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杜子春の世界へ6(隋の成立から唐初期について)


当時の朝鮮半島に目をやるとここは三国時代に相当しています。すなわち北に高句麗、南に新羅と百済が鼎立していたのです。日本とこれら三国との関係はそれぞれ地理的な近さから見ても相当深かったことが容易に想像されますが実際その通りでした。


三国の中では北方の高句麗が最大勢力を誇っていました。高句麗とはツングース語系諸族の中の扶余族によって建てられた国と言われています。事実この高句麗の領土を見ると朝鮮半島北部の国というよりは現在の中国東北南部から朝鮮半島北部に勢力を持った国であるとの認識の方がより正しいような気がしています。つまり朝鮮人の国ではなく正に満州族の先祖が建てた国という印象を持つことが出来るのです。高句麗とはつまり現在の北朝鮮の領土にプラスしてさらに北側には現在の中国側の領土が二倍以上もある北方の強国だったのです。


彼らは中国の扶余県付近から移住してきたのではないかと見られています。ツングース語系諸族とはシベリアから現代の中国東北部にかけて広く分布する民族の総称です。彼らは主に狩猟・漁労・採取・トナカイ飼育等を主とするいわば半農、半狩猟の生活をしていたと見られています。さらにツングース系民族には漢代以降の鮮卑族、唐代の靺鞨族、契丹族、宋代の女真族、満州族などもこれに含まれています。また、ツングース=満州語系の民族の名前の中にはナーナイ族、オロチ族、ウリチ族、ウデへ族、ウィルター族などの各部族がありました。ここで出雲の神話にも深く関わってきそうな名前を見つけることが出来るのはとても楽しいものです。


しかし朝鮮半島に伝えられる文献とは最古の物ですら1145年になって編纂された三国史記しか存在していないのです。これは日本では鎌倉時代に相当します。つまり文献としては相当貧弱なものと言わざるを得ないのです。また、かなり時代が経ってから書かれたものですから歴史的な資料価値としては当然の事ながら低くなってしまいます。つまり朝鮮半島の歴史の姿を正しく後世に伝えているのかについてはかなり疑問視されているのです。


もう一つの歴史書には1280年頃に編纂された三国遺事があります。これには古代の歌が14首採録されています。朝鮮の古代歌謡の研究のための価値が非常に大きくて新羅の古代の言語資料としても重要だとの事です。しかし僅か14首しか記録されていない程度ですから万葉集と比べると資料的価値の重みとしては雲泥の開きがあると思います。


中国を再統一した隋の威光は東アジア全域に及ぼうとしていました。正に漢民族の理想が鮮卑系の皇帝の下に中華として実現したのです。日本は隋の実力を十分に認識しつつも対等外交を目指しました。しかし高句麗だけは例外だったのです。