happyweekend 〔plug〕




「お疲れさん」
 シャワーを浴びて部屋へ戻ると、先に済ませていた下村がビールを投げてよこした。ホテルは普通のツインなのだが、部屋の作りは広く取ってい
るらしく二つ並んだベットの足元はもうひとつエキストラベットが入れるように大きく場所が開いており、空間を空けてソファセットが置かれ、ベットの
足元と平行になるように大きくくり抜かれた嵌め殺しの窓があった。ホテルの正面は駅で、向かい合わせの場所には高層の建物が無いので覗か
れる心配も無く、おかげでベットに横になると星空が良く見えた。
 下村は手前のソファに座り浴衣に隠した足を組んで一人、グラスに注いだビールを飲んでいた。下村はあまり缶から直接ビールを飲んだりはしな
い。全くしない訳ではないが、あまり好きではないらしかった。
「安見、喜んでたな」
 下村が呟いた。こちらに背を向けているので表情は分からなかったが、何となく想像は出来た。
 開け放したカーテンの向こうに、澄んだ夜空が覗いている。それをもっと良く見たくて、坂井はギリギリまで絞っていた明かりを全て落とし、下村
の向かいに座った。
「ああ、あんな風に無邪気にしているのを見ると、ほっとする」
 本当に、心からそう思う。ビールをぐいぐいと流し込みながら坂井は思った。
 あの小さな女の子が、あの小さな体で受けた傷は、自分たちでは計り知れないほどに大きかったに違いない。それでもそれを飲みこんで、今あ
の子は笑っている。それが痛々しくも切なく、例えようも無いほど尊かった。
 血のつながりなど無くとも、安見は大切な妹だ。たとえ何者であっても、あの子をこれ以上傷つけるのは許さない。あの、愛らしい笑顔を守るため
なら、たとえ何をしても悔いは無かった。
「…そうだな」
 窓の外を見ながら、ちょっと微笑んで下村は呟いた。しかしそれは短い間のことで、フト沈鬱な表情が微かに浮かんだ。それは安見を思ってのも
のではないと何となくわかった。。たとえ今こうして目の前にいるのが自分であっても、下村の中に浮かぶ顔は、恐らく坂井ではなかった。いい加
減その痛みに慣れなければと思うものの、中々上手くいかない己の不器用さを心中で笑って、胸の痛みを紛らわすかのように苦い刺激を喉に放り
込む。それでも結局は、胸の痛みに勝るものなどあるはずもなかったが。
 飲み干して缶をテーブルに置き、顔を上げて下村を見ると、下村もこちらをじっと見ていた。
坂井はテーブルに付いた手をそのままに、じっと下村の目を見たまま体を乗り出しくちづけた。その間も目は閉じず、下村もまた軽く伏せはしたも
のの、目を閉じはしなかった。
「なあ、お前の中、俺でいっぱいにしてえよ」 
 そっとくちづけを解き囁いて、唇の触れる近さでじっと目を見据えた。下村はその言葉を考えるように黙ってしまい、その唇に触れるだけのくちづ
けを啄ばむ様に繰り返した。
 ただ単に、率直な体の欲求と取られても良かった。恐らくはそうなるだろうと。
 でももし、下村が気づいてくれたなら。
 卑しい自分の試す心を知って、それでも尚答えてくれたなら。
 今度は目を閉じ、黙ったままのその唇に深くくちづけ、舌を絡める。苦くビールの香りが残る口内を余さず味わい、舐め尽す。下村は少し苦しそう
に喉を鳴らした。
 もし答えてくれたなら、もう何もいらないのに。
 名残惜しい気持ちで、そっと離れて左から月を浴びる下村を正面から見た。
 呼吸も侭ならなかった苦しさからか、目許は潤み瑞々しい漆黒の色を湛えていた。頬は微かに上気し、滑らかな白の上に微かながらも朱を刷い
ている。そのあまりの愛しげな様子に、危うく理性を失いかけて、坂井は僅かな理性で踏みとどまった。
 下村が数度息を整える間に瞬いて、今にも零れんばかりに湛えられた淡い雫が目許を湿らせている。そうしてそれを指先で緩く拭うと無言のまま
立ち上がり、ゆっくりと浴衣の帯を解いた。
 それを無言で見つめて、息を呑む。
 薄布の下、月明かりの中で下村は何も身に着けていなかった。
「俺の一体何処を見て、お前は言う?…お前以外に誰がいる」
 ひゅっと喉が鳴った。
 下村は目を細めると、優雅な動作で浴衣を足元に落とした。
「…俺だけだ」
 坂井はもはや押し止めるものなど何もないことを悟りながら、震えそうになる声を必死に絞り出した。そうして忙しなく波打つ鼓動と覚束ない呼吸
を持て余し、転げそうになる勢いでテーブルを回り込み、咎められる事を恐れる子供のような慄きを持って下村を腕に収めた。下村の体は酷く冷え
ていて、今にも震えださんばかりの痛々しさで坂井の胸を痛ませた。

  果たして正しく返された答え。それだけでもう十分だった。

「お前の中には、俺だけだ。俺の中にも、お前だけだ」 
 そう、信じる。お前がそう言うのなら。
 今度こそみっともなくも震えてしまった声を誤魔化すように、下村の首筋に顔を埋めた。
 嘘も虚構も真実さえも信じないお前がそう言うのなら、俺はそれを信じよう。今この瞬間にお前の中に俺しかいないというのなら、俺はそれを信じ
たいと思う。
 信じたいと願う。
 抱きとめた体を少しだけ離し、じっと下村の目を覗き込んだ。闇を湛えたその色に、嘘はない。
 下村は、嘘を言わない。全て、心の決めたままに。 
 だからこそ、自分は下村の言葉を欲しがったのだと今、分かった。
 シンとした目でこちらを見据える下村の目に、微笑んでから目を閉じてくちづけた。下村もそれに今度は積極的に答えてくる。その甘やかさに酔
いしれながら、坂井はとめどなく溢れ来る感情をこれ以上せき止める必要はないのだと思った。
「っはあ」 
 角度を変えて何度も繰り返されるくちづけに、先に音を上げたのは下村で、気づいた坂井が慌てて開放すると幾分か早くなった呼吸が頬を掠め
た。しかし苦しい呼吸の中でも下村の目は妖しく閃き、坂井の鼓動を悪戯に早めた。
「んっん…」
 言葉もないまま、今度は下村の方から与えられたくちづけに、穏やかならざる胸騒ぎを抑えながら答えると、忙しない指先が坂井の浴衣の背を
辿り、腰を捕らえて素早く前の袷に辿りついては帯の結び目を解き放った。もう、自分のものなのか下村のものなのか分からない荒い呼吸の中で
もパサリと落ちた帯の衣擦れが響き、袷からスルリと入り込む下村の手の滑らかさに、坂井の肌は強烈な欲情にあわ立った。そのまま確かめるよ
うな動作で腹を探り脇を通り羽織ったままの浴衣に手を差し入れて直接に坂井の背を抱きしめ、下村はやっとほっとした素振りでくちづけを解い
た。そのまま直接に合わさった肌が既に焼けるような熱を身の内に飼い始めたことに気づいて、坂井はうっとりと下村の首筋に噛み付いた。
 それを無言のうちに受け止めている下村はゆるりと手を彷徨わせ、正しく坂井の感じる場所を確かめるように触れていく。それに煽られるままに
興奮を強めながら、坂井は乱暴にならない動作で下村の剥き出しの腰に自分のものを押し付けた。
「すごい、お前の中に入りたい。だめか?」
 坂井は幾分か情欲を抑えた声で囁いた。
 明日も強行軍を通すことを考えれば、坂井の側から無理強いは出来ない。辛い思いをするのは下村だからだ。坂井とて最大限のフォローをする
が、下村はかなりの無理を強いられるだろう。
 このまま欲しい気持ちは強かったが、ただ体が満たされればいい訳ではない。それでは意味がないのだ。
 しかし当の下村はちょっと目を瞠ってから目許を緩め、微笑んだ。
「お前でいっぱいにしてくれるんだろ?」
 そうして坂井の手を取って、見せ付けるように指を口に含んでねっとりと舐め上げる。ゾワリと背中を快楽の痺れが走った。
「俺の中に誰がいるか、好きなだけ確かめるといいさ」
 眩いほどに差し込む月光が、きらりと目の奥で閃いた。








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