日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します 過去の動静一覧 表紙へ戻る
2002年8月・9月・10月
ミーヤへの想いがにじみ出る 飼い主のベストショット 10月29日。 先日、近所を散歩していたら、電信柱に「迷子猫、探してます」というチラシが貼ってあるのを見かけた。「ウチのネコをさがしています」「名前=ミーヤ」「見つけてくれた人お礼いたします」「連絡先рOXXXX−」と書いてある。で、写真には、ミーヤちゃんが写っている。 この写真が問題である。 たぶん飼い主はとてもその猫を愛しているのだろう、しかし、ドアップに写されたミーヤちゃんは、ほとんど目と鼻と口の一部しか見えないのである。まるっきり他の猫と区別がつかないのである。いや、下手をするとネコだがどうだかも分からないくらいにドアップなのである。 それしか写真がなかったのなら仕方がない。でもそれなら、お礼云々書く前に、猫の色だとか、首輪がついているとか、前足に傷があるとか、暗い過去を背負っているとか、何か特徴を書くべきだと思う。もし、数ある写真の中から、その一枚を選んだとすれば、飼い主は探す気がないか、笑いをとるためにそうしたとしか思えない。 そんなことを思いながら、何日か大写しにされたミーヤちゃんの顔をみていたら、近頃近所の野良猫と区別がつくようになってきた。なるほど、猫には猫なりの表情があるのだ。だから飼い主は、ミーヤちゃんの一番特徴が表れたそのドアップの写真を、迷子探しに使ったのだろう。 でも飼い主さん、普通の人はわからないと思いますよ。 今日もアップになった猫の写真が近所中に貼られている。 2002年10月31日配信 |
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応援ありがとうございます 10月22日。 先日(10月19日)無事、NHK新人演芸大賞の収録が終わった。報告が遅くなって申し訳なく思うと同時に、応援して下さった皆様に感謝の気持ちでいっぱいである。 結果はご存知の通り、文字通り「無事」で終わってしまったが、精一杯やった結果なのでゆるしてもらいたい。 しかし、自分の実力を知るという意味では本当に”面白い”経験をさせてもらった。 まず、初めてコンクールというものに参加した私は、恐らく緊張して何もできないのではないかと予想していたのだが、意外にも、リハーサルから本番まで程よい緊張感の中で、冷静に楽しむことが出来た。出囃子が鳴って、自分の名前が呼ばれ、袖から高座に向かう間、楽しくて楽しくて仕方がなかった。こういう時に楽しめる自分を発見して、それがうれしかった。 反面、カメラに向かって何か喋るなんてことは、お客がいない分気が楽だろうと思っていたのに、うまく話せなかったのには驚いた。 「今回のコンクールに対する意気込みを話してください」と言われ、「ハイ、お願いします!」と促された途端、言葉が出ない、笑顔はかたまる、汗は出る、手は震える、情けない状態になってしまった。 カメラに弱い自分を知り、今はそれを克服するため、使い捨てカメラを机の上に置いて喋る稽古をしている。 いずれにしてもいい経験だったことは確かで、これからこれを生かし、頑張っていこうと思っている。 応援して下さった皆様。来年以降をご期待ください。 2002年10月22日配信 |
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あの日観た映画のように 切なく哀しい ある青年の物語 10月15日。 先日、久しぶりに満員電車に乗った。毎日どうしても満員電車に揺られて通勤通学している方には申し訳ないが、我々噺家はめったに鮨詰め状態の電車に乗ることがない。 それが、どういう訳か、そんな電車に乗り合わせてしまった。始めはさほどでもなかったものが、一駅ごとに混んできて、気がついたときには、もう身動きが出来なった。混んだ電車に乗り馴れてない私は、押されるがままにあっちこっちに移動して、結局自分の目的地には降りられず、見知らぬ駅で吐き出されるまで息苦しい想いをしたのだが、その途中、私の近くに立っていた青年はか可哀想だった。 連れの女の子と話しているのを聞くと、どうやら田舎から出て来たばかりの青年である。あまりの混雑に驚いた様子で、二言目には「東京には住めんな」と女の子に言っている。 女の子は馴れたものと見えて平気な顔をして立っている。 「苦しい、きついじゃろ」「毎日こんなもんに乗っちょる?」「帰ってきたらどうよ、こっちはガラガラよ」などと大声で話し掛ける青年に、 女の子の方は「ちょっと」「マアね、」「いや」と短く答えるだけである。 そのうち彼女が小さい声で、「次よ」と言う。 電車が止まり扉が開く。 女の子は「降ります」と一言言うと、わずかな隙間からサッと電車の外へ出た。 一方、青年には一瞬の迷いがあった。そして、これが命取りだった。 あっと言う間に彼女がつくった細い道は閉じられ、青年の前には人の壁が出来た。 「おっ降りまーす!」 青年は車内の人がハッと驚くほど大きな声で叫び、扉へ近づこうとしたが、モーゼのようにはいかなかった。 それどころか、無表情に乗り込む人の波に押されて、2、3歩後退した。それでも彼は「降りまーす、降ろしてください」そう叫びながら前へ出た。 が、無情にもあと一歩というところで扉は閉まってしまった。 周りの人が皆、哀れみと笑いをこらえた目で青年をじっと見る。 青年は目を見開いて、ホームで小さく手を振る女の子を見続ける。 電車が走り出す。 青年は「降ります」と言いかけた口を閉じて、やがて「降りません」と呟いた。 青年がどの駅で降りたか、私は知らない。 2002年10月17日配信 |
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ショーはマジでやるもの 10月9日。 先日、生まれて初めて女子プロレスリングを見た。あるお客様に連れて行っていただいたのだが、リングサイド正面最前列の席で、その迫力といったらなかった。正直、初めは女子の格闘技など、たいしたものではないだろう、と思っていた。 ちょっと顔のカワイイ娘が傷つきながらも最後に悪役レスラーを倒すという、シンデレラストーリーのところどころにコブライツイストだの4の字固め(どうも技の名前が古い!)が入る程度だと思っていた。 ところが、マアはじまって見れば、凄いの何の。殴るわ、投げとばすわ、何メートルも跳んで頭ぶつけるわ・・・・・・。手抜きでは出来ないものだと思った。 ショーだからウソなのではない。手抜きなのではない。ショーは本気でなければいけない。 2002年10月12日配信 |
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しあわせな好二郎一家 10月5日 我が家はとても明るい、と思っている。いつも笑顔が絶えない。 例えば私が具合が悪い、風邪気味だ、と言って床にふせっていても、女房娘に笑顔は絶えない。下の娘がぜんそくだと言って苦しがっていても、上の娘がアトピーだと言ってかゆがっていても、他の3人はかまわず笑っている。女房がその体力のなさから寝込んでしまった時でも、「お前大丈夫か?」「ママ頑張ってね」などと言いつつ、そお寝姿がヤモリのようだと大笑いする。誰も心配してくれない家族である。 病にかかった誰かを笑いものにして自分は元気になる、笑われたほうはその悔しさをバネに病気を治す。これが我が家の掟である。 近所の人にはいつも元気で明るい家族と思われているが、こう見えて病弱である。 2002年10月5日配信 |
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女風の芸風を目指す 9月30日。 「葉隠入門」を読んでいる。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」の一句で有名な「葉隠」を三島由紀夫が解説した、これまた有名な本である。マァ読んでいるといっても、私は遊び読みだからその本の深い意味だの著者の思想だのはまるっきり読み取れない。ただ、その中の一節というより「女風」という一語に興味を持った。 「女風」の意味としては、「結構者、物を破らぬ人、柔らかなる人」というから、人当りのいい人をさすのだろう。「葉隠」の思想を語った常朝も、三島由紀夫も「近頃の若い者は女風ばかりだ」と嘆いている。 そんなことはどうでもいい。昔から若者は軟弱だと見られていたとか、第一「女風」が「柔らかなる人」を表すか現代では疑わしい、などと言うつもりもない。 私はただ、「女風」と言う語感がたまらなく美しいと思うのである。今この言葉を復活させたら、いい意味に使えそうな気がするのである。いや、今も書道の世界や何かで使っているかもしれない。 「いやあ、なかなかあなたの字は素敵ですな。ただ力強さが足りん。女風ですな」などと。 でも、そう頻繁に使われている言葉ではないことは確かだ。私は是非、この女風が巷に溢れることを願っている。 「あの人の芸は女風でいいね」「あのレストランは女風の美しい建物だ」「新発売のお徳用ドレッシング、女風」というように。 私はこれから「女風」の芸風を目指すつもりである。 2002年10月1日配信 |
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好二郎の妻は収納じょうず!? 9月28日 9月25日分の日記が書けなかったのは、私が風邪を引いたせいである。咳は出る、熱は出る、鼻は出る、出るものはすべて出る。 はっきり言って起きているのもつらいのである。日記の更新が遅れたの本当に申し訳ないと思っているが、とても文章を書ける状態ではないのだ。今も大変つらい。昨日の落語も実にいい加減だった。 仕方がないので、、とにかく薬でも飲んで、少しは調子がよくなったら書こうと思ったのだが、その薬が、よく分からない。 私の妻は素敵な人で、何でもまとめてしまうのである。コップならコップ、同じ箱にまとめて収納する。おもちゃも同じ箱にまとめて入れてしまう。そして薬もそうだ。 一つの箱に風邪から下痢の薬まで、まとめてしまうのである。だから私は箱の中から風邪に効きそうな色形の薬を探し、飲むことになる。 今回のんだ薬は本当は何の薬なのだろう、とにかく気分はいい。腹痛と腰痛は治った。でも、熱がさがらない。 いったい何の薬だったのだろう。 2002年9月28日配信 |
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絶句する好二郎の娘たち 9月20日。 「30の手習い」という自分の勉強会を終えた晩、観に来てくれたこのHPの管理者くんと一杯飲み、ラーメンを食べて、結局我が家に管理者くんが泊まることになった。 翌朝、管理者くんが泊まっていることに気づいた二人の娘は、興味津々。幸せそうに寝息を立てる彼の顔を覗き込んでいた。 やがて彼が目を覚ますと、二人はここぞとばかりに喋りまくり、管理者くんの手をとって遊び始めた。 その光景は本物の親子のようでほほえましかった。 「また遊んでくれる?また泊まりにきてくれる?」。そう言う娘に管理者くんは満面の笑みを浮かべて 「ウン、これから一緒に暮らすんだよ!」と言うと、 娘二人は凍りつき、絶句していた。 本当に嫌だったんだと思う。 2002年9月21日配信 |
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決定的な口説き文句 受け入れられた喜びに 羽根を広げてバタつく 9月15日。 我が家は、植物を育てるのが下手で、ことごとく枯らしてしまう。ベランダには、そうした失敗の記録である植木鉢だけがズラリと並んでいる。 その植木鉢にスズメが遊びに来るようになったのは、一週間程前だ。スズメのさえずりがやけに近くで聞こえるので、ベランダを覗くと、土と砂だけになった植木鉢に、スズメが一羽、羽根を広げバタバタとのたうち回っている。 最初はけがでもしているのかと思って見ていたら、そうでもないらしい。ひとしきり砂あびをすると元気に飛び去っていった。 面白いもんだなあ、と思っているとすぐに戻ってきてまた砂遊びをする。よほど気に入ったらしい。それから毎日ベランダに現れるようになった。6つある鉢のうち、大きいもの小さいもの、砂が多いもの、少ないのも色々あるから、たぶん気に入った、あるいは気に入らぬ鉢があるのだろう。長々と砂あびをするところもあれば、ちょっと体をつけてすぐ出てしまうものもある。 まるでスーパー銭湯で色々な湯船を楽しむ人間のようである。口の小さい縦長の植木鉢にじっとおさまったスズメの様は、さながらサウナで暑さに耐えるおじさんである。 二、三日前、スズメがもう一羽増えた。毎日来るスズメの恋人に違いない。体つきからいって、毎日きていたほうが男だ。たぶん彼は「俺と、砂あび、しようぜ」。そう言って彼女を口説いたに違いない。 「砂あび」。これはスズメの世界では、決定的な口説き文句なのだろう。 「夜、一緒に食事しましょう」とか「ドライブに行きませんか」なんてものじゃない。もっと直接的な、強烈な一言なのだ。 「砂あびしよう」。彼は相当の勇気をもって口にしたことだろう。そして受け入れられた時の喜びはいかばかりだったか! 後からきた彼女は鉢のふちにチョンとのり、照れている。彼はいつもより余計にバタバタはしゃいでいる。 妻が「スズメまた来てる?」とベランダを覗きに来る。 私はそっと、「砂あび、する?」とつぶやいてみる。 2002年9月15日配信 |
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落語家は街で雨に濡れる 9月10日 「花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」 私は傘をさすのが大変下手な男である。下手な男であると大威張りに断言されても言われた方が困るだろうが、事実、私は傘をさすのが苦手である。 雨が降ってくる、傘をさして出かける、用を終えて帰ってくる、ずぶ濡れになってなっている、という図式である。 なぜだか分からない。私はちゃんと傘を開き、それを持っていて、しかも傘は破れていないのに、いつも肩と言わず背中と言わず髪の毛と言わず、濡れているのである。 家人には「傘をもっていかなかったの?」と言われるし、近所の人には「どこでそんなに強く降られたんですか?」などと訊かれる。 なぜだろう。 一度大きい傘を買って使ってみたのだが、結果は同じだった。 友人にこの話をしたら、「ウチの子どもと同じだな、子どもって傘さしているようでさしてない時があるんだよ、道端にしゃがんで虫なんか夢中になって見ていると手がおろそかになってな、まるっきり傘の役割をはたしていないなんて時があるよ、お前もそれと同じ。要するに子どもなんだよ」と笑われた。 そうかも知れない。私は傘を開くと、なんだか自分の世界に入りやすくなって、いろいろなことを空想夢想するくせがある。その間に手がおろそかになって・・・・・・、大いにあり得る。確かにアーケードでもビルの中でも傘を閉じないことがままある。私のことだから、恐らくは、傘を開いている時はいつも以上にさまざまなことを考えているのだろう。長雨の時は、春も、梅雨も、そしてこの秋も、もの想いにふけるのである。 今日、雨のの中の街を歩いていたら、向こうからきた若い男性が、傘をさしているのにもかかわらず、肩がぐっしょりと濡れていた。なんだかうつろな目をしている。ブツブツ何かを言っている。 よく見ると、落語協会の若手の噺家さんだった。 傘をさすのが苦手な人は落語家に向いている。 2002年9月12日配信 |
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変わり者談義 9月5日。 大学時代以来、ずっと付き合いのあるNという友人に久しぶりに会った。Nはある業界新聞のデスクという立場にいるが、見た目はたいしたことのない男である。 Nは私と正反対の性格で、同じことを見聞きしても、必ず彼とは意見が違ってくる。 例えば、一つの映画を一緒に観たとして、私は「素敵だ」と絶賛すれば、「あれ程退屈な映画はない」と切り捨てる。私の好きな中華料理は、Nの嫌いなものの一つだし、Nの大好きなイタリア料理は私の苦手なものの一つである。 万事がこの調子だから、かえってNと話をしていると飽きることがない。 こんな彼が、自分の息子について少し心配しているという。 因みにNには息子が二人いて、私には娘が二人いる。ここでもうまく対になっている。 「何が心配なの?」 「いえねェ、ウチの長男がさあ、少し変っているんだよ」 私は、へえェと思った。 Nという男は変り者である。一つのことに興味を持つと、たとえそれがゴジラだろうが、スポーツカーについてだろうが、政治についてだろうが、高尚低俗を問わず、調べ上げないと気がすまないという男である。 そんな変わり者が、変わっているというのだから、彼の息子はたぶん変なのである。 「どんな風に変わっているの?」 「それがウチの息子、絵本を読んでも喜ばないくせにさあ、図鑑ってあるだろ、虫とか自動車とか魚とか、そういう写真と解説だけの本みてさ、ゲラゲラ笑ってんだよ」 「それは怖いな」 「そうだろ。困ったよなあ。いったい誰に似たんだろう」。そう言って真剣に悩んでいるNに、 「お前だよ」と言えなかった。 2002年9月8日配信 |
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淋しい気分の好二郎 9月1日。 日曜日なのに仕事がない。久しぶりの休日らしい休日である。 ひまなので子どもが借りてきた「千と千尋の神隠し」絵本版をパラパラとめくっていた。これが映画とは違った面白さがあり、つい夢中になってしまった。 舞台となった「油屋」の建物のつくりなんかが載っていて、飽きることがない。最後のページには、映画の主題歌「いつも何度でも」(間違っていたらゴメンなさい)の歌詞が書いてあって、「いい歌詞だなあ」等と独り言を言っていた(ちなみに作詞は私が尊敬する入船亭扇辰師匠のおかみさんである。私の女房にも扇辰師匠のおかみさんを見習いなさい、と言ったら、あなたが扇辰師匠くらい上手になれたらね、と言われた)。 そうこうするうちに主題歌が聴きたくなってテープをかける。気分が盛り上がってきたので爪に「カオナシ」の顔を描いてみた。 これがなかなかいい出来だったので、うれしくて左の指の爪全部に「カオナシ」を描く。様々な表情の「カオナシ」が出来て面白い。 しばらく自分の指に並んだカオナシを見ていたら、映画の中のカオナシのキャラクターも重なって、急にさみしくなった。 日曜日なののに仕事がない。 快晴の休日である。 2002年9月1日配信 |
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幸せいっぱい 好二郎一家の 心洗われるひととき 8月24日。 夏休みも残すところあと一週間になった。 小学校2年生になった長女は、「夏休みの研究」で「エンドウ豆のかんさつ」をはじめた。自分で土を運び種をまき、そして水をまく。毎日ベランダの鉢植えをのぞいては「かんさつ日記」をつけていた。 「エンドウ豆、いくつくらいできるかなあ」と目を輝かす姿は、我が娘ながら可愛いものである。 ところが、「エンドウ豆」は育つにつれ、朝顔のような芽を出し、双葉をつけ、大きな葉をつけだした。 私も妻も「あれ朝顔じゃない?」、「朝顔に似ているね」。そんな会話をしていた。 それから3、4日家を空けた後、家に戻ってみると、ベランダには、まぎれもない朝顔が夕日をあびてひかりかがやいていた。長女はそれをじっと見つめていたが、やがて子ども部屋へと駆け出した。 「エンドウ豆じゃなかったのがショックだったのね」 妻がそう言って長女の様子を見に行くと、長女は「夏休みの研究ノート」の表紙を「エンドウ豆のかんさつ」から「あさがおのかんさつ」に書き換え、「これでよし」と笑っていた。 夏休みも、もうすぐ終わりである。 2002年8月25日配信 |
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鼻水が止まらない 8月20日。 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども〜」 秋の気配である。私は秋になると風邪を引く。しかも鼻かぜを引く。鼻がムズムズしてきたな、と思うと鼻の中で、突かれたように痛くなる。そうするとクシャミがでるしばらくクシャミが続くと鼻の中の痛みがなくなり、その代わり鼻水が出る。 そうすると、きまって秋になる。 近頃、鼻水が出る。 もう秋なのね。 2002年8月21日配信 |
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妻、酷暑の家事で倒れる! 心配する娘 ほくそえむ好二郎 8月16日。 きょう金魚が死んだ。暑さのせいか、水をとりかえたせいか、餌がふそくしていたのか、とにかく、金魚が死んだ。 第一発見者は、下の娘だ。 「あ、金魚がまわってる」 金魚鉢を覗いてそう言うので見てみると、確かに金魚が体を回転させて沈んでいく。上の娘もすぐに「本当だ、まわってる」。 金魚はそれから、二、三度浮かぶそぶりを見せたが、また回転して、力尽き、動かなくなった。 私と娘二人は、言葉もなく、ただそれを見ていた。 しばらくして、妻が朝食を作り終えて台所から出て来た。この暑さと、料理を作ったときの火の勢いで、玉のような汗を浮かべていた。 「あー暑い、もうダメ」 そう言って妻は、グルグルと回転して、その場に倒れた。 二人の娘は「あ、ママもまわってる」と心配そうな声をあげる。 「まわってるね」 私はなぜか、うれしそうに呟いた。 2002年8月17日配信 |
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怖い話は苦手です 8月10日。 夏である。夏と言えば怪談だ。落語の世界でももちろん、怪談噺が盛んになるが、私は怪談噺が苦手である。落語の怖い噺だけでなく、気のあった仲間同士で語る「ちょっと怖い噺」も下手である。 学生時代、怪談噺、怖い噺がとても上手な先輩がいた。墓地、タクシ―、夜の病院、古ぼけた寺院、出て来るものはごくありきたりのものなのだが、その先輩にかかると、怖い。怖がりながら「うまいもんだなあ」と感心していた。 で、その噺を覚えて、私が誰かに、同じように語っても、なぜか「怖い噺」にならない。笑い噺になってしまう。私は一生懸命怖がらせようと思っているのだが・・・・・・。 そう言えば、つい先日、怖い目にあった。 場所は、新宿。時間は夜中の1時。私はバーで飲んでいた。その広いバーに私と私の友人と、バーテンの老紳士とレジ前で一歩も動かない若い男、それきりだった。要するに客は私と友人の二人だけだ。音楽も何もない店内で、私達は遠慮がちに下らない笑い話などをしていた。 その時、もう一人、背広を着た五十がらみの、小柄だが精力的な男が入って来た。私がチラリと視線を送ると「何見てんだよ」と野太い声で言う。私は要らぬ因縁でもつけられちゃ困るので、無視していた。 小柄な男は、トイレに入っていった。 バーテンが私を見て「済みませんねェ」と言う。 私は黙ってうなずいた。 小柄な男がトイレから出て来た。 女の人の格好で。 カールのかかった長い髪、紫のドレス、赤い口紅とイヤリング、光るマスカラ。 でも、間違えなくさっきの小柄な男である。 彼・・・・・・彼女は私の隣に座った。私がじっと彼女を見ると、「何見てんのよ」。 とっても怖かったのだが、私の友人はおかしくて仕方がないようだった。 私は怖い話が苦手である。 2002年8月11日配信 |
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悔しがる好二郎 8月5日。 もうすぐ全国高校野球が始まる。甲子園では今年も熱戦が繰り広げられるだろう。 私は、東東京大会決勝で惜しくも敗れた、あのニ松学舎大附属高校附属大学の出身である。はっきり言って高校の方が有名なので大学の方が附属化している・・・・・・。 そんなことはどうでもいい。 要はくやしいのである。 決勝で負けた相手がよくない。他の高校ならともかく、帝京である。 帝京で頑張っている生徒には悪いが、あの「寄付金疑惑の帝京」である。 悪いお金集めて、その金で野球チームの強化してるんだろう、と悪態の一つもつきたくなる。 せっかく頑張って優勝したのに、私のような人間にそんな悪口を言わせる、「帝京」という組織のトップは、教育者失格である。 2002年8月6日配信 |
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暑くて稽古も大変です 7月30日。 あつい。 あつい、あつい、そう言っても仕方がないのは分かっている。でも、もう一度言う、 暑い! 新聞を読んでいたら、東京は100年前と比べて3度も平均気温が上がったそうだ。そんな話をきくとなおあつい。 私は、暑いのと淋しいのが苦手である。落語の稽古もできない。無理に稽古をしてもセリフの合間合間に「暑い」という言葉が入ってしまう。 だから8月の中ごろまで、私の落語に期待してはいけない。 2002年8月1日更新 |