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木村言語研究所報告
【ミーハーエッセー】


梅雨の感傷 第二部

副所長@木村言語研究所





9.幻のシーン

『冬のソナタ』を原語で視聴するときに大きな助けとなったのが、KBS公式サイトで公開されている台本でした。でもこれは脚本家による原案でしかなく、実際の映像とは一致しない部分がかなりあります。撮影されなかったのか編集段階でカットされたのかはわかりませんが、放送では消えてしまったシーンもあります。そんなボツになった場面から、興味深いものを少しだけ選んでみました。

★ユジンの父親は画家だった(第1話)
ユジンは絵を描くのが好き。でも 「あたしはおとうさんみたいに描けないから画家は無理だな。おとうさんは画家だったの。いい絵は見る人に語りかけるっておとうさんが言ったけど、あたしの絵はどれもしゃべらない」 と湖畔でチュンサンに打ち明けています。自宅に飾られた絵や、ユジンの部屋のりっぱな石膏像とイーゼルは、おとうさんの形見として用意された小道具かもしれません。

★山荘はチェリンの家のもの(第2話)
サンヒョクが 「土曜日にヨンナムんちの山荘に遊びに行くことにしたんだ。行けるだろ?」 とユジンを誘います。チェリンには当初「ヨンナム」という名前が付けられていました。お嬢さまキャラだなあとは思っていましたが、やはりそれなりのおうちの娘として作られた人物なんですね。小説本ではこのセリフが生かされています。

★プレイボーイ その1(第4話)
チョンアさんがミニョンのアメリカ育ちらしからぬ流暢な韓国語をほめました。 「みんな女性のおかげですね。女の人って、ひっきりなしにあれこれ尋ねられると愛されてるって思うものでしょ?それでいつのまにか上達したんですよ」 と返すミニョン、あきれかえるチョンアさん。

★ミニョンの父親(第5話)
格式ばったことの嫌いなミニョンは親会社の創立記念パーティーに出席したくありません。キム次長が、おやじさんはアメリカなんだしおまえが出なくてどうする、将来のためにもうまくやれ、と説得にかかります。ミニョンは会社の経営に興味がないようで、「僕は建物を建てる地面さえあればいいのに」 とぼやくと、次長はすかさず 「その地面ってやつに金がかかるのさ。お父上がたいした土地持ちだから助かってるんだろうが。」 映像でははっきりしませんでしたが、ミニョンは本社の社長の息子という設定だったのでしょうか?

★プレイボーイ その2(第5話)
着ていく服がないからとパーティーに出席するのをためらっているユジンにミニョンが言いました。 「うちの会社のイベントなんだから僕がスポンサーになりましょうか。プレゼントしますよ。」 ユジンが固まってしまったのを見て 「あは、しくじった。こういう冗談の通じる人じゃないのに・・・。冗談ですよ、冗談。僕にだって節操はあります。服は恋人にしか買ってやりません。」 これじゃあ、まるっきり金満スケベおやじだよ、ミニョンさん。

★マフラー(第9話)
ユジンがミニョンに貸してもらったマフラーを返そうとしますが、なかなか受け取ってもらえません。 「ミニョンさんだってこれしかないのに、私がしているわけにはいきません。」 マフラー・コレクターのミニョンさんに向かってこのセリフは使えませんよねえ。

★チュンサンがお粥を食べていたわけ(第16話)
誕生日の翌日でしょうか、チュンサンの具合が悪いと聞いて、ユジンは仕事を抜け出し様子を見に来ました。事故の後遺症かもしれないから病院に行こうと言うと、チュンサンは 「ユジンの顔を見たら治った」 と答えるのですが、頭痛がおさまらないようです。それでユジンは食欲のないチュンサンのためにお粥を作って食べさせたのでした。

★お茶目なチュンサン(第17話)
スキー場のチュンサンの部屋で例によって眠りこけていたユジン。目を覚ましたところに、シャワーを浴びてきたチュンサンが現れます。髪は濡れたままで上半身・・・裸。目のやり場に困った我らの処女ユジンが服を着るよう頼むと、「僕の部屋だもん、服を着てようが、脱いでようが・・・どうしてイヤなの?」 とからかいます。見てみたかったぞ、チュンサンの胸板。

★3年後のサンヒョクとチェリン(第20話)
腕を組んでます。なんかいい感じなんです。新しい恋が始まりそうな予感。このふたりには幸せになってほしいです。ずいぶん苦しんだのだから。

★ヨングクの恋
台本からも消えてしまい、KBS公式サイトの登場人物紹介欄にかろうじて残されているサイドストーリーがあります。それは、ヨングクとチョンアさんの恋。途中で方針が変わったのか、ふたりの意味ありげな出会いとチンスクの軽い嫉妬(どちらもNHK版ではカット)の後は、進展がありませんでした。それより私は、チョンアさんとキム次長のその後が気にかかってます。お似合いなんだけど。




10.四つのソナタ

ドラマの終盤でチュンサンは交通事故の後遺症に悩まされ、アメリカで頭部の手術を受けることに決めました。ところが、「NHK版と違って韓国版脚本では、チュンサンは記憶障害を恐れて手術を受けず、自分の体よりユジンとの思い出を優先させた結果失明した」という説がWEB上に見られます。雑誌かなにかでそういうエピソードが紹介されたそうですし、韓国のスポーツ紙にも同様の記事があったようです。このロマンチックな誤解は、KBSが複数のストーリーを公開しているせいで生じたと言えるかもしれません。

韓国で放映されたオリジナル版と日本のNHK版の相違はよく知られていますが、その他に前章で紹介した公式サイトの台本があります。監督の指示による書きかえがたびたびあったそうで、特に第12話と第18〜20話に大幅な変更が加えられており、映像とは別の物語と言ってもいいくらい印象が異なります。

ややこしいことに、同じサイト内の予告編ではもうひとつのストーリーが書かれています。問題の「チュンサンが手術をあきらめた」という記述はここに出てくるのです。

日本の熱心な視聴者はNHK版に不満を持っているため、「公式サイトによれば本当のストーリーはこうだよ」と誰かが言ったとしたら、それを信じやすい状態にあります。ハングルだらけのサイトを読めない大多数のファンには真偽を確かめる術もありません。

でも、四つの『冬のソナタ』を照らし合わせると、「予告編は企画書、公開台本は試作品、オリジナル版が試行錯誤を経た完成品、NHK版は完成品の機能を削ったコンパクトタイプ」という位置付けがよくわかります。

それぞれのバージョンでチュンサンの病状がどう描写されているかを、ここで比べてみたいと思います。長くなるので、関連部分を要約しました。

なお、チュンサンが医師から告げられた症状は放置すれば死に至ることもありますが、時機を逃さず手術して適切な予後管理を行なえば回復するようです。手術一般に伴う危険はもちろんありますけれど、脳外科の手術としてはとりたてて難しくなく、脳そのものをいじるわけではないので手術による記憶障害は通常ないそうです。ですから、以下の病状説明はあくまでもドラマの世界の作りごととして読んでくださるようお願いいたします。

KBS公式サイトに載せられた第20話予告編から見てみましょう。

「手術しなければ命が危ないが、手術の影響で記憶をなくすこともありうると聞かされたチュンサンは、思い出さえあれば二度と会えなくても幸せに暮らせると言うユジンの言葉で手術をあきらめる。サンヒョクとチヌの説得にも耳をかさない。結局チュンサンはアメリカで治療を受けることにして旅立った」

視力についてはなにも書かれていません。チュンサンのその後もわかりません。もし手術しなかったとしたら、彼は死んだはずです。

台本では第19-20話で医師が2回病状を説明します。

「早く手術をするのがいいだろう。少なくとも悪化は防げる。放置すれば視力を失うこともありうる。やがて脳の機能が低下し、最終的には命にも支障が出るだろう。危険な手術なので性格の変化や記憶力の低下はあるだろう。以前の記憶を失うこともありうる。薬物治療もあるが勧められない。手術が最善だ。一刻を争う。」
「完治は難しいとみられる。手術が成功しても後遺症が重いだろう。すでに視覚障害が始まっている。急ぎなさい。へたをすると視力を失うこともありうる」

チュンサンが手術を拒否したという記述は台本のどこにもありません。そのかわり、彼がアメリカで手術する覚悟を決めたことが医師とサンヒョクのセリフから間接的にわかります。3年後、チュンサンの視力は物の輪郭が戸外でやっとわかる程度にまで弱り、さらなる悪化は避けられないようですが、アメリカから韓国までひとりで旅行できる体力はあります。彼が実際に手術を受けたかどうかは書かれていません。しかし、視力以外に問題はないようなので、おそらく手術したのでしょう。ただ、あいまいであることは確かで、台本と予告編をいい加減に混ぜ合わせると、「ユジンのために手術をしなかった」という説ができあがるのかもしれません。

映像の第19-20話では、サンヒョクとの電話も含めて医師が3回病状を説明します。ここに要約したのはNHK版副音声の内容ですが、根本理恵訳『冬のソナタ完全版4』(韓国放映時の脚本の翻訳)のセリフと一致しますので、おそらくオリジナル版もこれと同じです。

「早く手術を受けなさい。放置すれば視力を失うこともありうる。脳機能の損傷はともかく、命が危ない。手術が成功しても他の後遺症が出ることもありうるが、このまま放置はできない。一刻を争う」
「完治は難しいとみられる。手術が成功しても後遺症が重いだろう。すでに視覚障害が始まっている。急ぎなさい。へたをすると視力を失うこともありうる」
「現在はかろうじて持ちこたえているものの非常に危険な状態だ。手術しか方法はないが、成功するという保証ない。」

台本に比べて、チュンサンの病状が深刻であることが強調されています。その一方で記憶障害にはまったく触れられていません。ユジンとの思い出を失いたくないという理由でチュンサンが手術を拒否することは、映像のストーリーではありえないのです。彼は手術を受ける決心をしてアメリカに帰って行ったのでした。

その後手術が行なわれたのかどうかは明示されていないのですが、いくらご都合主義のドラマでも、頭部の疾病で短期間に2回も昏倒し手術しないと死ぬと宣告された人間が、医師の忠告を無視して生きのびたとは考えにくく、チュンサンは手術を受けたと解釈するのが素直な受け取り方だと私は思います。

俳優の演技を見る限り、3年後のチュンサンは台本と異なって完全に視力を失ってしまったようです。彼が失明したのは手術を先送りにして無理を重ねたせいであろうことが、医師の診断から推測できます。

ドラマの企画段階ではチュンサンが死ぬことになっていたそうです。しかし視聴者からの助命嘆願を無視できず、「たとえチュンサンが死ななくても納得が行く終わり方がないかな、と考え直してみて、あのような結末にしたわけです」「普通のハッピーエンドにはしたくなかった。いろいろ考えた末に、チュンサンが失明してユジンと再会するというエンディングに変えました」とユン・ソクホ監督が語っています。(『愛してる!!韓国ドラマ』)

チュンサンは死なせない。
と言うことは、彼はやっぱり手術を受けて生還したんですね。

ユン氏は別のインタビューで、ドラマのストーリー作成は脚本家と監督との共同作業だとも言っています。(『もっと知りたい!韓国TVドラマ Vol.2』) 予告編と公開台本の筋書きがどうなっていようと、スタッフたちがアイディアを出し合って作った映像が決定版であることに少しの疑いもありません。私は余韻の残る美しいエンディングをあるがままに味わおうと思っています。




11.些細な、本当に些細なことの覚え書き

★ヨングクの駄洒落
占いに凝っていて、言うことがいちいち年寄りくさいヨングク。彼は駄洒落も飛ばしていました。(第1話) ピアノの実技試験で成績の悪かったチンスクが紙鍵盤で練習しています。ヨングクは頼まれもしないのに次回の試験を占いはじめました。チンスクが 「また5点じゃないでしょうね?」 と聞くと 「ピアノが人生の汚点と心得よ」 と告げます。原語では 「5点」 も 「汚点」 も同じく 「オッチョム」と発音するんです。ね、おやじでしょ?

★初雪はまだなのに
サンヒョクがチュンサンのあとをつけて行った大学のキャンパス、放送部のみんなが待ち合わせた春川駅構内、キャンプに出かけた山。消え残った雪がはっきり映っています。(第2話) これらのシーンの後でユジンが言うんですね、「初雪はまだかなあ」 と。でも許します、チュンサンが焼却場でユジンのために落ち葉を雪に見立ててまき散らすときの表情が好きだから。10年後のミニョンは、降雪機が雪をふりまくゲレンデにユジンを連れて行きました。ここなら誰にも聞かれず思いっきり泣けるから、と。(第8話) これは焼却場のシーンの変奏ではないでしょうか。ユジンの望むことをしてやりたいという気持ちは同じですものね。

★マルシアン的時間感覚
建築会社マルシアンの幹部は日にちを数えるのが苦手です。

きのうは寒くて大変だったでしょ。よく休みましたか?」(第4話)
ミニョンがユジンにかけた言葉なんですが、スキー場でユジンが寒い思いをしたのは実は「おととい」。「きのう」の日曜日はサンヒョクとデートしていました。別のシーンでチョンアさんがはっきり「おととい」といってます。

あしたから現場だし、今夜は一杯やっとかないとさ」(第5話)
これはミニョンを誘うキム次長のセリフです。この晩ユジンが酔っ払って大変な目にあい、翌日の会議に遅刻しました。ミニョンたちがスキー場の工事現場に向かうのはその次の日ですから、「あした」じゃなくて「あさって」が正解です。

「あの人は僕を避けて、警戒して、それでもぼんやり僕を見つめて、
 きのうは僕の身代わりになってケガまでした」(第7話)
ユジンのことで嘘をついていた恋人チェリンに怒りを隠さないミニョン。ユジンが工事現場で資材の下敷きになったのはこの日の昼近くです。「きょう」でなくてはなりません。

スタッフは誰も気づかなかったんだろうか、韓国ドラマ。それとも 「オジェ(=きのう)」 という単語に 「さっき、このあいだ」 みたいな意味があって、私がそれを知らないだけなんだろうか・・・。吹き替えではつじつまを合わせてきれいに処理してありますので、安心して物語に没頭できます。

★O.S.T.
バラード大国の韓国にふさわしく劇中で使われる歌はどれも美しくて、何回聞いても心を動かされます。中でも私は 「忘れないで」(Ryu 作詞・作曲) が好きです。わらべ歌か子守歌のような懐かしい旋律が切なくてたまりません。この歌、日本版オリジナル・サウンド・トラックに付いている冊子の歌詞が間違っているって、ご存知でしたか? 

最初のほうで Ryu は 「ネガ ギョテ オプソド (ぼくが そばに いなくても)」 と歌っているのに、歌詞カードにはなぜか 「ネガ ギョテ イッソド (ぼくが そばに いても)」 と印刷されています。もっと不思議なのは、対訳部分を見ると 「私がそばにいなくても」 と原詞にのっとって正しく翻訳されていること。この曲は Ryu のソロ・アルバム『Moment』にも収録されており、こちらは歌われているとおりの歌詞が掲載されています。KBS公式サイトのO.S.T.コーナーの歌詞も間違っているので、「忘れないで」 を覚えようとしている方はくれぐれもご注意くださいませ。

追記:韓国版O.S.T.を入手しました。「忘れないで」の歌詞は正確でした。日本版では「あなただけが」にもスペルミスがありますが、韓国版では正しく表記されていました。いよいよ不思議です。

★運命の輪
小道具としてタロットカードの 「Wheel of fortune」 が何回か登場します。そのたびに私の頭の中で 「おお、運命の女神よ」(オルフ作曲「カルミナ・ブラーナ」第1曲)が勝手に鳴り出し、非情な女神が回す巨大な車輪が見えるような気がします。ヘンですかねえ、私。チュンサンにうってつけの歌だと思うんですけれど。

★愛しのチェリン
チェリンはなんていったって美人です。ひとりよがりなところもあるけど、恋に一途です。ユジンみたいに揺れたりなんかしません。自分で決めて自分で行動して、きっちり結果を引き受けることのできる凛々しさだってあります。

チェリンは留学先でミニョンに出会って以来彼を真剣に愛してきましたが、ミニョンはユジンに乗りかえてしまいました。交通事故に遭った彼を看病したくても、チェリンは自分の出番ではないことを知っているから、大酒を飲んでサンヒョク相手に泣くのです。(第14話) どうしてあたしの愛する人はあたしを愛してくれないの、どうしてあたしは好きな人のそばにいられないの、と。ああ、なんてかわいいんだ、きみは。私がサンヒョクならしっかり抱きしめてやる。

チェリンは自分の傷もまだ癒えてないのに、心身ボロボロの元恋人を思いやって愛情あふれる言葉で力づけようとします。そして 「カン・ジュンサン!」 と呼びかけるのです。(第19話) ミニョンとの楽しい日々に固執するあまり、彼の記憶がもどっても元同級生のチュンサンと認めようとしなかったチェリン。彼女がこの名を口にしたことで、チュンサンは10年間失っていた自分の名前をついに完全に取り戻しました。感動の場面です。チェリン、えらいぞ!やっぱりきみはいい女だ。

以上、私がもっとも泣けたシーンふたつでした。

★年齢を感じるとき
劇中には3人の母親が登場しました。彼女たちはそれぞれの立場からチュンサンとユジンに苦痛を与えます。私はあくまでも若いふたりに感情移入しつつ、母親たちの立っている位置も見ていました。私ならそんな選択はしないけど、彼女たちのとった行動も理解できると思いました。さらに、ストーリーを俯瞰している私自身までが見えました。ドラマをこんなふうに見るなんてもう若くないってことですよね。少し淋しく感じます。

★主人公は誰か
オープニングで最初に映るのがユジン役のチェ・ジウの名前ですので、『冬のソナタ』はユジンが主人公のラブ・ストーリーだとばかり思っていました。実際、ドラマはユジンの視点で進みます。ところが、第6話まできて違和感を覚えるようになりました。ユジンが何を考えているのかよりは、ユジンへの想いにとまどいながら少しずつ変化してゆくミニョンの様子のほうが丁寧に描かれるからです。

ミニョンの恋に一応の決着がついた第11話以降のユジンは、遠景に退いてしまいます。後半の主題はミニョンの出自なのですが、ユジンは常に蚊帳の外に置かれ、ミニョンがサンヒョクとともにストーリーを引っぱっていきます。彼が昔の記憶を取りもどしてからは、完全にチュンサンの物語となりました。登場人物の中でもっとも傷つき苦しんだ彼が再生を遂げて幕がおります。全20話を見終わって、『冬のソナタ』はひとりの女性を二度愛したせいで人生が大きく変わってしまった男性のドラマだ、と確信しました。(それで私は、一風変わったあらすじを書いてみたわけです。)

KBS公式サイトで最初に紹介される登場人物はチュンサンです。韓国版ポスターのトップに来るのはペ・ヨンジュンの名前。第9話のライブコンサートのときのスナップショットも、舞台のセンターに立っているのはペ・ヨンジュン。ネット配信のオリジナル版では、キャストの先頭がぺ・ヨンジュンになっているそうです。まちがいありません、主演はペ・ヨンジュン、主人公はチュンサンです。どうしてNHKはクレジットを変えてしまったのでしょうか。チュンサンを中心に持ってくると人物相関図を描きにくいから・・・なんてことは、まさかないですね。

★第20話に関する大胆な仮説
悲しい別れから3年後。留学を終えたユジンが、かつて住んでいたアパートの前に姿を現しました。サンヒョクと小さな女の子も一緒です。その様子を眺めているかのような人物の姿が画面の左端にちらりと映る・・・のだそうですね、オリジナル版では。

公式サイトの台本には、チュンサンがキム次長に頼んで近くまで車で送ってもらい、ひとりで懐かしいアパートにやって来ると、偶然にもユジンたちの声がきこえ、しばらく耳を傾けていたが、悲しいような嬉しいような表情で立ち去る、という場面があります。チュンサンはユジンがサンヒョクと結婚して子どもまで授かったと誤解してしまったんですね。彼がいなくなってからやっとヨングク&チンスク夫妻が登場します。オリジナル版に映る人物はおそらくこのシーンを撮影したときのチュンサンでしょう。私はこんなふうに考えてみました。

【仮説】チュンサンの後ろ姿は編集ミスで残ってしまった。【仮説】

台本では、再会したチュンサンとユジンが涙を流しながら向かい合ったところで終わっています。キスはおろか抱擁もありません。チュンサンはユジンが人妻だと思いこんでいるので、このあと彼女に触れるためには言葉による説明が不可欠になります。ふたりをキスさせようとしたら会話を挿入するか、そのような会話があったと視聴者に納得させるなんらかのサインが必要ですが、それは無粋というものです。

ラストにキスシーンを持ってくることになった段階で、チュンサンがユジンとサンヒョクの関係を誤解したと視聴者が解釈する可能性のある部分は使用しない、と監督が決めたのではないでしょうか?でも、すべての撮影が終了してからオンエアまであまり時間がなかったため、完璧な編集ができなかった・・・なんて、妄想してみました。

ここまでずいぶんNHK版への不満を書き綴ってきましたが、ことエンディングに関しては日本向けに編集し直されたバージョンのほうが優れています。余分な物がなく、余韻がある。新たに追加されたという回想シーンも効果的でした。・・・オリジナル版を見ていない私がこんなことを言っても説得力がありませんか。あくまでも仮説ですので、お許しください。




12.声

BSでの最初の放映時、ザッピングで引っかかった『冬のソナタ』を副音声に切り替えてみたことがあります。ユジン、サンヒョクは人相から予想される声そのまんまでしたが、ミニョンには驚きました。

私の普段の好みを言えば、しゃべるときも歌うときも高めの澄んだ声をした人が好きです。吹き替えの中性的なミニョンには好感を持っていました。

だけどこの俳優はこの顔でこの低さ? ほんとに? しかも鼻がつまってるじゃん、こんなに素敵なお鼻なのに。

ミニョンを演じるペ・ヨンジュンの鼻の通りがたまたまその回に悪かったのは後にわかりましたけれど、そういうわけで第一印象は良くありませんでした。ところが、原語での視聴を続けていた4月末のある日。

「見て。見てください。こんなに美しいじゃありませんか。
 ここはこんなに美しいのに、ユジンさんが見たものは、なんですか?
 思い出しかないでしょ? 悲しい思い出しか見えないんでしょ?」

第7話の湖畔のシーンで、ミニョンがユジンに現実を見るよう説得するセリフです。この「見て。見てください」を聞いたとき、腰から首まで素肌を一気に撫で上げられたように感じました。ミニョンの声の深さと色気に打ち負かされてしまったのですよ、私は。

ペ・ヨンジュンの声は湿り気を帯びた濁りのある低音で、かすかな粘りもあります。決して美声ではありませんが、年齢(撮影当時29歳)の割には落ち着いた深みを感じさせます。

口元を見ながらセリフを聞いていたら、他の俳優に比べて唇や舌の閉じ方がほんの少しゆるい場合があるらしいのに気づきました。フレーズの終わりの母音が鼻にかかる癖も気になります。そのせいかどうか、耳が慣れるまではユジンやサンヒョクより聞き取りに骨が折れました。(リスニングで一番難しかったのは、徹底して自然体のキム次長です。)

しゃべり始める前に口を開くときのノイズが多いのもペ・ヨンジュンの特徴です。上下の唇が離れるとき、舌が硬口蓋から離れるとき、舌のもっと奥のほうが軟口蓋から離れるときに生々しい音をたて、その直後にしばしば大きく息を吸い込むのが聞こえます。口または鼻から吐き出される息もかなりの音量です。最初は余分な音が邪魔だったのですが、誰かが私のためにすぐそばでしゃべっているかのように錯覚させる作用があり、次第に心地よくなってきました。

深い低音と、鼻にかかったややゆるめの発音と、肉感的なノイズ。これらに独特の間合いの取り方と顔の表情が加わって色気を醸し出しているのでしょう。ペ・ヨンジュンにはセックスアピールがないという見方もありますが、この人の色気の半分は声にあります。あの厚い唇の動きと声がシンクロしたときに最大の効果が発揮されるのであって、吹き替えしか知らない方には彼がどれだけセクシーな演技をしているかわかるはずもありません。

高校時代のチュンサンを演じているときには声のコントロールに成功したとはさすがに言いがたく、どうしても大人の響きが残っているものの、浅めの発声を用い、地声よりは高く薄い不安定な音を作っています。第1話、他人に内面をのぞかれるのを好まないかたくなな少年らしく、あまり口を開けずに短い文を無造作に投げ出すようなしゃべり方がクールです。

10年後のミニョンは、強くてしなやかな腹筋と背筋の存在を思わせる男らしい声をしています。空気をビリビリ震わせながら直進するトロンボーンの音のように力にあふれ、騒々しくさえあります。ドラマ後半に比較して抑揚のバリエーションが少ないためにやや単調に聞こえますが、まだ単純な世界で生きている苦労知らずのミニョンに似合っています。

第7話以降、ミニョンは経験したことのない恋をし、出自に悩み、短い幸せのあとで言いようのない苦しみに突き落とされ、健康まで損なうわけですが、ストーリーにつれて声もどんどん変わってゆきます。金管楽器のぎらついた派手さが失せ、チェロのように陰影のある音を聞かせてくれます。柔らかく語り、セクシーにつぶやき、切なくすすり泣き、苦しげに軋み・・・。圧巻は第19話で母親に向かって激しい怒りをぶつける場面です。過重な負荷のかかった弦が演奏中に突然切れたかのような衝撃がありました。画面にはチュンサンの肩から上しか映らないのですが、声を聞くと全身から放たれた悲痛な咆哮であることがわかります。

先に書いたように私は吹き替えの声も好きです。高校時代のチュンサンにはぴったりでした。ミニョンがプレイボーイぶりを披露する第4-5話のさばき方もたいしたものです。でも、ミニョンのしゃべりが変化しはじめる第7話からは、吹き替えがペ・ヨンジュンの演技の起伏に追いついて行っていません。あまりに淡々としすぎています。しかも、全体的に子どもっぽくて軽いのですね。ミニョン/チュンサンは誇り高き大人の男としてふるまっているのに。

副音声をまったく聞かずに『冬のソナタ』を見ていたら、吹き替えに違和感を抱くことがなかったでしょう。声を当てた俳優の力量が不足していたとは思いません。ペ・ヨンジュンの感情表現のほうが、より豊かでより説得力があったということです。

まだ原語で視聴していない方はぜひ一度お試しあれ。
ただし、彼の声には習慣性があります。覚悟して音声を切り替えてくださいね。




13.再生

私は人間が単純にできているのかもしれません。
たくさんの『冬のソナタ』ファンが不満に思っているらしい最終話を、すんなり受け入れてしまいました。

なぜチュンサンは、ユジンと血のつながりがないとわかっても別れたのか?
なぜユジンは、病身のチュンサンを追って渡米しなかったのか?

みんなが抱いている疑問をまったく感じなかったわけではないのだけれど、3年後のチュンサンの美しい笑顔を見て納得がいったのです。彼が過去のすべてを受容して生まれ変わるために、ふたりはしばらく離れていなければならなかったのだと。

チュンサンはアメリカで手術を受けることを決め、帰国前日にユジンに会います。ふたりが異母兄妹でなかったことも、自分の病状が危険であることも隠したまま、ユジンにやさしく言いました。

「きみはいつも良い姿だったのに、僕はそれを守ってやることもできなかった。
 悲しませてばかりだった。」

だけどチュンサン、「良い姿」を失って苦しんでいるのは、
ユジンじゃなくて、きみ自身じゃないのか。
画面の中のやつれ果てたチュンサンに、思わず声をかけたくなりました。
彼は本当に変わってしまった。

最初の交通事故の際に記憶を失ったチュンサンは、母親の意向で捏造された記憶を植えつけられました。(医学的にはありえないらしい。) ミニョンという名で暮らしたアメリカでの日々は幸せだったようです。10年ぶりに韓国に現れた彼に、高校時代の暗さはまったくありません。

ドラマ前半のミニョンは、30前の若造がなぜそこまで、と不思議になるくらい、余裕たっぷりの態度を見せてくれました。言葉のはしばしからゆるぎない自信と強烈なプライドがうかがえます。仕事でもプライベートでも、彼が常に上位者であることを相手に意識させずにはおきません。ときには傲慢に感じられるほどです。ミニョンは自分でも言っているとおり、もともと他人に気を使うタイプではありませんでした。(第6話) ある種無神経なところも彼の強さだったのでしょう。

学歴・才能・地位があり、スポーツもこなし、容姿に恵まれ、社交的で、金と女に不自由しない青年、ミニョン。欠けたところのない完全な男として、彼は生き生きと輝いていました。第4話冒頭でユジンに向けた笑顔は本当にまぶしかった。でも、ミニョンが一点の曇りもない完璧な笑顔を見せるのはこのとき限りです。ユジンの流した涙を見た瞬間に彼の変容が始まったのだから。

ユジンを愛する過程でミニョンは他者を思いやることを覚えます。けれど、周囲の人々の気持ちがわかればわかるほどミニョンの苦しみは増すばかりです。恋の悩みに出生の秘密もからみ、あれほど自信に満ち堂々としていたミニョンも、うつむきがちになりました。完全無欠だったはずの彼に、愛しい人をつなぎとめる力はなかったのでした。

受け入れがたい出来事が続き、魅力的だった彼の容姿はしだいに色あせて老けこんでゆきます。泣くことが多くなり、体のどこかが痛むかのような弱々しい微笑みを浮かべるのが精一杯です。いまにも崩れ落ちそうな彼を支えているのは、ユジンへの変わらぬ愛と、男としてのプライドでした。

「僕たち・・・もう二度と会わないことにしよう。
 このまま、海辺で幸せだった思い出を最後に、僕たちはもう会わないで・・・
 良い姿だけ覚えておこう。そうしてくれる?」

ここで彼の言う「良い姿」とは何だったのでしょうか?

男女の別がはっきりしている韓国では、女性とは保護されるべき存在であり愛する女性を守るのが男の務めである、と考える傾向があるようです。『冬のソナタ』でも、チュンサンとサンヒョクがユジンに対してさかんに「守る」「見守る」という言葉を使います。

チュンサンの夢は、ユジンと家庭を持ち、家族のために温かい手となり丈夫な脚となることでした。(第16話) しかし彼は、ユジンをかばったときの事故の後遺症で失明するかもしれないし死ぬかもしれないと医師に宣告されている身です。今後彼女に自分の「良い姿」を見せること、つまり、チュンサンが理想としている方法でユジンの美しく溌剌とした「良い姿」を守ることなど到底かなわず、彼女のそばにいても重荷になるだけだと考えたのでしょう。(韓国社会は日本以上に障害者に厳しいという現実もあります。)

ユジンは泣き虫だけど、繊細なチュンサンよりはずっと丈夫な神経の持ち主です。それでもチュンサンは彼女を守ることばかり考えている。ユジンのために男としての役割をまっとうすることで、これからわが身に起こる事態に耐えようとしている。雄々しくもあり、哀れでもあり、私はこの想像上の人物にいとおしさを感じずにはいられません。

チュンサンは異母弟サンヒョクにユジンを守ってくれるよう頼むと、ニューヨークに帰っていきました。ほどなくユジンはフランスに留学します。

サンヒョクからすべてを知らされても、彼女はなぜアメリカに向かわなかったのか? 
そんなことをしたら、チュンサンの唯一のよりどころであるプライドを踏みつけることになるじゃありませんか。「ユジンを愛するチュンサン」の存在意義を奪われたら、おそらく彼は粉々に砕けてしまう。ユジンはこの時点でチュンサンに会いに行くわけにはいかなかったのです。

3年後、久しぶりに韓国を訪れたチュンサンの目は何も見ることができませんが、実に穏やかな表情です。透きとおるような白い肌に浮かぶ微笑みは清らかで、神々しくさえあります。ユジンと別れてからこんなふうに笑えるようになるまでに、彼はどんな日々を送ってきたのでしょうか。ドラマでは何も語られません。しかし、彼がユジンを想いながら時を重ねてきたことだけは確かです。そうやって少しずつ自分を立て直し、心の平安を得たのでしょう。愛憎もプライドもすべて浄化され、ミニョンだった頃の華やかさとは異なる美しさが、チュンサンの顔を静かに輝かせています。

ユジンとチュンサンの合作である「不可能な家」の中を、チュンサンが歩数を数えながら手探りで歩いています。私は、柵の上を「いち、に、さん・・・」と数えながら渡っていく高校時代のユジンの姿を重ね合わせてみます。

チュンサンもユジンも、それぞれひとりでちゃんと歩けるけど、
よりそってくれる人がいれば、きっともっと楽しく歩ける。
昔、湖畔でデートしたときのように彼女に歩み寄って手を握ったら、
こんどこそ離さないでほしい。
チュンサン、生きることを諦めなかったきみへの贈り物が、ほんの数歩先にある。




14.夏の終わり

地上波で『冬のソナタ』第1話後半と第2話を見た連れ合いは、「退屈だ」と言って早々にリタイアしました。ところがどういう心境の変化があったのか第11話から復帰し、最終回まで私に付き合ってくれました。

「僕はサンヒョクに同情するなあ。ミニョンさんは得体が知れないし、ユジンはなに考えてるかわからないし。ユジンはいつも同じ顔してるじゃない。どう見てもチェリンのほうがかわいそうだと思う」

半分しか見ていないくせになかなか鋭いことを言ってくれます。

ユジンはいつだってむきたてのゆで卵のようにきれいな顔をしていて、他の人たちがだんだんやつれていく中で確かに異質でした。しょっちゅう泣いているからかわいそうに見えるけど、よく考えると彼女は最終的に何も失っていません。主要人物の中でもっともわけのわからないキャラクターだったと思います。



本当に不思議なドラマでした。
見終わったら、また最初から見たくなる。見るとなにか言いたくなる。
普段フィクションに関心を示さない私の連れ合いでさえ、ボソリと感想をもらしたほどです。

『冬のソナタ』をテーマとしたサイトはいったいどのくらいあるのでしょうか?
感想文、創作シナリオ、詩、心理分析、掲示板での意見交換等々、ドラマに触発された人たちの言葉がWEB上にあふれかえっています。

私もビデオや放送を見てはブツブツしゃべっていました。連れ合いに 「なんか書いてみたら?」 とそそのかされ、調子に乗ってそんなひとりごとを文章化してしまったのがこの『梅雨の感傷』です。どうせなら他のサイトとは違う角度から『冬のソナタ』を描いてみたいと思い、ふたつのことを心がけました。

ドラマそのものをあるがままに受けとめる。
吹き替えではなく原語のセリフに耳を傾ける。

登場人物の言動が気に入らないからと言って、ストーリーをねじまげたくはなかったのです。好みのお話に作り変えて自分を納得させるのもひとつの楽しみ方ではありますが、それは避けたかった。すでにたくさんのファンがやっていたから。

ドラマの中の問題はできるだけドラマ内部で解決するよう努めました。なにか疑問を感じたとき、すぐには答えが得られなくても、セリフに耳を澄ませていると全20話のどこかにヒントが見つかります。吹き替えでは表現されていない原語のニュアンスを読んで主人公たちの気持ちに近づいてゆくのは楽しい作業でした。

『冬のソナタ』の脚本家たちによる撮影秘話とその後の物語が出版されました。まだ読んでいないのですが、私が組み立てた理屈をひっくりかえすようなエピソードが披露されている可能性があります。そうだとしても、ここで書いてきたことの訂正はいたしません。原作者がいま何をどう語ろうと、それはすでに完結しているドラマの外側での話です。私は、映像がすべてという立場を貫こうと思います。



この3か月間、通勤電車の中で文章の構成を考えては週末にパソコンに向かうということを繰り返してきました。書きはじめたのは梅雨入り前です。梅雨明けの頃に完成するはずだったのに、まさかひと夏かかるとは・・・。録画は全編10回ほど見たでしょう。短い休暇中も、たかがドラマのためにどこにも出かけず、オリンピックの中継も見ず、蝉の合唱を聞きながらひたすら冬のラブストーリーを追いかけました。

それでおまえは楽しかったのかって?
ええ、もちろん!

『冬のソナタ』を私のもとに届けてくれたすべての方々に感謝します。
それから、私が家事そっちのけでビデオを見ていようが本やCDをしこたま買いこもうが文句ひとつ言わず、私の好きなように遊ばせてくれた連れ合いにもお礼を言わねばなりません。ほとんどうわごとのような私の話をいつもにこにこしながら聞いてくれて、ありがとう。

夏が終わろうとしています。

(2004.5.29 - 9.3 記)



参考資料

映像:
『冬のソナタ』全20話 NHK BS-2 アンコール放送(2003年12月15日〜26日)
『冬のソナタ特集 素顔のペ・ヨンジュン』 NHK総合テレビ(2004年4月30日)

ウェブサイト:
『冬のソナタ』NHK公式サイト   http://www3.nhk.or.jp/kaigai/sonata/index.html(2005.7.1午後閉鎖)
『キョウルヨンガ』KBS公式サイト http://www.kbs.co.kr/end_program/drama/winter/index.html

CD:
『KBSミニシリーズ キョウルヨンガ』 YDCD-570(2002)
『冬の恋歌(ソナタ)』 JKCA-1004(2003)
Ryu 『Moment』 JKCA-1006(2003)

文献:
根本理恵訳 『冬のソナタ 完全版 1〜4』 ソニー・マガジンズ(2004)
安岡明子訳 『「冬のソナタ」で始める韓国語 シナリオ対訳集』 キネマ旬報社(2003)
宮本尚寛訳 『冬のソナタ 上・下』 日本放送出版協会(2003)
韓ドラ・フレンズ著 『「冬のソナタ」愛の真実:韓国ドラマの謎』 竹書房(2004)
田代親世著 『韓国はドラマチック』 東洋経済新報社(2003)
小倉紀藏著 『韓国ドラマ、愛の方程式』 ポプラ社(2004)
『韓国ドラマ・ガイド 冬のソナタ』 日本放送出版協会(2003)
『愛してるっ!!韓国ドラマ』 TOKIMEKIパブリッシング/角川書店(2004)
『もっと知りたい!韓国TVドラマ Vol.2,3』 共同通信社(2004)
『HOT CHILI PAPER PLUS 01 韓流スターの時代1』 エイチ・シー・ピー(2004)
『NHKテレビアンニョンハシムニカ?ハングル講座』 21巻1号〜5号 日本放送出版協会(2004)
『李孝石全集 2,7,8』 ソウル 創美社(1983)
『韓国古典文学選集 3』 高麗書林(1975)




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