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杜子春の世界へ9(神仙世界)


曹操や諸葛孔明に代表される三国志の英雄達は既にこの世を去っていました。三国志の時代は終わりを告げて新しい波が中国全土を覆う事になります。孔明のライバルだった司馬懿仲達の意思は三代もかけて達成されることになるのです。彼の孫である司馬炎は魏を乗っ取り(形式的には禅譲)武帝として晋帝国を築きます。そして後漢が滅亡して以来の中華の再統一に成功しました。


晋の統一とは魏・呉・蜀による三国鼎立による分裂の時代に幕を閉じるものであり、再統一された漢民族社会が訪れる様に思われました。しかし、もうすぐ北方からの民族大移動が大規模に行われることになるのです。歴史上経験したことのない大量の異民族の流入によって中国大陸全体が大混乱時代に突入すると言っても過言ではありません。隋によって再び中国大陸が統一されるのは約300年後になります。晋帝国とはこの大陸が麻のように乱れた時代の幕開けになるのでした。あるいは300年にもわたる年月が北方異民族と融合した新しい中国人を誕生させるのに必要な年月だったのかも知れないと思っています。


魏から晋の時代にかけて道家の無の哲学が流行し始めます。清談と呼ばれる機知に溢れた言葉のやりとりを通じた形而上学の議論に熱中することが貴族たちの間で流行しました。清談とは魏晋時代に盛んに行なわれた談論のことですが元々は後漢時代に政府が人材登用において重要な参考資料とした候補者の本籍地の評判のことを意味していました。 このように清談とは人物評論が主な内容でしたが次第に形而上学の話題にシフトしていく事になります。ちなみに道家的な形而上学の傾向は玄学と呼ばれています。玄とは老荘思想における微妙で深遠な理や道とのことですが、正直なところ深遠すぎて私には良く理解出来ていないのが残念です^^;;


つまり清談は人材任用のための人物論から玄学へと発展したとも言えるのです。玄学は儒教道徳による人工世界を否定してその束縛を脱して自由な自然へ帰ろうとしたと言われています。


後漢末には気節を尊んで清廉を重んずる官僚が多くなったと言われています。これは一種の浄化作用なのかも知れません??危機感は魂の良心を刺激するものだからです。彼らは宮中に大きな勢力を形成していた宦官と対立しました。宦官はこのような有能な官僚に迫害を加えたのです。166年には200余人が投獄されて169年には100余人が処刑されたとされています。これ以後は宦官に対抗する勢力は無くなり後漢朝廷内での彼らの横暴はますますつのりました。これが後漢を滅亡に導く大きな要因となったとされています。この迫害は党錮の禍と呼ばれています。


高節の志をもった者たちが党錮の禍の犠牲者として数多く殺された事が大きな無力感として官僚を筆頭とする多くの有能な人物たちの上を襲ったように思っています。それはこれ以降に達識の士の多くが山林に隠遁するようになる事から想像されてきます。彼らは礼節の束縛を棄てて琴を弾いたり酒を飲み明かしたりしたとされています。時事評論や人物評論などの議論をして日々を送ったとされています。「荘子」の解釈や言語論、養生論などが話題にされたようです。


隠遁者の代表的存在は竹林の七賢と呼ばれています。彼らは酒と音楽を愛して老荘の虚無を尊びました。逆に儒教の礼節はしりぞけたのです。これには当時の社会的不安からの逃避そのもののようにも見えてきます。また儒教の経学・訓詁学、偽善的汚濁への反発があったともみられています。彼らの思想と行動はのちの貴族社会に多くの模倣者を生んだのでした。