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出雲国譲りの真相 6


岩戸事件前段

火神子(トヨタマヒメ)は阿蘇の麓の山都で火の神に祈りを捧げていた。火神子の周囲には女達がはべり、火神子の唱える呪文を復誦していた。ここは男子禁制の神聖な岩戸である。二つ大岩の間には穴があり、その奥深くが地の底につながっている。その有り様はまさしく女陰を彷彿させている。その大地の子宮ともいうべき穴の奥の広間に巫女達は車座になり一心不乱に祈っていた。


車座の中央の祭壇には山を模した火がたかれており、その周りを火神子が神懸かりになり躍り舞っていた。祈りの儀式が終わろうとしていた。火神子の神懸かりの舞は最高潮に達した。一瞬祭壇の炎が洞窟の天井を突き上げるように垂直の火柱を作り上げた。と、その時洞窟の入り口付近に控えていた侍女が慌てた様子で祭壇の広間に小走りにやってきた。


「ひ・ひみこさま」 と祭壇の前にかしづいている火神子に掠れた声をかけた。使者との接見は、熊本平野の海岸沿いが一望できる本陣の高楼でお互い五人づつという出席者で行われた。菊池日子は、使者の男のいう事を聞き、あっけにとられた。捕虜の返還と占領地の支配権とを交換条件に和議を結びにきたとばかり思っていたが、オモイカネの使者だというこの男は恐ろしい計画を事もなげに提案してきたのである。


男は吉備のツヌガアラシトだと名乗り、伊都のタカミムスビ・オモイカネ親子と吉備のツヌガアラシトとの間で計画されたヤマタイのクーデター計画を菊池日子に打ち明け、協力を申し込みにきたのだった。


計画とは、まずタカミムスビが火神子に引退をせまり、大和の大物主の娘モモソヒメを新しい火神子として向かえ、そのうえで火の神への信仰を日の神への信仰に変えさせるというのが大筋である。もちろん、火神子(トヨタマヒメ)がすんなり引退するとは思っていない。殺すつもりなのだ。


狗奴国での信仰の変換は、男王火神子(卑弥狗呼)の死(寿命)によって起こった混乱を収めるため、後押しを受けていた呉の大将軍諸葛挌からの命令で祭祀を改めたのである。呉という大陸の大国の抑えがあったため抵抗らしい抵抗もなく改める事ができたのだ。どうしても受け入れられない部族は未だに霧島を崇めている。いわば火と日両方を崇め、火の神の上位に日の神を置いただけにすぎない。だからこそたいした混乱もなかったのだ。


それを、ヤマタイでは大陸の圧力も利用せず変更しようとしているのだ。かつての大国で筑紫島最北端にある奴国の火山派はだまっていまい。彼らが先祖から受け継がれた祭祀を守るため蜂起するおそれもある。菊池日子は、しばし沈黙した後腕組みをしたままツヌガアラシトに向かい問い掛けた。「もし、こちらが断ればどうする」 ツヌガアラシトは不敵な笑みを浮かべ答えた。「失礼ながら、狗奴国には選択権はない。火神子さえ討ち取ればヤマタイはタカミムスビの物、従わなければヤマタイ・大和・そして吉備を敵に回すだけじゃ。いくら盛強な狗奴国とて三国が手を結べば敵ではない。なんならここに連れてきた韓半島のつわものと一戦交える覚悟がお在りか?」 とツヌガアラシトは菊池日子を挑発した。


「何を!十騎ばかりの手勢しか連れておらぬくせに、我らの軍に勝てるつもりか!」 菊池日子は気色ばんだ。「あれをごろうぜよ」 とツヌガアラシトは西に広がる海岸を指さした。そこには吉備の水軍が舟を寄せ、兵が次々と上陸しはじめていた。その数は夥しく、狗奴国軍を上回っているようだった。菊池日子は言葉なく西の海を見詰めていた。「さあ、どうする菊池日子。従わねばここで一戦交えるのみ、お主の兵はヤマタイとの戦でくたびれておるであろう。我が軍は伊都の港で一休みしてからやってきた。どうあがいても貴様には勝ち目がないであろう?」


「はかったな!アラシトよ。」 と、菊池日子は狼狽しながらも剣に手を掛けた。その時菊池日子の手元の剣を隠すように、ツヌガアラシトと菊池日子の間に小男がわってはいった。小男は菊池日子を押し止めツヌガアラシトに話し掛けた。「さすがですな?出雲に漂着してからほんのわずかな間に吉備、瀬戸内の大王におさまっただけのことはございますな。見事な策略でござる。」


おどけた調子で話し掛けてくる小男に憮然としながらもツヌガアラシトは答えた。「そなたは何者じゃ?いきなり話しにわってはいるとは無礼であろう!」「いやー、これは失礼した。わしはあなた様にけちらされた淡路の王の一族、ヒルコともうす。以後お見知りおきを。」ヒルコは、菊池日子に向かい、「ここは、軍を退くべきです。まだ外にも策があるでしょう。我らにしても宿敵火神子を始末できるという利点もあります。菊池日子様、ご英断を。」といいながらも、こちらにも策があるといいたげな態度で菊池日子の決定を促した。


「よし、ここはいったん南へ退こう。アラシトよもし約を違え、退却する我らを背後から襲おうとはすまいな」「何をおっしゃる。我も吉備の大王約は違えませぬ。おとなしく退却してくれるというなら、ここに連れてきておる我が子、吉備津日子を質としましょう。」「わかった。我が方もしかるべき質をいれよう。我が弟隼人だ」 こうして、狗奴国は兵をひいた。熊本平野の最南端まで後退し、ここを新ヤマタイとの境界線としたのだ。 そのころ、山都の火の神の洞窟にはヤマタイの長老から委託されたタカミムスビの子オモイカネが火の神の託宣を頂くためにやってきていた。岩戸の周辺は男子禁制の聖地であるため、オモイカネの一行は途中にある安川の河原で待機するように言い付けられていたが、しびれを切らし岩戸の入り口まで上がってきていた。