[ 嵐前01雑感 ]

嵐前(要約)

 蒸し暑い都市に嵐が近付く中、熱と苦痛に苛まされる一人の男が「避難所」を求めて彷徨っていた。男は近くのビルの一つに辿り着きエレベーターで最上階に向かうが、その天井を見上げた時、忌まわしい白日夢が男を襲う。

男は天井が頭上から1フィートもない、窮屈な洞窟を這い進んでいた。そこには光源が無かったが、しかし何らかの方法で男は、頭上に群がり天井全体を覆い尽くし、時々静かに彼の上に落ちてくる「蜘蛛」を見る事ができた。やがて洞窟の終わりが見えてきた。床から天井まで小さな穴の開いた壁があらゆる逃げ道を断っていた。大きなかさかさという音が近づいて来る。男は後を振り向き、天井からしたたり落ちて彼の方へと洞窟を突進し噛み付いてくる球状の身体の群れを見た。それらが男の口の中への通路をこじ開けた時、彼はどす黒い絶望に打ちのめされた。

 幻覚の合間に最上階に到着した男は廊下づたいに何か待合室のような場所に辿り着き、苦痛の中椅子に座り込む。しかし一瞬目を閉じた隙に再び白日夢に飲み込まれる。

その瞬間彼は崩壊した尖塔の穴の空いた床に、その外周をあやふやな手つきで探りながら下方へと吸い込まれていった。熱病の暑さが男の中を燃え上がった。

 わめく男に気付いた税理士事務所の人々は、男の異様な出で立ちを驚き怪しむ。

彼の身体全体は青白く、ほとんど溺死体の肥満のように脂ぎって腫れ上がり、そして膨らんだ目は真っ赤に充血していた。男は何かたちの悪い病気の最終段階のように見えた。

 税理士達が対応に苦慮する間に、男は高い両開きの扉のついたキャビネットを見つけ、ある夜パブで「結社」に誘われ、郊外にある「魔女の住みか」であった家の地下へと導かれていった時の事を回想し始めていた。かつてその家に住んでいた魔女は、ある時悲鳴をあげながら外へと走り出てきて、その身体中に群がった何かをかきむしりながら近くの木立の中に消えていったのだという。何かの気配が息づく家の暗闇を進み、大広間の端の高い両開きの扉の向こうへ飛び込んだ時、男は床を踏みしめる事無く悲鳴をあげながら、完全な暗黒の中何か軟らかい物体の並んだ地下通路を落ちていった。やがて男はゴム状の物質でできた円形の地区に落ち、そこから闇の中を手探りで軟らかい通路を這い下りた。

彼はアーチ型の天井のある、巨大な地下室の中に現われた。壁には数えきれないほどの通路が床の中央の暗い井戸を囲んで口を開けていた。井戸を見た男が寒気とためらいを覚えた時、彼は上下に動く白いものが通路から洞窟の縁へと流れだすのを見、それが彼を避難所から押し出すのを感じた。それから井戸の中に青白い動くものが現われ、何かが暗黒からよじ登ってきた……無数の肉の無い足に支えられた、膨れた青白い楕円形のものであった。ゼリー状の楕円形をした目が男をじっと見つめた。男はひれ伏し、その恐怖の名……「アイホート」を呼んだ。夜の地下道の中心、アーチ型の屋根の下で「契約」は結ばれた。

 回想から帰還した男は、しかし突然待合室の情景が自分から退いていく事に気付いた。今度は記憶ではなく、現実であった。

彼はきらめく金属製の終わりを知らぬ螺旋状の傾斜路を這い昇っていた。男はその縁へと無理矢理移動し、身体がその不慣れな動きに反応した。そしてめまいのするような一秒の間その光景を一瞥した。傾斜路は男の視野を越えてさらに上下に延びた塔の内部を上っていた。男が一瞥した時、視界の下限に恐ろしい速さで螺旋の周りを突進し、接近してくる姿があった。盲目的恐怖が男を上へと突き動かした。壁には窓が一つも無く、男はともかくも外側にあるものを見る事ができない状況を喜んだ。何故なら恐怖の中で男は沼から延びる塔の都市を描写している壁画を通過したからである。その都市の通りにはどれも顔のあいまいな、背の高い痩せた人影が歩いていた。かすかな希望が塔の上を見るために男を再び縁へと押しやったが、しかし天井は視界に無く、彼が振り向くと登りの傾斜路には今や彼の一段後ろに立つものの姿が映し出されていた。男は絶叫した。

 ベテランの相談係から事務所長まで、税理士達が男を扱いかねている間、男はまた新たな白日夢の中にいた。

その夜空は地球のものではなかった。男の周りの黒い都市は廃墟と化していた。その柱は石の階段の上に横たわり、細かい細工の施された窓のついた壁は冷たい虚空に崩壊したシルエットを浮かべていた。いかなる使命があろうとも、男はこのような迷路の通りには踏み込まなかっただろう。何故なら都市が死んでいればいるほど、そこはなおのこと生命を隠しているからである。何かが柱のそばでじっと見つめていた。男の背後で岩の破片がかさかさという音をたて、そして彼はフードを被ったみすぼらしい姿が追ってくるのを見てめまいがした。男が逃げる気力もなく立ちつくす間にそれはより近くに滑りより、フードが半分開いて空を飛ぶ蜘蛛の巣のような頭部を見せていた。その頭部が男の顔に押しつけられた時、彼には悲鳴を上げる暇も与えられなかった。

 所長はいすの上でのたうつ男に自ら声をかけ、何とか用件を聞き出そうと試みた。しかし男には彼が味方なのか、それとも「アイホート」の下僕なのか分からなかった。自分を太陽の下に連れ出すかもしれない者に対する時間稼ぎの意図もあり、男は手近な紙に自分の苦境を記述するのに必要な事柄を思い出そうとする。しかし男の頭の中にはかつて見たもの、かつて訪れた場所のイメージがわき出し、あふれかえった。

ユゴスの黒い運河を守護する巨人……口笛を吹く頭部……トンドの森林の中を追跡してくる角を持つもの……木々の間からじっと見つめる巨大な目……縁の向こうの深淵の中で喋る顔……シャッガイの彼方の世界の周回軌道上の死せるもの……波止場町に隠された休業中の商店……グラーキの湖のそばの最後の黙示……その壁がTRAKの文字を脈打たせ、その街角には白い姿が弱々しく移動する、忘れられた都市の陽光に漂白された建物……

 男の顔が尽力で歪み、その手に握られたペンが紙の上でもがきながら次のような言葉を形作る様子は、所長の理解を超えるものであった。

迷路の神アイホートと契約した私に別の生きた生命を与えた紙を売るのは問題ではない何故なら私は他の身体の中に行き私を去り背後に紙を売るためにしかし人々は私に語った私は契約について何も知らない誰もそれをもう行わないそして彼らがそれをする時年か後に彼はそれらを彼の仔を世界に送り出すために利用した今私は私が行く場所を操作できない彼の下僕が死んだ時彼らは私の身体の中に来て私を彼らの所に行かせ彼らの場所で死ぬ操作できない彼の仔は果たすだろうもしあなたが私をこのままにしておかなければ

 男の行為にいかなる意味も見出せない所長は、彼を医療機関へと護送するための手続きを取り始める。それを見た男は彼らが自分の脱出を阻もうとしている「アイホート」の下僕である事を確信し、どこか他の「避難所」を探して待合室からよろめき出た。嵐の接近に伴い薄暗くなった廊下を鉛色に腫れた脚を引きずりながら進んだ男は、所長の制止の声を無視してエレベーターホールのそばの扉へと突進した。

 そして、次の瞬間そこで起きた事を目撃した税理士の一人は、救急隊が到着するまで同僚や顧客を待合室の中に閉じ込めた。そして蒼白になった所長と二人で、あえて特定しない「何か」をこのビルの空き部屋や廊下で探す事について相談した。彼らの頭上では嵐が勝ち誇るように爆発していた。その後、何も見つける事の出来なかったその税理士は所長と共に他の事務所への転任を計画した。彼は救急隊が目を背けながら運び出していったものを見なかった人々を幸せに思い、高い建物での、特に暗くなってからの仕事について考える事を好まなかった。

何故なら、不具の訪問者が警告にも関わらず扉を振り開け……そして非常階段の向こうの屋上部へと跳び出したからである。淀んだ空気が開口部を通って押し入り、太陽光の最後の純粋な光条が故意に思われるほどその狙いを正確に差し込んできた。それは、恐ろしいグルテン状の声を出し、気が狂ったように頭を振りながら彼らの目前を回るようによろけていた男をとらえた。

 そして所長に病欠届けを提出させ、税理士に正気と日常(と彼が今まで信じていたもの)へと逃げ帰らせて、残りの生涯をその忘却に費やさせた光景が展開された。

男の顔は裂け、裂け目はこめかみからあごにかけて生じ、開いたほおがぶらさがった様がはっきり見えた。何故なら一滴の血もなかったからである。ただの一度も太陽を見ていないもののような真っ青な何か、風船のようにつぶれた男の身体を流れ落ちた何かだけがあった。

 男だったものから分かれて建物の深部へと階段を転がり落ちていく姿の記憶に、税理士は焦点を合わせる事を拒み続けている。何故なら彼の本能が、そのより明確な姿は「巨大な太った白い蜘蛛の群れ」よりもさらに悪いものであろうと告げるからである。

[ 嵐前:01雑感 ]

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