。

紅茶といえば本場英国ではミルクティーだと言われていましたが、これは庶民の飲む紅茶の質が悪かったのを隠すためでした。
でも日本で紅茶というとレモンティの方が主流なのは何故なのでしょうか??

Toshyさん
メールは届いていましたか??^^
>ただし、「文字」と「発音」が並列であったと思われるのです。
恐らくは元々は「発音」だけだったものが「文字」の普及と共に文字にも力があると認識されていったのではないかと思っています。

現代人の場合は「発せられた言葉」よりも「文字」の方が強烈に伝わるかも知れませんね。
4649とか東スポの見出しはこの延長戦にあるのかも??笑



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日本と 投稿者:きんたろう  投稿日: 7月 6日(土)13時51分09秒

江南地方とはかなり繋がりがあったと私も思っています。

三国志の頃の服装は日本の和服によく似ていた(というか呉服ですから当然、笑)わけですよね。
一般的にイメージされる中国のゆったりとした服装は北方系のものです。
これは動きやすいとか騎乗しやすいといった遊牧民の生活習慣から来ているものであって歩兵中心だった三国志の頃の漢民族の服装ではありませんでした。

2000年くらい前に中国江南付近からやって来た人たちもいたのは確かだと思いますが所詮は難民です。
ですからそのような彼等が日本に来た途端に支配層になった可能性が高いとは言えないと思っています。

また漢字は難しいところに特徴がありますよね。
漢字の本場の中国での文盲率が極めて高かったのはご承知だと思います。
もちろん漢字という文字の存在については知っていた可能性は高いと思いますが、漢字の存在を知っている事と漢字を使いこなす事は全く別の次元ではないでしょうか??

私は江南地方とは稲作が伝わるより遙か以前から繋がりがあったと思いますが、それでも物理的な移動量は決して大きいものではなかったと思います。
でも量が少ないとはいえ何千年もまえから海を通じて交流があったのは事実だと思います。

現代のような大量輸送が可能になったのはやはり産業革命のおかげだと思っています。
ですから始皇帝の頃では日本に来ても無人の荒野を行くようなことはあり得ないと思うのです。

エジプトのプトレイマイオス朝はアレキサンダー大王が没した後、広大な領土をアレキサンダー四天王??が分割したものですよね。
強力な軍事力によって占領し支配したのは歴史的事実としてよく知られています。
太田さんが出された例は支配層と現地人の二重言語の例だと思います。
この例は現代のヨーロッパ言語が地球規模で広がったプロトタイプのように感じています。
もし占領地で時間の経過と共に孤立することが無く、本国と継続的に繋がりを保つ事が出来れば現地化はないように思います。
そして本国との繋がりが切れなかった為に??英語を代表とするヨーロッパ言語は地球規模で使われるようになったと思っています。

一方、孤立化して現地化していった例は中国の歴史で見ることが出来ますね。
編集済



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歴史 投稿者:きんたろう  投稿日: 7月 6日(土)13時50分09秒

シミュレーションゲームをきっかけにして歴史好きになった人もきっと多いような気がしています。
ゲームでは表現できない部分は当然ですが多くありますがそれでも最初の一歩としては今までになかった興味の持たせ方かなと思ったりしています。

でも徳川家を滅ぼしても徳川関係の人物が浪人としてずいぶん出てくるのはデータ上仕方がないのですが釈然としません、笑

Sinさんはずいぶん色々なバージョンの信長の野望を持っているのですねv(^o^)
ちなみに私も
信長・全国版
信長・戦国群雄伝
信長・武将風雲禄
を持っています。
更には井沢先生から貰った信長・インターネットもあります、笑

三国志も2、3持っていた筈なのですが...??
どちらも初期タイプは分国プレーだったと思います。
その後で出たタイプは武将プレーですよね。

大航海時代も同じ様なタイプだと思うのですがこれは良く知りません^^;;
でもやりようでは潜水艦で統一出来るとか読んだような記憶があるような...??



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メール 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 7月 5日(金)15時48分17秒

J−Mailがエラー続きで開かなくて、見ていませんでした、これから(わら

>夷は、悪字という認識があったと思います
意味が変わってきたのが源平の時代あたりからでしたね。

征夷大将軍とは、もともと蝦夷を征伐する将軍のことでしたが、
江戸時代には「武家の棟梁」という意味で定着していました。
頼朝が征夷大将軍にこだわったのは、先祖の頼義・義家による奥州侵略になぞらえ、
最後の敵である奥州藤原氏を潰すための大義名分だったと。
泰衡が討たれた後も、頼朝はわざわざ前九年最後の土地まで進撃しています。

>「文字」よりも「発声された音」の方が重視されていたのではないかと
江戸時代の古文書をみても、「〜へ」の字に「江」を当てて書かれているのを見かけます。
だからこのお考えには肯定的です。
ただし、「文字」と「発音」が並列であったと思われるのです。
例えば「船・舟」は音ではなく意味で日本語に定着しています。
センでもシュウでもなく、「ふね」は「ふね」なのです。
むしろ万葉仮名風の方向よりも、意味を示すことのほうが多いでしょう。

大和の人にとって、東方にいる敵対する異民族を表現する場合、
やはり中国語で東夷というように、「夷」を当てるのが自然ではないでしょうか。
「蝦夷」という言葉が先か「夷」の意味が先かと考えると、後者のほうが有力かと。
エゾ・エミシに対してイと発音する夷を持ってくることはないのでは。

ところで、なぜ「蝦」が頭についているのか悩むところですが、
「夷」は「えびす」とも読まれ、これと引っ掛けたのかなとたった今思いつきました。



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流石 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 5日(金)13時18分03秒

安部さんお詳しいですね。
アメリカ人は、コーヒーですよね。これも不思議です。
私の聞いた話ですが、イギリスは紅茶が伝わるまえに、コーヒーが伝わり、コーヒーショップが出来たが、そこで政治批判を行ったため、コーヒー自体を政府が弾圧したので、紅茶になったと聞きました。
アメリカのルイジアナ等は、フランスの植民地ですよね。確かに、フランス人がコーヒーを伝えたのかも知れませんね。それに、今はコロンビアとかがコーヒーの産地なので、アメリカで、手に入り易かったことも理由かもしれませんが。
しかし、ビールで3時頃にへべれけって羨ましい話です。



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イギリス人は 投稿者:安部奈亮  投稿日: 7月 5日(金)12時45分04秒

もとは水代わりにビールを飲んでいました。イギリスの水は、ヨーロッパでは珍しく飲むことができるのですが、昔は排水を川に流していましたから、水はあまりきれいではありませんでした。アルコールが入っていれば安全?ですから。子供用ビールでも今のビール以上のアルコール度でした。

イギリスの職人は、午前中は働いて、昼にビールを引っ掛けると、三時過ぎにはもうへべれけで仕事にならなかったといわれています。まあこれは中世ヨーロッパ共通ですが。

しかしこれでは近代工業社会では仕事になりません。産業革命が進んで、労働者に一定時間勤務することを求めるようになった資本家達は、ビールに代わる飲み物を求めて、紅茶がいいということになって、家庭で紅茶を飲むように勧めたということになっています。

でもイギリス人も紅茶ばっかり飲んでいるわけでもありませんよ。ティータイムの習慣があるのはやはりお金持ちのジェントルマンだけです。貧乏な人はむしろ牛乳を良く飲んでいたような気がします。乳製品はヨーロッパではバカ安ですから。

何故コーヒーでないのかについては良く分かりません。コーヒーを飲む習慣はトルコからオーストリア―次いでフランスに伝わった習慣です。18世紀のイギリスにはまだ伝わっていなかったのかもしれません。となると、コーヒーを飲む習慣をアメリカに伝えたのはフランス人かもしれませんね。



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ティータイム 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 5日(金)12時24分17秒

朝鮮戦争の時、イギリスの砲兵隊の支援を受けて、北朝鮮軍と韓国軍が戦っている最中に、砲撃がやんだそうです。驚いた韓国軍将校が、イギリス軍に電話で、砲撃はどうなったんだ。と聞いたそうです。このイギリス軍の返事が、今お茶の時間だから済むまで待てということで、いくら、敵が目前に来ていると言っても、お茶の時間だからの一点張りだったそうです。
イギリス人は、ティータイムを大事にします。第2次大戦だったかで、あるイギリス軍が、ティータイムで戦闘を中止している内に、敵軍に包囲され苦戦したという話もあるそうで、こうなってくると筋金入りです。
しかし、イギリス人に何故これほどまでに、お茶が浸透したのでしょうか?イギリスに伝わったのは、コーヒーが先だったという話も聞いた事があります。



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トルコ人 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 5日(金)08時55分32秒

匈奴の末裔が、トルコ人だとする説があるそうですね。

>ケマル・アタチュルクが親日的だったのはこの時日本から派遣された人の話を聞いたからだとの事ですよね。

そのようですね。でも、トルコが親日的なのは、日本が今までトルコに経済進出をしていなかったためだ。という逆説的な説もあるそうです。
数年前のトルコの大震災の時、日本政府は、阪神・淡路大震災の仮設住宅を、海上自衛隊の輸送艦・補給艦・掃海母艦に満載し、イスタンブールまで運んだそうですが、この時も、大統領以下の大歓迎を受けたそうです。
ただ、明治の頃の日本人は、非常に優しかったと思います。日本海海戦直後、沿岸に漂着した、ロシア将兵を救助し、手当てをし、死者を丁寧に葬ったそうです。



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万葉仮名 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 5日(金)08時32分56秒

きんたろうさん、私は倭人渡来人説で、江南あたりから来たと思っています。呉・越の難民あたりがきた思います。卑弥呼も、このような渡来人の子孫である可能性は高いと思います。それで、邪馬台国は魏に遣使していますので、一部知識人にせよ、漢字を知っていた可能性は、非常に高いと思います。或いは、エジプトのプトレマイオス王朝だったかは、支配層はギリシア語を使っていたとか聞きましたが、邪馬台国の支配層も呉越地方の中国語を使っていた可能性も高いと思います。
このように、倭人は相当早期から、漢字を知っており、それを咀嚼し、万葉仮名にしたと思います。今の日本語には、音訓があります。これでも非常にめんどくさい。音を漢字で移しただけでは、読みづらいので、特に行政文書等はある程度の法則性がないと、現場が混乱すると思います。
矢張り、万葉仮名もある程度の法則性があったと思います。蝦夷の蝦のほうは兎も角、夷は、Toshy(雪狼)さんのように悪字という認識があったと思います。
私は、記紀以前にあった、国記・帝紀・旧辞等も、漢文で書かれていたと思っています。  



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きんたろうさんへ 投稿者:Sin  投稿日: 7月 5日(金)01時20分26秒

信長シリーズの方が先輩格ですが、蒼き狼と白き牝鹿シリーズのほうで
コマンドを実行するのに能力値が減っていくというシステムが
信長の方で行動力というシステムとなって採用されていたりしますから。
(これは昔々の光栄関係者のインタビューでも言ってました)
私、光栄のゲームは
信長・全国版(X−1)
信長・戦国群雄伝(88)
信長・武将風雲禄(88、PS)
信長・将星録(PS)
三国志(88)
三国志V(SF)
三国志W(SF)
三国志X(SS)
蒼き狼と白き牝鹿(88)
蒼き狼と白き牝鹿・元朝秘史(SF、PCE)
蒼き狼と白き牝鹿W+パワーアップキット(WIN)
大航海時代(SF)
大航海時代U(SF)
毛利元就 誓いの三矢(WIN)
とプレイしています。
中古で安く出回るのを待ってからプレイするという人間なので
光栄には何の貢献もしていませんが(爆)
ゲーム機本体も中古で買うという人間ですからねえ(笑)
私の部屋には何故かツインファミコン1台、SFC2台、PCエンジンコアグラ1台、
PCエンジンDuo2台、SS4台、PS2台が転がってます。
さすがに現役で動いているのはSFC、PCEDuo、SS、PS各1台ずつですが(笑)
(一応パソコンはゲーム機に数えてません)



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さすがに 投稿者:きんたろう  投稿日: 7月 5日(金)00時38分06秒

Sinさん、詳しいですねv(^o^)

「青き狼と白き牝鹿」の方が信長シリーズよりも先行して開発されていたのですか??
それは知りませんでした。
同じパターンのゲームで三国志もありましたよね。
光栄以外のシミュレーションゲームではどの辺りがメジャーなのでしょうか??^^

Toshyさん、先日メールを送っているのですが届いていますか??
以上業務連絡です、笑

>その「ヨーロッパ」も本来は世界の中心、中国と同じような意味を持っていた。
確かに地球儀ではイギリスを中心とする経度の通り日本は極東になります。
でもこれって失礼過ぎますよね^^;;

みのるさん
旧さくら銀行って三井銀行と何処かが合併して出来た銀行でしたよね??
要するに三井銀行に吸収されてしまったという事なのでしょうか??
でも比率は確か五分くらいだったはずでしたよね??
住友銀行と合併して三井住友銀行となった時にはさすがに驚きました、笑

損保ジャパンなんて変な名前と思っているのですがいずれ慣れるのでしょうか??
損保や生保は不動産比率が高すぎましたからバブルが弾けた以上倒産を回避するには合併は避けられないと思います。

いくら日本の国債の評価を下げても個人資産が外貨預金にシフトするとはとても思われません。
お金持ちの老人達はだったら「タンス預金」をすればいいと考えているような気がしています^^;;

安部さん
大井川の渡しについては良く知りませんでした^^;;
単なる大川かと思っていました。
江戸時代の橋は強度を得るために眼鏡橋のような形態が多かったのでしょうか??
日本橋の絵を思い出したからで実は知りません、笑



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万葉仮名 投稿者:きんたろう  投稿日: 7月 5日(金)00時35分32秒

とは漢字のもつ意味を捨てというか全く無視して音だけを用いて日本語を表音的に表記するものです。
字音を借りたものは音仮名で例えば「やま」を「也麻」のように表記しています。
和訓を借りたものは訓仮名といって「やまと」は「八間跡」と書きます。
一般には一字一音節の単純な字画の文字が多く使われています。

基本的には「あ」「い」「う」「え」「お」の発音記号として漢字を借りただけですから漢字で表記されても漢字の意味は考えない方が良い場合が多いように感じています。

勿論太田さんの言われるように古代人の知識が劣っていたはずがないですから意味は理解していたように思います。
でも、これは頭脳では理解していても感覚としては不十分な段階だったと言えるような気がしています。

例えば「FAX」の発音は英語の四文字熟語とよく似ているので避けるべきだと思っていますが平気で発音していますよね。
これと似たような感覚なのかも知れないと思っています。

要するに「文字」よりも「発声された音」の方が重視されていたのではないかと思うという事なのですが...
つまりは「言霊」として蝦夷の発音がどの程度「悪」として認識されていたのかと疑問に思ったのです。

エルトゥゥール難破事故について詳しい説明をありがとうございます^^
そう言えば、ケマル・アタチュルクが親日的だったのはこの時日本から派遣された人の話を聞いたからだとの事ですよね。
編集済



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あと 投稿者:安部奈亮  投稿日: 7月 4日(木)21時01分56秒

江戸時代の人がすぐに入水自殺をしたことからも分かるように、江戸時代の人は水泳が苦手でした。必要性がないからです。プールの授業もありませんでしたし。

普段水量が少ないからと言って、不慣れな地で大きな川を渡ることは不可能であったと考えられます。

やはり人足を使うしかないのです。



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大井川の渡し 投稿者:安部奈亮  投稿日: 7月 4日(木)20時59分20秒

江戸時代の東海道では、大井川の渡しだけは人足を使っていました。
これについて江戸幕府が大軍の移動を防ぐために、大井川だけには橋をかけることや船を通すことを許さなかったからだ。江戸幕府は遅れている。などといわれますが、これは大きな間違いであることに気がつきました。

新幹線乗ったことがある人は知っていると思いますが、大井川と言うのは大石がゴロゴロしていて、ふだんは非常に水が少ない川です。つまり渇水期の大井川では船を使うことはできません。

それに対して、雨が降ったときに新幹線に乗った人は気付くと思いますが。増水期の大井川と言うのはものすごい水量です。し化も、大石が転がっていることからも分かるように、増水したときの大井川は、日本アルプスから大量の土砂を運んできます。したがって、大井川には橋を架けることは出来ません。すぐに流されてしまいます。

大井川は人足を使って渡る以外に方法がない川であったことが分かります。取りたてて徳川氏が意地悪だったからではないのです。



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さくらフレンド証券 投稿者:みのる  投稿日: 7月 4日(木)18時59分51秒

私のおつきあいしている会社にこんな名前の会社があります。旧さくら銀行時代
にはそれでもよかったのですが三井住友銀行ができても名前は変わりません。
旧住友側が拒否してるのかさくらの名前を残したかったのか興味深深です。
ちなみに旧山種証券です。



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蝦夷 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 7月 4日(木)15時53分40秒

>ところで蝦夷という漢字があまり良い意味を持たなくなった理由
中国に「夷狄蛮戎」の言葉があるとおり、もともと「夷」は悪意ある言葉ですね。
わしは太田さんに賛成で、「卑弥呼」とは所詮あちらの書物にあるだけで、
本人の知らないことでした。

最初に意味を持ってつけた名前も、だんだんと本来の意味をなくすのではないかと。
例えば「中東」という言葉を日本人も使いますが、
これはヨーロッパから見た言葉以外のなにものでもありません。
(我々は「西アジア」と呼ぶべき。)
日本で平気で使っているということは、本来の意味を忘れているからです。

その「ヨーロッパ」も本来は世界の中心、中国と同じような意味を持っていた。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 4日(木)12時21分25秒

>というのは日本は「万葉かな」として漢字を使用していたという事実に焦点が向いたからなのです。

このご意見は、そのとおりだと思いますが、当時の日本人は、ある程度、漢字の意味は理解していたのではないでしょうか?でないと、遣唐使の「倭は雅でないので、日本に変えてくれ。」と言う発言は出ないと思います。
当時の日本人は、漢字の意味を理解し、それにふさわしい漢字を万葉仮名としていたと思います。
また、ある程度法則性がないと、読みづらくてしょうがないと思います。そこで、音だけで漢字を当てたとは思えませんが、いかがでしょうか?
卑弥呼は、魏がつけた名前ではないでしょうか?倭人は、例えば日御子だったかも知れません、しかし、魏は野蛮人のくせに、日御子とはなにごとだーと卑弥呼という字にしたと思います。倭人は、口頭で「ひみこ」と言ったか、文字に日御子と書いてあったか知りませんが、魏がそれを直したのが魏志倭人伝にある、卑弥呼の文字だと思いますが、いかがでしょう。

>でも確か和歌山の方では難破したトルコ船を助けた事があったし

エルトゥゥールとか言う舌をかみそうな、名前の軍艦だったと思います。串本の大島の沖で、荒天にあい座礁沈没しました。この時、この大島の住民が、自分の身の危険を顧みず、乗員を救助したそうで、トルコが親日的になった原因だと言われています。この時、日本はこの軍艦の生存者を、金剛という軍艦で、トルコに送りました。トルコ皇帝は、金剛の乗り組み士官を王宮に招き、じきじきの招宴を催し、礼をいったそうです。
この時、後年、日本海海戦時、連合艦隊先任参謀になる、秋山真之が少尉候補生として、この金剛に乗り組んでいたのですが、その時の感想として、「ヨーロッパでは、貴族が士官になるが、トルコ海軍では、兵からでも士官になれる。しかし、兵から昇進した士官も、兵員の待遇については、非常に無頓着である。まことに、不思議なことである。」と日記に書いています。
この、エルトゥゥールの遭難忌を、毎年串本は行っていて、トルコはほとんど毎年、軍艦を串本に派遣し、謝意を表しているそうです。この、エルトゥゥールの遭難100周年忌には、当時、酒運行したばかりで、エルトゥゥールという名前を襲名した、フリゲートを串本にはけんしたそうです。



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青き狼と白き牝鹿 投稿者:Sin  投稿日: 7月 4日(木)00時45分17秒

どのバージョンにはまったのでしょうかねえ。
蒼き狼と白き牝鹿シリーズは私個人的には実験シリーズだと思っております。
このシリーズで開発したシステムが改良を施されて信長シリーズに採用される
流れが結構多かったりしますから。

私、最近まで蒼き狼と白き牝鹿Wにはまってましたが(笑)



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ポーランド 投稿者:きんたろう  投稿日: 7月 3日(水)23時56分02秒

の孤児を助けた話は知りませんでした。
でも確か和歌山の方では難破したトルコ船を助けた事があったし、敦賀の方でも朝鮮人を助けた話もありましたよね。

今まではあまり考えたことが無かったのですが、美談を積極的に宣伝するというのも国家戦略として必要なのかも知れませんね。
あまり美しくない戦略ですね^^;;

青き狼と白き牝鹿は信長の野望と同じシミュレーションゲームでしたよね。
1200年頃の頼朝やチンギスハーンなどを選択して遊ぶゲームだったと思いますが、プレーをしたことはありません^^;;



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私も 投稿者:きんたろう  投稿日: 7月 3日(水)22時47分12秒

以前は太田さんのように蝦夷の意味合いについて考えていました。
でも最近はちょっと違っています。
というのは日本は「万葉かな」として漢字を使用していたという事実に焦点が向いたからなのです。

万葉仮名はご存じのように漢字の持つ意味ではなく発音のみを取り出して正に「かな」として使っているものです。
元々自分たちの文字では無く借用しただけだったために文字の持つ感情を実感として持つことがなかなか出来なかったように感じています。

例えば東夷とか倭国、倭人、あるいは卑弥呼についてもそのままの漢字を使っていますよね。
卑弥呼のような文字は意味が悪いからといって「日皇子」とは書き換えなかったようなところは歴史の正確さという観点からだけではなく文字に対するこだわりが「ネイティブ」ではないからこその大らかさ(というか無知とも言えるかも??)を持っていたからではないでしょうか??

この観点から見ると聖徳太子の時代はまだ漢字の意味をあまり重視したとは言えないように感じています。
私などは「厩」という漢字からは奥の細道の芭蕉を思い出してしまうのですが、この感覚をもって古代史の常識を解くのは難しいと感じています。

漢字の意味から推測することは古代人の発想に辿り着くのではなく現代人の発想で古代を見る事に繋がるように思っています。
と尤もらしい事を書きましたが実は良く分からないのはいつもの通りです、自爆^^;;



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光栄のゲームの 投稿者:安部奈亮  投稿日: 7月 3日(水)18時57分19秒

「青き狼と白き牝鹿」にはまってしまいました。
このままでは卒業できません。
誰か私を助けてください。



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第一次大戦 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 3日(水)18時18分36秒

で日本がポーランドの孤児を助けたとは、知りませんでした。しかし、こんなことは、世界に宣伝しても好いと思います。日本人でも知っている人は、数えるほどしかいないでしょう。欧米の国家だと、俺のところは、昔こんないいことをしたぞーって言うでしょうね。



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こんなことがあったのですね 投稿者:安部奈亮  投稿日: 7月 3日(水)15時42分48秒

http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20020703k0000e040066000c.html
知りませんでした。

今度北朝鮮が崩壊したら,難民には過酷な運命が待っていそうですが,多分日本人もそれなりに助けるだろうと私は思っています。でも外の世界には相変わらず全然知られずじまいなのでしょうね(笑)

しかし北朝鮮がつぶれたら,今まで北朝鮮を礼賛していた人達はちゃんと難民を助けるために行動するのかな?案外何もしないかもしれません。それどころか難民の入国に反対したりして。そして北朝鮮の復興のため自衛隊が頑張る。これは傑作ですね。



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なるほど 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 3日(水)12時22分53秒

ワインの可能性もありますね。王維だったかの、「葡萄の美酒。夜光の盃。」ですか。ワインのオンザロックとは、贅沢ですね。それに、非常にエキゾチックに思います。夜光の盃で飲んだのでしょうか?夜光盃って、今のカットグラスのことでしょうか?長屋王の時代、ワインは国産されていたのでしょうか?多分、唐からの舶来酒だったように思います。

ヴィクトリア女王だったと思いますが、確かマンゴだったかが大好きで、当時、イギリス海軍で一番俊足の巡洋艦(ハーミースとかいう名前の巡洋艦だったと思いますが。)を、インドに派遣し、この果物を大量に買い付け(一万個だったか。)、缶が壊れる位石炭を焚き、全力でイギリスに取って返したそうですが、ほとんど腐り数個しか食べれるものがなかったと聞いたことがあります。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 3日(水)08時26分07秒

私は、反対の見解です。つまり、蘇我蝦夷(三代も)には、別に本名があって、記紀が悪字をつけたと思います。孝謙天皇のとき、和気清麻呂を穢麻呂、姉の広虫を狭虫と改名させたのと同じように思います。武照も、自分のライバルを蹴落とし、牢に閉じ込めた時に、ウワバミだったかに強制的に改名させてます。蝦夷とは、蝦のように腰の曲がった夷という意味だと思います。当時の最高権力者で、文化人の馬子がこんな名前を跡取につけるでしょうか?私は、反対に持統あたりの発案でないかと思っています。



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山背大兄皇子 投稿者:きんたろう  投稿日: 7月 2日(火)22時06分30秒

が聖徳太子ほどの能力を持っていたとはとても思えませんが「攻められて殺された」という事実からみると蘇我入鹿からみて侮りがたい強敵と映ったのかもしれませんよ^^
皇位継承に負けたとしても何しろ聖徳太子の息子ですから蘇我氏の傍流ではなく「源氏」のような存在になることは可能な血筋を持っているからです。

ところで蝦夷という漢字があまり良い意味を持たなくなった理由とは蘇我蝦夷がこの名前を使っていたからではないでしょうか??
大化の改新の成功を大々的に宣言する事は蘇我「蝦夷」は悪者であると言っているようなものですよね。
すると元々は単なる名詞であって善悪の意味を持たなかったものが「悪字」として変質してしまったのではないかと思ったりしています。



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太田さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 7月 2日(火)21時12分31秒

氷室について詳しい説明をありがとうございました。

>そのコンセプトは、下手の鉄砲も数打ちゃ当たる式で
確かに「むしろ」を断熱材にして塩をかけた程度で金沢から江戸まで送るのは無謀としか思えません。
それでも持ち出した氷の何%かは江戸に届いたのですから人の力の偉大さはすごいなと感心してしまいました^^

>氷室が出てくる一番古いものは、いつごろでしょうか?
氷室の名前は日本書紀の仁徳天皇62年に初めて出ていますからとても歴史のあるものですね^^

>将軍がアイスクリームを食っていたという話も聞いた事があります
これはすごいですね。
明治維新になって横浜で「アイスクリン」が大人気になったのは知っていますが、まさか江戸時代に既にアイスクリームを食べていたとは驚きです。

>長屋王も夏は、氷室の雪を用いて、酒(多分どぶろく?)のオンザロックを夏飲んでいたと言いますし
確かに長屋王は全国の珍味を手に入れていたようですね。
どぶろくの可能性も高いのですがワインの可能性もまた高いように思っています。
以前テレビで見たのですが、干物としてばかりではなく生け簀みたいな水槽を造って都まで運んだようですね。
これなら新鮮さを保つことが可能になりますがものすごい労力ですよね。
最近何処かのベンチャーで海産物を水槽に入れたまま空輸するような話を読んだ気がするのですが同じ発想が1000年も前に既にあったとは驚きです^^
編集済



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 2日(火)18時11分51秒

また、私の得意なトンデモ説です。聖徳太子のことですが、彼は最後は妻と一緒に死んでいますが、実にやらせくさいと思っています。そこで、山背大兄皇子=聖徳太子というのは、どうでしょう。もし、聖徳太子が生きていたら、70歳位だと思います。
山背大兄皇子は、父聖徳太子ほど人望があったように思えません。蝦夷は、入鹿が山背大兄皇子を攻め滅ぼした時に、「なんてことしてくれたのだー。」と言っていますが、わがままなお坊ちゃんの山背大兄皇子より、人望のあった聖徳太子の方がふさわしいと思います。
もし、聖徳太子であれば、「俺は十分生きたのだから、これ以上迷惑を掛けずに死のう。」って気持ちになっても好いように思います。
一寸無茶な説かもしれませんが。



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氷室 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 2日(火)16時46分57秒

長屋王も夏は、氷室の雪を用いて、酒(多分どぶろく?)のオンザロックを夏飲んでいたと言いますし、藤原道長も、夏「ほしいい」を氷室の雪で戻した飯を食っていたとか言います。氷室が出てくる一番古いものは、いつごろでしょうか?これらに、よると結構古くから氷室があったように思いますが。



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北朝鮮 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 2日(火)13時01分49秒

もし、北朝鮮が崩壊するとする前に、北は戦争を起こすと思います。私は一般難民は中国に向うと思います。韓国は、武装難民の問題がありますので、国際世論が悪化しようが、難民船を撃沈し虐殺に近いことをする命令を韓国海軍に可能性が高いというのが、軍事評論家の一致した見方です。更に、日本海は、あれで結構潮流が早いうえに複雑です。そこで、私は言われているほど、北の難民はこないだろと思っています。鬼の国でも蛇の国でも、日本は一般難民は行き難いと思います。ただ、破壊工作を目的とした、難民に化けた、工作員がくると思います。日本は、このような場合、どうするのでしょうか?
韓国のような、蛮勇を奮う勇気が日本政府にはないと思います。




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金沢の氷室 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 2日(火)08時31分05秒

氷室は穴を掘りそこに、ムシロを大量に使い断熱材にし、時々塩を振り冷やしていたそうです。また、江戸へは、矢張り大量のムシロを断熱材にして運んでいたようです。道中でも塩を掛けて冷やしていたように思います。兎に角、そのコンセプトは、下手の鉄砲も数打ちゃ当たる式で、加賀藩には、氷室が大量にあり、量で勝負していたようです。金沢の奥に、湯涌温泉と言う温泉がありますが、ここに3年前に、藩政時代の氷室を復元したものがあり、今でも7月1日に、冬の内に貯めた、雪を出して各旅館に配っているそうです。
ただ、江戸幕府は雪国の諸藩(天領も含む。)にこの氷室を作らせ、夏に氷室の雪を献上させていたと聞きましたが、どなたかこのような話をご存知の方はいらっしゃいますか。
この、集めた雪を長崎に送り、出島のオランダ商館で、アイスクリームを作らせ、アイスクリームの周りに、諸藩から献上の雪を大量に入れ、江戸城まで持って帰り、将軍がアイスクリームを食っていたという話も聞いた事があります。



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氷室の饅頭 投稿者:きんたろう  投稿日: 7月 1日(月)22時16分46秒

とはさすがに金沢は雪国だと改めて思い直しました。
金沢から江戸まで運んでいるうちに氷の90%くらいは溶けてしまったのではないでしょうか??
これは正に時間との勝負ですよね。

どのようにして氷を運んだのか太田さんはご存じですか??
夏に氷とは冷蔵庫の無い時代にとっては最大の贅沢だと思います。
真の贅沢とはこの辺りにあるのだろうと思います。

安部さん、
パソコンにスキャナやCDRくらいではまだまだオタクとは言えないと思います、笑
オタクはそれなりに極めれば大したものだと思います。
だめ人間だなんてとんでもないですv(^o^)

輔住さん
私としてはヤクルトには何処かで躓いて欲しいと思っています、笑
と言うと安部さんに反撃されそうですね^^;;
実際巨人はヤクルトとは相性が悪いような感じを持っています。
出来ることならば横浜が調子を上げてヤクルトを叩いてくれれば嬉しいのですが...
編集済



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北朝鮮 投稿者:きんたろう  投稿日: 7月 1日(月)22時07分28秒

の事件の一週間前に安部さんが北朝鮮について書かれていた事を思い出しました。
北朝鮮の実情はほとんど崩壊しているも同然なのでしょうが、飼い慣らされてしまったあの国の国民は情報を遮断されている事もあって蜂起する可能性はあまりないような気がします。
いずれにしてもソフトランディングしてくれないと日本、韓国、中国、ロシアなど近くの国々は大変ですよね。
基本的には日本は「鬼の国」であると宣伝しているために当然大多数の人は日本人に対して偏見を持っている筈ですから日本海を越えてやって来る数は少ないだろうと思います。
それでも朝鮮総連の親戚筋は日本を目指すでしょうから千人単位よりも多い人が押し寄せる可能性は否定できないですよね。

正直なところ帝京大学に入るのにそんなにお金をかけなくてもいいのではと思っていました^^;;
あまりよく分からないのですが帝京大学とは人気大学なのでしょうか??
安部英は東大医学部を卒業した秀才ですが、人の命をモルモット程度にしか思っていなかった精神ははっきり言って壊れていると思います。

あんな奴は私が裁判官だったら市中引き回しの上のこぎり引きの刑にしているところです。
編集済



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神武と綏靖 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 1日(月)18時00分03秒

記紀で初代天皇の神武と2代天皇の綏靖ですが、私は王朝断絶があったと思います。綏靖は、兄を殺し皇位に就いています。書紀では、兄の手研命が器でなかったからだと書いてありますが、彼は、神武が九州にいた時の子供ですので、ニギハヤヒ系の綏靖が、神武系を滅ぼしたと思っています。私は、神武は皇祖というより、同じ九州から、先に東遷していた物部の先祖のように思います。神武は、今の橿原市から御所市にかけてが都です。それに対し、崇神は巻向周辺です。
私は、欠史8代の天皇は、皇祖というより、別系統の天皇だったように思います。記紀(帝紀・旧辞も)は、これを隠すため、実績のない天皇にしたように思います。



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私は古代天皇で、 投稿者:太田守人  投稿日: 7月 1日(月)08時24分54秒

武烈と崇峻は、再評価しています。律令制の端緒をつけたのは、聖徳太子(タリシヒコ大王)でなく、崇峻ではなかったのかと思っています。私は、藤の木古墳の人骨の内、一体は崇峻の可能性が高いと思っています。
また、武烈を殺したのが大伴金村で、そのため、倭彦王を次期天皇に迎えようとした時に、殺しにきたーと思って丹波の山奥に逃げ込んだと思っています。でないと、逃げて行方不明になる理由がないように思います。更に、継体が20年近く明日香周辺をウロウロせざるを得なかったのは、武烈が名君であったため、諸豪族がこぞって抵抗したためと思っています。



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