好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します  過去の動静一覧 表紙へ戻る
 200211月・12月・2003年1月

妻の企みか?
好二郎の首、回らず


1月25日。

 首が回らない。借金ではない。本当に首が回らないのである。回らないばかりか曲がらない。痛みがでてから4、5日たつが、治る気配がない。

 幸い落語をしているときは、緊張のためか、プロ意識か、金欲しさか、あまり痛みを感じることはない。その代わり、楽屋にいるときはギコチない。着替えるのにいつもの3倍も時間がかかる。

 普段の生活もいけない。トイレで便座を見ることが出来ない。不安である。

 うがいができない。寝返りができない。とにかく首が自由に動かないというのは、不便である。

 原因は何だろうか。まず考えられるのが体操である。近頃体力が落ちた。健康にも体調にもよくないから、体操をはじめよう、そう決心してラジオ体操をはじめたのが5、6日前である。体操のせいで筋力痛になった、というのが今のところ有力な原因である。体操は体によくない。

 次に考えられるのが凧揚げ。子どもが作った凧を夢中になって揚げたのが、やはり5、6日前。

 そして最後に考えられるのが妻だ。私がぼんやり立っていると妻が布団を畳んでいた。驚かせてやろうとラグビーのタックルの真似事をした。すると首根っこを押さえつけられ、ねじり投げられた。一週間ほど前の朝の出来事である。これも立派な首痛原因の一つだと思うのだが、妻は否定している。
 
「あの時は違うわよ。そんなに首を強く押さえていないし。・・・・・・それより、あなたが昼寝しているとき、掃除機をぶつけちゃったことはあったけど・・・・・・、でも違うな。あれは頭にぶつけたんだもん。・・・・・・首痛いのどうしてだろうねェ」

 昼寝している間に私は何をされているんだろう。

 2003年1月26日配信
貴乃花は
尊敬に値する横綱だった


 1月20日。

 横綱・貴乃花が引退を表明した。

 とても淋しい。

 この時代にあって、圧倒的な強さと人気を集め、あの年齢で力の衰えと世間の悪評を身に感じながら、決して最後まで、マスメディアという化け物に屈しなかった男だったと思う。

 少し活躍するとそれを”商品化”するマスメディアに、決して振り回されることがなかった。人気が落ちたとき、ここぞとばかりに叩かれても、彼は動じることがなかった。いや、心の奥底では、揺れに揺れていたのかもしれない。しかし、それを表に出さなかった。彼の精神力は、尊敬に値すると思う。少なくとも、僕は素直に素晴らしい横綱だったと思う。

 スポーツには詳しくない我が妻も、貴乃花引退報道にふれると

「いやー、ウソー、ヤダー」

 そう言って涙していた。それ程、貴乃花は素晴らしいのである。

 元横綱の曙関や、兄若乃花のコメントに妻は涙していた。すごく泣いていた。

 飼っていた金魚が死んでも、メダカが死んでも涙一つこぼさなかった妻が泣いていた。

 すごく淋しがっている。

 僕なんかどうでもいい、といった風に涙している。

 ・・・・・・・・・妻よ。お前は、貴乃花と何があったんだ!
2003年1月21日配信
 好二郎の妻は冷たい!?

1月15日。

 我が家の前に、大きな公園がある。その割に遊戯施設が少ないので、朝となく夜となく、犬を散歩させる人が多い。

 毎日散歩させていると、そういう人達は仲がよくなるものと見える。

「おたくの犬はなんてお名前?」

 そんなところから会話が始まって、そのうち「うちのお義母さんがうるさくて」なんて話までするようになるらしい。

 でも、気の合わない人もいて、毎日顔を合わせても一言も口をきかない、という人もいるという。犬にも合う合わない、好き嫌いがあるらしく、会えばあいさつ代わりに、おしりのにおいを嗅いだり、じゃれあったりするものもあれば、すれ違っても見知らぬ顔で通り過ぎるものもある。もっとも、犬のどういう顔が見知らぬ顔なのかと問われると困るのだが。

 で、そういう人達を見ていると面白い。

 今日も茶色の小型犬を連れたおじさんの前を通り過ぎた時、その茶色犬に駆け寄ろうとする白犬に向かって、「ゴメン、今日は出掛けるからダメなの!」遊んであげられないの!ゴメンなさーい!」と涙ながらに叫んで駆け出していくのを見た。
 
 よほど犬達が遊び始めると長くなるのだろう。よほど、大事な用で出掛けるのだろう。おばさんも犬も可哀想だなと思った。

 その話を妻にしたら、彼女が一言、

「だったら散歩なんかに出なきゃいいのに」

 犬にも冷たい女である。

 2003年1月15日配信
 便乗本を出すぞ

1月10日。

「声に出して読みたい日本語」というような本がベストセラーになって「〜の日本語」というような本が次々と出版されている。日本語ブームは短い周期で必ず来るものだから驚きはしない。

 それよりも私は、それに便乗した本を出せたらなあと思っている。

 HPの管理者君に相談したら、「どんなタイトルの本を出すつもりなんです?」と言うので、まず考えたのが、「そっとつぶやきたい日本語」。

 例えば、「そこ、私の席だと思うんですけど」。

 この言葉は、電車の指定席で、自分のところに恐そうな人が座っていた時や、朝会社に行ったら自分の机に見知らぬ人が座ってバリバリ働いていた時などに使いたい。「あんまり面白くないんですけど」。 これは自信のない噺をするときの噺家や、離婚の理由を誰かに聞かれた時、そっと呟きたい日本語である。

「他には?」と管理者君が聞くので、「胸にしまっておきたい日本語」「恥ずかしくて口に出せない日本語」「よく知らない日本語」「外国語みたいな日本語」など、色々と案をだしてみたのだが、管理者君の反応は今ひとつだった。

 当分、便乗本は出せそうにない。

 2003年1月10日配信
ウィーンフィルを生で観たい!
夫妻の夢は叶うのか!


 1月5日。

 私は普段、テレビを観ない。妻も観ないし、子ども達もそれ程観ない。別に嫌いなわけじゃないのだが、テレビを点けようと思わない。

 だから「テレビはくだらんから決して観ないぞ!」という信念があるのではない。反対に気が向けば喜んで観る。

 で、正月はなんとなくテレビが観たくなる。特にオペラやコンサート、芝居、歌舞伎など、入場料が高そうなものは、正月の特別番組で観たくなる。

 中でも「ウィーンフィルニューイヤーコンサート」は毎年楽しみにしている。普段観ないからこの時はワクワクして仕方がない。

 今年も音楽と映像を楽しみ、「ああ、いつか生で観たいなあ」と妻と話し合った。

 そしたら、妻が「私達はいつまで経っても生でウィーンフィルニューイヤーコンサートは観られないのではないか、あそこに行ける人は、何か貴族だとか王室関係者といった資格がいるに違いない」と言うのである。

 確かに画面で見る客は皆上品そうで、私たち夫婦とは明らかに違って見える。

「いやそう見えるだけでお金さえ出せば誰でも行けるのではないか」。

「その金が問題よ」。

「お金さえあれば下品でもいいのか?」

「上品でもお金がなけりゃ下品と同じ」

「いや上品下品はお金ではない」

「あなたムキになってるけどまさか自分が上品でお金のない人間だと思ってない?」

「何を!?」

「図星ね!」

「うるせィ!」・・・・・・

そんな話をしながら炬燵にはいったままみかんを投げ合う私達は素敵なコンサートをテレビで観る資格すら、ないのかも知れない」

2003年1月4日配信
明けまして おめでとう ございます

今年は地道に活動します。
下地を固める予定です。


とてもやる気がないようにみえるかもしれません。

でも、心は燃えています。
やる気です。
一年間頑張ります。

皆様も自分の道で頑張っていきましょう。

では、正月は忙しいのでこの辺で。

2003年元旦 三遊亭好二郎
よいお年を

 12月31日

「何事も 済まさぬうちに 年の暮れ」

 今年はバタバタとした一年だった。毎日誰かに押されるような、引っ張られているような。

 ふと気づけば大晦日。

 今年何をしたのだろうとふり返れば、確かなものが一つもない、そんな気がする。とは言っても、1年間こうして生きてきたのだから、何かしらやってきたのだろう。大晦日の今日、ゆっくりと考えてみよう。

 今年一年、私は誰にお世話になり、何をしてきたのか。何を反省し、誰に感謝すべきなのか。除夜の鐘の音に合わせて、出会った人達を指折り数えてみる。そんな年越しもいい。

 もうすぐ2002年が終わり、新しい年が始まる。妻が年越しそばを作り始めれば、すぐ新年だ。

 そう言えば、このHPに、ずいぶん妻を登場させた。困ったときの妻頼りだった。ネタがないな、と思うと必ず変なことをしてくれた妻だった。来年は妻に頼るまい、と思うのだけれども、面白いので、登場する機会も多いだろう。

 今年一年、妻ともどもお世話になりました。

 来年もよろしくお願い致します。

 よいお年を。

「妻殿を 湯気の向こうに 暮れのそば」

2002年12月31日配信
 「あなたは誰がすきですか?
 僕は神様が大好きです」
 三遊亭好二郎


 
12月24日。

 僕は神様が好きです。神様がいるのかいないのか、そんなことはたいした問題じゃないと思います。いたらいいなあと思うのです。キリスト様が神様なのか、と誰かに問われたら、答えに迷います。キリスト様は本当に本当に神様か!と怖い人にすごまれたら、分かりませんと小さな声で答えるでしょう。もちろんブッタは神様か、と聞かれたら仏様だとおもいます、そう答えます。
 
 でも、例えばキリスト様は、彼が生まれたとされる日に、また前夜のために、2000年も後の世界中の人々がたくさん祝うのですから、彼を神様と呼んでやってもいいと思うのです。キリスト様も、サンタさんも、ブッタさんも、アラーの神も、それは本当に「神」なのか、それは問題ではありません

 少なくとも僕には、問題ではないのです。

 ぼくは神様が好きです。クリスマスカードをもらったり、ケーキを妻が作ってみたり、サンタのために、玄関を子どもが綺麗に掃除したり、そんな特別な日を提供してくれる神様たちが大好きです。

 ぼくは神様が好きです。

 あなたは誰が好きですか?

 メリークリスマス。

 皆様にとって特別な一日でありますように。

 2002年12月25日配信
妻に励まされ
好二郎、強靭な精神力を発揮


12月16日。

 昨日、今年4月から続けてきた勉強会「30の手習い」の第一部を無事に終え、気持ちの上で一区切りついた。皆様のお陰で続けてこられたのだという想いでいっぱいである。また来年、今度は少しは難しい噺に挑戦しようと「30の手習い」第2部を構想中である。詳しいことが決まり次第報告いたしますので、その節はどうぞ足を運んで下さいませ。

 ところで「びろう」な話になるのだが、「30の手習い」の翌日、つまり今日。昨夜の打ち上げで飲みすぎたのか、私は腹を下していた。

 朝からどうも調子がよくない。10時半頃遅い朝食をとったとたん、猛烈な便意が襲い、トイレに飛び込む。

 しかし、背後から、妻が「断水でトイレは使えないわよ」と悲しい宣告。

「使わないでって言っても、下痢だよ。どうする?」

「公園に行ってくれば?」

 私は黙って着替えをし、帽子をかぶって外へ出た。このときはまだ余裕があった。公園のトイレまではものの2分である。ゴロゴロのお腹に手を当て、そろりそろりと歩いていった。冷たい風が腹を刺激する。

 ところがやっとたどり着いたトイレを見て驚いた。とにかく汚いのである。管理人のおじいいさんがブツブツ言いながら掃除をしている。おじいいさんの後ろで体を震わせながら、待っていると「しばらく使えないよ」と、こともなげに言う。

 なおじっと立っていたが、おじいいさんは相変わらずブツブツ文句を言っている。私は内股ともガニ股とも言えない奇妙な格好で家に戻った。

「断水でも何でもトイレ使うよ」

 妻にこう言ったとき、私の顔は青かった。にもかかわらず「公園がだめならマルエツね」と妻は橋の向こうのスーパーを指差す。「大丈夫、間に合うわよ」と妻に励まされ、私は橋を渡った。この長く感じるといったらない。どんなに歩いても橋の上。少し涙が出る。我慢できなかったら私は大泣きしていたに違いない。

 しかし私は強靭な精神力で、そのスーパーにたどり着いた。今度は生ぬるい暖房が腹を追いつめる。全身に震えが来る。あと少し、もう一歩でトイレだ、というところで警備員のお兄さんに呼び止められた。

「ちょっとすみません、どちらへ?」

 私は答えもせずにトイレに駆け込む。追ってくる警備員。

 間一髪で間に合った。

 私はしゃがんだまま、断水で家のトイレが使えず橋向こうから歩いてきたことを警備員さんに話して聞かせた。彼はクックッと笑って、「急に逃げるものですからビックリしました。失礼しました」

「いえ私が悪いんです。どうも済みません。いやあ、でもあなたにつかまらなくってよかったぁ」

 そう私が言うと「ええ、クックッ、私も捕まえなくてよかった」

2002年12月16日配信
お歳暮をめぐり
好二郎の妻は考える

 12月12日。

 お歳暮の季節である。拙宅にもたまに届く。

 あるお寺さんから届いた。とても嬉しいものだが、お返しに困った。お寺さんはお金もあるし、色々といい品物もあるだろうから、私なんぞが何を贈っても喜ばれそうもない。

 とにかく急ぎ礼状を書き送り、「もう二ツ目になったことだし、気の利いたものを贈らないといけないよな」と妻に相談すると「気の利いたものってどんなもの?」「だからお寺さんがよろこぶものだよ」「じゃお墓を建てれば喜ぶんじゃない」「・・・・・・」

 妻はいたって正直な女である。たぶん「お寺さん」「喜ぶ」がストレートにつながって、真面目に出した答えが「お墓」なのである。まるっきり悪気はないのだろう。

 しかし、何かが彼女の頭から抜け落ちている。

「それは、お歳暮にならないだろう」と言うと「そうねェ」と呟くとニコリともしないで考えている。

「マ、もう少し世間並みに稼ぐようになって改めて考えれば?それまでは品物ではなくて誠心誠意お付き合いさせていただくことでいいんじゃない?」

 たまにはまともなことを言う妻である。

「そうだな、今はマメに顔を出したり、手紙を書いたりして甘えさせてもらおうか」

「そうよ稽古して上手になったほうがいいのよ」

 ますますまともな意見である。

 感心しているところへ、病院の先生からお歳暮が届いた。

「じゃ、病気になってあがると喜ぶんじゃない」

 妻はまともなのかそうじゃないのか、よくわからない。

2002年12月12日配信
支離滅裂!?
それは野暮ですよ


 12月5日。

 「歌舞伎」は、噺家にとって決して避けて通れぬ「芸」のひとつである。人によってはそれが楽しみであり、またある人にとっては苦痛となる。

 私の場合、苦痛ではないが、とても楽しみで楽しみで仕方がない、ということもない。「観る」方なら楽しむことも大いにできるが、さあ、それを落語に生かせ!と言われると、苦痛になるかもしれない。

 とりあえず本格的に歌舞伎を勉強する前に、と、入門書を一冊手に入れた。そこには面白い言葉がいくつか並んでいた。

 その中から一つ。

 「まず歌舞伎を楽しむには、筋を頭に入れておく必要があるでしょう。(中略)しかし筋の通らぬ芝居が多いと言う方がいますが、それは野暮というものです」。

 何となく凄い入門書である。

 歌舞伎はともかく、「歌舞伎入門書」は面白い。

 2002年12月6日配信
さみしい気分の好二郎

 12月1日。

 夫婦が一組の男女ではなく、「完全なる夫婦」になってしまう一つの基準に、寝室の電気に寝ながら明かりを消せるように長い紐をつけるという行為がある。

 寝室から色気が消えて、実用が居座るのである。こうなると二人は男と女ではなくなる。

 先日、我が寝室の電気にも、この長い紐がつけられた。見事に色気がない。

「これ外さないか?」と言うと、「じゃああなたが必ず電気を消してくれる?」と言うのではずさないことにした。

 寒い冬の夜、暖かい布団から出て電気を消すのは嫌なものである。どっちが消すかで言い争うのもバカバカしい。仕方がないのでその晩はそのままにして床についた。そして長い紐を引いた。

 するとどうだろう、その紐はビヨーンと伸びてしまった。腕を目一杯伸ばしても、紐も目一杯伸びる。

 色気と実用を秤にかけて、せっかく実用をとったのに、役に立たなかった。

 なんだかとってもさみしかった。

2002年12月2日配信
 HP開設1周年記念
 いい話を募集中

11月25日。

 本人が言うのも何だが、一周年おめでとうございます。

 これも管理者くんとこのページに遊びに来てくださる皆々様のお陰と感謝しております。

 特に管理者くんには頭が下がります。

 思い起こせば、このページを立ち上げる時、インターネットのイの字も知らない私は、ただ単にそういう機械が好きそうだ、というだけで、落語を聴いたこともない管理者くんに白羽の矢を立て、元先輩という立場を利用して無理やり始めたのがきっかけである。

 私自身「3ヵ月もてばいい」と思っていたのだが、管理者くんの努力で一年もつことになった。この間の彼の苦労は計りしれない。

 絵日記の催促をし、落語会に足を運び、お酒を飲み、歌をうたい、おどりを踊って楽しんできた。大変だったと思う。

 今彼は、私同様、いやそれ以上に感動しているに違いない。

 彼の情熱が冷めるまで、このページは続くことでしょう。どうぞ皆様、管理者くんと共にこれからも頑張りますので、このページをよろしくお願いします。

 落語のことだけでなくても、私のことでなくてもけっこうです。いい話があったら教えて下さい。

 11月25日配信
 まんの考察

 11月20日。
 
 あるお客様から「この間高座で『東京のドまん中』とおっしゃっておましたが、あれは『東京のまんまん中』が正しいのではありませんか?」と言われた。

 なるほど、ド真中より上品でいい。真ん中の中の真ん中という意味では、どちらでも同じなのだろうが、槍で刺した様な”ド真ん中”という表現より、丸味を帯びた”まんまん中”の方がいい。

 しかし「ド」が悪い訳じゃない。何でもかんでも「ド」をはずせばいいかと言うとそうじゃない。ドケチ、ド田舎、なんかは「ド」をつけなきゃいけない。また「ド」の代りに「まん」をつければ上品になるかというとそうじゃない、ほとんど「まん」をつけられない。「まんケチ」「まん田舎」じゃ意味が分からない。

 そんなことを考えながら、「まんまん中」「まん丸」のほかに「まん」がつく言葉を探して、辞書にでている色々な言葉の上に「まん」をつけて読んでみたら、これが面白い。

 皆様も思いついた言葉の頭に「まん」をつけて声に出して読んでみて下さい。

2002年11月21日配信
妻の寝顔

 11月14日。

 近頃、居酒屋に行ってチヂミやサイコロステーキなど鉄板のまま出される料理を頼むと、「あつい!」と書かれた赤い紙がついてくる。これがいかにも熱そうで好きである。

 この紙を持ち帰り、友人宅の洋式トイレの便座に貼っておいたら「そんなはずはないと思いながら、恐々便座に触れた」という話を聞き、これは金の掛らない面白い遊びだと思って、方々で同じいたずらを繰り返した。

 とうとう自宅まで持ち込んで、フライパンに貼っておいた。

 台所に立った妻は、「今日は風邪ひいたみたいなの、あなた洗物してくれない?」なんてことをダルそうに言っている。

 私は、そんなことは聞こえないふりをして彼女がフラインパンに対してどんな反応をするかた楽しみにしていたのだが、ウンでもなければスンでもない。しまいには「調子悪いから寝るわ」、そう言って床に入ってしまった。

 面白味のないヤツだ、とふと布団のなかの妻を見たら、彼女は「あつい!」の赤い紙を額にのせて眠っていた。

 変なヤツである。

 2002年11月16日配信





















若者と語らい
刺激を受ける好二郎
若い世代へアピール

11月10日。

 9日の両国寄席に、私の親類が見にきてくれた。落語だから聴きに来てくれた、という方が正確かもしれない。とにかく親類とは言え、彼(年下のいとこ)に会うのは7、8年ぶりで嬉しかった。

 帰り、彼と同じ日に会場に来てくれた管理者君、このホームページでもお馴染みの花菊さんと朝までドンチャン騒ぎ。楽しい時間を過ごす翌10日。つまり今日は、私の知り合いでYさんという方が主催する「エンジェル寄席」という名の自宅寄席。4月に一度やって、このホームページでも紹介した少し変わった落語会である。

 主催のYさんは私の尊敬する女性の一人で、その明るさと行動力は見習うべきところが多い(実際、お客はすべて彼女が集めている)。

 この会は彼女の知り合いということで、客層が若い、というのが特徴である。そういう人達の前で落語をし、打ち上げで彼らと語り合うと、これがとても刺激になり、勉強になる。

 2日間、そういう若い人達と会うと、なんだか力が出て来る。(別に年配の方と語り合うと力がなくなるという訳ではない)落語はたぶん、若い人でも年配の方にも、楽しんでもらえるものだと思っている。

 でも、実際、寄席にいらっしゃるお客の中に若い人は少ない。この溝をどう埋めるか。奇をてらうでなく、しかし何かしらの努力をして、その溝をできるだけ埋めるのが、これから我々若手落語家の課題になるだろう。

 Yさんが開演前に「第1回よりお客様増えてますよ」とおっしゃった。とても嬉しかった。この気持ちを忘れずに若い世代にもアピールしていかなくちゃいけない。決して奇をてらわず・・・・・・。

 
追伸

 NHKの反省会の様子がニュース詳報に載っていますが、私は、本当は落ち込んでいるのです。そして反省していたのです。陽気だったのは、周りの人達なのです。中でもビックリするほどはしゃいでいたのは、管理者くんなのです。写真でみると私がとても楽しんでいるように見えますが、ウソです。写真は真実を語らないのです。

2002年11月10日配信
好二郎の妻は
天性のやかん


 11月4日。

「やかん」という噺がある。

 知ったかぶりの先生が、やかんがどうしてやかんといわれるようになったかを珍解説する話で、落語の定番と言える一席である。

 近頃その噺を覚えたので方々で話しているのだが、なかなかうまくできない。

 それはそれとして、「やかん」の導入部、いわゆる「枕」で、「なぜ、電話と電卓で数字の配列が逆なのか」ということを喋ったら、色々な方から回答をいただいた。ありがたいものである。しかも、その答えが大筋では一致しているものの、細かいところでは微妙に違っていたりして、興味深い。この分でいくと、すべてをつなぎあわせて最も完璧な答えが出来るのは私になるのではないかと独りほくそえんでいる。

 それにしても世の中分からないことが多い。そして、その分からないことを解決しなくてもなんとかなることがほとんどだ。そのどうでもいいことを考えるのは、なんとも楽しい。

 そう考えると世の中楽しいことだらけである。なぜ、さざえはらせん状になっているのか、なぜ鳥は人間と反対に膝が折れるのか、なぜ自動改札を抜ける時ドキドキするのか、考えると面白い。

 そんなことこんなこと、私はいつも身近な妻に聞いてみる。すると妻は決まって即座に答えてくれる。

「レコードだのCDだのどうしてぐるぐる回るんだろうね?」「レコーダーごと回すと危ないからよ」「にわとりってどうして飛べないんだろう?」「それは苦手だからよ」「俺ってさ、自転車のカギすぐなくすんだよね。どうしてだろう」「自転車に乗りつづければなくさないんじゃない」・・・・・・

 妻は天性のやかんである。

 2002年11月4日配信

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