好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します  過去の動静一覧  表紙へ戻る
 
2004年11月・12月、2005年1月

素敵なメロディー

1月25日

きょう我が家に一枚のCDが届いた。

「好二郎のための曲を誰か作ってください」とこのHPで呼びかけたら本当に「では作りましょう」という方が現れて、「でもお礼も何も出来ません、ボランティアですよ、貧しい噺家を助ける心美しい行為ですけど、まるきりお金になりませんよ」と言ったのに、「ええ、かまいませんよ」と神様みたいなことを言って、CDを送ってくれたのだ。

で、これが、これが素敵なメロディーで、しかも自分のための曲なんだなあと思うと感激ひとしおであった。

自分の落語会などでかける機会があったらかけるので、是非その曲を楽しみ足を運んでもらいたい。

では、きょうはもう一度この曲を聴くのでこのへんで。

2005年1月28日

小田原のNくんらは平気だ!

1月20日

 私がここ数年、ひどい口内炎に悩まされているのは有名な話である。

 噺家仲間には「きょう口内炎がひどくてうまく落語できるかそうか心配ですよ」といつも話しているから多くの落語家が知っている(但し、10回に2回は単に落語に自信がないから口内炎を言い訳にウソをついている)

「きょうは何だか口の中が痛くてもう食べられないや」と妻の手料理を断る時に伝えているから妻も私の口内炎は知っている(但し、10回に6回は単に味が合わない時の言い訳に使い、10回に3回は妻の手料理が口内炎の原因ではないかと疑っている)

 とにかく、口の中がいつも穴だらけである。

「口の中を清潔に保てば大丈夫」と言われて、歯磨き、うがい、消毒、消火、漂白、あらゆることに気を使っているが、いっこうに治る気配がない。あっちが出来たらこっちが治って、そっちに出来るという塩梅である。

 何がいけないのか?

 もしかすると清潔すぎなのだろうか? 歯も磨かず、拾い喰いを平気でして、うがいなどしたこともないような犬だの猫だの、小田原に住んでいるNくんなどは決して口内炎になっていない。

 それともストレスが原因か?

 自由気ままにやりたいことをやって、威張っている妻やカラスや小田原のNくんは口内炎にならないではないか!

 ああ。どうしたら口内炎にならずに済むのか? 誰か教えてください。

2005年1月22日配信
近ごろ寒い

1月15日

近頃、寒い。

日中陽射しが強くて、陽当たりのいい部屋にいると暑いくらいだから、なおさら朝晩の寒さが身にしみる。

特に我が家は寒い。朝日が昇る頃になると、凍てつく空気がわずかな隙間を見つけて我が家に進入してくる。しかも、私自身血行がよくないから、すごく寒い。

朝方、カーテンの下を這うように冷気が忍び込んでくるのが分かる。このとき私の手足はすでに冷たい。ももと腕には鳥肌が立っている。背中は固い。うつらうつらしながら、「あ、今朝も寒いな」と思う。冷気は畳伝いにじわじわ近づいてくる。「嫌だな」と思いつつ、体は動かない。冷気が私を包み込む。

「ああつべたい!」と再び布団の中にもぐりこんだ時には遅い。布団の中にあったわずかなぬくもりは外に逃げ、代わって氷の塊のような空気が私の体にまとわりつく。こうなると体の感覚がない。

私より早く起きた妻が、固まった私の体に触れる。

「ちょっと、来てごらん」子どもたちを大声で呼ぶ。

「どうしたの?」

「パパ、さわってごらん」

「あ、冷たい」

「そっちは?」

「こっちも冷たいよ」

「パパ、大丈夫?」

「大丈夫かしらね」

「ママ、何とかしたほうがいいんじゃない?」

「そうね。じゃ、みんなで窓辺にパパを運びましょう」

「どうなるの?」

「この辺が一番早く陽があたるのよ」

「あ、解凍と同じだ!」

「そうよ」……


こうして毎日起きている。……寒い

2005年1月18日配信
芝居を観て考えた

1月10日

 昨日、ホッホという劇団の「タイポグラフィの異常な愛情」というお芝居を観てきた。

 よかった。面白かった。

 私は実を言うと芝居好きで、役者になりたいと思った時期もあった。口調、歯切れ、リズム感、存在感、背丈、ルックス、その他様々な角度から自分を厳しく分析し、比較検討した結果、役者はあきらめた。

 特にこれ以上の伸びることがないであろう背丈、突然変異的に変わることがないであろうルックス、食堂で会計を済ませずに店を出てもとがめられない存在感の軽さ、三拍子が打てないリズム感のなさ、妻に文句の言えない歯切れの悪さ、妻に言い訳の言えない口調のだらしなさが芝居をやるには不向きと思わせた。

 しかし、久しぶりに楽しい芝居を観るとやってみたいなあと思う。落語にない一生懸命さがあり、技術がある。それが芝居のいいところである。

 いいやまてよ。落語にそれらが欠けているのではなくて、単に自分が努力してないだけか……。

 いや、そもそも一生懸命だの、真剣さなどは生き方の問題なのか・・・・・・。

 芝居を観た後は自分の生き方に疑問符を打ちたくなる。それも芝居のいいところである。

2005年1月13日配信
もう一軒行きたくなってきた

1月9日

 お正月はお酒を飲む機会が多い。私のように固く禁酒を守って、できるだけ宴席を断るような人間でも、元日からきょうまで飲みつづけることになってしまう。

 もちろん禁酒中だから、今までのように日本酒を冷で飲むようなことはしない。アルコールをなくすように、「熱燗にして飲む」という方法をとるか、そもそも日本酒を飲まずに、ワイン、カクテル、梅酒など、甘めの飲み物にして「これは、お酒ではないぞ」と思い込む、などの方法で、お酒を押さえ込んでいる。

 しかし、六日目になると、さすがに「思い込み作戦」では物足りなくなって、泡盛をキのまま飲んで、量を減らすことにした。

 おかげで、頭が痛くなるような良い方はなくなり、気分が悪くなることもなくなった。ただ、足がとられるだけだ。

 真っ赤な顔(私はお酒を飲むと全身が赤くなる)で、着物を着て(黒紋付)、フラフラ歩いていると、漫画に書いたような素晴らしい酔っ払いになる。

 その証拠に先日その形で歩いていたら、三、四人で道端に立っていたサラリーマン風の人達が、私を見て「随分気分よさそうに酔っ払っているなあ」と言い、「もう一軒行こう」と肩を叩き合っていた。

 私の酔い方は他人がもう一軒飲みにいきたくなる、いい酔っ払いなのである。

 お正月気分がいつまで続くのか、私は禁酒を守りつづけるつもりである。

2005年1月9日配信
今年もよろしくお願いします

元旦

あけましておめでとうございます。

今年の落語界は「林家正蔵」と「三遊亭小円朝」の大名跡が復活、注目されることでしょう。

私もがんばっていきますので、皆様、本年も、どうぞよろしくお願い致します。

三遊亭好二郎
1年間ありがとうございました

12月31日

 東京駅のミレナリオを今年こそ見に行こう、と言っていたが、私がまた風邪で寝込んでしまったため、中止になった。

 さぞ、妻がお怒りになっているだろうと思ったら、そうでもない。

「仕方がないわよ」と言っておとなしくしている。

 スマトラ沖地震のニュースをラジオで聞きながら、普段なら「あなたもスリランカに行っていれば、津波を見られたのに」とか「あなた、早くボランティアに行ってきなさいよ。でも落語は通じないんだから力仕事をしてくんのよ」などと、乱暴なことを言う妻が、「可哀想ね」と呟いている。

 どうしたんだろう? 性格のいい狐にでもとりつかれたのだろうか。それとも彼女の中に巣食った小悪魔が年末の買出しで出かけたのだろうか。いつもの妻じゃない。

「ねェ 最近おとなしいね」

「そう?」

「ネタになるような発言がないじゃない?」

「そうかしら」

「体の具合が悪いんじゃないかと僕は心配だよ」

「あなたこそ私の心配をするなんて変じゃない?」

「そうだな。敵に塩をおくるようなもんだもんね?」

「どうせ送ってもらうのなら、もっと高級なものがいいわ」

「お、いいね。その調子!」

「・・・・・・」

「あれ? もう何も言わないの?」

「私は決めたのよね」

「何を?」

「あなたに付き合ってバカなこと言うの、今年はもうやめようって!」

 妻よ! 今年はきょうで終わりだよ。

 と、言う訳で今年一年ありがとうございました。

2004年12月31日配信
一日遅れのメリークリスマス!

12月25日。

 メリー・クリスマス!

 今年は穏やかな天気に恵まれた、いいクリスマスだった。家族や恋人同士で何処かに出かけるには絶好の日和、多くの人が楽しんだに違いない。

 楽しまなかった、という人もいるだろう。「家族全員が病気になってしまった」「鶏肉料理に失敗して、おかずがかぼちゃだけだった」「クリスマスプレゼントがもらえなかった」「クリスマスプレゼントはもらえたけれど、ダイエーの袋に入っていた」などという人達である。

 中でも、楽しまなかった、という人の代表に、「彼氏、彼女にふられて独りさみしく過ごしてしまった」とい人がいる。

 彼女のためにフランス料理店を予約していたのに、直前にふられてコース料理を2人前食べた悲しい満腹男もいれば、「俺今、女の子と付き合うなんて考えられないんだ、仕事もけっこういそがしくて」なんてふった男性が、とっても素敵な女性と腕組んであるいているのを見つけてしまったさみしい発見女もいる。

 ひどい人になると、「クリスマス? へへ、ここ10年、淋しく過ごしてますね。ええ、いつも独りきりです。ハイ、楽しくありませんね。でも、私キリストとか、サンタとか、信じていませんし、赤い鼻のトナカイなんている筈ありませんし。ハハ、クソッ、キリストめ! この年末の忙しいときに生まれやがって! 冬場のただでさえ寒くて淋しいときに生まれやがって! どうして真夏の昼間に生まれなかったんだ! え? ブッタはいつ生まれた? 春なの? いいじゃん、私はブッタの方が好きだ」という変な仏教徒もいる。

 気持ちはわかる。悲しいだろう。淋しいだろう。仕方ないさ、幸せを届けるサンタクロースだって年寄りだ。表に出たくない日もあるだろう。へそを曲げて、あなたのところにだけ行かないということもある。あなたが悪いんじゃない。サンタが悪いんだ。

 そう思ってガンバロウ。ね、管理者くん。

2004年12月26日配信
年賀状は大事な行事

12月20日
 
年賀状書きが忙しくなる時期である。
 
よく、「年賀状は面倒だ! こんな悪習はすぐにやめるべきだ」などという人がいるが、その神経が信じられない。年賀状は単なるあいさつ状ではない。
 
1年の初めに相手の健康を想い、自分達の幸不幸を伝え、もちろん新年を祝い、普段気にしない干支を確かめる大事な行事である。
 
日本人でありながら、毛筆で何かを書くことがまったくない人でも、「賀正」くらいは書いてみようかと、思ってしまうのが年賀状である。
 
簡単できれいに年賀状を書くために、パソコンまで買うのである。
 
ニワトリを観察したり、昨年の年賀状を引っ張り出して「そうだよ、やっぱりあいつ引越したんだよ。あー、古い住所書いちゃった。くそ―ッ、バカ!」と大声が出せるのも、年賀状のおかげである。
 
私などは、名簿をしっかり整理するという基本的な作業を怠っているため、「誰に書くか」を決めるだけでも、長時間楽しむことができる。
 
いただいた名刺を並べて、昨年もらった年賀状をつき合わせて、ついでに机の引出しの中を片付けたり、写真をアルバムに貼ったりして、そのあい間に顔の思い出せない名刺を握って頭を抱えている。
 
と、あっという間に夜だ。こんなに時間が経つのが早いのは年賀状書きが好きだからに違いない。
 
ああ、くそっ! いっそ新年なんてなくなればいいのに。
 
 
2004年12月21日配信
「世界初、会津風味中華料理店」

 12月16日。

 会津に帰っていた。

 オースカさんという宝飾屋さんのクリスマスパーティで一席喋ってきた。

 噺をしながら「そうか、もうクリスマスなんだなあ」としみじみ時の流れの速さを想った。

 今年もあとわずかである。

 年末といえば、落語の方には「芝浜」、「掛けとり」、「尻餅」などなど、年末定番の噺がいくつかあるが、昔話で年末と言えば、これはもう「笠地蔵」である。

 で、そのクリスマスパーティの仕事に出掛けたとき、久しく生まれ故郷の街を歩いていないことに気づいて(すぐに車で移動してしまう)、実家からパーティの会場となるホテルまで歩くことにした。

 その途中、「世界初、会津風味中華料理店」という看板を掲げた「栄〇」というお店を見つけた。

 なんとふざけた店だろうか。「世界初」と大きく出て、すかさず「会津風味」と切り込み、「中華料理店」と落とすところはただものではない。しかも、その店構えは、「世界」「風味」という単語のまるで似合わないもので、「中華料理店」というには間口が狭すぎる気がする。

 ところがこれで、「すごくおいしいかも知れない」という雰囲気を漂わせているから偉い――。

 そのお店の入口、下のところに張り紙がしてある。

 読んでみると「いつも野菜を置いてくださる笠地蔵様ありがとうございます。どうかお名前を教えて下さい!」と書いてある。

 なんという世界だろう。世界初の会津風味中華料理店には野菜を届けてくれる笠地蔵がついているのである。

 笠地蔵さんはなぜこの店に野菜を置いていくのか。店の主人は真面目なのか不真面目なのか。そもそもこの店、本当に中華料理店なのか。

 なぞは深まるばかりである。

 会津の大晦日。雪がしんしんと降る。どこからともなく笠をかぶった地蔵が現れ、そっと玄関先に野菜を置いていく。

 翌日、店の年老いた店主とおかみさんが野菜を見つけ「じさま!また野菜だよ」「ああ、ありがてぇなあ。どこのどなただか知らねえが、ありがてぇなあ」そう言って二人は手を合わせ、「よし、今年もガンバンだぞ!」いただいた野菜をざくざくきざんで中華なべを大いにふるう・・・・・・。

 こう考えるとむしょうに食べたくなる。ああ食べたい。今度会津に帰ったら「世界初、会津風味中華料理店」で笠地蔵のとってきた野菜で作った野菜炒めを食べる。決めた。

2004年12月19日配信
人生とは何かを考える

 マラソンを人生にたとえる人は多い。アイスホッケーやカヴァディに比べて圧倒的に多い。

 長い道のりをあと戻りすることもなく、速い人もいれば、遅い人もいて、つらい時期があり、楽しい時もあり、一歩一歩進んでいく姿は、確かに人生に似ている。

 途中でリタイヤしたり、隣を仲良く走っていた相手に足を掛けられたり、給水所でうまく水が取れなかったり、給水所で誰かのスペシャルドリンクを故意に盗んだりするのを含めると、ますます人生に似ている。

 コースを外れて道に迷い、ランニング短パン姿のまま電車で家に帰って皆に笑われたりすると私の人生によく似ている。

 そのマラソンは人生に似ているだけに「嫌いだ」という人も多い。特に小学生は9割方嫌いだろう。わが娘もマラソンは好きではないらしい。マラソン大会が近づくと「嫌だなあ」と愚痴をこぼしていた。

 で、当日。妻に誘われて、マラソン大会を見に行った。マラソン大会ごときを見に行く親なんているのかしらと思っていたら、存外たくさんの父母が応援に来ていて驚いた。

 子ども達は必死だ。苦しそうに顔を歪め、それでも一生懸命走る姿は、可愛らしい。ラストスパートで2人、3人を抜き去る子もいれば、はじめの一周だけトップで、ズルズル後退する子もいる。

 ゴールして息があがる子は当たり前だが、走る前からあごがあがっている子もいる。

 母親たちも応援に熱心で「OOちゃんガンバ!」と中学校時代のクラブ活動並みに声をかける人もいる。中には「よし、その調子、マイペース、ここおさえて、腕の振り小さくなってる。よし、いいタイムだァ」と本格的にサポートする人もいて、いい具合に盛り上がっている。

 どの学年にも飛びぬけて遅い奴がいて、皆と一周遅れで、ゴールする子がいる。最後の力を振り絞ってゴールすると、父母からも生徒からも拍手が起きたりする。

 こんなところも人生に似ていなくもない。

2004年12月12日配信
B4型睡眠に悩む好二郎

12月5日。

 師走だ。忙しくて仕方がない。平均睡眠時間が13時間から10時間に減ったのに比例して、高座で落語を喋る時間も減ってしまった。

 反対に、お酒を飲んだり、手紙を書いたり、衝動買いしてしまった古本を読んだりする時間がかなり増えた。これらは仕事で落語をするよりはるかに時間を必要とするからどうじても忙しくなる。

 加えて、「低反撥マクラ」を買ったのがいけなかった。力を入れて押すと、ズブズブと吸い込まれる感覚のするあのマクラである。大小2つの山があって、これにうまく首を乗せると、首筋に負担がかからず、健康に眠ることができるというふれこみである。

 首の弱い私が買わないはずがない。

 で、首を実際に乗せてみる。ズブズブと沈んで、ちょうどいいところでピタっととまる。気持ちいい。すぐに眠りにつく。

 ところが、なかなかこのまま眠り続けることが出来ない。私は首が弱いくせに歯軋りをしながら激しく寝返りをうつ人間である。医者はこれを「B4型睡眠」と呼んでいる。

 とにかく、ギリギリ音を立てながらバタバタする往生際の悪い寝方をするタイプである。普通のマクラなら手足を自由な形にして寝返りを打ち、ときには寝返りのふりをしながら妻を強く殴打することもできるのだが、低反撥マクラはそうはいかない。

 寝返りをすると、大小の山の間にできた溝に添って美しく回転しなければいけない。

 人間の基本は首と腰だ。首が美しい動きをしているのに、手足が汚く動くということはありえない。

 つまり、「気を付け!」の体勢で激しく寝返りをうつことになる。他の人は見ていて気味が悪いし、本人はやっていてとても疲れる。で、目が覚める。もう一度頭を置くとズブズブ沈んで気持ちがいい。すぐ眠りにつく。とまた「気を付け!」で寝返って起きる。

 これを繰り返すうちに、どうしたら、気持ちのいい「寝入り」と「寝返り」と両立させることができるようになるのか研究することになる。解決は時間がかかる。時間がなくなる。また、忙しくなる。

 ああ、時間がない! 師走はやっぱり忙しい!

2004年12月5日配信
怯えるきつつき氏

 12月である。早い。時の経つのとても早い。年々早くなっていくようである。以前が気が付くといつの間にか12月になっていたが、最近は気が付かないうちに12月になっている。

 さて、話しは変わるが、円楽一門の前座さんにきつつき君という人がいる。円橘師匠の2番目のお弟子さんで、このHPにも彼のファンの方の声が載っていたが、なかなか面白いのである。

 落語は私好みだが、普段の彼はもっと私好みである。

 まず、常に何かに怯えているように見えるのがいい。追われているもののおかしさがある。

「あのさあ」と声をかけると「本当にすみません」と返事がかえってくる。

「いや、別に何も怒るようなこともないんだけどね」と言うと「今度から気をつけます」と頭を下げる。ちっとも話がかみ合わない。こういう人が私の妻のような女と結婚したら「ゴメンナサイ」以外の言葉を使えなくなるんじゃないかと心配になる。

 でも、大丈夫だ。本当の彼は何物も恐れない強さがある。強い意志がある。高い理想があり、安い家賃に苦しんでいる。大きな希望をもって小さなアパートに住んでいる。厚い情熱をもって冷たくされた女性を恨んでいる。

 彼なら大丈夫だ。

 彼が話す海外旅行の話などは、本当に面白い。どこの国に行っても被害者になってしまう彼の性格がにじみ出て笑える。毎日なにかしら「怖い目」にあっている彼は天才的な被害者だ。

今は前座さんで好きなことが話せないだろうが、これからどんどん面白くなる人物である。

 今までにないタイプの噺家になれるかもしれない。とっても楽しみである。

2004年12月2日配信
ワード・オブ・ザ・イヤー
ペさん抜いて「前姿」に決定


11月25日

 もう、そんな時期なのだなあ、と思う。今年を振り返って、印象に残った言葉や事件・事故を各メディアがランク付けする行事が始まった。

 その中の一つ、ワード・オブ・ザ・イヤーは、今年流行した言葉に順番をつけようというものである。

 新聞に出ていたものを拾い読みしたところ、「ヨン様」が1位に輝いたらしい。

「ヨン様」

 だからどうした、というような言葉だが、この言葉の陰には「ベッカム様」のアシストもあったように思う。

「ベッカム様」で、「様」付けに抵抗がなくなったからこそ、「ヨン様」が生まれたのであろう。

 にしても、「ヨン様」が定着すると、それ以外に呼び方が考えられなくなるから不思議だ。そのヨン様を未だに「ペ・ヨンジュンさんってさあ」とさん付けで呼ぶ私の妻はもっと不思議だ。

 他にも色々と流行語はあるのだろうが、我が家には我が家の流行語もある。

 今年は二女がよく使う「前姿(まえすがた)」がそれだ。

「後姿」の対になっている言葉だが、「後姿」がちっともおかしくないのに、「前姿」を口に出してみると妙におかしい。

「どう? きょうの私の前姿」とか「〇〇先生、前姿がうれしそうだった」などと使う。

 他に同じ二女が使う「背が短い人」もいい。

「背が短い人って大変だよね」と言われるとすごく大変な気がする。

 妻は、仕事に出かけようと玄関先に立っている私に向かって、「そこの背が短い人、前姿が変よ」と声をかける。

 とても出かける気がなくなる。

2004年11月27日配信
平成17年度の年賀葉書に
久保修先生のデザイン


11月20日

私は切り絵が大好きである。自分の似顔絵を切り絵にするくらい好きである。しかも、それをTシャツにして売ろうとしているくらいお金も好きである。

切り絵のプロは何人もいるが、私が好きを超えて尊敬している切り絵画家に久保修先生がいる。ポスターや本の表紙、雑誌の挿絵など、様々なところに先生の切り絵が載っているので、知っている人も多いだろう。

繊細で彩りも鮮やか、写実的なのに遊び心がある。見ていて飽きることのない作品ばかりである。

その久保先生から年賀ハガキが昨日届いた。間違えた訳ではなく、先生がやたらと気が早い人物だと言う訳でもない。

実は平成17年度の「インクジェット紙光沢年賀葉書」に久保先生のデザインが選ばれたのである。

「富士にまとい」や「酉印の法被」など、出初式のデザインでなかなか可愛い。

で、こんな絵ですとわざわざ送ってくださったのである。

本当にいい先生である。私のような人間に気軽に声を掛けてくれるからますますいい人である。

皆さんも是非、久保先生デザインの年賀ハガキを手に入れよう!(但し、関東、東京、南関東限定発売出そうです)

2004年11月21日配信
世が世なら・・・・・・
私にもチャンスが


私は妻にも内緒にしていたが、サーヤファンである。
大学2年の頃からのファンだからずいぶん長い。
 
なぜ紀宮様のファンになったのか。それは、「紀宮様ってひじきを食べたことがなくて、はじめて目の前に出された高校生の時、10分くらい箸でつついていたらしいわよ」という噂話を耳にしたからだ。
 
ひじきを食べずに高校生まで過ごしてしまったということが、ひじきが大好物の私にはたいへん不幸な人のように思えたのだ。
 
しかもそれを長い時間箸でつついていたという。
 
なんと思慮深い人だろう。
 
たとえ、ひじきの話がまるっきりウソだとしても、私はその時からファンになったのだ。
 
そのサーヤが結婚するという。
 
なんともくやしい。
 
サーヤを心の支えにしていた30代後半の独身女性もさぞかしがっかりしたことであろう。
 
しかし、物事は考えようである。黒田さんとご結婚して一市民となれば、私にだって会うチャンスがあるかもしれない。落語会に来てくれることもあり得る。あの笑顔を客席に見ることもできるかもしれないのだ。
 
よし、こうなったら、なんとしても私の落語会にサーヤを呼ぼう。
 
将を射んとすれば、まず馬からだ。黒田さんと仲良くなろう。それ相応の通信手段をつかって落語会の案内を送ろう。お二人に会うことが当面の私の夢である。
 
2004年11月17日配信
もしも・・…こうだったら

夫婦の会話って何だろう?

結婚して10年も経ち、ぼんやりと将来が見え始め、ハッキリと過去を後悔できるようになると、夫婦間に楽しい会話は生まれにくい。

頼みの子どもたちもすくすくと劣等生になり、気の晴れるような材料は提供してくれない。

しかし、だからといって、そのままにしていては、どんどん会話がなくなっていく。将来性や現在の貯蓄に乏しい我が家で、会話までなくなっては何も残らない。

そこで、私はつとめて楽しい会話をしようとする。

当たり障りなく楽しめる会話の基本は、「もしも……」で始めることだ。

「もしも何々だったら、どうする?」

これで始める会話はいい時間潰しになる。ただし、我が家の場合、「もし、宝くじが当たったら」、「もしお金持ちだったら」など、というと「そりゃー、あなたと一緒にいないわよ」と言われておしまいだから言わない。

で、「もしも、無人島に行ったらどうする?」と古典的に改めてみた。

「どういうこと?」

「どういうことって、釣りしてのんびり暮らすとか、本を読んで暮らすとか……」

「食べ物を確保してよ。本なんて読んでいないで」

「もちろん、食べ物をとってから本を読むんだよ」

「だったら、本を読む前に食べましょうよ」

「食べるよ」

「料理してね。生きたものをさばいたり、毛をむしったりするの嫌だから」

「魚くらいはやろう」

「食べ終わったら、後片付けもしてね」

「それじゃあ無人島に行く前と同じじゃん」

「馴れたことをしたほうがいいわよ」

「じゃあおまえも、掃除や洗濯ちゃんとやりなよ」

「無人島でそんなことしたってしょうがないじゃない。それより、家はどうすんの?」

「自分たちで作るよ」

「あなたが家を作れるわけないでしょ。テントもロクに張れないんだから」

「マ、家はあるとしてさ」

「え? 家はあるとしてさ? そういう考えで何でもするから今苦しいんでしょ?」

なかなか楽しくならない。

妻は最後に「でも、無人島ってやっぱり嫌よね。人喰い人種なんてたくさん住んでいそうだし……」

妻よ、そこは、もはや無人島ではない。

2004年11月12日配信
新聞はゆっくり立ち止まれ

11月5日。

 新聞のコラムだったか、雑誌のエッセイだったか、とにかくボンヤリと雑誌や本に目を通していたので、誰が書いたのか忘れてしまったが、こんなことが書いてあった。

 曰く、「一般紙の一面にプロ野球がストに突入などという記事が載り、しかもトップニュースで扱われるのは、日本がいかに平和かという証拠である」

 加えて「一般紙のトップ記事は『皆の関心がある事柄』ではなく、『皆にとって大事なこと』を扱うべきであり、結果的に皆に関心をもってもらいたいと思っていることを載せるべきである」と。

 なるほど、と思う。

 先日も「楽天が新球団」などというトップ記事を載せた新聞が多くあったが、確かに平和である。

 私はそれは悪くないと思う。

 ただ、テレビが急いでニュースを掛け捨てているので、新聞ぐらいはゆっくり立ち止まってもらいたいものである。

 いずれにしても、今はまだ、「皆にとって大事なこと」より、「皆の関心がある事柄」を優先させても何の不自由もない世の中なのだろう。

 この状態は長く続けなければいけない。

 私達が知らなかったことが、「大事」とされたり、「大事なこと」を押し付けられたりしたら、日本は危ない。

 私達はいつまでも、「楽天が球界に参入」とか「サッカー日本チームが大活躍」などというニュースがたくさん一面に来るようにしなければならない。

2004年11月7日配信

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