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日本 投稿者:きんたろう 投稿日: 5月 6日(火)19時04分34秒
の領域は古来からの領土である日本列島であると大体の日本人は考えていたように思っています。
これは明治の大偉人である大久保卿にしてもそうだったようですね。
尤もこれは明治維新により新国家形成を第一の目標に掲げていた彼としては、仕方がない選択だったのかもしれませんが。。。
確かに北海道よりも更に北にある樺太島が日本古来のものであるのかと言えば、ノーとなるのでしょうが、それでもモスクワに本拠地をおくロシアの方が領域権を持っているとはとても言えないと思っています。
地理的に言えば日本の方が正統性を持っていると思います。
日本のような島国に住んでいる人たちは、自ら国境を定めてしまうところがあるような感じがしますよね。
でも、大陸に生活している人たちは国境というのは極めて曖昧なラインであるというのを、歴史的に体験として理解しているのかなと思っています。
この点が、日本人と決定的に違うところだと思います。
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補足 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 6日(火)18時45分36秒
会議の形式と体面を考えますと、陸軍が戦争継続を主張
読み直すと、誤解を受けそうなので補足します。
これは、誰かが戦争継続を主張をする必要があるという意味です。
立場的に海軍は主張できない。だから、陸軍が継続を主張する必要があるという意味です。
ちなみに、真実はわかりません。
陸軍の一部に戦争継続を望んでいた事実は間違いありませんし、同時に海軍にも存在した訳です。特に若手中堅将校たちは継続を望んでいたでしょう。
その結果、陸軍の総意として、本当に御前会議で継続を主張したとも考えられます。しかし、当時の陸軍上層部の人達のメンバーを考えますと、継続を真に望んでいたのかというとそれは極めて疑問であることは事実と思います。
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う〜ん 我ながらシツコイな(^^; 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 6日(火)18時33分45秒
>陸軍でも参謀本部のイギリス課あたりは,対米戦に反対はしていたようですが,海軍のように,大臣等のトップが反対したという話は聞きません。まして,終戦を陸軍が画策していたという話も聞きません。私が,陸軍より海軍を評価しているのは,この2点です。海軍の終戦画策がなければ,オリンピック作戦は間違いなく発動され,関東地区は地上戦の戦場になっていたでしょう。
東條さんも賛成はしていませんよ。あと、武藤章等の一般に交戦派と言われている人たちも対米戦には躊躇しています。一部の腰巾着や無能者は除きますと、ある程度の能力と地位を持ってい人たちは大多数が開戦には反対です。ただ、消去的反対であり、開戦はやもえないだろうという認識です。
対米講和の日本の提案をご存知でしょうか?これは簡単に言いますと満洲を除く、中国大陸、仏印からの全面撤退というものです。その他にも大幅に譲歩しているのです。日本が昭和に入り獲得した物を全て放棄するというモノです。これ以上の譲歩は常識的に考えておかしいでしょうし、その限界までの譲歩は日本を提示しているのです。しかし、米国は拒否し、更なる譲歩を要求してきました。つまり、実質的に宣戦布告をしてきた訳です。これでは日本が戦争を回避したくても、米国はする気が無い。
これらの諸事情は、米国の対支那政策と対満洲政策を念入りに調べて頂いたらご理解頂けると思います。
彼等の本音は、英仏の権益は無理だが、せめて日本の大陸における権益を奪取したい。つまり、日本の権益を全てよこせというものです。
次に、海軍が終戦を画策したということですが、これは広義の海軍であり、海軍の総意として停戦工作をした訳ではございません。陸軍も終戦を画策した人が居なかった訳でもなく。確かに、停戦を決める御前会議で海軍が停戦、陸軍が継続という形になった訳ですが。これは陸軍と立場と主張を考えますと、当然の見解であり、海軍とその状況が違います。停戦は結局、陛下が決定された訳ですが、陛下の意思は戦争であらずというのは、開戦時にわかっていたことであり、会議の形式と体面を考えますと、陸軍が戦争継続を主張するのは仕方が無いと思われます。日本の総意として、対米戦は誰も望んでいなかった。しかし、やらなければ為らなかったし、それしか方法は無かったということが実体なのです。やるからには、全力をあげてするべきであり、事実、陸軍は海軍に比べて全力をあげています。よく戦史で陸軍の行為を非難する記述が見られますが、その多くは海軍の手前勝手な立場で主張しているものが多く。その主張は極めて局地的な見解であり、戦術レベルでしか見ていません。総合的に全戦局を見てものは極めて少ないと言えます。全前線の状況、それまでの経緯、後方の状況などを総合的に分析しないと本当に意見とはいえません。
後知恵を排除し、当時の人達が知りえた情報に限定し、その当時の置かれた現実的状況、外交・歴史・兵站・生産力・技術力・資源・国民各層の世論などを考慮し、客観的に物事を見た場合、従来と違う歴史が見えてきます。
ちなみに、米内さんの経歴をもう一度調べ直して見てください。実に面白いことがわかります。
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些細な突っ込み 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 6日(火)17時56分12秒
>北海道の一部にでもソ連軍がいたら,アメリカがいくら頑張っても,既成事実ですので,日本は分断されていたと思います。
この表現ですと、分断が無かったと思われます。大筋はその通りですが、正確には違います。
当時、樺太は外地ではなく内地扱いです。とすればこれは当てはまらないことになります。
ちなみに、このソ連の樺太侵攻は停戦後であり、そのために多くの民衆が、敗戦後に無益に虐殺されるという悲劇が起っています。
千島、樺太はソ連による占領割り当て地域ですからこれを無視するとしましても
南千島と歯舞、色丹の北方四島は現在も不法占領されたままです。
この地域は本来は米軍の占領予定地域でしたが
米軍がその辺りの事情を理解していないこともあり、部隊の展開が遅れ
ドサクサにまぎれて、これをソ連軍が占領し、既成事実として現在に至っているわけです。
つまり
国家として分断はされていませんが、国土を不当に占拠されている事実は忘れてはいけません。
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きんたろうさん 投稿者:太田守人 投稿日: 5月 6日(火)12時41分47秒
オリンピック作戦とは,関東地方上陸作戦です。千葉県東金市あたりの海岸に上陸し,習志野方面経由で東京を攻略する作戦で,アメリカ軍は,昭和21年頃の発動を計画していたようです。もっともその先に,九州上陸作戦もありましたが。ただ,連合軍はこの作戦を発動すると,100万位は戦死するだろうと見積もっていたようです。そこで,日本の抵抗力を弱めるのと,この作戦発動前に,日本に手を上げさせるため,広島,長崎に原爆を落としました。このオリンピック作戦の連合軍の進軍路と,大本営の予想が気味の悪いほど一致していたそうです。終戦間際,大島の監視所が,大量の夜光虫を,アメリカの上陸部隊と間違え,横須賀に在泊していた,戦艦長門以下の緊急出動を命じ,弾薬燃料等を各艦艇は,陸上に下ろしていたため,大騒ぎをして積み込み,積み込みが終わり,出港直前に誤報だと分かったそうです。室蘭・釜石・日立に艦砲射撃を加えていますので,むべなるかなと思いますが。
それと,日本が南北に分断されなかったのは,トルーマンの頑張りもありますが,終戦時,日本本土に地上軍が上陸していなかったと言うことだと思います。本土決戦になって,例えば,北海道の一部にでもソ連軍がいたら,アメリカがいくら頑張っても,既成事実ですので,日本は分断されていたと思います。
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先週 投稿者:きんたろう 投稿日: 5月 6日(火)11時29分24秒
の読売新聞の本の紹介ページを見ていたら「漂流記の魅力」吉村昭先生著 が載っていました。
新潮新書から発売されているようです。
Toshyさんはもう読まれましたか??^^
ヨーロッパやアメリカの一般人にとって、モンゴロイドの区別はほとんど付かないと思います。
私なども外人は全てアメリカ人だと思っていました、自爆^^;;
それに地理も分からない人が多いらしいですね
新幹線に乗って香港まで行きたい、と言っていたアメリカ人の話を聞いたことがあります。
初代タイガーマスクの佐山さんの身体能力はものすごいものがあったようですね。
そう言えばNHKのドラマ(ずっこけ三人組みたいな番組、笑)に出ていた人が佐山さんによく似ていたような記憶です。
輔住さん、知っていますか??笑
太田さん
オリンピック作戦とはどのようなものなのですか??
編集済
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あきんどさん 投稿者:太田守人 投稿日: 5月 6日(火)08時29分06秒
すいません。どうも誤解していたようです。確かに海軍の与太戦果は,ひどいものでした。特に,台湾沖海空戦では,ほんとは,軽巡洋艦ヒューストンを,魚雷で航行不能にしたのに対し,アメリカ艦隊を全滅させた。と発表し,沖縄の中城湾に丁度いた,軽巡洋艦多摩と阿武隈に駆逐艦数隻の第5艦隊のみを,残敵掃討に向け、第5艦隊出港直後,全滅していたはずのハルゼー大将のアメリカ第3艦隊を偵察機が発見し,第5艦隊を急遽呼び戻す。ということをやってますから。この時,訂正をしようという動きが,海上護衛総隊等からでますが,既に天皇に上奏してあるということで,軍令部は訂正を拒否しました。この海戦で,参加航空機が殆どやられ,特にT部隊というレーダー装備の対潜戦闘用の中型攻撃機が全滅した結果,船団護衛の航空隊が全滅しました。昭和19年の末に面白い話があります。年末に,その年の戦果を集計して発表してましたが,この年は,集計すると,アメリカ艦隊を3度壊滅させたことになるので,流石の軍令部も公表を止めたそうです。ただ,陸軍でも参謀本部のイギリス課あたりは,対米戦に反対はしていたようですが,海軍のように,大臣等のトップが反対したという話は聞きません。まして,終戦を陸軍が画策していたという話も聞きません。私が,陸軍より海軍を評価しているのは,この2点です。海軍の終戦画策がなければ,オリンピック作戦は間違いなく発動され,関東地区は地上戦の戦場になっていたでしょう。
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日本人 皆 兄弟? 投稿者:輔住 投稿日: 5月 5日(月)23時17分55秒
>佐山がサミー・リーで、前田日明(あきら)がその弟クイック・キック・リー。
日本人から見ると佐山と前田が兄弟なんていっても笑い話なっちゃいますけどね(笑)
旧UWF時代は死闘を演じてますし!
この調子だったら日本人はみんな親子か兄弟にされちゃいますね。(爆)
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リー兄弟 投稿者:Toshy(雪狼) 投稿日: 5月 5日(月)20時47分07秒
昔ロッテにいた人たちではなく。。。
佐山がサミー・リーで、前田日明(あきら)がその弟クイック・キック・リー。
>私たちも外見でアメリカ人かヨーロッパ人か判断するのは難しいですよね。
外見もさることながら、その国々が正確にはどのあたりに位置するか、も
結構わからないものですから、俺も人のこと言えませんでした(わら
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夏風邪に 投稿者:きんたろう 投稿日: 5月 5日(月)18時53分17秒
やられてしまいました。
こんなに天気がいいのに残念です(;^_^A
夏風邪も軽く見ていると逆襲される場合があるようです??笑
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そういえば...昔のリングネームは 投稿者:輔住 投稿日: 5月 4日(日)22時23分46秒
Toshyさん
>ところで、イギリスにいたとき、向こうの人たちは、
>日本も中国も韓国朝鮮も、全然区別できていませんでした。
私たちも外見でアメリカ人かヨーロッパ人か判断するのは難しいですよね。
>かつてタイガーマスクだった佐山悟さんが、
>イギリスでブルース・リーの従弟だという触れ込みで戦っていたとか。。
そういえばその当時のリングネームはサミー・リーだったと
昔のプロレスの本に書いてあったような気がします。
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ダッタンとは 投稿者:Toshy(雪狼) 投稿日: 5月 4日(日)21時26分51秒
満州というか、中国の東北地方でしょうか。
ところで、イギリスにいたとき、向こうの人たちは、
日本も中国も韓国朝鮮も、全然区別できていませんでした。
かつてタイガーマスクだった佐山悟さんが、
イギリスでブルース・リーの従弟だという触れ込みで戦っていたとか。。
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おお^^ 投稿者:きんたろう 投稿日: 5月 4日(日)13時55分40秒
あきんどさんは「幻の地図」をご覧になったことがあるのですね!!
それは羨ましいです、笑
私の場合は何かの本に書かれていた一部分だったような記憶なのですが。。。??
どうもハッキリしません(;^_^A)
>何か?朝貢国は全て版図かい?と突っ込みを入れたくなります。
それも一度でも朝貢したところは全て班図であると勘違いしている様な感じがしますね。
誇大妄想の極みと言った感じがしますが、一度本物を見てみたいですね^^
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無視して下さい。 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 4日(日)00時18分24秒
2つ目のカキコは無視して下さい。
このカキコは無視して下さい。
↓ ↓ ↓ ↓
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大馬鹿野郎ですね(^^; 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 4日(日)00時09分28秒
おっと勘違いです。
沖縄県だけが版図となっている地図を見ていますということですね
日本全土ではなかったと思います。確か九州までですよ
編集済
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れす 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 4日(日)00時07分08秒
>何かで読んだ記憶があるのですが、日本も中国の領土であると色分けされた地図があるそうですよ
沖縄県が中国領になっている地図は見ましたけど
それによると
沿海州どころか、ベトナム、朝鮮半島も領土になってます(爆)
きんたろうさんご指摘の地図は未見です。
しかし、記憶によれば
確か、日本については九州までだったと思いますけど
しかし
何か?朝貢国は全て版図かい?と突っ込みを入れたくなります。
編集済
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あきんどさん 投稿者:きんたろう 投稿日: 5月 3日(土)22時40分16秒
の言われるように、朝鮮やベトナムに関してはその通りですね^^
でも中華からみて辺境地域の勢力範囲が多少動くのは仕方がないかな、という気がしています。
朝鮮やベトナムの支配地域は現在の地図で見るとともに北部の一部に限られているようですね。
前回は隋の支配地域を例に挙げましたが、秦・漢の版図もかなりの部分で重なり合っていますよね。
漢の場合、秦と違って西域地区を支配していますが、これは前漢の武帝の頃の話で良く分かります^^
>沖縄は日本に不当に占拠されている領土らしいです
何かで読んだ記憶があるのですが、日本も中国の領土であると色分けされた地図があるそうですよ??(;^_^A)
Toshyさん
東ダッタンというのはどの付近なのでしょうか??
間宮海峡をダッタン海峡とも言いますよね??
ちなみに「ダッタンそば」はどろどろの血液をサラサラにする効果があるというので、人気になっています^^
私も先日また注文しました、笑
編集済
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きんたろうさん 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 3日(土)21時37分14秒
>漢や唐の最大勢力範囲の地図は漢民族の住居を示している訳ではありません。
驥尾政策により朝貢をしたエリアの最大値を示しただけのことです。
驥尾政策というのは一種の幕藩体制のようなものであり、朝貢した地域を直接支配したわけではないのです。
大筋は間違っていませんが
実際は間違っていますよ
漢朝が直接経営を実施したのはかなり広く
朝鮮半島、ベトナム北部などに行政官を派遣して直接経営統治をしています。
但し、この期間は限られており
一部の地域を除き周辺部の過半部分はきんたろうさんの主張されているように
直接統治能力が低下、或は撤退縮小となり
周辺部族に官位や役職を与えるなどの
朝貢形式の間接統治に切り替わっています。
唐・明などの歴代中華王朝も同じです。
>清の領土は中国歴代王朝中史上最大であると言われていますが(元はどうなんでしょうね^^;;)、これにしても伝統的に異民族の地域を直接統治した事はありませんでした。
そもそも、西洋と違い。東洋には国境という線引きが無く
漠然とした地域という感じですからね
しかも、清朝は微妙ですね
清朝は征服王朝であり、他の中華王朝と毛色が違いますから
歴代の中華王朝と同一視していいものか
そもそも、満洲族、漢族、蒙古の三地域の王を
兼務しているのが清朝の皇帝ですから
清朝の皇帝は中華王朝の皇帝としての蒙古地域を支配しているのではなく
蒙古の大汗として蒙古を支配しています。
これをどう考えるかです。
清朝の正規軍である八旗兵は蒙古やウイグル地域に駐屯しています。
しかし、八旗兵は満洲・蒙古・漢族の三民族混合編成です。
とりあえず、行政官を派遣して直接経営をしている地域と限定しますと
清朝の版図は現在の中華人民共和国より広いことになります。
中華人民共和国が主張している自国領土で言いますと
清朝の領域に重なり、しかもこれを超えていますね
ちなみに、彼等の主張によりますと
沖縄は日本に不当に占拠されている領土らしいです。
清朝の後継国家として、中華人民共和国があるかららしいです。
しかし、ロシアと同様都合のよいところだけを継承しています。
権益や資産等は継承するが、負債は一切継承しないところなどそっくりです。
継承するなら負債も継承してこれらをキチンと清算して貰いたいものです。
続いて
元朝はもっとややこしいです。
モンゴル帝国の宗家としてモンゴル帝国全域の宗主権を主張すると
かなりの広い範囲となります。
しかし、中華王朝の後継国家としての元朝と限定すると
清朝よりは狭い領域になります。
つまり、元朝の直接統治領域となります。
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樺太北部 投稿者:Toshy(雪狼) 投稿日: 5月 3日(土)20時17分30秒
樺太北部のギリヤーク人は、当然松前藩とも交易していたから、
彼らの口から樺太北部の情報は日本に入ってきたんですが、
彼等はアムール河を海に至るまで下ったのではなく、
途中から陸地を横切って間宮海峡(と現在呼ばれる海峡)に出ていたらしく、
その狭い海を見てアムール河の河口だと思っていたらしいですね。
東ダッタンに進出していた中国は、当然サハリン島の存在を知っていました。
日本は樺太南部を調査していて、
世間ではこれが別々という認識だったらしく、
樺太半島と大陸の間もしくは樺太の北にサハリン島が描かれた地図があるようです。
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漢民族 投稿者:きんたろう 投稿日: 5月 3日(土)18時43分45秒
増殖法??が特に酷くなったのは、現在の中華人民共和国政府になってからですね。
歴史的に見ると漢民族のテリトリーの最大限度は隋の支配範囲と殆ど同じ地域になると考えています。
これは日本列島の大体10倍くらいの空間になります。
つまり人口で日本の10倍、領土も限界で約10倍というのが正しい姿だと思っています。
漢や唐の最大勢力範囲の地図は漢民族の住居を示している訳ではありません。
驥尾政策により朝貢をしたエリアの最大値を示しただけのことです。
驥尾政策というのは一種の幕藩体制のようなものであり、朝貢した地域を直接支配したわけではないのです。
清の領土は中国歴代王朝中史上最大であると言われていますが(元はどうなんでしょうね^^;;)、これにしても伝統的に異民族の地域を直接統治した事はありませんでした。
地理などでは日本の25倍の国土であると書かれていますが、正直なところ正しい教え方ではないと感じています。
漢民族とは歴史を異なる地域を占領しているという方が正しいと思います。
中共になってから、入植政策を強制していますよね。
これが非難されている大きな要因だと思っています。
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漢民族 投稿者:きんたろう 投稿日: 5月 3日(土)18時43分45秒
増殖法??が特に酷くなったのは、現在の中華人民共和国政府になってからですね。
歴史的に見ると漢民族のテリトリーの最大限度は隋の支配範囲と殆ど同じ地域になると考えています。
これは日本列島の大体10倍くらいの空間になります。
つまり人口で日本の10倍、領土も限界で約10倍というのが正しい姿だと思っています。
漢や唐の最大勢力範囲の地図は漢民族の住居を示している訳ではありません。
驥尾政策により朝貢をしたエリアの最大値を示しただけのことです。
驥尾政策というのは一種の幕藩体制のようなものであり、朝貢した地域を直接支配したわけではないのです。
清の領土は中国歴代王朝中史上最大であると言われていますが(元はどうなんでしょうね^^;;)、これにしても伝統的に異民族の地域を直接統治した事はありませんでした。
地理などでは日本の25倍の国土であると書かれていますが、正直なところ正しい教え方ではないと感じています。
漢民族とは歴史を異なる地域を占領しているという方が正しいと思います。
中共になってから、入植政策を強制していますよね。
これが非難されている大きな要因だと思っています。
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太田さんとあきんどさんの 投稿者:きんたろう 投稿日: 5月 3日(土)18時42分30秒
レベルの高い話をただ見ているだけなのですが、とても参考になりました^^
有難うございました。
何しろ基本的知識が不足しているために、読んでいても詳細を書かれるとよく分からないのですが、それでもこの掲示板ログは保管してありますからきっと役に立つと思います。
一言で言うと第二次世界大戦の指導者(あるいはそれに準じる者)の能力が不足していたという事なのでしょうね。
明治維新以来、対外戦争に全勝してきたという実績が、自分たちもまた勝利を得るはずだという根拠のない自信を生み出していたのかなと思います。
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太田さんへ 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 3日(土)01時10分43秒
>ソロモンの消耗戦で,海軍機がボロボロ喪失しても,陸軍は資材の半分をよこせと言って,もっていき羽田には陸軍機が溢れていたと言います。
これも誤解なんですけどね
キチンと当時の資料を調べて頂ければわかります。
>あきんどさんは,何故海軍を目の敵にされるのか?その理由が分かりません。
自分は海軍を目の仇にしておりません。
基本的に自分は陸軍より海軍の方が好きです。
しかし、
誤っている事実を隠蔽したり、歪曲したりすることは致しません。
事実は事実であり、誤りは誤り、これを正確に指摘し、認識する。
この行為は間違っているとは思いません。
表面に見え、一般に見える部分だけで事実を認識することは間違っています。
客観的に多方面から得られる情報をもとに当時の状況を分析しないと真実の姿は見えません。
その多くは隠されている訳であり、見えないし、知られることもないのです。
そもそも
一般に流布されていることの多くは誤解や誤りが多いことも事実なのです。
事実を誤解され、陸軍悪玉・海軍善玉ということに定着しています。
自分も当初は陸軍を嫌っておりました。
しかし、戦史や当時の政治・経済関係の資料を調べれば調べるほど
どうも事実は違うのではないかと考えるとようになりました。
陸軍が事実と違い必要以上に悪者にされている状況
逆に海軍が必要以上に好意的に解釈され、善玉視されている状況は
おかしいと思うから、反論をしている訳です。
何故、こうも歪曲されているのか疑問なぐらい酷い状況が今日の状況と言えます。
海軍に良い人も居ますが、陸軍にも居る訳です。
真実と違うことが定説化している事実が多いことはアホみたいに多いのです。
議論終了の件は了解です。
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樺太の件 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 2日(金)23時18分06秒
>一説には幕府は樺太が島であることを知っていたとも言われています。
1644年に幕府が松前藩から提出の所領地図を基に作成した
「正保御国絵図」に、カラフトは北海道の北に大きい島として描かれています。
これは1635年に松前藩が自前で行った蝦夷地全域探検調査によるものらしいですが
この時に本当に樺太まで調査したかはわかりません。
但し、松前藩による樺太の間接経営は1603年の宗谷場所の開設から始まっており
樺太までの調査が行われた可能性は高いといえます。
ところが、時期はわすれましたが
松前藩主が幕臣に語った話によると、
蝦夷地そのものが大陸と地続きというような言動が見られます。
この辺りの事情がよくわかりません。
まあ、全ての藩主が自らの領地に対して理解している訳でもなく
この言動に関しては無視していいのかもしれませんが
このあと何度か樺太の探検が松前藩により実施されたようです。
そして、1790年の松前藩士高橋清左衛門による樺太調査が実施され
これにより地図が作成されています。
この段階になると樺太に場所や陣屋が設置されていますし
かなりの地域が調査されたと推測できますが
中途半端に詳細な地図の様子を見ますと、南部だけの調査の感もあり
正確にはわかりません。
しかし、別の同時期の地図では北部を調査したような地図もあり
この時点で樺太全周の調査が実施されていた可能性はあります。
確実に島であったと確認できるのは
史実通り、幕府による樺太調査以降ですね
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樺太というと 投稿者:Toshy(雪狼) 投稿日: 5月 2日(金)18時15分54秒
>樺太については、清朝はこれを統治しておりません。
>樺太の人々が朝貢をしてだけです。
もちろんわしも統治していたと思っていません、影響下にあったとは思っています。
だからロシアはオホーツクから樺太を南下することが出来ず、
カムチャッカから千島経由で日本に接触してきたんですよね。
>清朝の影響が及んでいるのは北樺太に留まり
>南樺太はその影響下にありません。
その北樺太にある中国の影響が、
南樺太及び蝦夷地・日本の外壁の役割になっていたという意味でしたが、
これはわしの言葉足らずだったようで。
樺太というと、間宮林蔵の探検は有名ですが、
一説には幕府は樺太が島であることを知っていたとも言われています。
ロシアの海軍将校クルーゼンシュテルンが日本に来た後、
樺太の地理を調査にあたりましたが、
このとき現地人は「樺太は大陸と陸続きではない」と教えたにもかかわらず、
クルーゼンシュテルンはそれを頑として信じなかったらしい。
当然日本にも樺太が島であることは伝わってきたのでしょうが、
海峡を河口だと思っていた人々が多く、樺太半島説が根強かったのでしょうかねぇ。
http://homepage2.nifty.com/snowwolf/tsu.htm
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ミッドウェーの撤退戦は単純ではありません。 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 2日(金)16時48分26秒
日本軍は単に撤退した訳ではありません。
米軍に対して罠を掛けています。
まあ、史実では米軍はこの罠に掛からず、撤退した訳ですが
もしも、米軍の指揮官がハルゼーであったなら
日本軍の罠に嵌った可能性はあります。
特に、幻の五隻目の空母の存在に脅えて撤退した面がありますから
ハルゼーなら追撃した可能性が高いでしょう。
この罠については
今回は触れませんが
黒島大佐の突撃命令を無謀といいますが
果たして、無謀といえるかといいますとそうとは言い切れません。
米軍の残存戦力を考えますと
極めて少ない戦力です。
米軍は2隻の空母残存してはいます。
しかし、空母の戦力は隻数ではなく、
その搭載している航空機の数で決まります。
雷撃機は全滅、艦爆もかなりの消耗があります。
これが問題です。
そもそも、日本の戦艦群を相手に艦爆では撃沈は無理です。
しかも、日本軍の航空戦力は全滅した訳でもなく
軽空母が残存し、水上機母艦や各艦艇搭載の水偵も数十機にあり
総数は百機を超えます。更に日本軍の水偵は空戦能力がありこれを無視できません。
日本の航空戦力が防空戦に特化しますと防空カバーは可能です。
としますと
日本軍がその総力をあげて突入してきたとしますと
まず、米軍に勝ち目はありません。
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どうも・・・。 投稿者:太田守人 投稿日: 5月 2日(金)16時46分22秒
陸軍が空母や潜水艦を独自に持っていたのは,承知しています。船舶工兵というのもあったのも承知しています。しかし,ソロモンの消耗戦で,海軍機がボロボロ喪失しても,陸軍は資材の半分をよこせと言って,もっていき羽田には陸軍機が溢れていたと言います。陸軍は,矢張りあの段階で,海軍に譲るべきでした。陸軍の潜水艦は,海軍にも内緒で造った為,最初造船所を動員できず,結局所定の性能が出ず,海軍に相談に行っています。何故,陸軍は最初から海軍に相談しなかったのでしょうか?陸軍が,対等に戦えないのは,ノモンハン事件で証明済みです。ソ連の戦車隊に蹂躙されていますから。それなら,最初から,対米戦に反対すればよかったのです。しかし,反対はしなかった。私は,太平洋戦争に負けたのは,陸軍も海軍もない。あきんどさんは,何故海軍を目の敵にされるのか?その理由が分かりません。
陸軍は,海軍より国家のことを考えていたのでしょうか?海軍は,米内大臣,山本次官,井上軍務局長時代に,三国同盟に強力に反対しました。陸軍が,三国同盟に反対したでしょうか?海軍は,米内大臣,井上次官の時に,終戦工作を開始します。陸軍は,このようなことをしたでしょうか?一億火の玉だといっていたのは,聞いてますが。
あきんどさんと,これ以上議論しても,所詮考え方の問題のように思いますので,これ以上やったら,きんたろうさんにご迷惑がかかりますので,私は辞めようと思います。
私は,海軍善玉・陸軍悪玉ではないと思っていますがね。
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海軍の自分勝手な無能さ 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 2日(金)16時30分52秒
対米戦に対する戦略的視点は陸軍の方が持っているいえます。
陸軍は無理をしないで背丈にあった戦争を意図していますが
海軍はこれを無視し、背丈以上の戦いを意図している面が見られます。
海軍は対米戦を長い年月想定していながら、それは短期決戦で終始し、
戦術レベルで終っています。
開戦後の作戦指導も付け刃で場当たり的、自分勝手な作戦指導をしているといえます。
絶対防衛圏という言葉を聞いたことがあると思われます。
ソロモンの敗戦により
陸軍は大規模に兵力を下げて、戦うこと主張したのです。
つまり、ラバウル周辺どころか、
自国の統治領であるマーシャル・カロリンからも兵を下げ
マリアナ・パラオのラインまで後退し、戦線を整理することを提案しました。
これにより、補給効率の改善、防衛兵力の緊密化を図ったのです。
しかし、海軍がこれに大反対
トラック、マーシャルの放棄に断固として反対した訳です。
仕方なく、陸軍はこれらの地域防衛のために兵力の派遣することになり
準備不足のままで米軍の攻撃にあい。順次玉砕していきます。
更に、トラックも米軍の無力化され
ラバウルはバイパスされて孤立化します。
まさに、陸軍が危惧したとおりになり
準備不足のまま、マリアナに米軍が襲来することになり
サイパンが失陥し、敗戦が決定的になります。
個人的には陸軍の主張通り、大規模に戦線を整理した方が正しかったと思われます。
航空戦力は再建し、送り込むたびに各個撃破され
反撃戦力として再建された第一航空艦隊も各島々に分散してしまい。
兵力集中が出来ず各個撃破されていきました。
物資も薄く広がった地域に分散されることになり
補給ラインの広大化による効率の悪化と船舶難
護衛部隊も広大な地域に分散することになり、有効的な護衛が実施できない。
敵潜水艦や敵航空機による被害の増大により、船舶不足に拍車を掛けることになります。
物資の蓄積が出来ない段階で米軍の攻撃され
しかも、将兵達は、未完成の陣地で戦う羽目になったのです。
前線に兵力を苦労して送り込むごとに殲滅されていったのです。
陸軍の主張の通り、戦線を整理すれば
兵力の集中が出来、補給線の短縮で効率が改善
船団護衛の効率も改善し、物資の蓄積も増大することになったはずです。
米軍の展開面も減少するため、
敵の戦力集中も可能になるというデメリットはありますが
一定地域への投入戦力には限度があり
日本軍の兵力密度が相当に増大するため相殺されます。
また、被害が史実より上回ったとしても
補給効率の改善により、戦力の集中は史実より進捗することになり
史実より米軍の被害は大幅に増加することになったでしょう。
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れすB 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 2日(金)16時01分57秒
>終戦を画策したのも海軍
それはそうです。海軍と違い陸軍はまともに米軍と対等の条件で会戦をさせて貰ったことが皆無です。常に兵力不足、弾薬不足、火砲不足、食糧不足で戦いを強いられてきました。開戦当初の南方作戦の通り、キチンとした装備で戦えば戦えると陸軍が思うのは当然です。一方、海軍は海上戦力が枯渇してからも、停戦を画策している訳です。本来は枯渇するまえに画策するべきなのです。サイパン失陥の段階で敗戦は決定的になったのであり、停戦を画策するなら、この段階でするべきなのです。これで海軍と陸軍を同等の立場と言えますか?陸軍からすると、海軍が勝手に戦争をやって、勝手に負けたという認識を持っていてもあながち不適切とは思えません。結局、敗戦を決定されたのは陛下です。海軍による停戦画策により、停戦が行われたと見えるかもしれませんが。それは見えるだけであり、実際には、それは遅すぎであり、海軍の手前勝手な考えで行われている訳です。国家のことを考えるならもっと早い段階で画策するべきだったのです。
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れすA 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 2日(金)15時59分38秒
>3万の海兵隊に,たった2,000名の兵力を投入しました。これには,流石の海軍も驚き,もっと兵力を投入したら。と助言しましたが,アメリカの歩兵は,世界一弱い。ましてや,アメリカの水兵を集めた陸戦隊だー,これでも多いくらいだ。と答えました。
これも誤解です。陸軍が海兵隊の実力を誤ったという点は事実ですが、これは南方作戦全域の連合軍があっさりと制圧されたことも一因です。
しかし、事実は、こう単純では御座いません。
まず、ガ島の上陸した米軍は第一海兵師団と豪州の旅団です。兵数は1万9千人です。この兵力でツラギとガ島を制圧した訳です。但し、これがそのままガ島に駐屯した訳でなく。ツラギにも3千程度が駐屯していますし、ガ島の兵数は1万程度です。しかし、海軍はこのガ島の兵数をソロモン海戦の戦果、ラバウル航空隊による空襲等で減少していると見ていました。更に、この進攻は一時的な作戦という認識を持っていたために、3千程度、多くても5千程度の兵力しか残っていないという認識でした。
陸軍はガ島に米軍が上陸した事実を知り、これに対する対応を迫られますが
すぐ、動かせる兵力がありませんでした。たまたま、ミッドウェー作戦のために編成された一木支隊がパラオに居り、これを転用することにした訳です。ガ島部隊残存兵力と海軍の増援、一木支隊の兵力であれば、3千程度の兵力の米軍なら何とかなると考えた訳です。これだと、それ程問題はありません。もともとの米軍の兵数を見誤っていたことが悪いのです。しかも、当初、海軍はガ島に襲来した船舶の数をキチンと陸軍に通知していませんでした。海軍から得られる限られた情報により米軍の兵力はこの程度と認識したのです。これは陸軍を責める事はできません。暫くし、ガ島来襲の兵力が師団規模の可能性がある事実が判明し、陸軍は増員が決定します。ダバオに居た川口支隊他の諸隊を送り込み、海軍部隊の増援と合わせて、米軍を撃滅する作戦を立てたわけです。これで総数は1万近くになり、それ程無謀とはいえません。
ところが、予定通り、事は運ばず、先遣隊の一木大佐が功を焦り、先遣隊のみで攻撃を掛けたため、圧倒的多数の米軍に殲滅されます。
これにより、陸軍も兵力の集結を図り、飛行場への攻撃を意図しますが。火砲の揚陸に失敗し、肉弾攻撃による攻撃に変更します。但し、これは無謀ではなく、この攻撃は、ある程度は成功しています。ガ島の密林に対する認識の甘さから、兵力の展開が遅れ、各部隊の攻撃がバラバラとなり、あまつさえ、ただでさえ少ない戦力でありながら、攻撃を実施しない遊軍が大量に生じることになりました。そのため、有効的な打撃を与えることができず。撃退されてしまいます。
これ以後、陸軍は増援兵力を送り続けることになります。これを見ますと兵力の逐次投入という愚を冒していると思えます。しかし、これも適切な表現では御座いません。船舶の確保が出来なかったのです。一木支隊は兵数が2千程度ですが、これを一度に送り込むことが出来なかったのです。先遣隊は駆逐艦で軽装備送り込み。第二陣として、輸送船で重装備の部隊を送り込んだのですが。この第二陣の使用した船舶は、後に2師や38師の輸送で使用された高速輸送艦ではなく、鈍足の輸送艦です。更に、川口支隊、青葉支隊の展開も船舶不足で相当の時間が架かっているわけです。何故、この時に後で使用される高速輸送艦を使用しなかったのかと思われるかもしれませんが。南方からの物資を本土に送り込むために船舶、広がった前線各地に物資を送り込むなど、船舶は幾らあっても足りない。むしろ、こちらの方が優先される訳です。これらの船舶を引き抜いて後の輸送は実行されたのです。これを現状認識不足といえば、それまでなのですが、この件で陸軍を責めるのは酷といえます。
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れす@ 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 2日(金)15時58分40秒
>ポートモレスビーを攻略について
キチンと作戦指導要項をお読みください。
大本営も現地の第17軍も山越えのモレスビー攻略には補給の難が不可能であるというを認識しており、この実施は延期とされています。では、何故実行されたかといいますと、杉田という戯けた野郎が勝手に事実を歪曲し、作戦を強行させた訳です。陸軍の問題点はこれに尽きるわけです。海軍と違い、比較的キチンと現状認識を現場、後方で行っていながら、一部の中堅若手将校の権限逸脱行為により、損害を広げ、傷口を広げている訳です。なお、杉田中佐の弁護をするわけではないですが、彼の独断専行も理由が無いわけではありません。本来は史実のガ島に送り込まれた兵力の過半はモレスビー陸路攻略に使用するはずの戦力なのです。川口支隊、第二師団、第38師団がこれに該当します。モレスビーは南海支隊が快進撃をしてモレスビーの燈火が見える地点まで進撃しましたが、ここで撤退命令が出る訳です。ご指摘のように行きの分の食糧、弾薬しか用意しないでの進撃でした。ここに悲惨な撤退作戦が実施される訳です。つまり、ガ島に兵力を次々に抽出させられることになったために、おまけにニューギニア方面に送られる予定だった物資までもガ島に送られ補給が滞り、ニューギニア作戦が実質的に中止状態になり、戦線が崩壊した訳です。1つの方面だけで見れば問題、ご指摘のように陸軍の作戦指導は劣悪と思われるかもしれませんが、そう単純ではありません。
>日本陸軍ほど,糧食に缶詰を利用しなかった軍隊はありません。
あの〜缶詰使用していますけど(^^;
それは置いといて、米軍と違い、日本軍は米を主食としています。米は保存が効く食糧です。
また、陸軍の規定支給食料を支給したくても支給できなかったという問題があります。陸軍はこれを維持するために、かなりの努力をしています。自前で補給船を確保し、これに野戦高射砲、機関砲を搭載し、海上では不利である。陸軍機でもって護衛も実施しています。しかし、所詮付け刃です。
補給ラインの認識は海軍より陸軍の方が考えています。一般には海軍の食糧配給の方が多く、戦史では陸軍において餓死が大量ら発生した作戦が多かったことから補給無視という感がしますが、事実は逆なのです。陸軍の補給ラインの崩壊は海軍の責任です。自己の戦果と作戦にこだわり、護衛を疎かにしたのです。仮に、護衛が出来ないなら、進出させない。補給可能なレベルの兵力しか送り込まないという認識が必要だった訳です。陸軍はこれを認識していたために、兵力の増員と派兵は躊躇っていた訳ですが、海軍が責任を持つと太鼓判を押した為に兵力の増員と派兵をしているのです。但し、ニューギニア、ソロモン戦の後半になると陸軍も意地が生じ、冷静さを無くしている感はあります。
それと、トラックは持っていますよ、ニューギニアにも苦労してトラックを送り込んでいます。但し、大部分が水没していますが(^^;
まず、所詮日本の自動車生産力はしれています。それに劣悪なニューギニアの道路事情ではトラックは殆んど役に立ちません。道路を作れば良いし、土木機械能力が劣っていたと言われるかもしれません。日本軍もブルドーザー等の土木機械を持っていましたが、これを送り込む手段がありませんし、基本的に絶対数が少ないのです。そもそも、陸戦の主力たる戦車の生産数自体が少ないのですから仕方がありません。ついでにいいますと、昭和18年に入ると戦車の生産をストップし、航空機の生産に振り替えていまるぐらいですから、これは日本の国力の限界を超えているのですから、生産は不可能といえます。
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山本五十六躁鬱病 投稿者:太田守人 投稿日: 5月 2日(金)12時07分50秒
この前,ある本を読んでいたら,山本五十六躁鬱病説を展開している方がいらっしゃいました。確かに,勝ち戦のときのイケイケドンドンの躁状態とミッドウェー以降の負け戦の時の鬱状態の彼の作戦指導を見ると,なるほどなーって納得しました。私は,山本よりも彼の先任参謀だった,黒島海軍大佐のキャラのように思います。別名,黒島変人参謀と言われた、彼は,山本戦死後,人間魚雷回天や桜花等の特攻兵器の開発に力を尽くしました。山本は,参謀長の宇垣少将より,人間性に欠陥のあった黒島先任参謀を,緒戦期信頼していました。山本は,最初黒島先任参謀の決裁は,めくら判だったそうですが,ミッドウェーの敗戦では,頭に血が上り,アメリカと刺し違えようと言い,空母が全滅した後,全艦隊に突撃を命ずる電文を起案します。それに,まったをかけたのが,参謀長の宇垣纏少将で,彼は暴走する黒島先任参謀を,時には叱り,時にはなだめ,全艦隊の退却を命じます。宇垣参謀長の退却指揮は側で見ているものには,胸のすくような,水際立った手際だったそうです。もし,宇垣少将が連合艦隊司令部にいなければ,ミッドウェー海戦は,空母4隻,重巡洋艦1隻の沈没という,少ない損害で済まなかったと思います。山本は,この宇垣少将の水際立った退却の指揮で,彼の評価を新たにしたそうです。そして山本は,戦死前に「黒島を替えなければならん。」とまで言っていたそうです。ただ,宇垣少将は,終戦時中将に進級し,第5航空艦隊司令長官になり,終戦直後,5機の特攻機を率いて,沖縄のアメリカ艦隊に突入しました。これを聞いた,最後連合艦隊司令長官の小澤治三郎大将は,「宇垣のバカヤロー。死にたければ,大西のように,自分だけで死ねばいいのだ。前途洋洋の若者を道連れにしやがって。」と激怒したそうです。
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あきんどさん 投稿者:太田守人 投稿日: 5月 2日(金)08時35分02秒
確かに緒戦期に,いけいけドンドンで出て行って,後で補給が続かなくなったのはその通りです。でも,これは海軍だけの責任ではありません。陸軍が,アメリカ軍をしらなすぎた上に,補給ということに無頓着すぎたと思います。有名な話として,ニューギニア攻撃の時,オーエンスタンレー山脈という,3,000m級以上の大山脈を越えて,ポートモレスビーを攻略しようとしました。ところが,陸軍は赤道直下であるとの理由で,兵員に半そで,短パンのみを支給し,この高地を越えさせようとしました。その結果,凍傷,凍死者が続出し,敗退しました。また,日本陸軍ほど,糧食に缶詰を利用しなかった軍隊はありません。これは,陸軍はトラックがなく,糧食は兵士が背嚢で自分の分を持っていくというのが,原則だったからです。ニューギニアで,大量の塩鮭を持たしましたが,赤道の高温で全部腐って食べれなくなったという話もあります。アメリカ軍は,Cレーションという缶詰とインスタント食品で,3食をワンセットにした戦闘糧食を第2次大戦で発明し,このCレーションを戦場食の基本にしていました。マキン・タラワ上陸で,アメリカ軍が上陸時に上げた,当座の食料,日用品,被服,嗜好品,トイレットペーパー等の兵士の身の回り品だけで,兵士一人あたり2Tに達しました。これは,兵器・弾薬を別にした量です。日本陸軍では,考えられません。また,ガダルカナルにアメリカ軍が上陸してきた時,海兵隊(マリーンズ)という言葉を見た陸軍は,海軍に海兵隊とはなんじゃいな。と質問に来ています。敵の組織を知らなかったとは,迂闊千番なことで,海軍の説明で,ああ。アメリカの陸戦隊ですか。と納得し,3万の海兵隊に,たった2,000名の兵力を投入しました。これには,流石の海軍も驚き,もっと兵力を投入したら。と助言しましたが,アメリカの歩兵は,世界一弱い。ましてや,アメリカの水兵を集めた陸戦隊だー,これでも多いくらいだ。と答えました。案にたがわず,この部隊は,蟷螂の斧で,全滅しました。ガダルカナルが長期化したのは,海軍もそうですが,陸軍が兵力を小出しにし,それを各個撃破されたからです。海軍だけが悪いような,お考えには同意できません。そして,終戦を画策したのも海軍です。
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眠いよ〜 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 2日(金)05時00分16秒
あかん、読み直すとボロボロだ
読みにくいでしょうが、全体の意味は分かると思いますので
よろしくお願いします。
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漏れてます。 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 2日(金)04時50分48秒
中華人民共和国になり
雲南、西蔵の漢化も実施されてますね
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漢民族 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 2日(金)04時48分46秒
え〜とですね
漢民族というものは本当は存在しません。
彼等の内訳を見ますと言語も別、文化も別です。
民族の区分は言語、宗教、文化で区分する場合が多いのですが
漢民族はこのいずれも該当しません。
とりあえず
言語では大きく分けて3つ、北京・南京・広東ですか
これらは元々は別々の民族です。
漢字を使うという点が唯一の共通項です。
あと、統治法というか国家制度に従属する人達です。
ある意味、漢民族はウイルスのようなものです。
周辺民族を同化吸収し、巨大化していきます。
少数民族の居住地域に大量の漢民族を入植
徐々に土地を漢化していき、少数民族を飲み込みます。
少数民族は混血や同化で漢民族化していきます。
一部の人たちが山間部等に少数民族と残るか
更に、奥地へ彼等は移動する。
これにより、その土地は漢化することになる。
いちおう、漢民族の中核といえる原・民族は黄河流域の人たちとされます。
極めて
以後、これらの人たちを漢民族とします。
この周辺部の人たちは蛮族です。ちなみに戦国七国の楚も区分法では蛮族になります。
秦により統一され、漢が建国されますが
前漢においても、黄河流域だけが漢民族です。
後漢になり、徐々に漢民族の人たちが戦乱等から逃れ南下します。
これにより、長江流域から長江南部の漢化が始ります。
やがて、北方民族が大量に侵入し、南北朝時代が始まり
この時に大量の漢民族が南に移動し、長江南部の漢化は一層促進します。
一方、黄河流域は北方諸族の流入により、南下しなかった漢民族と混血します。
彼等は文化的に漢化し、漢民族化しますが、純粋の漢民族ではありません。
但し、南下した人達も初期の段階で南方の蛮族を同化しているため
純粋性は失われています。しかし、正統性を主張し、
北方諸族に支配された人達と区分しこちらを本家漢民族としています。
最終的にはこの北方系の隋・唐により統一され
全域の人達が漢民族となり
周辺部への侵食により徐々に領域を広げていきます。
しかし、この侵食は極めてゆっくりしたものです。
これ以後も北方系の諸族に侵略されますが
結局、彼等の大部分も漢化していきます。
金の侵略により、南宋が成立し、南方地域の漢化領域が広がります。
そして
明の末期になり、広東省一帯の漢化も進みますが
本格的な漢化は清朝になってからです。
更に
漢民族の拡大は止まらず
清朝の末期ごろから
本来の清朝故地である満洲の漢化が始ります。
清朝が崩壊し、
満洲による日本の進出が始まり、この漢化は促進されます。
日本の敗戦により
満洲の漢化はより一層促進され、完全に漢化
内蒙・ウイグル方面の漢化が進められるようになり
現在に至るという感じです。
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漢化、感化 投稿者:きんたろう 投稿日: 5月 2日(金)01時24分10秒
これは単なる語呂合わせですが。。。
よく中国を支配した異民族は最終的には漢民族に同化させられてしまっていると言われています。
私もそのように覚えてきましたが、果たしてそれはどのような事を意味しているのでしょうか??
当たり前ですが、人間とは動物ですから両性の親の遺伝子を受け継いで生まれるわけです。
これは、ミトコンドリアのように単独で自己増殖するものではないという厳然たる事実を現しています。
同様に、絵の具に他の色を加えれば必ず元の色とは違ったものに変化していくのは道理です。
中国大陸の歴史を見ると、中国史の主人公である漢民族が元のままの血統や風俗をそのまま保存していると考える方に無理があると思います。
元漢民族(プロトタイプ??)と呼ばれる人達を漢の時代の多数の住民であると規定すると、この人達がどんどん浸食されていったような感じがします。
特に三国志の時代には辺境と考えられていた地域の開発が進んだ時代ですが、同時に北方系異民族が漢民族のテリトリー内に侵入してきた時代でもあります。
これはヨーロッパ列強がヨーロッパの地域では勝敗がつかないために、ヨーロッパという空間を離れて地球規模の広範囲なエリアで自己の勢力圏を確立していった時代に似ているのかもしれません。
三国志の時代から、それまでは蛮族と考えられていた北方系鮮卑や匈奴などが土着してきました。
これらの異民族たちと漢民族は時代を経る毎に融合していったものだと考えていますが、それは漢民族の風習だけが保全された訳ではない事を意味していると思っています。
勿論、多数を占めたのは漢民族と呼ばれる人達ですが、彼らが劉邦の時代のままの漢民族であった訳ではありません。
血統的にも風俗からみても、漢代のものとはずいぶん変質してしまった姿があると思います。
でもそれにも拘わらず、彼らは自らを漢民族であると規定して、過去の正統な相続人であると思いこもうしているような気もします。
同じ漢民族という言葉を使っていても、その内容はずいぶんと変質してしまっているわけですよね^^
編集済
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れす 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 1日(木)20時02分36秒
海上護衛の件
誤解があるようです。
自分は海上護衛の不備を責めている訳では御座いません。
帝国海軍(以後海軍)の戦略に基づく、軍備整備計画の性格上これは仕方ありません。
海上護衛を軽視したのは日本だけではありません。
英国や米国が重視しているように見えるのは国力の違いです。
国力に余力があり、それを開戦後に整備することができただけです。
また
海軍は、海上護衛の戦力化と整備は実に良くがんばっています。
確かに、対応の時期が遅すぎたという面や技術面の問題もありますが
その遅すぎた面をカバーするほど限られた国力の範囲で最大限の努力をしています。
また、自分が海軍に対して責めているのは
兵站限界ラインを超えて進撃したことを責めているのです。
更に、あまりに稚劣な前線への兵力展開です。
全てをあげてもキリがありませんので
ソロモン戦を例にあげますと
ソロモンの消耗戦の始まりは
海軍が無謀にも設営隊のみという無防備の状態で飛行場を建設したことに始まります。
これを米軍に奪われ、ソロモンの消耗戦が始まった訳です。
急遽、各地から兵をかき集め、陸軍が兵を送り込みますが
船舶の確保等の理由で逐次投入に為らざる得ない
しかも、海軍はこの兵站ラインを守りきることが出来ず
将兵達は飢えに苦しみ、武器弾薬不足で苦戦をする羽目に陥ります。
結局、肉弾突撃による攻撃を陸軍に強いることになり
最終的に、飢餓に陥り、撤退します。
ソロモンの戦いで、陸軍は無い無い尽くしの中、実によく善戦しています。
更に
ソロモン戦域で海軍が兵力を奪われため
東部ニューギニアの戦線に圧力が増大
急遽、陸軍がこの方面を担当し、兵力を送り込みますが
航空戦力は、送り込むことに殲滅され
未整備の飛行場で稼働率も低下
制空権を奪われ、補給線が寸断
ここれでも飢餓が始まります。
そもそも、
これらの地域は陸軍の反対を押し切り海軍が進撃した地域です。
これに陸軍を引き釣り込み
あまつさえ、兵站の責任も取らず
陸軍の将兵を無駄死にさせた責任
水没した将兵、
何とか、たどり着いても食料不足による飢餓
更に、火力弾薬不足により肉弾戦をする羽目に
これは全て海軍の戦況認識の甘さから生じたものです。
自らの力を認識せずに自己を過大評価、更に敵を過小評価する行為
燃料というアキレス腱を自覚せず
戦力がありながら、投入できず
投入しても、現場を無視した兵力投入により
戦わずして、無駄に戦力をすり潰す羽目に
全く、兵法の欠片も知らんのかという体たらくです。
個々の部隊は精強で善戦しているもののそれを生かすことができない。
つまり
これらが実戦において勝利を積み重ねても所詮戦術レベルの勝利であり
これを戦略レベルに繋げることが出来ず
戦略レベルの敗北を積み重ねることでこれを帳消しにしている訳です。
これらはソロモン戦だけでなく
対米戦の全般に当てはまる海軍における致命的な問題です。
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なるほど(;^_^A) 投稿者:きんたろう 投稿日: 5月 1日(木)19時52分44秒
正直なところ、海軍がスマートで陸軍が鈍くさいというイメージくらいしか知らないのです、自爆^^;;
今更ですが、戦史については殆ど無知なんです。
昭和恐慌から金解禁などの話題ならオーケーなんですが。。。笑
飛行機乗りにはグライダーなどで適性検査を行うそうですが、自分の兄が真面目にやってとんでもない目にあったなどというレア情報が飛び交っていたらしいですね??
このような話をかつて海軍予備学生だった人の話に聞いた事があります。
適当にやって飛行機乗りから外れるように画策した話などを聞くと、戦争末期にも拘わらず予想以上にラディカルだったような気がしました。
確かに第一次世界大戦から第二次世界大戦へと激動する世界情勢の中で考えると単純なものではないはずですよね。
あきんどさんや太田さんの知識をここで披露して頂ければ有り難く思います。
よろしくお願いしますv(^o^)
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交通保護 投稿者:太田守人 投稿日: 5月 1日(木)17時21分56秒
日本海軍に海上護衛の観念が,希薄だったのは認めますが,第1次と第2次大戦の間には,第1次大戦で,ドイツ潜水艦で餓死寸前になった,イギリス海軍にしても,第2次大戦開戦時には,船団護衛用の護衛艦である,スループは36隻しかいませんでした。理由としては,第1次大戦にイギリスが発明した,アスディックと爆雷を過信したためです。アスディックは,アメリカや日本では,ソナーと言いますが,原理は水晶に電気を通し,それで音波を発信し、潜航中の潜水艦を探す装置で,爆雷は水圧信管により,調定した深度で爆発する水中爆弾です。そこで,日本海軍ばかりを責めれません。ただ,第2次大戦が始まると,ナチスのUボート(総数65隻,稼動数30隻強)で,再度,餓死寸前に追い込まれた,イギリスは第1次大戦のノウハウを活かします。
これに対し,日本は戦争初めの頃は,海軍が戦前に見積もった,船舶喪失数の半分以下で推移しました。これには,2つの大きな理由がありました。1.緒戦でフィリピンのキャビテ軍港を,日本海軍が空襲した時,流れ弾が魚雷貯蔵庫に命中し,240本あった魚雷の殆どが失われたことで,キャビテ軍港所在のアメリカ潜水艦は,手もちの魚雷がなくなれば,魚雷を補給しにアメリカ本土に行かなければならなかったこと。2.アメリカ海軍は,平時の軍事費を削る為,魚雷発射訓練を年1回程度にし,しかも訓練用魚雷(火薬が入っていない魚雷で,訓練終了後,魚雷を回収・洗浄し,再度使用できる魚雷。)のみを使用した結果,実戦になって本物の魚雷を使ったところ,不発弾が続出したこと。特に,2.は大問題で,当時日本最大のタンカー第2図南丸(22,000T)は24本,海軍の輸送艦宗谷(後の南極観測船)は11本の魚雷を受けましたが,全部不発で沈没しませんでした。そこで,アメリカ海軍の二ミッツ太平洋艦隊司令長官は,昭和18年1月から6月まで,太平洋で作戦中の潜水艦を,全部アメリカ本土に引き上げさせ,徹底的な原因調査を行います。18年7月以降改良魚雷を装備した,アメリカ潜水艦が作戦を始めると,日本海軍の対策の悪さもありましたが,恐ろしいほどの船腹が失われます。18年6月までは,船腹喪失量は,日本海軍の予想をはるかに下回り,日本海軍には,アメリカ潜水艦なぞ大した事ないわい。と言う楽観論が蔓延します。しかし,18年7月以降の船腹喪失に驚いた,日本海軍は,船団護衛用の海防艦の量産を決定します。この海防艦建造が,軌道に乗ったのは,昭和20年初めで,その頃には,海防艦が就役しても,護衛する船舶がない。動かす油がない。という状態でした。そこで,海防艦のエンジンを,石炭焚きボイラーに、変更しようという計画もありました。実際は,それより早く終戦になったので,計画倒れでしたが・・・。
因みに,千葉市稲毛海岸にあった,千葉市海洋公民館は、巡視船「こじま」を利用した施設でしたが,この巡視船「こじま」の前身は,海防艦「志賀」で昭和20年3月に就役し,沖縄特攻に出撃した,戦艦大和を,呉から大隅半島まで護衛したのが初陣でした。この海防艦は,戦後復員輸送に活躍し,相当数が昭和40年代まで,海上保安庁の巡視船として活躍しました。
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海軍善玉,陸軍悪玉 投稿者:太田守人 投稿日: 5月 1日(木)12時47分57秒
>このような海軍が主体となっていれば中国戦線の縮小は可能だったと思うのですが。。。??そうなれば歴史はかなり違った様相を見せていたものと思っています。
きんたろうさんと思えないような,ご意見ですね。海軍善玉,陸軍悪玉説はありますが,海軍が戦争を避ける為に,努力したかというとそうでないと思います。海軍でも,加藤寛治や末次信正,小笠原長生という所謂,艦隊派と言う連中は,宮様伏見宮と神様東郷平八郎とに変な注射をし続け,戦争へと持っていきました。また,陸軍でも石原莞爾(もっとも,この人の考え方は,宗教的なもので,普通の戦争反対とは違いますがね。)や今村均は,戦争に反対しました。海軍では,宮様と神様が,対米戦に持っていったということを言われました。海軍が主体でも,日本の軍国化は避けられなかったと思いますし,対米戦は起きたでしょう。
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雑記 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 1日(木)01時15分24秒
その他もろもろ
北方系征服王朝について
正確には元朝も漢化しています。
ただ、他の北方系の征服民族と違い
モンゴルの伝統にこだわり漢化しないグループが
カラコルムに残存していたために
明の成立後、北元として存続した訳です。
従来の征服民族の中で異質なのは清朝でしょう。
彼等は漢族に自分達の風俗を強制し、それを実行しています。
つまり、多数派の漢族の同化を実施している訳です。
しかも、これを清朝末期まで継続維持しています。
これを実施達成したのは清だけです。
樺太のついて
中華王朝で樺太を直接統治したのは元朝だけです。
これも北樺太に留まっていますが
樺太の宗主権は元朝にはあったことになります。
元朝の崩壊後、樺太は無主の地となり
これにより中華王朝の権利は消失することになります。
続いて、
清朝と樺太の関係ですが
樺太については、清朝はこれを統治しておりません。
樺太の人々が朝貢をしてだけです。
但し、樺太には国家が存在しないため
ある意味間接統治といえる状態かもしれません。
しかし、清朝の影響が及んでいるのは北樺太に留まり
南樺太はその影響下にありません。
国家として南樺太を経営したのは日本が始めです。
17世紀半ばに松前藩が陣屋を設置したのが始めです。
続いて、18世紀になり、場所を設置し、本格的に経営を始めます。
但し、これは海岸部に限られており、内陸部への開発は
江戸期末期のロシアの脅威が本格化してからですけどね
台湾について
漢族は台湾どころか、福建省への進出も遅いです。
あくまでも、漢族に取り、福建省一帯は南蛮の地であり
台湾は論外です。
さて
清朝によりはじめて台湾は中華王朝の版図に組み込まれますが
その統治はあってないがごとし
海岸部のごく一部分を統治していただけで
大部分は蛮族の地であり、統治が及んでいません。
その意味では台湾を本格的に完全統治したのは日本が始めてであるといえます。
漢族の航海術
16世紀にスペイン人がカルフォルニアの近くで
ジャンク船団を見かけたという記録もあり
その他に、西海岸各地に中国船の痕跡が残っています。
年代はバラバラであり、数世紀に渡り来訪していたようです。
但し、17世紀ごろから来訪の痕跡が消失します。
これは清朝の鎖国政策と関連があるものと思われます。
明朝の渡航禁止令の時期についてはわかりませんが
中国船がアメリカ大陸にたどり着いていたことは間違いないようです。
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聞き捨てならないことを仰る 投稿者:あきんど 投稿日: 5月 1日(木)00時18分45秒
きんたろうさん
何を戯けたことを仰る
>このような海軍が主体となっていれば中国戦線の縮小は可能だったと思うのですが。。。??そうなれば歴史はかなり違った様相を見せていたものと思っています。
キチンと戦史を調べましょう。
華北での局地戦の地域紛争で終ったはずの戦いを
全面戦争に引き釣りこんだ張本人は誰でしょう。
上海で戦争がはじまったの時真っ先に戦ったのは?
オマケに
対米戦争勃発後
補給線を無視して行け行けどんどんで進撃していったのは?
陸軍の将兵たちに補給物資を送らなかったのは?
過大戦果宣伝を行い、味方の作戦行動を誤らせ
無益に将兵を水没させたのは?
敗戦間際の無責任さと、戦後の世渡り上手の
組織保全については世界一のあのアホでもに指導させると
もっと、史実以上の惨めな敗北をしています。
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