過去ログ65(2000年〜4月18日)


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布都御魂 投稿者:勇者ロト  投稿日:04月18日(火)09時32分53秒

というのは、スサノオの父のことだとも解釈できるらしい・・・・。
これは、原田常治著古代日本正史に書かれてある説です。
古社の祭神を調査し、物部氏の宗廟石上神宮の祭神としてフツとスサノオ(フツシ)・
饒速日(フル)・ウマシマチという出雲族の四代が祭られていることからの推測だそう
です。なおフツがスサノオの父とする伝承は、出雲の平田市にある宇美神社の祭神も、
フツであることから引き出されています。ちなみに「宇美」というのは「生む」に通じ
るという説も展開されています。神功皇后が応神天皇を生んだところも宇美神社とよば
れているそうです。

原田説の示すとおりならという限定つきの仮定では「布都御魂剣」は出雲族王権の象徴
祭器となります。神武の大和入りのとき「布都御魂剣」を手にいれてから無事東遷を完
了しますが、これは大和盆地内に神武の手引きをしたものがいて天孫以前の大和盆地政
権=出雲系大和王権の継承を意味する事件でもあった可能性もあります。



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乙姫さん 投稿者:きんたろう  投稿日:04月18日(火)04時15分32秒

リンク確認しました^^



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いつものパターンで 投稿者:きんたろう  投稿日:04月18日(火)03時37分16秒

今頃になってしまいました^^;;
>この鹿島神宮の情報を、私のHPでも載せたいなと思いましたが、駄目でしょうか?
>是非、ご検討頂けると幸いです。きんたろうさん、kitunoーiさん、宜しいでしょうか?m(__)m
いいですよ^^
kitunoさんもいいですよね??^^



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こんばんは〜! 投稿者:乙姫  投稿日:04月18日(火)00時59分22秒

いつも三時に寝る乙姫です。笑 刀がたくさん出てきますね・・・。
そうか、鉄だったんだ。私の見た夢では、鹿島神宮に拾って返した剣には巴の家紋がついて
たんですよ。陰陽道のあのマークみたいな。今、安部清明の「陰陽師」という本を読んでます。
それにしても704年製造なんて、とても古い刀ですね。面白いですね・・。
聖徳太子の石物については、父に聞いて見ますね。多分、千波子さんのおっしゃる通りだと
思います。(そうであってほしいなあ・・。(^_^;) 

リンク、完了しました〜!これからも宜しくお願いします。

http://www09.u-page.so-net.ne.jp/zb3/tatibana/



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フツノミタマ 投稿者:千波子  投稿日:04月17日(月)23時58分19秒

乙姫さま、kituno-iさま、こん@@@。

「竜宮伝説」の件、よくわかりました。北茨城市っていえばイツ(字が?)浦の近くかな?
とても景色が良いところでしたね。
ところで01時53分47秒、02時03分18秒 ???乙姫さまって、何時おやすみになるのかしら?

フツノミタマ(布都御魂)は、神武東征時に武甕槌神が下した霊剣の名前だそうです。
もともとは、イザナギ(伊弉諾尊)が、火神の迦具土神を斬ったときに、剣から滴る血が固
まって五百筒磐村になりましたが、その子孫であるフツヌシ(経津主神)のことともされてい
ます。
また経津主神は、血に染まった岩群が磐裂神・根裂神になり、その子の磐筒男・磐筒女の子
ともされているようです。フツは剣の切れる音をあらわし、威力・武力を意味するともいわ
れているようです。

「日本書紀」では、タケミカヅチ(武甕槌神)とともに出雲国譲りの立役者となり、「古事
記」では、タケミカヅチ(建御雷之男神)またの御名、建布都神・豊布都神と記されている
ので、同神異名とされているようです。伊波比主神とも呼ばれ、香取神社の主神です。

おそらく人格神というより、剣(武力)を意味する物(軍)神であって、もともとは軍事氏
族である物部氏が、祭祀氏族である中臣氏とともに奉じた神であったのが、物部氏が没落し
藤原氏が軍事権を掌握したことにより、全面的に中臣氏に祭祀権が移されたのでは無いかと
いっています。

また、大和勢力が東海地方を攻略した時の海上軍事拠点が「伊勢」、関東地方が「熱田」、
東北地方が「鹿島」と考えれば、この三ヶ所の祭祀上の重要性が理解しやすいともいってい
ました。

それから、佐備大麿に剣をつくらせた国司の采女朝臣は、物部氏の一族だそうです。受け
売りですので、詳しいことはわかりません。

もう一つ、聖徳太子さまは、中世以降は職人さん達の守護神(神様はおかしいのですが)
として尊敬されていたので、石造物はその関係のものでは無いかと言っていました。



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千波子さん、乙姫さん 投稿者:kituno-i  投稿日:04月17日(月)21時44分39秒

>「慶雲元年(704)、国司采女朝臣、鍛の佐備大麿等を率て、若松の浜の鉄を
採りて剣を造りき。」

現在国宝に指定されている直刀の製作年代と、この記述の年代が一致し、鉄分
分析の結果も鹿島の砂鉄製であることがわかっています。
確証はありませんが、佐備大麿(麻呂)作ではないか、と見られています。

フツノミタマについては、よくわかりませんが、「剣の魂」ということらしい
です。フツヌシやフツ神は、物部氏の神なので、国譲りは物部氏の協力のもと
に行われたのかもしれません。

鹿島は砂鉄の産地ですから、優秀な鉄の武器を作り得ました。
この貴重な鉄を支配していたのが、中臣氏ではないかと思うのです。
鉄は武器ばかりでなく農機具としても利用され、常陸の肥沃な土地を開墾し、
関東に大きな勢力を築いていたのが中臣氏ではないでしょうか?
鎌足の「鎌」は農機具です。
天皇家は、中臣氏の鉄と経済力に魅力を感じたのかもしれません。



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再び。 投稿者:乙姫  投稿日:04月17日(月)02時03分18秒

千波子さん、ごめんなさい!「竜宮伝説」について確認したのですが、
北茨城市の海岸のあたりにある、天妃山という所にその竜宮伝説があり、
天保三年、徳川齋昭が弟橘姫の命を海神の守護神として奉り、「弟橘姫神社」
にしたということでした。(^^ゞ その近くにある「花園神社」という祭事に
関係してる場所だそうです。やはり海沿いでした。天妃山とあったので、
てっきり山と勘違いしてた私です。すみません。m(__)m

http://www09.u-page.so-net.ne.jp/zb3/tatibana/



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有難う御座います! 投稿者:乙姫  投稿日:04月17日(月)01時53分47秒

りンク確認しました!どうも有難う御座います!私も早速とりかかって、完了しましたら
報告に参りますね!
ところで、鹿島神宮と刀の夢が、現実にあった事だと分かった事で、これはもう
何かに導かれているように思えてなりません。
祖父が鍛治やである事も偶然と言えば偶然ですが、これとは別にもう一つ偶然がありました。

今の実家の土地を整地にしてる時、なんと聖徳太子〜?と書かれた石物が掘り起こされて
いたんですよ。それは長い間、家が完成してからもずっとすみに置いたままでした。
何か奉ってある所だったとしたら怖いわねーなんて母が言っていた記憶がありますが、
実際、結構怖い体験をしたりしたんですが・・・。(こわ)
実家の住所は、そう言えば常陸と名前のつく所です。(ばればれや〜)

千波子さんの情報、とっても参考になります。日高見の国、面白そうですね。
kitunoーiさん、「フツノミタマの剣」とはどのような意味なのでしょうね。

この鹿島神宮の情報を、私のHPでも載せたいなと思いましたが、駄目でしょうか?
是非、ご検討頂けると幸いです。きんたろうさん、kitunoーiさん、宜しいでしょうか?m(__)m

http://www09.u-page.so-net.ne.jp/zb3/tatibana/



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乙姫さん 投稿者:きんたろう  投稿日:04月17日(月)00時05分14秒

のページにリンクを貼り終えました^^
今日は思考が飛び跳ねています。



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日高見国って 投稿者:千波子  投稿日:04月16日(日)23時54分09秒

きたろうさま、kituno_iさま、こん@@@。

日高見の国に興味をお示し下さって、ありがとうございます。書紀によれば、景行天皇の
二十七年に、武内宿禰が東国視察から帰ってきて、「東の夷の中に、日高見国有り・・・
亦土地沃壌えて広し。撃ちて取りつべし」といったのが、後の日本武尊の遠征のきっかけ
になっているそうです。

父によれば、日高見国という名前からは、如何にもきんたろうさまのおっしゃるように、
太陽が昇る場所と言うイメージがあるんですが、常陸風土記では信太郡付近の旧称とされ
ているので、それだと土浦南部一帯になるのだそうです。

そこから、日高見は後世の当て字であって、本来は「ヒタ(カミ)」「ヒタ(シモ)」で
は無かったかという推理がありうるというのです。

なお、和名抄によると、信太郡には次の郷があったようです。
「大野・高来・小野・朝夷・高田・子方・志萬・中家・島津・信太・乗濱・稲敷・阿禰・驛家」

現在、土浦南部一帯に、これらの地名の痕跡は残っていないでしょうか?
(以外に小さな部分に残っている場合もありますので・・・)

なお、或いはムサ(カミ)・ムサ(シモ)のムサの痕跡とも思われる、武射郡の地名が上総国
にあるそうです。
同じく次の郷があったようですが、現在のどの辺りか分かりません。お心当たりがありました
ら、教えていただけないでしょうか。
「巨備・加毛・理倉・狎猥・長倉・畔代・片野・大蔵・新居・新屋・填屋」

ああそれから、常陸風土記「香島郡(三)」に次の記事があるそうです。
「郡の東二三里に高松の浜あり。大海の流れ着く砂と貝と、積もりて高き丘となり、松林の
自ら生れり。椎・柴交雑り、既に山野の如し。東西の松の下に出泉あり。八九歩ばかり、清
淳くして太好し。慶雲元年(704)、国司采女朝臣、鍛の佐備大麿等を率て、若松の浜の鉄
を採りて剣を造りき。」
kituno_iさまのご紹介の「フツノミタマの剣」が、この時の剣だとしたら面白いでしょうね。



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トップページ 投稿者:きんたろう  投稿日:04月16日(日)21時30分29秒

の背景を変えました。
コテキンさん、分かりましたか^^;;
この背景は私が仕事で使っているPCのものと同じなのでした。

YUEさん、桜はこちらでは金曜日の夜が最後のピークになりました。
この日はとても暖かくてポロシャツだけで夜桜を見に行っても寒くは感じませんでした。
でも土曜日は一転して10度以上も温度が下がってしまったのです。
さらに雨までずっと降り続きましたのでかなり散ってしまったようです。

kitunoさん、フツノミタマの剣についての説明を有り難うございました。
この剣と伊勢神宮の関係も深かったですよね!!(たぶん)

千波子さんが書かれている日高見の国といえば日本武尊の遠征の時にも名前が出ていたような
記憶があります??
でもどの辺に当たるのでしょうね??
個人的にはいまの日立市から多賀郡付近ではないかとおもっています。
ここならば太平洋から上がる朝日を高台から臨むことが出来るという単純な理由からです^^;;



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一方的応援宣言^^ 投稿者:きんたろう  投稿日:04月16日(日)21時28分30秒

日本語によるオペラ「我が輩は猫である」をオペラシアターこんにゃく座が公演します。
期間は5月11日(木)〜14日(日)です。
公演場所は東京下北沢駅南口下車徒歩5分くらいにある本多劇場においてです。
料金は前売り券が5,000円、当日券5,500円です。
チケットぴあ03−5237−9999で申し込めます。

歌は心を奮わせる力があります^^
また演劇は見ているだけでとても楽しいものです。
日本語のオペラで夏目漱石の代表作である「我が輩は猫である」を楽しむことが出来るのは
とてもすごいと思います。
是非見てもらいたいです^^



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↓誤字、脱字 投稿者:kituno-i  投稿日:04月16日(日)11時28分51秒

は、私の性格なのでお許しください。



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鹿島神宮の「フツノミタマの剣」 投稿者:kituno-i  投稿日:04月16日(日)11時22分20秒

鹿島神宮は2600年以上も古い歴史を持つ関東屈指の古社である、
とされています。その歴史と格式を物語る宝物の第1に挙げられるの
が「フツノミタマの剣」て茨城県における唯一の「国宝」です。
もともと鹿島にあった剣は、石上神宮の宝物とされているものです。
タケミカヅチ神の霊剣として古典に記され、崇神天皇の時に奈良へ石
上神宮として奉斎され、ついに鹿島に帰ることがありませんでした。
そこで改めて製作されたのが、現存する鹿島神宮の剣なのです。
全長約3メ−トル、普通の太刀の3振り分はあり、反りの殆どない
直刀です。
製作年代は約1300年前、作者は不明ですが、日本最大の刀身と金
銅黒漆塗平文拵やこの神剣を今に伝えた信仰を考えるととても重要だ
と思います。

茨城にお越しの際は、鹿島神宮に詣でられ、この剣をご覧になられる
ことをお薦めします。

安静の時間を得ることができたので、本を読む時間を得ることができ
たので^^;;考えようによっては、具合が悪くなったのは、ラッキ−か
も。坂本太郎氏の『聖徳太子』が増刷されたのは、2000年4月。
BBSで話題になったのがよかったのかもしれないなんて思っています..。



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本当に。。。 投稿者:YUE  投稿日:04月16日(日)03時12分23秒

魔異夢さんと同意見・・・すごい難しそうなお話だア
雨でせっかくの桜が散ってました・・・
もう春も過ぎようとしてるのかなあ〜



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^^;;; 投稿者:きんたろう  投稿日:04月16日(日)02時08分55秒

更新作業が少し遅れています。



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トップページの桜って 投稿者:コテキン  投稿日:04月16日(日)01時10分07秒

Winの壁紙だったのね。
今日、やっと分かった。

http://www.teyande.com/



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今日の「国宝探訪」は 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月15日(土)23時15分27秒

広隆寺のはんかしい像です。(字が出てこない)
広隆寺以外の弥勒像もいくつか出てきています。
今教育テレビで放映していますが,面白そうです。



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仙台 投稿者:Toshy  投稿日:04月15日(土)21時56分20秒

が生んだ偉大なる庶民のことを、HPに書いてみました。
まだ続きます。

http://village.infoweb.or.jp/~fwjd2293/hyoryu.htm



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鍛冶屋さん? 投稿者:千波子  投稿日:04月15日(土)09時55分11秒

kituno-i さま、乙姫 さま、こん@@@。

山の中に竜宮伝説があるって面白い。ウミガメさんには案内してもらえない?(・_・;)

「常世の国」から非時香菓(トキジクノカクノミ)を持ってかえった田道間守さんのお墓が、
垂仁天皇陵のお濠にあります。可愛い小島が水面にユラユラゆれて、とても印象的です。

鹿島の鍛冶屋さんっていえば、佐備大麿さんのご子孫でいらっしゃるかもね?(^0^)
童子女(ウナミ)の松原には、いまでも奈美松・古津松が寄り添っているかしら?

常陸風土記逸文には「日高見(ヒタカミ)の国」があったと、書いてあるそうです。
「筑波、茨城の郡の七百戸を分かちて、信太の郡を置きき。この地は本の日高見の国なり」

信太郡は土浦の南の一帯ですが、この辺に似たような地名が残っていないでしょうか?



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下記掲示板で 投稿者:勇者ロト  投稿日:04月15日(土)09時37分50秒

弥生から古墳にかけての変革についての話がでています。
参加者募集中!
kituno_iさん、三輪山の祭祀ともほんの少し関連した話です。
ぜひ参加して下さい!

http://www.tcup3.com/352/namuji.html



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おおおっっ(・・) 投稿者:魔異夢  投稿日:04月15日(土)09時27分29秒

難しい話が展開されている。白熱している。
では、ご挨拶だけ(^^)



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白い蛇といえば 投稿者:勇者ロト  投稿日:04月15日(土)08時43分08秒

小柳ルミ子でしたっけ?>白蛇抄????

三輪山伝承の根本になる祭祀が関東にも根付いていたとすれば、Awajiさんの
いっていた、出雲族が天孫に押し出されるように東海、関東に退いたという説
が現実味を帯びてくると思います。

その具体的証拠が銅鐸の広がりと銅鐸の美術品化という事になるのだろうか???



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白い蛇。 投稿者:乙姫  投稿日:04月15日(土)01時09分28秒

白い蛇を2回見たことがある事かな?蛇に関してはいろんな説が流れてますね。
私の友人・知人に、偶然に白蛇の関連した話しがあるんですが、それは何故か龍に繋がりました。

千波子さん>茨城の北の山に、竜宮伝説があるそうです。天妃山?かな?徳川家が弟橘姫の
命を海の戦勝の神として崇めるようにと、その神社に言ったそうですよ。
私もこの事は、MAKOTOさんに教えていただきました。
あと、北海道から来た友人によると、小樽に「竜宮神社」なるものがあるらしいです。
何か関連があるのかもしれないですね。

きんたろうさん・kitunoーiさん、>茨城の博物館に行く機会があったら、
是非行って見てきますね!何かと蛇と竜が最近の暗号みたいです。謎。
三輪山ですか。ちょっと調べて見ようかな・・・・・。

http://www09.u-page.so-net.ne.jp/zb3/tatibana/



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あ、また忘れてた 投稿者:Toshy  投稿日:04月15日(土)00時24分51秒

>亘理藩とは何と発音するのですか?

どうもすみません。地元人間だと読めるけど、他の地方の方には読みづらいですな。
これは「わたり」と読みます。
「わたりはん」とうって変換させたら、「渡はん」になった。大阪にお住まいの渡さんかよ?!

その亘理藩一行、はじめて北海道についたのは4月。まだ寒い時期です。
雪の中、窪地にござをテントのようにはって、
そこでがたがたと震えながらおにぎりを食べたという話を聞いたことがありました。
食器類にも不自由し、海岸で帆立の貝殻を拾い集めて、皿の代わりにしていたそうです。
そんな中で伊達市ほどの大きな町を作り上げていったのですから、
移民の人たちの精神力にはただただ感心するばかりです。



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快調ですねきんたろうさん 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月15日(土)00時23分50秒

新しいコンピュータが来てから。
書き込みも増えたし,過去ログの編集も進んでいるみたいですね。

日曜日の花見で,8人分のお弁当を作ることになりました。
から揚げ,ポテトサラダ,竹の子の煮物,卵焼き
などを計画しているのですが,ほかにもいいおかずあるでしょうか?
特に,おいしい卵焼きの作り方の情報知りたいです。
それと,おにぎりの塩加減も



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失敗しました^^;; 投稿者:きんたろう  投稿日:04月15日(土)00時12分56秒

過去ログを作るのは順調に行きそうなのですがこの一週間の過去ログを保存し忘れていました。
ひょっとしたら少し欠けてしまったかも知れません^^;;
新しいPCのトラブルを自分で作ったりしてすっかり忘れていました。

Toshyさん、すみません。
亘理藩とは何と発音するのですか??^^;;

勇者ロトさんの守備範囲も広いですね!!



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虎塚古墳 投稿者:kituno-i  投稿日:04月14日(金)23時59分59秒

は、壁画が有名ですよね。
水戸の県立歴史館に実物大の模型が展示されています。

虎塚古墳には、石室の入り口や内部にしめ縄のような連続三角文が描かれ、
奥壁中央に直径30センチの蛇の目文が朱で描かれています。
その上部に「向かい鱗」という三角形の文様が描かれています。
三角形は、蛇の鱗をかたどったものだったようです。

古代においては、祖先の霊や死者の霊は蛇の姿で現れると考えられていた
ので、鱗文や蛇の目文蛇を象徴してきました。

『日本書紀』の仁徳天皇の条に「三輪山の神を奉じて、蝦夷征討に従って
死んだ上毛野氏の祖田道の墓に大蛇がいて目をひからした」とあり、虎
塚古墳との関係が指摘されています。

三輪山との関連する伝承も常陸にはたくさん残されています。



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乙姫さん 投稿者:きんたろう  投稿日:04月14日(金)23時54分49秒

リンク申し込み有り難うございます。
こちらからもリンクを貼りますね^^

それにしても乙姫さんの周りには何かと符号が多いですね!!
とても不思議な気がしています。

実は先日書き込みをしようとしたら背筋がぞくっとしてきたので寝てしまいました^^;;
ちなみに常陸風土記においては蛇とはまつろわぬものとして描かれているようです。
水戸に県立歴史館があります。ここはお勧めですよ^^
施設としてかなり整っているにもかかわらずさほど混んではないのでじっくりと楽しむことが出来ます。



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常陸 投稿者:千波子  投稿日:04月14日(金)22時09分13秒

きんたろさま、安部さま、こん@@@。このHPは、たくさんのカキコがあって、流れがとて
も速いですね。
水戸で思い出すのは、家族で虎塚古墳を見に行ったことです。子供心にも、とても神秘的な思
いにとらわれたのですが、今は公開されているのでしょうか?
「常陸風土記」には、ヒタチのいわれとして、直通(ヒタミチ)と袖を漬し(ヒタシ)が書い
てあって、そこから元々は「ヒタシ(モ)」「ヒタカミ」だったという推理が生まれたそうで
す。

また「常世の国」のようだともいわれていたので、「常陸」という漢字は、そこから来ている
ともいっていました。ところで、「常世の国」といえば海の彼方を思いますが、乙姫様がいら
っしゃるところを見れば、常陸にも浦島伝説があるのでしょうか?

それから「ホケノ」ですが、この古墳は祟神天皇の娘さんで、豊鍬入姫さんのお墓だという言
い伝えがあり、「豊姫(トヨヒメ)山」と呼ばれていたのが、中世にフタカミ山をニジョウ山
と音読みしたように「ホウキの山」と音読みしたところから、「ホケノ山」に訛ったのかも知
れないといっているのですが、ちょっとこじ付け過ぎですね。
でも流石に三世紀初では、「台与」に持ってくるのは年代的に無理だろうなと笑っていました。
日本史は専攻外ですが、家族でよく話題にしていますので、いろいろ教えてください。



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