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訂正・推敲6/20



杜子春の世界へ3(隋の成立から唐初期について)


隋と唐の関係は秦と漢の関係によく似ているように感じられます。秦は中国大陸が春秋戦国時代と呼ばれる群雄割拠的に地方政権が並立している状態から強力な統一国家を樹立させました。一方隋は五胡十六国時代から南北朝に至る政治的混乱状態であった中国大陸を再統一しました。そして両王朝はともに極めて程度の高い黄金期を築くにも関わらず、わずか数代の短期間政権で終わってしまっています。これらはまるで双子のような歴史に見えてきます。そういえば両帝国はともに北方系の民族によって建てられた王朝という点でも同様でした。


彼らは短期間で滅亡してしまったため、また次の漢や唐が長期政権であったがために歴史的評価が不当に低かった様に見受けられます。しかし、秦の兵馬俑の発見に見られる様にその国力の高さは正当に評価されつつあるようです。再評価については隋についてもなされるべきだと思っています。


この様な歴史の流れと類似するパターンを日本史で探してみるとそれは極めて有名な出来事として現れています。豊臣家から徳川家へと移る歴史の流れは正にそれに当てはまるのではないでしょうか。これらは類似と言うよりも酷似していると言った方が適切なように思います。


ちなみに隋の煬帝と唐の李淵は母親どおしが姉妹に当たりますので従兄弟の関係になります。これは秀吉と家康が義兄弟であることにまで比定する事が出来るかも知れません。もしくは壬申の乱の天智天皇、天武天皇の関係にも当てはまるのかも知れません。


さらに北周を起こした宇文氏から見ると隋公と唐公はともに配下の有力な武将でしたからこれはまるで信長から見た秀吉と家康の関係にそっくりです。さらに蛇足ながら文帝は側室をおかなかった事でも有名ですが、江戸幕府二代将軍秀忠も愛妻家(恐妻家??^^;;)だったことまでも同様でした。


戦国時代(地方政権が並立した群雄割拠の時代)を統一する事から国譲りに至る過程というものには「歴史的王道」があり、それは極めて似たような事象として民族や状況の変化を越え、さらには時空さえも越えて現れる普遍的なものかも知れないとの思いに捕らわれる時があります。「異なる状況の中でも相似た事件が起こるであろう」とツキジディスは言っていますがこれは正に正鵠を得ていると思っています。


このようなよく知られた歴史的事実をパターン化していく作業が歴史学として未来予測に役立つのである、とは昔からよく言われています。温故知新や彰往考来などはそのための言葉のようです。しかしそればかりではないと思うのです。この法則は私たちが曖昧にしか知る事の出来ない古代にも適用されるのではないかとさえ思っているのです。予測するベクトルを古代へと向ければ曖昧にしか分からない歴史的な流れも推測する事が可能ではないかと思っています。