日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します 過去の動静一覧 表紙へ戻る
子どもたちに鼻高々 寿限無をできる好二郎 4月29日。 近頃NHKの子ども向け番組で古典芸能や数え歌などを材料にしたものが放送され、子どもたちの間でちょっとした流行になっているらしい。らしい、というより私の娘達も教えもしない数え歌など唄っているのだから流行っているに違いない。 この番組では落語の「寿限無」というコーナーもあって、スラスラと言える私は子どもたちに鼻が高い。その影響で、小学校や幼稚園からの仕事の依頼が多くなった。 中で困るのが、落語というのは、番組で流れる狂言や歌舞伎の文句なども皆やるものだと思っている人が多いことである。特に狂言師の野村萬斎さんが「ややこしや〜」と呪文のように唱えながら不気味な歩き方をするのが人気のようで、「やっていただきたいのは寿限無とややこしやです」なんて言われる。 あれは新作狂言のセリフだと思うのだが、私に出来るはずがない。その旨を伝えると「それじゃ、またの機会に」などと言われて断られる。仕方ないなあ、と思いながら、夜中一人になると、「ややこしや〜」を稽古していたりする。 そんな姿を盗み見た妻は、「ぜんぜんダメ。カッコよさが違う。諦めて落語の稽古に時間をつかったら。ああ、萬斎さんが寿限無やってくれたら落語を見に行くのになあ」と言った。 そういう理由でお前は落語を見ないのか! 2003年4月30日配信 |
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親知らずを抜いてみました 4月25日。 先日、親知らずを抜いた。定期的に通っている歯科医院の先生が、「親知らずが斜めに生えてきて、隣の歯にぶつかっています。このままだと抜けなくなりますし、隣の歯まで虫歯になりますよ」と言う。 しかし、自他ともに認める臆病者の私は、「へぇ、いや、ハハ、そのうち・・・・・・」などと言って、先延ばしにしてきた。 いや、臆病なせいばかりではない。親知らずを抜いた場合、一日二日はうまく話せない可能性があると聞いていたから、話すのが商売の私の場合、ああそうですかと気楽に抜歯するわけにはいかなかったのである。そうこうするうちに一年が経ち、二ツ目に昇進してからは仕事も落ち着き(つまり仕事が減ってひまになり)、仕事と仕事の間が3日くらいとれる日ができ(稀に一週間あくときもあり)、これなら早めに抜いてしまおうと決心したのだ(仕事を下さい) 「ハァハァひっかかってて、抜きにくかったですねェ、ハァハァ」という先生の息切れした様子からも分かるとおり、抜歯には思いのほか時間がかかったが、痛みはさほど感じなかった。 ところが麻酔が切れてからの痛みといったらない!口は思うように開かないし、舌はしびれるし、食事は喉を通らない。抜歯後二日たった今も、口が半開きでロレツがまわらない。落語をしようと話しはじめると痛みで10分と続かない。痛み止めを飲んだら痛みが消えた代りにその場で眠りこけてしまった・・・・・・。 明日は久しぶりの仕事である。 大丈夫だろうか? 2003年4月25日配信 |
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気分はデルモ 4月20日 「二ツ目ランド」という落語会に参加させてもらっている。個性的な先輩方に囲まれ、とても勉強になる会だ。 その第3回目が、7月2日(水)に開かれる予定だが、そのチラシを作成するのに必要だというので、出演者それぞれが写真をとってもらうことになった。 撮影してくれるのは「二ツ目ランド」を主催するSさんという美しい女性の方。出演する小田原丈兄さん、菊朗兄さん、昇輔兄さんのお三方を撮り終えて、本日、私の番にあいなった。 小雨の降るなか、北千住のとある汚い公園で撮影開始。はじめは人通りを気にしたり、写真に不慣れ(一人で撮られる、被写体になるのは落語会以外では初めてといってもよい)なせいもあって、うまく表情が作れなかったが、なぜかバカバカしいポーズをとっているうちに恥ずかしさも消え、楽しくなってきた。 こんな下らない写真を真剣に撮り続けるSさんは偉い。それにしても、小雨の中、野球帽の変な男が公園の真中でミエを切ったり、公衆便所の便器を見ながら微笑んでいる姿はきみが悪い。 チラシの出来上がりが今から楽しみである。 2003年4月20日配信 |
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好二郎一家の模様替え 4月15日。 部屋の模様替えをした。大量にたまった本を捨て、手紙やガラクタを整理した。毎年模様替えをするのだが、私は下らない本を、妻は奇妙な小物を捨てられないでいた。だから、いつも、部屋は綺麗にならなかった。 今回、「部屋をきれいに、無駄なものは思い切って捨てる」を目標にしたため、私は涙に暮れながら『下着の歴史』や『酔った女の口説き方』などという本を捨てた。妻も何に使うのか分からない箱だの棒だの円錐形の木だのを捨てていた。その中でワニの立体的な飾りのついたティッシュケースを前に「これどうしよう?」と悩んでいた。 「捨てようかしら? それとも何かほかに使える?」 ワニのティッシュケースのティッシュケース以外の使い方が思い浮かばなかった私は、「ほかに使えんと思うけど、捨てたくなかったらすてなくていいんだよ」と言うと、「使えないなら捨てる」という。 「何か思い出のある品なら無理に捨てなくてもいいんだよ」 「何も思い出ないわ。バナナワニ園で買っただけだもん」 「ああ、ワナナバニ園ね」 「そう、バナナワニ園」 私の軽いギャグをまったく気にしない妻は、ゴミ袋にドスンとワニを放り投げ 「マ、いいよね。また行けるし、きっといけるし」と変に明るい調子で呟いていた。 バナナワニ園で何があったのだろう。予言めいた「行ける」という言葉にゾッとした私だった。 2003年4月16日配信 |
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チョンマゲにすると モテるとの噂 4月9日 先日、ある若手のフリーカメラマンと話をしていたら、「好二郎さんはいつもお着物ですか?」と聞かれたので、「出来ればそうしたいんですけど、面倒でして・・・・・・」と応えると、「そう言えば私、この間、渋谷でチョンマゲ姿の男の子を見ましたよ」と言う。 話を聞くと、ただ髪を束ねているだけではなく、ちゃんとしたチョンマゲだそうで、間違えなく地毛だったという。「しかも殿様みたいにピンと立っているんです」。それでいて服装は極今の若者風で、顔は涼しげで背が高く、不良めいたところがないという。 「何を考えているんでしょうね」 「本当ですね。その男、一人でいたんですか?」 「それが女の子と肩を組んで歩いていました」 女の子はとても可愛い顔立ちで、髪を茶色っぽく染めているものの、すれた感じはなかったという。 「じゃ、彼女ですかね」 「そうでしょうね。二人で洋服なんかを買いながらはしゃいでましたから」 「帽子は買わないんでしょうねェ」 「・・・・・・・チョンマゲですからねェ」 「殿様みたいですもんねェ。ラーメン屋かなんかにもその頭で入るんですかね?」 「・・・・・・殿様でもおなかは減るでしょうから」 「・・・・・・でもどうしてチョンマゲなんでしょう?」 「・・・・・・もしかすると自分できづいてないのかもしれませんねえ」 「・・・・・・でも彼女は気づくでしょう」 「どうしてですかねェ」 カメラマンさんはここで一息ついて、「私、彼女いないんですよ」と呟いた。もしかするとチョンマゲにすると彼女が出来るかもしれない、そう考えたのかも知れない。 「好二郎さんは着物で仕事をするんですから、いっそチョンマゲにしてみたらどうです?案外すごくもてるようになるのかもしれませんよ」。 俺で試すな! 2003年4月12日配信 |
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やっぱり頭痛はついてまわる 4月4日。 毎年、桜の時期になると頭痛がひどいのだが、今年はいい塩梅に痛くない。どうしてだろう?マァ痛くないのだからよしとしよう。 さて、頭痛がしないとなれば桜もいいもので、今年はもう3回も花見をしてしまった。家族で花見に出かけた時は大変なもので、隅田川から上野、それから谷中へ花見の梯子をした。谷中では師匠・好楽にばったり会って、そのままごちそうになるという嬉しい出来事もあった。 対岸に見る隅田の桜もよかったし、上野の山の桜トンネルも美しい。谷中墓地の静かな場所で見る桜も格別、いいものである。 頭痛がしないっていいなあ。 ただし、喜んで花見に連夜出かけたため、二日酔いで頭が痛い。私の場合、どうあっても桜に頭痛はつきもののようである。 2003年4月5日配信 |
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いま、動物園が熱い! 3月30日。 春休みに入って最初の日曜日。しかも穏やかな一日だっただけに行楽地はどこもうんざりするほど混んでいたに違いない。 そんな中、町内会の行事で「東武動物公園」に出かけた。動物が大好きな私は、子どもの世話は妻にまかせっきりで楽しんだ。初めから覚悟していたので混雑もあまり気にならず、「ホワイトタイガー」をはじめ、珍しい動物をひとをかきわけて見てまわる。 「サル」のコーナーへ行った時だ。とても可愛らしいリスザルが室内の隅から隅まで張ってあるロープをサササッと軽やかにわたるのを見て、私の近くにいた若いカップルが「ワッ、綱渡り上手」「本当、うまいなあ」と感心していた。 でも、リスザルくんはサルだから当たり前である。 「ホワイトタイガー」を見ていた時は、子どもを肩車していた中年の男性が、「ほら、見えるか、白い虎、ホワイトタイガー、タイガースの白い奴だぞ」と子どもに説明していた。なんだかわからない。 なんにもいないオリに向かって「アラ、ここも眠っているねえ、どこに何がいるのかわからないわ」と嘆く母親に「あい、いた。動いた。けっこう大きい。あ、消えちゃった」と叫ぶ子どももいる。あの子は何を見たんだろう。 とにかく、そういう人達が集まる動物園が大好きである。 2003年3月31日配信 |
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好二郎の兄は平気でウソをつく!? 3月24日。 春分の日。会津若松で若手の落語会を開いてもらった。自分がメインでやる落語会だけに緊張のし通しだったが、大きな失敗もなく、無事に第1回目を終えることが出来た。お彼岸の只中でお客様が来てくれるかどうか非常に心配でしたが、後援会の方々のお陰でたくさんのお客様に足を運んでいただいた。ありがとうございます。 ゲストにお呼びした三遊亭遊馬兄さんと古今亭いち五くんのお陰で高座も大変盛り上がった。これからもこうした若手の会を続けていけたらと思う。 ところで、地元の落語会に行くと、後援会の人たちと色々な話をするのが楽しみの一つだが、私は我が兄の話を聞くのが趣味である。はっきり言ってこの人のファンである。兄の話は大きく二つに分けられる。一つがウソで、もう一つがウソみたいな話である。 先日もノドの手術をした話をしていたが、「手術後、しょっぱいものより、甘いものの方がノドは痛ぇーぞ。だからノドの手術をした時はプリンより漬物だ」とか、「高熱が出なくなったのはいいけれど、寒気っていうのは始めて知ったぜ、風邪の時寒気がするってのは本当なんだな」などと言っていた。 どこまで本当か分からない。いつの日か我が兄を高座でしゃべらせてみたい。たぶん私より平気でウソをつく。 2003年3月24日配信 |
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卒園おめでとう 3月19日。 私の次女が今日、幼稚園の修了式を迎えた。卒園である。これはとても嬉しいことである。なぜか。 成長したのが喜びである、とか、無事卒園にこぎつけた、この道程は長かった、などという感情はない。 幼稚園児はとても早く帰ってきてしまうのである。早ければ11時、遅くとも午後2時には家に帰り、私と遊ぶのである。しかもたくさんの友達を連れてきて、「へへ、私のパパ、変なひとなんだよ」と紹介する。仕方がないから私も「変な人」として頑張って遊んでやるのである。そんな毎日が終わるのだ。 彼女も春から小学生。帰りが遅くなる。給食を食べて掃除をしてから帰ってくる。早くとも3時までは帰らないのかもしれない、いやもっと遅いかも。とても嬉しい。卒園おめでとう。 2003年3月21日配信。 |
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「素敵な告別式」 3月16日 親類のお弔いがあった。誤解を恐れずに言えば、素敵な告別式だった。亡くなった親類の老婦人は、明るくやさしい人だったから、私も式の間はそんな気持ちでいられた。 式場から出ると、外は雨だった。電車を乗り継ぎ、バスに乗って、家までたどり着いた時には、雨も本格的になっていた。 いつも折りたたみ傘をもっている私は、バスを降りると傘を広げて歩き出した。すると、ひとりのお婆さんが、私の後から降りてきて、偶然、私の傘の中へ入ってきた。 お婆さんは私の顔を見上げると、「ありがとうございます」という。自分が傘を出すまでの間、私が傘を差し出したと勘違いしたのだろう。 でも、そんな勘違いならいいだろう。お婆さんとの相合傘も、きょうだけはちょっと嬉しい。 2003年3月17日配信 |
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私は、少し悲しい。 3月10日。 私ははっきり言って弱い。これはHPでも何度も言ってきた。そして実際よく風邪を引き、おなかを下し、首を痛め、背中を痛めている。 今日もどうやら風邪を引いたらしく、ごはんがのどを通らない。そんな状態である。 どうしてこんなに弱いのか、自分自身でも分からない。はっきりしているのは、例えば今戦争になって、日本人も軍人として参加しなきゃいけないなんてことになったら、まるっきり役に立たないということである。足手まといになるだけである。そうなったら役立たずの非国民と言われるかもしれない。 近頃のキナ臭いニュースを聞いていて、少し悲しい。私みたいな人間が、イラクにもパレスチナにも、アメリカにも居るだろう。 私は弱い。だから戦争には反対である。 2003年3月11日配信 |
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「志ん生を見たい気がする」 3月5日 ロボットの開発技術がだいぶ進んでいるらしい。 私が子どもの頃、「二足歩行が出来るとすれば、君たちが死んだあとだろう」などと言われ、夢物語だった。 それが、二足歩行はおろか、階段を昇ったり、スポーツをしたり、ダンスを踊ったりするロボットまで現れている。転んでも自分で起き上がるのだからすごい。しかも、それが、単なる開発者の自己満足ではなく、介護施設や危険な作業場での実用化に限りなく近いところまで進んでいるのだから、驚くばかりである。 こうなると、人並みの感情をもった人間型ロボットができるのも時間の問題だろう。 本気でロボットに恋する女性が出て来るかもしれない。 満員電車に揺られて会社に行くロボットもいれば、バッテリーが切れて行き倒れになる奴もいるだろう。ロボットと人間が縄暖簾でグチをこぼしながら一杯飲んでいる、なんて姿を見かけるに違いない。 そうなれば、それで面白いもんで、人間に近いロボットを作るなら、そんな間抜けな連中をこしらえてもらいたいものである。 ただし「志ん生型ロボット」なんて名前で、昔の名人上手と言われた噺家そっくりのものだけはつくらないでもらいたい。いや,本当にそっくりなら私自身は見てみたい気もするし・・・・・・。 いずれにしても、街中にロボットがあふれる。そんな時代が来たら、とそれを考えただえけで楽しくなってくる。 2003年3月7日配信 |
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娘の作った雛人形 「いい思い出になるわよ」 3月3日。 お雛様の祭である。我が家には自慢の娘が二人いる。上の娘が小学校2年生、紙くずやヘアピンの折れたもの、洗濯バサミ、拾ってきた石等で、はこ庭や人形を作らせたら天才的である。 下の娘は幼稚園の年長、ギャグを作らせたら玄人はだしである。 ところが、下の娘、いい加減で非常に不器用である。幼稚園で素焼きの雛人形を作ってきたのだが、びっくりするくらい下手だ。形は崩れているし、色も岩山のようである。どうせ崩れるならとことん崩れればいいのに、目鼻口がそれとわかるからいけない。はっきり言って地獄絵みたいである。 でも、それはそれで面白く可愛く見えてくるのだから親というのは面白い。 「3月3日が過ぎても、これだけはしばらく飾っておこう」 私がそう言うと、妻が「そうね。これ、ずっととっておいたら大人になったら、いい思い出になるわよね」という。 ・・・・・・ハッキリ言って、私はそうは思わない。 2003年3月3日配信 |
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好二郎の妻 生け花に目覚める 2月25日。 一枝、桃が届いた。どこから届いたのか、私は知らない。おそらく「農地直送野菜セット」なるものを最近妻が頼み始めたのだが、その中にでも入っていたのだろう。 「これ、桃よね」と長い一枝を私の前に差し出す。 「知らない」 「あっそう」 妻は台所へ行くと「やっぱり桃だわ」と呟いている。 何を根拠にしているのかは、さっぱりわからない。そのうち、ウチに唯一ある花瓶を机の上において、一枝をそのまま挿していった。 長い枝が私の目の前に伸びる。はっきり言って邪魔である。 「これさあ、何とかならない?」 そう言うと妻は、桃らしきその枝を台所に持っていき、鋏を取り出すと、何のためらいもなくバチンと二つに切り、乱暴に花瓶に活けた。 しかし、それは鋭い切り口が片側を挿し、もう片方にのんびりと蕾がついた枝がしなるという見事な出来栄えだった。 いったい彼女は何流なのか。 2003年2月25日配信。 |
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好二郎がとちったら 非常口を確認! 2月20日。 韓国で地下鉄火災が起きてたくさんの人が亡くなった。悲劇である。地下鉄という身近な乗り物で起きたから、恐い。しかも、放火である。そんなことをしかねない人間はたくさんいる。そら恐ろしい。 私はみんなが思っているよりも臆病である。みなさんがどんな風に思っているのかよく知らないが、とにかく臆病である。 新宿のビル火災が起きてから新宿の怪しげなビルには入っていないし、日比谷線が脱線して以来、同線にはなるべく乗らないようにしている。今回の事件で、しばらく韓国には行かない。地下鉄も避ける。 もっとも、私は臆病なだけに「非常口」や「消火器」などの確認をどこに行っても怠らない。たまに友人などに連れられて行った店が地下で、非常口もなく、換気扇も小さいなんていうところに行くと落ち着かない。 ある劇場で仕事があったとき、舞台裏に「消火器」があるかどうか確かめたところ、「消火器」と書いた案内板の下に消火器がない。よく見ると、あるべきところに矢印がマジックペンで書かれている。その矢印をたどるとまた、「消火器」と書いた案内板がでてくる。でもそこにも消火器はない。あるのは、やはり矢印。それをたどると案内板・・・・・・・、これを繰り返しているうちに「楽屋出口」まで連れて行かれた。で、出口の外にやっと「消火器」を発見したのである。 「非常口」と書かれたドアのしたに「じゃない」と書いてあって、そのドアはけっして開かないという田舎の芝居小屋もあったが、それと同じ位ダメである。 そんな会場で落語をやると、やはり落ち着かない。私がやたらと間違えたり忘れたり、非常に出来の悪い落語をやっていたら、防災設備の整ってない会場だと思って間違えない。 2003年2月20日配信 |
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おじさんは、 何を勝ち得たのだろうか? 2月15日。 ようやく娘達の風邪が治った。正確に言えば、インフルエンザだ。 咳が止まらず、高熱が続く。私のようないい加減な親でも心配な日々だった。その間、二度程病院へ行ったのだが、これが大変で、診察の順番が早く回ってくるように、朝の7時から予約をしなければいけない。これをしないと9時に行っても昼の12時まで待たされることもあるのだ。で、私が朝6時30分に起きて予約をしに行った。 7時10分前に着いたときには、すでに40人ばかり並んで椅子に腰掛けている。私も最後尾の椅子に座っておとなしく待っていた。 すると、私の隣に腰掛けていた恐い顔のおじさんが、「どこが悪いの?」と話し掛けてきた。 「私じゃなくて娘が・・・・・・」 「インフルエンザかい?」 「ハイ。」 「やっぱりそうだ。インフルエンザ流行っているもんな、俺はもう前から分かってたよ」 おじさんが何を分かっていたかというと、インフルエンザが今年流行するのがわかっていて、自分は予防注射をしておいたから大丈夫だったというのを自慢しているらしい。 「ところがウチの連中、かみさんもせがれも、せがれのかみさんも誰も俺の言うことを信じねェから、みんなインフルエンザでぶったおれてんだ。バカだねェ。だからウチじゃ、おれの勝ちだよ、勝ち」 何がそんなにうれしいのか、おじさんはやたらと勝ち誇る。 「じゃあ、おじさんも家族の方の代りに予約に来たんですか?」と聞くと 「いや、ウチの連中は先週みんな治ったから。ウン。今日は俺がね、何だか風邪気味でね。ウン」 このおじさん、何に勝ったんだろう。 2003年2月16日配信 |
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警察官が、職務質問 やはり怪しい好二郎 2月10日。 春である。 春になると怪しい行動をとる人物が増えるらしい。 私の住んでいるマンションでも、夜中に大声を出したり、バタバタと走り回る人が出て来た。 先日、落語の稽古でもしようかと、夜中に公園へ行こうとすると、1階のエレベータでばったりとお巡りさんに会った。 お巡さんは私のことをジロリと睨んで、「このマンションの方ですか?」と聞いてきた。 「ハイ、5階のものです」と本名を告げると、今通報があって、自転車を盗んだ人物が、このマンションの近くににげ込んだらしい、と言う。 「その人、探しているんですよ」とお巡りさんは私を見る。「こんな夜中に何をしているんです?」 私は、正直ものであるから、落語家であることを告げて、よく夜中に稽古のために表に出る旨を説明した。 するとお巡りさんは、にっこり笑って「私、落語好きなんですよ」と、急に愛想がよくなる。誰の弟子で何という名前か、どこの寄席にでているのか、矢継ぎ早に質問してきた。 「いいですねえ。それはそれは失礼しました。じゃ、応援してますから頑張ってください」。 お巡りさんはニコニコ笑ってマンションを出て行った。 ああ、落語家でよかったな、と私は思った。 それから、マンションの周りをぐるりとまわって自分の家の前までいくと、例のお巡りさんが、私の家の表札と手帖と見比べて「間違いなし」と呟いていた。 やっぱり疑っていたのね。 2003年2月10日配信 |
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Oくん、早く芸人になろう 2月5日。 先日、久しぶりに私の元後援会長兼運転手をしていたOくんにあった。 彼は、はっきり言って面白い。言い方、仕草、頭の回転、どれをとっても私なんかよりはるかに優れている。 いや、下手なその辺の芸人より何十倍も笑える。 また、彼は基本的に不満顔である。常に何かに不満を持っているような顔付をしている。 にもかかわらず、彼は人生のほとんどを満足して生きているから、そのギャップがおかしい。彼自身、そのことに気づいているから強力な武器になる。大したものだ。 でも、この間会ったときは少し違った。 彼は明らかに不満そうだった。言葉の端端にある種の焦燥感が漂っていた。 おそらく彼は私ごときが落語家になっているのが口惜しいのだろう。 「自分ならもっと面白いお笑い芸人になれる」と確信しているのに違いない。 その通りだOくん、君が「お笑い芸人」になる日を私は楽しみにしている。 2003年2月5日配信 |
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ガイコツは、 芸術的ですらある 2月1日。 首が痛い原因が分かった。 寝違えた訳でも、何処かにぶつけた訳でも、まして妻が悪い訳でもなく、長年の”疲労”のせいだそうである。 病名は「頚椎椎間板ヘルニア」の軽い奴だそうである。気長に治すしかないようだ。 ところで病院でレントゲンを撮ってもらったのだが、なんとガイコツというのは美しいのだろう。自分のだけに愛着も沸く。誰がそうしたのか知らないが、あの大小の骨の組み合わせは芸術的である。 お医者さんに「レントゲン下さい」と言ったら、保管義務があるとかで、ダメなのだそうである。 自分のガイコツ、しかも全身のガイコツ写真がとれないものか、今真剣に考えている。 2003年2月1日配信 |