過去ログ198(2003年〜6月12日)


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大奥を 投稿者:きんたろう  投稿日: 6月12日(木)04時50分33秒

ぶらいとさんも太田さんもご覧になっているのですね^^
確かに、島津斉彬は悪徳代官のような感じで、溌剌としていませんよね。

家定は勝海舟の理解者だという認識なので、あれでは勝海舟は愚連隊の親玉であり、坂本龍馬はその鉄砲玉に描かれてしまうのではないかと心配しています、笑

西郷さんにしても島津斉彬の忠実な子分ですから、親分が「越後屋」では子分がどのように描かれてしまうのかますます心配になってしまいます(;^_^A)

和宮と家茂と仲睦まじかったように、とく子(でしたか??)と家定も仲睦まじかったと信じているのですが。。。
編集済



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港 投稿者:きんたろう  投稿日: 6月12日(木)04時47分56秒

といえば「戸」という表記の所は全て港であるという原則があると信じています、笑
例を挙げれば、八戸、水戸、神戸などです。
これらの発音はそれぞれ違いますが、「戸」という漢字で現した場所は水に関する所であるという点は当たっていると思います。

これは「と=to」のような音を記録するために「戸」という文字を充てたところ、時代が下るにつれて、今度は漢字から逆に発音が決定されたという例ではないかと考えています^^

甲種、乙種に関しても正直なところ無知なので良く分からないのでピンぼけかもしれませんが。。。
要するに漢字を使って表記をした人間がこの種別を認識していたという事だと思っています。
つまり、表記上甲種、乙種の区別があっても、それが一般的に使われていたものなのだろうかという疑問を抱いているわけなんです。

漢字表記をした人間とは、後世の右筆(つまりは生きたワープロ??)のような存在あるわけですが、漢字文字を使える人間が帰化人であった可能性は極めて高いと考えているわけです。
彼らは(例えば百済人)は当時の日本語と百済語(のようなもの??)のバイリンガルだった筈であり、表記に関して言えば百済語??の持っていたものを引きずっていたはずだと思うからです。

そうであれば、漢字表記出来る人物とは、当時の日本を代表するメジャーな集団ではなく、量的には極めてマイナーであるという結論が導き出されるはずなのです。
甲種・乙種の区別が消えてしまうのは、帰化人ではない右筆が増えていくことに比例していると考えています^^

パンの耳という場合は、単にパンの端っこであるだけではなく、あの厚くなっている部分が必要になると思いますが、広辞苑を見たところ下記のような例を見つけました。

みみ‐いし【耳石】
敷石などの端に据える石。〈日葡〉

これだと大三元さんが言われているような、広く「端っこ」の意味そのままで使われていますね^^

思いつきなのですが。。。
「みそっかす」の「み」も同じようなものなのでしょうか??笑
編集済



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犬飼県三千代 投稿者:きんたろう  投稿日: 6月12日(木)04時30分50秒

について書かれた小説があると思います。
ハードカバー2冊の大作を見かけた記憶があります。
一瞬手に取ったのですが。。。元の場所に戻してしまいました(;^_^A)

彼女が不比等と結婚したのはお互いの利益が一致したからだろうという意見が一般的のようですね。
正直なところ、この付近について私のイメージは余りにも曖昧すぎるの状態です。
情報量が少ないというのは、逆に想像力でどうにでもなるような気がしていますので色々な発想に接したい気持ちがあります^^。

県を「あがた」と読む例としては長野県の松本市にそのような字名があり、名前を冠した高校もあったと思います。
全然話は飛んでしまうのですが、どうして長野県で松本なのだろう??とかつて疑問に思っていた事を思い出しました。
松はやはり海岸に近い場所にあるものですよね??^^;;

ヤマトタケルほど知名度がありながら、その実在が疑問視されている(というよりもいなかったろうという意見が支配的??)人物も珍しいですよね。
これは聖徳太子架空説どころではないと思っています、笑

私の認識としては「神功皇后」にも書いたとおり日本武尊という人物は実在したと考えているのですが、その伝承に関して言えばかなり揺れがあるのは仕方がないであろうというものです。

そう言えば常陸国付近に「日高見」という場所があるはずなのですが。。。^^;;
編集済



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大奥 投稿者:太田守人  投稿日: 6月11日(水)13時57分33秒

>それにしても13代将軍家定がずいぶん悪く描かれているのは予想外でした。
あの人は病弱だったはずなのですが。。。とても元気そうに見えました(;^_^A)

私も見ています。大奥。確かに元気ですね,家定は。病弱だったので,性格が捻じ曲がったとも考えられます。しかし,島津斉彬も曲者に描かれていると思います。「三河屋。あの娘はいかが致した。ほれ,あの娘じゃ。」と廻船問屋に言ってる,悪代官のようなキャラだと思います。もっとも、曲者でなければ,倒幕なんて出来なかったでしょうが。あの薩摩藩士の東郷って,東郷平八郎のご先祖様かなんかでしょうかね。



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耳 投稿者:大三元  投稿日: 6月11日(水)09時30分28秒

耳の形をしたもの、と理解されているようですが、それも含むでしょうけど
広く「端っこ」で良いのではないか、と思ってます。

現代語では、パンの耳、というように。但し、こういう使い方は
古文では見つからないようなので、古代を考える時には不適切かもしれません。



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ヤマトタケル 投稿者:大三元  投稿日: 6月11日(水)09時25分06秒

色んな場所でエライ人の名前に因んだ伝承があるのでしょう。
伝承がある、ということと、事実があったということ、は別物で、
伝承は創造されたこともあるでしょう。

千年以上も前に創造された伝承が字に置かれて現在に伝わってる、と
考えると、走水がどこだったか、東征の経路は正確にはどうだったのか、
というのは、あまりつきつめても意味がないと思ってます。

色んな伝承が相互に矛盾しながら残っている、ただ、そういうことなのだ、
と思ってます



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津 投稿者:大三元  投稿日: 6月11日(水)09時19分09秒

津 は アイヌ語 to と関係あるか。ありそうですが確信には至っていません。
アイヌ語には to が、もし日本語に対応するなら、甲類のトなのか乙類のトなのか
これを決めかねているのです。日本語の甲類のトは日本語のツと混同、通用、される例
が多いので、to が 甲類のト と言えれば更に確度があがるようにも思えます。

それと トマリ(港)という語の構成が、クソマル、ユマルと同様にト・マルと
分析して良いのか、という問題点も明らかにする必要がありそうです。

アイヌ語と日本語の間には相互に語を借用してはいるでしょうが、系統関係は
ないと思っています。



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大三元さん 投稿者:太田守人  投稿日: 6月11日(水)08時29分40秒

記紀初め,手もとの資料をあたったのですが,弟橘姫の生理の話ありませんでした。どうも,私の勘違いのようです。すいません。お騒がせしました。
それで,ヤマトタケルですが,どこで浦賀水道を渡ったのでしょうか?横須賀に走水って地名がありますので,今の東京湾横断フェリーの航路の浦賀〜浜金谷あたりでしょうかね?でも,昨日久しぶりに古事記を読んで,オヤっと思ったのですが,ヤマトタケルは常陸から甲斐に入っているのですね。常陸から甲斐に行くには,相当の国を通る必要がありますが,なんでこれらの国を飛ばしたのでしょう。国が出来た当時は,常陸の国は関八州全部を言っていたのでしょうか?



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きんたろうさん 投稿者:ぶらいと  投稿日: 6月11日(水)01時26分34秒

>実は以前からの疑問なのですが、橘三千代とは本名なのでしょうか??
この頃の人名とは思えないほど、新しい気がするのですが。。。

確かに今の時代でも通る名前ですね。元の名は、県犬養三千代です。元明天皇即位の大嘗会の御宴にて、橘宿禰の姓を与えられます。従って、「県犬養橘宿禰三千代」(あがたいぬかいのたちばなのすくねのみちよ)という長い名を名乗ることになります。あの藤原不比等もこの人を夫人にすることで、大出世することができました。

>島津斉彬が出ていましたので、徳川斉昭とか勝海舟も出てくるのでしょうか??
個人的には西郷さんとか坂本龍馬にも出て欲しい気持ちです^^

そうだと面白いですね。



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ぶらいとさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 6月11日(水)01時02分44秒

も「大奥」をご覧になっているのですね^^
実は私も見ています。
なかなか面白いですよね。

時代劇で「大奥」のような女性を主人公とした話は久しぶりです。
(映画の豪姫以来でしょうか??)

それにしても13代将軍家定がずいぶん悪く描かれているのは予想外でした。
あの人は病弱だったはずなのですが。。。とても元気そうに見えました(;^_^A)

島津斉彬が出ていましたので、徳川斉昭とか勝海舟も出てくるのでしょうか??
個人的には西郷さんとか坂本龍馬にも出て欲しい気持ちです^^

実は以前からの疑問なのですが、橘三千代とは本名なのでしょうか??
この頃の人名とは思えないほど、新しい気がするのですが。。。



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津 投稿者:きんたろう  投稿日: 6月11日(水)01時01分30秒

といえば「港」を意味しますが、これは大三元さんが紹介された
>to=沼・湖、古くは海も、か
が原型であるような気がしてきました。

要するに「港」とは「船が着く場所」というわけですから、意味的にはジャストフィツトしますよね。

「耳」の形をした地形というのは、昔の方が今よりも一般的に見られたのではないかと思っています。
耕地整理をする以前の農村の風景は、曲がりくねった道と曲がりくねった田んぼかありましたよね。
これを「耳」の形に喩えたということなのでしょうか??^^

瓜連と静はさすがだなと思いました。
瓜連とは久慈川縁にある丘(あるいは山??)のような場所なのです。

久慈川から丘を登っていくと瓜連の町になります。
更に進むと那珂川がありますから、ちょうど「si-tu (沢と沢にはさまれた)山の走り根」になっています。
ちなみに和名抄にも「倭文郷」として確認できます。



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血の穢れ 投稿者:きんたろう  投稿日: 6月11日(水)01時00分31秒

という発想は、家畜を持たない環境にあったからこそのものだと考えています。
魚をさばいた時に出る魚の血に対して「穢れ」という感覚を持たないのは魚(=海の幸)に恵まれた生活をしてきたからではないでしょうか??^^

太田さん
千と千尋を私が見たのは、いつだったかテレビで放送された時に見たのが初めてです。
多分相当後になって見たグループに入っていると思っています、笑
見てみると見る前に抱いていたイメージよりも、もっと素晴らしいものでしたよ。

大三元さん
ジブリについての教えて頂きまして有難うございました^^
イメージだと「ナウシカ」にあった世界に近いものがありそうな感じがします。
それにしても、ペギラさんはさすがですねv(^o^)



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ちょっと変わった話題 「大奥」 投稿者:ぶらいと  投稿日: 6月10日(火)23時56分50秒

フジテレビの「大奥」を見ました。結構面白かったです。徳川時代、大奥にはピーク時1000名もの女性がいたそうですね。菅野美穂、浅野ゆう子が好演しています。
一方、橘三千代の時代の後宮には500人位の人がいたそうです。三千代は後宮で最高責任者にまで上りつめます。



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ジブリ 投稿者:ペギラ  投稿日: 6月10日(火)23時24分07秒

トリポリ砂漠の上を吹きぬける熱風

このあたりのことは、何度も特番でやっているので、
知っている人は、みな知っている。

ペギラ風解釈でいいますと、「生命の風」でしょうか。(笑)



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(無題) 投稿者:太田守人  投稿日: 6月10日(火)12時42分40秒

>失礼ながらひょっとして ミヤズ姫 の間違い?

かもしれません。近くに資料がないので・・・。



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太田さん 投稿者:大三元  投稿日: 6月10日(火)12時05分25秒

失礼ながらひょっとして ミヤズ姫 の間違い?
それなら古事記に出てる



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瓜連と静 投稿者:大三元  投稿日: 6月10日(火)12時02分49秒

他の語源解(あるのか?)がお気に召さない場合のご参考に:
ur(i) おか =hur(i)
turasi それに沿って登る
si-tu (沢と沢にはさまれた)山の走り根
sut ふもと (発音は シュトゥに近いのも可能)



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大三元さん 投稿者:太田守人  投稿日: 6月10日(火)11時48分25秒

>「弟橘姫は,生理だったとか言いますよね。」
これ、誰が何処で言ってますか?

なにかの本で読んだような記憶があったので・・・。すいません。調べてみます。



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都岐沙羅 投稿者:大三元  投稿日: 6月10日(火)11時22分54秒

アイヌ語地名で現存しているものとして、to-kisar がある
(トカチ国オオツ村ユウント(勇洞沼))(知里真志保『アイヌ語地名小辞典』)
意味は「沼耳;沼の奥が耳のように陸地に入り込んでいる部分」とある。

これは直に「都岐沙羅」の解ではないか、と思われる。
昔の地形でこのような所を探すのが「都岐沙羅柵」の位置同定に役立つでしょう。

さて、この語の応用になりますが、ひっくり返すと kisar-to で 耳(の)沼
これが木更津か、と思っては居ますが、確信には至りません。

kisar-toは現存アイヌ語地名に実例は見つかりませんが、アイヌ語としてはあり得る語形でしょう。
茨城や秋田にある「キサラ」(木皿、木在)を参考にして、何か出てくるか。。。
秋田の方は子吉川が蛇行して「陸地が耳のように出っ張ってる」とは言えそうだが、
茨城の方は特徴がつかめない。

サラ・キは葦、葭だが、こういう意味の場合には、キ・サラという言い方が無さそう。
昔、そう言ったかも知れない、ということを言い出すと、どんどん恣意的になって行くのでやめておきます。



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太田さん、 投稿者:大三元  投稿日: 6月10日(火)10時58分36秒

「弟橘姫は,生理だったとか言いますよね。」
これ、誰が何処で言ってますか?



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Ghibli 投稿者:大三元  投稿日: 6月10日(火)10時56分49秒

"Doing a web search for Ghibli, wind reveals several possible sources. Most indicate that "Ghibli" is an arabic word (specifically Libyan) word
 for a hot, sand-ladden wind blowing from the south (where the Sahara Desert is located).



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弟橘姫 投稿者:太田守人  投稿日: 6月10日(火)08時14分31秒

弟橘姫は,生理だったとか言いますよね。もし,生理でなかったら,入水しなくても良かったかも・・・。でも,日本人ほど血の穢れを,嫌がる民族もいないように思います。この辺りが,とければ,日本人のルーツが分かるようにも思います。
きんたろうさん。宮崎作品で見てないのは,千と千尋ぐらいです。後は,娘に付き合わされたり,娘がテレビで見てるのを見たりしてます。中学生になったら,おとーさんと行動してくれない。ウ・ウ・ウ・・・・。



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ペギラさんは 投稿者:きんたろう  投稿日: 6月10日(火)03時37分45秒

宮崎ワールドにはまっていますね^^
確かに完成度のとても高い作品ばかりですから私も大好きです。
ところで「ジブリ」とはどのような意味なのでしょうか??

弟橘姫が海神の怒りを収める為に入水するという日本武尊との悲恋は有名ですよね。
その場所がちょうど内房に当たるわけなんですよね。
これはルートから考えてもあり得る話だと思っています。
でも、木更津はヤマトタケルが関東へやって来た時には既に「きさらづ」のように言われていたのかなと思ったりします。

木更津には以前何度か遊びに出かけた事がありますが、ヤマトタケルに因んだ公園があるのは知りませんでした^^;;
Minstrelさんは地元ですから、さすがに詳しいですね。

>参考アイヌ語:sar=葦原 ki=禾本科草本の茎・桿 to=沼・湖、古くは海も、か。
>kisar=耳(『アイヌ語地名小辞典』より)

大三元さんが紹介された上記のものから考えると「草木が生い茂っている葦原のある沼」といったところでしょうか??
葦原は日本の原風景だと思っています^^

ところで
>kisar=耳
というのは面白い変化だと思いました。
古代の有名人には「耳」の字の付く人名が目に付きますが、関連があるような気がしました。

太田さんもご覧になって下さいね。
ちなみにトトロもよくできた作品で面白いですよ。

ひょっとしたらですが、タケミナカタは本当に神通川を遡って諏訪に逃れたのかもしれませんよね??
逃げていく神というコンセプトを考えていたら「亜人戦士??」というSF小説を思い出してしまいました^^

更にタケミナカタで急に思い出したのですが。。。(実は関連性は無いのですが。。。自爆)
タケハヅチの神を祭ってある常陸国第二の静神社がある「瓜連」も、まさか瓜が連なるほどの産地だったというわけでもないと思っています。



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ヤマトタケル 投稿者:大三元  投稿日: 6月 9日(月)13時52分37秒

「ヤマトタケルや景行天皇に因んでが名付けられた地名の判別は出来ると思うのですが」
そうですね。因んで付けられた事は判っても原義なのか、という疑問は相変わらず残りますね。

だから、「風土記で分かる事には限界があるというわけですね。」だと思います。
また、風土記なりが書かれた「その時点で既に名前が存在していたという」ことが分かる、
これが一番重要だと思います。
私も地名を色々考えてみることが多いのですが一体何時から在った地名なのか、が何時も悩む問題です。



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きららづ 投稿者:大三元  投稿日: 6月 9日(月)13時43分57秒

きさらづ は、言葉の点からは、
都岐沙羅(つきさら、ときさら)(柵)とか象潟(きさがた)と類似と考えています。

参考アイヌ語:sar=葦原 ki=禾本科草本の茎・桿 to=沼・湖、古くは海も、か。
kisar=耳(『アイヌ語地名小辞典』より)



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たけみなかた 投稿者:大三元  投稿日: 6月 9日(月)13時29分56秒

「神様が通った後に出来た川と言う伝説ですが、この神様,諏訪に逃げって
行った,タケミナカタだったら,面白いなーと思っています。」

これを面白いと思ったり、思いついた人が喧伝して行って時間の経過とともに「伝承」
になっちゃう。そんなんが、文字に記録されたのを、今拝見しているわけでしょうね。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 6月 9日(月)13時00分51秒

千と千尋は見ていません。娘は,みてるようですが・・・。確かに,宮崎監督の映画には,縄文の息吹のようなものを感じます。
神通川ですが,神様が通った後に出来た川と言う伝説ですが、この神様,諏訪に逃げって行った,タケミナカタだったら,面白いなーと思っています。この神通川の近くに,杉谷4号墳という,四隅突出型古墳の北限と言われる,古墳がありますから・・・。



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ヤマトタケル関連 投稿者:Minstrel  投稿日: 6月 9日(月)11時57分32秒

> ヤマトタケルや景行天皇に因んでが名付けられた地名の判別は出来ると思うのですが、

千葉の場合、例えば「木更津(きさらづ)」「君津(きみつ)」「袖ヶ浦(そでがうら)」は内房地区に3つ並んでいて、ちょうど、ヤマトタケルが走水の海(多分浦賀水道)を渡る時にオトタチバナ姫を失って流れついた場所のすぐ近くです。

それで、木更津は「君、去らず」が語源とされています。
ヤマトタケルが姫を偲んでなかなか立ち去らなかったからという意味です。
それにちなんだ公園なんかもあります。

君津は、姫の櫛が流れ着いた場所(違うかも)だがら、「君を思い出す津」、
袖ヶ浦も姫の袖にちなんでいる地名という説明になっています。

しかし、大三元さんのご指摘では、例えば「きみさらず」だと、古代は「ず」と「づ」は別の音であるからおかしい、ということで否定的のようです。

ロマンチックな話しなので、本当にヤマトタケルの話しから来ていると面白いとは思いますが、実際のところはどうなんでしょうね。私にはなんとも分かりません。

しかし、君津はシッカリ「きみ」という言葉が残っているのに、木更津は「み」が欠落しているのが不審だな、とは思います。(^_^)


宮崎監督の話しは、縄文チックな感覚が多い気がします。
もののけ姫などもモロに縄文的な世界観だったと思います。
私は好きです。^_^

http://johokan.net/minstrel/



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シュナの旅 投稿者:ペギラ  投稿日: 6月 8日(日)23時32分55秒

宮崎ワールドのオリジナルな詰まっている本です。

チベットの民話「犬になった王子」が題材だそうですが、
ジブリ作品のほとんど全てが凝縮されています。

宮崎さんの夢がいっぱい、つまっていて、
夢はいつかは、かなうから。。
と言っていた宮崎さんの、作品がヒットしてからの言葉が印象的です。

この本をもっている私は変か(笑)



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大三元さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 6月 8日(日)22時31分02秒

のいわれるように、もし下総風土記が見つかったとしても、印旛とか千葉という地名については、その時点で既に名前が存在していたという程度しか分からないのかもしれませんね。
ヤマトタケルや景行天皇に因んでが名付けられた地名の判別は出来ると思うのですが、風土記で分かる事には限界があるというわけですね。

ひょっとしたら大三元さんも「千と千尋の神隠し」をご覧になられたのですか??^^
あの人の作品は、現代と繋がっていないけれど、とてもよく似た空間を設定して物語りを作り上げていくという手法を取っています。
先日、NHKでかつて放送していた、未来少年コナンをちょっとだけ見ましたがコンセプトはずっと同じような感じがしました。
いずれにしても、創作の才能に溢れている人なのだろうと思います。

>カムイ・ルペシペという北海道地名をおもいだしました。
それにしてもさすがだと思いました。
意味から言うと、全く同じものですよね。

この川にサケが産卵に来るのであれば、正に熊がサケを取りにやってくる場所であるという意味かなと思います。
編集済



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神通川 投稿者:大三元  投稿日: 6月 7日(土)11時23分04秒

きんたろうさんは「千と千尋」を思い出しましたか。
私は、カムイ・ルペシペという北海道地名をおもいだしました。
カムイは神とか熊ですね。
ル・ペシ・ペと分解出来て「道・下る・沢」あたりの意味合いです。
この神通川(じんずうがわ)もカムイ・ル・ペシ・ペからの翻訳だったりしないかなぁ、
というわけでした。

下総国風土記が出てきて、千葉の語源が書いてあっても、
常陸国風土記などと同様に地名俗解なんでしょうねぇ。
本義・原義が忘れられていることが多そうです。



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古い地名 投稿者:大三元  投稿日: 6月 7日(土)10時55分38秒

地名は、それが必要な状況になった時に、必要だと思った人が、
その人の言語・文化で名付けするのであ〜る、と考えれば:

その土地に人が住み始めた時なんかもそう言う場合なのでしょう。
その人の言語・文化が反映される。
古い地名というのは、古い言語・文化が反映している。
今の我々の言語・文化とは かな〜り 異なったものかも知れない。
だから、判りづらい、判らない・・・

と随筆してみました



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ウイルス情報 投稿者:きんたろう  投稿日: 6月 7日(土)01時34分48秒

私の所にもウイルスメールがよく届くのですが、最近流行しているのは以下のようなものです。
皆さんも気を付けて下さいね。

W32/Sobig.c@MM (ソービッグ・シー)
種別 : インターネットワーム
危険度 : 中
主な発病 : 大量メール送信
発見日時 : 2003年5月31日

W32/Bugbear.b@MM (バグベアー・ビー)
種別 : インターネットワーム
危険度 : 高
主な発病 : 大量メール送信/キー入力した情報の漏洩/セキュリティ対策ソフトの強制終了
発見日時 : 2003年6月4日



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神通川 投稿者:きんたろう  投稿日: 6月 7日(土)00時56分15秒

とはどのように読むのでしょうか??
「じんつうがわ」??それとも「かみどおりかわ」??ですか^^;;

この神通川という文字を見た時に、千と千尋の神隠しに出ていた白竜川の精霊??である主人公の一人である少年を思い出してしまいました、笑
太田さんは「千と千尋の神隠し」をご覧になりましたか??^^

Minstrelさん、拝見してきました^^
とても興味をそそるような内容にまとめられていると思いました。
確かに大三元さんの意見は参考になりますよね。

内容的には申し分無いのですが、出来れば文字サイズをもう少し大きくしてほしいと思いました。
そうすればもっと読み易くなると思いました^^
尤も、私のPCのディスプレーが小さいのかもしれませんが。。。^^;;

茨城という名前は常陸風土記にその出典を確認できますので、同じように、もし下総風土記が残っていれば千葉の地名の由来が書かれているかもしれませんね。

茨城の地名には慣れ親しんでいるのでなかなか思いつかないのですが。。。
「行方」(=なめかた)などはなかなか読むのが難しいような気がしますが、どうでしょうか??

常陸風土記の行方の郡のところに下記のようにあります。
古くからのいい伝えによると、大足日子天皇(おほたらし ひこの すめらみこと=景行天皇)が下総の国の印波(いにわ)の鳥見(とみ)の丘にお登りになり、しばらくとどまって遠くを見晴らされ、東のかたをふりかえって、おつきの臣下に勅して、「海には青波がゆったり流れ、陸には丹霞がもうろうとたなびく。国はおのずとその中にあるとわが目には見える」と仰せられた。

これによると印旛はかつては「いにわ」と言われていたようですね。
編集済



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古い 投稿者:きんたろう  投稿日: 6月 6日(金)23時45分04秒

地名が読みづらいというのは、なるほどと思いました。
(私の場合は読みづらいというよりも、読めないと言った方が正確ですが。。。^^;;)

中国の地名でも秦漢の頃の地名(=都市名)を見ると、馴染みが薄いせいかとても変な感じがします。
唐になると現代と共通した地名が増えてくるような感じはしますが。。。

白川先生は、漢字は「神との交信」の手段として発生したというような事を書かれていたと思います。
これが人との交信の為の手段として変質していったのが漢字の歴史であると思っています。

漢字文化圏の広がりについては以前も書いたように、柵封体制の中国外部への広がりに伴っていたのは確実です。
行政命令が文書によって行われた事は漢字の知識を必要とする事でもありましたから、非漢字圏の支配階級にとっても漢字が必要なものになっていったのだろうと思います。
柵封体制と表裏一体の関係を為しているというのはこの事です。

この付近についてはまだ漠然としているのですが、まとめてアップしたいテーマの一つですv(^o^)
編集済



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ウソのような話 投稿者:太田守人  投稿日: 6月 6日(金)12時29分17秒

日露戦争開戦前に,日露両国は,10隻ずつの潜航艇を,アメリカのホーランドという会社に注文しました。そして,両国とも今で言う,ノックダウン方式(部品を輸入し,発注国で組み立てる方式)で,自国で組み立てましたが,潜航浮上する時の弁が,日本が全て右舷側,ロシアが全て左舷側だったそうです。それで,両国とも日露戦争には,間に合いませんでした。



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重蔵神社 投稿者:太田守人  投稿日: 6月 6日(金)12時09分23秒

石川県輪島市に,重蔵神社という神社がありますが,今は,「じゅうぞうじんじゃ」と言いますが,昔は,重蔵とかいて「へくら」と言っていたそうです。この読み方も分かりません。この神社,元々は,ここから40km位沖にある,舳倉島に居る女神様へツヒメを,わざわざ海を渡って拝みに行くの大変だ。というので,ここに神社をおいたそうです。宗像三神もそうですが,この重蔵神社も,三姉妹の女神様です。海人族では,三姉妹の女神様というのが,お約束事だったのかもしれません。



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Minstrelさん 投稿者:大三元  投稿日: 6月 6日(金)11時35分24秒

千葉の語源(推考)からみで御紹介した伊豫大明神の注連縄、イナウを思わせる、の写真が見つかりましたのでアップしておきました。

http://www.dai3gen.net/iyodaimyoujin.jpg



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難しい地名 投稿者:Minstrel  投稿日: 6月 5日(木)13時53分47秒

「古さ」を残している地名ほど難解なのかも。。。
『記紀』の原文の地名や人名もとても難解で、もはや日本語の祖というよりは外国語です。
当時の地名がそのままの表記で残ったら、相当難解でしょうね。(現代とほぼ同じ地名も多々ありますけど)

漢字は置き換えがあるので、漢字の意味で判断できる地名もあればまったく意味のない地名もあります。
関東で言えば、「船橋」などはそのまんま「船の橋」伝説がありますが、
「春日部(かすかべ)」など、春日大社と関係あるのかと思いきや、大正か昭和初期までは「粕壁」と書いていたのですから、現在の漢字で考えても意味がありません。

大三元さんの影響で、何らかのアイヌ語の影響を受けている地名は難解だという印象があります。
そういえば以前に、「千葉」はなぜ「千葉」なのだろう、どういう意味なのだろうと考えて、大三元さんに教わったことがありました。

http://johokan.net/history/chiba.html

マイナーなところに行けば、千葉にも難解な地名はたくさんありますよ〜 (^_^)



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神通川 投稿者:太田守人  投稿日: 6月 5日(木)09時03分13秒

富山県の神通川ですが,この川は神様が通っていった跡だそうです。そこに川が出来たと言う,伝説があります。諏訪湖のお見渡りの拡大版のような話です。



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画一化 投稿者:太田守人  投稿日: 6月 5日(木)08時33分04秒

>富山、石川、福井は一列弱です。面積が小さいせいか、絶対数では必ずしも多くはありませんね。

そうですか。でも,富山は結構難しい地名があると思っていました。それに,奥能登もです。しかし,福井や金沢と言った,かっての城下町には余りありません。その代わり,鷹匠町とか御徒町とか大工町なんて町名があります。城下町は,藩政時代町名の画一化があり,そこで古い町名が消えたのではないでしょうか?富山は,富山市周辺を除き,加賀藩の領地でしたし,能登には藩政時代お城がありませんでした。そこで,昔の町名が残ったと思っています。



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難読地名 投稿者:大三元  投稿日: 6月 4日(水)22時49分21秒

平凡社の『世界大百科事典』に付いている『日本地図』についている『難読地名一覧』でざっと見てみますと、1列あたり約70地名を掲げて、大抵の都府県では、2列程度の難読地名がリストされています。
富山、石川、福井は一列弱です。面積が小さいせいか、絶対数では必ずしも多くはありませんね。
予想通り北海道は5列もあり、トップですが、これはアイヌ語地名のせいでしょう。次は兵庫かもしれない、三列弱。



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