目の裏に張り付いた晴れの空に抵抗するように目蓋を強くもんだ。ガラスの向こうは、もう海なのだか空なのだか分か らないほどの眩さで目を突き刺す。それを拒んでみても光は幾度となく目蓋を通して虹彩をしつこく叩いた。それを嫌っ てテラスから席を室内に移してみてもそれは変わりない強さで目を苛んだ。 一人取り残されてしまったレストランで、こんな風に朝から何をやっているのだと自らを貶めるようなことを考えなが ら、それはそう違ってはいないのだという事実が一番身にこたえる。 とにかく、今ここで何か揉め事があれば自分は喜んで加勢してしまう。親しい仲にあるこのホテルのオーナーでさえ、そ の娘や妻でさえ今の自分を止めるには至らない。 今の自分を止められるのは、世界でただ一人だけだ。 そう考えてなんという体たらくだ、最悪だと、自分を忌々しく思いながら、それでもそこまでしなければ手に入らないよう なものに、迂闊にも手を伸ばしてしまったのだという自覚はあった。 それは今に始まったことではない無謀ではあったが、昔から自分はこうなのだと思えば今更腹も立たなかった。 好きだと言った。その後、もう一度あの体を抱いた。抵抗はなかった。 それでも結局、あの男を落とすには至らなかったという事だ。 朝から散々な目にあって、それでもその対象から関心を切り離せない哀れな自分を装って、気持ちを落着かせるの は簡単だ。でも、後で虚しくなること請け合いだ。 テーブルの上に放置したままの、冷え切ったコーヒーを眺める。取り替えようかと声を掛けてきたボーイには無言で拒 否の姿勢を通した。それでも嫌な顔一つしない社員教育に舌を巻く。 本来であれば、自分のような胡散臭い客など入れたくないのが本音であるのに、いつの間にかこのホテルの常連客に なってしまっている。 それは、本当に奇妙な感覚だった。 あの日。刑務所から出所した日。自分の手の中には何もなかった。ほんの一時間後のことでさえ、自分の物ではなか った。どうでもよかった。そんな時、金を貰った。その代わりに人を二人ほど始末する。正当な取引だった。いや、相場 で言えば幾分買い叩かれたのかもしれないが、それさえもどうでも良かった。ただ、その時はそうすると決めたのだ。何 かが決まっていると言うのは、悪くないと言うことをその時初めて知った。明日がある。目的がある。悪くない。 思えば自分は目的を求め、求めてここまできたのかもしれない。流れ着く、と誰かが言った言葉を不意に思い出し、本 当に自分はそんな風だと少し笑いたい気分だった。 そんな風な自分が、こんなところで、こんな風に悶々と朝から堂々と悩んでいる。 ボーイは行儀よく、遠巻きに眺めているだけだ。 その上、考えているのが、恋慕している男のことだなどと、一体誰が予想しえただろうか。 全くもってほんの数瞬間後の世界さえ、自分のものではないのだ。 自分の心ひとつ侭ならないというのに、時を自在にしようなど、全くもって不道徳としか言いようがない。 とにかく、こんな風に一人で考えていたところで、何の進展も得られはしない。 思い立ったが吉日と、坂井はキツク両目を手で揉んでから勢い良く立ち上がった。 朝から苛立ったせいか、それとも徹夜のせいか酷く痛む目をどうにかこじ開けながら、まばらに人の散る大通りを足 早に歩いた。車は自宅に置いて、下村の家への道を急ぐ。普通に歩けば5分。この調子で行けば、2分と掛からないだ ろう。通りすがりに覗ける商店の大半は昼の騒がしさに身構えているか、その静けさに安らいでいるのかどちらかで、 人待ち顔なのかただ眠いだけなのか判断の難しい顔をしている。それを横目に先ほどの続きのように下村の事を考え ながら、どうしてもっと穏やかな気持ちで接することが出来ないのだろうかと思った。 こんな風に無駄な言い合いや、争いをしたいわけではないのだ。ただ、他愛もない話をしたり、傍にいてまどろんでい たいだけなのだ。しかし、だからといってその様に思う気持ちを打ち破っているのはどちらかといわれれば一方的に下 村の情緒のなさを責める気にはなれない。嫉妬深く追い討ちを掛けてしまうのは自分の方だ。それでも所謂恋人の関 係でいることを望んでいる者が、どうして他の者のところへ脇目も振らずに向かってしまうのを快く許せるだろうか?少 なくとも自分はダメだ。見ない振りも寛容も、容易にはできない。人よりも嫉妬深いつもりはないが、それでもこれくらい の独占欲を見せても、それほどに愚かではないはずだと思った。 考えが深くなるにつれ早まる歩調に、そのまばらな通行人が不思議そうに振り返ったところで坂井が気づくはずもな く、そういったどこまで行っても一直線な性格が、大きく災いしているなどと思うはずもなかた。 |