過去ログ209(2003年〜10月21日)


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アポロ11号 投稿者:きんたろう  投稿日:10月21日(火)22時22分03秒

のころのNASAのコンピューターの性能はファミコン以下だったようですね。

よくぞ8ビットの能力で計算が出来たものだと思いますが、これは大きな勘違いという者ですよね。
というのは、コンピューターの性能が良いとか悪いかではなく、計算式が正しいものであるかどうかが問題だからです。
勿論今のコンピューターの性能は何百倍もアップしていますから、計算に要する時間が短くなります。
しかし、例えファミコンでも計算式が同じであれば、今のと同じ応えを出す筈だからです。

私も謎のオーパーツの話題は好きです^^
菊池さんが言われているような発想のSF作品はありますよね^^

確かに人類の発生から現代までの数百万年を一年間に喩えて考えると、人類が一気に発達したのは12月31日の最後の頃に当たるわけです。
そう考えると、人類のピークは今回の一度だけではなく、何度もピークがあってそのたびに壊滅的に滅んだという仮説は心惹かれるものがありますよね。
編集済



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実は 投稿者:きんたろう  投稿日:10月21日(火)22時20分39秒

暇を見つけてはしこしこと作業をしてる事があります。
それは過去ログのフォームの統一です^^;;

最近の分については見やすいように統一されている(と思う)のですが、初めの頃の分が統一されていないので、これを修正しているわけです。
でもアップしてある分だけでも181ファイルもありますから、これが結構というかかなり大変なのです、自爆

というわけで、Toshyさんが漂流民について初めて書かれた分を再確認出来たわけなんです^^

確かに太田さんの言われるように、「空を飛ぶ乗り物」は存在していなかったのですから、言葉を作るのは難しかったと思います。

>フライング・マシン等
フライと言えば蠅ですから、発想が貧困ですよね^^;;
そう言えば、スタート前に飛び出す事もフライングと言いますが、蠅が飛び立つイメージとはずいぶん違うものだと思います、笑

>天岩船にすればよかったのに・
なかなかグッドですよね。

中国大陸に成立した王朝はオリエンタル専制でしたから、自由な発想を阻害するという点から見ると根本的矛盾を持っていたように思っています。
一部の天才が偶然に現れたとしても、それが広い範囲に広がるという者ではなかったということですね。
尤もこれは科挙試験にしても同様だと思います。
また、漢字の母国でありながら文盲率が限りなく100パーセントに近かった歴史からも伺えると思っています。

あまりにもシステム的に締め付けるのは統治上は完璧に近い姿であるのかもしれませんが、人類の発展には結びつかないように思います。



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古代からの伝言 投稿者:ぶらいと  投稿日:10月21日(火)21時16分27秒

が始まりました。「わが国家成る」、今日で2日目です。壬申の乱で大友皇子の部将たちが逃亡したあとも皇子と共に過ごし、皇子の最期(自害)をみとどけた物部麻呂が投降しようとしたところ、帝(大海人皇子)の新政権に臣下の一人として迎えられます。帝即位2年半後、河内高安山に行幸の際、帝は、先帝が何故このような山城をつくったと思うかと臣下の者に尋ねます。物部麻呂に順番が回ってきます。どうやら麻呂は、覚悟を決め、壬申の乱を批判するつもりのようです。



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火星への有人宇宙船 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日:10月21日(火)21時08分24秒

相当距離があるため、片道でも一年はかかるそうですね。さらに

月と違い地球との重力差がそんなに小さいわけでもないから、
火星を離れる時の燃料がかなり必要になる。
一定の距離を保つ地球−月と違い互いの位置は刻々変化するから、
復路の設定も計算しづらい。

など、問題は多いと聞いています。

>1回こっきりのアポロ宇宙船より,数度使うスペースシャトルの方が,非常に高等技術が要ると思います。

なるほど、そんなものでしたか。でもまた月に挑戦してほしいものです。

>恐竜以前の太古の昔、幻の超ハイテク文明を誇った世界

一笑に付すかどうか、まずは証拠もないので…否定はしません。
ただし似たような話ですと、地球の土の部分(地殻)も厚さ70キロ以上。
人間が掘った穴の深さがせいぜい10キロくらいであるから、
地下にも高度な文明社会が存在しているのではないか、との説もありますね。

またチベットには人間の目に見えない世界もあるそうです。



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菊地さん 投稿者:太田守人  投稿日:10月21日(火)17時34分08秒

インドのモヘンジョダロだったと思いますが,ガラス化した部分がある遺跡があるそうです。ガラス化は,高温でないとなりませんし,核爆発だと言う人もいます。
それと,聖書に放射能のチリが積もったと思われる,記述もあるそうです。
人類の歴史で,現代までは数千年です。これは,人類の進歩の歴史を考えても,一度核戦争で文明がぶっ壊れたとしても,お釣りの来る期間があるそうです。
核戦争で文明がぶっ壊れたというのは,12,000年前だという人が多いですね。
ピリレイスの地図という古地図があります。この地図,15世紀のトルコ海軍のピリレイス提督が持っていた地図です。ピリレイス提督は,捕虜から巻き上げたそうで,いつ頃の地図か分かりませんが,15世紀以前であったことは間違いありません。この地図が有名になったのは,氷のない南極大陸,アメリカ大陸全部,アフリカ大陸全部が,詳細に記述されています。
この地図が,いかに正確かというと,1960年代中頃までアメリカ海軍水路部が,新たに測量した海域の補正用の参考地図として使っていたほどです。
コロンブスのアメリカ大陸到達が,1492年ですが,この時は,新大陸とは思わず,インドだと思っていたわけですから,15世紀に南北アメリカ大陸が書けるはずありません。
そして,南極大陸には,川や山まで正確に記録されていました。その正確さは,現代技術でよく証明されたほどです。



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核戦争 投稿者:菊池元宏  投稿日:10月21日(火)16時46分59秒

きんたろうさん。太田さん。Toshyさん。
間抜けな質問で心苦しいんですけど、

恐竜以前の太古の昔、幻の超ハイテク文明を誇った世界は一度核戦争で滅んだということ仰ってた人いますが、
これは一笑に付していいものなのでしょうか?



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スペースシャトル 投稿者:太田守人  投稿日:10月21日(火)12時56分11秒

1回こっきりのアポロ宇宙船より,数度使うスペースシャトルの方が,非常に高等技術が要ると思います。大気圏再突入の時の凄まじい熱に,何度も耐えなければなりませんから・・・。
アメリカでは,月の次は火星だ。と言ってましたが,火星への有人宇宙船の話なくなったのでしょうか?
インディペンデンスディに,月にアポロ宇宙船が立ててきた,星条旗と乗員の足跡がありました。



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気球 投稿者:太田守人  投稿日:10月21日(火)08時22分42秒

普仏戦争で,フランスの大統領が,気球でパリを脱出したという話もあります。
明治政府は,海軍は英式,陸軍は仏式による。と決めていた為,陸軍の重鎮山県有朋が,この時,フランス陸軍視察のため,ヨーロッパに来ていましたが,フランスが混乱していて,入国できない。なら,いっそのこと勝ってる,プロシアに行ってしまえ。ということで,プロシアに行き,以後,陸軍はドイツということになったそうです。
ただ,騎兵だけは,プロシアの格好だけを気にする乗馬術では,長期の作戦行動はできない。ということで,フランス式になったそうです。
もし,この時,山県一行が,パリに行けていれば,陸軍はフランス式になったので,ドイツ式のガチガチ体質にならなかったかも知れません。



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あれから3年半でしたか… 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日:10月20日(月)21時16分20秒

大勢の方々から励ましのお言葉をいただいたのもこの板でした。
当時わがHPの主になっていた芥川より、
やはり漂流物語のほうが面白いんでしょう(わら
芥川のほうは、もう更新もしなくなったもんな〜

自分単独の本は、津太夫の足跡や鎖国の歴史ばかりではなく、
アリューシャンやシベリアの民族史もからめた内容にしたいと思います。

>飛行機

とは違うけど、津太夫は今から200年前、
日本人として初めて有人飛行を目の当たりにしています。気球ですが。
魂が吹き飛んだと言っていますが、当然でしょうね。

話はがらっと変わって、1969年は本当に人類が月に行ったのでしょうか。
その後一度も飛んでいないから、少々疑問に思うようになってきました。
スペースシャトルですら四苦八苦ですからね。。。

http://homepage2.nifty.com/snowwolf/tsu.htm



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中国産業革命 投稿者:太田守人  投稿日:10月20日(月)12時01分44秒

>漢民族の世界は早熟過ぎたせいか、10世紀でヘンテコリンというかかなり歪んだ社会に突入したのでしょうか??

絹織物といえば中国の代表的な産物で,長く養蚕は門外不出でした。門外不出だったので,養蚕や絹織物は,塩とともに歴代王朝の専売物で,民間では絹織物の販売等を認めなかったそうです。
宋代に,水車を利用して,絹織物を作る機械を発明した人がいたそうですが,民間人だったため,宋王朝は,この人を処刑し,設計図を焼き,闇に葬り去ったそうです。もし,この機械が発明・量産されていれば,産業革命は,イギリスでなく,中国から起こったかもしれません。
中国は宋代に,世界三大発明を終えてます。もし,この機械で工場ができれば,世界中に植民地が出来,中国語が世界共通語になったかも知れません。そうすれば,日本もその影響をもろに受けていたでしょう。室町時代に,日本で,女工哀史があり,鹿鳴館があったりして・・・。



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Toshyさん 投稿者:太田守人  投稿日:10月20日(月)08時31分24秒

おめでとうございます。

きんたろうさん。飛行機が発明された時,世界の民族は,非常に困ったそうです。なにしろ,過去にない乗り物なので・・・。そこで,フライング・マシン等の言葉を作りました。ところが,インド人だけは,経典に飛行機のような乗り物があったそうで,困らなかったそうです。日本も飛行機なんかにせず,天岩船にすればよかったのに・・・。雅でいいと思いません?(爆)



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太田さん 投稿者:きんたろう  投稿日:10月20日(月)01時02分05秒

下に厳しく上に甘い体質というのは確かに不滅のものなのかもしれないですね。
だからこそ、潔い行動をとった「上の者」は歴史に名を残すのかもしれません。

南唐といえば中国の代表的風習??である纏足の発祥がここだったと聞きます。
漢民族の世界は早熟過ぎたせいか、10世紀でヘンテコリンというかかなり歪んだ社会に突入したのでしょうか??

Toshyさん
おめでとうこざいます^^
動き始めてから出版されるまでずいぶん速かったですね。
今度はToshyさん単独で出して下さいね。

思い起こせば、2000年の4月頃初めて漂流民の事を掲示板に書かれていたと思います^^

ぶらいとさん
9日も出張だったのですか!!
それはすごいですね。
9日もかかるというとアメリカかヨーロッパでしょうか??^^

金曜時代劇はその時間帯につい寝てしまって。。。2回目は見逃してしまいました(;^_^A)
でもあの番組は連続物でも、各回ごとに楽しめる作りになっている筈ですから、、今度の3回目からでも大丈夫だと思っています、笑



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転がしお銀 投稿者:ぶらいと  投稿日:10月18日(土)23時28分20秒

ご無沙汰しております。仕事の関係で9日間ほど留守にしていました。

私の最近の書き込みも遙かかなたとなってしまいました。
NHK金曜時代劇「転がしお銀」は2回共見られませんでした。配役もすごいメンバーですね。
お銀に田中美里、父親に伊東四朗など。
きんたろうさんは、2回目もご覧になりましたか。

このところの流れと違う書き込みになってしまいました。失礼しました。
編集済



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緊急ニュース 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日:10月18日(土)20時35分21秒

ここで緊急ニュースが入りました。

東洋書店発行の ユーラシア・ブックレット シリーズ54巻として、
我々の本が「世界一周した漂流民」という題で刊行されました。
当然のことながら、僅か1ページですが俺もペンをとっています。

定価は600円。皆様書店でお見かけしたらぜひ立ち読みしてください。

http://homepage2.nifty.com/snowwolf/tsu.htm



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インドラ神の飛礫 投稿者:きんたろう  投稿日:10月18日(土)12時01分12秒

をぶっとびネットに載せました。
これは、3部としてアップしたものを一つにまとめたものです^^

HPの容量が一気に増えたので使い方を考え中です、笑
以前はここを過去ログ置き場にしようと思っていたのですが。。。
編集済

http://s1.buttobi.net/kintaro/



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日本軍 投稿者:太田守人  投稿日:10月17日(金)17時45分52秒

日本軍は,上に甘く下に厳しい軍隊でした。中国の王朝(確か南唐だったと思います。)で,上に甘く,下に厳しい皇帝がいました。或る老人が,その皇帝を諌め,「陛下。反対になされませ。」と言ったそうですが,この皇帝は聞き入れなかったそうです。そのため,この王朝は滅びました。
戦後のB,C級戦犯で,捕虜の虐殺等で,処刑された下級士官や下士官がいました。連合軍は,下級士官や下士官兵でも,上級者の命令がおかしければ異議を唱え,再考を促されたそうです。ただ,もう一度命令されれば,それに従うしかなかったそうですが,書面で自分の考えを,より上級者に提出できたそうです。そして,これは当然の権利と認められていたそうです。そして,その結果,失敗しても,この書面があれば免責されたそうです。そこで,連合軍は日本軍も同様だったと思っていたそうで,上官が命令は朕が命令と思え。という,日本軍の思想は理解出来なかったそうで,日本軍も同様のシステムで,特に士官や将校は,例え下級であっても,上に強力に文句を言える立場でありながら,それをしなかったのは,職務怠慢だ。という理由で,B,C級戦犯で銃殺された人が結構居たようです。
それと,アメリカ軍のこの3分の1の交代制は,奴隷制があった為のアイデアだったと言っている,元日本海軍士官がいました。奴隷は,いくら人権がないとは言え,鞭だけでこき使えばブンムクレル。そこで,適当にアメもいる。このアメがないと頑張らない。ということが,奴隷制から骨身にしみて分かっていた。しかし,日本には奴隷制と言えるほど,奴隷が大量に居た時代がなかった。そこで,お前ら頑張れ。同じ大和民族だ。しか思い浮かばなかった。と言うのが,この方の論点なのですが,一理あるように思っています。
山本長官戦死ですが,なんで彼があんな危ない最前線に行ったかと言うと,山本長官はこの時,戦線縮小を真面目に考えていたそうです。彼は,サイパン初め内南洋辺りまで戦線を縮小し,サイパン辺りを一大要塞化する。ところが,ワシントン・ロンドンの両軍縮会議で,太平洋の島々には,軍事基地を日本列島とハワイ,フィリッピン以外は設けてはいけない。この軍事基地も,増設・強化禁止という付帯決議がありました。列強は,これを愚直に守っていました。そこで,サイパンや内南洋を一大要塞化するのには,時間が係る。その時間稼ぎのため,ソロモン群島の将兵には死んでくれ。と頼むのが目的だったそうです。そこで,彼自身が行き頭を下げてくる。それが目的だったそうです。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日:10月17日(金)11時54分28秒

>一軍がいなくなってしまって、二軍のメンバーに変わってしまえば質的に一軍に劣るのは当然だと思います。

アメリカ軍は,非常に巧妙でした。海軍では,消耗の激しいパイロットと潜水艦の乗員を,ベテラン,中堅,初心者に分け,大きな海戦があるとベテランを全部本土に帰し,教官配置とし後進の指導に当てました。この為,アメリカ軍はベテランの絶え間がなく,しかも救難ということを大変重視していました。昭和18年から,アメリカの飛行機を撃墜しても,日本軍は捕虜を得ることが希になったそうです。アメリカ海軍は,750Tの護衛駆潜艇の内100隻を救難専用に改装しました。そして,昭和19年中頃から日本の商船が少なくなると,アメリカ潜水艦の主要任務は,日本の通商路破壊より,撃墜された航空機のパイロットの救難に変わりました。
B29による東京空襲が激化すると,B29が撃墜されると,海軍の飛行艇が東京湾のど真ん中まで飛んできて,乗員を救助したこともよくあったそうです。アメリカ軍では,今もエリート部隊は,武装救難部隊です。

>現代のようにポストだけ要求してそれに対する「果実」だけを求めて、一方の「責任」に対しては全くの無責任であるという人が多くなったのは、第二次世界大戦前の反省から来る反動なのでしょうか??^^;;

これは,太平洋戦争の時にもありました。海軍甲重大事件と海軍乙重大事件というのがありました。海軍甲重大事件は,山本五十六大将戦死です。そして,海軍乙重大事件と言うのは,この山本長官の後を受けた,古賀峯一海軍大将が,連合艦隊司令部をトラック島から,フィリッピンのダバオに移す時,2機の飛行艇で移動しましたが,台風に巻き込まれ2機とも墜落し,1番機は古賀大将以下全員殉職しましたが,2番機に乗っていた連合艦隊参謀長の福留海軍少将が,フィリッピンの抗日ゲリラの捕虜になった事件です。日本軍は,ゲリラに大攻勢を掛け,福留少将は救出されますが,生きて虜囚の辱めを受けず。という戦陣訓があり,一般将兵なら銃殺間違いありませんでしたが,将官という事で,お目こぼしになりました。
この福留少将は,終戦時南方方面艦隊司令長官でシンガポールにいましたが,発令された時,部下は「捕虜になった人が,司令長官なんて,馬鹿馬鹿しくてやってられないよ。」と言っていたそうです。
また,陸軍の富永中将と言う人がいました。この人は,東条の腰ぎんちゃくと言われるほど東条首相の信任が厚く,彼が陸軍大臣兼務の時は,ズーッと次官をやっていました。
ところが,東条内閣がぶっ倒れると,フィリッピン防衛の陸軍航空部隊第4航空軍に司令官に出されました。この人,兵隊をぶん殴る等の行為があり,富永上等兵と仇名されていたそうですが,アメリカ軍がミンダナオ島に上陸すると,部下を捨ててサッサと日本本土に逃げ帰りました。流石に,この行為は,将官に甘い日本軍部でも問題になりましたが,有耶無耶にされたそうです。



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潔さ 投稿者:きんたろう  投稿日:10月17日(金)01時26分25秒

とは美しいものですが、それも限度を越えると組織の能力低下にまで陥るという事なのですね。
確かに、船長はその船に対する最高決定権を持っていますが自分の命を船と供にしなければならないというのは行き過ぎだと思います。
尤もそのくらい全身全霊を賭けていたからこそ、前半の日本海軍は強かったのかもしれませんよね。
一軍がいなくなってしまって、二軍のメンバーに変わってしまえば質的に一軍に劣るのは当然だと思います。

最高ポストの責任者が責任を取らずのうのうとしている姿は、バブル崩壊後の日本社会では当たり前になってしまいました。
最近では道路公団の総裁が醜態を晒しています。

これを見ると、命は勿論大切であるにしても、現代のようにポストだけ要求してそれに対する「果実」だけを求めて、一方の「責任」に対しては全くの無責任であるという人が多くなったのは、第二次世界大戦前の反省から来る反動なのでしょうか??^^;;



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日本海軍 投稿者:太田守人  投稿日:10月15日(水)18時08分00秒

日本海軍には,艦長は艦と運命を共にすべし。という不文律がありました。太平洋戦争中期頃まで,この不文律は馬鹿正直に守られ,艦長が生き残った場合,予備役に編入され,即日応召となりました。ミッドウエー海戦で沈没した,空母赤城の艦長に青木大佐という人がいました。この人,駆逐艦で赤城を曳航する。という命令が来て,曳航する駆逐艦に打ち合わせに行っていた時,連合艦隊司令部から,赤城を魚雷で処分せよ。という命令が,第4駆逐隊司令の吉田大佐に届き,吉田大佐は,駆逐艦谷風に命じて,赤城を処分しました。しかし,艦長が生き残ったということで,青木大佐は予備役に編入されました。
昭和18年ごろになって,沈没する軍艦が急増し,艦長が艦と運命を共にして,熟練の艦長が払底し,艦が沈没しても,艦長は出来るだけ生き残るようにしろ。という命令が連合艦隊司令部や海軍軍令部から出ますが,過去の行きがかりで,潔くないと言うことで,この命令を遵守する人は少なかったようです。
このように,日本海軍の硬直した官僚主義が,日本海軍の術力を低下させました。あるアメリカの水兵ですが,この人は太平洋戦争全期間を日本海軍と戦ったそうですが,戦後,「昭和18年までは,日本海軍はいい意味の好敵手だった。しかし,昭和18年以降は,同じ海軍かと思うほど,日本海軍は弱くなった。」と語ったそうです。
日本海軍がお手本としたイギリス海軍も,アメリカ海軍もキャプテン・ラストの伝統はありましたが,艦長が艦と運命を共にしろ。という伝統はありませんでした。アメリカ,イギリス海軍の場合,艦長は沈没寸前の艦に生存者がいないかどうかの確認義務はありましたが,もし,確認義務を果たせないほど沈没が早く,軍法会議でそれが認定されれば,艦長は無罪とされました。
戦後,日本商船のかりふぉるにあ丸とぼりばあ丸という大型商船が,荒天で房総沖で相次いで沈没した時,船長が船と運命を共にしました。これは,アメリカ人やイギリス人の船長は,なんで日本の船長はそんなことをするのか?乗員より早く逃げるのは卑怯だが,乗員が全部降りている船に残るより,生き残ってその経験を語り,今後の対策に役立てるべきだ。と言ったそうで,日本人が,日本の桜の散り方の美学を説明したそうですが,結局,我々には理解できない。日本人は,まことにミステリアスだ。と言われたそうです。これも,文化の違いでしょうね。



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特攻機 投稿者:太田守人  投稿日:10月15日(水)12時26分14秒

特攻機と言うと,片道燃料で出撃したと俗説がありますが,これは,大間違いです。沖縄特攻も,陸軍は知覧,海軍は鹿屋が出撃基地でしたが,片道だと敵の迎撃を受けたとき,ガス欠で海に突っ込みます。それに,迂回飛行が当たり前なので,全て満タンで飛びました。戦艦大和艦隊も,全部満タンで出撃しています。駆逐艦など,30ノットで一昼夜走ると,油がなくなるのが常識でした。大和は6,000T,護衛の巡洋艦矢矧は1,500T,駆逐艦1隻は500T位の油を積んで沖縄に向いました。護衛の駆逐艦は8隻なので,合計11,500Tの油という事になります。
そこで,勿体無い。という議論がありますが,海軍としては,沖縄を見捨てるわけには行かなかったと思います。もし,沖縄を見捨てれば,国民の海軍に対する反感は相当なものになったと思います。
特攻機は,最初第一戦機でしたが,最後は飛行機がなくなり,布と木で出来た複葉機まで使いました。ところが,この布と木の複葉機,鈍足で布と木なのでレーダーに探知され難い,アメリカ海軍は,対空砲弾の信管にVT信管という,信管にレーダーを内蔵した砲弾を使っていましたが,これら,複葉機には,VT信管が反応しない等のローテクの旨みがあり,夜間特攻には,真っ黒に塗装した,これら旧式の複葉機が使用され,新鋭機以上の戦果を挙げたそうです。
最後は,陸軍は剣という特攻専用機を開発しました。この飛行機全部木造で,金属部分はエンジンと車輪だけ。その車輪も,着陸しませんので,離陸と同時に地上に落として,次の剣に使うというとんでもない飛行機でした。
戦艦大和ですが,最初は佐世保に向う偽装針路を取り,途中で一気に沖縄に向う予定でした。大和の戦闘詳報では,徳ノ島沖で沈没したことになっていましたので,徳ノ島沖海戦と呼ばれていましたが,朝日放送が大和の沈没位置を確認する為,タイタニックの沈没位置を確認したチームに確認を依頼しましたが,その位置には大和は居なく,苦労のあるだけして探したところ,従来の位置よりずいぶん佐世保側に沈んでいると言うことが分かり,徳ノ島というより坊の岬が近いということで,坊の岬沖海戦と読み方を変えられました。



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安部さん 投稿者:太田守人  投稿日:10月15日(水)09時22分29秒

予科練のことは良く分かりませんが,私の親父が大正11年生まれの海軍士官で,同期生の3割くらいしか残っていないと言っていました。
終戦直前,日本海軍は飛行機がなくなり,回天や震洋という特攻兵器に,パイロットを乗せていました。
歴戦のパイロットは,B29の迎撃等に使いましたが,当時,練習機も飛ばせなくなった予科練の出身者は,飛行機の着陸が出来ませんでした。そこで,1回こっきりの特攻兵器要員としたようです。
レイテ沖海戦という,フィリッピンの全海域で戦われた海戦があります。この時,日本の空母艦隊は,108機の艦載機を準備しました。これは,大型空母1隻分の搭載機でしたが,日本海軍は,旗艦瑞鶴を初め,4隻の空母がありましたが,そのパイロットが集まらなかった為でした。
そこで,大正14年生まれは,よく死んだと思いますよ。
因みに,関東大震災の頃の海軍兵学校卒業者は,太平洋戦争では,大佐,少将ぐらいで,大型艦の艦長,戦隊司令官等で,このクラスも6割が戦死したそうです。



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蝦夷(えみし) 投稿者:きんたろう  投稿日:10月14日(火)21時23分56秒

対策が「やまと」の重要課題であったのは周知の通りですが、この「えみし」と勝手に名付けられた「集団」が「やまと」と別人種であったのかどうかについてはかなり疑問だと考えています。
正直なところを言えば単に自分たちに「まつろわぬ者ども」という意味だけの言葉であったのではないかなと思っています。
これが時代を経る事に付加価値的に「差別的」意味合いを大きくしてきたのではないかと思うのです。

先週、読売新聞にアイヌ語の天才少女知里(だったかな??)さん没80周年の特集記事をみました。
写真の彼女はまだ二十歳くらいのあどけない表情を見せていましたが、その姿はアイヌ人というよりは西郷隆盛に代償される鹿児島県人にもよく似ていたのです。
更に言うならば、沖縄の人たちのイメージにもとてもよく似ていました。

大きく区分すれば私達はお互いに「モンゴロイド」ですから、さほどの肉体的特徴が差としてあるわけではないのですよね。
だから当然とも言えますが。。。笑

東北地方の蝦夷のうち俘囚と呼ばれた人たちは、全国に散らばっていきましたが、これは分割統治の意味ばかりではなく、実は警察としての役割を果たしていたとあります。
すると、公権力の代表の一翼を担うわけですから抑圧された民が本当に正しかったのかどうかという疑問が湧いてきますよね。

制圧する相手に公権力を与える事など何処の世界にもあり得ないのですから、蝦夷とは自分たちのグループに入っていない相手というだけの事であって、仲間に入れば重要なポジションを任せたという事なのだろうと思います。
ここにあるのは、相手に対する信頼感だと思います。
例えばテロリストを、警察官にしようとは世界中何処の国でも行われる筈がないからです。

ですから、安部さんの疑問は恐らくはこの付近から来てるのではないでしょうか??
純粋に抑圧されていただけの立場であったとしたならば、警察にはなれないと思うからです。

これと似た立場で武士がありますが、武士の台頭というのは殆どが「私兵」であるという点で、公的権力の武力とは明らかに違っていますよね。

アテルイの戦いというのは桓武天皇の横恋慕という思いが強くあります(;^_^A)
同様に安倍氏に対しては源頼義の強盗的動機によるものだろう(笑)というのが偽らざる気持ちです。
しかし、不条理と思える「奥州の乱」に数多くの関東武士が参戦した事を見ると、頼義個人の強欲さばかりではなく、関東武士のニーズに応えたという面が本当は強くあるように思ったりしています。

奥州の土地に生を受けた者はToshyさんのように感じるのは当然であるように思います。
でも東北地方が不幸にも抑圧されて搾取されてきたという感覚は確かに、予想以上に新しいものなのかもしれませんよね。
恐らくは明治時代に入ってから、このような考えが推し進められていったのではないでしょうか??
日本が富国強兵の名の下に工業化に進んだ時に、工業地帯を持たない大きな地方の代表が東北地方だったのです。

日本版産業革命は多くの人間を土地から切り離す事に成功しました。
これによって日本社会は墾田永世私財法の効力を失っていく事になるからです。

安部さん、週末はリフレッシュに戻ってきて下さいね^^
編集済



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たぶん 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日:10月14日(火)20時52分03秒

俺と安部さんの思っていることは似たようなものですが、
土地柄上、やや俺のほうが感情が入っている点で相違しているのかな(わら

奥州の人といっても、別に奥州人などという気概というものはないでしょうね。
よって奥州を侵略云々にしたって、
戦国時代の武田氏・甲斐が信長によって滅ぼされたのと似たようなもので、
武田氏や蹂躙された民衆にしてみれば信長の侵略でしょうが、
現実には土地の親分が武田から織田−徳川に代わっただけであるように、
奥州にしても直接の被害者でなければ、だれが親分でも同じだったと思います。



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確かめようがないけれど 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月13日(月)22時49分52秒

昔の奥州の人たちは、自分が不幸であったときに、その原因が大和に侵略されたからだと果たして考えていたかな?と。

奥州の人たちが敗北感に染まるようになるのは、戊辰戦争で逆賊の汚名を着せられて以来ではないかと思うのです。


また、北海道のアイヌにとっては東北の人間は大和と一緒ですよね。
そもそも松前藩自身東北から北海道に上陸した人たちの末裔です。


てなわけで、明日から東京に戻って仕事です。
いろんな話を振ったままになってしまいますが、すみません。
落ち着いたら会社の寮からネットにつなごうと思っています。
それでは皆さんお元気で。
編集済



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うん、ですから 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月13日(月)22時04分19秒

奥州は江戸時代に米の単作が始まるまではむしろ豊かな土地だった。日本海側は、産業革命から取り残されるようになる数十年前までは、むしろ日本の海路のメインストリートに面していて、産業もあって豊かだった。

ただ、奥州の風土を無視した米の大々的な栽培は、欧米が植民地でやったプランテーションと似たところがあって、そこら辺は侵略の様な気がしますが。

京都や奈良、あるいは江戸などよりも、周辺地域のほうが歴史が古くて、昔の人々の生活に触れられるような気がして、最近近所や旅行したときにのあまり名前が売れていない神社とか館跡とか回るようにしています。そこからおぼろげながら浮かび上がってくる昔の人の生活というのは、私たちが教えられてきたよりもずっと豊かで、文明的です。

Toshyさんがよく言われているような、抑圧された民衆と強力な中央の権力者というのはあまりあたらないと私は思うようになってきています。確かに飢饉のときとか戦時に民衆が不条理な支配を受けたことはあったでしょうが。一人一人の民衆がもっと主体的に歴史にかかわってきていたように思うのです。

現在東京都の西部に住んでいるのですが、あそこらへんは鎌倉街道が通っていたり、国府があったり、養蚕があったりしていて、歴史が古いんです。飯の味も京風で薄味です。和菓子もおおくて上品な味(これなんか鎌倉の禅寺の影響だと思う、私文明のバロメーターとしてお菓子を使うことにしています)。

京風の文化という言葉も疑うべきだと思う。京都の文化がどんどん伝わってきただけではなくて、日本全体の文化の協約数だったような気もします。関東も武蔵野とか厚木や鎌倉のあたりとか、古河のあたりとか宇都宮のあたりは歴史が古くて上品な文化がある。関西の下手な場所なんかよりも古い歴史と高い文化を持っている。

戦争があって、○○氏が五騎で鎌倉へ駆けつけた、といっても、その豪族というのは本拠地に帰れば農産や林業や養蚕業とかちゃんとした産業基盤を持った人たちです。5人といっても、そこら辺を歩いていたチンピラを連れてきたわけではなく、企業でいえば取締役クラスがやってきているんですよね。軍勢といっても決して有象無象ではない。また、それだからこそ応仁の乱以降の足軽の登場に人々が驚愕するのです。

うまくまとまりませんが、昔の人は私たちが思っていた以上に頭がよくて、主体的に歴史にかかわっていたように思えてならないのです。だから、あんまり「侵略された、されない」といった歴史のくくり方はしたくない。急に歴史が矮小になってしまう気がする。
編集済



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奥州侵略 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日:10月13日(月)21時43分54秒

最近になってアテルイの復権が郷土史家によって実現しつつあります。
ところで、当時の奥州人がどの程度国家意識を持っていたか、疑問。
アテルイの行為も、決して大和からの独立というスローガンがあったとは思えず、
だからといって大和の侵略がなかったとは考えにくい。

大和による奥州侵略は、江戸時代の蝦夷地開発と似たような姿ではないでしょうか。
融合し同化していきました。アイヌも和人の生活を助けています。
しかし一方では、一つの鉄片と大量の昆布を取引する搾取もあり、
アイヌ人も耐えかね反乱を起こした事実あり。

史料がないため確認できませんが、
アテルイは、搾取に耐えかねた豪族の反乱ではなかったか…

前九年の役と呼ばれる奥州十二年戦争も、
安倍氏の奥州独立などという大げさな話ではなく、
源氏の挑発に堪忍袋の緒が切れた、「窮鼠猫を噛」んだというレベルであって、
決して蝦夷人が蜂起したのではありませんでした。
安倍氏は朝廷から不輸・不入の権をもらっているし、
大赦令で反逆を許されているなど、大和から独立をしている人々の姿ではない。

奥州藤原氏の滅亡に至っては、さらに違った姿です。
なんとなく奥羽二ヶ国が藤原氏の独立国であるかのような錯覚を持っていますが、
現実には、この二つの国の県知事を任されているくらいの重みで、
実際の勢力圏は平泉を中心とする南岩手の数郡にとどまっていたようです。


とはいえ。侵略云々はこう解釈したい。
感情的には、虐げられた民衆は「侵略された」という意識は持つでしょう。
(国家という枠組みで考えると侵略ではない、という理論は成り立つにしても)
また旧為政者としても、自分の土地を奪いに来た大和の武将は侵略者に違いない。



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何を持って侵略というのか? 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月13日(月)20時05分30秒

したの私の書き込み、結構いい加減なことをいっていますね絵。

系図を無理やり天皇家につなげれば、侵略されたことになってしまうわけですが(^^;畿内はともかく世に出回っている系図なるもの、奥州ではどこまで信用できるのか?

奥州の土地は、官の管理地はほとんどなく、ほぼ100%荘園でした(院政期の資料、でもそれ以前は奥州以外も資料はあんまない)。つまり、国司の支配は奥州ではほとんど行われなくて、現地の豪族に任せられていたといっていいと思います。

アテルイと同時期の俘囚の頭目に「安部高麻呂」というのが出てきます。「悪路王」のモデルではないかといわれている人物です。アテルイが悪者扱いされたのは、大和のせいだけではなく、奥州側にもアテルイを悪者にしたかった人たちがいたからだと私は思います。



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東北は果たして侵略されたことがあるのでしょうか? 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月13日(月)19時45分22秒

大和朝廷の蝦夷征伐(語弊があるかもしれませんが、昔からの言葉を使うべきだと思うのでこの言葉を使う)は、聖武天皇の治世の後半から始まり、桓武天皇の時代まで続きますけれども、結局大和の氏族の殖民はそれほど進みませんでしたからね。東北の豪族は、大和朝廷の宗主権は認めましたけれど、自治は保っています。

私は、アテルイは平安朝との融和策を蹴って、徹底抗戦を叫んだために、奥州側に見放された結果殺されたと考えています。アテルイが死んだからといって、あのときの大和と蝦夷の戦いは決して大和の完全勝利に終わったわけではないんですね。だからこそ、奥州への殖民の急先鋒であった関東の豪族が、この300年後に源氏を担いで奥州を侵略を企てるのであって。

奥州藤原氏が滅ぼされた後も、藤原氏の地位に北条氏がついただけであって、結局大和の人間が奥州に入ってきたわけではない。

奥州って本当に大和に侵略されたことがあるのでしょうか?

江戸時代にだって奥州の大名はそれほど外部から来てはいない。

皇国史観や、明治時代に逆賊にされた影響ではないかと。



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安倍氏 投稿者:菊池元宏  投稿日:10月13日(月)18時08分27秒

奥州藤原氏の前の安倍氏。その前のアテルイ。
これらの氏族のルーツはどうだったのか地元の人間でもわかりません。

岩手県の地名で「口内」「沼宮内」等明らかにアイヌの地名があることを考慮すれば、
陸奥にはもともとアイヌ人が住み着き、日本人に侵略されたと思えますが。。。

いや、アイヌ人こそ日本列島への侵略部族で、3000年位の歴史を持ってた日本だったのかもしれません。

個人的にはナガスネヒコ・アビヒコと安倍氏を結びつけたくなりますが。
火のないところには煙は立たぬとはいっても、資料が少なすぎますね。



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日本語 投稿者:きんたろう  投稿日:10月12日(日)22時26分18秒

の起源については色々な説がありますが、結局は良く分からないという事に落ち着いていると思っています。
日本語が孤立後であるという現実から考えると、構文は北方系の言葉でありながら基礎語が南方系であるという形が元々存在していた可能性もあるのかな??と思ったりしています。

弥生時代に日本にもたらされた言語であると仮定すると時代的に全く一致しませんから、日本語はもっと古くから存在していたのではないでしょうか??
琉球方言が日本語と分かれたのが1700年くらい前に当たりますので、弥生時代が最近の学説で500年くらい古くなったとしても、韓国語との分離時期からは5000年以上も隔たっている事になるからです。

日本語は地理的環境からも孤立後として成立していても別に不自然ではないと考えているのですが、オーバーに喩えるならばオーストラリア大陸やガラパゴス諸島のようなものなのかな(;^_^A)と思ったりします。

ちなみに似た部分については「漢字と万葉かな」とか「パスカルの言葉」に書いてあります。

>ところで、奥州藤原氏との関連で、海道平氏(岩城氏)、常陸大掾氏、(越後)城氏などの系譜に関心があるのですが、きんたろうさんは千葉上総介氏や平将門以外には、あまり関心をお持ちではないのでしょうか?

大掾氏は茨城の歴史を語る上で欠かせない最大級の一族ですから、いずれまとめたいという気持ちを強く持っているのですが。。。
大掾氏を分かりやすく説明するのはなかなか難しいのです^^;;



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日本語の南方起源説 投稿者:hn2602  投稿日:10月12日(日)18時38分03秒

日本語の文法構造が、音韻の問題も含めて、北方系の「アルタイ諸言語(語族)」に類似しており、南方系の諸言語(オーストロネシア語族=南島語族、オーストロアジア語族=南アジア語族)やシナ・タイ語族と文法的には、関係が疎遠であることは、ほとんどの言語学者が、認めていると思われます。問題は、基礎語彙を含む日本語の単語が、北方系のアルタイ諸言語と類似が余り見られないことです。少なくとも言語学会の定説となるほどの類似は、日本周辺の諸言語では(明らかに日本語の姉妹語である琉球語を例外として)見出されていません。

南方語の一つ、南島語族の「ポリネシア諸語」は、その音韻が、「五母音」で且つ「開音節」(音節が母音終り)という特徴から、日本語は、南島語族に属する可能性があるとして、おおいに期待されましたが、南島語族の祖語は、台湾原住民(高砂族または高山族)やインドネシア語派のものに近いと考えられるようになり、ポリナシア語派の開音節は、後代に発達したものの可能性が強く、日本語の開音節が南島祖語に由来するとは言えず、また、基礎語彙の共通性についても専門家の合意は成立していません。

北方系の満洲・南ツングース系諸語が開音節に近いとの話や、あるいは「ウラル語族」が、アルタイ諸言語とほぼ同じ文法を持ち、且つ開音節であるということから、ウラル語族に日本語が属する可能性なども研究されていますが、まだ、結論は出たとはいえないようです。ただ、ドラヴィダ語族説も含めて、日本語の南方起源説が優位とは到底言えない状況でしょう。

韓国朝鮮語と日本語は、あれだけ研究が行われても、言語学者の大半が認めるような定説が出てきませんので、両者が同系として(私は同系だと思っていますが、モンゴル語やツングース語と日本語の距離より近いかどうかについても疑っています)、5000年以上前であることは、間違いないと思われます。韓国の言語学者の金芳漢氏や、李男徳氏も、大体、6000年以上前と考えているようです。

縄文語を日本語と考えるべきかについては、やはり弥生時代に日本語が列島に持ち込まれたと思うのですが。勿論、日本語の「基層言語」であることは、間違いありませんが。
「縄文語」についてはその実態が不明ですので、コメントのしようがないのですが、アイヌ語をどう考えるかも含めて、難しい問題ですね。

ところで、奥州藤原氏との関連で、海道平氏(岩城氏)、常陸大掾氏、(越後)城氏などの系譜に関心があるのですが、きんたろうさんは千葉上総介氏や平将門以外には、あまり関心をお持ちではないのでしょうか?



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桂昌院 投稿者:きんたろう  投稿日:10月12日(日)14時35分21秒

は1627年生まれですから、明が劣勢になっている頃に生まれている女性なんですね。

明が滅ぶのは1644年ですから、まだ明朝は続いています。
でも、その勢力範囲はかなり限定されたものになっていたはずですから、確かに安部さんの言われるように日本亡命者の一員だったのかもしれません。

事実は小説よりも規なりと言われますが、八百屋の養女に入った人物が二条家家司本庄宗利の養女になって、更には大奥に入り5代将軍を生む事になろうとは、想像でもなかなか出来るものではないですよね。

それにしても将軍家光との接点は何処にあったのでしょうか??
あるいは家光が何処かで宗子を見つけて、大奥に入れるために養女にする方法が採られたのでしょうか??

あっ、そう言えば家光は秀忠と一緒に京都に上がっていましたよね。
姉の和子が明正天皇を生んだお祝いだったような??
この時に家光の側室になったという別のドラマが進行していたのでしょうね??

光圀と綱吉が相通じる理由については、安部さんの書かれたようにえた事は今までありませんでしたが、なかなか面白そうですよね^^



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日本人 投稿者:きんたろう  投稿日:10月12日(日)13時26分24秒

の使っている言葉はウラル・アルタイ語に属すると言われています。
そうなると北方の言語グループに入るわけですが、基礎語を日本語と最も似ていると言われている韓国語と比べてみると、これが予想以上に少なかったのは広く知られている事実です。

基礎語は南方語に似たものが多いという事なのです。
この事実から考えてみると、日本語は北方系の言葉グループに属していながら、単語は南方グループに属するという矛盾したものになります。

ここで考えられる可能性は。。。
北方系の言葉使っている人たちの所に南方系の言葉が入ってきた、あるいは南方系の言葉を使っていた所に北方系の言葉が使われるようになったという事になりますよね。

例えば、北京語のような構文は今では大量の人たちによって使われていますが、元々からあれほど多くの人口で使われていた言葉ではないのです。

地域的広がりからみると日本語のような言葉の構文の方が広い範囲にわたっていたと何かで読んだ記憶があります。
いずれにしても人口は時代によって変化するものですから、今の使用言語が古来から続いていたわけではないという事は誰でも納得できると思います。

それで私は、南方系の言葉もウラル・アルタイ語によく似た構文だった可能性もあるのではないかと考えているのです、(;^_^A)
事実ウラル・アルタイ語と言ってもヨーロッパ諸国の言語のようにデータが多くあって、綿密に研究されているわけではないからです。

かつては北方の海岸部に限らず南方の海岸部でも、似た構文の言語が使われていて。。。
その中の一つが日本語の先祖ではなかったのかと考えているのです。
これならば、構文が北方系でありながらね基礎語が南方系である理由の説明も付きやすいと思うからです。

倭人の故郷についてはhnさんほど調べ抜いたわけではないのですか、日本列島はあらゆる方面からやって来た人たちに因って構成された寄せ鍋状態であるというのが私の持論です^^

ただ、日本列島に住む私達の祖先が日本人として成立したのは、今から1万年くらい前には既に存在していたように思っていますので、かなり古い時代を想定しています。
これは日本語と韓国語が分かれたのが8000年くらい前であるという説を基準に考えています。
言葉が違うという事は、明らかに民族が違う事を意味しているからです。
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周の 投稿者:きんたろう  投稿日:10月12日(日)09時16分30秒

封建制度をアバウトに言えば、分家に土地を分けて統治をさせるという方式です。
ですから姓が一緒になるわけですね^^

周の時代を区分する春秋戦国時代とは、西暦紀元前403年に晋が韓・魏・趙に分裂した時が境になっていますよね。

ところで、「覇者」は「王者」と対を成す言葉として有名です。
覇者とは「武力などの力はあるが徳が無い」という意味だと思いこんでいたのですが。。。
本当の意味は、「周の王室の実権が衰弱して異民族の侵入が激しくなったために、周王を推戴して諸侯を率いて異民族の侵入を撃退しようとした諸侯の有力者」だったと恥ずかしながら知りました(;^_^A)

「侵入する異民族」これが中国史の大きなキーワードであるのはよく知られている事です。
でも秦の始皇帝の万里の長城とか前漢の武帝の大遠征だとイメージし易いのですが。。。
更に前の時代はイメージが湧きませんでした^^;;

そうなると、覇者という言葉には元々はネガティブな意味合いは無かったという事なんですよね。
多分ですが、「王の代理人」のような意味として使われたのだろうと思います。
王者と同じような立場であるが、血統からいって王者になれないために、別物であると区別するために作り出された言葉であるということなかなと思いました。
編集済



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蝉しぐれの 投稿者:きんたろう  投稿日:10月12日(日)09時15分00秒

後に始まった「何とかお銀〜」という金曜時代劇も面白そうです。

今度の物語は切腹して果てた人物の親と妹が「仇」を探しに宮城県から江戸にやって来て色々な事件に遭遇するというもののようです。
江戸の本拠地になる長屋には「のっぺらぼう」などの妖怪が現れて。。。

最後の方を見逃してしまったのですが、第一回目はイントロに過ぎませんから、二回目以降からでも十分に楽しめると思いますよ。
ぶらいとさんは今回のもご覧になっていると思いますが、その他の方もご覧になっていますか??^^



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