「シルバー仮面」とは?

(1971年、TBS系列で放送)


 光子力ロケットを発明したが、地球人の宇宙進出を阻止しようとする宇宙人によって殺害されてしまう天才博士。その子供である五人兄弟は、死ぬ間際の父によって自分達の身体に隠されたその設計図の謎を解くために、博士の生前の交友関係を追って流離う事になる。しかし宇宙人達の追跡と襲撃はなおも続き、味方のはずの博士の知人達も、ある者は我が身かわいさに兄弟を宇宙人に売り渡し、ある者は宇宙人からもそして兄弟からも逃げ隠れてしまう。幾たびも陥る絶体絶命のピンチを兄弟達は、父から授けられた「シルバーの力」を駆使する次男――シルバー仮面と共に切り抜けていく……というのが「シルバー仮面」の大まかな設定である(余談だが、主題歌の「故郷は地球」にも「シルバー仮面は 旅ゆく仮面 帰る家なし 親もなし」と歌われている……ちなみに作曲はなんと猪俣公章、歌っていたのはシルバー仮面に変身する次男を演じていた柴俊夫だった)。

 視聴率で苦戦したために全放送の後半では等身大ヒーローから巨大ヒーロー「シルバー仮面ジャイアント」へと設定を変更され、物語の基本概念も大きく変化してしまっているので、ここでは後半部分は対象外とする。

 「70年代カルトTV図鑑」(ネスコ)において、岩佐陽一氏は以下のように指摘している(「カルトコラム“本当の敵は人間社会”(シルバー仮面)」より)。

「本来なら最も重要なキャラクターとして描かれるべき宇宙人のキャラクター性が本作は希薄だ。(中略)なぜか?宇宙人なんてどうだっていいから、なのである。後に脚本を担当したひとり、市川森一はこう述べている。この作品は、巨大な社会正義に押し潰されそうになった一家族の姿を描く作品だった、と。すなわち、宇宙人は兄弟たちを社会から切り離すスゥイッチに過ぎなかったのだ。」

 そして市川氏の脚本による第九話「見知らぬ町に追われて」では、兄弟の偽者に変身した宇宙人が博士の友人だった科学者達を次々に殺害していき、兄弟達を社会的に孤立させるという作戦をとる。兄弟達は殺人犯人として、警視庁の敏腕警部に追い詰められていく。岩佐氏も指摘しているが、このくだりはまさに傑作テレビドラマ「逃亡者」(最近ハリソン・フォード主演の映画でリメイクされた)を彷彿とさせるものがあり、また暗躍する宇宙人の存在が社会的には認知されていないために兄弟が潔白を主張しても誰にも信じてもらえないところは同じくSFテレビドラマ「インベーダー」、あるいは最近の作品では映画「ゼイリブ」を思い起こさせる。

 最終的に兄弟は敏腕警部とその部下の見守る前で自分達の偽物と対決し、シルバー仮面が宇宙人達を倒す。一部始終を知った警部はしかし、自分が見たままの事を証言しても誰も信用してはくれないだろうし、そのような愚かな事をするつもりもないと言って、真犯人を「兄弟の名を騙った正体不明の人間達」であるとし、彼らは逃亡中に車ごと谷へと転落して行方不明になった、と報告する事にする。「これが真相だ。これなら誰もが納得してくれる真相だ」と話す警部に、同僚刑事が「いいえ!私も見ました。犯人はやっぱり宇宙人でした。誰も納得しなくとも、それが事実です」と叫ぶ。しかし警部は「そうだ、それが事実だ。事実はわかっている。しかしその事実は法の常識も越えてしまう。あなた方はもう自由だ。どこへでも行って下さい」と、あくまで法の番人としての立場を守りつつ兄弟を立ち去らせる。

 岩佐氏は次のようにコラムを締め括っている。

「兄弟の長男・光一(亀石征一郎)のセリフが視聴者の胸を打つ。『こんな恐い思いをしたことはなかった。人間社会に追われることがこんなに恐ろしいことだとはなぁ……』。まさに圧巻の一語に尽きる話で、ここまで社会正義のもつゆがみに鋭いメスを入れたエピソードは他に類を見ない。(後略)」

 「宇宙人」という隠されていた、そして知らない方が良かったかも知れない「真実」に気づいてしまったがために「日常世界」と否応なしに乖離し、敵対的なもう一つの「真実」の世界と対峙しつつ生きていかなくてはならなくなる者達。「宇宙人」という部分を「クトゥルフ神話」に置き換える事によって、キーパーは探索者達の人生にもより深い彩りを添える事が出来るのではないだろうか。


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