fellow 7



















 何度も何度も思い起こし、その先を想像したが、しかしそれはすべて結局は幻想だった。
 今更一体何を追おうというのだろうか?
 その先に。その先を。







 下村がアパートから姿を消して丸一日が経っていた。
 今回それに気づいたのは意外な事に宇野だった。
 約束をしていたらしい。
 予定の時刻にドアを叩いたが下村は顔を出さず、どこかで足止めでも喰らっているのだろうと待っていてもいっこうに
戻ってくる気配さえない。しかしそういった約束事にはきちんと礼をはらう下村が何の連絡もせずに破るとも思えず、宇
野はまず桜内に連絡を取った。
 桜内は知らないという。
 ならば川中か坂井が知っているのではと桜内が言うので、宇野はブラディドールを訪れた。




「何も聞いていませんが」
 素早く小さなグラスを宇野の目の前に置きながら、首を傾げる。
 時刻は8時を回っていた。
 元々連絡をこまめに取り合っているわけではない。昨夜の今頃に来た時も、宇野との約束のことさえ話には出ていな
い。それ以後のことなど知る由もなかった。
「そうか・・・」
 納得のいかない顔つきの宇野に、坂井はおや、と思って気づかれない程度に視線をやった。
 下村と宇野が親しいという話を聞いたことはなかったが、どうやら坂井の知らぬところではこうして会うこともやぶさか
ではなかったようだ。宇野がそんな風に相手に拘るのは珍しい。
 宇野は忙しなく何度かパイプを口元につけては離し、何か言い出しかねる議題を持て余すような仕種を見せた。
「どうかしましたか」
 しかしこの拘りようはあまりいい兆候には思えず、坂井は店では珍しく眉を顰めた手を止めた。口元を動かさない話し
方は既に日常動作の一部になっていて、崩れる事はなかったが。
「いや・・・別に大したことじゃないんだが・・・」
 言いよどんでグラスで微かに唇を湿らし、判断しかねる様子で口元を何度か開閉させた。
 坂井が何かと理由をつけて宇野の元へ訪れる回数は、多分皆が思っているよりずっと多い。必ずしも用事を持参しな
ければならないわけではなかったが、どうにも宇野に対して感じる気後れをそういった部分で補おうとするきらいが少な
からずあった。それも何年も経てばいい加減年齢差以上の親しさを感じるようになり、今では驚くほど柔軟な対応を宇
野は坂井に見せることがあった。坂井は密かにそれを嬉しく思い、深いところまでは分からないまでも、表面的には毛
嫌いされている川中に対して少しばかりの優越感を感じるのだった。それに伴い今では率直を絵に描いた宇野の口調
は年々エスカレートし、坂井に対して少しばかりの遠慮もない。思ったことはずばりと言う。その宇野が今のように言い
よどむのは随分と久しぶりのことだった。
「・・・下村がどうかしましたか?」
 最近感じていた宇野に対する違和感を、言葉にすることで初めて坂井は自覚した。
 何かにつけ感じる遠まわしなはぐらかしは、思えば下村の身辺に触れた時にこそ感じられていた。
 しかし何故宇野が坂井との話題に下村の事を持ち出すのを控えたのか、その意図は分からない。
 坂井の問いに宇野は何度かグラスを手の中で回すように弄び、あからさまに何か言い逃れの言葉を捜しているよう
だったが、しかしそれも結局は諦めて息を吐いた。
「最近、妙な動きがあるのを知っているか」
 予想外の切り返しに、坂井は肩透かしを喰ったように目を瞬いた。しかし宇野の顔を見返せば、どうやら関連がある
らしく、視線は真っ直ぐにこちらを見ている。
 坂井は暫し考えて、いくつか思い当たる節を端から読み上げる。とはいってもここの所何処も目立った動きはなく、春
に近づくとにわかにうるさくなる暴走族に纏わる幾つかの面倒ごとくらいのものだった。
 それに宇野は何度か頷き、しかしどこか緊張を含んで肩を揺らした。
「どうも下村の身辺をかぎまわっている連中がいるようでな」
 溜息混じりに呟いた宇野の声は沈んで暗い。坂井は知らずゾッとして咄嗟に腕を手のひらで擦った。
「今日もそのことで下村のところへ行ったんだが・・・」
 留守だった。
 背筋を這い回る悪寒が強くなる。思わず浮つきそうになる声を抑えて、坂井は低く囁くように、カウンダー越しに詰め
寄った。
「それ・・・それって、いつからですか。下村は知ってるんですか?俺にはそんな事一言も・・・」
 昨晩店に来た時も、数日前に家を訪ねた時も、寝込んでいた時も、下村は一言もそんな事は。
「情報を掴んだ時に、当然言ってある。身辺には注意していたはずだ。・・・俺の気のせいなら、それでいいんだがな」
 そんなはずはない。憶測だけの情報を宇野が安易に伝えるはずがなかった。ある程度の確信があったからこそ、宇
野は下村に忠告をしたに違いない。その上重ねて自宅を訪れている。これを切羽詰っていると言わずして何だと言うの
だ。
「・・・坂井、落ち着け」
 カウンターの中でこんな顔をする坂井を、宇野は初めて見た。
 しかし坂井はその声が聞こえなかったかのように逸らした目をこちらに向けようともしない。宇野は冷や汗の出るよう
な心境で立ち上がり、乗り出して手を伸ばし坂井の腕を掴んだ。
「坂井っ」
 店での立場を慮った声は小さかったが鋭く厳しい。坂井はハッとしたように宇野の目を振り返った。
「まだそうと決まったわけじゃない」
 深く静かな宇野の目に、坂井は高ぶった感情がすっと落ち着くのを感じる。取り乱しかけた自分を恥じ、坂井は目を
強く瞑って息を吐いた。
「すみません・・・」
「・・・俺の気のせいだと思っていたんだがな」
 腕を開放し、宇野は再び席に腰を降ろすでもなく立ち尽くした。
 距離の少ない視線の先で、宇野は曖昧に笑って、でも誤魔化しきれなかった痛みを微かに浮かべて坂井をじっと見
た。



「あいつは・・・似てて、少し、恐くなる」




 誰が、誰に、とは言わなかった。





























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