好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します  過去の動静一覧  表紙へ戻る
 
2003年5月・6月・7月

私たち4人は大丈夫!

7月25日。

 きょう新聞を広げたら「最低賃金で暮らしてみた」という見出しの下、法律という「最低賃金」で千葉労連青年部のメンバーが1ヶ月生活したその体験レポートが載っていた(朝日新聞)

 で、その最低賃金は時給で677円、1日8時間、22日間働いたという想定で1ヶ月12万円だそうだ。税金や家賃その他いろいろ差し引いて残り3万円弱で生活。11人参加で1ヶ月暮らせたのは男性2人、女性1人だったそうだ。

 この記事を読んだ我が妻は、まず腕組みをし、次にニヤリと笑って、「私たち絶対に1ヶ月暮らせるわよね。だってこの人達一人でしょ。私たち4人でも大丈夫よね。へへ、私たち大丈夫よ。ヘヘ、へへ、へへ・・・・・・」

 なんだか恐かった。

2003年7月25日配信
盆踊りに行こう

7月19日

 夏である。天気は今一つすっきりしないし、ジメジメした事件が多くてどうも明るくないが、夏である。その証拠に小学校が夏休みに入って朝からずっとうるさい。それから近くの公園で盆踊りが始まった。これも夏になった証拠である。

 ところで私は、この東京の盆踊りが嫌いである。色々な踊りがあるのが嫌だ。アニメの「何々音頭」などというのが流れてくると腹立たしくなる。というのも私は会津生まれの会津育ち、磐梯といえば「会津磐梯山」。踊りの型も一つというのが体に染み付いている。一つの唄をひたすら聞きながら一つの踊りを踊り続けることによって生まれる宗教的な昂揚感が忘れられない。また「会津磐梯山」をやぐらの上でずっと唄い続ける唄い手の異様なまでに没頭した姿が目に焼きついている。

 そう、盆踊りはそれまでの域に達しなければいけないのだと思う。

 「ドラえもん音頭」はいけない。「ドラえもん」ではご先祖を供養できないと思う。

2003年7月20日配信
不思議な力士

7月15日。

 私は相撲が好きである。今まで一番好きだったのは北の湖。にくらしくていい。で、いつの時代でも「強い」力士の他に「変わった」力士として人気を集める力士が必ずいる。

 水戸泉関などは大量の塩を撒くことで人気を得た。

 最近の「変わった」力士と言えば、言わずと知れた高見盛関。今場所も横綱、大関に土をつけて大活躍である。

 それにしても彼は変わりすぎている。出て来て勝負をつけて花道を引き上げて、ヒローインタビューを受けて支度部屋に帰るまで変だ。

 落語の世界で言えば「与太郎」型なのだろうが、決して与太郎ではないし、かと言ってあの気合の入れ方はまともではない。

 私などは見ていると一緒に気合が入る、勝って胸を張ると私も胸を張りたくなる。そして何と言っても不思議なのは、横綱大関陣に勝ったときの「あ、勝っちゃった、どうしよう、ゴメンなさい、でも嬉しい、困った」という顔だ。

 あの顔を見ると「やったね!よかったね、でもどうしてそんな顔するの、なんなの」と私も変な顔になる。見ているものを変な顔にする。不思議な力士である。

2003年7月16日配信
喪失感を想像すると・・・・・

7月10日。

 しばらくの間、会津若松に帰省していた。地元の信用組合さんのパーティや後援会の皆さんと交流会を開いて、僕はとても上機嫌だった。

 そこへ、長崎の殺人事件のニュースが入ってきて、犯人が中学一年生だということを知った。

 何日か前から「中学生か?」という報道が流れていたから、「ハァやっぱりか」というのが第一印象だった。

 とたんに僕は不機嫌になる。

 僕には二人の娘がいる。生意気である。近頃僕を馬鹿にする。誰に似たのか、よく喋るからうるさくてしょうがない。だけど娘達がいなければいいのにとは思わない。当たり前だけど、娘達がいない生活を考えられない。想像がつかない。

 無理に考えてみる。

 二人の娘がある日突然いなくなることを。二人の娘が、誰か他の子どもを殺してしまうことを。

――僕は今、とても不機嫌である。

2003年7月10日配信
天上一のダイヤモンド

 7月5日。

 もうすぐ七夕である。天の川をはさんで織女と牽牛が年に一度デートをする日である。

 手許にある野尻抱影先生の「星の民俗学」をめくっていたら「織女―琴座の主星ヴェーガは、光度は一等星の第3位にある。青く透徹した色と美しいきらめとは、“天上一のダイヤモンド”の形容を誰にも合点させる」という文章をみつけた。

 天上一のダイヤモンドというのだから、すばらしい。これは是非みなくてはいけない。

 考えてみると今まで「あれが確か織女星であると自信をもって指差したことがない。

 学生の頃、当時つき合っていた女の子に「どれが織女星?」と聞かれて「あれだよ」と指指したら、夜飛んでいたヘリコプターで、「ちょっと織姫動いているわよ」と言われたので仕方なく「彦星に逢いに行くんでしょう」と答えてあきれられたことがある。

 そうだ、私は正直、どれが織女なのか知らない。

 よし、今年は是非、天上一のダイヤモンドに会いに行こう。

2003年7月6日配信
元気な女の子が笑ってる

7月1日。

 我が家のベランダにある朝顔が咲きました。自転車にまたがるとサドルがやけるように熱くびっくりすることがあります。妻がウチワ片手に昼寝することが多くなりました。

 暑中お見舞い申し上げます。

 私の大好きなひまわりが、あの花のように見えるところは花ではなくて、中の小さな黄色いポツポツが本当の花だと、近所の子どもに教わりました。少年は得意そうに話していましたが、そんなことは別に大したことではありません。どこが花びらでどこがタネで実なのかなどということは、関係ありません。

 私にとってひまわりは、背の高い元気な女の人が大口開いて明るく笑っているように見える花、ということなのです。

 では、皆様暑さには負けませんように。

2003年7月2日配信
私を信じて!

6月24日。

 先日、群馬県の前橋市と藤岡市で落語会を開いてもらった。主催者側のご好意で「前日からどうぞお泊まりください」と言う。当日、慌しく行くのも嫌なのでお言葉に甘えて泊まらせてもらうことにした。

 で、前日、夜の別の落語会を終えて、その足で前橋市に行くことになったのだが、赤羽駅で高崎行きの電車を待っていると、隣で同じように電車を待っていた若い女性が「すみません、ハイ、本当に、ええ、いえ、電車に乗り遅れまして。ハイ、行きます。ハイ、すみません」と携帯電話で話している。

 しきりに恐縮しながら、彼女が電話を切ったとたん・・・・・・

「オイ!危ないぞ!」と野太い声が聞こえてきた。

 何だろうと思ってみると、線路を酔っ払いが一人、歩いている。

「危ない!」

 と声を掛けたのはホームに立っていたサラリーマンで、酔っ払いはその声を無視して歩きつづける。

 ホームが騒然として、すぐに警報が鳴り出した。

 電車が止まり、駅員が駆け出す。

「ああ、電車が止まっちゃったよ。こりゃ、長いぞ」

 誰かがそう言うと、例の若い女性が気がついたように電話を取り出し「あの、さっきはすみません。ええ、あの行く気はあるんですけれど、線路に人が入っちゃいまして、しばらく電車が動きそうにないんですけど・・・・・・」

 そこまで言って彼女は目を見開く。

「信じてください!本当です!本当に酔った人が・・・・・・」

 誰に電話をしていたのか知らないが、たぶん信じてもらえないだろう。私は「本当です」と言ってやりたかった。

2003年6月24日配信
すごく幸せ

6月20日。

 先日あるお客様から、「ブランコ」についてお手紙をいただいた。もっと詳しく言うなら、「ブランコと落語についての一考察」ということになるのだが、その内容は知的かつ個人的なものなので私独りで楽しむことにする。

 とにかく、その手紙に影響されて夜中久しぶりにブランコにのってみた。これがすごく楽しい。

 地面を蹴り上げる。上体を斜めに腕を伸ばし、背筋に力を入れて両足に力を伝え腕を曲げ、錆びた鎖のひもを引き寄せる―――そんなことはちっとも考えないのに体は無意識に動き、ブランコは次第に大きく揺れ、ただブランコを”こぐ”ことだけに意識が集中する。

 とても安上がりなストレス解消法である。皆さんにも薦めよう。夜中、ブランコを、思いっ切りこぐ。これはいい。ただし、あまり長い時間はいけない。私の場合、長く夢中になってやっていたら、近所のおばさんに「夜中にギイギイうるさい!早く帰りなさい!」と怒られた。

 その後、仕事でも何でも、行く先々で、公園のブランコがあればのっている。昼夜を問わず、ブランコにのって幸せそうにしている変な男がいたら、それは私かも知れない。

2003年6月21日配信
「帽子かぶってるよ?」

6月15日。

 蒸し暑い時期、着物姿で出かけるのはとてもきもちいい。薄手の着物はそう暑くない。Tシャツに短パンという姿より、失礼がない。だからこの時期、私は着物を着るようにしている。

 先日も着物を着流しに頭に帽子をかぶって出かけると、近所の人から「お仕事ですか?着物って暑くありませんか?」などと声を掛けられた。

「見た目ほど暑くありませんよ」

 ご近所はこれでいい。

 電車にのると、周りの人はあまり私と目を合わさない。目立つという程ではないが、積極的に私の隣りの席に座ろうという人は少ない。

 日比谷の駅では若いカップルが一組。女の子の方が私の方をチラリと見て、背の高い彼氏に

「あれ?流行?」とささやく。

 彼は間髪入れず「流行ってねーよ。あんなの」

「じゃあ?何なの?」

「落語家だよ」

 彼の方は落語の下地があるらしい。正解。

「でも帽子かぶってるよ」

 女の子は納得がいかないらしい。

「帽子?」 彼は彼女に言われて私を改めて見る。それからしばらくして

「そう。そこが俺にもわかんねぇんだよ」

 君は何が分からないだ。二人の会話を素知らぬ振りで聞きながら、安い着物と帽子というスタイルを、いつか流行らしてみたいと私は真剣に考えた。

2003年6月15日配信
打ち砕かれた野心
愛されない男の切ない思い

 6月9日。

 彼は私の友人のN君である。

 彼は女性とのいい思い出がない。本人はいい思い出として話しても、周りで聞いていると悲劇以外のなにものでもない。

 で、唯一いい思い出が出来たなと思ったら、アッサリ結婚してしまった。

 そんな彼だから浮気はしない。したいとも思っていない。すれば悲劇という名のコントに終わることは目に見えている。

 でも、そんな彼にも野心はあった。

――尊敬されたい。

 女の子に愛されないのなら、せめて尊敬されたい。それが彼の野心である。すごくセコイ野心である。

 で、彼は、ある女の子にターゲットを絞り、作戦を開始した。その若い女の子のために、今まで自分が得てきた知識を全て伝授し、時に怒鳴りつけ、時にやさしくなぐさめた。彼女の仕事のミスをかばったことなど、数えきれない程である。

 その彼女がいとも簡単に仕事をやめるという。もちろん彼のことなど尊敬していない。尊敬していればやめないはずだし、せめてやめる決心をする前に相談くらいするものである。

――尊敬されなかった。

 作戦は大失敗である。はっきり言って「ぼくは本当にショックだったよ」という彼を笑い飛ばさずにいられなかった。
 
 彼は私の友人でN君という。彼は女性とのいい思い出がない。

 2003年6月10日配信
台本を忘れる好二郎。
Mさん、とんだとばっちり


6月5日。

 人間には、必ずやらなければいけない事柄と場面がある。それが仕事であり、しかも相方(パートナー)を必要とする場合は当然である。

 きょう、ある仕事のオーディションがあった。落語でなく司会の仕事である。事前に資料をもらっていた。目を通すと司会の男女が掛け合いでやりとりをする台本だった。わたしは、なるほど、こういうことをするのだな、と思って、その資料を机の引き出しの奥にしまいこんで、当日のきょうまで、すっかり忘れていた。

 さて、オーディション会場には男女合わせて20人ばかりが集まっていた。その場で男女1組ずつ「カップル」が出来上がり、オーディションを受ける。受かるかどうかはたぶんパートナーので”出来”に左右される。

 で、私はとても可愛らしいMさんという女性と組になった。とたんに、他の組は皆、台本片手に稽古を始めた。中には台本をすべて暗記しているカップルもある。私は台本すら持っていない。

 ボー然としているとMさんが不安気に「あの台本は?」「忘れました」「覚えてます?」「いいえ」「あ、そうですか・・・・・、マ、覚えてなくていいとは・・・・・・覚えていた方がいいですよね」

 でも、いまさら覚えられるものでもなく、仕方がないので全てアドリブで、ということに決定。幸い、Mさんは前向きの明るい方で、落語も多少好きだというくらいだから私を殴るようなことはしなかった。他の組が真剣に稽古をしている間、私たち二人だけは下らない話でバカ笑い。

 でも、本番では全てアドリブだけに熱演だった。

 漫才のオーディションなら通ったに違いない。しかし、今回は真面目な司会である。Mさん、このオーディションに受からなかったら、それはあなたのせいではありません。ごめんなさい。

2003年6月6日配信
好二郎の妻でございます。

 うちの好二郎はお酒に弱いのです。体力的にも「乱痴気騒ぎ」には向いているとは思えません(もっとも向いている方の騒ぎはもっと大変なものでしょう)。

 でも、彼は大好きなのです。楽しいのです。

 たとえ、次の日に何度もトイレに駆け込んで、快復しないまま仕事に出かけることになり「こえがでない・・・・・・、ど・し・よ・・・・・」という声にならないうめき声に家族から白い目を向けられても、その苦しいお腹を娘達が踏みつけたり、乗りこえたりしても、それでもやめられないのです。

 そういう訳で彼はきょうもどこかで「乱痴気」してくることでしょう。

 どうか皆様お願いです。今度そんな場面に同席することになったら、そんな騒ぎに加わりたくても加われず、指をくわえて家で留守番をしている妻のことを、彼にそっと思い出させてやってください。

 そして、いつか私も仲間に加えてください。

 妻代筆でした。

追伸
そういう訳で、好二郎は絵を書いて、予定より30分遅れて出かけました。今夜も遅いでしょう。

2003年6月1日配信
好二郎、騙される?

5月24日。

 国立演芸場で「円楽一門会」が催された日、会が終わった後、管理者くんはじめ、何人かのお客様と新宿で飲んだ。

 新宿についてすぐ、どこのお店で飲もうか思案している我々に、中国人風の若い男性が「半額」と書いたメニューを片手に「どぞ、ウチの店で飲んでって」と誘ってきた。一見してロクな店ではないと見当がつく。でも、そういう「まともじゃなさそうな」お店が大好きな私は、他の皆が「やめようよ」と目で合図するのを無視して、彼についていった。

 彼は道々「いいお店」「広いよ」「安いんだから」と私に言う。

 私が「だましてない? 高いんでしょ? 汚いんでしょ?」と質問すると

「そんなことないよ。新宿汚いけど、ウチの店大丈夫。広い。高くない。半額。」と声高に否定する。

 その言葉とは裏腹に、彼の足はどんどん怪し気な風俗街へと向かい、1,2階が風俗店という3階建のビルの前まで行くと、「ここの3階ね」という。

 私が「やっぱり変なとこじゃん」というと、彼は恐い顔をして「ゴメンね」と言う。

 私はたまらなくおかしくて入店を決意。同行のお客様には女の子が二人もいるのに、その変な居酒屋へ入った。

 案の定、店はムードも何もない内装で、眼科においてあるようなソファーと椅子、野球選手のポスターと提灯、半額でない値段、不揃いのグラス、盛り付けに気を使わない料理、見事なまでのサービスの悪さ、その全てが私を楽しませてくれた。

 新宿に行ったら、こういう店に限る。

2003年5月26日配信
雨が急に降ってきて・・・・・・。

5月20日。

 激しい雨と雷が私と妻の足を止めていた。ふたりで買い物をして、そのスーパーの自転車置き場についた時、雷を伴った雨が激しく降り出したのだ。

 ふたりとも傘はもっていなかった。10分後には合唱を習っている娘達を迎えに行かなくてはいけない。そして、そこから自宅までは自転車で20分はかかる。私達は話し合い、自転車を置いてバスで帰るべきか、それでもバス停から自宅まで帰る間にずぶ濡れになるのは間違えないし、思い切って傘を買うか、いやそんな無駄使いはいけないから、いっそ濡れて帰ろうなどと決めかねていた。

 最終的には自転車で帰ることに決め、家族4人ずぶ濡れで帰宅することになるのだが、その話し合いをしている最中、私たちと同じように、傘を持たずに自転車できてしまった中年女性が一人、少し離れた所で私たちと同じように悩んでいた。

 この人はどうするんだろうと見ていると、買い物袋のビニールを頭からかぶり、バックを服の中にねじ込み、靴下を脱いでいる。

 はっきり言って格好悪い。この女性が自転車にまたがったところで、私と目があった。

 私の目が笑っていたのだろう。彼女は慌てて自転車から降り、靴下を履きなおし、バックを服から取り出した。そして何事もなかったかのように自転車置き場のひさしの下から、激しい雨を眺めていた。頭のビニールをとることは忘れたままで。

 これから雨勝ちの天気が続く、どうぞ傘をお忘れなく。

2003年5月21日配信
誕生日の好二郎の流儀とは?

 5月15日

 きょうは、我が長女の誕生日である。何日か前から「誕生日は何してくれるの?」とうるさいので「別に何もせん」と言っていた。

 実際、我が家では、思想上と経済上の理由から今まで特別なことはしてこなかった。せいぜい妻がケーキを作るくらいである。あとは一日中「おめでとう」を本人が”もう言わないで”と言うまで言いつづけるのが我が家の流儀である。

 ところが、娘も小学校3年生、人並みにプレゼントが欲しくなったと見えて、ついに「自転車が欲しい」とのたまわった。

 その夜、妻と財布と相談のうえ、そんなお金はない、と結論が出たのだが、「買ってやらないよ!」と言い捨てるのも可哀想と思い、誕生日当日、学校から帰った娘に

「自転車:お金がたまったら買ってあげましょう」

という目録を渡してあげた。

 娘は「そりゃないぜ」と呟くと、外に遊びに行ってしまった。

 よっぽど自転車が欲しかったのか、娘の心をキズつけてしまったかと反省した。

 すると娘はすぐに大勢の友達をウチに連れてきて、「ほら、これがモクロク、ウチって変でしょう?」

 そう友達に自慢していた。

 お前が一番変だ。

2003年5月15日配信
好二郎、
可愛い娘の行動にクギ付け


5月10日。

 娘の授業参観をしてきた。3年生と、1年生の2クラスを女房と交代しながら見る。全体的に上の娘は遊んでいるように見えたし、下の娘はふざけているように見えた。

 それにしても驚いたのは父兄母、祖父母の多さだ。私の子どもの頃なんか1クラスに5人も母親が来ればいい方だったし、父親が来るなんて滅多になかった。時代は変わったのだなあ・・・・・・。

 で、私は今回、何かネタはないかと喜んで出掛けたのだが、そこはそれ、自分の娘は気になるもので、下の娘、1年生の授業をしばらく眺めていた。

 国語、”あいうえお”から”わをん”までをおり込んだ詩の発表である。

 皆、手を挙げて、黒板の前で”あかい、え。あおい、え。あいうえお”などと元気に発表している。

 私の娘はというと、私の顔をチラチラ見ては、大口をあけたり、アカンベーを繰り返している。

 そのうち先生が「まだ発表していませんでしたね、次、どうぞ」と我が娘をを促した。

 すると娘は「ヤダー!だってパパ見てるんだもん」

「あ、そう、そうよねぇ。すみません、お父さんちょっと向こうへ・・・・・・」

 どうして父兄母参観で追い出されるのだろう。娘よ、「きょう絶対見にきてね」と言ったのはお前なのに・・・・・・。

2003年5月10日配信
子どもの頃、何を考えていた?

5月5日。

 晴天。子どもの日である。この連休は学生時代の友人や近所の知人などと飲んで過ごしたため、最後の日くらいは、家族サービスといういか、子どもサービスというか、妻サービスというか(妻サービスと妻のサービスは違う)、とにかく子どもらと遊んでやることにした(芸人なんだから皆が休んでいる時くらい働け!)

 河原に連れて行き土手で勝手に遊ばせる。もっとも簡単でお金の掛からない方法である。それでも無邪気に駆け回っているのだから子どもなんて単純である。

――子どもの頃、そう言えば何を考えていたのだろう? それなりに悩みもあった気はするが、毎日ただ、外を走り回っていただけのような気がする。

 私の場合、将来絶対なりたい職業などなかったし(落語家になるとは思わなかった)、何か夢があったわけでもないし(落語家は決して夢ではない)、かといって公務員になって安定した生活を送りたいと願っていた訳でもない(今は出来るならそんな生活がしたい)。

 子どもの頃、何を考えていたのだろう。妻に聞いたら「少なくともあなたとこうして暮らすなんて想像もできなかったわよね、出来る訳ないけどサ、したくもないけどサ、これからずっと暮らすかもしれないのよね、ゲゲ、どうしよう・・・・・・」そう言いながら、どこかへ行ってしまった。

 あいつは子どもの頃から、何を考えていたのだろう。

2003年5月5日配信

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