2000/8/8



杜子春の世界へ10(神仙世界)


今から3000年以上も時空を遡った古代において黄河流域では既に古代文明が花開いていました。黄河文明とは世界の四大古代文明の一つとして数え上げられているくらいですから、この地域が地球規模で見ても非常に恵まれた自然環境を有していたであろう事は容易に想像がつきます。そしてこの地方の中心地の自然は更に恵まれていたのです。この度合いが群を抜いているが故に中原と呼ばれていたのではないでしょうか。しかしそれでも当時の中国大陸に生きる人たちにとっては日々の暮らしとは不安との戦いであったように思っています。


中国においても他の古代文明発祥の地と同様に原始的な宗教は存在しています。しかし、他の大文明と比べるとどうてしもインパクトが小さく感じられます。それは壮大な叙事詩的神話に欠ける為ですが、その理由とはこの地方の恵まれた度合いがそれだけ大きかったという事の証明なのかも知れません。


宗教とは一般には超自然的な力やそのような存在に対する信仰とそれに伴う儀礼や制度の事をいいます。つまり神または超越的絶対者に対する畏怖の念がそこには存在するのです。これは卑俗なものから分離されて神聖なものとされます。ちなみに宗教の原始的形態にはフェティシズム、精霊崇拝、動物崇拝、天体崇拝、自然崇拝、トーテミズム、シャーマニズムなどがあります。また、これらはお互いにいくらか重なり合う観念でもあります。これらは基本的には自然の生気化や非人格的な超自然的な力、もしくは霊魂などの観念に基づくと言われています。


道教は古代中国においてアミニズム信仰に代表される原始的な自然宗教(のようなもの)から起こったものと見られています。言い方を換えれば道教とは様々な民間信仰の集合体と見ることも出来るとのではないでしょうか。当然の事ながら内容は複雑かつ雑然としています。しかし、道教はその形式と内容から見て儒教、仏教とともに三教の一つとして数えられているのです。これが宗教的な組織と体裁を持つ成立道教と呼ばれるものです。一方では教団のような体裁を持たない古くからの信仰や行為というような宗教というよりは迷信に近い??民衆道教というものも存在しています。


道教の成立史から見ると老子を教祖と呼ぶことは誤りであり特定の教祖を決めることは出来ないようです。また老荘思想である道家と道教ははっきりと区別する必要があるとのことです。


現世の幸福を追求する事や不老長寿を望むことなどはいつの時代でも非常に人間らしい欲求そのものだと思われます。ここからは古代の中国に生きる人たちの活発な命の鼓動が聞こえてくるような気がします。生に対する熱い思いこそが古代中国大陸で生きる人たちを理解するキーワードのように思っています。これこそが道教の原動力の様に見えて来るのです。


道教は神仙説を中心にして形成されていると言われています。しかし、勿論そればかりではありません。道家、易、陰陽五行説、卜筮、巫祝、讖緯説、天文学、占星術、儒家などの説、方術や呪術までも結合していると言われているのです。これからは間口が広すぎて捕らえどころがないファジーな印象を受けてしまいます。これらの要素のほとんどが現代人の目からは迷信のよう見えるとしても不思議ではありません。しかし、当時における最先端の科学と認められていたとしてもまた不思議では無いと思っています。道教とは人間が生活を営んでいく上での悩みや不安、あるいは生きるための希望などおよそ考えられるものを全て飲み込んだものだと思うのです。ですから混沌しているように見えて当たり前なのです。


前漢末の頃から仏教が中国に伝わり始まりました。古くからある民間の雑多な信仰や呪術、方術などが完成された宗教である仏教に刺激と影響を強く強く受けました。やがてこれらが組織されて宗教集団の様な形をとっていったたものと見られています。つまり仏教の組織や体裁に倣って宗教的な形にまとめあげたものが成立道教と呼ばれるものにあたるのです。具体的には太平道と五斗米道と呼ばれる教団がこれに相当します。これらは道教の源流にあたると見られています。内容としてはお札や呪いによる治病が中心でした。この時点ではまだ神仙説や道家の思想ははっきりとは現れてはいないようです。


※参考

●フェティシズム

宗教学では呪物崇拝、偶像崇拝と訳されています。宝石、金属片、文字、図像などの自然物や人工物を問わず持ち運びできるほどの物体に超自然力が宿るとする信仰のことです。


●精霊崇拝

精霊とは事物の中に宿り自由に遊離することができると考えられる人格的な霊的存在のことです。事物から全く分離し無関係な存在となることはできないとされています。事物は自然物、人工物を問わないとされています。精霊を崇拝するのはアニミズムに属しますが特に精霊崇拝とも言われています。


●自然崇拝

自然物や自然現象を崇拝対象とする宗教形態です。厳密には天地、日月、山川、風雨、雷火などを対象とするものに限られ人間の手が加わる動植物や岩石などは除かれます。対象をそのまま崇拝する場合とその背後に神霊を認めて崇拝する場合とがありますが狭義では前者に限定されています。


●卜筮

古代中国で行われた占いの方法で亀卜(きぼく)と筮竹(ぜいちく)によるものの併称です。


●巫祝

神に仕える者のことです。神に仕えて神楽を奏して神慮をなだめたり神意を伺て神おろしを行いなどする人です。


●讖緯説(しんいせつ)

「讖」は謎による予言で「緯」は陰陽五行説や天文による経書の解釈です。後漢末から六朝に道教と習合して盛んになりました。神秘的な傾向をもっています。日本に古くから伝わり「甲子革令」「戊辰革運」「辛酉革命」の説が日本書紀の紀年にも影響したといわれています。