過去ログ203(2003年〜8月15日)


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太田さん 投稿者:菊池元宏  投稿日: 8月15日(金)20時18分12秒

第一次大戦後、僅かな期間でドイツがフランスを倒せる戦力を保持していたとは。
ヒトラーも戦線を拡大してなかったら、ドイツ復興の神様、名宰相となっていたのでしょうか?

和平をほのめかし、フランスの戦意喪失を誘い、奇襲攻撃でダメ押し。降参。
なにか、源義経の戦術のような気もするのは気のせいでしょうか。



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ドイツ 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月15日(金)16時55分10秒

が勢力を伸ばした事が第二次世界大戦になったわけですが、当時のヨーロッパは平和主義全盛であり、ドイツに対して宥和主義を取ってしまったわけですよね。
この事が判断ミスだったのは間違いがありません。
ちょうど第二次世界大戦後の日本が念仏的平和主義に陥ってしまった事によく似ています。

誰でもそうですが、身綺麗にしているところを汚されたくはありませんよね。
これを良い事にして侵略をしたのがドイツですよね。
そして、ドイツを真似ようとしたのが北朝鮮なのかなと思います。

ヒトラーが台頭した時に、ドイツに対して戦争を辞さないという毅然とした態度を英仏が取っていれば、ヒトラー政権はどうなっていたのでしょうね。

沖縄戦はひめゆりの塔に代表されるように玉砕のところです。
太田さんが書かれているのと、スターリング攻防戦は同等に論じられるものではないと思います。

ソ連軍は人民を盾にして自軍を防御しました。
これは人民はソ連軍の下僕であるという事なのです。
何しろソ連は日本に宣戦布告をしたのが僅か1週間くらい前のことでした。
それにも拘わらず、シベリアに7万人くらいの人を抑留し、劣悪な環境下で無償労働を強いました。

これは半世紀前に行われた「奴隷」行為そのものです。
「暁に祈る」という言葉が彼らの無念さ悲惨さを物語っています。
編集済



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3度の神風 投稿者:太田守人  投稿日: 8月15日(金)14時21分08秒

と言っても,元寇ではありません。太平洋戦争での話ですし,神風と言っても,特攻隊でありません。台風の話です。
終戦間際から直後にかけて,3度アメリカは台風に邪魔されました。1度目は,フィリッピン近海で,ハルゼー提督の指揮する,アメリカ第3艦隊が,大きな台風に遭遇し,駆逐艦ハル,モナガン,スペンスの3隻が転覆沈没,艦載機108機を失い,重巡洋艦ピッツバーグ以下相当の艦艇が損害を受け,第3艦隊は,一時退却を余儀なくされました。2度目は,沖縄戦の最中,再度アメリカ第3艦隊を大型台風が襲い,掃海駆逐艦サザランドが座礁全損という被害が出ました。この結果,第3艦隊司令長官のハルゼー提督は,職務怠慢として軍法会議に掛けられます。結局,今までの活躍により,無罪とされましたが。3度目は,終戦直後です。8月15日に,日本は降伏しましたが,アメリカ軍は,日本に8月24日にアメリカのマッカーサー将軍が,厚木海軍航空隊に降り,占領政策を開始するので,その準備をせよ。と命じます。驚いたのが,日本海軍で,この厚木海軍航空隊の司令小園大佐は,神州不滅,徹底抗戦の思想の持ち主で,部下もこの司令の影響で,もっとも精鋭分子がそろっており,更に,小園大佐は,ラバウルで係ったマラリアが再発し,自分の部屋に注連縄を結いまわし,毎日,神が俺についている,邪魔するなー。天照大神ーって叫んでいました。こんなところに,アメリカの占領軍の親玉が着陸されたら,それこそ,何が起るか分からない。そこで,アメリカに日延べを頼みましたが,アメリカは,言い訳としてウンと言わない。日本側が弱っていると,よい加減に,関東地方に台風が接近し,マッカーサーは,降りたくても降りられず,丁度1ヵ月後の9月24日に延期になりました。関係者は,矢張り,日本は神の国だー。最後の最後に,神風が吹き,日本を救ってくれたーと大喜びしたそうです。この小園大佐は,最後は強制入院させられました。そして,小園大佐がいなくなった,厚木基地では,部下がパニックを起こし,アメリカ軍が来たら,キンタマ切られる。というデマが飛び,逃げ出しますが,その時,備品を勝手に持ち出し,中には,それで刃傷沙汰まで起きたそうです。そして,このパニックを起こし,備品を勝手に持ち出したのは,徹底抗戦を叫んでいた連中が多かったそうです。厚木海軍航空隊は,復員する時に,もっとも無秩序になった部隊のひとつだそうです。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 8月15日(金)13時47分20秒

赤軍と同じことを,沖縄で皇軍もやってます。安全な洞窟から,住民を追い出したり,降伏する時に,民間人から服を奪い,軍服を脱ぎ,その奪った服を着て,降参した日本兵が多数いたそうですし,満州の関東軍に至っては,終戦時殆どの部隊が,民間人を見捨てて,先に逃げてます。
まあ,共産主義を神様のように持ち上げた勢力もいますが,負けた軍隊なんて,どこでも同じだと思います。



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菊地さん 投稿者:太田守人  投稿日: 8月15日(金)13時38分27秒

>もし、イギリスでチャーチル政権が誕生してなかったら、ドイツに勝算はあったのでしょうか?

チャーチル政権が誕生しなくても,ドイツのフランス進攻はあったでしょう。ポーランド進攻を大目に見ても,フランス進攻をイギリスとしては,無視できなかったでしょう。ということは,1941年位にどっちにしても,イギリスは参戦したでしょう。英独海軍協定というものがあります。これは,ヒットラーがイギリスに,イギリス海軍の総トン数の40パーセントまでの海軍力の保有を認めさせたものですが,この条約による,ドイツ海軍の保有トン数は,フランス海軍と同じでした。フランスは,ベルサイユ条約で,ドイツを振っても鼻血も出ないようにしています。このため,ヒットラーのフランスに対する憎悪は甚だしく,パリ入城の時には,第1次大戦で,ドイツが休戦条約にサインした,会場になった食堂車を探し,ここで,フランスに降伏文書にサインさせています。ただ,イギリスだけで,アメリカが噛んで来なければ,イギリスは相当苦戦したと思いますが,イギリス単独でも,ドイツに負けることはなかったと思います。イギリスを占領するには,海軍力が絶対条件ですが,ドイツとイギリスでは,違いすぎてますから・・・。もし,イギリスが負けそうになったら,間違いなく,アメリカが噛んで来ます。そうなると,ドイツの勝ちは,万に一つもないように思います。
終戦後の総選挙で,チャーチルは敗退しています。イギリス国民は,チャーチルに戦争指導だけを要求したのでしょうね。

>まぁ。ドイツによるフランス占領自体、なにかの間違い(奇跡的勝利)と言われていますけど。

そんなことはありません。戦国期で言えば,ドイツは織田の鉄砲隊で,フランスは武田騎馬軍団です。勝てるはずありません。ドイツは,戦車を中心にした戦力です。これに対し,フランスは第1次大戦のままです。さらに,ドイツは準備して,満を持していた。これに対し,フランスは晴天霹靂の奇襲です。長篠の合戦で言えば,寝てる武田軍に,突然織田の3,000丁の鉄砲隊が襲い掛かったようなものです。フランスは,逆立ちしても勝てません。



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アメリカにやられたい 投稿者:菊地元宏  投稿日: 8月15日(金)12時24分33秒

第2次大戦末期、ヒトラーは、不気味なスターリン率いるソビエトの連中にドイツが蹂躙されることを、ひどく怯えていたようで、アメリカの参戦に好意的(歓迎)であったようですが、

もし、イギリスでチャーチル政権が誕生してなかったら、ドイツに勝算はあったのでしょうか?
まぁ。ドイツによるフランス占領自体、なにかの間違い(奇跡的勝利)と言われていますけど。



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国民皆兵 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月15日(金)12時21分52秒

と血税は同じ意味になるわけですね。

明治時代に入るまでは、日本では国民皆兵という発想はありませんでした。
源平の戦いを見ても、武士とは専業の戦士であって、庶民とは別の存在だったからです。

戦国時代でも、武士とは専業の戦士であり、足軽を雇う場合にも次男以下の者が殆どであったのは確かだと見られています。
こうしてみると、明治時代と供に日本で採用された国民皆兵という制度は画期的なものであったのが良く分かりますよね。

突然思い出したのですが、スターリングラード攻防戦(だったと思うのですが。。。??)あそこで、ソ連軍はドイツ軍の大砲の弾を浪費させるために、本来守るべき筈の市民に白布を被せて、銃を打って脅して豪の外に追い出したそうです。
これを遠方から見ていたドイツ軍は、白いものがはらはらしながら動いているために、これに向かって砲撃をしたということです。

このようにしてソ連軍は自軍を守る盾として、無数のソ連の市民を使いました。
ところがソ連軍の恥部に対して公平に批判しなかった勢力があります。
何処なのかは言うまでもありません。
編集済



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昨日今日 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月15日(金)12時20分35秒

と冷たい雨が降っています
これは、とても8月中旬の天候ではありませんよね。
普通よりも10度も低いのですから。。。

やはり今年は天変地異の年なのだと思いました。
せっかくの大祭礼もその効果が無かったという事なのでしょうか??(;^_^A)
尤も大洗の神が上陸された水木浜のすぐ近くに、北鮮のボロ船が油をまき散らかして汚してしまったのが神の怒りをかったのかもしれません。
この報い巡り巡って北鮮を覆うのではないかと思います。(ぷんぷん)

それとも、神を祭ってもこのくらいの冷害は仕方がないのかなという気もします。

昔の人は、自然と一体になって生きてきました。
その比率や影響の大きさは現代の私達の想像する以上のものがあったはずです。
そうすると、今年のような冷害の年には上に書いたような思いが当時の人々の中で広まったのかなと思ったりします。



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信濃丸 投稿者:太田守人  投稿日: 8月15日(金)08時36分09秒

日本海海戦で,バルチック艦隊を見つけた船ですが,この船は,非常に長寿で,昭和26年頃まで動いていたそうです。ゲゲゲの鬼太郎等のよう怪漫画で有名な,水木シゲル氏も,太平洋戦争中,陸軍の兵隊の時,この船でラバウルまで乗ったそうです。信濃丸に乗船してすぐ,船体の一部が腐食していて,水木氏が触ったら,ポロッと取れたそうです。それで,非常に不安になっていたら,船員が,「兵隊さん。この船は,浮いてるのがおかしいんだ。なにしろ,日本海海戦の時,いの一番に,バルチック艦隊を見つけて,無電を打った船だから。」と話し掛けてきたそうです。それで,水木氏が「俺たちは,信濃丸に乗ってる。」と同年兵達に話したら,「どんな船でもいい。どーせ,俺たちは,アメリカの潜水艦に沈められて,魚の餌になるんだから。」と言って,オイオイ泣き出した人もいたそうです。この船,太平洋戦争では,完成から50年以上経ってるでしょうから,よくこんな船が,日本からラバウルまで,航海出来た物だと思います。



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ぶらいとさん 投稿者:太田守人  投稿日: 8月14日(木)16時44分19秒

>第二次大戦の敗戦直後、戦勝国の間で敗戦国の日本を四分割するという案があったようですね。もし、そうなっていたら大変なことでした

すいません。見落としてました。この分割案,アメリカが蹴ったそうです。ソ連は,北海道よこせーと言ってましたが,トルーマンがスターリンに,「よっしゃ。もう一回,戦争するかー。」と啖呵を切ったそうです。当時,原爆はアメリカしか保有してませんでしたし,ソ連は,第2次大戦で疲弊していて,アメリカと戦争なんか出来るはずがない。というトルーマンのカマシでした。ただ,米英では,最高責任者はマッカーサーだが,四国はイギリスとか言う,民生担当地域はあったようです。これを,蹴飛ばせたのは,日本本土に,ドイツのように,ソ連の地上軍がいなかった為だと思います。地上軍がいれば,南北日本になっていたでしょう。ただ,終戦後,東京の東郷神社で,米ソ軍の打ち合いがありました。ソ連が,恨み重なる,東郷神社を壊しにきたそうです。それを知った,アメリカ軍が邀撃に迎い,東郷神社周辺で,銃撃戦が起き,アメリカ軍が2名負傷,ソ連軍は,10数名の戦死者を出し,敗退したそうです。



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第一次大戦 投稿者:太田守人  投稿日: 8月14日(木)14時38分01秒

第一次大戦は,飛行機,潜水艦,航空母艦,戦車,毒ガス等の新兵器が出現しましたが,この戦争は,機関銃戦争とも言われています。この戦争に,もっとも大きな影響を与えたのが,機関銃でした。第一次大戦は,開戦時には,半年以内に方がつくだろうと言われていました。しかし,戦線が膠着し,ニッチモサッチモいかなくなり,あのような長期化をしました。この最大の理由が,当時の最新兵器機関銃でした。この機関銃により,戦死者がバカみたいに増え,英独仏の動員計画に齟齬をきたしたのが一つ。もう一つは,機関銃により,弾薬の消費量が天文学的になり,その生産が追いつかなかったことです。当時のイギリス首相が軍需大臣に,「陸軍の機関銃及び機関銃弾の使用予測を2倍して,その答え3倍する。そして,その答えを二乗し,それに10をかけたまえ。その積もりでいないと,戦争には勝てないよ。」と言ったと言います。第一次大戦は,民間人が巻き込まれた以上に,人類が,それまで経験したことのない,一大消耗戦になりました。



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血税 投稿者:太田守人  投稿日: 8月14日(木)12時22分27秒

>あるいは国民皆兵を始めたナポレオンが、総力戦の始まりと言えるのかもしれませんね。

明治政府が,徴兵を始める時の詔勅に,「欧米では,国を守るのに,国民が等しく兵役に付く。これは,租税の一部であって,これを血税と言う。」とあったそうです。ところが,血税とあったため,徴兵なんて判らない庶民は,血税を,国が血を抜いて税金として,持っていくと思った庶民が多く,各地で一揆が起ったそうです。そして,これを不満士族が煽ったそうです。明治初めの不満士族の反乱は,このような,血税を血を国が強制的に抜く。と思った庶民が参加したのが,結構あるそうです。今,血税と言ってる人達は,血税の本当の意味が分かってるのでしょうか?血税とは,徴兵制のことだったのです。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 8月14日(木)09時29分55秒

>こちらではお盆は月遅れで行われているのですが、これは全国的なものなのでしょうか??

石川県では,金沢だけが7月の盆です。後は,8月盆です。福井県は知りませんが,富山県は,すべて8月盆のようです。金沢では,お盆の迎え火と言い,墓前にキリコを置き,それに火をつけ,祖先の霊の足元を照らすという風習があります。これで,よく火事になったので,今は火をつけない人も結構います。



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なるほど^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月14日(木)03時42分06秒

市民を巻き込んだ総力戦は第一次世界大戦から始まっているわけなんですね。
あるいは国民皆兵を始めたナポレオンが、総力戦の始まりと言えるのかもしれませんね。

市民が攻撃の対象になるというのは、大陸では勝利者による略奪の対象でもありましたから、日本の歴史から見るとなかなか合わない部分が大きいように思っています。

ところで、帰省ラッシュが年中行事となっていますよね。
こちらではお盆は月遅れで行われているのですが、これは全国的なものなのでしょうか??



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いえいえ 投稿者:太田守人  投稿日: 8月12日(火)08時37分37秒

きんたろうさん。市民が戦争の対象になったのは,第1次大戦です。帝政ドイツの無制限潜水艦戦により,イギリス客船ルシタニア号が撃沈され,多数の非戦闘員が死にました。これが,アメリカの参戦を生みましたが。更に,ロンドン空襲は,第1次大戦にもありました。帝政ドイツのツェペリン飛行船による,空襲です。第1次大戦は,第2次大戦の陰に隠れていますが,近代戦の萌芽があります。もっとも,それまでも民間人が,戦闘の側杖を食うことはありましたが,民間人が標的になることはありませんでした。イタリアのドゥエという将軍は,第1次大戦で戦略爆撃論を展開していますし,イギリスは,第1次大戦で戦略爆撃機を開発しています。もっとも,飛行機がまだよちよち歩きで,鈍重・低速な上,強度の問題があり,結局流れましたが・・・。ドゥエ将軍は,ムッソリーニに非常に信頼され,彼の政権建設にも力を貸しています。本格的な,戦略爆撃は,ロンドン誤爆に始まります。第2次大戦で,ロンドン近郊の戦闘機基地を空襲していた,ドイツ軍は,イギリスの対空砲火や悪天候にあい,目標を確認しないまま,爆弾を投下し,これがロンドン市内に落下します。この報復の為,今度はイギリス軍が,ベルリンを空襲します。誤爆をしらない,ヒットラーは,頭から湯気をだして怒り,報復にロンドン大空襲を命じます。その後は,互いの報復合戦です。これが,ヴェトナムの絨毯爆撃になります。皆さん,ご存じない方も,結構いらしゃいますが,京都も,太平洋戦争末期に米軍の空襲を受けてます。場所は,西陣あたりです。もっとも,西陣は,戦争中,絹織物の生産を転用した,軍用パラシュートを生産してましたので,狙われたと言う説と,大阪を狙った誤爆説があります。第2次大戦で,ヨーロッパでは,国を間違えて誤爆したという,壮大な誤爆の話もありますので,大阪と京都を間違えるということもありうると思います。世間に言われているように,アメリカは日本の文化を理解しており,京都には空襲をしなかった。というのは,ウソ八百なのです。



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昔から 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月11日(月)22時02分17秒

働かざる者食うべからずと言われています。
これは時代が変わっても通用する真理だと思っています。

それに、働かないで恵んで貰う生活に安住するのは、人間性を著しく低下させてしまうのは誰にでも分かっている事ですから、絶対に避けなければなりません。
試験で100点を取りたいと思っても、それに対する努力をしなければ結果が付いてくるはずがないのと全く同じですよね。

kitunoさん
「聖徳太子は何故即位しなかったのか」を読んだ感想はすぐにkitunoさんの掲示板に書きました^^
聖徳太子の血統が両親ともに蘇我氏系であるという事が、逆にマイナス点になるであろうとは思いつきませんでした。
でも、確かに多くの豪族たちの支持を得るには、蘇我氏系統に偏り過ぎているというのはマイナスになると思いました。
さすがです。

今度の分はまだ拝見していないのですが、明日には読ませて頂きますね。

太田さん
天気図では金沢に台風が殆ど直撃したように見えましたが。。。
日本海側に抜けて温帯低気圧に変わるだろうと軽く考えていましたが、今度の台風は殆ど本州を縦断していきました。
久しぶりにものすごい台風でした。
幸いな事に関東地方ではそれほどの被害はありませんでした。

太田さんの書き込みを読んで思ったのは、第二次世界大戦から市民も対象にした戦争に変わったのかなという事です。
それまでは、軍人同士の戦いである面が強かったと思うのですが。。。
東京大空襲ばかりでなく、ドイツ軍によるロンドン空襲にしてもそうなのかなと思います。
編集済



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何かと 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月11日(月)22時01分31秒

慌ただしい日々が過ぎています。
本当はこんな筈ではないのですが。。。
事実私はのんびりとした日々の方が好きなのです、笑

今年は阪神優勝という天変地異の前触れか??と思われる出来事がついに現実化しそうですよね(;^_^A)
先日の東北を襲った連続大地震も阪神優勝も春髷丼(笑)が数年遅れでやって来たという証なのでしょうか??

思い返せば、今年の3月には72年ぶりに金砂神社の「大祭礼」が行われましたが。。。
よくよく読むと、この大祭礼は「凶作」対策であるという事ですから、正にドンピシャリという事になります。

例年の猛暑からは今年の冷夏は想像が出来ませんでしたよね。
暑い日々はこの数日間だけであっさりと秋がやって来てしまうのでしょうか??



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13days 投稿者:太田守人  投稿日: 8月11日(月)17時26分42秒

先々週朝日放送系で,13daysを見ました。キューバ危機の話ですが,第3次大戦一歩手前までいったといいますが,久しぶりに見ごたえのある映画でした。あの時のアメリカ空軍参謀総長のカーチス・ルメイ将軍は,昭和20年3月10日の東京大空襲の計画者で,まず,東京の下町からに焼夷弾を落とし,逃げ場をなくし,そして東京の中心部に大量の焼夷弾を落とすことを命じました。この人,いかに効率よく日本家屋を燃やすかという実験を,ネバダ砂漠に日本の町を作り,焼夷弾の改良を行いました。この人が少尉の時,人事評価に,有能しかし冷酷と書かれたそうです。この時,キューバ封鎖艦隊の指揮を取った,アメリカ第2艦隊司令長官のラザフォード中将は,この封鎖の時,アメリカ国民から,多数の激励の手紙を貰ったそうですが,その中に,「あなたの行動は,評価されるでしょう。しかし,これは我々の後に続く者があった場合です。」という手紙があったそうです。このキューバ危機は,冷戦の一つの転向点で,アメリカのシーパワーに敗れた,ソ連は,以後海軍力の拡充に力を入れます。ソ連は,空母の建造技術を持ち合わせていなかったので,空母を中心とする正統派の艦隊を建設できなかったので,潜水艦の核ミサイルや核魚雷により,アメリカ空母に対抗しようとします。この海軍力整備に力を入れたのは,ソ連のゴルシコフ提督で,以後,1996年に失脚するまで,ソ連海軍のトップでした。このゴルシコフ提督は,大佐で巡洋艦の艦長の時,黒海に保養に来ていた,フルッチョフが溺れかけたのを救助したのが,フルッチョフとの初顔合わせだったそうです。以後,フルッチョフの引きで,42歳で海軍少将になり,ロシア・ソ連海軍合わせて,もっとも若くしてアドミラルになった提督とされています。



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金沢は・・・ 投稿者:太田守人  投稿日: 8月11日(月)11時51分34秒

金沢から80kmの岐阜県を台風の中心が通過したそうですが,白山に遮られ,風はほとんどふきませんでした。お隣の福井県や富山県は,相当の暴風雨だったようですが・・・。でも,雨は凄かったです。ことしは,天候不順なので,米の出来はどうでしょうかね?



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秦氏の謎 投稿者:kituno  投稿日: 8月10日(日)14時53分35秒

続いて更新!!
きんたろうさん、さっそく「聖徳太子は何故即位できなかったのか」を読んで下さり、ありがとうございました。更新することに勢いのついているkitunoは本日も更新しました。^^

新しく聖徳太子のペ−ジに「kitunoの謎シリ−ズ」というコ−ナ−を設置しました。^^「トンデモかも」と思われる説の中にも、古代の「真実」が隠れているかも知れません。謎の多い「聖徳太子」ですが、その中でkitunoが考える「謎」に迫ってみたいと思います。
その第1弾は、聖徳太子のブレ−ンとして活躍した秦河勝、「秦氏の謎」です。
第2弾も構想は練ってありますので、乞うご期待!!(期待してくれる方、います??^^;)

編集済
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/index.html



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かなり 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月 9日(土)08時48分45秒

大型の台風10号が日本列島を直撃していますが、皆さんのところでは大丈夫でしょうか??
夕べニュースを見ていたら、四国では軒並み降雨量500MLとか600MLと放送していました。
ちょっと想像できないレベルです。
こちらでも先ほど、バケツをばら蒔いたようなあめが降りました。
雨は短時間しか降っていないのですが、風は相変わらず強いですよ。

これからはスサノオ10号と呼ぶ事にしたいと思っています^^



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 8月 8日(金)13時47分39秒

事務所ですか。でも,暫く大変かも知れません。あの書類は,どこだー。この書類は,どこだー。って。私も経験ありますが,引越し後,軌道に乗るまで,数ヶ月かかりました。一番の問題は,昔の書類探しで,ダンボールをどれだけあさったことか・・・。



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お久しぶり! 投稿者:kituno  投稿日: 8月 7日(木)23時50分13秒

更新!! 

「聖徳太子は何故即位しなかったのか」という疑問に対しての考察を深めました。
なぜ彦人大兄皇子が即位できなかったのか、また山背大兄皇子が即位できなかった理由なども考察に加えました。
皆さんのご意見をお待ちしています。
下記のアドレス、Q.2を読んでね!
(ひさしぶりの書き込み、また宣伝か!と怒らないでね。^^;)

この掲示板を見ないと、kitunoの浦島太郎状態が悪化してしまうのですが、携帯からのアクセスはなかなか料金がかかりまして。^^;
でも、最近ちび姫が夜は爆睡するようになったので、またお邪魔しますね。^^
編集済
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/gimon_taishi.html



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あっ(;^_^A) 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月 7日(木)18時22分46秒

引っ越しは自宅ではなくて、事務所のほうなんです。
A棟からB棟へと引っ越したのですが、荷物が思ったよりも多くなっているのは、自宅の引っ越しの場合と全く同じですね。

今度のところは、前の場所よりも広々としているので環境度が3くらいアップしたかな??と思っています。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 8月 7日(木)12時37分48秒

>以上にへろへろだったようです、自爆^^;;

大丈夫ですか?私にも経験がありますが,寝る場所なかったです。引越し直後は・・・。



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自分で思っている 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月 7日(木)03時21分28秒

以上にへろへろだったようです、自爆^^;;

でも明日(今日中)には回復の予定です。

今日は5回くらい往復しました。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 8月 6日(水)11時52分57秒

炎天下での,お引越し大変でしたでしょう。

>北朝鮮関係で納得できない事は、日本人を拉致している国の船がどうして平気で入港できるのかという点です。
よく法整備等から仕方がないなどという意見を耳にしますが、一般人を拉致するような相手に普通の法律を適応させて対応するという発想自体がずれていると思うのですが。。。

なにしろ,国を挙げて人攫いをする国ですから,その気になれば,国際法の海賊船条項と奴隷船条項を適用し,北の商船を,公海上でも臨検・拿捕できると思います。ただ,自衛隊法には,臨検・拿捕の規定はありませんが・・・。国際法でも,海賊船や奴隷船を,公海上でも臨検・拿捕出来るのは,軍艦だという規定がありますから,海上自衛隊は海軍でなく,護衛艦は軍艦でないと言えば,無理かも知れません。矢張り,憲法第9条の第2項が足枷になっていると思います。海上保安庁をコースト・ガードと,海上保安庁自身も言ってますが,世界の国でコースト・ガードやそれに類似した組織を持っている国は,これらを軍隊と規定(殆どが運輸省等の所轄で,国防省の所轄でありませんが。)しています。これも,準海軍の扱いにしないと,公海上で臨検・拿捕が出来なくなるからだそうです。



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今日 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月 6日(水)01時32分02秒

は引っ越しをしました。
と言っても僅か150メートルくらいなのですが。。。(;^_^A)

でも、炎天下での引っ越し作業は結構疲れました。
何しろ荷物を運ぶのに10回以上往復しましたので3キロ以上と同じだからです。

北朝鮮関係で納得できない事は、日本人を拉致している国の船がどうして平気で入港できるのかという点です。
よく法整備等から仕方がないなどという意見を耳にしますが、一般人を拉致するような相手に普通の法律を適応させて対応するという発想自体がずれていると思うのですが。。。

指名手配を受けている誘拐犯人が、いくら代価を支払ったとしてレンタカーを借りようとしても捕まりますよね。

もう一つは、拉致被害者の家族に第三者がししゃり出て行く事についてです。



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柔よく剛を制する 投稿者:太田守人  投稿日: 8月 5日(火)16時58分55秒

金正日にこの言葉教えてやりたいと思います。彼が,強く出るから,日本では有事法制が国会を通過しました。アメリカ政府・議会には,日韓核武装容認論というのがあるそうです。北朝鮮が,このまま強く出れば,中国も見放すでしょう。この前,ロシア太平洋艦隊司令長官が,個人的意見と前置きしてましたが,北朝鮮が,これ以上軍事的緊張を高め,アメリカが軍事介入することになれば,ロシアは,アメリカとともに,北朝鮮に攻撃を加えることもありうる。と警告したと,ある雑誌に書いてありました。これで,中国にまで見捨てられたら,金正日はどうするのでしょう?金日成は,一度,「南進して,平壌の民家の窓ガラスを1枚も,ヒビも入れない自信があるのか?あるなら宜しい。」と正日を叱り付け,以後,正日を重く見なくなったと聞いたことがありますが,昨今の北朝鮮見てると,これも本当の話かなと思います。



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北朝鮮も 投稿者:輔住  投稿日: 8月 5日(火)08時20分41秒

拉致被害者の手紙を使ったり、韓国ルートで未確認情報を流させたり、
色んな手段を使ってきますね。

「ジャパンマネー」を手に入れるためには、なんでもやりそうだなあ。



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レインボーブリッジ 投稿者:太田守人  投稿日: 8月 5日(火)08時19分35秒

あのNGOは,北朝鮮には都合がいいのでしょうね。週刊金曜日と同じ穴の狢だと思います。不思議なことに,あのNGO,北に米支援でなくて,キノコの粉末を送ってるそうです。なにか,健康食品らしいですが,北の国民に健康食品おくっても仕方ないでしょうね。或いは,北の金正日一家の調度品等を調達する,セクションなのかも知れません。しかも,あの手紙,地村さんを池村さんって書いてあったそうです。せめて,あて先くらいしっかりかけ。と言いたいですよね。また,封をしてなかったということは,検閲の為でしょう。私は,売名行為以外の何者でもないと思っています。北は,2008年の北京オリンピックまでに潰れる。という本がありましたが,それまで,もたないかも知れません。



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実は 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月 4日(月)23時04分15秒

は迂闊にも最近ニュースを見ていなかったのですが。。。

レインボーブリッジとかいうNGOが北朝鮮に渡って拉致被害者の子供の手紙を持ってきたところ、頑なに被害者の方に直接手渡したいと言って不審がられていますよね。
これは明らかに、北朝鮮側の策謀なのは間違いがありません。
こいつらはいくら耳に心地よい言葉を発しているとしても、その心根は悪魔のように卑劣であるのは間違いがありません。

このレインボーブリッジという訳の分からない団体は茨城県にも大きな被害を与えているのですから、ますます人ごとではないのです。

日立港で座礁したぼろ船を呼んだのが此奴らなのですから。。。
タイヤをチップ状にしたものを燃料として北鮮に送ろうとしたのが発端なのです。
このような経緯を見てもこの団体が如何に怪しいのかよく分かると思います。

此奴らは日立の海を汚しても、油の取り除き作業で多くの市民が迷惑を被ったのにも拘わらず、知らんぷりを通していたのですからこの人達に赤心などあるはずがないと思います。
編集済



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 8月 4日(月)12時55分40秒

>南方へばかり進出していたイメージがありますが、かなり北方までも進出していたわけですね。
日本最大勢力圏をみると、太平洋は内海になったかのような感じがします^^;;

北方でも,激烈な戦闘がありました。太平洋戦争最初の玉砕は,北のアッツ島です。この時,アッツ島守備隊長の山崎陸軍大佐でしたので,山崎大佐に続けってのが,合言葉になりました。海軍では,山崎大佐に続いたら,日本人は根絶やしになっちまう。という士官が相当いました。また,これは,学徒の予備士官の話ですが,昭和18年にある駆逐艦に,配属になったそうです。それで,艦長と駆逐艦以下は,4隻で隊と言うものを組み,行動するのが原則で,その隊を指揮するのが,隊司令で,駆逐隊司令は大佐でした。それで,その予備士官が,駆逐艦に赴任し,大佐の隊司令と艦長の中佐に,着任の挨拶をし,「生きて虜囚の辱めを受けず。という戦陣訓で頑張ります。」と言ったとたんに,司令と艦長から大目玉を食らったそうです。「アメリカと戦争して,日本は負けるにきまっとる。負けた後は,最高学府を出た君らの出番だ。戦陣訓は,陸軍のものだ。アメリカの捕虜になっても生きろ。そして,焦土と化した祖国を救え。特に,君らは死んじゃいかん。捕虜は,屈辱かも知れんが,官費でアメリカ旅行をさせて貰ってると思え。」と言われたそうです。これには,この人はぶっ飛んだそうです。まあ,こんなことを言った士官は,エリートの士官でなく,昇進が遅い士官が多かったそうですが。
それと,キスカから引き上げてきた将兵は,終戦後苦労しました。この将兵は,殆どが国後や択捉等の北方防備兵として,終戦まで使われました。戦争中は,あまり苦労しませんでしたが,終戦後の昭和20年8月17日に,スターリンが日本はアメリカに降伏しただけであって,我国と日本は戦闘状態にある。として,北方領土に上陸します。まあ,日本軍は降伏したので,すぐ降伏するだろう。と思ってのことだそうですが,日本軍は,迎撃しソ連軍に2,000名の戦死者を出させます。驚いたスターリンは,あわくってアメリカに日本との停戦の調停を依頼し,8月末に戦闘が中止になりますが,この後,これらの日本兵をシベリアに抑留し,遅い人は,昭和31年ごろまで抑留されていました。更に,スターリンは,8月15日以降日本海軍が武装解除をしたことをいいことに,太平洋艦隊の潜水艦に,北海道沿岸での通商破壊戦を命じます。このため,サハリン等からの引き上げ船が,ソ連潜水艦にボカボカ沈められます。もっとも被害の大きかったのは,小樽沖で撃沈された,空知丸で乗員,乗客全員が死にます。引き上げ船のため,乗船名簿がないので,一体何名が載っていたか不明ですが,少なくて800名,大体2,000名くらいでないかといわれています。ただ,ソ連は「俺は知らん。機雷にやられたんだろー。」と言ってたそうですが・・・。どうも,ソ連潜水艦の仕業らしいと言います。まあ,日本人のソ連・ロシア嫌いは,こんなとこから始まってるのかも知れません。



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>井沢先生  投稿者:ぶらいと  投稿日: 8月 3日(日)20時04分15秒

>井沢先生が日本史で最も関心を持っている対象が聖徳太子と信長なのです。

その様ですね。

>>「誤った解釈をされている十七条憲法」「流れを知らない日本史の専門学者」「雲太・和二・京三の不思議」「出雲大社が何故ナンバーワンか」「一神教の恐ろしさとは」「『和を以て貴しとなす』の真意」「日本独特の『国譲り神話』」

>これは「逆説の日本史」に書かれている内容と同じだと思います。

やはりそうでしたか。なかなか興味深いので、聖徳太子のトピックに一部を紹介したいと思っています。

>ぶらいとさんにはこれを気に、是非井沢先生の本を読んでみて下さい^^

大分前ですが、「卑弥呼伝説」を読みました。日食を取り入れており、面白く読みました。
テレビでの発言内容など興味深く拝見、拝聴しています。「聖徳太子」関連の「逆説の日本史」読んでみようかと思いました。
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本来ならば 投稿者:安部奈亮  投稿日: 8月 3日(日)19時28分08秒

保科さんのほうが秀忠の長男ですから、400年たってついに取り返したといえるかなと。

血筋的には会津には水戸から養子が入っているのですけれどもね。



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井沢先生 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月 3日(日)11時09分22秒

が日本史で最も関心を持っている対象が聖徳太子と信長なのです。
これはkitunoさんと同じですね^^

>「誤った解釈をされている十七条憲法」「流れを知らない日本史の専門学者」「雲太・和二・京三の不思議」「出雲大社が何故ナンバーワンか」「一神教の恐ろしさとは」「『和を以て貴しとなす』の真意」「日本独特の『国譲り神話』」

これは「逆説の日本史」に書かれている内容と同じだと思います。
これ以外にも先生は多くの著作がありますが、その本質は「何故??どうして??」というものだと思っています。

ぶらいとさんにはこれを気に、是非井沢先生の本を読んでみて下さい^^



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徳川宗家 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月 3日(日)11時08分25秒

の現在の当主はそのようですね。
会津藩は宗家の身代わりになったわけですから、正に一門衆の中でもその役割を忠実に果たしたと言ってもいいと思います。

>恩讐の彼方にといったところです
分家、一門衆が本家の盾になるのは存在理由そのものですから本家に対してどうこう言うものではないと思います。
ただ、官軍の代表である長州に対しての感情だけが残されたのではないでしょうか??



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日本 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月 3日(日)11時07分31秒

は南方へばかり進出していたイメージがありますが、かなり北方までも進出していたわけですね。
日本最大勢力圏をみると、太平洋は内海になったかのような感じがします^^;;

今から考えると信じられないような気分ですが、ずいぶん野蛮な時代がつい最近まであったような感じがします。
尤も、日本が無風地帯であり、第二次世界大戦後も世界中の多くの場所で戦争が続いています

これが世界標準の感覚ですから、50年以上も前の事をああだこうだとわざわざ外国へ出かけて言い回っている感覚は、ピンぼけ以外の何物でもないと受け取られるのだろうと思います。
中国や韓国が昔の事を捏造してくるのも、それに呼応する勢力が日本国内にいるからなのは明らかです。
彼らの自己満足で済んでいるうちはいいのですが、ピッキング犯人が「日本人ならかまわない」などと呆れた言い訳をするようになると、もはや捏造に荷担している人たちの責任とは別であるとは言えなくなった思っています。



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太田さんの 投稿者:きんたろう  投稿日: 8月 3日(日)11時05分05秒

サンマの話を聞いて、魚が生鮮食料品であるという当たり前の事を再確認させられました^^;;
今でこそ、冷蔵施設が全国にあり移動設備にも取り付けられていますから、北海道のウニでも、北陸産のイカでも容易に食する事が出来るようになりましたが、一般化したのはそれほど古くからではなく、つい最近の出来事なのですよね。

信州に出かけると、食事には何故か刺身が付いていたりします。
これはきっと海無し県である長野の人にとって見れば、最高級のもてなしであるという意識の表れだと思っています。

でも、山国である信州に観光に出かける人は、海の方面から行く人が殆どですよね。
海にはないものを味わいたいからこそ、信州に出かけるわけです。
ですから、信州に出かける人にとって見れば、いくら最高級の刺身が出されたとしても、それよりは野沢菜の方が嬉しいのです。
この辺を理解していないと思います。

誰しも自分を中心として物事を考えがちですが。。。
自分たちの食の基準が、観光に来る人にとって見ればいかにピンぼけであるかを、そろそろ気づいて欲しいと思っています、笑
編集済



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四天王寺で 投稿者:ぶらいと  投稿日: 8月 2日(土)16時21分00秒

定期的に発行している「四天王寺秋季大学」という刊行物があります。その中で平成15年1月に発行された小冊子のタイトルは、作家の井沢元彦氏の『私の見た十七条憲法』です。その内容は、「誤った解釈をされている十七条憲法」「流れを知らない日本史の専門学者」「雲太・和二・京三の不思議」「出雲大社が何故ナンバーワンか」「一神教の恐ろしさとは」「『和を以て貴しとなす』の真意」「日本独特の『国譲り神話』」などこれが実に興味深いのです。四天王寺にて同氏が1時間半講演したものをA5サイズ40ページにまとめられたもので、一気に読んでしまいました。

※「kitunoさんの掲示板にも同じ内容で書き込みしました。先日、関西方面に出張があり、四天王寺に行った時、この小冊子を入手しました。もしかしたら井沢氏のこの内容をきんたろうさんがご存じかも知れないと思いましたが、書き込みしました。



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徳川将軍家展へ行ってきました 投稿者:安部奈亮  投稿日: 8月 2日(土)01時25分25秒

有名な家康や吉宗の絵や、孝明天皇から家茂に送られた宸翰、和宮の嫁入り道具などが展示されていました。

しかし一番驚いたのは・・・今の徳川宗家の当主(十八代目)が、会津から養子で入った人物だということでした。松平容保の男系の曾孫が今の徳川家の当主だったんですね、いやはやびっくり。

まさに恩讐の彼方にといったところです。
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キスカ島撤退作戦 投稿者:太田守人  投稿日: 7月31日(木)13時16分59秒

キスカ島撤退作戦は,有史上完全無欠の撤退作戦とされています。そもそも,このアリューシャン諸島攻略作戦は,ミッドウェー作戦の一部として行われ,一種の陽動作戦でした。ミッドウェーは,日本軍の大敗で終わりますが,アリューシャン攻略作戦は,大成功に終わりました。しかし,アメリカ本土を日本軍に取られたことになりましたので,アメリカの面子は丸つぶれです。そこで,ソロモンの要地攻略が,一段落したところで,アメリカは近いキスカをすっ飛ばして,遠いアッツ島に上陸します。アッツ島は,5月27日に太平洋戦争の最初の玉砕地となり,アメリカに奪還されます。ところが,山本五十六連合艦隊司令長官戦死後,連合艦隊司令長官に着任した,古賀峯一海軍大将は,北方担当の第5艦隊司令長官の河瀬四郎中将に対し,「河瀬君。アッツに続いて,キスカの将兵まで見殺しにしては,申し訳ない。君のところで,撤退作戦をやってくれ。必要な物でも艦でも何でも出す。」と言います。そして,古賀大将は,キスカ救援の為,トラック島にいた連合艦隊を,横須賀に集結させましたが,天候が悪いのと,南方戦線の緊迫化のため,連合艦隊はトラック島に戻ります。ここに,キスカ撤退作戦が開始されます。昭和18年6月17日頃(関係者の記憶が曖昧だそうです。)に,第1水雷戦隊司令官の木村昌福少将が,第5艦隊旗艦の重巡洋艦那智によばれ,撤退作戦の指揮を命じられます。木村昌福少将は,海軍兵学校を118人中107番で卒業した為,海軍省等のエリート勤務の経験はありませんでしたが,駆逐艦ばかりに乗ってきた,生粋の船乗りでした。海軍上層部には,これをやれるのは木村しかいない。と思っていた節もあります。ところが,燃料問題が大問題になり,この撤退作戦に使える燃料は,1万トンだけで,2回失敗すれば,燃料がなくなる量でした。キスカには,5,200名の将兵がいて,軽巡洋艦阿武隈と木曾,駆逐艦4隻の第1水雷戦隊では,収容しきれませんでした。そして,第5艦隊の重巡洋艦那智,摩耶という1万トンの軍艦を使うと,燃料問題が深刻化するということで,結局,駆逐艦6隻を回してもらいました。7月7日,救出艦隊の第1水雷戦隊は,基地の幌筵を出港して,濃霧を利用し,キスカへ向います。ところが,キスカ入港直前に,霧が晴れ水平線が見えます。キスカまで,全力で走れば2時間くらいのところでしたが,木村少将は帰還の命令を出します。参謀初め各艦長は,反対しますが,木村少将は,「帰れば,またこれるさ。」と答えます。キスカには,戦艦6隻を中心とする,50隻近くのアメリカ艦隊がいました。7月15日,第1水雷戦隊は幌筵に帰還します。ここで,木村少将に,轟々たる非難が起きますが,木村少将自体,泰然自若,毎日釣りばかりをしていました。そして,7月20日再度キスカへ出港します。これも,濃霧を利用してでした。途中,濃霧で給油艦の日本丸が迷子になり,洋上補給が出来なくなったり,艦橋から自分の艦首が見えないほどの濃霧で,衝突事故を起こしたりということがありましたが,今度は,順調に濃霧のお陰で,アメリカ艦隊にも見つからず,7月27日正午にキスカに入港します。この時,いろいろな幸運が第1水雷戦隊を襲います。まず,7月27日の午前0時から3時間に渡り,アメリカ艦隊は,レーダーに写った目標に,猛射撃を浴びせ,弾薬庫がカラになり,補給のために,引き上げていました。この目標は,実際はいなかったのですが,戦艦ミシッシピーのレーダにこの目標が写ります。そして,重巡洋艦サンフランシスコ,軽巡洋艦サンタフェを除き,全艦のレーダーに写ります。このため,サンフランシスコとサンタフェのレーダー員は,艦長の罵詈雑言を浴びたそうです。更に,キスカ守備隊員を収容中,第1水雷戦隊の停泊海面だけが霧が晴れ,55分という短時間で,全員を収容出来ました。そして,錨を上げ,航行を開始した途端に,海面も濃霧に覆われました。このアメリカ艦隊のレーダーの目標は,アムチトカ島の島影が写ったという説もありますが,原因は不明だそうです。そして,阿武隈隊と木曾隊に分かれ,幌筵に戻ります。そして,阿武隈隊が7月31日,木曾隊が8月1日に幌筵に入港し,作戦は成功裏に終了します。昭和天皇は,この作戦を痛く気にかけ,深夜でも起こして,成功不成功を知らすように。と言っていたそうです。そこで,侍従武官が深夜に,天皇を起こし,成功を報告すると,天皇は大変喜んだそうです。そして,アメリカ・カナダ連合軍は,7月31日にキスカに上陸し,同士討ちで25名の戦死者を出しました。ただ,アメリカの偉いところは,このミスを隠すことなく,国民に知らせたことです。



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サンマ 投稿者:太田守人  投稿日: 7月31日(木)08時25分43秒

>サンマは全国区だとばかり思っていました^^

目黒のサンマという落語ありますよね。この落語を古典落語全集で呼んだ時も,肝腎のサンマが想像もつかない。そこで,両親に聞いたのですが,お袋は,東京生まれで,親父は元海軍士官で,千葉県の館山航空隊にいたことあるので,代わる代わる,説明してくれるんですが,現物見たことないので,想像でしかわからない。刀のような形というので,太刀魚のようなものかと思ってました。で,高校生の時に,東京の親戚の家で,サンマに初対面したときは,感激しましたね。おお,これがサンマかって。金沢は,サンマよりイワシです。ただ,太刀魚はよく食べます。



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藤堂家 投稿者:きんたろう  投稿日: 7月30日(水)22時47分55秒

は始祖が始祖だから仕方がないなどとも言われているようですね??
でも藤堂家は所詮は外様ですから許せると思います。
それよりも、トンでもないと思うのは紀州です。

ここは御三家で将軍を出している家柄であるのに、いつの間にか官軍になってしまったのですから。。。
世の中の動きを見る目があると言うよりは、保身術に長けすぎていると非難されても仕方がないように思います。
そんな事なら、14代将軍を出す事はないだろうと思ったりします。

足利義満とは正式には「源臣足利義満」です。
既に家来である人物が、別の所の家来になるというのは制度的に矛盾していると思います。
まあ、この部分は二重冊封のバリエーションだと無理矢理考えるとしても、日本の最高権威並びに権力者とは天皇家なのですから、これをさしおいて下位の者が明から「日本国王」を貰ったとしても、冊封体制に入ったとは言えないはずです。

義満は母親から見れば天皇と従兄弟にあたったと思います。
だから、血統的にも遜色ないはずだと思っていたのかもしれません??



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実は 投稿者:きんたろう  投稿日: 7月30日(水)22時44分27秒

酒井美意子さんを知りませんでした(;^_^A)
正真正銘の前田家のお姫さまなのですね!!
世が世なら「へへ!!」と平伏しなければならないのでしょうね。
ぴんと来ませんが。。、笑

ちょっと調べてみたところ、1万石の前田家の支藩が群馬県にあって七日市藩と言われていたようですね。
まさか、関東に前田家の支藩があるとは考えもしませんでした^^;;

前田利為はここの出身だそうです。
分家出身で本家の後を継いだのでしょうね。

>矢張り,食習慣は簡単に変えれないようですね。
そうですよね。
風俗のうち、食事は生活の基本を為すものですからなかなか変更をするのは困難だと思います。
納豆も最近では関西方面でも食べられるようになったと聞きますが、茨城県人にしてみると「侮辱、笑」と思えるような納豆の評価があります(;^_^A)

>サンマなんて想像もつきませんでした。
そうなんですか!!
サンマは全国区だとばかり思っていました^^



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 7月30日(水)12時33分45秒

>100万石の当主が家康の曾孫であるというのは、前田家を取り込んで実質的には一門扱いになったという事を意味しているのでしょうか??

徳川は,外様の有力大名に,松平の姓をあたえてますよね。婚姻もそうですが,これも一門扱いということでしょう。ただ,秀吉もやってるようですね。誰だったか忘れましたが,豊臣の姓を与えようとして,うちは豊臣なんかより,由緒正しい。何が悲しくて,豊臣の姓がいるものか。と峻拒され,あとで,ネネだったかに,重みがないと叱られてます。

>赤門は家斉の娘が前田家に嫁いだ時に建てられたものでしたよね??

東大は,加賀藩下屋敷あとですが,ここのゴミ捨て場を発掘した時,大量の魚の骨が出てきたそうです。ところが,サンマとかマグロ,カツオという魚の骨があまりなく。ブリやタラという金沢で食べなれた魚の骨が,大量に出土したそうです。金沢では,サンマ,マグロ,カツオは,今でこそ食べますが,20年前までは,殆ど食べませんでした。私が子供の頃は,サンマなんて想像もつきませんでした。トビウオも,金沢あたりでは殆ど食べません。矢張り,食習慣は簡単に変えれないようですね。

でも,鳥羽伏見の戦いのA級戦犯は,藤堂でしょう。幕府軍の味方の振りして,突然,幕府軍に大砲を撃ったのですから。それに比べると,戦線離脱した水戸藩なんか可愛いものです。

>しかし、日本の組織の頂点に立つ天皇家が冊封されたのではなく、天皇家の家臣が勝手に冊封されたというのは、下克上的な発想を感じる事は出来ますが、あくまでアングラです。

でも,天皇家の家来って考えありましたかね?まあ,精々が日本教の檀家で,その大神主は天皇だ。神主が何を言おうが,関係ない。いざとなったら,日本教の檀家辞めればいい。という程度だと思いますがね。



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