神幻暗夜行 第四夜
「大師の里」あらすじ

――長谷川哲也「神幻暗夜行」より

神子上幻也――神幻幼い頃に「鬼」によって右目に傷をつけられ、それが元で本来人間には見えない怪異が「見える」ようになってしまった主人公、浪人・神子上幻也――神幻。流浪の旅の中で彼が遭遇する様々な怪異譚の第四夜。

 神幻はしばらく前に旅籠で知り合った武士の榊と共に、とある村へと差し掛かり、そこで出会った名主に村での宿泊を勧められる。その日は旧暦の十一月二十三日、今夜は弘法大師空海を祭る大師講であり、名主はこの村にも大師伝説の一つがあると言い出す。その伝説は少し変わっており、昔この村で手厚いもてなしをしてくれた老婆に礼をするため、老境の大師が再びここを訪れたのだが、老婆が既に死んでいた事を知り、この村の永遠の厄除けを約束して、高野山ではなくこの地で入定した、というものだった。以来数百年、村は戦渦に巻き込まれる事もなく繁栄し、病気や出産によって死ぬ村人もいないと名主は言う。そして村にある、大師の足跡を祭った大師堂へと二人を案内する。ちょうどその時雪がちらつき始め、名主は「隠し雪」だと嬉しそうにつぶやく。

 大師堂の中へと通された神幻と榊だが、中は薄暗くて何もない。その時突然床が傾き、二人は堂の下にあった大きな深い穴の中へと落とされてしまう。底に積まれていた藁山の上でうめく二人に、名主は『村のためじゃ』とわびて扉を閉め、堂の外に集まっていた村人達に、今年はくじ引きは無いと告げる。そして安堵し喜ぶ村人達に忌みごもりを命じ、自らは「仕度」をしにいく。一方穴の中では、神幻が名主の台詞から、この村では毎年、豊饒や厄除けを願って大師に人身御供を捧げていると推測し、榊に説明する。大師であっても無からは何も作れない、何か代償が必要……くじは村人から人身御供を選ぶため、しかしこの時期に旅人が来た場合は使わずにすむ……。それを聞いた榊は、『なんてことだ 大師の所業とは思えん!』『供物たる我々の生命力を使って村を守り豊かにする……これじゃまるで原始宗教だ』と憤るが、神幻はこの村の豊かさや、その方々で見かけた、樹齢が何千年にもなるかという木々の存在を指摘する。

 やがて暗がりに目が慣れ、周囲の探索を始めた神幻と榊は、穴の一方の壁の中ほどに小さなくぼみがあり、そこに一体の即身仏が座っている事に気がつく。藁で作った即席のたいまつを使ってその周囲を調べると、『長暦参年入定』(1039年)と彫られた文字が見つかる。この日付を当てはめると大師は二百五十年以上生きた事になり、二人は当然この即身仏は弘法大師ではないと結論する。しかしどうやらこの人物が、六百年ほど前にこの村の儀式を始めたらしい。その頃堂の外では雪の降り続く中、白装束を着た名主が小豆粥と、片方が短い箸とを堂の前の地面に供えていた。

 かつて民話を集めて草子を書こうとした事のある榊は民間伝承にも詳しく、神幻に大師伝説の真実について語り始める。

「さっき私は大師の所業とは思えんといった
 あれはある意味で本当です」
「大師伝説とは元々地方の土地信仰に 後から大師の名だけがくっついたものなんです」
「だいしとは『大子』 本来『神の御子』のことだったのです
 大師伝説につきものの『関の姥』は母神か巫女が転じたものでしょう」
「それがいつしか高野聖の布教とあいまって『大師』の音を連想することになり弘法伝説となった
 一般に十一月二十四日の前夜を大師講といいますが…この日は弘法大師と何の関係もありません
  しかしです」
「大師講の夜には雪が降るという言い伝えがあるでしょう…あれは隠し雪というんです」
「その昔 貧しい老婆が大師をなんとかもてなそうと 悪い事とは知りつつも隣の畑の作物を盗んでしまう…ところが畑には老婆の足跡が残っていた」
「老婆はひどい跛(あしなえ)だったのでこれでは一目で誰の仕業かわかってしまう
 老婆を憐れんだ大師は雪を降らせて足跡を隠してやった」
「また大師自身が跛(あしなえ)で 雪が降るのを見て足跡が隠れると喜んだという話もある」
 ※このため大師講には片方が短い箸を粥に添えて祭ることもある。
「しかし一本足の『だいし』というのは弘法大師ではなく 普通『山の神』をさすのです」
 ※山の神は稲作の時期は里に降り「田の神」となる。つまり「豊饒の神」である。
(ギリシアやスカンジナビアの古い神同様日本においても山の神は一つ目一本足であった
 昔はそのため大きな草履の片方だけを造り山の神へ上げる風習もあった)

 これを聞いた神幻は、かつて年寄りに十一月二十三日は「片足神来臨の日」だと聞いた事があるのを思い出し、名主が雪を見て喜んでいたのは、旅人を山の神の供物に捧げても、大師が隠してくれると思ったからだろうと言う。

 その時突然、壁の即身仏がガタガタと揺れ始め、やがてそれを中心に壁が――いや空(くう)が十文字に割れていく。そしてその向こうのまばゆい光の中から大きな地響き……何かがこちらへと近づいてくる足音が聞こえてきた。堂の外では夜空の下、名主がかがり火と供え物の前にかしこまり、『大師様の御来臨じゃ……』と一心に何かを唱えている。やがて空間の裂け目からこちらへと続く地面に、地響きにあわせて大きな丸いくぼみが付き始めた。こちらへと近づいてくる、人間の目には見えない何か……だが神幻の右目には、丸いくぼみ――足跡の上に立つその一本足の何かの姿が、次第に見えてきたのだった。

大師、シュブ=ニグラスの化身?

 思わず叫び声を上げて飛び下がる神幻。すると隣にいた榊が、目に見えない「大師」の触腕に巻きつかれて空中へと持ち上げられていく。呆然とする神幻の前で、訳も分からぬまま必死に刀を振り回して抵抗する榊だが、彼の身体は「大師」の口らしきところへと運ばれ――やがて咀嚼音とともに少しずつ消えていき、片腕だけが地面に落ちて残った。我に返った神幻は刀を抜くと、迫る「大師」へと逆に飛び掛り、その一つ目の中心に逆手で刀を突き立てる。名状し難い叫びを上げつつ堂を突き破り、地上へと躍り出る「大師」。弾き飛ばされる神幻。堂の前にいた名主は、目の前に「大師」の足跡がつくのを見てその来臨を認めるが、次の瞬間頭上から降ってきた堂の残骸の下敷きになってしまう。

 神幻が大師堂の場所へと戻ってくると、辺りには静かに雪が降り積もって堂の残骸を覆い隠そうとし、そして「大師」の姿は消え失せていた。神幻は雪の上に「大師」の足跡を見つけ、『隠し雪は足跡を隠すためではなく 片足神の来訪を示すためのもの』である事を理解する。その時、堂の残骸の中に立つ人影が――それは穴の壁に座っていた、あの即身仏であった。その姿を認めた神幻に、彼は静かに語り始める。

「神は 帰られた」
「お前は?」
「あんたらが関の姥とか巫女とか呼んどった者だ」
「言うならば人と神との仲介役だよ
 ふふふ」
「では聞きたいことがある」
「ふっ よせよせ
 あれが冥界から戻ってくる弘法大師か それとも山の神なのか…儂にもわからん」
「ただ…あれは贄牲(にえ)を取るとき若干の陽気をふりまく
 その気のおかげで村は救われ 儂にもつかの間の命が与えられる」
「榊はあいつに殺された」
「一人は死ぬが大勢は助かる」
「ふざけるな
 そんな計算があるか!」
「そうだ…神は計算をしない 計算をするのは人間だ
 慈悲も殺人もない 慈悲や殺人を作るのは人間だ」
「神は自然と同じだ…ある時は地を揺るがし ある時は洪水を起こし 平気で何千もの人を殺す
 彼はただ無関心なのだ…容赦なく残酷なほど透明なのだ」

 彼はそう語りながら、堂の残骸の上に座り込む。さらに問い質そうとする神幻だったが、即身仏はもはや微動だにしない。『陽気が尽きたか……』

 夜の静けさの中、隠し雪も止み始めていた。

参考文献 柳田国男「大師講の由来」


この回の神幻の活躍からは「ウルトラマンティガ」のニシキダ・カゲタツ(錦田小十郎景竜)が思い出されます。また、Googleで調べてみたところ、この物語の参考文献として挙げられている、柳田国男の「日本の伝説――大師講の由来」における「だいし=神の子説」については、「裏付けが取れない」等の異論も唱えられているようです。TRPGの元ネタとして使用する分には問題ないでしょう。

作者の長谷川哲也氏は後に、「北斗の拳」で有名な原哲夫氏のアシスタントとなって絵柄を大きく変化させ、「ナポレオン ―獅子の時代―」等のヒット作を世に出す事になります。

超低金利漫画家 長谷川哲也のホームページ
http://mekauma.web.fc2.com/

電子書籍:神幻暗夜行(完全版)

KeyringPDF形式(71MB、315円)

ebi.j形式(29MB、525円)


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