過去ログ66(2000年〜4月25日)


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エシュロン反対運動 投稿者:DDT  投稿日:04月25日(火)07時26分45秒

インターネットマガジンの記事からですが。
去年の10月,エシュロンに反対するアメリカの市民団体が反対運動を展開したそうです。
エシュロンが,「テロリスト」とか「爆弾」といった言葉に電話やメールから検索して傍受する
もの,という推測から,世界中の人が故意に「テロリスト」だの「爆弾」だのといった言葉を連
発して,エシュロンの処理能力をパンクさせようというもの。
国家の盗聴政策に市民団体が反対するのはいいけど,この方法で効果があるとは思えないです。
だいたい,友達に「テロリスト」なんて言葉書いたメール送りまくるのは変だと思うし。
でも,こういう発送ができるアメリカ人の感性はうらやましいです。



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バイオいろいろ 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月25日(火)02時57分48秒

マイケルさんはじめまして
他の調査でも,日本にコーカソイドの血が流れているらしいことが指摘されています。
いつ入ってきたのでしょうか?
大航海時代が一番ありそうですが,もしも古代だったら一体どう言う事なんでしょうね?

きんたろうさん、「世紀をこえて」にマイケル・J・フォックスが出てきたのは,
そのパーキンソン病でさえも脳細胞の複製技術で治るかもしれない
その研究への政府の援助を求めて,議会の公聴会で発言しているシーンでした。
バイオテクノロジーもすごいですね,

しかし番組に出てきたアメリカ人の生への執着もすごいと思いました。
ほとんど畜生道に落ちているのではないかと思う話まで出てきたし。



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も一つ エシュロン 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月25日(火)02時43分54秒

 【ロンドン24日岸本卓也】米国主導の広域通信傍受システム(暗号名ECHELON
=エシュロン)に対抗してフランスとドイツが米大陸を対象とした通信傍受で協力してい
る疑惑が欧州連合(EU)の最新調査報告書で指摘されたことが24日、明らかになった。
ロシアやスイスなども通信傍受網強化に動いているという。報告書は世界各国が“盗聴戦
争”の時代に入ったことを強調している。
 報告書によると、通信衛星とコンピューター技術を駆使したエシュロン・システム(米、
英、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英語圏5カ国で編成)は世界の電話、
ファクス、Eメールを傍受でき、米国などに有利な企業情報を入手している。一方、この
世界最強の盗聴網に対抗しようと、非英語圏各国が通信傍受システムの構築に動き始めた
という。

 とくにフランスが米国への対抗意識を強めている。通信傍受施設を国内のドルドーニュ
地方と太平洋の海外領ニューカレドニア、アラビア半島のアラブ首長国連邦に置いた。さ
らにフランスはドイツと共同で米大陸の通信を傍受する基地を南米のフランス領ギアナに
設営したという。両国とも協力の事実を確認していないが、米国企業の情報収集が目的と
専門家はみている。

 また、ロシアは旧ソ連時代からの協力関係を通じてキューバとベトナムに傍受施設を持
っている。スイスは傍受施設の建設と他国との協力関係を探り出したという。衛星通信を
広範囲に傍受するためには地球規模で傍受施設を張りめぐらす必要があり、資金の足らな
い中小国が他国と連携で傍受網構築を目指すことが予想される。

【ロンドン27日岸本卓也】欧州連合(EU)が産業スパイやプライバシー侵害の疑いで
本格調査を始めた米国主導の通信傍受システムの問題で、ローマ法王、故ダイアナ英元皇
太子妃、インドの修道女の故マザー・テレサら世界的な著名人や人権団体の通信を盗聴し
ていた疑惑が浮上した。27日付の英日曜紙サンデー・タイムズが通信傍受に関係した元
情報機関員らの証言などから指摘した。
 エシュロンと呼ばれる傍受システム(米、英、カナダ、オーストラリア、ニュージーラ
ンドの英語圏5カ国で編成)は、通信衛星とコンピューターを駆使して世界の電話、ファ
クス、Eメールを傍受できるといわれる。英国などの元情報機関員の証言によると、米国
はテロリストや犯罪組織だけでなく、国際世論に影響力のある人物や団体の反米的な言動
に神経をとがらせ、エシュロン・システムを使って通信傍受を続けているという。

 ローマ法王は10億人近い世界のカトリック信者への影響力があり、ダイアナさんは対
人地雷反対運動が米政府の関心を引いた。マザー・テレサは反戦思想が監視対象となった。
また、人権団体のアムネスティー・インターナショナル(本部・ロンドン)や国際環境保
護団体のグリーンピースも盗聴対象になっているという。



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エシュロン 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月25日(火)02時38分08秒

最近生活のリズムが崩れて困っています・・・なぜか眠れない。
毎日新聞の記事です。

【ブリュッセル28日森忠彦】米国が人工衛星を使って各国の通信情報を傍受しているとされる通信傍受システム「エシュロン」について、被害を受けた欧州連合(EU)は28
日、本格的な調査に乗り出すことを明らかにした。この問題の発覚時から積極的な姿勢を
示してきたEUの議会組織・欧州議会も、近く専門の調査委員会を設置する見通しだ。

 EUの執行機関である欧州委員会の報道官は同日、エシュロン疑惑について「欧州でス
パイ活動が行われるのは許されることではない」と語り、疑惑の解明に厳しい態度で望む
方針を示した。欧州委は30日の議会で欧州委としての見解を表明するが、その中でも加
盟国の情報が産業スパイとして傍受され、米国などの利益につながった可能性が指摘され
る模様だ。加盟国への疑惑解明に向けた協力が促されることになる。

 エシュロンは米国・国家安全保障局(NSA)が冷戦時代の対立国の情報入手のために
設けたシステムで、英国やカナダ、豪州、ニュージーランドといった英語圏諸国も参加。
電話やEメール、FAXなどの通信情報が傍受している。問題は入手した情報が国内産業
に渡り、ビジネス界の国際競争に流用された疑惑が高まっていることで、2月には傍受の
可能性を指摘した報告書が欧州議会に提出された。

【ロンドン16日岸本卓也】世界の企業や個人の情報通信を盗聴している疑いが強い米国
主導の電子盗聴網システム(暗号名ECHELON=米、英、カナダ、オーストラリア、
ニュージーランドで編成)の存在を記録した米国防総省の機密文書が16日までに初公開
された。これまで米政府は盗聴網に関する一切の言及を拒否してきた。
 米国で盗聴網の存在が確認されたことを受けて、欧州連合(EU)が22日から電子盗
聴被害に関する最新調査報告書をもとに対抗手段の検討に入るほか、ドイツやイタリアな
どの政府が盗聴被害の実態調査に本格的に乗り出す。また、盗聴被害を訴えるフランスな
どの欧州企業や実業家などが近く損害賠償請求の集団訴訟を起こすことを決めた。

 今月上旬に公表が解禁された国防総省の歴史に関する機密文書の中で、盗聴網システム
の暗号名「ECHELON(エシュロン、「はしごの列」の意)」が記載されていた。文書
は「国家安全保障局(NSA)が運営するECHELONは暗号解読部隊を発展させた高
度な技術を持つ情報機関」と説明している。本来は軍事機密を入手する目的だったが、冷
戦終結後に米国企業を保護するために各国企業の情報に重点が移ったといわれている。

 欧州連合(EU)の1998年の調査では、フランスの電機会社トムソンがブラジルと
の商談を盗聴されて米企業に契約を取られ、日本企業のNEC(本社・東京)が90年に
インドネシアを相手に進めた電信施設の取り引きを米電話電信会社(AT&T)にさらわ
れたという。個人の通信も盗聴された可能性が高く、プライバシーの侵害と批判されてい
る。

 軍事専門家によると、この盗聴網は米、英など5カ国の基地で通信衛星から降り注ぐ電
波をとらえてデータを傍受する。狙った人や場所に関する名前を高性能コンピューターに
入力し、電話、ファクス、電子メールなどから検索する。膨大な情報の中からでも必要な
データを探し出すことができるという。

SFの世界ですね。



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しまった!! 投稿者:乙姫  投稿日:04月25日(火)01時24分02秒

皆さん、こんばんは!
毎日楽しみにここにやってきていますが、なんと!以前に掲載させて
頂いてもいいでしょうか?という大切な部分が見当たらなくて、ここからコピーして
持っていきましょう、と思ったら、その肝心の部分が既に無くなっていました・・!!!(T_T)

きんたろうさん、過去ログって、保存してないでしょうか?ああ、私ってほんとにもう。
もう一回探して見ます。愚痴ってしまってすみません。

きんたろうさんが私のHPの、TATIBANA・BBSに書きこんで下さった記事によって、
私にも、そしてヴァジュラさんにも凄く大変に驚く出来事がありました。

ヴァジュラさんにとっては、この偶然は当たり前?なくらい、色々な不思議な偶然を体験して
ますが、私が目の当たりにしたのはこれで2度目だったので、びっくりです。

アトランティスについての曲を、CDで出しているんですよ。ヴァジュラ、という言葉も
彼のらいじ語、として訳されてない、意味不明な歌詞だったんです。彼が1番驚いてるんじゃ
ないかな?雷も、雷神も?凄い偶然に、グッドタイミングでしたね・・。(@_@)びっくり!!

http://www09.u-page.so-net.ne.jp/zb3/tatibana/



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はじめまして 投稿者:マイケル  投稿日:04月25日(火)01時19分53秒

きんたろうさん、掲示板では はじめまして!
常連の皆さん(大勢いらっしゃるので…。すいまそーん)よろしくお願い致します。
東北方面に ヨーロッパの遺伝子が 云々、、!赤鬼、青鬼伝説ですよ!
実際に、いたそうです(と聞きました)眼の青い 大男、赤い髪の大男 大陸から渡ってきた
と言うより 流れ着いた人。しかも、ヨーロッパ系の人。体は 原住民である日本人よりも
大柄で 彫りが深く、、、 初めて見た人は 鬼だと思っても 不思議では有りません。
イギリスの人が アメリカ大陸はじめ日本にまで 船で命がけで行ったのです、大陸から
来て チョット船に乗って日本にわたってもなんら 不思議は無いと思います。
書き込みをしているうちに 訳が解らなくなりました。お許し下さい。
 県西地区では、『こわい』は 「硬い」(ご飯等が硬い等)、「苦しい」(急な坂を登ったあとの息切れした時)、『怖い』は、「おっかね」。
『赤飯』のことを 「おこわ」と言います。
また、いわゆる「納豆」のことを 「糸引き納豆」、それを干した物を「干し納豆」と言います。
江戸の人は、「干し納豆」は甘いものと 思うでしょうが、茨城県西部のそれは、
「しょっぱい」です。アレ?「しょっぱい」も方言ですか?元々は、我が村あたりから、西、
いわゆる、下野の国から北の方にしかなかったようです、つい最近まで、、、。
ますます、訳が分からなくなってきましたので、寝ます!



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勇者ロトさん 投稿者:きんたろう  投稿日:04月25日(火)01時08分27秒

有り難うございます。
こちらに問題などあろうはずがありません^^
宜しくお願いします。
こちらのトップページからもダイレクトに勇者ロトさんの掲示板へリンクを貼りますね。

ところで質問です。
古事記においてヤマトタケルとイズモタケルの話は国譲りとの関係から見てどうなのでしようか??

安部さん、エシュロンとは何なのですか??
なんかものすごいもののようですね??^^
もう少し説明をお願いしたいです。

千波子さん、ここの場所とは元は久慈郡に属しかつ佐竹氏の発祥の地です。
千波子さん説はとても興味深いものですね。

私の方の例の話はアップ出来るのがまだ当分先のことになると思います。
何しろイメージが...^^;;
一言で言えば藤原という名前の由来とは信太にある藤代=藤原であり、奈良の地に藤原の名前を
持って行ったのであるという...^^;;「ものすごい」話になる予定です??



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Awajiさんへ 投稿者:勇者ロト  投稿日:04月25日(火)00時35分18秒

実は、お願いがあります。

井沢掲示板の方に投稿された「ホケノ山古墳現説」についてのレポートを
私のホームページに転載させていただきたいのです。お願いいたします。
駄目でしょうか?

http://kigaru.gaiax.com/home/dragon_suplex20c



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kituno-iさんを追ってきたわけではありませんが・・ 投稿者:ひさし  投稿日:04月25日(火)00時31分25秒

kituno-iさんを追ってきたわけではありませんが、
ロトさんのHPから久しぶりにやってきました。
きんさん、このまえはうちの掲示板に登場していただきありがとうございました。
これからもまたよろしくお願いします。
ではまた



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あらあら..。 投稿者:kituno-i  投稿日:04月24日(月)23時49分04秒

また、ロトさんとお会いしましたね。
何だか、追いかけっこをしているみたい。^^;

最近、私が読んだ本の中から、興味深い部分を抜粋します。
「武甕槌命・経津主命が神代史で重んじられたのは、じつは中臣氏の氏神
 だったからである。常陸の鹿島神宮の祭神である。中臣氏は6,7世紀頃
 から中央政界に台頭してきたが、上田正昭もいうように、その頃の政治的
 ・社会的勢力が、神話の上に反映したのである。『常陸風土記』では、鹿
 島の地は神郡と呼ばれ、中臣氏が管轄し、中臣部や卜部などが居住してい
 たことが記されている。この書では、タケミカツチという名ではなく香島
 (鹿島)大神とのみ呼ばれ、天地草昧以前に、八百万の神が高天の原に集
 まったとき、諸祖神に命じられて天降って来た神と記されている。国譲り
 の時出雲に降ったのではない。この神は常陸国に単独で天降った天神なの
 であろうが、出雲神話の中に、使者として割り込まされたのであろう。
 『古語拾遺』では、フツヌシを下総の香取神宮にいます神としている。こ
 の神宮もじつは鹿島とならんで中臣氏の氏神であり、8世紀の奈良時代に
 は春日大社に合祠された。天武以後の修史事業に、中臣氏が大いにかかわ
 っていたらしいことは、いろいろ徴証がある。」

なかなか、おもしろいでしょう?

千波子さんのP.T.A.の方は、道元に陶酔なさっているのですか。
どうしてなのか、聞かせていただきたいです。

我が家の菩提寺は、曹洞宗です。
小さい頃から、母に手を引かれお寺参りに行くのが好きでした。
菩提寺に貼ってある永平寺の写真を見ては、いつか訪れてみたい
と思っていました。昨年、その念願が叶ったのです。

道元が一番最初に味わった悲しみは、9歳の頃に母を失ったこと
でしょう..。多感な年齢を迎えようとしていた道元。
道元の修行の出発点は、母を失ったことによる無常観だったような
気がします。P.T.Aの方は、どのようにお考えでしょうか?

お寺の静寂な雰囲気、香のかおりは、今でも私の心を和ませてく
れます。



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突然ですが 投稿者:勇者ロト  投稿日:04月24日(月)23時25分21秒

こちらの掲示板に直接リンクを貼ってしまいましたが、いいでしょうか?
もし、問題があるようならすぐ外します。

http://kigaru.gaiax.com/home/dragon_suplex20c/diary



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でも最近は・・・・ 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月24日(月)22時44分35秒

>それにしても電子的にデータがやり取りできるようになったのは便利ですね!!
>でも持っていないのですが...もし秘蔵データがあるのなら送って欲しいです。(^^)

エシュロンというのがありますからねえ。
この掲示板も盗聴されているかも???そんな重大な情報あるかい!!

でもエシュロンはすごい!
ヨーロッパは,大事な事は手紙じゃないと通信できなくなっているとか,
毎日新聞のヨーロッパ局長が書いてた。
すごい時代が来たものです。



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藤原京と久慈郡 投稿者:千波子  投稿日:04月24日(月)22時43分57秒

きんたろうさま、みなさま。こん@@@。

あつ! 久慈郡にお住まいなんですか? なぜか水戸市内だと思ってたのですが、それじゃ
この部分は、古代郷土史みたいなものなんですね。

>>どうして(あえて)この地が大化改新の大功労者である鎌足に「恩賞」として与えられた
>>のか...不思議な気がしているのです^^

ちょっと大胆な推測(いわゆるひとつの妄想ドェ〜ス!)を、もうしあげてもいいでしょうか?

天智天皇が鎌足さんにお与えになった、おもな封戸は、藤原の地だったと思うんです。生誕
の地とされる小原から西北の平坦地で、後に藤原京が造られた場所です。おそらく蘇我本宗
家に属していた土地を、取り上げられていたのではないかと思います。

藤原と言う姓をお与えになったのも、この地を永久に鎌足の子孫に付属させるという意味を、
含んでいたんじゃないか。な〜んて! (きんたろうさまの藤代説について、逆らうようで
ゴメンナサイ。いずれ、ご掲載頂けるとのことなので、楽しみにしています。)

ただ、天智天皇さまも抜け目がないお方で、併せて軍事的にもっとも緊張している九州・関
東・若狭等の場所を選んで、何箇所かをお与えになった。そうすることによって、藤原氏に
防衛責任を負わせることが出来ますし、現地の司令官に対する牽制にもなりますものね。

そして後に藤原氏は、藤原の地をそっくり宮都として提供するんです。こうして天皇家に貸
しをつくっておいて、権力の座をさらに不動のものにするとともに、日本初の本格的宮都に
自分の家名をかぶせるんです。藤原京の藤原氏って、全国津々浦々にまで知れわたるんです
もの。カッコイイ策略だと思いません?

題して、千波子 「藤原京命名と久慈郡封戸の謎」に挑む! でした。 ジャンジャン!

ああそれから、kituno_iさま。春日神社と刃物屋さんの関係は、わかりません。



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稲妻づくし^^;; 投稿者:きんたろう  投稿日:04月24日(月)18時44分25秒

帰って来る途中稲光を無数(100以上)に見てきました^^
まさに荒れ狂う悪しき蛇=竜というイメージにぴったりです。
何というかグッドタイミングです。

MAKOTOさん、情報を有り難うございます。
高貫だと道がちょっと不十分かも知れませんね??
でも工業団地の付近であれは大丈夫かも??

てつろうさん、今日もすごい雷になるとは思いもしませんでした^^;;
ものすごいです(いまもすごい!!)

安部さん、私もバック・トゥ・ザ・フューチャーは大好きな映画です。
彼はもう治らないのでしょうか??

月子さん、ご心配いただきまして有り難うございます。
大体回復しました。
でも仕事に行くと体が自然に拒絶反応を...^^;;  

乙姫さん、思いつきましたよ!!



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千波子さん 投稿者:きんたろう  投稿日:04月24日(月)18時38分41秒

いつもの事ながら詳しい書き込みを有り難うございます^^;;
>蘇我入鹿の首が、鎌足を追いかけてきたので
ロマンですね^^
このような話が各地に残っているからこそ歴史に対して愛着が湧くのだと思っています。
それにこの話はまるで大江山の酒呑童子か将門の首を彷彿とさせるものがありますよね!!
とにかく(何がと突っ込まないでください、笑)昔の人の行動力の広さには驚かされています。

>天智の時代の久慈郡は、蝦夷との前線基地といっても良いぐらいの場所ではないでしょうか?
確かにそうだと思います。
今私が住んでいるこの場所(当時の範囲でいえば久慈郡)とはあの時代の奈良方面から見れば正に
辺境の地に他なりません。
ですからどうして(あえて)この地が大化改新の大功労者である鎌足に「恩賞」として与えられた
のか...不思議な気がしているのです^^
もっと条件のいい場所ならば他に幾らでもあるはずだと思うのですが...??^^

ちなみに私の場合脳細胞が毎日56億7千万個づつ死滅している(爆)ので記憶もかなり曖昧に
なっているようです。
それにしても電子的にデータがやり取りできるようになったのは便利ですね!!
でも持っていないのですが...もし秘蔵データがあるのなら送って欲しいです。(^^)



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今日は・・・ 投稿者:月子  投稿日:04月24日(月)18時33分30秒

今日は、昼間は暖かだったのに、夕方から曇って、ただいま雷様が参上しています(T.T)
雨が降っていて、とても寒いです。
ちょっと、昨日から体の調子が悪く、昨日はなんと、17時過ぎから、布団に入っておりました。
今日も、早めに寝る予定ですぅ(T.T) 
きんたろうさん、疲れはとれましたか? 
疲れがたまって、体を壊さないようにしてくださいね。



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おはようございます。 投稿者:てつろう  投稿日:04月24日(月)08時50分53秒

きんたろうさん おはようございます。

霰で車は大丈夫でしたか?
昨日はこちらも風が強く海は大荒れだったようです。

日本中が春から夏に変身しているのでしょうね、
また おじゃまします。



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高貫町 投稿者:MAKOTO  投稿日:04月24日(月)07時37分08秒

きんたろうさん、おはようございます。
ウインズ建設予定は高貫町地内山林と目されています。確か春日神社ありますかな。

http://www.kawamata.co.jp/



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えーと。(^_^;) 投稿者:乙姫  投稿日:04月24日(月)04時37分19秒

私が興味のある、タケミカズチについてたくさんの記事があるので一生懸命読んでるつもり
なのですが、頭に全然入ってきません・・。(T_T)
目が拒否反応しちゃってます。ごめんなさい、水をさしてるようで・・。
ああ、分からない!鹿島神宮についてもどうコメントしてページに載せていいかさえ分からん
私には、これは修行のようです・・・・。(T_T)私の左脳が働かないぞ??
きんたろうさん。ヴァジュラさんの名前が、らいじん、って言うんです。
龍にとても縁がある方みたいで、現実にもたくさんの数字の偶然や現実の偶然を体験されてる方
なんですよ。タケミカヅチが雷神の剣?(でしたっけ?)というのは、笑ってしまうくらいの
出来すぎた話しみたいで、二人とも興奮して何が何だか分からなくなってます。

何故か二人とも、全くの歴史が苦手。藤原不比等を、ふじわらのふびら、って読んでたんですって!笑 まあ、私も他のは似たような感じです。(^_^;) 凄いなあ。皆。
これから、楽しみです・・・。ちぇ!がんばろっと。汗

http://www09.u-page.so-net.ne.jp/zb3/tatibana/



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今日の「世紀をこえて」の冒頭で 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月24日(月)00時57分56秒

マイケル・J・フォックスを久々に見ました。
彼パーキンソン病だったのですね。
びっくりしました。最近出てこないなあとは思ったけど。
がんばってどうなるもんでもないけど,かんばって欲しいですね。



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千波子さんのP.T.A.の方は 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月24日(月)00時32分05秒

40代後半から50代でしょうか?

そのくらいの世代の方には,道元のファンが多いという話を聞いた事があります。
その世代に影響を与えた,評論家だったか作家だったかが、
「正法源蔵随聞録」を解説した本を書いてたからだと聞いたような気が・・・



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もうこ森・・ 投稿者:千波子  投稿日:04月24日(月)00時16分41秒

みなさん、こん@@@。

明日香で変わった伝承に出会いました。場所は、石舞台から細川に沿って多武峯の登口の辺
りまでさかのぼったところです。祭神不明の「気都和神社」という小さな祠があり、この杜
が「もうこ森」と呼ばれているのです。朽ちかけた説明板によると、以下の伝承が書いてあ
りました。

「昔、蘇我入鹿の首が、鎌足を追いかけてきたので、鎌足は懸命に逃げました。そしてこの
辺りまで逃げてきて、もう大丈夫だと思い『もうこん』と言いました。そこでこの森は『も
うこ森』と呼ばれたとのことです。」

多武峯は、打倒入鹿の密議が行われたとされる場所ですが、明日香から多武峯に登るには、
この道しかありません。石舞台のすぐ西は、嶋庄とよばれる蘇我氏の本拠です。
おそらく後世の無責任な付会でしょうが、結構、想像力を掻き立てられる面白い伝承だと、
おもいません?

kituno_iさま、道元さまに興味がおありですか? 何だか不思議な気がしますが、P.T.A は
道元さまに心酔しちゃって・・・。

きんたろうさま、
>>「大臣族黒坂命」は神八井耳命を祖とする多臣(大臣??)系中臣氏の同属者であり茨城
>>郡における国造の地位にあった・・・

多臣(大臣??)系というのは良く分かるのですが、なぜ中臣系とされているのでしょうか?
もしも大中臣氏との関連ならば、この賜姓は神護景雲三年(769)のことですから、常陸風土
記成立よりも、五十年以上も後のことですよね?

>>久慈郡の条にはその冒頭に藤原鎌足の封戸・・・

天智天皇が、久慈郡に鎌足の封戸を与えたことをもって、鎌足と常陸の関係を推測する考え方
がありますね。でもこれはもって鎌足が以前から久慈郡に勢力をもっていたといえるかどうか
ですね。 天智の時代の久慈郡は、蝦夷との前線基地といっても良いぐらいの場所ではないで
しょうか?

>>香島郡を設置したのは「大乙上中臣鎌子」、「大乙下中臣兎子」で大化5年ですね??

「大乙上中臣鎌子」は、一部欠字で「大乙上中臣□子」とするのが、多数でしたよね?
「大乙下中臣兎子」も、「大乙下中臣部兎子」とされています(部民クラスです)。何れにし
ても「大乙」は、後の八位相当官ですから、ほとんど最下級の役人です。むしろ中臣氏の影の
薄さを物語っていると思うんですが?

阪神さらに連勝をつづける!! 今年はちがう!!(この言葉、何回いったことやら?)



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Slashdogさん  投稿者:きんたろう  投稿日:04月24日(月)00時04分57秒

こんばんは。
ページャーはオフラインでもメッセージを送れることに最近気が付きました。
これは結構面白いですよ。



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きんたろうさん 投稿者:Slashdog  投稿日:04月23日(日)23時02分57秒

ページャー メッセンジャーのことですが、きんたろうさんから
メッセージもらうんですけど、今までのように
会話できないのは何故?
なにか特別な設定でもあるのでしょうか?



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こんばんは 投稿者:MAKOTO  投稿日:04月23日(日)21時10分25秒

今夜もウインズ問題を書きました。

http://www.kawamata.co.jp/



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こちらでは霰が降りました 投稿者:きんたろう  投稿日:04月23日(日)17時17分54秒

やっと疲れが抜けてきました。
やはり3週連続で休暇がつぶれるというのは堪えますね^^;;
眠り続けていました!!



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こんにちは 投稿者:きんたろう  投稿日:04月23日(日)17時12分51秒

千波子さん。
とても詳しい説明ですね^^
有り難うございます。
とても参考になります。
またP.T.Aの方にも宜しくお伝え下さい。

わたしも自分のページに藤原氏編や鹿島編をアップしているのですがP.T.Aの方に言わせると
ほとんどトンデモ説になってしまうかも知れませんね^^
一応ロマンという観点から作っていますから笑って読んでいただければ有り難いです。

ところで、タケミカヅチが雷神剣とすれば草薙の剣は風神剣に当たるのでしょうか??
雷神と風神は表裏一体になってに祭られていますからね。

常陸風土記において中臣氏関係が活躍するのは各郡において多く挙げられている意見もありますよね??^^
私の場合はほとんど思いつきと「うっすらとした」記憶が頼りなので^^;;
自信はないのですが...

茨城郡の条における「大臣族黒坂命」は神八井耳命を祖とする多臣(大臣??)系中臣氏の同属者
であり茨城郡における国造の地位にあったと見られているようです??
また、那賀郡でもやはり神八井耳命の子孫に当たる建借間命が国造の祖に当たるようです??
行方郡では郡の設置理由の所に「那珂国造大建壬生直夫子」とありますが、壬生とは建借間命の
子孫で大臣系中臣氏に属するようです??
香島郡を設置したのは「大乙上中臣鎌子」、「大乙下中臣兎子」で大化5年ですね??
さらに、久慈郡の条にはその冒頭に藤原鎌足の封戸があることが記されています。
蛇足なのかも知れませんが「タケミカヅチ」の子供の立速日命も久慈に降臨されていますね^^

このように常陸国の多くの郡に中臣氏(関係??)の活躍が多く記されているのは編者が宇合で
あり先祖の偉業を賞賛し自家の繁栄をはかる意図が十分にあったからではないかと見る意見も
ありますよね^^

個人的には「大好き茨城」の視点がいいなあとは思っているのですが...笑



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Awajiさん、 投稿者:kituno-i  投稿日:04月23日(日)16時11分21秒

見てるかな〜。(*^_^*)

kitunoのトピックに「救世観音」について少しだけ書き込みをしました。
表題は「中世の太子信仰」です。
読んでくれると嬉しいです。



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いいな〜、 投稿者:kituno-i  投稿日:04月23日(日)15時43分29秒

勇者ロトさんは..。千波子さんと議論できて..。

談山神社、なつかしいな。
父母と一緒に神社の前の多武峰観光ホテルに泊まったことがあります。
あれは、秋でした。
母は十三重塔の絵を描きました。(日本画)
朝、早起きして談山神社をお参りして、朝の儀式を拝見し、『多武峰縁
起絵巻』の実物を興奮、感動しながら見たのが昨日のことのようです。
その日に飛鳥巡りをしてきました。もう五年も前のことです。

談山神社でお花見をしてきた千波子さんが羨ましいな。
ひとつ質問させてください。
春日大社の周辺には、刃物屋さんがたくさんありましたが、タケミカズチを
祀ってあることと関係があるのですか?
(馬鹿な質問ですみません。)

最近、道元に興味を持つようになりました。
昨年の秋に永平寺を訪れて、あまりにも観光化されすぎていて複雑な心境に
なってしまいました。(私も観光客の一人だったのですが^^;)

『大鏡』に藤原氏は「鹿島の出自」とあるようなのですが、千波子さんのP.
T.Aの方は詳しくご存じないでしょうか..。

しかし、どうしてジャイアンツは阪神に連敗したんだろう!!
松井〜頑張れ〜!!



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千波子さんありがとうございました。 投稿者:勇者ロト  投稿日:04月23日(日)15時22分51秒

なるほどよくわかりました。

鎌足とそれに続く家系とその立場は、当時の社会情勢の推測、資料からの判断を
した場合、新興勢力的な立場から出発したという可能性は100%ないとは言いき
れないがとても低いというわけですね。

私の根拠希薄な妄想に御付き合いいただいてありがたく思っています。
続日本紀および中臣氏系譜等は読んだ事がことがなかったので、いろいろと勉強に
なりました。ありがとうございました。PTAの方にもよろしくお伝え下さい。

千波子さんも、阪神ファンですか?
去年もひょっとしたら?と思いました(笑)いや、毎年か(自爆)

今年のタイガースの連勝は、去年のそれとは違って地力のついた感じがしませんか?
去年の一時的な首位は「野村マジック」の色彩の強いつぎはぎの勝利という感じで
したが、今年は選手の力でふんばって、それに野村采配の妙が乗っかっているよう
な試合展開が多いと思います。まぁまだはじまったばかりなので浮かれすぎないよ
うに応援しましょう(浮かれるために応援しているという側面もありますが??)!

巨人ファンのきんたろうさん、kituno_iさん、MAKOTOさんそして「出雲から
世界へ」の管理人さんには悪いですが先日の巨人三連戦は久方ぶりに溜飲が下がる
思いでした。
去年の新庄の敬遠玉サヨナラヒット以来の盛り上がり!



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中臣復姓・・・ 投稿者:千波子  投稿日:04月23日(日)13時40分40秒

勇者ロトさま、きんたろうさま、みなさま、こん@@@。これがつづきの最後です。

>>藤原姓を賜ったとき、一端は中臣氏全体が藤原氏を名乗ったにも関わらず、後に不比等の
>>方から願い出て、中臣氏という氏族名を復活させたとものの本で読みました。本当なので
>>しょうか?もし本当なら、どうして中臣氏を復活させたのでしょう?
>>旧家名に対する愛着なのでしょうか?それとも同氏族で祭祀と政治を独占するための策な
>>のでしょうか?

中臣氏系譜 等によれば、鎌子ー常盤ー可多能示古(示古は一字)とされていますね。
ただ既に申し上げたとおり、従来から鎌子と可多能示古が直系かどうかについては、議論が
あるようです。

可多能示古からは、御食子(一門)・国子(二門)・糠手子(三門)に分かれます。
二・三門は何れも最有力の祭祀官として、神祇職を継承します。(これに対して、苦言を呈
したのが、コヤネと並ぶフトダマの後裔を称する斎部氏の「古語拾遺」です。)

御食子の一門からは、鎌足・久多・垂目に分かれます。(異説もあります)
もともと天智八年に、臨終の鎌足に藤原賜姓がなされた時にも、神祇職にあったものは、中
臣姓のままだったようですから、要するに鎌足に対する賜姓だったのでしょう。ただ鎌足と
四親等以内の一族にも同時に藤原姓が許されていたようで、その後文武天皇二年(698)詔書
で、藤原朝臣の姓を鎌足の家系である不比等に限定し、その他は旧姓中臣に復させたものだ
そうです。

これは言うまでもなく、不比等が鎌足の功績による特権的地位を、自己の家系に限定するこ
とを狙ったものだと思いますし、天智の賜姓趣旨からいっても、その方が妥当性があったと
思います。

P.T.Aに、記紀、続紀の該当部分を聞いてサット目をとおして、カキコしましたが、とても
つかれました。間違い部分があるかも知れませんので、ヘンテコな部分はご指摘下さいね。

阪神タイガース! 今年こそヒョットシタラ、ヒョットスル??? (・・?)(^0^)"
(間違いだったらスミマセンが、勇者ロトさまも、トラキチじゃなかったかな?)



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中臣氏と関東支族・・・ 投稿者:千波子  投稿日:04月23日(日)12時54分04秒

勇者ロトさま、きんたろうさま。こん@@@。つづきです。

>>各地の有力地方氏族と婚姻を結び・・・子会社的な氏族連合体を形成していったとは考
>>えられないでしょうか?

もちろん、ありうることだと思います。でもどれが実血縁で、どれが擬似血縁かなんて、
誰にもわかんない! ただ、血縁が濃いほど中央進出の可能性は高いでしょう?

>>財力的に台頭してきたからこそ、・・・・血縁の濃い薄いは関係がないような気もします。
>>中臣本家に近い血筋は・・・伝統的発言権は低下していたのではないでしょうか?・・・
>>関東の鉄資源に深く関わっていた可能性のある関東在地中臣氏の台頭を妄想してみました。

以下は、主としてP.T.Aの感想です。千波子がどうにかまとめました。

歴史上の真実は、100%解明することは出来ない。出来たと言う人がいれば、それだけでも
充分ト説の資格がある。所詮いくつかの想定(仮説)の中で、現在我々が知りうるあらゆる
状況証拠に照らし、最も整合性の高いものを、史実に近いと推測するしかない。

本件の場合、勇者ロトさんの想定(仮説)は、決して否定すべきものではない。充分可能な
想定と言える。ただ、鎌足の世代では無理だろう。何故ならば「母」が歴とした中央貴族の
大伴氏出身の可能性が高いからだ。鎌足が地方出身者であれば、これはまず有り得ない。
また、そういった支族出身者が、財力によって直ちに天皇家と接近出来るとは考え難いから
だ。

父の御食子も可能性はどちらかと言えば薄い。祖父の可多能示古が、既に中央官僚として推
古・舒明期に姿を見せているからだ。(ただ、もちろん疑問は残る)

有り得るとすれば、祖父の可多能示古か、その先代だろう。それでは、彼等が本家と血縁が
薄いにも係わらず、関東経営の財力によって中臣本家の地位に成り上った可能性だが、これ
に関する最大の状況証拠は(藤原宇合が関与していた可能性が極めて高い)、常陸風土記と
いうことになる。

宇合にとって中臣氏が常陸における権力者でもあったことを、中央に誇示することは特に問
題がないと思われるから、少しでもその様な事実があれば、当然記述したものと思われる。
しかし、常陸風土記における中臣氏の影は全く薄いと言わざるを得ない。

従って、国造層に中臣の存在が無いこととも考え合わせると、関東中臣氏が畿内本家の地位
に成り上がるような財力を有していた可能性は、かなり薄いと判断せざるを得ない。

とすれば彼等は、本家当主中臣鎌子と極めて血縁関係が濃い畿内分家出身者(蘇我入鹿と石
川麿程度の関係?)と想定するのが、最も蓋然性が高いのではないか。
ただし彼等を関東出身者とする後世の伝承も無視出来ないとすれば、逆に中臣氏が鹿島祭祀
官として関東に進出したのは、鎌子と同世代で近親分家であり、中央においても既知の人物
で容易に鎌子と成り代わったか、一時有力後継者を避難させていたか、分家の逸材を本家養
子としてむかえたか、等の可能性もありうるだろう。これ以上は現時点では判断できない。
(以上です。さらにつづく。)



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談山神社で・・ 投稿者:千波子  投稿日:04月23日(日)11時17分05秒

きんたろうさま、みなさま。こん@@@。

土曜日は、いいお天気だったので、今年最後のお花見に、吉野奥の千本に行ってきました。
ついでといっては何ですが、多武峯の談山神社に寄って、帰りに明日香の小原にも寄りまし
た。お分かりだと思いますが、鎌足さんの墓所、鎌足さんの生誕の地、そして母大伴夫人の
墓所です。

談山神社は、ちょうど満開の桜が散り始めたところで、風が吹く度に花吹雪につつまれ、十
三重塔が霞んで見えたほどでした。ちょっと好い雰囲気でしたよ。

神殿の前で、みんなで大織冠さまのお噂をしてるんですよ、と申し上げたら、暇だねえと笑
っておられました。そこで大織冠さまは、本当に小原でお生まれになったのですか? 父上
の御食子さまは? と伺いましたが、

「人の何処より来たり、また何処へ去りたるかは、我等凡愚の知るべきに非ず。」とのお答
えでした。合掌!

>>春日氏から祭祀権を奪った?春日大社ではコヤネ(この場合祖神?)よりもタケミカヅチの
>>ほうが上座で祭祀されていましたよね。これはどういう事なんでしょう?

このご質問については、4/20にもうしあげたつもりだったのですけど。

「だから、神武東征の後に物部氏が大王家の軍事権を任されていれば、軍神フツヌシ等を奉っ
てそれに祖神を合祀し、藤原氏に軍事権が移れば、軍神タケミカズチ等を奉り、これも祖神
を合祀したのではないでしょうか?  こうすれば、春日神社は単なる藤原氏の祖神神社で
はなくなり、国家守護の神社になりますから。」

つまり、コヤネが主神では、天皇家の奉斎を受けるのは、ちょっと憚られますよね?
軍神タケミカズチならば、国譲りの主役であり、神武の危難を救った神ですから、何憚ること
もありません。藤原氏こそ国家の軍事権をにぎる氏族であることを天下に宣言し、かつ祖神に
も併せて天皇家の奉斎が受けられるのですから、一石二鳥では???

なお、春日神社は、当初からタケミカズチを主神として創建され、祖神コヤネは後に中臣の宗
廟である枚岡神社からむかえていますが、もともとの枚岡神社にタケミカズチを迎えたのは、
春日神社より数十年も後のことだったそうです。
P.T.Aによれば、これはある意味では枚岡神社は私社、春日神社は公社の性格を持っているこ
とを示しているとのことです。 (つづく・・・)



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あんなこと書いた後だけど 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月23日(日)01時15分39秒

今日の「サイエンスアイ」で,人類の細胞に共生している遺伝子から,
人類の起源を探っている研究室が紹介されていました。

そのウイルスのDNAのタイプは30種類くらいあるそうで,
どの国も多くて3種類のハイブリッドなのに,
日本だけは9種類という驚異的な混ざり具合だそうです。

北九州から関東にかけては,朝鮮と長江下流と同じだそうです。

出雲は,東山陰を飛び越えて,新潟,東北と一緒でした。

不思議なのは,秋田,山形にかすかにヨーロッパ型が入り込んでいる事でした。
これは驚きでした。

この手の事は情報が多くなるほど,分かったような分からないような気になりますね。
う~~ん私の情報も当てにならん。

縄文系は酒に強い!これを条件に加えよう!!



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縄文?弥生? 投稿者:Toshy  投稿日:04月23日(日)00時37分04秒

>卵型の頭に、一応二重瞼、東南アジア系に似た顔

源さんお初にレスを致します。90%縄文(笑)のToshyです。
もちろん明確な区切りってのは、血が混ざり合っている現在ではないのでしょう。
縄文の特徴は、
・丸顔
・目が大きい
・彫りが深い
・鼻が高い
弥生は
・うりざね顔
・目が細い
・のっぺり(?)顔
・鼻は低い
らしいです。もっと詳しい特徴がありましたが、忘れました。
東南アジア系とくれば、縄文に近いようですね。
Toshyは通訳のアルバイトをした時シンガポールかフィリピンの留学生だと思われて、
日本人のおばちゃんに握手を求められました(笑)



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風邪気味なので 投稿者:きんたろう  投稿日:04月22日(土)23時50分57秒

すが、適当に寝たり起きたりしています^^;;
昨日は微熱があって早退してしまいましたが今日は昼から近所の結婚式に出席のため飲みまくって
しまいました。
結婚相手の出身が島根県なのには驚きました。

ところで過去ログ13、14をアップしました。
そのまま載せてあります。



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12345 投稿者:きんたろう  投稿日:04月22日(土)23時37分45秒

とは縁起がいいですね^^
トップページに戻ってみます。

MAKOTOさん、パチンコよりはずっと良いと思います^^
結果を見に行きますね。



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あと9人でアカウント数 投稿者:源さん  投稿日:04月22日(土)21時26分41秒

12345になりますね!さー、誰がGetするかな?

弥生系、縄文系の顔って、よくわからないのですが
卵型の頭に、一応二重瞼、東南アジア系に似た顔で、亡きジャイアント馬場と同じハト胸の、
私は弥生系なんですか、縄文系なんですか?

ところで、日本人がモンゴル系統の血をひいている証拠は、前歯の後ろが雪かきなどの時に使う
シャベル(スコップ)状になっているという話を聞いたことがあります。モンゴル人も皆、前歯
の後ろがシャベル状になっているそうですが、これはアジア人でもモンゴル系統だけだそうです。



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こんばんは 投稿者:MAKOTO  投稿日:04月22日(土)21時03分59秒

きんたろうさん、ウンズの、違う、ウインズの感想、助かります。
きょうのイベント、面白かった。悲喜こもごもありました。
良いものも発見しましたよ。はて興味ある?

http://www.kawamata.co.jp/



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ミトコンドリア  投稿者:きんたろう  投稿日:04月22日(土)19時51分52秒

DNAについては昨年NHKで放送されていましたね!!
ちょっとハッキリはしないのですが朝鮮半島系、中国大陸系を合わせても絶対多数(51パーセント)
を占めてはいなかったように記憶しています??
(半島系、大陸系を合わせることはちょっと乱暴な気がします...^^;;)

あの時テレビを見た感想としては日本人とは血液的にまさに究極的な(バランスがとれた)ハイブリッド
だな思った記憶があります。
例えるならば「けんちんそば」か「チャーハン」と言ったところでしょうか??^^

一方韓国のデータを見ると、一つの系統が過半数を占めていたように記憶しています。
その結果からすると韓国人の方が遙かに日本人よりも純血度が高いようです。

日本人が朝鮮人による過去の影響力説に対して反発を覚える??のはミトコンドリアDNAの結果
から見て分かるように彼らが数の上から見ても絶対多数を占めているわけでは無いにも係わらず
如何にも大多数であるいう論陣を張っているところにあるのではないかと思っているのですが...??^^



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^^ 投稿者:きんたろう  投稿日:04月22日(土)19時37分22秒

変な日本語の文は推敲してみます



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氏神と祖神の違いは? 投稿者:勇者ロト  投稿日:04月22日(土)19時22分50秒

千波子さん、こん@@は。こちらこそ千波子さんのような博識な方とお話でき
る事は大変勉強になります。このような場を作っていただいたきんたろうさん
に感謝ですね!

どうやら、私が読み違いと早とちりをしてたようですね。

祖神(アメノコヤネ)と単なる氏族の守護神(武甕槌)=機能神?である氏神とでは、
意味が違うということですね?

なるほど、確かにそうですね。記紀解説の古代史本などを読んでいると氏神
タケミカヅチと祖神コヤネという明確な分け方をしてないのでどちらも中臣
氏から祖神として扱われていると思っていました。

でも、もう一つ疑問が残ります。春日氏から祭祀権を奪った?春日大社では
コヤネ(この場合祖神?)よりもタケミカヅチのほうが上座で祭祀されてい
ましたよね。これはどういう事なんでしょう?

春日大社が宗廟的(個人的?)なものでなく、国家的な大社だったから幾ら
スポンサーとなった藤原氏でも自らの祖神を上位にもってくるのは憚られた
からなのでしょうか?

または国家鎮護の観点から、自らの祖神よりも葦原中津国の平定の神話に
因んだ武神タケミカヅチを主宰神とし春日大社自体の社格を高くして、そ
の上でコヤネを合祀し藤原家の威を天下に知らしたという事なのでしょうか?

どういう理由で藤原氏はタケミカヅチを氏神としたのでしょう?

朝廷が大きな意味での氏族連合体であるのならば、その傘下である中臣氏も
全国に祭祀官僚を輩出し、氏族が広がっていく中で、その勢力を守るため各
地の有力地方氏族と婚姻を結び、同盟し畿内中臣氏を頂点とする中臣氏を名
乗る朝廷の子会社的な氏族連合体を形成していったとは考えられないでしょうか?

その地方の子会社的な中から、関東のタケミカヅチを特に信奉する勢力が、
本家の畿内中臣氏が崇仏戦争により勢力減退する中で中臣氏連合の中で財力
的に台頭してきたからこそ、中臣氏全体の地位を守るための期待を中臣氏族
の主流だけでなく傍系諸氏族からも推戴されれば、血縁の濃い薄いは関係が
ないような気もします。

何より、鎌足以前の中臣本家に近い血筋は崇仏戦争で物部氏側についたこと
で朝廷内での伝統的発言権は低下していたのではないでしょうか?

これを挽回し中大兄皇子のような皇族に近づくためには、何らかの経済的成
功を背景にしていたからではないかと思い、関東の鉄資源に深く関わってい
た可能性のある関東在地中臣氏の台頭を妄想してみました。

鎌足当時の国造は物部氏・神八井系でしたか、でも国造と実権者は必ずしも同
一ではなかったかもしれませんよね?

と、ここまで書きこんでなんですが、妄想もネタが尽きてきたようです。

血縁関係のない地方氏族に畿内中臣氏が乗っ取られたという言い分は撤回
させていただきます。この点は無理がありすぎると自分でも思ってたので
すがちょっと面白おかしく解釈すぎたようです。

ただ、中臣も地方の支配地において経済的貢献をしたものに対して優遇措置
として、畿内中臣本宗家の一員として地方から血縁のものを引き上げてきた
可能性も捨てきれません。

藤原姓を賜ったとき、一端は中臣氏全体が藤原氏を名乗ったにも関わらず、
後に不比等の方から願い出て、中臣氏という氏族名を復活させたとものの
本で読みました。本当なのでしょうか?

もし本当なら、どうして中臣氏を復活させたのでしょう?
旧家名に対する愛着なのでしょうか?それとも同氏族で祭祀と政治を
独占するための策なのでしょうか?

千波子さんは、どう思われますか?

http://kigaru.gaiax.com/home/dragon_suplex20c



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勲ロ 勲ロ (。_。 ) ( 。_。) 投稿者:月子  投稿日:04月22日(土)18時44分27秒

あら(^^;;; きんたろうさん、頭が痛いのですか?
↓を見て・・・。風邪かな?
早く、よくなるといいですねぇ。お大事にしてくださいねm(__)mペコ



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やっと 投稿者:きんたろう  投稿日:04月22日(土)16時29分45秒

戻ってきました。
今日で連続3週間土曜日がつぶれてしまいました^^;;
さすがに疲れがなかなか抜けなくなっています。
ちょっと熱っぽいのですがこれから寝れば月曜日には回復すると思います^^



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縄文 投稿者:Toshy  投稿日:04月22日(土)09時10分10秒

安部さん、あたしゃあ間違いなく縄文です(笑)
SMAPでは、くさなぎつよしは弥生系、なかい、キムタク、かとりは縄文ですね。



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すみません。m(__)m↓ 投稿者:乙姫  投稿日:04月22日(土)02時31分45秒

 出来るだけ=出来るだけ早く、の間違いです。ごめんなさい。(^^ゞ



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写真。 投稿者:乙姫  投稿日:04月22日(土)02時29分53秒

常連の方々、こんばんは!(すみません、お名前たくさんあるので・・・)(^^ゞ

写真についてなのですが、出来るだけその聖徳太子の記念碑?みたいなものを
撮って来ますね。
kituno−iさん、私のHPで、新たに送って下さった写真のページを作成している
最中です。もうちょっとかかるかな?有難う御座います!
それと、千波子さんのお話しも、非常に興味がある話題ばかりで、目がらんらんとして
しまいます。よく分からない部分が多々あったので、ちょっとずつ調べながら読んでいる
始末ですが、大変参考になりました。これからも色々と教えて下さいね。

色々と返事が遅れてますが、必ず出しますので、無礼な奴だと思わないで下さいね。

また楽しみにしてます・・・・・・!!(^O^)/

http://www09.u-page.so-net.ne.jp/zb3/tatibana/



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無駄ではなかった? 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月22日(土)01時28分07秒

一人だけピントがずれていてまことに申し訳ないです。

最近やっと勉強に身が入るようになりました。
3年前からこの気持ちが持ていれば・・・とも思いますが,
この3年間ウロチョロと迷わなければ勉強する気にもならなかった・・・とも思います。

そう考えて,無理矢理合理化しています。



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平城京遺跡に立って思った事 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月22日(土)01時11分57秒

今の地方に住む日本人は(特に西日本)
東京に対してなんとなく偽りの街といった感じを持つじゃありませんか。
私も平城京に対して,そのような感情を抱いたのです。
(多分感情移入のし過ぎ?あるいは千年前の人々の感情が乗り移ったのかも)

先の意見は岸田秀という心理学者の説を,私なりにアレンジしたものです。
最近私はこの説に傾きつつあります。

日本人は,ミトコンドリアDNAによると,過半数が朝鮮系及び中国系だそうです。他の調査も同じようなことを言っている。
私達に流れる血の半分以上は,朝鮮,あるいは中国の血だと思います。
最近「私は縄文系だ」という人が多いけど,それは一種の朝鮮人と中国人に対する差別ではないか?
だって縄文系なんて,東北や南九州にしか残っていないのだろうから,と思うのです。
何故,皆堂々と「私は弥生系だ!」といわないのだろう・・・これは差別ではないかと思わざるを得ない・・・



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(無題) 投稿者:千波子  投稿日:04月22日(土)00時40分31秒

きんたろうさま、kituno-iさま、勇者ロトさま。。こん@@@。

日高見○○会社があるのですか? 不思議ですね。社長が常陸風土記逸文からお取りにな
ったのか、あるいは何かの地名痕跡があったのか? それが、お名前に残っているのか?
(それから、ご配慮いただき、ありがとうございました。)

ダイダラ坊のお話しは、子供の頃きいたことがあります。常陸風土記那賀郡の条にも、大
櫛(常澄村)の岡貝塚と大男のお話がありますね。常澄村って朝坊山周辺だったのかな?

ダイダラ坊を製鉄業者(タタラ)と結びつける説もあるようですね。概ね関東以北の伝承
で、東京都杉並区代田や北区豊島入間郡鶴ヶ島、八王子美山町にも大男伝承があるようで
す。またP.T.Aに聞いておきます。

それから勇者ロトさま、つたない意見に早速ご回答くださって、ありがとうございます。

ただ私の表現不足のせいだとおもうんですが、前回もうしあげた趣旨は、タケミカズチや
フツヌシは、どうかんがえても中臣氏や物部氏の祖神とは思えないということだったので
す。 だって、もしもタケミカズチが中臣氏の祖神だったら、記紀や神社縁起がそれを書
き漏らすなんて考えられないでしょう?

>>コヤネとミカヅチという両極端とも思える機能(?)を持った神を祖神とし
>>ているところ

ですから、ここでおっしゃっている「祖神としている」というご意見そのものに疑問をも
うしあげているつもりなのですが、勇者ロトさまは、どうしてミカヅチを中臣氏の祖神と
お考えなのでしょうか?

鎌足の父祖が、関東の出身ではないかという推測は、いろいろとなされているようですね。
P.T.Aもこれはありうるかもしれないっていっていました。
崇仏抗争で、中臣本家が衰退したので、関東の鹿島神宮に祭祀官として派遣されていた分
家から逸材を養子に迎えたかも知れないというのです。或いは中央の抗争をさけて関東の
分家に避難していたこともありうるだろうといっています。

でも当時の氏姓制度からみて、中央の名門貴族である畿内中臣氏(宗廟は枚岡神社)の氏
姓を、関東の別氏族が名乗ると考えるのは、やはりむりだろうと思います。全国の中臣復
姓諸氏もやはり支族ではないでしょうか?

ひょっとして畿内中臣家が関東の別氏族に中臣姓を認めていたとしても、そういった別氏
族の人が簡単に中央に進出できるとも思いません。また支族の一員としても、少なくとも
中臣本家と極めて密接な血縁を持っていた人物と考えるほうが、はるかに自然だと思うん
です。

ご存知のとおり、常陸風土記は藤原宇合が関与(記述)したとされていますね。
でも、中臣家が鹿島神宮の祭祀官として参画していたようなことは、書いてありますが、
関東の経営に関与したというようなことは、書いてなかったと思いますし、国造も物部系
と神八井系で占められています。
ですから、関東中臣氏という存在があって、それが関東経営の成功をバックに畿内中臣氏
を乗っ取ったと考えるのは、やはりむりがあると思います。

それと、同一氏族の中で特定の家系に別の姓を与えるのは、土師氏から菅原や秋篠が別姓
になり、藤原仲麻呂が藤原恵美の姓を賜ったように、天皇家の一種の優遇策ではなかった
でしょうか?
鎌足の弟達の家系は、後に中臣姓に戻っているのですから、鎌足の家系だけ必要がなくな
ったから中臣の名を返すという考え方も、むりがあるような気がするのですけれど?

よくわかりもしないで、生意気なことばかりいっていると、お叱りをうけるかも知れませ
んが、でも勇者ロトさまのような御方と勉強しながら意見交換ができて、とてもうれしい
です。



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私の 投稿者:きんたろう  投稿日:04月21日(金)23時53分35秒

場合はページ全体の作りとしてですが、見てくれた人が対象に興味を持ってもらえればと思い
ながら作っています。

でも何しろここは佐竹の発祥の地ですから(それも舞鶴城よりもさらに本貫の地)マニアックに
ならないようにセーブをしているところです^^;
そのような訳でマイナーな佐竹についてどの程度まで書いたらいいのか参考にさせてもらおうと
宮野州さんの所にはちょくちょく覗かせてもらっています。

藤原氏や平家などの名門が一気に全国へ広がった理由についてですがこれはセブンイレブンチェーン
方式(あるいはローソン^^)のようなものだったのではないかと思っています。

乙姫さんは写真をアップされたのかな??^^
>聖徳太子の記念碑みたいなものは
私も早く見てみたいです^^

源さん、こちらへ来るのは本当に久しぶりですね^^
寂しかったですよ(笑)

安部さん、がんばっているようですね!!
いろいろな可能性はあろうかと思いますが私は白村江の戦いとは最初の文禄・慶長の役ではないか
と思っています^^;;



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乙姫さん 投稿者:kituno-i  投稿日:04月21日(金)23時17分45秒

お役に立てて嬉しいです。
太子の「碑」について、もっと詳しく知りたいです。



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千波湖話 投稿者:kituno-i  投稿日:04月21日(金)23時15分22秒

むかしむかし、ある村の南に大きな山があってお日様を遮っていました。
朝は遅くて、夜がはやい。村人達は寝てばかりいたので、いつのまにか
その山を「朝寝坊山」と呼ぶようになっていました。
お陰で、村では作物が思うように取れません。

これではいけないと、村人達は集まって相談しました。
隣村にとても大きな体の力持ち、ダイダラ坊という人が住んでいました。
朝寝坊の村人達は、ダイダラ坊に「村に長い時間日が射すようにあの山
を動かしてください」と頼みました。

気は優しくて力持ちのダイダラ坊。
「よし、なんとかしてやっぺ!」と何と朝寝坊山を村の北側まで引いて
いってくれたのです。

それから、村には日がよく射すようになり、朝寝坊だった村人達も朝早
くから働き、農作物もたくさんとれるようになりました。

ダイダラ坊の動かした山は、今では「朝坊山」と呼ばれ、水戸市の北西
にあります。以前山があった場所には、水が溜まって「千波湖」となり
ました。ダイダラ坊の住んでいたところは「おおだら(大足)」と呼ば
れています。
朝坊山周辺は断層がなく、日本が沈没してもここだけが残ると言う説も
あるようです。

この話を元に数年前、絵本を作りました。

ダイダラ坊の巨像が国道51号線から見えるところに作られています。

この話、出雲の国引き神話の「八束水臣津野命」を思い起こさせます。
ダイダラ坊伝説は、全国にどれくらいあるのでしょうね。
千波子さんは、ご存じありませんか?



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千波子さん 投稿者:きんたろう  投稿日:04月21日(金)22時20分34秒

日高見〇〇という会社があるのを見つけました。
はっきり言って何の関係もないと思いますが...一応その付近の会社です??



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藤原氏編 投稿者:きんたろう  投稿日:04月21日(金)22時12分31秒

の続編や将門編の招請婚2の構想でもあるのですが肉体的系統と精神的系統とは別物ではないかと
考えています。
例えば将門は桓武天皇の5世の孫と紹介されていますがこれだけでは不十分だと思うのです。
つまり将門を起点に考えた5代前には桓武天皇と同じ血の濃さを持っている先祖が32名いるのです。
男性だけでも16名もいることになります。
これは生物として間違いのない真実です。
ところが何故この中から桓武天皇の系統のみがピックアップされているのかといえばひとえに
桓武天皇=貴種であるという一点に尽きると思います。
でも肉体的=物理的血の濃さは「思い」とは別の所にあるはずなのです。



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ようめさんへ 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月21日(金)12時46分20秒

メールでもお伝えしましたが、方言なら、このページが参考になると思います。

ふるさとの方言 〜方言ページの道しるべ〜
This page is created in 1995/6/19. URL is http://www.itl.atr.co.jp/dialect/
山本 和英 (株)ATR音声言語通信研究所客員研究員



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徳島で 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月21日(金)12時43分01秒

3世紀の石室が発見されましたね。大和盆地のものよりも古いくらいなやつが
こうなるともう何がなんだか分からなくなって、非常にいい感じです。



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最近古代に関してちょっと考えていること 投稿者:安部奈亮  投稿日:04月21日(金)12時30分25秒

勉強と本の編集が忙しくて、歴史のことまで頭が回らない今日このごろです。
ROMはしています。

壬申の乱の結果できた律令国家に関して、こんな像を思い描いています。

中央政府
天皇

上流貴族(日本在来の貴族)

実務官僚(百済の亡命者)

地方政府
国司、郡司など(日本在来の国造)

実務官僚(百済の亡命者)

民衆

というわけで、日本は百済の一種の植民地になったのではないかと・・・
(日本人が一番嫌がりそうな古代像です、まあ私は意地悪ですので・・・)
日本古来からの貴族で生き残ったのは、天皇家と藤原氏だけ。
奈良時代から平安時代にかけて、古代からの豪族は没落して、新しい領主階級が出てきますが
その新しい領主階級(やがて中央からの没落貴族と合体して武士になります)
は百済の亡命者の末裔ではないか、と考えたりしています。
つまり、奈良時代以降の日本史の主役は百済人(朝鮮人)。
「日本」という概念も、藤原氏と百済人が都合よく造ったもので、
それをなんとなく承服できないから、
日本人はこれほど古代史にこだわるのではないか?と妄想しています。



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能登の「こわい」 投稿者:源さん  投稿日:04月21日(金)04時37分00秒

久しぶりの登場です。きんたろうさん、たびたび私の掲示板へのカキコありがとうござんす!
(時々見てましたが、古代史弱いんでながめてました。あと最近あまり勉強してないんで(^^) )

たいした話ではありませんが、能登では、堅いことを方言でコワイといいます。
例えば、なかなか、かみ切れない食べ物などあると「この○○コワイのおー」と
言ったりします。



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写真と掲載について 投稿者:乙姫  投稿日:04月21日(金)02時47分57秒

早速の写真を、kituno−iさん、どうも有難うございました。
HPに貼らせていただきますね!ほんとにどうもありがとう!

先ほど母から電話があった時に、そう言えば聖徳太子の記念碑みたいなものは
まだあるの?と聞いたら、まだ庭のすみに置いてあるそうなので、今度撮って来ますね。
その時、色々と判断して下さると嬉しいな。ではまた!

http://www09.u-page.so-net.ne.jp/zb3/tatibana/



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千波子さん 投稿者:勇者ロト  投稿日:04月21日(金)01時46分56秒

原田説については中途半端な説明ですみませんでした。

中臣氏という氏族は、早い段階で同族だった(?)忌部氏らと共に関東(常陸)
に地盤をもっていたように見えるのですが、コヤネとミカヅチという両極端と
も思える機能(?)を持った神を祖神としているところがなんとなくこの氏族
がもつ二面性を表現しているようにも思えるのですが(藤原氏との分離からも
そう思うことができると思います。)、本来の中臣の祖神はコヤネだけであり、
ミカヅチは東北征伐に乗り出した時に新たに加えられた神のような気もします。

以下妄想です。これについてご意見いただけないでしょうか?

関東中臣氏と畿内中臣氏とは根本は違う氏族であったのが、大和朝廷の関東進
出により、何らかの政治的事情のため婚姻を結ぶかどうかして同族として大和
朝廷に仕えることとなった。もちろん畿内中臣氏優位の関係でです。

それが、関東経営の成功(常陸の製鉄事業の発展など)により立場関係が逆転
する事となり、関東中臣氏の祖神であったタケミカヅチが春日大社に勧請され
アメノコヤネを祖神とする畿内中臣氏固有の権益(朝廷の祭祀官僚としての)
を乗っ取り、朝廷の重職につく権利を手にいれた。とは考えられないでしょうか?

つまり、関東中臣氏は新興の地方豪族の色彩が強かったのでは?という事です。

そして、大王家と婚姻を直接結べるようにまでなった藤原不比等の時代になる
と古代から続いた大名跡「中臣」は必要なくなって畿内中臣の血筋のものに、
祭祀官僚としての中臣を返した。という妄想はどうでしょう??

やっぱりトンデモ???

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/index.html



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今晩は 投稿者:宮野州  投稿日:04月21日(金)01時00分36秒

度々当サイトにおこしくださって有難うございます。
方言のお話しが出ていたのでちょっと一言。

私の母の実家(母方の祖父母)が栃木の矢板市に住んでいるのですが、
祖母が「こわい」をよく使ってました。
最初は何が「恐い」のかよく分かりませんでしたが。(笑)
あと、雨戸のことを「とんぼ」とか言ってました。
何で昆虫が出てくるのか分かりませんでした。(笑)
ちなみに祖父母とも健在です。(最近全然会ってないですが・・・)



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乙姫さん 投稿者:きんたろう  投稿日:04月21日(金)00時06分28秒

良かったですね^^
それにしてもkitunoさんのデジカメは役に立っていますね!!

方言と言えば「こわい」を疲れると言う意味で使う地方が茨城以外にもあるのでしょうか??



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乙姫さん! 投稿者:kituno-i  投稿日:04月20日(木)21時41分57秒

ごめんなさい!!
メ−ルチェック、今しました!



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乙姫さん 投稿者:kituno-i  投稿日:04月20日(木)21時31分34秒

私にメ−ルをくださいますか?
デジカメの写真を返送させていただきます。
女性名を使って乙姫さんを口説くような怪しい人物ではありませんから、
ご安心を。私のことは、きんたろうさんが保証してくれますよね。^^;

美人といえば、光明皇后。
光明皇后といえば、橘三千代ですよね。
橘三千代は、不比等の目に止まるような才色兼備だったに違いありません。

三千代はご存じのように最初は敏達天皇の曾孫にあたる美努王に嫁して、
二男一女をもうけています。
その後美努王と分かれて不比等に嫁ぐわけですが、どうも美努王が筑紫
大宰率として九州に赴いている間に不比等との関係を深めていったよう
です。^^;;

三千代は、文武の乳母として後宮に仕えていたので、不比等の先妻の子、
宮子の入内に三千代の推挙があったのは確実だと思われます。

三千代の先夫の子に橘諸兄(従一位左大臣)がいますが、後に藤原仲麻呂
により失墜され、あらぬ密告を受け辞任。失意のうちに没したことは、皆
さん、ご周知のとおり。



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千波子さん 投稿者:kituno-i  投稿日:04月20日(木)21時04分51秒

>生意気なことばかり申し上げてしまいました。kituno-iさまに議論を
ふっかけているのではありませんので、ご理解くださいね。

はい、わかりました。
生意気なのは、私です。ごめんなさい。(-_-;)



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お願いがあります 投稿者:ようめ  投稿日:04月20日(木)17時16分29秒

私は高校の放送部の者です。実はお願いしたいことがあります。
今度、我が放送部は方言についてラジオ番組を作ろうと思っています。
ですが、図書館の本だけでは、必要な情報を見つけることが出来ませんでした。
私たちだけで見つけるのには限界があります。ですので、茨城県の方言を専門としている人に
教えていただきたいのです。
お忙しい中、大変ご迷惑なことと思います。ですが、お願いしたいのです。
もしも、ご迷惑でなかったら私にメールを送って下さい。
お願いします。



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祖神と物神では? 投稿者:千波子  投稿日:04月20日(木)12時37分20秒

勇者ロトさま、こん@@@。

私のつまらない疑問に対して、とてもご丁寧にお答えくださって、ありがとうございました。
率直な感想なんですが、はっきりとした根拠をお示しにならないで、自由に仮定をひろげら
れておられるようですね。
P.T.Aは、ある程度古代史に関する知識があれば、てきとうに伝承を組み合わせたり、こじ
つけたりして、こういった説を創るのはじつに簡単で、ガクモン的コウサツとは無縁のもの
だといっていました。

でも、学問的な価値とは別のものとして、面白いことはたしかですよね。私はトンデモ説的
読み物として割り切ったうえで、それなりに楽しむのも一つのありかたかも知れないと思っ
ています。これからもいろいろな説をご紹介ください。

神社の祭神を考えるに当っては、おおまかにいって、先祖信仰による祖神、地域信仰による
土産神、禍福信仰による物神を考えておけば良いと思うんです。

これらは、勿論まざりあっているのでしょうが、物部氏にとってのニギハヤヒやウマシマチ、
中臣氏にとってのアメノコヤネ等は祖神だと思います。これに対してトヨウケ(イナリ)や
タケミカズチ・フツヌシは、農業神であり軍神であって物神(いいかたが変ですね。機能神
がいいかな)だと思います。
もともとタケミカズチ・フツヌシは、武器の象徴であって、天孫族と出雲族の抗争における
軍神だったのではないでしょうか?

だから、神武東征の後に物部氏が大王家の軍事権を任されていれば、軍神フツヌシ等を奉っ
てそれに祖神を合祀し、藤原氏に軍事権が移れば、軍神タケミカズチ等を奉り、これも祖神
を合祀したのではないでしょうか?  こうすれば、春日神社は単なる藤原氏の祖神神社で
はなくなり、国家守護の神社になりますから。

フルは、ミタマ(御魂)フリ信仰によるものだと思いますが、祖神ニギハヤヒと重なる部分
があるかも知れませんね。鹿島や香取に軍神が祭られていたのは、東北経営における軍事基
地(武器庫)だったからだと思っています。
そして藤原氏は軍事権をにぎったことを象徴的に示す意味で、これを春日神社に主神として
遷座し奉ったのではないでしょうか?

この意見は、大体P.T.Aの受け売りですが「アリキタリノ・ぐじゃっぺ」っていわれちゃう
かな?



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トップページ 投稿者:きんたろう  投稿日:04月20日(木)12時24分42秒

のメニュー欄から勇者ロトさんのホームページへダイレクトに行けるようにしました^^

Toshyさんの書かれている「偉大な一般ピープル」に注目しています^^ 



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ロトさんのところ 投稿者:Toshy  投稿日:04月20日(木)11時44分47秒

にリンクをはりました。
なお、また漂流民のことを続けています。
自分に小説を書く能力があれば、とつくづくおもう。
HPでやるよりは活字として発表できるものを。。。。

http://village.infoweb.or.jp/~fwjd2293/hyoryu.htm



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