ハートじかけの音楽


女王様曰


















「聞いたわよ」
「何が」
「結婚するんですって?」
 ゾロは危うく口元まで持ち上げていたコーヒーの紙カップを、オムライスの上にぶちまけ損なって慌てて両手でそれを
持ち直した。






 その日は朝から天気も良く、ゾロは学生食堂の中でもお気に入りの場所を早くも陣取り少し早めの昼食を摂っている
ところだった。
 目の前に腰掛けるなり挨拶もそこそこに、そう切り出したのはナミだ。
「・・・お前、どこでそれ・・・」
「昨日の喧嘩」
「・・・・・・」
 ゾロは親の敵の様に目の前のオムライスを睨みながら、口の中で呪詛の言葉を呟いた。先程まで上機嫌だった眉の
辺りが見事に渋面で曇っている。
 ナミはそれに漸く合点がいったのか、抱えたままだった鞄を脇の椅子に降ろして頬にしなだれかかった髪をかきあげ
た。
「承知の上じゃ・・・ない訳だ」
「当たり前だろうが!」
 咄嗟の声が余りにも大きくて、ゾロは慌てて口を塞ぎ、浮かしかけた腰を乱暴に落とす。一方のナミはそれに動じる
気配もない。全くなれた素振りで頬杖をついた。
「どういう経緯かは知らないけど。あんな騒ぎはいただけないわね」
 放っておけば、どこでだって始めかねないもの。
 そう言ってナミは、少しだけカップの中身を飲んだ。
 あの二人の喧嘩をただの兄弟喧嘩と侮ると、酷い事になる。
 現に廊下の床は抜け、ゾロの部屋の扉は蝶番が吹っ飛び、おまけとばかりにドアノブは何処かへ行ってしまって見つ
からない。ウソップが嘆くのも当然だった。
 その上騒音はナミの安眠を妨げた。
「・・・すまねぇ」
「いーえ」
 そう言ってナミはにっこりと綺麗に笑って見せた。ガラス越しに射しかかる陽の光に映えて、柔らかな頬が緩く撓んで
いる。それに幾分ゾッとして、これは後から多大な損害を受ける羽目になるかもしれないと思いつつ、ゾロは額の辺りを
手首の内側で強く擦った。
「あいつら、なんて?」
 改めて聞いても、きっと気分を余計に落ち込ませる事になるのは分かりきっている。だがそれでも気になるものは仕
方がない。ナミはいつの間にか広げた紙に何か書きつけながら、んん、と曖昧に返事を返した。
「?何書いてんだ?」
「次の時間、レポート提出なのよ」
「珍しいな、お前がこんなギリギリに」
「・・・私のじゃないもの」
「・・・そうか」
 どうやら他人のレポートで小銭を稼いでいるらしい。金稼ぎに余念のない年下の友人のつむじを見ながら、ゾロは小
さく息をついた。
「ゾロは俺のもんだ。結婚なんか許さねぇ」
 一瞬意味を把握しかねておし黙る。しかしナミの中では当然話は繋がっているので、手元のレポート用紙から視線を
外す事無くそのまま続けた。
「俺とゾロはもう夫婦同然だ。お前の出る幕じゃねぇ」
 棒読みのナミの言葉の中に二人の顔が見えた気がした。ゾロは益々ぞっとして肩の辺りを無意識に手で擦った。そ
れでもどうにも寒気は引かず、手元に置いたままのコーヒーを一口飲んだ。
「・・・何、あんた。エースにヤラれちゃったの?」
「??!!」
「きゃあっ!何やってるのよ!」
 憤慨してナミは立ち上がった。今書いたばかりのレポートを慌てて避難させる。テーブルの上は今ほどぶちまけたゾ
ロのコーヒーがじわじわと侵略図を広げていた。
 先程どうにか守られたオムライスが、見るも無残にコーヒーに沈んだ。
「な、何をっ」
「だってエースの口ぶりからして、デキちゃったのかしらと思って」
 ナミの無言の圧力に、すごすごとテーブルを拭くゾロの頭の上にまた突拍子もない言葉が降りかかって、ゾロはその
顔を見上げて絶句した。
 自分を古いタイプの男だと思った事はなかったが、やはりこんな風に若い女性が言うのはいただけない。
「何?」
 大概ナミも意地が悪い。ゾロの考えなどお見通しのくせに、そんな風に業と言葉にせよと急かすのだ。
 それが時たま億劫だとゾロやルフィなどは思ってしまうのだが、ナミやウソップなどに言わせれば、それこそが怠惰の
罪だと言うに違いない。
 確かにゾロとルフィとが何かにつけ通じ合っているようなところを見せれば、それが不愉快だと言って憚らないナミだ
けれど。
「・・・なんもねぇよ」
 懸命にテーブルを拭くふりでどうにかやり過ごそうとするのだが、ナミがそれを見逃す訳もなく、さっさと他の席でレポ
ートでもすればいいものを、ゾロの正面で拭き終わるのを大人しく待っている。それを面倒だと思う反面、自分に対して
そんな態度をとる人間は貴重なのだと思い返せば腹も立たず、出るのは溜息ばかりだった
「何も無くて、エースがあんなこと言うかしら」
 ゾロや弟のルフィの知らないところでエースとナミがどんな会話をしたかは知らない。だが明らかに事の顛末を熟知し
ているような口ぶりに、ゾロは咄嗟に目を上げると、途端ににやりと笑ったナミと目があった。
「ほらね?」
 そう言って今度は朗らかに笑ってナミは座りなおすので、ゾロはいい加減観念してふきんを放り出した。
「お前が言う意味では、なんもねぇよ。本当に」
 腕を組んで座りなおす。おざなりに放って置かれたオムライスは深い琥珀に沈んだままで、まるで今の心情のようだと
ゾロは思った。
「だって、朝まで一緒の布団で寝てたんでしょ」
「・・・お前、一体何処まで」
 知っているのだと言葉も続かず、息を飲んだ。
 しかしナミは平然とした様子で再びレポート用紙を広げてその上に目を落とす。俯いた顔に流れた髪がかかって表情
が上手く隠れるのはわざとか無意識か。どちらにしろナミはいつもこんな風に手の内をなかなか見せないので、ゾロは
結局いいように翻弄されてしまう。そしてナミはそんなゾロを知っていて楽しんでいるのだった。
 容易に先を続けないナミをじっと見る。
 陽の中でキラキラと光る髪や、柔らかなラインで模った顔は飛びぬけて美しいと言っても言い過ぎではない。そういっ
たものにあまり興味のないゾロでさえも、その意見に同意するのもやぶさかでない。
 しかしナミの本当の美しさは、そういった外見上のものでなく、霞むことのないその内に秘めた鮮烈な逞しさにこそあ
るのだとゾロは思う。
 ナミがそういった内面の美しさを見せる時、ゾロは本当にナミを綺麗だと思うのだ。
 だからきっとあいつは、それが分かっているから他の女とは違った意味で、大げさなほどにナミを褒め称えるのだな。
 普段は下らないたわごとだと聞き流しても、時として驚くほど的確に相手を計った事を言う。不意に浮かんだ男の顔
に、ゾロはナミに気づかれないようにそっと舌打ちした。
 目の前の光に映えるオレンジ色の髪よりも、もっと眩く光る髪を知っている。
 こんなにも自分の中にその存在を植えつけている脳裏の影に、自嘲が漏れた。
「どこまでもないわよ。だって、きちんと布団に入って寝ろって言ったの、私だもの」
「・・・は?」
 自己防衛の為に意識のそれていたゾロに、容赦のないナミの雷がそっと降りかかった。
 胸の前で組んだ腕が、ずるりと外れた。
「まさか本当にきちんと二人して寝るとは思わなかったから、私、面白くって暫く傍で眺めてたの、覚えてないんだ」
 今度は楽しそうに目を細める。まるで猫のような仕種に、ゾロはあっけにとられてあんぐりとバカみたいに口をあけて
絶句した。
 ナミは相変わらず手元から顔を上げることはない。
 それなのにペンの先は何時までも同じ所を行ったり着たりと進む様子もなかった。
 しかしそんな事を言われても、ゾロには一向に覚えがない。
 あの夜は、無理やり毟り取られた飲み代の元を取ろうといつもより速いペースで酒を呑んだ。そこへ途中からエース
が加わったのは覚えている。なけなしの愛想で喜んで見せたのも。それにエースが大層喜んで、それがまた嬉しくて飲
むペースは益々速くなったのだ。
 その後、気が付いたら朝だった。
 そうして隣にはエースが寝ていて、あろうことかエースもゾロも上半身裸の状態だったのだ。
「ま、二人ともものすごく酔ってたし、何もなかっただろうけど」
 ナミはケロリとそう言って、カツンと諦めた様にペンの先を引っ込めた。
「…カマかけやがったな」
「何言ってんの。掛けられる方が悪いのよ」
 まったく女王様には敵わない。
 漸く顔を上げたナミは、夏の空のようにカラリと明るく笑っていた。
 そんな風に平気な顔で嘯くナミに、ゾロは恭しく顔を顰めて溜息を吐き、美しい女は恐ろしいと天を見た。























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サンジが出てこない・・・。