過去ログ208(2003年〜10月11日)


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グァム 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月11日(土)10時06分02秒

日本が管理していた南洋の委任統治領の地図を見ると、マリアナ諸島の中で一つだけ日本の管理地になっていない場所があるでしょう?あれがグァムです。1898年からアメリカの領土になっていました。


太田さんにお聞きしたいことがあるのですが
この前、職場の近所の古い神社で手を合わせていたら、大正十四年生まれで、予科の13期(17期だったかな?ちょっと忘れてしまいました)だ、という老人と話をしました。そのときは「へえ、そうなんですか」としか言いませんでしたが、今になってみるとものすごい修羅場を潜り抜けてきたおじいさんと話をしたのかもしれません。同期はほとんど生き残っていないといっていましたし。予科の13期といったらどのような戦歴を持っているのでしょうか?

ドッカーバンク事件におけるイギリスの強硬姿勢は得意のブラフではないかと思います。日本歓待襲来の報からして、ロシアを外交で叩いておいて、日本を側面援助するためのイギリスの謀略でしょう。
編集済



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韓  桂昌院 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月11日(土)09時54分08秒

韓は鄭があった場所にできました。鄭は、西周の時代から商業で有名な国です。商の遺民も多く住んでいました。小さくても成り立っていたのは商業に基盤をおいていたからかもしれません。

宮城谷昌光さんの話によると、鄭というのはそこに昔から邑を作っていた人たちが姫姓の諸侯と相互契約を結んでできた国で自治意識がとても強い国だったとか。小さくてもよくまとまっていて、他の諸侯もうかつに手が出せない国だったのかもしれません。

商の人間が商業にかかわっていたといわれる理由は文字を持っていたからかもしれないと私は考えています。文字を持っていれば、商品や顧客の情報も管理できますし、遠隔地と情報のやり取りもできますからね。


中国つながりでもう一つ
徳川綱吉の母親の桂昌院について。綱吉はマザコンで、儒教奨励策や生類憐みの令にはバカな?母親の意向が強く働いていた、という話があります。

さて、桂昌院というのは明が滅んで日本に流れてきた亡命中国人の子供(ハーフだったかも)です。明が滅んだときに日本に逃げてきた人たちは読書人階級が主。ですから、生活に困って八百屋の養女に出されたかもしれないけれど、桂昌院というのは親から中国の教養を授けられた才女だったのではないかと思うのです。正式には母親が中国人で、八百屋さんの嫁に入って桂昌院を産んで、その八百屋と親交のあった公家と母親が再婚して、その公家の家から将軍家へ輿入れしたということになっていますが、これは桂昌院が中国人ですぐに大奥へいれるにははばかりがあるから作られた話だと思います。桂昌院はたぶん美人で頭もよかったのでしょう。それと中国への憧れもあって、家光も所望したのでしょう。

綱吉というのは中国人のハーフ、あるいはクォーターです。
そして、母親から中国の読書階級の教育を受けていたのではないかと思うのですよね。そして、当初将軍の継承順位から外されて、甲斐の国で飼い殺しになっていたのは、日本人ではないからでしょう。もしかしたら母親と中国語で話していた可能性もあるかもしれない、と言ったら想像を膨らませすぎですが。

綱吉が儒教奨励策や生類憐みの令を一生懸命やったのは、「自分には中国人の血が流れている、だから日本を文明国にしなければならない」という使命感があったからだと思います。当時の日本では中国というのは憧れの国です。アメリカかぶれのハーフが首相になったようなものではないかと。

ですから、三河の土百姓の孫の大名とは綱吉は話が合わなかったのでしょう。それで、側用人を重用した。

綱吉の不安定なイメージと、母親に対する愛情はそこら辺が理由だと思います。また、大名や庶民のほうも、綱吉のそのような出自を知っているから、影で綱吉を茶化していた。桂昌院も綱吉も言われているようなバカではなく、いやむしろ当時の水準よりはずっと頭がよくて大真面目だった、それがある意味こっけいな政治をやってしまった理由だろうと私は思います。

土百姓の子孫である大名を前にして、儒教の講義を大真面目でやっている綱吉を想像すると面白いものがあります。白文を中国人の発音で呼んで「本場ではこう読むのじゃ」といってたりして。大名は閉口したことでしょう(笑)でも、まあ綱吉の政治というのはそう悪いものではありませんでした。綱吉が出るまでの江戸というのは治安も悪いし不衛生でしたが。それを改善して江戸を世界一治安が良くて清潔な町にしたのは綱吉の功績です。治世の後半うまくいかなかったのは天災にたたられた面が強い。綱吉のせいとばかりはいえない。

また、中国かぶれの徳川光圀とは話が合ったのだと思います。光圀はきっとハーフの綱吉に憧れていたのではないでしょうかね?若いころの境遇も似ているし。また綱吉も「私の気持ちを分かってくれるのは光圀だけだ」と思っていたから、光圀が少々あてつけをやっても大目に見ていた。



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ユダヤ人虐殺 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月11日(土)09時35分01秒

私が本で読んだり、ベルリンのユダヤ人博物館で展示を見た感じでは、第二次世界大戦中のナチスドイツにおいて、何万人ものユダヤ人が不条理にも殺されたのは事実のようです。第一次世界大戦が終わって解放されて社会の中枢の進出したユダヤ人を快く思わずに、ユダヤ人を差別すれば拍手喝采される雰囲気がドイツを覆っていたのも確かです。

ただし、世に言われている虐殺600万人というのは誇大な政治宣伝の可能性があるかもしれないと私は思います。ナチスがユダヤ人問題解決を「隔離」から「最終処分」へと変更した時期が1941年3〜9月ですが、そこから1945年5月まで約1200日。毎日途切れることなく5000人ものユダヤ人を殺さないと間に合わない計算になります。毎日1000人でも難しいと思います。

数十万人(これでも大変な数です)が殺されたのは事実でしょうが、数百万人ということはなかったのかもしれません。どうやってこの数字が導きされたのか?私は2つの可能性を考えています。

1.
ドイツーソ連戦は悲惨を極め、この戦争によるソ連の死者は2千万人といわれています(ただし全員銃剣で殺された人数ではなく、穀倉地帯をドイツに奪われたことと、スターリンが労働力のすべてを軍需に向けたことによる飢餓が原因でしょう)。東ヨーロッパのユダヤ人はポーランドとウクライナに住んでいました。これはドイツとソ連の戦いが最も激しかった地域です。この戦いに巻き込まれて死んだ人間が含まれている可能性があります。

2.
第二次世界大戦後に東ヨーロッパにできた共産党政権の政策の結果。共産党政権は民族とか固有の宗教とかいった個性を大変嫌って、それを消すためにいろいろなことをしました。その東ヨーロッパやソ連において、ユダヤ人は「戸籍上は存在しないこととされた」可能性があるのではないかと私は考えています。殺されたわけではないけれど、登録上はみんなポーランド人とかウクライナ人とされてしまったのではないか?そのため統計上はユダヤ人が消滅してしまった、これを捕らえて「虐殺数百万人」といっているのかもしれないと思います。


また、スターリンによって粛清されたとされる共産党員のエリートを見るとユダヤ人が多い。共産主義の学問上の問題が原因だ、権力闘争が原因だといわれていますが、もしかしたらスターリンの粛清というのはユダヤ人の虐殺だったのかもしれないと私は考えています。プチブルって要するにウクライナやヨーロッパロシアではユダヤ人ですから。ナチスというのはソ連の真似ですから、これを真似たのかもしれません。



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韓 投稿者:hn2602  投稿日:10月10日(金)22時39分51秒

韓は、三晋の一つ(後の二国は、魏・趙)で、唯一「晋」の公族の出身です。晋は、周の分かれですので、姓は、「姫姓」です。尚、同じ三晋の内、魏も姫姓ですが、晋の公室とは宗支の関係にはありません。趙は、あの秦と同じ「エイ(?)姓」です。晋の祖の唐叔虞は、周の武王の子とされていますが(史記、竹書紀年など)、金文によるとどうも武王の弟(文王の子)のようです。

きんたろうさん、
 実はわたしも立ち読みで大体読破したのですが、「伊珍阿鼓王」のところを、別な本でちらりと読んでおり、その項を詳しく見るために購入したのが真相です。



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韓 投稿者:太田守人  投稿日:10月10日(金)17時43分37秒

韓は,周王朝のなれのはての国でなかったでしょうか?違いましたっけ?
しかし,韓非子に対し,司馬遷は史記で,非常に皮肉的な感想を書いてます。太史公曰くで,「韓非子は,人の讒言に気をつけろ,人から讒言を受けないように注意しろと偉そうなことを言いながら,結局,讒言で命を落とした。韓非子とはなんだったのだ。」と言うようなことを書いてます。
私は,史記の中でこの太史公曰くという,司馬遷の感想が一番好きです。彼も,宮刑を受けた為かも知れませんが,非常に皮肉的な見方をしています。
韓非子は,論語や貞観政要とともに中国では,君主の必読書だったそうです。ただ,韓非子の思想は,マキャベリズムに近いものがありますので,これを読んでいる君主は,徳のない君主とされたそうです。そこで,君主は夜隠れて,こっそり読んでいたので,中国では,暗闇の書と言われていたそうです。



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菊地さん 投稿者:太田守人  投稿日:10月10日(金)12時32分06秒

>もしかして、白人は日本人をうっとうしく思ってたのでしょうか?

それは個人差でしょう。
私はニュージーランドのクイーンズタウンで,ホテルが分からなくなり,書店の店番のオバチャンに聞いた時,店をほっぽり出して,そのホテルまで連れって行ってくれました。
それと,グァムですが,日本人は観光地と思っていますが,あそこは軍事基地です。特に,グァムのアプラ港は,軍港で1隻の潜水艦母艦と4隻のサンフランシスコ級原潜が母港としていますし,アンダーソン空軍基地は,太平洋地区唯一の戦略爆撃機基地です。ヴェトナムの時もアフガニスタン,イラクの時も,ここからB52が出撃しました。
そこで,白人は軍人が多いのです。潜水艦は,その国の最高軍事機密にスクリューをつけたら潜水艦になる。と言われるほどのトップシークレットの固まりの軍艦です。そして,平時の潜水艦の最大の任務は,仮想敵国の情報収集です。このため,潜水艦乗りは,トップシークレットによく関わりますので,口を滑らすとまずいので,一般に無口です。菊地さんが話し掛けられたのは,このような軍人だったかも知れません。



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戦勝国の誇り 投稿者:菊池元宏  投稿日:10月10日(金)09時30分00秒

人種差別で思い出しましたが、
私は、グアムに旅行したことありましたが、
仕事以外の一般人に私が物を尋ねても、
金髪の方々が私に話かけてくることはまずなかったのですが、
現地人はいっこうにおかまいなく接してきます。

もしかして、白人は日本人をうっとうしく思ってたのでしょうか?
いや。私の英語が通じてなかっただけだったりして(自爆)



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ドッカーバンク事件 投稿者:太田守人  投稿日:10月10日(金)08時35分46秒

ロシアのバルチック艦隊が,極東回航の途中,北海のドッカーバンクで,イギリス漁船団を砲撃で撃沈するという大ポカをやりました。これが,ドッカーバンク事件です。
ロシア海軍省から,バルチック艦隊司令長官のロジャーストウインスキー中将に,ドッカーバンク付近に,日本駆逐艦,水雷艇が集結しつつあり。という電報が入ります。当時の駆逐艦は300T,水雷艇に至っては60Tですから,日本から北海に来れるはずがありません。ロジャーストウインスキーも,電報を見たとき幕僚に,これはガセだよ。と言っていましたが,なにをとち狂ったか,深夜になって,砲員を配置につけ,各艦に日本駆逐艦,水雷艇警戒警報を出します。そうするうちに,工作艦カムチャッカから,我雷撃を受ける。という発光信号が入りました。これで,バルチック艦隊は,パニックになり丁度ドッカーバンクで操業していた,イギリス漁船団を日本艦艇と思い砲撃を開始します。この砲撃で,イギリスの漁師36名が死亡し,多数の漁船が撃沈され,しかも同士討ちで,巡洋艦オーロラと工作艦カムチャッカ,それに補給艦ウラルに損害がでました。
頭に来たのはイギリスで,世論はロシアに宣戦すべき。という風になりました。あの冷静な,タイム誌でさえも,狂犬艦隊を全部撃沈しろ。という記事を載せます。
イギリス政府は,ロシア駐在大使に,ロシアから皇帝の詫び状を2週間以内に取れ。そうでなければ,戦争だ。という訓令を出したそうです。
イギリスが激昂したのは,バルチック艦隊が漁船員を救助もせず,進んでいったことで,ロジャーストウインスキーは,艦隊を止めることなく,マダカスカルまで,イギリスの抗議を無視して進みました。マダカスカルのノシベと言う漁港で,バルチック艦隊は2ヶ月近く足止めを食い,このため,乗員の士気はがた落ちになり,士官と兵員の間に敵意に近いものが生まれます。そして,日本海海戦まで,この士官と兵員の敵対関係はなくなりませんでした。
結局,ロシア皇帝がイギリスに詫び状を出し,相応の賠償金をイギリスに払うことで解決しました。



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あっ^^;; 投稿者:きんたろう  投稿日:10月10日(金)00時14分31秒

太田さん
バーバリーの名詞形がバーバリアンなんですよね、自爆
そう思いついたら、この海賊弾がいかに野蛮なのかがすぐにイメージ出来ました、笑

>大航海時代,私掠船免許状と言うのがありました

ヨーロッパ諸国のアバウトさが良く分かる歴史的事実だと思いました。
それにしてもヨーロッパ諸国の各王朝もかなりセコイ事をしていたのですね、笑

日露戦争の勝利が日本人の流した血の賜なのは当然ですが、日英同盟でイギリスが日本の側に立ってくれた事はこの戦争の勝利に結びついているのは確かだと思います。

なるほど、韓非子の出身地なのですね。
王族出身者であるにも拘わらず、この人は余程の勉強家だったのでしょうね。
どもりがこの人のエネルギー源だった可能性は確かにあると思います。

菊池さん
金子賢太郎は貴族院議員だったことくらいしか知らないのです、自爆(;^_^A)
もう少し時代が下った昭和恐慌の頃の方が得意かも??笑

hnさん、こちらでは初めまして^^
よくいらっしゃいました。

この本を持っているという事はかなり精読されたのだろうと思います。
トンデモ本とは言っても、100パーセント嘘だらけというわけではないのは当然です。
要するに自分が持っていきたい結論に、都合の良い部分だけを集めて構築したものがトンデモだと思っているからです。

ですから読み方次第ではどんな本でも資料として活用することは可能です。
そして自分で壮大なロジックを構築する事も可能だと思います。

実はこの本は以前から知っていて。。。
立ち読みで殆ど読破しました、自爆

そう言えばこの本の近くに「日本にある高麗」(のようなタイトル)の本もありました。
編集済



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きんたろうさん 投稿者:hn2602  投稿日:10月 9日(木)23時13分27秒

はじめてお邪魔します。
ところで書店で見られたというトンデモ本とは「韓半島からきた倭国」(李鐘恒著、兼川晋訳、新泉社、1990年)という本ではないでしょうか?
恥ずかしながら私は購入しました。倭人北方起源説論者としては、遼河流域→朝鮮半島南部(任那加羅)→列島という移住経路を考えるので、途中の半島南部び、当然倭人が居住していた時代を想定せざるを得ませんので、何かの参考になるかと思って購入しました。
九州王朝説を前提にしており、私は邪馬台国近畿説論者なので、このあたりは同意できませんでしたが、大加羅国の始祖王「伊珍阿鼓」王=イザナギ説などは、同意できるように思います。ただし、典拠となった資料が、かなり後代のものなので、檀君神話同様に、他民族(この場合は日本人)の神話を辺境の民が採用した可能性もありますが、高霊伽耶国=意富加羅国が、魏志韓伝の「弁辰弥烏邪馬国」に比定されることから、この「邪馬」はどう考えても日本語の「やま」であろうと思われるので、「弁辰」がついていても、この高霊伽耶の建国の始祖王は、倭人と考えるべきだと思うのですが。(韓国朝鮮語では「山」を「やま」に近い音で読む言葉はないようです)

尚、私は「倭人」は北方起源ですが、始めから「日本語の祖語」(アルタイ語族系の開音節言語?)を話しており、彼らが日本列島を征服したから、日本列島が「日本語列島」になったと考えています。(同様に、韓族が半島を制覇したから、朝鮮半島が、最終的に「朝鮮語(韓国語)半島」になった。日本語と朝鮮語は同系だとしても、通常の比較言語学での同系の証明が困難な5000年以上前にはすでに分離していた)



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韓非子 投稿者:太田守人  投稿日:10月 9日(木)17時05分12秒

>ちょっと見て思ったのが、中央部付近にあった韓という国についてです。

この国の公子が韓非子です。ただ,直系の公子でない上に,韓非子は酷いどもりだったとか。そこで,父親からは,冷たくされ,それがあの韓非子の思想になったそうです。
徳川家康も,ひどいどもりで,専用の通訳がいないと,家来は命令が理解できなかったとか聞きました。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日:10月 9日(木)12時33分22秒

>イギリスにしてみると日本との同盟のメリットなどは特に感じなかっただろうと思います。

いえいえ,とんでもない。イギリスは,ロシアの南下政策でインドがロシア領になることを恐れていました。日英同盟は,日露戦争時は日本が不利な条約でした。日英同盟締結時に,後の外務大臣小村寿太郎は,当時駐米大使でしたが,その時,駐在武官だった秋山真之海軍大尉に,「秋山さん。あなたイロコイという,インディアンをご存知か?」と聞いてます。イロコイ族は,西部開拓時,白人と同盟しますが,利用するだけされて後で裏切られた部族です。そして,秋山大尉に「イギリスとの同盟は,イロコイになるかもしれません。しかし,日本はそれを覚悟の上で,一番イロコイになり,イギリスに犬馬の労を取らなければなりません。」と言ってます。日露戦争で,血を流すのは,イギリス人でなく日本人ですからね。
イギリスは,これが分かっていたのか,日本海海戦の時,信濃丸がバルチック艦隊を発見した後,バルッチク艦隊にヒルのように食いついて,針路を報告した,三等巡洋艦和泉というのがいました。また,日本海軍は旅順港外で,機雷で戦艦初瀬,八島を失いますが,この代わりに,一等巡洋艦春日,日進を編入します。和泉はチリの巡洋艦,春日と日進はアルゼンチンの巡洋艦でしたが,両国とも資金繰りが付かず,造船所に差し押さえられていました。特に,春日と日進の大砲は,当時の戦艦より射程が長く,また,和泉は高速巡洋艦だったため,ロシアも購入交渉を開始していましたが,イギリスは日本に購入を強く示唆し,しかも購入に際し,即金購入で交渉することを進め,しかも日本に金がなかったため,イギリスがこの3隻の費用を立て替えて呉れました。更に,チリが建造中の高速戦艦2隻も,同じ理由で造船所が差し押さえていましたが,これもロシアが購入交渉を進め,購入寸前だったため,ロシアの購入を阻止する為,イギリスが即金で購入しイギリス戦艦としました。この戦艦は,スイフトシャー級と呼ばれましたが,高速化のため,装甲が薄い,砲力が巡洋艦並という戦艦で,イギリス海軍部内にも,いくらなんでも,そこまで日本の為にしてやる必要があるのか?という声もありました。
イギリスは,日露戦争では,それなりに日英同盟の同盟国としての義務を果たしてくれたわけです。
そして,巡洋艦春日と日進が,イタリアのジェノバの造船所から,日本に回航する際,イギリスは,大型巡洋艦キング・アルフレッドとトライアンフの2隻をシンガポールまで,護衛のため出して呉れてます。



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(無題) 投稿者:太田守人  投稿日:10月 9日(木)11時16分44秒

>日露戦争時、戦争の流れを決すべく金子堅太郎が精力的に動き回っていたという印象が強くて思わず発言してしまいました。

金子賢太郎は,アメリカに講和の仲介を頼む時,葉隠れの本を一冊持って,ルーズベルト大統領にあい,日本武士道を説いたそうです。ルーズベルトは,こんのような金子賢太郎に惚れたそうですが,日本海海戦圧勝後は,どっちかというと,ロシア寄りになります。アメリカのジャーナリズムも,日本海海戦後は,「日本は,白人の若者の血を金にしようとしている。」という風に,日本に大変不利になりました。
日本海海戦後,日本軍は樺太占領に全力をあげます。しかし,これもアメリカでは,日本は戦争を長引かせ,賠償金を上げようとしている。ということになりました。私は,このようなことは人種差別であったと思いますし,カリフォルニア州の日本人排斥運動もそうです。また,太平洋戦争で,アメリカは日系人だけを砂漠に隔離しましたし,原爆投下も人種差別だと思います。



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金子堅太郎 投稿者:菊池元宏  投稿日:10月 9日(木)09時39分14秒

きんたろうさん。
手元に資料がないのですが、そうだったかもしれません。
日露戦争時、戦争の流れを決すべく金子堅太郎が精力的に動き回っていたという印象が強くて思わず発言してしまいました。



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海賊 投稿者:太田守人  投稿日:10月 9日(木)08時31分07秒

海賊は,パイレーツですが,バーバリー海賊はハリアー,カリブ海賊はヴァッカニアと言っていたとか聞きました。そこで,この2つの海賊は,別格だったのでしょう。ただ,日本人が海賊と呼ぶのは,殆どは海賊でなく,ボランティアの海賊でした。大航海時代,私掠船免許状と言うのがありました。これは,時の政府が海賊等に,海賊行為を公認するという免許状で,ヨーロッパで当たり前でした。もっとも,乱発したのが,ケチなイギリスのエリザベス1世で,彼女は海軍建設には金がかかる,しかし,スペインの通商破壊をしたい。ということで,この私掠船免許状を乱発します。いちばん有名なのは,キャプテン・ドレークですが,後,奴隷の密貿易で大儲けした,フロプッシャーという人もいます。
因みに,スペイン無敵艦隊を破ったのは,正規の海軍でありませんでした。スペイン無敵艦隊迎撃に向った,イギリス艦隊200隻中,正規の海軍艦艇は,旗艦アーク・ロイアル以下32隻で,残りは,この私掠船でした。総指揮官は,ホワイトという提督でしたが,実際の指揮官は,私掠船部隊の指揮官で,副将格のドレークでした。このため,スペイン無敵艦隊迎撃に向った,イギリス艦隊は,一夜明けると私掠船部隊が,忽然と姿を消していて,ホワイト提督が真っ青になったという逸話もあります。これは,スペインの金塊を積んだ,商船を夜中に見つけ私掠船部隊がこの商船を襲っていたためだそうです。そして,この私掠船免許状を持っていると,例え拿捕されても,準海軍軍人と見なされ捕虜扱いで,海賊のように即絞首刑にはなりませんでした。
因みに,ドレークは,スペインによる海賊行為により,サーの称号を貰っています。



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日英同盟 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 9日(木)00時47分02秒

がワンノブゼムだったイギリスにしてみると日本との同盟のメリットなどは特に感じなかっただろうと思います。

でも日本にしてみると、例え不愉快な事があったとしても世界標準であるイギリス側に付くメリットは大きかったはずだと思っています。
イギリスを蹴ってまで、ドイツやイタリアと組む必然性は感じられません^^;;
尤も三国同盟を結ぶために日英同意を破棄したわけではありません。

ユダヤン虐殺のメリットとはいったい何だったのでしょうか??
原因を聞いても動機として弱いように感じます。

菊池さん
全権大使としてポーツマス条約を結んでいますから、外務大臣は小村寿太郎ではないでしょうか??

新聞の発行部数で100万部と聞くとさほど大きくないような気がしますが、でもこれが売店だけで販売されるとしたらものすごい事だと思っています。
週刊ポストや新潮、文春でも200万部はないと思います。
おそらくあっても100万部くらいまでだと思いますが。。。

ジャンプやマガジンのような少年誌は200万部から300万部くらいの発行部数はあるのでしょうが、新聞は毎日発売しているのですから、週刊誌に換算すると係数7をかける必要があるからです^^

ぶらいとさんと同じように私もお気に入りに入れています。
インターネットの普及によって、複数の新聞を容易に比較することが出来ますから、新聞社も大変な時代に入ったのだろうと思います。
特徴をはっきりと出す必要性があるのは勿論ですが、自己満足的な新聞は淘汰されるかなと思ったりしています。



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ヨハネ 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 9日(木)00時44分41秒

騎士団とは中世の騎士修道会の一つで南仏出身の修道士ジェラールが11世紀末に創設したものです。
この騎士団は1113年に教皇の認可をもらっています。

1291年のエルサレム陥落後は本拠をキプロス島やロードス島に移しました。
しかし、さらにイスラム勢に押されて1530年以降はマルタ島に拠ってマルタ騎士団と称しています。

1798年ナポレオン軍に占領されてマルタ騎士団は国を失いました。
そのすぐ後の1801年に英国が占領してそれ以来イギリス連邦領になっています。

太田さんの海賊の話を読んで思ったのはイギリスの有名ブランドである「バーバーリー」の事でした。
あのブランドの起源とはひょっとしたらこの海賊に関係しているのではないでしょうか??笑

ジョセフィーヌのいとこの女性はエイメといったのでしたか??
この女性の美貌はものすごいモノがあったようですね。
海賊もこれほどの美人を早速地元のカリフに献上したそうですが、そのカリフが彼女を見てあまりの美しさに驚いて更に大カリフに献上し、それが繰り返されてイスタンブールのサルタンのところにまで連れて行かれたという話の記憶が蘇りました^^

ナポレオンがヨーロッパ制圧に成功することが出来たのは、トルコ方面に軍備を充てる事をしなくて済んだのが大きな要因に上げられていますが、この原因は彼女とナポレオンの妻が交際していた事によるものだという意見がありますよね。

私もこれは正しいのではないかと思っています。

シナとチャイナの発音に対するダブルスタンダートから連想して思い出したのは、韓国人の崔とかいう人の事です。
この人は「崔」を韓国の発音で言えとNHKにクレームを入れたそうですよ。
でもこの音は重母音があるために、日本語では無理なのです。

そのくせアメリカ人がミスター・サイ(チョイ)と呼ぶのは全然平気だったというのですから、きっと差別をしたい人だったのだろうと思います。
編集済



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その時 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 9日(木)00時39分05秒

歴史が動いたで秦の始皇帝を特集していると気が付いたのでテレビをつけたところ、ちょうど戦国の七雄の勢力図を映していました。
中国大陸の地図に天然色で色分けしてあると、とても良く分かりやすいと思いました、笑。

ちょっと見て思ったのが、中央部付近にあった韓という国についてです。
この国の大きさが他の国々と比べて際だって小さい事でした。

と、この辺まで感想を持ったところでそのまま寝てしまいました。
やはり寝転がっていると寝てしまう可能性が高いですよね(;^_^A)

ところで、今日は仕事で町中に出かけたついでに大きな本屋に寄ってきました。
歴史関係の書棚で気に入ったタイトルのものがあるかなと思って覗いてみたのですが。。。
ハードカバーなので「まともな本」だろうと思わせぶりの装丁をしていながら、かなりトンデモ本が混じっていました、笑
韓からきた倭国(多分こんなタイトルでした)に書かれている内容は妄想と言うよりは妄執を感じてしまいました。

本格的な本と言えば。。。
古代史関係の所ですから、大三元さんの「縄文伝承」もありましたよ^^

勇者ロトさん、まるっとですね、笑
今地道にHPの再構築をしています^^
今日も過去ログ13までを見やすく横線を入れました。

余りに急いで過去ログを見ても飛ばし読みをしてしまうだけなのですが、作業をしながらだと(横線入れるくらいなのですが、笑)目に入りますよ^^
編集済



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新聞の実情 その2 投稿者:ぶらいと  投稿日:10月 7日(火)23時22分03秒

新聞の実情を続けます。

>新聞の販売部数で日本の大新聞ほど大きな新聞社は他の国には無かったように記憶しています。
確か最王手でも100万部くらいだったのではないでしょうか??

部数はどれくらいか確実な数字は解りませんが、大したことはないようです。アメリカでは、「ニューヨーク・タイムス」、「ワシントン・ポスト」などが有名ですね。これらは地方紙だということでしょうか。しかしページ数は非常に多いようですね。

>ちなみに私の所では読売新聞を取っています。
この新聞は結構気に入っていますよ。

私もいいと思います。出張の時は読売か日経を駅の売店で買います。私は産経を購読していますので。(^^) それに「YOMIURI ON-LINE」「The Sankei Shinbun」「asahi・com」
「Mainichi Interactive」「NIKKEI NET」はお気に入りに入れています。お気に入りでない新聞もありますが。(^^)

さて、この新聞ですが、1所帯当たりの購読数は年々若干下降気味です。新聞の中には地方紙、スポーツ紙も含まれるようです。
  1991年 1.24  1999年 1.15  2000年 1.13  2001年 1.12  2002年 1.09

新聞の拡販競争は激化しているのでしょうね。若者の新聞離れもあります。

「新聞を見る時最初に見るのは」というアンケート調査では、1位は男女とも「テレビ番組」欄、主婦の第2位は何とチラシだそうです。

私は新聞は絶対必要だと思っており、貴重な情報源ですが、インターネットの時代、新聞も興味を呼ぶには一工夫必要なのかも知れません。



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菊地さん 投稿者:太田守人  投稿日:10月 7日(火)17時40分33秒

>太平洋戦争時代の昭和の軍閥よりはずっとずっと世界が見えてたし、
この時代の外交官の出来も良かったようですね。

児玉源太郎という満州軍総参謀長などは,東京に主張してきた時,大本営陸軍部の長岡外史次長を,「火をつけといて,消すのを忘れるバカがいるかー。」と東京駅頭で,一喝したそうです。
でもね,菊地さん。明治のこのような連中でも,なんで大国ロシアに勝てたのか,正確に把握した連中は余り居ませんでした。そこで,日本が神の国だったからだ。なんてバカなことを考え始めた。私は,昭和20年8月15日の原因は,日本海海戦にあると思います。ロシアという大国を,日本と言う小国が破った。そして,それはロシアと言う大国が見掛け倒しであった。と言うことを把握しなかった。
帝国国防方針と言う物がありました。これは,太平洋戦争まで,陸海軍とも金科玉条としてきた物です。陸軍は,ロシアの復讐を恐れ,満州辺りでの戦闘を考え,海軍は,ロシアなんか屁みたいものだ。怖いのはアメリカだ。として,対米戦を考えます。ここに,陸海軍の不協和音が始まります。そして,海軍は日本海海戦のように,アメリカ太平洋艦隊が,太平洋を渡ってきて,マーシャル群島あたりからチョッカイを出し,小笠原諸島に来た時に,艦隊決戦で雌雄を決する。という,漸減作戦を基本としました。これを考え出したのは,東郷平八郎を中心とする,日本海海戦時の連合艦隊の参謀簾中です。ワシントン,ロンドン軍縮条約で,艦艇が制限された時,当時の海軍の軍令のトップの谷口尚真軍令部長は,東郷に対し,「戦艦中心の艦隊を,航空機と航空母艦中心の艦隊に改変したらどうですか?航空機には,制限はありません。」と提案した時,東郷は,「女日照りを男で代用する物だ。バカヤロー。」と怒鳴りつけ,海軍の人事にも介入します。
菊地さんは,明治の元勲達を買って居られるようですが,私は,明治の元勲達が,昭和20年8月15日を招いたと思っています。



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薩長政権の外交 投稿者:菊池元宏  投稿日:10月 7日(火)17時16分34秒

ユダヤ大虐殺って本当の話だったのでしたか。

日英同盟か。
日露戦争時の外交官は金子堅太郎でしたっけ。
長州の伊藤博文は「長期決戦となれば大変なことになる」と思ってたようですね。

薩長閥の方々は、
太平洋戦争時代の昭和の軍閥よりはずっとずっと世界が見えてたし、
この時代の外交官の出来も良かったようですね。



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日英同盟 投稿者:太田守人  投稿日:10月 7日(火)12時38分47秒

日英同盟は,ロシアの南下政策のイギリスの対抗政策ですから,日露戦争で,ロシアがずっこけた時点で,イギリスには重荷になったようです。そして,日本の中国進出で,イギリスは益々日英同盟が重荷になったようです。その理由は,どちらか一国が攻撃を受けたら,別の国も同盟国の防衛の為,軍事行動を行わなければならない。という条文がありました。第1次大戦で,日本はこの条文を盾に,参戦をイギリスに打診しましたが,イギリスは断り続けます。ところが,ドイツの無制限潜水艦作戦により,イギリス商船の大被害により,日本の海軍力が必要で,嫌々なきついてきたそうです。日英同盟は,ベルサイユ体制で解消されましたが,一番日英同盟の崩壊を喜んだのは,イギリスのようですよ。



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(無題) 投稿者:太田守人  投稿日:10月 7日(火)12時23分02秒

>世間でいわれるような、大量のユダヤ人大虐殺は本当に行われていたのでしょうか?

間違いないでしょう。ただ,ユダヤ人を助けたのは,外務省の杉浦氏が有名ですが,関東軍の特務機関長だった,日本陸軍の樋口将軍もそうです。この人は,日独伊三国同盟を無視し,シベリア経由で逃げてきたユダヤ人を,日本経由で第3国に出国できるように,満州通過を黙認しました。
ユダヤ人に言わすと,「黙認がありがたかった。」と言います。そして,エルサレムだったかには,樋口将軍の功績を称え,ヒグチ通りがあるそうです。
この樋口将軍は,太平洋戦争でアッツ,キスカの守備をする,北方軍司令官で,キスカの奇跡的撤退を,陸軍側から強力にサポートしました。

>あそこは中国東北部であり「満州」と呼んで欲しくないと良く聞く事です。

満州ですが,日本人に言って欲しくないということでしょう。シナは,秦からきています。チャイナも秦が語源です。中国人は,日本人がシナというと激怒するくせに,同じ語源のチャイナと欧米人に言われても怒りません。シナと言われて怒るのであれば,チャイナもそうだと思います。
もっとも,中国人は過去のことがありますから,満州やシナと言う言葉に反応するのでしょうが,気持ちはわかりますが,私はアンフェアだと思います。
因みに,清を作った満州族ですが,今は中華文化に埋没し,独特の女真人の女真文字を解読できる人が,皆無に近くなっているそうです。清史は,未だ作られていませんが,早く編纂しないと,女真文字を読める人間がいなくなる。という危惧の声が,中国国内からも上がっているそうです。



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ユダヤ人大虐殺 投稿者:菊池元宏  投稿日:10月 7日(火)09時07分10秒

ヒトラーはユダヤ人を迫害したことは事実だと思いますが、
世間でいわれるような、大量のユダヤ人大虐殺は本当に行われていたのでしょうか?
どのようにして数字を確かめればよいか私にはわかりません。

っていうか、ヒトラーも人間ですよね。
「ユダヤ人大虐殺」という言葉、戦勝国の脚色誇張表現が全くなかったといえるのでしょうか?
この辺は太田さんが詳しそうですが。。。



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マルタ島 投稿者:太田守人  投稿日:10月 7日(火)08時37分05秒

あそこは,長いことイギリス領でした。マルタ初め,地中海諸国は,アルジェリアのバーバリー海賊に悩まされました。このバーバリー海賊も,世界最大の海軍国イギリスは,その海軍力を恐れ,イギリス商船は襲いませんでした。しかし,イギリスがマルタを支配下に置くと,マルタを襲い,住民を奴隷にしているバーバリー海賊を取り締まるべし。という世論が強くなり,イギリス海軍のエクスマウス提督が大艦隊で,アルジェリアを攻撃します。そして,バーバリー海賊団は,イギリス領は絶対襲いません。ごめんなさい。という詫びを入れ,莫大な保証金を払ったそうです。
今度は,フランス船を襲い始め,それにより,我慢の限界に達した,フランスが,装甲巡洋艦7隻を中心とする,40隻以上の艦隊と多数の陸軍をアルジェリアに派遣し,このあたりを植民地としました。
このバーバリー海賊は,アメリカに独立戦争後,10年間途絶えたいた海軍を再建させました。再建アメリカ海軍は,地中海艦隊といい,バーバリー海賊からアメリカ商船を守る為,イタリアのナポリを基地にしていました。母国を守る為でない,海軍も珍しいと思います。それだけ,バーバリー海賊が凄かったということでしょうが・・・。
このバーバリー海賊に捕まり,トルコ皇帝のハーレムに女奴隷として献上された,フランス人女性エイメと言う人がいます。この人,息子がサルタンになったため,国母となり,ナポレオン没落に一役買います。エイメとナポレオンの最初の妻ジョセフィーヌは,幼馴染で,エイメは最初親友の夫のナポレオンを影で応援しますが,ナポレオンがジョセフィーヌを離婚した時,エイメは激怒し,息子に有利に進んでいたロシアとの戦争の講和を言い出します。驚いたのは,ロシアで勝ってる方から戦争を止めよう。と言うのですから,最初は疑いますが,トルコは本気とわかり,渡りに船と講和し,全軍をナポレオン軍にぶつけます。結果,ナポレオンはどうなったかは,ご案内のとおりです。



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すいません 投稿者:勇者ロト  投稿日:10月 7日(火)01時19分06秒

下の投稿名前の横の(管理人)を消すの忘れていました(爆)

偽管理人(自爆)

失礼しましたm(__)m

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/index.shtml



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山田奈緒子 投稿者:勇者ロト(管理人)  投稿日:10月 7日(火)00時04分47秒

まるっとお見通しですね(^^ゞ



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満州 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 6日(月)23時05分18秒

で良く分からないのは、あそこは中国東北部であり「満州」と呼んで欲しくないと良く聞く事です。

でも、満州というのはヌルハチが決めた言葉であり、日本が作った用語ではない筈なのですが。。。??
自分たちをそれまではジュルチン人と自称していたものを、マンジユュ人と言い換えた事に因っているはずでしたよね。

道路公団の総裁は今日もずいぶんごねていたようです。
ごねるのは良いのですが(本当は良くないですよね、笑)、あのような人に莫大な報酬が支払われている現状は憂いすぎる事はないと思います。

余りにへんてこな「平等」を目指したために、他人と差別化する尺度が「お金」だけになってしまった弊害が極限に達しているように思います。



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川口 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 6日(月)23時04分23秒

探検隊と同じコンセプトなんですね!!

秘境に初めて足を踏み入れたと言いながら、その前にカメラや照明が入っているのですから、笑えますよね(;^_^A)
でも仮面ライダー1号は格闘技にかなり強いと聞いた事がありますが。。。

テレビの放送は来週くらいまでは秋の特番ばかりだと思いますが、16日からトリック3が放送されるようですね。
これだけは見ようかなと思っています^^

今までは11時の放送時間だったのが今度はゴールデンタイムの9時ですから、山田奈緒子も出世したものだと思いました。



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日英同盟 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 6日(月)23時02分35秒

は1902年から1923年まで約20年間でしたから、この条約によって第一次世界大戦でヨーロッパまで派遣することになったわけですよね。

日英同盟による最大のメリットとは、最強国との同盟することにより最新情報を得やすくなった事にあると思います。
日露戦争でも新型艦を買う事が出来たのは、イギリスからの情報が早かったからだと言いますよね。

マルタ島と言えば古代から地中海貿易の要所として名前が知られていますよね。
あの付近の海の底には、莫大な財宝が沈没船の数だけ眠っているのでしょうか??
何しろローマ以前からの地中海世界の貿易船が行き交った場所ですからね。



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新聞 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 6日(月)23時00分29秒

の販売部数で日本の大新聞ほど大きな新聞社は他の国には無かったように記憶しています。
確か最王手でも100万部くらいだったのではないでしょうか??

それに比べると日本の新聞の発行部数は際だって大きなものですよね。
尤も、極端に大きな販売部数の理由とは外国にはない宅配制度にあるわけです(;^_^A)

ちなみに私の所では読売新聞を取っています。
この新聞は結構気に入っていますよ。

確かに、ぶらいとさんが言われるように、インターネットでも新聞を読む事が出来ますから、ますます新聞離れが進むような感じがします。
でも収入がないと新聞社も維持する事が出来なくなるわけですから、ネットによる無料の情報が何処まで続くのかと考えたりします。



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満州国というのは 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月 6日(月)19時36分52秒

さしずめ予算を引き出すための巨大な行政法人だったのでしょう。



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藤井道路公団総裁 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月 6日(月)19時22分54秒

を見ていると、大臣現役武官制が頭に浮かびます。昭和の軍人はあんなふうにして国を滅ぼしたのでしょう。大臣はここで官吏よりも偉いことを思い知らせないといけません。



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ルシタニア号事件 投稿者:太田守人  投稿日:10月 6日(月)17時39分04秒

民間人が犠牲になったのは,第1次大戦のルシタニア号事件が有名です。ドイツの潜水艦に,イギリスの客船ルシタニア号が撃沈された事件で,この事件により,多数のアメリカ人が死に,それがアメリカ参戦のきっかけとなりました。この他,照国丸事件があります。日本郵船の客船照国丸が,テムズ河口で,ドイツの敷設した磁気機雷に触れて沈没した事件です。この時,独英どちらの機雷が爆発したのか不明だった為と,テムズ河口であったため救助が早かったので,照国丸が沈没しただけで,死人が余り居なかったため,日本はドイツに抗議しましたが,有耶無耶で終わりました。このように,民間人が戦争で命を落とすという事の萌芽は,第1次大戦に既にありました。



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川口浩探検隊 投稿者:勇者ロト  投稿日:10月 6日(月)16時37分08秒

コンセプトが似ているというよりも、コンセプトはそのままっぽいです(笑)



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第2特務艦隊 投稿者:太田守人  投稿日:10月 6日(月)12時34分09秒

第1次大戦で,イギリス海軍は,ドイツ潜水艦の跳梁に手を焼きました。特に,U9というドイツ潜水艦に,一瞬に一等巡洋艦のアブカー,ホーク,クレッシーの三隻を撃沈され,2,000名以上の戦死者を出しました。
日本が参戦した時,イギリスはドイツ潜水艦対策の為,地中海に,駆逐艦隊の派遣を日本に要請しました。まだ,アメリカ参戦前でしたので,イギリスは,世界第3位の海軍国に泣きついたわけです。ところが,当時の日本駆逐艦は,その大部分が,200〜300Tの日露戦争当時の駆逐艦で,これを,地中海に派遣するのは不可能でした。そこで,日本は,樺型という600Tの駆逐艦12隻を急造し,その内8隻に,三等巡洋艦明石を旗艦とした,第2特務艦隊を編成し,地中海のマルタ島に派遣しました。
マルタは,地中海の要衝で,第2次大戦でも90日に渡り,ドイツ軍の大空襲を受けました。このヴァレッタ軍港を基地に,第2特務艦隊は,地中海で船団護衛に従事します。
その内,トランスパニアという1万トンの客船が,2,000名以上の将兵を乗せ,イタリア沖で,雷撃され航行不能になります。この時,第2特務艦隊の駆逐艦松と柏が,この大型船を1,000km曳航して,マルタに着いたことで,日本海軍の評判は大変高まり,連合軍船舶に護衛艦として,日本駆逐艦をつけてくれという要望が高まります。
そして,駆逐艦榊がドイツ潜水艦の雷撃を受け,火薬庫が爆発し,艦橋から前の部分を失い,艦長以下100名が戦死しました。この戦死者の碑は,今でもマルタのヴァレッタにあるそうです。
C.W.二コル氏が,この第2特務艦隊の話を聞き,興味を覚え,友人のイギリス人産婦人科医に話をしたそうです。そしたら,その医者は,「第1次大戦で,日本の第2特務艦隊が勇敢だったのは,承知していたが,マルタ島で,今でも時々,蒙古斑を,持っている新生児が生まれる。私は,それが不思議でならなかったが,君の話を聞いて,やっと納得した。日本海軍将兵は,別のところでも,勇敢だったんだねー。」と答えたそうです。
この第2特務艦隊ですが,今でも,何故日本海軍は,この時の経験を第2次大戦の海上護衛で,生かせなかったのか?という声があります。このお陰で,日本海軍は,早期にイギリス海軍から,当時の最新兵器ソナーと爆雷を教えてもらえましたが,第2次大戦後,連合軍の海軍士官が,日本海軍の対潜兵器を調べ,「日本海軍は,第1次大戦から,全く進歩していない,対潜兵器でよく4年間も戦えたものだ。」という,慨嘆の声が上がったそうです。



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新聞の実情 投稿者:ぶらいと  投稿日:10月 5日(日)23時40分50秒

新聞(全国紙・大手5社)の発行部数・シェアーは実感としてどの位だと思われますか。ある統計から数字を拾ってみました。平成13年の統計だと思われます。

ランキング
  順位   新聞社名   発行部数  シェア
  1位   読売     1020万部  36.7
  2位   朝日      826    29.7
  3位   毎日      396    14.2
  4位   日経      310    11.1
  5位   産経      230     8.3
       *計     2782    100.0

やはり読売が1位、朝日が2位で他紙を大きく引き離しています。私は、毎日、日経が意外と少ないと思っていますが、皆さんの実感は如何でしょうか。
日本の新聞は、月極宅配が主体で、店頭売は5%位、比較的多い日経でも約8%位、圧倒的に定期購読の宅配契約者が多いようです。これに対し、米国の全国紙「USA TODAY」は、全部数の約8割が店頭売りだそうです。
ちょっとデータが古いのですが、新聞協会が1996年末に実施したアンケート調査によると、若年層の単身者(18〜35才)うち、18〜35才単身者の40.1%は一度も新聞を購読したことがないと答えたそうです。これはインターネットの普及により、若年者の間で新聞離れがあるのでしょうね。
新聞は、テレビ・インターネットに比べて情報のスピードは劣りますが、情報の種類、数、などは優れているのですが。私にとっては新聞は欠かせません。
編集済



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輔住さんの 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 4日(土)23時28分51秒

いた中学校では「熱心」な先生がいたようですね(;^_^A)
朝日新聞を実は我が家でも取っています。(親が)
ですから、何処に何が書いてあるのか勝手を知り尽くした紙面なので探すのは楽なのですが、精神衛生上接するのは良くないと判断しました、笑

クルビラの説明を有難うございました^^
なかなか渋い番組のようですね、爆
川口探検隊に似たコンセプトの番組なのでしょうか??

子供の躾は親の責任なのは余りにも明らかすぎて誰も言わないのですが、最近は子供をしつける事の出来ない親が多くいるのは確かだと思います。
可愛いがるだけで、叱らないのは躾として片手落ちです。

私の通っているジムでも、分子の不規則性運道をしているような「ちびすけ」から目を離して平気な親があまりにも多いのです。



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フレッツU 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 4日(土)23時27分46秒

24M対応のモデムが昨日届いたので先ほど取り付けてみました。
新しいせいか今までのモデムよりも性能がアップしているような気がしました、笑
切替工事は7日なので、本来の性能を発揮するのはそれからなのですが。。。^^

蝋燭をどの程度まで厳密に規定するかによって違ってくると思いますが、灯りのための道具は「松明」のバリエーションであると規定してもいいように思っています。
そうであれば、現在の蝋燭のように携帯にも適したものである必要は無いのかなと思います。

昔の人の生活時間とは「晴耕雨読」のようなものだった筈ですから、菊池さんの言われるように、暗くなれば寝てしまったのだろうと私も思っています。
起きる時間が日の出頃とすれば、逆算して考えれば日暮れには疲れているはずだと思います、笑

対馬丸事件(と言っていいのでしょうか)は太田さんの言われるように文化の差なのかもしれませんよね。
尤も欧米の文化が子供を大切にしないわけではないと思いますから、複数ある選択枝の選び方の差と考えるべきなのでしょう。
それにしても、いくら戦時中とはいえ未成年の非戦闘員である学童や生徒が犠牲になるのはとても悲惨な出来事でした。



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教育の話が出たので 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月 4日(土)19時01分19秒

昨日ニュースでやっていたのですが、最近イギリスで児童の無断欠席が問題になっているらしい。小中学生の2割の生徒が無断欠席を経験しているとのことでした。学級崩壊を通り越して、義務教育に子供が出席しない事態がイギリスで起こっています。そのため、無断欠席を放置している親に罰金を課すことにした、というニュースでした。

イギリスを愛する身としては大変残念な話ですが、それはともかく。

いじめの解消とか子供の学力向上ですぐにイギリスの教育制度を引き合いに出す人たちがいますが、これはいったいどういうことなのでしょう?この人たちは何を見ていたのでしょうか?きっと何も見ていなかったのでしょう。

結局サッチャーとブレアの教育改革は失敗したのです。

編集済



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クルピラ 投稿者:勇者ロト  投稿日:10月 4日(土)15時52分19秒

クルピラっていうのは南米ギアナの地底人だそうです。
ちらっと映ったたのはいかにも金髪のカツラっぽかったです(笑)

詳細は下記ページの中ほどにってどうでもいいか(爆)

http://tankentai10.hp.infoseek.co.jp/zakki.html



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私のいた中学の場合ですけど 投稿者:輔住  投稿日:10月 3日(金)18時43分53秒

きんたろうさん
>授業では使われていなかったという事なのでしょうか??
そういえば、中学生時代わたしのいた学校では歴史の授業で
(なぜか昭和史しかやらなかったですが)
教科書を使った記憶はほとんどないですね。

歴史の先生が授業のたびに資料をプリントして来ましたよ。
朝日新聞の記事の切り抜きも多かったなあ。
(というか新聞からの切り抜きの場合は必ず朝日でした)



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蝋燭 投稿者:太田守人  投稿日:10月 3日(金)18時05分12秒

蝋燭は,江戸の元禄時代に一般的になってきたそうです。あの家康ですら,天下人になっても,蝋燭は,使う時も1本しか使っていなかったそうです。江戸初期は,相当高価だったようですよ。



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対馬丸事件 投稿者:太田守人  投稿日:10月 3日(金)08時39分54秒

私は,日米の文化の違いが原因だと思います。終戦直前のあの船と油のない時に,海軍は,3隻の護衛艦を出したのですから。対馬丸を撃沈した,ボウフイン艦長は戦後,対馬丸が疎開船で,多数の学童が死亡したことを聞き,「信じられない。あの時点で,学童疎開の船に,当時,殆ど日本にはなかった大型高速船3隻に護衛艦を3隻もつけるとは。タンカーとか,もっと戦略的に重要な船もあったろうに,日本人はミステリアスだ。」と語ったと言います。今でも,子宝と言いますし,日本人は,まず学校を建てるのに対し,欧米人は,教会をたてますからね。もし,当時,一般的であった,最高速力8ノットの戦時標準船だったら無事だったかも知れません。対馬丸事件は,今でも左翼から軍艦を出せばよかったと,海軍を責める言葉があります。この船団は,1隻辺り2,000名弱の人が乗っていました。軍艦なら,戦艦か航空母艦を3隻出すしかありません。当時の日本海軍には,出来ない相談です。もし,3,4隻の戦艦や航空母艦で疎開させたら,アメリカ軍にすれば,垂涎の獲物です。多分,アメリカは,当時20隻近く展開していた,大型空母群を投入してきたでしょう。そうすれば,残りの学童も死んでいた可能性が非常に高いと思います。



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就寝時間 投稿者:菊池元宏  投稿日:10月 3日(金)08時31分14秒

太田さん、きんたろうさんご教示ありがとうございました。
夜必要であれば、
小皿に油をたらし、芯をたて、鉄鉱石等を火打石に使って灯りを起こしていたということのように思えてきました。
この方法は油(動植物か)さえ発見できれば、弥生時代でも可能かもしれませんね。

考えてにれば、大部分の古代人は、夜8時には就寝するのが当たり前で、
古代人にとって、夜12時過ぎまで起きていること事態が異常なのかもしれませんね。



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クルピラ?? 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 3日(金)00時37分21秒

昨日は「sasuke2003秋」を見ていました。
皆さんはご覧になりましたか??

あの鍛え上げた筋肉はとても見応えがありました。
女性版の「くの一」は先月放送されましたが、あれもまたものすごい人たちがいるなあと感心しながら見ました^^

というわけで水曜スペシャルについては全く分かりません、自爆^^;;
勇者ロトさん、ぬいぐるみをきて何かイベントを行ったのでしょうか??

ろうそくは結構昔からあったように思っています。
中国からもたらされたというよりも、日本でも同様の発明が成されたのではないでしょうか??

もちろん現在のような形ではないと思いますよ。
恐らくは、小皿に油を満たして、そこに芯になるものを浸したような形ではないかと思っています。
この形なら、多くの場所で独自に成立するのが可能ではないでしょうか??

奈良時代には中国から伝わった蝋燭が使われているようですから、遣隋使によってもたらされたのかなと思うのですが。。。未確認です。

火を起こして使う方法は太田さんが書かれたような感じだと私も思っています。
それと併用して種火を保存するための「かまど」を持っていたのでは??とおもうのですが。。。

対馬丸事件というのがあったのですね。
いくら戦時中とはいえ児童、生徒が何百人も死んでしまったのは余りにも痛ましい事件です。
とは言っても国力の総力戦が第二次世界大戦だったのですから、怪しい相手であると狙われるのは、敵が遭遇した場合には当然だったわけなんですね。
編集済



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現代史 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 3日(金)00時35分52秒

を知らないのは日本でも同様のようですよね。
何しろ太平洋戦争で日米が戦った事を知らない高校生がいると、ラジオで言っていましたから。。。(;^_^A)

これを聞くとこの20年くらいの「教科書問題」とは何だったのだろうと思えてきます。
結局は外野が騒いでいるだけで、授業では使われていなかったという事なのでしょうか??
要するに中国や韓国に名を与えても実態は変わらないという事を見越した高度なテクニックだったのかもしれません。(なわけないですよね、^^;;)

日本の高校生、大学生が歴史に疎い割合が高いというのは知っていましたが、アメリカでもそうだとは知りませんでした。
現実問題として、日米関係ほど親密な関係を持っているのはあまり例がないと思いますし、第二次世界大戦以降半世紀地球上で戦争が無くなる事は無かったわけですから、過去の物語が現在に作用すると考える方が不自然なのだろうと思います。

韓国や中国のように日本と五分の戦いをした経験の無いところは欲求不満のような妄想を抱くのかなと思ったりします。
何しろ韓国はかつては「日本」だったのです。
戦後日本が責められるのなら、それは韓国もそうなのです。
ところがあの人達はそれを受け止めるのではなく、「戦勝国」に入れてもらおうとしたのです。
なんという卑劣さでしょう。
この点は中国とは全く違います。

とは言っても中国国共産党軍も殆ど日本軍とは戦っていません。



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対馬丸 投稿者:太田守人  投稿日:10月 2日(木)18時05分49秒

1944年風雲急を告げる,沖縄から学童を九州に疎開させようと言う話が出ます。当時の島田沖縄県令は,軍艦の派遣を依頼しますが,油がない上に,大型艦の殆どが戦没していた,海軍は,対馬丸,暁空丸,和浦丸の3隻に,砲艦宇治,駆逐艦蓮,駆潜艇63号の3隻の護衛艦を派遣しました。8月21日,折から接近中の台風の海に,この6隻の艦船は乗り出します。8月22日の深夜,悪石島沖で,アメリカ潜水艦ボウフインの魚雷を対馬丸が受けます。対馬丸には,1,800名の人が乗っていました。このボウフインは,既に26隻の日本艦船を撃沈した,凄腕潜水艦で,ボウフインは,台風の荒天の中,レーダーで高速航行中の船団を発見し,接近してみると,護衛艦3隻に護衛された商船3隻を発見し,当時,3隻の護衛艦がつけば,20隻の商船が船団を組むのが当たり前でしたので,戦略的重要船団と見て,レーダー照準で6本の魚雷を発射し,内4本が対馬丸に命中します。そして,停止した対馬丸めがけて,艦尾魚雷発射管から,更に4本の魚雷を発射します。8本の魚雷を受けた対馬丸は,瞬時に沈没し,256名(内学童56名)の生存者を残し,他は,全て船と運命を共にしました。
この対馬丸は,日本郵船の船ですが,郵船100周年の社史でも,この対馬丸の魚雷命中から沈没までの阿鼻叫喚を7ページに渡って記録しているそうです。これが,対馬丸事件です。
ボウフインは,今,記念艦としてパール・ハーバーに保存されています。



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菊地さん 投稿者:太田守人  投稿日:10月 2日(木)16時54分09秒

>弥生古代人の上層階級の人々は、どのような方法で灯りを起こして生活してたのでしょうか?

想像ですが,矢張り,木屑等を集め,そこに木の錐のようなもので,摩擦熱を起こし火を付けていたと思います。また,鉄鉱石等の固い石を火打石にしていたかも知れません。



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灯りについて 投稿者:菊池元宏  投稿日:10月 2日(木)12時49分26秒

きんたろうさんの[right]と[light]で、私の前々からの疑問事項を思い出しましたが、
日本にロウソクが伝わったのはいつ頃だったんでしょう。

弥生古代人の上層階級の人々は、どのような方法で灯りを起こして生活してたのでしょうか?




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水曜スペシャルといえば。。。 投稿者:勇者ロト  投稿日:10月 2日(木)10時26分24秒

「クルピラ」って、ぬいぐるみのことだったのですね(爆)



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中国や韓国の教科書は 投稿者:輔住  投稿日:10月 2日(木)07時28分27秒

歴史教科書というより反日教科書でしょう(洒落になってないけど)。

>中国の教科書には日本が第二次世界大戦で負けたのは
>毛沢東が総攻撃を指示したからだという記述があるそうですが。。。
ほとんどシュミレーション小説ですね。
これほどの捏造だと、東○ポや水○スペシャルも真っ青ですね。



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中国 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 2日(木)03時52分36秒

の教科書も韓国のものと相似形を成していてとても教科書としての水準を満たしているものとは思えませんよね(;^_^A)

事実を事実としてではなく、漫談のように捏造して創作する事はメリットよりもデメリットの方が大きいとそろそろ中国や韓国でも方向転換すべきだと思っています。
最近はインターネットの普及により大手マスコミの一方的情報操作ができなくなりましたから、中国や韓国に対して好意指数が下がる事はあっても上がる事は期待できません。

中国の教科書には日本が第二次世界大戦で負けたのは毛沢東が総攻撃を指示したからだという記述があるそうですが。。。
これなどは、全くの捏造ですよね。
とにかくオーバーな文学的表現が多い国ですから、話は3000分の1くらいの真実しかないと思った方が良さそうです、笑

とにかく、中国が初等教育でごじゃっぺな日本人感を植え付けた事が、近年の一般人に対するテロ行為(殺人、強盗等)に対する良心を麻痺させている大きな要因になっているのは明らかですから、普通の人がいつ標的にされるか分からない状態を招いた大手マスコミやアホ政党の責任は重すぎると思っています。
編集済



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HPレンタルスペース 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 2日(木)02時52分06秒

増量の手続きを取りました。
この前ちょっと書いたように、今までは10MBだったのが100MBになるというものです。
ところが、私の使っているアドレスのものは新しいHDDに完全に移すらしくて、移動が完了するのにちょっと時間がかかると表示されました。

でも、変更したのは8時頃なのにまだメンテナンス中の表示になっています(;^_^A



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アメリカの歴史教科書 その3 投稿者:ぶらいと  投稿日:10月 1日(水)21時57分53秒

アメリカの小学校高学年の歴史教科書には副読本があり、その中には「古代の日本人が作り上げたもの」として四つの項目を上げています。

1.オリジナルは中国から借りてきたが、古代の日本人は、徐々に自らの文化を築き上げていった。例えば、中国語は日本人によって別の言語、つまり日本語となっていった。
2.古代の日本人は世界的に有名な「源氏物語」のような文学や詩を作り上げた。
3.古代の日本人は自然信仰の一形態である神道や先祖信仰を作り上げた。
4.古代の日本人はよいマナーや美を愛することに力点を置いた。

これがアメリカの歴史教科書副読本というのですから。驚きますね。



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パール・ハーバー 投稿者:太田守人  投稿日:10月 1日(水)08時29分39秒

ところが,アメリカの若者は,パール・ハーバーを知ってても,日本が攻撃したと知らない若者が,過半数いるとか聞きました。今のアメリカの若者は,日米戦があったということを知らない人が結構いるとか・・・。グァムやサイパンを旅行している,日本の若者が,特にサイパンは,民間人も悲惨な目にあった島だ。ということを知らないのが多いですから。
第2次大戦が歴史になった。と言うことかもしれません。1960年代には,当時,アメリカに日本人学校がなかったそうで,アメリカ駐在員の子弟は,地元の学校に通ったそうです。その時,必ず「リメンバー・パール・ハーバー」と言って虐められたそうです。
また,パール・ハーバーに,その時,1,500名の乗員を乗せて,爆沈した戦艦アリゾナの艦体をまたいで,コンクリートで固めた,アリゾナ・メモリアルと言う建造物があり,ハワイ観光のメッカになっていますが,今では,時々,爺さんがカメラを持っている日本人を捕まえて,「それは,スパイ用のカメラかね?」と嫌味を言う程度で,1960年代までの敵意に満ちた視線でみられることはないそうです。



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アメリカの教科書と中国の教科書 投稿者:ぶらいと  投稿日:10月 1日(水)01時52分22秒

>アメリカの教科書は。。。
それも小学校で教えるレベルにしてはこれで十分であるような印象を持ちました。

アメリカは、他国(日本)のことをこんなに詳しく教えているとは思っていませんでした。アメリカは如何に日本のことに関心を持っているかということでしょう。

さて、別の本によると、中国の初級中学歴史教科書の近代史は、「陰謀と弾圧、挫折と蜂起の連続でまるでお芝居のよう、日本史とは大分違う。最後に解放されるが、中国近代史は、外国からの侵略の歴史ともいえる。」とのことです。それに驚くべきは、「中国人の名前と戦闘名はやたらと多く登場するが、日本人の名前が一人も出てこない。出てくるのは、『日本帝国主義』ということばばかりである。」とのことです。

かなり異常ですね。この中国とつき合うのは大変だなと改めて思いました。
編集済



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確かに 投稿者:きんたろう  投稿日:10月 1日(水)00時14分29秒

卑弥呼はさすがに悪文字過ぎますよね^^;;

そう言えば、日本人の場合は漢字にあまり関心を示さないのか、歴史学者が漢字に疎いのか良く分かりませんが、クレームをつけた意見を聞いた事がありません。
別の観点からすれば、事実を事実として正確に記録し伝達するという科学的態度からなのだろうと思うのですが、それにしても、卑字に対する感想くらいは伝えて欲しいと思っています。

卑弥呼は「日巫女」とか「火御子」あるいは「姫御子」のような意味合いなのでしょうね。
尤もこの時代の「卑」の音は「日」よりも「火」の方が近いらしいのですが。。。??
私はrightとlightの違いを聞き取れませんので、言葉としては(知識としては)理解していますが、実のところ実態は全然理解していません、自爆(;^_^A)

アメリカの教科書は。。。
それも小学校で教えるレベルにしてはこれで十分であるような印象を持ちました。

1200年から内戦が続くと書かれているのは、イタリアやドイツのような状態に近い小国分立時代というか地方が台頭した時代と言ってもいいように思います^^

江戸時代も物流には河川交通や海上交通が使われていて、運河に接した所に集積所があったわけですよね。
大阪が八百八橋と言われるのと江戸も似た環境だったように思っています。

>江戸3渡と言われているそうですね

何処なんでしょうか??
太田さんが知らなかったら私が知っている分けないですよ(;^_^A)
編集済



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(無題) 投稿者:太田守人  投稿日: 9月30日(火)08時36分54秒

>話は変わりますが、歌で有名な矢切の渡しは葛飾付近でしたよね??^^;;

そうです。矢切の渡しは,江戸3渡と言われているそうですね?後は,六郷とどこでしたっけ?

アメリカは,ゲイシャ,ハラキリ,フジヤマから比べると,日本の古代史について,賛成できないところもありますが,結構,詳しくやってると思います。
卑弥呼がないのは,気にかかりますが,記紀の成立まで日本側の記録はない。と学会でも言ってます。しかし,桓武なんて後白河,後醍醐と共に,歴代天皇では,欠徳の天皇が乗ってるには驚きです。
1200〜1600年を内乱とするのは,流石,アメリカだと思います。それより,平安時代に,正規軍がなかったことの方が,世界史でも稀有のことだと思います。



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アメリカの歴史教科書 その2 投稿者:ぶらいと  投稿日: 9月30日(火)00時23分54秒

>そうすると、紹介された順番は。。。
聖徳太子、桓武天皇、紫式部、清少納言、源頼朝。。。となるわけですね^^

その通りです。

>>西暦200年頃になると侵略者たちが朝鮮からやってきた。彼らは仏教を含む朝鮮文化、中国文化を日本に持ち込んだ。

>この部分は翻訳する対象を間違えているように個人的には思っています、笑

その通りです。これはアメリカの認識が間違っているということでしょう。
6世紀までは、
<<6世紀以前の日本の歴史はほとんど知られていない。

ということで卑弥呼、邪馬台国についてはアメリカは認めていないということでしょう。日本人には親しまれている『卑弥呼』ですが、私はこの字は厭ですね。せめて日美子とかヒミコにして欲しい気がします。

さて続きです。
昨夜書かなかったのですが、平安時代の次は「封建時代における将軍たちの台頭」にはダイミョウ、ブシドー(武士道)がが登場し、かなり長い説明があります。(8行)信長・秀吉は登場しません。

「1200年から1600年まで日本は内戦に次ぐ内戦が続く。そして1603年、Tokugawa Shogunates(=徳川幕府)が誕生し、日本は再び統一される。国家の団結を図るために、徳川幕府はすべての外国人を国外追放し、キリスト教を禁止し、通商を大幅に削減した。いかなる日本人も国を離れることを禁じた。これが、その後約200年続いた孤立の時代の始まりであろ。」

これは鎖国のことですね。その鎖国状態を打ち破ったのがわがアメリカ人という訳です。

「1853年、アメリカのマシュース・ペリー提督が日本を訪れる。ペリーは通商協定に調印した。彼は4隻の軍艦に大規模な兵力を従えていた。この強力な軍事的威嚇が日本人を驚かせ恐れさせた。そしてペリーが望んだ通商協定に調印した。その後、日本は同じような協定を他の欧米諸国とも結んだ。ここに孤立状態は崩壊した。」

そして明治維新を迎えます。今日はここまでです。(^^)



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利根 投稿者:きんたろう  投稿日: 9月29日(月)23時08分25秒

水系の最大活用を計るという計画ですね。

今までは陸上交通ばかりに重点を充ててきたわけですが、ウォーターフロントがいよいよかけ声だけでなくなるのでしょうか??
環境にやさしい物流の水路が充実するのであれば1500億円は決して高くない買い物であるように思います。

船が一回に運べる物量は想像以上に大きなものですよ。
これは「蝉しぐれ」のエンディング・ソングの背景の絵を見れば一目瞭然です。

話は変わりますが、歌で有名な矢切の渡しは葛飾付近でしたよね??^^;;



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