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木村言語研究所報告
【ミーハーエッセー】


梅雨の感傷 第一部

副所長@木村言語研究所





1.幸福な敗北

悔しすぎる。
こんなにあっさりとやられてしまうなんて。

初めはことばの勉強のつもりでした、『冬のソナタ』。
その昔少しばかり朝鮮語を習ったことがあって、どの程度覚えているか力だめしをしたかっただけなのに。

BS再放送時に録画したまま放っておいたビデオを、まず副音声の原語で視聴し、二回目はKBS公式サイトで公開されている台本と照合しながら見て、次ぎに辞書を片手に台本を読み、もう一度原語で鑑賞する。これらの予習を済ませたのちに、2004年4月から始まった地上波放送で吹き替え音声を聴くということを自分に課したのでしたが・・・・・・。

第4話あたりからストーリーの先が猛烈に知りたくなってきて、気がつくと地上波放送を追い抜き最後まで見てしまいました。ひと足遅れで台本も読了です。満足感にひたったのも束の間、「おい、こりゃかなりヤバイよ」と慌てずにはいられませんでした。

四十代・女性・既婚。
世間で言われているファン層そのものではありませんか、私は。
あああ、なんという恥ずかしさ。
だけどこの幸福感は、なぜ?

好きになった理由を説明するのは難しいものだけど、中年の分別がなにかしら理屈をこねて自分の好みを正当化したがっています。そんな恥ずかしい自分をなだめるために、ささやかな文章を書いてみることにしました。せっかくですから少しだけ知ったかぶりもさせていただきます。ほら、好きなもののことって、語ってみたいじゃありませんか。

ストーリーをご存じない方のためにあらすじを用意いたしました。一行目からいきなりネタバレですので、現在一話ずつ楽しんでいらっしゃる場合はご覧にならないほうがよいでしょう。本文でもドラマの内容に言及している部分が多くあります。引用するセリフは私の試訳であり、放送や各種翻訳とは異なります。間違っているところがあるかもしれません。ご了承ください。




2.十代のしるし

第1話から第3話にかけて高校2年生を演じた6人の俳優たちは、撮影当時23歳から30歳だったそうです。無理があったという感想をしばしば聞きますし、私の連れ合いもユジンを「おばさん」とこきおろしていました。でも、私はまったく違和感がなかったんです。自分の十代の頃を想い起こさせる断片がいくつも映像にはめこまれていたからではないかと思うのですが。

たとえば、詰襟からのぞくタートルネック。
冬の寒さが厳しかった私の故郷では、ワイシャツの代わりにとっくりセーターを着て学生服の襟の留め金をはずしたままの男の子がたくさんいました。

それから、ピアノの上手な男の子。
音楽に聴きいっていたはずなのに、いつのまにかその人のほうへ吸い寄せられている私が、古いピアノの傍らにいました。

そして、友の死を嘆く声に満ちた教室。
突然誰かが完全にいなくなってしまう悲しさを初めて味わった朝に、私も机につっぷして泣いていました。

俳優たちのまなざしは、一緒に愚かなことをやらかした彼や彼女の表情によく似ています。まるで自分の記憶が映像化されたかのようです。こんなふうに随所にちりばめられた十代のしるしに手を引かれるようにして、私は物語の世界にストンと落ちて行きました。

登場人物たちの成人後も、よく知っている光景が続きました。昔どこかで言ったり言われたりしたようなセリフを聞いているうちに私自身の恋愛時代を反芻するはめになり、過去の自分を突きつけられる照れくささに耐えながら物語を楽しむという、風変わりな体験をしました。これがなかなかの快感だったのです。快感を与えてくれるのが好みの容姿の美男美女であってみれば、むだな抵抗はやめて身をゆだねるしかありません。

大仰なセリフに満ち満ちた大河ドラマにサラリーマンの悲哀を重ねて小さな安心を得るのと同じこと。ファンタジーでロマンス&ミステリーを満喫して繰り返しの多い日常にアクセントをつけるのも、そんなにおかしな気晴らしではないでしょう?

現状より少しでも、ひとを気持ち良くしてくれる。そんな嗜好品の使命を『冬のソナタ』はきちんと果たしているのです。




3.迷走する日付

『冬のソナタ』はツッコミどころが多いことでも知られています。同じ日の連続した出来事なのに俳優の衣装や髪形が異なる、セリフでは朝なのに窓の外は真っ暗だ、財布をもっていないはずのヒロインがどうやってタクシー代を払ったのか、等々、あちこちのサイトで楽しげに語られています。ファンはつじつまの合わないところまでもドラマの魅力として受け入れているようです。

私はあまり細かいことに気がつくほうではないのですが、ひとつだけどうにも気になったのが、チュンサンが交通事故に遭ったのはいつだったのか、ということでした。

第2話の終盤でユジンの勉強机に載った卓上カレンダーが映ります。上部に「1992 12」とあり、31日火曜日の欄に大きな赤い丸印が書きこまれていました。台本と小説本にも「1992」と記されているので、脚本家が高校篇を1992年に設定したのは間違いないでしょう。チュンサンが車にはねられたのは1992年12月31日が終わろうとする時刻ということになります。

第3話途中で高校篇が終わり、暗転ののちに映る建設現場に「10年後」という字幕が重なります。2002年の12月か2003年の正月になったのだなと思って見ていたところ、第4話でチョンアさんが署名捺印した契約書の日付は「2002年1月10日」でした。なるほど、『冬のソナタ』は韓国で2002年1月から放映されているので、「現在」が2002年になるのは納得できます。そうすると経過したのは10年ではなくて満9年ですね。なんとなくすっきりしませんが、数え年風カウント方式なのだろうと勝手に解釈しました。

お話は進んで、第12話の春川第一高等学校事務室。サンヒョクが恩師に頼みこんでチュンサンの生活記録簿を見せてもらいます。最初に読み取れるのが出席日数で、1年生のときは224日、2年生は210日、3年次は空白です。

次ぎにチュンサンの生年月日「73.2.18」が見えます。占いマニアの同級生ヨングクが第1話で「チュンサンは癸<き/みずのと>の日の生まれ」と言っています。(NHK版ではカット。)書類に書かれた日付とつじつまが合っているのかどうか気にかかりますが、門外漢が口をはさむのはやめて疑問を提示するだけにしておきます。

記録簿の続きを見ましょう。住所などの項目の下には次のように記入されていました。

   ?年 2月14日  中央中学校卒(検定合格)
   90年 3月 2日  第1学年入学 ソウル科学高
   91年 1月16日  2学年転入
   91年12月31日  死亡

これによると、チュンサンは1991年の大晦日に満18歳で死亡したことになります。「現在」との10年という経過時間とも矛盾しません。91年と92年、いったいどっちが本当なのでしょうか。(日本の高校2年生は年度内の誕生日が来て満17歳になりますが、韓国ではどうなんでしょうね。)

第2話にもどってユジンのカレンダーをもう一度見てみました。12月1日が日曜日になっています。ところが調べてみると、1990年以降現在までで12月が日曜日に始まるのは1991年、1996年、2002年の3回しかありません。実際の1992年12月1日は火曜日でした。つまり、ユジンの使っているカレンダーはまったくのでたらめか、さもなければ、私たちが住んでいるのとは異なる時空の暦というわけです。やってくれるじゃありませんか、韓国ドラマ。

チュンサンがユジンに送った小包の消印中段にある数字が日付だとすると(第3話)、投函日はたぶん27日。NHK版ではカットされていますが、彼は初雪デートの日の昼間に郵便局に持っていって発送しています。(第2話) でも本物の1992年12月27日は日曜日でした。韓国では町の郵便局が日曜日に業務を行なうのでしょうか。あるいは年末の特別営業だったのでしょうか。1991年なら27日は金曜日ですから問題ないのですが。

私の観察が不十分だったせいか、残念ながら事故が起こった年を特定することはできませんでした。こうなったらどなたかがSF的説明を試みてくれないものかと、ひそかに期待しています。

この生活記録簿には他にも疑問点があります。ひとつは転入の日付。韓国の学校は3月始まりだから、チュンサンが2年生になるのは91年3月のはず。しかも、彼が春川に来たのは晩秋か初冬と思われます。ストーリーから受ける印象では、ユジンたちのクラスにいたのは数週間、どんなに長くても2か月を越えることはありえません。1月に転校してきたというのは明らかにおかしいのです。

母親の生年月日もなにやら怪しげです。家族欄には 「カン・ミヒ 51.7.19」 と記入されています。でも、ちょっと待ってください。第1話でチュンサンが見ていた高校の卒業アルバムの背表紙には「1966」とありました。これが1966年度の意味だとすると、ミヒは満15歳で高校を卒業したことになります。ところが、第1話の台本のト書きには「1966年の卒業アルバムを取り出すチュンサン」、「卒業アルバムの中で明るくほほえむ19歳(たぶん数え年)のカン・ミヒ」と書かれています。ミヒは息子の学校の書類でサバを読んだ? 何のために?

謎は解けません。

ひょっとして迷走する日付は、「ファンタジーはファンタジーとして楽しめばいいんだよ」という制作者のメッセージかもしれないという気がしてきました。

追記:韓国の法律を調べてみたら、満6歳になった翌日以降に始まる年度の初めから満12歳となる日が属する年度の末までを小学校の就学期間と定めていました。中学校は満15歳で卒業です。日本と同じですね。それじゃあ、満17歳で高校に入学したチュンサンって?

追記2:チュンサンとサンヒョクは異母兄弟でした。サンヒョクがチュンサンを兄だと言っていますので、チュンサンの誕生日が記録簿どおり2月18日ならば、同学年の弟サンヒョクの生まれたのは2月19日から28日のいつかでなければなりません。チヌさん、あなたはすでに妻がありながらミヒと・・・? 
ところで、サンヒョクによればチュンサンとユジンの誕生日は1〜2か月しかちがわないそうです。3月以降ではチュンサンと同級生になれませんから、ユジンは12月か1月の生まれということになります。「ふたりは同い年」というサンヒョクのセリフを考慮すると、ユジンは1月生まれと考えるのが一番いいかもしれません。チュンサン、ユジン、サンヒョク、みな冬の生まれだったというのも『冬のソナタ』らしくて素敵です。
あれ?チヌは何をどう計算してチュンサンとユジンの学年が違うと思ったのだろう。もう考えるのはやめます。




4.はしばみの匂い

学校を抜け出して遊びに行ったチュンサンとユジンは、罰として焼却場の掃除を言い渡されました。(第2話) 落ち葉の燃える焼却炉から立ちのぼる煙を深く吸い込んだユジンを見て私がある文学作品を思い出した次ぎの瞬間、驚いたことに画面の中の彼女もそのタイトルを口にしました。

「 こういう匂いなんだ。
 イ・ヒョソクの『落ち葉を燃やしながら』を習ったときにね、
 落ち葉を燃やす匂いがどんななのか、 ずっと気になってたの。
 落ち葉を燃やすとよく熟れたハシバミの匂いがするってあったんだけど、
 ハシバミの匂いってのがわからなかったから。」

李孝石(イ・ヒョソク,1907‐1942)は抒情派の作家です。日本統治下の厳しい現実を背負う暗く重い作品が多かった時代に、彼の紡ぎだす精緻な美の世界は特異な存在感がありました。代表作『そばの花咲く頃』(1936)では、選び抜かれた豊かな語彙による詩的な描写が、読むものを恍惚とさせます。

1938年に発表されたエッセイ『落ち葉を燃やしながら』は高校の国語の教科書に掲載されたことがあるそうですから、ユジンはきっとそれを読んだんですね。いまのところ邦訳は出版されていないはずなので、どんな文章なのか、下手な翻訳ですが少しだけご紹介しましょう。


「桜の木の下にかき集めた落ち葉を山積みにして火をつけると、中のほうからぶすぶすと燃えはじめ、細い煙が立ちのぼり、風のない日にはその煙が低く垂れこめていつのまにか庭いっぱいに満ちる。落ち葉の燃える匂いほど良いものがあろうか。炒りたての珈琲の匂いがする。よく熟れたはしばみの匂いがする。熊手を手にしていつまでも煙の中に立ちつくし、燃えて散り散りになる落ち葉の山をながめながら芳ばしい匂いをかいでいるうちに、ふいに猛烈な生活の意欲を感じてくる。煙は体にしみこんで、いつしか服の裾と手の甲からも匂いがするようになる。私はその匂いを限りなく愛しつつ楽しい生活感にひたり、あらためて生活の題目を貴重なものとして頭の中に思い浮かべる。」


実は、このエッセイのもととなったと思われる短編小説『落葉記』(1937)にもよく似た部分があります。


「落ち葉というものは世界の人口と同じで数限りない。底の抜けた甕に水を汲むようにして、幾日でも、無駄なことと思いつつも、念を入れてかき集める。桜の木の下にうずたかく積み上げて火をつけると中のほうからぶすぶすと燃えて、青い煙が斜めに長く立ちのぼる。煙は風のない庭に静かに満ちて水のように澱む。落ち葉の煙には濃い珈琲の香りがある。よく熟れたはしばみの味がある。私はその貴重な煙を思う存分吸い込む。湧き立つ香気が体の隅々にしみこんで、深い山の中に分け入ったときにも似た豊かな満足を感じる。落ち葉の煙は季節の珍味であり、秋の最後の贈り物だ。」


どちらの作品も、緑に覆われた夢見がちな季節が過ぎたあとで日常の小さな幸せを確認する作家の思いを描いていますが、耽美的なエピソードを削ぎ落としたエッセイのほうが、日々を楽しむ心が率直に表現されているようです。

最初に引用したユジンのセリフ、吹き替えでは作家の名もエッセイのタイトルも訳出されていません。日本では知られていないので適切な判断ではありますが、「まえ読んだ詩にね」という訳はいただけません。せめて「授業でやった随筆」くらいにしてくれたらよかったのに、と李孝石ファンは思うのです。マニアックなわがまま?


追記:『落ち葉を燃やしながら』には、著者自身による日本語版があることを知りました。短編小説『落葉記』と同時期の1937年1月に『季節の落書』というタイトルで雑誌に掲載されたそうですから、日本語版のほうが先に発表されていたのですね。日本語版と朝鮮語版を読み比べてみたところ、細部にほんの少し違いがありますが内容は同じでした。
日本語版の初出時の影印が緑蔭書房発行の『近代朝鮮文学日本語作品集 1901〜1938 評論・随筆篇3』(2004)に収録されています。高価な研究資料集のようなので、全文を日本語で読んでみたいという方は図書館で探してみてはいかがでしょうか。




5.香丹・房子、洪吉童

日本人がかぐや姫や水戸黄門をなにかの折に引き合いに出すように、韓国人なら誰もが知っている昔ながらのキャラクターが『冬のソナタ』にも現れます。

第9話の最初のほうで、前夜遅くユジンを車に乗せて帰ってきたミニョンをからかうキム次長。ミニョンの「誰から聞いたんですか?」という質問に、こんなふうに答えます。

「誰だと思う? ヒャンダンだよ。チョンアさん。
 チュニャンと若様が逢引きするときは、パンジャとヒャンダンが大いに忙しいもんだろ。
 聞き耳立ててさ。」

元ネタは『春香伝』(作者不明)という古典です。
朝鮮王朝時代の全羅道南原。妓生の娘成春香<ソン・チュニャン>と郡守の息子李夢龍<イ・モンニョン>は熱烈に愛し合っていましたが、夢龍は父の栄転にともない都へ。後任の郡守が女好きで、美人と名高い春香を呼び出します。彼女は夢龍に操を立てて夜伽を拒んだため、牢屋に入れられてしまいました。都で勉学に励んだ夢龍は優秀な成績で科挙(昔の公務員試験)に合格し、隠密の使命を帯びて懐かしい南原に向かいます。郡守の悪を暴いて春香を救い出し、ふたりは身分の差を乗り越え結婚、めでたしめでたし。

春香の小間使いの少女が香丹<ヒャンダン>、夢龍に仕えているのがひょうきん者の房子<パンジャ>です。房子のほうは人名ではなく、地方官庁の下男のこと。キム次長はミニョンのお目付け役の自分を房子に、ユジンの同僚チョンアさんを香丹に見立てたのでした。次長はこの比喩がお気に召したようで、チョンアさんがいやがっても何回か使っています。吹き替えでは「じいや」と「ばあや」。まだ三十代らしきふたりにはかわいそうだけど、わかりやすくていいですね。

余談ですが、イム・グォンテク監督の映画『春香伝』(2000)では、『冬のソナタ』のチンスク役イ・ヘウンが香丹を演じています。やっぱりおでこがチャーミングでした。

第16話のキム次長は、仕事そっちのけで出歩いている理事殿がやっと出社してきたのを見て、ひとこと。

「東にひらり、西にひらり、ホン・ギルトンのお帰りだ。
 笑うな。おい、仕事するのか、しないのか?」

こちらはホ・ギュン(1569-1618)作『洪吉童伝』の主人公です。
やはり朝鮮王朝時代。洪吉童<ホン・ギルトン>は名家の血筋ですが、使用人が産んだ子であるために父を父とも呼べず兄を兄とも呼べない身分に置かれ、差別されていました。そんな生活がいやになり、家を飛び出して盗賊の群れに加わります。まだ少年の身で首領に迎えられ、あくどい金持ちから財宝を盗んでは貧者に分け与えたので、民衆の人気者となりました。のちに国外に出て、ある島の王となったのでした。

洪吉童は空を飛べます。藁人形を利用して分身の術も使います。ここかと思えばあそこ、というように神出鬼没の義賊です。
吹き替えでは「怪盗チュンサン」となっていました・・・・・・。

ところで、キム・ヒョクス次長のしゃべりを吹き替えでしか知らない方は、拙訳に驚いたかもしれません。代表理事のミニョンは上司ではありますが、次長のほうが年上であり、アメリカで同じ学校に通っていたこともあって、他の社員がいないときはミニョンに対して遠慮のないぞんざいな言葉づかいでしゃべります。ちょっと乱暴だけど、後輩への思いやりが感じられる温かい口調です。ミニョンのほうは親しげに「先輩」と呼びかけ、常に丁寧に受け答えしています。ただ、彼はおそろしくプライドが高いので、誰よりも信頼する先輩にさえ本心を明かそうとしません。キム次長はときどき寂しそうな諦めの表情を見せます。

吹き替えでは会社での上下関係のほうを重視したのか、次長のセリフは丁寧なしゃべりにくだけた調子を織りまぜるかたちになっています。日本語で聞くと、まるで別人のようです。




6.きみが愛しているのは

最初に副音声の原語で見てから吹き替えに移行すると、ときどき「そんなこと言ってたっけ?」と思うことがあります。私の能力不足からくる勘違いは別にしても、首をかしげざるをえない翻訳があちこちにありました。

文脈から切り離したセリフの適否を云々することにあまり意味があるとは思えません。一回60分の放送の中でその文がおかれた位置と最終回までの全ストーリーを分析した上でなければ、的確な批評はおこなえないでしょう。吹き替え翻訳特有の制約があるらしいのも想像ができます。一ファンに過ぎない素人の出る幕ではありません。それでも、翻訳に携わったスタッフの方々に敬意を表しつつ、あえて物申したい場面を無謀にも取り上げてみたいと思います。

第8話、スキー場内の駐車場での会話。ユジンの変化に焦る婚約者サンヒョクが、彼女を無理やりソウルに連れて帰ろうとするところです。吹き替えのサンヒョクは、

「さっきなぜ答えなかった? 
 ミニョンさんに誰を愛しているのかときかれて、なぜ答えなかった?
 きみが愛しているのは・・・誰なんだ?」

原語では、

「さっきどうして答えられなかった
 ミニョンさんが、愛している人は誰かってきいたとき、どうして答えられなかったんだ
 きみが愛しているのは・・・僕だろ?」

このなさけない感じがおわかりでしょうか。
ユジンはほんとうのところを認めるのが怖かったのか、ミニョンの質問に答えられませんでした。不安になったサンヒョクが「僕だろ?そうだよな?」とすがるように問わずにはいられなかったという場面。彼のみじめさを表すには、「誰なんだ?」という詰問ではなく、原文どおりの確認を求める言葉のほうがふさわしいように思います。

サンヒョクのプライドが賭けられた問いにもユジンは答えません。ひどく傷ついた彼は、これを契機にお人好しの優等生をやめて「傷つけられたら傷つけ返す人間(第8話)」に豹変し、ホテル事件(第8話)やライブ事件(第9話)に向かって暴走を始めます。それでも思い通りにならないので、有給休暇を全部使って会社を休んでおきながら友人たちには辞表を出したと嘘をつき(吹き替えではこの経緯が訳されていない)、絶食したあげくに運びこまれた病院で自殺騒ぎを起こして、ユジンの同情を得ることに成功します。(第10話) 「僕だよな?」という問いに対するユジンの沈黙が、このあとの展開を方向付けたのです。

続きを見てみましょう。目に涙を溜めたサンヒョクが車に乗って去っていきました。ユジンはミニョンに近づくと、強い口調で言い放ちます。

「私が誰を愛しているのかとききましたね。いま答えます。
 私が愛している人は、サンヒョクです」

原語では、

「愛している人が誰かってききましたよね。いま答えます。
 私が愛さなければならないのは、サンヒョクです」

ずいぶんちがいますね。
ユジンは自分に課された義務=周囲から期待される道徳的に正しい行動を、ミニョンに宣言し自分に言いきかせたに過ぎません。質問には結局答えていないのです。

彼女は第7話で、「サンヒョクさんを愛しているんですか?」とミニョンにきかれてもはぐらかし、ミニョンとは本当に仕事だけの付き合いだろうねと実家の母親が念を押しても言葉を濁していました。第8話でサンヒョクの母がミニョンとの関係を邪推しても弁解せず、サンヒョクが「あいつが好きなのか?」と詰め寄っても返事をしません。ユジンの態度は徹底しています。

第9話冒頭、ミニョンが眠っているユジンに「僕・・・ユジンさんが僕のことを好きなんだって、そう信じたいんだけど・・・信じてもいいですか?」とそっとささやくシーンがあります。彼女の言葉の奥にあるものを察しているからこその切ないひとりごとです。

いかがでしょうか。このような一連の流れが容易に読み取れるにも関わらずわざわざ原文から離れた翻訳をしゃべらせる意図が、私には見えてこないのでした。




7.さしだされた手

第1話、チュンサンが転校してきた日の夕方。
下校途中のユジンが道端の植え込みの柵に飛び乗ります。危ないからおりろと気づかうサンヒョクを無視して、ユジンは歩数を数えながら歩き出しました。サンヒョクが「つかまれ!」と手をさしだすのですが、彼女はそれを拒みます。

「サンヒョクはあたしの恋人じゃないでしょ。
 なんであたしがあんたの手を握らなきゃなんないの。
 あたしは特別な人にだけ、手を握ってくれってたのむんだから。」

そうしてユジンは柵の上を歩き切りました。

大変残念なことに私はこのシーンの映像を見たことがありません。あちこちで取り上げられているのでご存知の方が多いと思いますが、NHK版『冬のソナタ』は日本での60分の放送枠に合わせて編集しなおされているので、オリジナル版に比べて毎回5〜10分程度短いそうです。この下校風景もそんなカットシーンのひとつです。

ドラマでは手をさしだすこと、その手をとることの意味が繰り返し描かれています。それなのに出発点が隠されたため、NHK版では主要人物、とりわけサンヒョクの言動の筋道が見えにくくなってしまいました。

サンヒョクは小さい頃からユジンが大好きで、ずっと彼女だけを見てきました。それなのに、あんたなんか目じゃない、あたしの相手はあたしが選ぶ、と言われ、せっかくの好意を受け入れてもらえないのですから、傷つかないはずがありません。なんて気の毒なサンヒョク。『冬のソナタ』随一のなさけな系キャラの原点がここにありました。

幼なじみのサンヒョクがさしだした手を断わってひとりだちを果たしたユジンですが、転校生チュンサンとの場合は様子が異なります。

遅刻した朝に校門を避けて学校の塀によじのぼったとき、先に塀の上に押し上げてもらったユジンがチュンサンを引っぱり上げようと手を伸ばします。でもチュンサンはひとりで軽々と飛び越えてしまいました。このときの彼はユジンの手につかまりこそしませんでしたが、塀の内側に降り立つと自然な感じで両腕をさしだし、彼女を抱き下ろしてやりました。

次は、湖畔の並木道でユジンが倒木の上を歩くあの有名なシーン。彼女がよろけるとチュンサンは手をさしのべます。ユジンは一瞬ためらったのち彼の手につかまりました。チュンサンを「特別な人」として選び取った瞬間です。

第2話のキャンプのときには、ユジンがチュンサンと喧嘩して夜の山中に飛び出し、道に迷ってしまいました。汗だくで彼女を探し出したチュンサンは、仲直りのしるしに手をさしだします。(なんとNHK版はここもカット。)ふたりが仲良く手をつないで山小屋にもどったところを目撃したサンヒョクがつらそうに顔をそむけました。「特別な人」としてユジンに選ばれたのが自分ではなくチュンサンだったという事実を突きつけられて、いたたまれなかったのですね。

同じく第2話の初雪デートの日、雪に覆われた湖畔の並木道でユジンがまたしても倒木に飛び乗ると、すぐチュンサンが手をさしだし、ユジンはあたりまえのようにつかまりました。手を握りあうごとにふたりの結びつきが強くなっていきました。

チュンサンが姿を消してから10年後、ユジンとサンヒョクは婚約します。ユジンに選ばれることを待ちこがれ彼女を見守り続けたサンヒョクの気持ちが、報われようとしていました。第5話で夜の街を歩いているときに、サンヒョクが歩道脇の高くなっているところにのぼってバランスをとりながら、ユジンは子供の頃こういうところによく飛び乗ってたよなあ、と思い出を語ります。

「ユジン」
「うん?」
「手を出して。(ユジンの手を握り)僕、子供の頃、君がこういうところにのぼるたびに
 手を握ってやりたかった。君がひとりで歩いているのを見るのがいやだったんだ。
 これからも僕の手が必要なときは必ずつかまれよ。ひとりで苦しんでないで」
「わかった」
「ひょっとすると、僕のほうが先に手をさしだすかもしれない。
 そうしたら僕の手を握ってくれるよな?」
 
ユジンは言葉ではなく微笑みを返しました。

サンヒョクは第8話でも、ユジンとの行き違いのあった日にひとりで酒に酔い、やはり歩道脇の高いところに乗ってふらふらと歩いています。あと少しで自分のものになるはずだったユジンが遠ざかりつつあるのに、彼にはどうすればいいのかわかりません。

第11話になると、婚約解消の腹いせに自殺騒ぎを起こしたサンヒョクを救うため、ユジンは再び結婚を承諾します。しかしサンヒョクは自分が愛されていないことを知っているので不安が消えません。生気をなくしたユジンを思いやるどころか、無理な注文を出して彼女を試そうとします。

「このあいだ、僕が手をさしだしたら君が握ってくれるって言ったことば、覚えてる?」
「え?」
「僕がつらくて淋しいとき、僕の手を握ってくれるって言っただろ?」
「ああ・・・」

サンヒョクが手をさしだすと、ユジンは少し間をおいて彼の手に力なく自分の手を重ねます。サンヒョクはそれを握りしめて、なんともいえない目つきで彼女を見つめました。ユジンの諦めとサンヒョクの強い執着心が対照的な場面です。彼はユジンを助けるためではなく、自分が楽になりたくてユジンの手を求めました。第9話と第10話でミニョンが思い悩むユジンの手をいたわるように包みこんでいたのとは大きな違いです。

男性のほうから先にさしのべられる手にこたえるかたちでそのときどきの気持ちを表現してきたユジンでしたが、彼女が強い意志をもって自分から手をさしだすシーンがありました。第14話でミニョン=チュンサンが交通事故に遭い昏睡状態に陥ったときのことです。

「もうあなたから離れない。こうやってあなたの手をしっかり握って離さない。
 だからあなたも私の手を離さないで、私に会いに来なきゃだめよ。わかった?」

少女の頃とちがって、物事をはっきりさせないことが多かった成人後のユジン。意識のないままベッドに横たわるチュンサンの手を握りしめて、やっと胸の内を言葉にしました。彼女の「特別な人」はどうしてもチュンサンでなければならなかったのです。

ミニョンにチュンサンとしての記憶がもどり、さすがのサンヒョクも第15話でついにユジンと別れる決心をしました。

「僕、耐えられるかどうかわからないけど・・・やってみるよ。
 だから君も、僕が夜遅く電話しても、会いに行っても・・・手をさしだしても、
 絶対相手にするな。
 やさしく笑ってもいけない。涙も見せるな。できるだろ? 僕を助けてくれるな?」

やはり彼は手をさしだすこと、その手をとることに大きな意味をもたせていたのですね。(ただし、吹き替えでは「会いに行ったり・・・助けを求めても」となっています。)そして、横断歩道の中ほどに立ちつくすサンヒョクの映像に回想シーンが挿入され、NHK版でもほんの一瞬ですが第1話の下校風景をようやく見ることができます。高校時代の一幕がサンヒョクにとって忘れられないエピソードだったことがこれでわかります。

サンヒョクは昔を忘れられないユジンをしばしば責めましたが、彼自身もまた過去の記憶にとらわれていました。だから、チュンサンに生き写しのミニョンの出現が恐ろしくてたまらなかったのです。10年前に経験させられた痛みと屈辱の再現を阻止するには、卑怯な手を使ってでもユジンを引きとめるしかありませんでした。ミニョンがチュンサンその人であったことが判明すると、こんどは必死に事実を隠し通そうとしました。チュンサンの父親の件でも、土壇場になるまでユジンに真実を教えようとしません。

胸が悪くなるようなサンヒョクの策士ぶりは、カットだらけのNHK版を創作の混じる吹き替えで見ているとわかりません。その一方で、ユジンだけではなく彼にも長くつらい10年があったことも伝わってきません。たとえば、チュンサンにまつわる記憶に苦しめられるサンヒョクの気持ちを友人のヨングクが第15話で代弁しますが、そこも削られています。でもカットされたいくつものシーンを補っていくと、サンヒョクが悪役にならざるをえなかった理由が鮮明に浮かび上がります。だからと言って、彼のなさけなさが軽減されるわけではないのですけれど・・・。

結局サンヒョクにできるのは、ユジンが自ら選んだ道を歩いていくのをただ見つめることだけでした。さしだした手が空を切った、あの下校風景とおなじように。




8.約束

「チュンサンでしょ? あなたなんでしょ?
 チュンサン、ごめんね。あなただってわからなくて、本当にごめんね」

ミニョンこそがチュンサンだったと知って、空港まで彼を追いかけてきたユジンのセリフです。(第14話) 彼女はなぜ謝ったのでしょうか? 「僕はチュンサンです」というミニョンの言葉を信じてあげなかったから?(第13話) 

それだけではなかった、と私は考えています。答えは、ユジンがなぜ10年もチュンサンを想い続けたのか、なぜサンヒョクではだめだったのか、という疑問―どうやら少なくない視聴者が感じているらしい―を解く過程であぶり出されます。吹き替えと重要シーンのカットのせいで寸断されてしまった流れを整理してみました。

学校をさぼって出かけた湖畔で、ユジンがチュンサンの影を踏んでいます。(第1話)

「昔、ある人が影の国に行った話、知ってるか?」
「ううん。どんなの?」
「ひとりの男が影の国に行ったけど、そこではみんなが影だから、
 誰も話しかけてくれなかったんだって」
「それで?」
「それでその男はひとりでさびしかったんだってさ。おしまい」

無口で無愛想なチュンサンがユジンに心を許し始め、語って聞かせたのが「影の国」の奇妙な話です。他人との距離のとり方がわからない不器用な少年のさびしさが透けて見えるようです。同じ日の夕暮れ時、チュンサンはユジンに問われるままに、生まれて初めて会った父への思いを打ち明けました

「会ってみて、どう?」
「わからない・・・。最初は別になんとも思ってなかった。
 どんな人なのか、オレがその人のどこに似てるのか、気になっただけなのに・・・」
「なのに?」
「そうだなあ・・・オレのこと、全然覚えてないみたいだから・・・
 覚えていてくれたらよかったのに・・・。
 (ため息をついて)やっぱりオレはあの人が憎いのかな?」

ドラマの全編を通して頻出するキーワード「キオクハダ(=記憶する、覚えている)」という動詞が最初に使用される重要な場面ですが、吹き替えでは「会って・・・僕を見てもまるで無反応だった。気づいてくれたらよかったのに。ああ、あの人を憎んでるのかな?」と作り変えられています。これでは第2話以降とつながりません。

父親のチヌはこの時点でミヒが子どもを生んだことすら知りませんから、チュンサンに対して特別冷たい態度をとったわけではないのですが、そんなことを知らないチュンサンは落胆したようです。ユジンは生い立ちから来るチュンサンの孤独を察したのでしょう、初雪デートの日にこんなことを言いました。(第2話)

「何してるんだ?」
「影踏み。
 チュンサン、影の国でさびしくならないためには、どうすればいいかわかる?」
「わからない」
「誰かがチュンサンの影を覚えていてあげればいいの。こうやって」
「そりゃあ、ありがたいや」

チュンサンはお返しに、雪道を歩くユジンの後ろにぴたりとついて彼女の足あとを踏みしめます。(第4話に回想シーンとして挿入。)

「何してるの?」
「足あと踏み。オレもおまえを覚えていてやろうと思ってさ」

湖畔から街にもどったふたりは、好きなものを教えあうことにします。(NHK版ではカット。ごく一部が第15話の回想シーンで見られる。)ところがユジンは一方的に質問するばかり。どうしておまえは答えないんだよとチュンサンにきかれて、ユジンは「チュンサンの好きなものを覚えておこうと思って」と言いました。楽しげなやりとりが続きます。

「好きな動物は?」
「犬。チュンサンは?」
「人」
「人? だれ?」
「大晦日にここで会おう。そしたら教えてやるよ」
「いいわ。あたしも教えてあげる」
「何を?」
「好きな動物」

しかしチュンサンが交通事故に遭ったために約束は果たされません。彼の死を学校で知ったユジンが教室を飛び出し、サンヒョクが慌てて追いかけます。(第3話)

「あたし、急いで行かなきゃ」
「どこに行くっていうんだよ」
「あたし、言うことがあるの。チュンサンに会って言うことがあるの。
 あたし、チュンサンに会うって約束したんだから」
「ユジン!」
「覚えていてあげるって約束したんだから。
 あたし、言うことがあるの。チュンサンに会って言うことがあるの。
 どうしよう、あたし、思い出せない。チュンサンの顔が思い出せない。どうしよう!」

「覚えていてあげるって約束したんだから」の部分が吹き替えでは訳されていないので、ユジンが覚えておくことに強いこだわりを持っているのが感じられません。一時的にチュンサンの顔を思い出せなくなったユジンの恐怖も原語ほどには強く響いてきません。

―チュンサンがどこにいてもさびしくないように、すべてを覚えていてあげる―
なにげないやりとりから始まった約束でしたが、ユジンは10年ものあいだそれに忠実に生きてきました。聞くはずだった言葉が聞けず、言うはずだった言葉が言えなかった無念をかかえこんだまま、思い出を大切に守り続けました。なんと愚かでまっすぐな愛情でしょうか。

サンヒョクがユジンの「特別な人」になれなかった理由もこれでわかります。彼がどんなにつくしてもユジンの心に入りこめなかったのは、ユジンがチュンサンとの約束という呪文で自身をがんじがらめにしていたからにほかなりません。

チュンサンと同じ顔を持ち、同じ声でしゃべり、よく似た行動をとるミニョンが現れて、ユジンに10年ぶりのときめきを与え新しい恋へと彼女をいざないました。しかしミニョンでさえ、ユジンを縛りつけている縄目をゆるめてやった程度にすぎません。彼女が本当に約束の呪縛から解き放たれたのは、間違いなく生きて呼吸しているチュンサンを空港で確認してからのことです。

高校時代のチュンサンは父親に息子だとわかってもらえずつらい思いをしたけれど、私はいつどこで会っても見分けられるように彼を覚えておこう。彼が悲しまないように。チュンサンの死を簡単には受け入れられなかったユジンは、奇跡の再会を願ってそう心に決めたのではなかったか。

それなのに、チュンサンが目の前にもどってきていることに気づいてあげられなかった。
ごめんね。

空港での涙の謝罪には、とにもかくにも約束を貫いたユジンの言いつくせない思いが込められているように聞こえます。



梅雨の感傷 第二部




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