ハートじかけの音楽


6


















 柔らかく触れる暖かな感触に目を覚ました。
 目を開いた途端に入り込んだ光の瞬きに目が眩む。何度か馴らす様に瞬きを繰り返すと、漸く虹彩が慣れたように
開き始めた。
「おはよ」
 声の方を仰ぎ見る。青空を背に、エースがこちらを見下ろしていた。
「・・・エース」
 エースはかすかに笑って、ゾロの額に触れていた指で優しく髪を梳いた。
 大学の一角にある、芝生の上に大きく影を落とした大木の根元が、ゾロの昼寝の指定席だった。
 建物の配置の関係で人通りは少なく、でも物騒なほど閑散とはしていない。
 何事か不都合があれば自然と目を覚ます性質のゾロだったが、不用意に眠りを妨げられるのは遠慮したい。
 そういう意味では、構内でここほどに条件を満たす場所は無かった。
「ここだって聞いて」
 それはつまり、ゾロに会いたければここへ来ればいいということだ。誰に聞いたのかは知らないが、ゾロの友人知人、
教授の類は全てゾロの行動パターンを把握している節がある。誰がエースにそれを教えたとしても、不思議は無かっ
た。
 ゾロが目を覚まして尚、エースはその手を止めず、穏やかな仕種は再びゾロの眠りを誘った。学生でもないエースが
わざわざ大学まで訪ねて来るからにはそれなりの用があるからだ。
 ゾロはくっつきそうになる目蓋をどうにか開いて、じっとエースを見上げた。
「・・・眠い?」
「いや・・・」
 そっと笑う顔が、青に映えて目に眩い。それを眠りの前兆と見たエースが、喉の奥で小さく笑い声をたてた。
「眩しいだけだ」
 言い訳の様にそう言って、ゾロは手を翳して何度も繰り返して目を擦った。
 エースからすれば日陰の草原だが、目覚めたばかりのゾロに青く茂った草原に反射する光も目にきつい。
「そうか」
「で、なに?」
 ゾロはよっと勢いをつけて体を起こし、髪に散った小さな葉っぱを頭を振るって落としながらエースに目をやった。
 その仕種に、エースは眩しいように目を細めた。
「何か用があるんだろ?」
 あの日の朝に別れたきり、エースとは顔をあわせていなかった。と言っても、風来坊のエースは何時も何処かへふら
りと居なくなっては半年や一年帰ってこない事がざらだと以前ルフィが言っていたので、それを思えばこの再会は比較
的早いものだと言えるだろう。
「ん?ん〜、ん」
 どうにも歯切れの悪い物言いは珍しい。帽子の縁を指先で押し上げては新緑の葉の囀りを見上げ、考え込むような
仕種で何度かそれを繰り返した。
「・・・答えを聞こうと思ってね」
 背後から吹き付ける風が、突然にざわりと木々を騒がせた。
 あてもなく彷徨っていた視線は、何時の間にかゾロの元へと戻っていた。
「俺と、結婚する気はあるかい?」
 本気だった。そんなことは、目を見れば分かる。
 存外真面目な男である。
 幾分茶化した言い草は、全てゾロへの配慮のためだ。 
 一瞬にしてそれが分かり、ゾロは知らず息を詰めた。
 その様子に、エースは少しだけ困ったように笑い、俯いて手ごろな草をぷちぷちとむしった。
「俺はお前に、そんな顔をさせたい訳じゃないんだよ」
 瞬く間に手元から飛び立ってゆく小さな葉の欠片達を見送りながら、颯爽と上げられたエースの顔には、先程浮かべ
た表情は既になく、あのいつもと変わらない不敵さと、太陽の様に堪らない魅力を秘めた清々しい笑顔を浮かべてい
た。
「お前を困らせたいわけじゃないんだ」
 不意に伸ばされた手が、柔らかくゾロの頬を擦った。いまだ嘗て、ゾロはこれほどまでに優しく自分に触れる人間を知
らない。
 何かあっては結局暴力でしか物事を解決出来ない自分に、こんな風に触れた初めての人間がエースだった。
 初めてエースと会った夜も、下らない理由で揉め事を起こし、全身を苛んで一人部屋で寝ていたゾロの元に、ルフィの
兄を名乗るエースはこちらの警戒心を気にも留めずに平然と入り込んだ。それ以来、ゾロはエースを拒めたことが一度
もなく、何故かと問われれば分からない。理由など初めからないのかもしれない。ただあの時、そっと額に触れた冷た
い指先や、深く柔らかな視線が無意識のうちにゾロの中に入り込み、拒めないものとして決定付けてしまったのだ。
 だから本当なら、エースがゾロを「欲しい」と本当に言うのなら、ゾロはそれを拒めない。
 あんな風な不意打ちでなく、始まりがこんな場所であれば、その場で即答していたかも知れない。
「困ってなんか、いねぇよ。俺は」
 言った途端、何故か息が苦しくなった。偽りを言っているわけでもないのに、胸が苦しい。上手く息が出来ない。
「なんで、なんでそんな風に言うんだ?俺は何も言ってないのに」
 詰問するような口調は、動揺しているからだ。頭の隅で冷静に指摘する。
 エースはまた、困った様な笑みを浮かべた。
「お前が優しいヤツだって、俺は知ってる。俺のことちゃんと考えてくれてるのも。でも、それじゃダメなんだ」
「エース」
「俺はお前の絶対無二にならなくちゃぁ、意味なんてないのさ」
「エース、俺は・・・」
 そっと笑って、エースはゾロの言葉を立てた指でそっと塞いだ。唇に触れたエースの指は長くて冷やりとしている。何
時だって冷たい手足は、ゾロを少し切ないような気分にさせた。
「お前は俺の特別だけど、お前の特別は他に居る」
 そう言って、もう一度優しく笑った。
「お前は気付いてないだけだ」
 その一瞬、そう、本当に一瞬だけ浮かべた笑顔を忘れない、とゾロは思った。
 こんなにも儚い笑顔を、忘れられる訳がないと思った。























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