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出雲国譲りの真相 7


岩戸事件後段

洞窟の入り口でオモイカネは、たった一人で見張りをしている巫女に、「火神子様に急用ができたので託宣が終わり次第、至急面会したい」という要望を伝えた。しかし巫女は、神事の最中というのを理由に断った。オモイカネは巫女の対応にいらだったが、諦めたように引き下がった。しかし巫女が オモイカネに背を向けた瞬間、腰にさげた伊都国王の象徴でもある鉄剣「伊都の尾羽張」で巫女の背中に切り付けた。


巫女は背中に傷を負いながらも、岩戸の奥、火神子 の居る広間へと逃げだした。傷を庇いながら逃げるその姿は、まるで踊りを舞うかのようであった。オモイカネは巫女の血を吸った鉄剣を高く天に向かって差し上げ、叫 んだ。 「我が為す業は、我が為に非ず。日神、我に命じたのだ。臆する事はないぞ兵共よ。今こそよこしまなる火の神の使い火神子を打ち倒し、日の神の下、新たなクニを造る のじゃ。手力雄よ、あの巫女の流した血の後を追い火神子に止めを刺すのだ。急げ!」


あまりの事に、オモイカネの護衛のために付いてきた手力雄はしばし茫然と立ちすく んでいたが、オモイカネの命に呼応して連れてきた兵を率い岩戸の奥を目指し駆け出 した。手力雄率いる兵は、血の後をたどり広間へと進んだ。たどり着いた広間には、巫女達 が火神子を守るように取り囲んでいた。火神子は現れた手力雄を悠然と眺めゆっくり とした口調で問い掛けた。


「伊都で一番の猛者といわれる手力雄とは汝のことか?何をしに男子禁制の神前に現れたかは知っておる。我が命が欲しいのであろう?タカミムスビとオモイカネの命であろう?火の神の導きによりこの日が来るのは分かっておった。しかし汝には我を殺せまい。手力雄よ、オモイカネをここへ。」 手力雄は、火神子の威厳に思わず後ずさりしてしまった。しかし、心の奥の「おそれ」を振りほどくように火神子に斬り掛かった。


火神子はその切っ先をあざ笑うかのようにかわし、手力雄に火を吹き掛けた。手力雄は、火から逃れようとしてつまづ き、巫女達の前に倒れ込んだ。「そなたには用はない。オモイカネをここへ呼びなさい。」火神子の凛とした態度に気圧された手力雄は、転げ出るようにして洞窟の入り口に向 かって逃げ出した。兵達もそれに続くように走りだした。火神子は、背に傷を負った巫女に抱き起こし、手当をするように巫女達に命じた。さ らに一人の巫女を呼び付け出雲への使いを命じた。


「よいか、出雲の大国主に会い伊都のオモイカネの行状を伝えよ。それだけでよい。火神子からの最後の便りじゃ。」と火神子は最後を覚悟したかのようだった。命じられたのは鳴女という出雲出身の巫女であった。鳴女は不安気にうなづいた。「必ず伝えよ。先年、質にした若火子(アメノワカヒコ)と穂火(アメノホヒ)を頼 ればよい。彼らは出雲大王のお気に入りじゃ。」鳴女は、入り口とは反対にある抜け道から旅立った。巫女達は火神子にも脱出を勧め たが、火神子は受け入れなかった。ここで死ぬことを覚悟したのだ。


火神子は巫女達 を見送り、ただひとり祭壇のある火神の広前に立ち戻り火神への最後の祈りを捧げた。オモイカネは、手力雄と共に血のしたたる剣をそのままに握り、急ぎ足で岩戸の祭壇 までやってきた。背を向けたまま祈りを捧げている火神子の真後ろに立った。肩で息をしながら、伊都の尾羽張の鉄剣を大上段に振りかざし、ひとつ大きく息を吐いた後一気に火神子の肩口目掛けて振り下ろした。火神子は避けもせずその剣を身に受けた。祭壇の周辺一面に血が飛びちった。その血 はまるで燃え盛る火のように赤かった。肩から血を滴らせながら火神子はオモイカネ の方を振りかえった。


「オモイカネよ、我を亡き者にしてもこの国がそなたの思うがままになると思うな。民の心は火の神に靡いておる。火の神を奉るのは我だけと思うな。」「ええい、だまれ!」とオモイカネは更にもう一振り斬りつけた。火神子は全身を自らの血で染めながら途絶えながらも最後の呪文を火の神の祭壇に向 かって唱えた。そしてピクリとも動かなくなった。


オモイカネと手力雄は剣を手にしたまま、火神子の絶命を確認しようと近づいた。と、その時、火神子は急に立ち上がった。オモイカネ達はびっくりしてしりもちをついてしまった。火神子は、「我は阿蘇の火の神なり。そなたらに我からの贈り物を進ぜよう」とだけ言い再び祭壇の前に倒れこんだ。すると火神子の血が飛び散った所から勢いよく火が巻き起こった。火神子の体は火にまかれ見えなくなってしまった。入り口も火に覆われ逃げ道はふさがれてしまった。オモイカネ達はその火から逃げ惑い、長い間洞窟の中をさまよった。やっと抜け道を 探し出し表に出たがそこも火の海となっていた。阿蘇が火を吹いたようだった。更に火に追われるように逃げ、たどり着いたのは阿蘇の麓の岩戸から遠く離れた豊の国宇佐であった。


豊の国は邪馬台の西にあたり邪馬台国連合の西端の拠点となり、宇佐は 瀬戸内海航路の出発点でもある。ここの港には伊都国の直属部隊が駐屯していた。オモイカネ達は宇佐の駐屯地に逃げ込んだのだ。 阿蘇の岩戸は火にまかれ、入り口は崩れてわからなくなっていた。逃げ遅れた兵たち は火の中に飲み込まれた。助かったのは手力雄と二・三人の兵とオモイカネだけだった。邪馬台国連合の女王火神子は、伊都国の兵を道連れに永遠に火の中に消えてしまっ た。これが、邪馬台国連合の乗っ取りを画策したオモイカネや伊都国王タカミムスビにも思いもよらなかった邪馬台国連合解体への道のりの第1歩であった。