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国生み神話に出てくるイザナギとイザナミの宮には「天の御柱」という巨大な柱がたっていますが、これは出雲を代表とする日本海側の地域に多い「巨木信仰」という信仰を連想させます。
巨木信仰とは読んで字の如く大きな木を神格化した信仰なのですが、弥生時代後期つまり出雲王朝の成立時期とほぼ同じ時期に広がった信仰で、従来畿内地方にはみられないとされていた信仰です。
出雲のオオクニヌシは国譲りに際して、「底つ石根に宮柱ふとしり、高天原にひぎたかしりて治めたまはば・・・」
と言って、天にも届く宮柱のある壮大な宮をオオクニヌシの宮殿として建てる事を引き換え条件に指定して、国譲りを受け入れますが、これは巨木信仰の顕われでもあるのです。
スサノオもオオクニヌシを出雲の主として認める言葉の中で「底つ石根に・・・」というせりふを言っています。これはスサノ
オの時代から巨木信仰は出雲に根づいていた事の顕われだと思っています。
つまり巨木信仰は、国津神すなわち大和朝廷以前に日本を支配していた神神の祭祀の内の一つなのです。
という事は、イザナギとイザナミも大和朝廷以前から日本で信仰されていた神であるといえると思います。大和朝廷は、国津神の祭祀は取り入れませんでしたが、神の名は自分達の神話に吸収したのです。
しかし巨木信仰は、現代にも連綿と受け継がれています。信州は諏訪の諏訪大社に祭られている神の名はタケミナカタノカミつまりオオクニヌシの御子神とされている神です。この神社で今もおこなわれている「御柱祭」がその名残なのです。
大和朝廷の成立が推定されるのは三世紀の終わり頃つまり古墳時代と呼ばれる時代です。しかし近年大阪の
「池上曽根遺跡」において、巨木信仰の流れの中で造られたと思われる環濠集落が発見されました。
この遺跡の柱は諏訪大社の柱に負けない程の大木でした。この遺跡は紀元前一世紀頃のものと測定されています。従来の畿内にある弥生遺跡とくらべても相当おおきな環濠集落で、祭祀のためのスペースも設けられていたと推測されています。
大和朝廷以前に畿内地方に巨木信仰をもった勢力が存在していた証拠になるのではないかと推測しています。