ラクシーのタイ料理解説 編集記


ラクシー・ワールド 編集後記では、関連サイトを紹介する場合がありますが、何れも参考としての紹介です。 (註) 直接リンクはしていませんので、URLをドラッグ・コピーして使ってください。


3月11日 白い巨塔
 「・・それは白い巨塔のせいか?」 少年時代から知っている医者に言った。 白い巨塔とは自分が毎週見ている病院と医療についてのTVドラマのことである。
 「いいえぇ、全然違いますよ。」
 「でも、あのドラマ良くできてるよなぁ。」(註)と、この話に引き込む。
 「あんな古いところ無いですよ。 教授があんなに権力持ってるなんて、古典です。」 と彼は答えた。 彼は私立の総合病院に勤務しているが、某国立医大を卒業している。
 「最近の若い医者はタメグチきいてきますからねぇ、礼儀を知らない。」 と言う。
 「そうそう、こっちも同じだよ。 それで俺なん言うんだよ。 『日本のトップに立つ組織ってのはチャンと上下関係ができている。 ウチは全然だぁ!』 なんてね。 でも共感されてなきゃ意味ないね。」

 数年前に某大学病院に入院した。 そのとき「教授回診」ってのがあって。 人数こそ10人程度だったがドラマの雰囲気はあった。 教授はやはり権力がある風情、我々庶民との隔たりを感じたのは事実だ。

註)良くできていると思うことは、@大学病院の姿の調査、Aストーリーの切り替わりのタイミング


3月10日  王様の肖像
 タイの王様は崇高である。 道徳上、侮辱は微塵も許されない。 人の出入りする建物の玄関には必ず王と王妃の肖像または写真が飾られていることは以前にも書いた。 日本人はタイ人に「何故肖像を飾るか」という質問をする。 中にはその意義に対して蔑む場合さえある(註1)が、これに対しタイ人は非情に憤慨することは言うまでもない。 タイ人は王・王妃を敬愛しているのである。

註1) 彼らの大部分は日本国内のことも同様に考えている。


3月9日 誤記訂正とお詫び
 編集後記の中でタイの映画"スッ・バンガチャン"のDVDについて記述しましたが、DVDではなくVCDであったことをお詫び訂正いたし、該当部分を書き換えました。 リージョンコードの違いで見られないものが自然治癒する訳ないんですなぁ。  でもプレステ改造するくらいだからタイならリージョン・コードくらいなんとでもなるような気もしますがね。 我々庶民にはVCDで十分ですよ。 


3月8日 プロとバイト
 某予備校のCM。 プロが指導していることをアピール。 自分も予備校生になるならプロのところを選びたい。 よいセンセがいるかどうかわからないが、他ならもっとわからない。 この広告は差別化の域に留まっているが、そろそろ比較の広告が出てくるかも知れないと予測させる広告宣伝である。
 別の切り口で。 最近はプロとは言え、終身雇用でもなければ年功序列でもない。 本人も変わり身が早い。 バイトもプロもボーダレスかもしれない。 更にいえば、プロだからと鼻高々にしている講師よりも、脳生理学に基づいた効果的マニュアルどおり指導する方が成績は確実に上がるかもしれない。 広告によって製品やサービスの提供者を信じられない時代なのであある。

この頃の消費者の傾向は
 広告が上手い→集客力がある=実力がある→スタンダードになる
というまるでCDの売り出しのような図式になっている。 真贋を見極めることも難しいのであある。


04年3月3日 ひな祭り。
 日本文化も捨てたもんじゃないですなぁ。 まだまだ残っている。 どこの保育園でも幼稚園でも、ちゃんと雛壇が飾られて、園児達は
 ♪明っかりをつけましょ ぼんぼりに〜♪
と歌っているはず。 間違っても
 ♪よ〜く考えよぉ〜 お金は大事だよぉ〜♪
などとは歌わない。  日本は西洋化し、殆ど洋風(あくまでも”風”)の家に住むようになったけれども、日本文化の行事や日本伝統の物はまだまだ多いし、逆に文化見直されているものさえある。

 日本に来た外国人はお土産に何を買いますか。 カメラ? 電化製品? 進んだところで日本人形? 刀? 更に進化(註1)して丁髷のカツラ?(註2) 電化製品やカメラは別にして、日本のお土産として売っているものは殆ど江戸時代風の絵がついているような物が多いようです。 しかし、何度も日本に来ると、現代の実用品の日本文化が欲しくなるものです。 例えば花切り鋏とか雪駄とか。 急須や漆塗りのお椀と箸のセットもいい。 もっと進化すると、道々の道具がある。 例えば、コックなら柳葉包丁や釜、黄色いアルミの一升ヤカン、漁師なら和船と櫓とか。(註3) 教師なら足踏みオルガンとか。(これはないか)(註4)

 このような視点からするとラクシーワールド「たいのもの」はピッタリはまります。 タイのお土産でTシャツや踊子人形買うのは最初だけです。 サムローは通勤通学に使いたいし、(註5) セパ・タックローの球も蹴鞠して遊びたいですよね。 車の猛パワー・エンジン積んだ舟欲しい。 えっ、全〜然思わない? それは、遊び心なさ過ぎでしょ。 それとも大人かも。

 2年程前、バンコックからLAに向かう関空経由便で見かけた米国人と見られる青年はタイ土産に竹製の魚篭(ビク:捕った魚入れ)を肩から吊るし、笠を背負ってヘミングウェイの「武器よさらば」(註a)を読んでいました。 流石ですなあ。

<注釈解説>
註1) 生物は進化する為に生殖があると考えています。 その視点からすれば、クローンは進化が妨げられることになり、クローン人間が数代に渡り生きるような時代が来るとは思えません。 世代交代は考えの及ばない進化が起こっているとすれば、クローン人間がいくら優れていても、進化からは取り残される結果になるという”自説”を持っています。 仮に、クローンを人体の部品として使い、不老長寿になったとしても、必ず凶運の時がやってきて「もう、十分生きた。」というんじゃないですかね。

註2) 何が進化かというと、実用のチャンスの少ない順です。 実用チャンスが少ないほど進化してるんです。

註3) 因みに自分は和船の櫓が漕げます。 (註8) 父の趣味が網と釣りだったので、自分の子供時代は和船がありました。 ・・などと書くと楽しそうですが、全く逆です。 和船(木造)は雨が降るたびに舟に水が溜まる。 それを船アカ(註7)というのですが、それを汲み出すのが子供の仕事(父の持論)で、父の趣味の為に子供が働くという図式です。 しかも、台風がくれば入り江に入れるとか、舟艇塗料を塗る年行事とか、登校前、冬の寒い北風の中をろくな防寒着(註9)もなくサヨリ網を揚げに手伝わされるなど散々な目にあい、舟はもう懲り懲りです。 でも夏のカニ網、エビ芝すき、アサリ取り、秋の釣りは良かったですぞ。 

註4) 足踏みオルガン: 昔、小学校には必ず1クラスに1台足踏みオルガンがありました。 教卓とセンセの机、黒板の前に木製教壇が教室に配備されてました。 児童のほうは木製の椅子と机です。 歴代の使用者によって、落書きと彫刻刀や出刃の切り込みで一杯です。 足踏みオルガンとは、2枚ついたペダルを交互に踏んでに必要な風を人力で送り込むオルガンです。 オルガンは漢字で書くと風琴です。 大きなハーモニカと思ってください。 金属リードのついた音別の穴の弁をあけることで音を出します。

 電気製品が普及し始めると電器オルガンが登場しましたが、これも原理は同じで、モーターで風を送り込む方式です。 因みに中世のパイプオルガンは風を送り込むのに5人が労働したと中学校の音楽のセンセが言っていました。 本文中にも書きましたが、笙笛(タイの楽器:ケーン、歴史的にどちらが先か不明)がシルクロードを渡り、欧州でオルガンになったと聞きます。 木製の机椅子と共に足踏みオルガンはなくなりました。 たくさんの椅子や机がまだ使えるのに燃やされてゆき、スチールと合板の机と椅子になりました。 新しい椅子と机は我われに日本の夜明けを感じさせ・・たかなぁ。 今考えると、使えるのに燃やされていった、何百もの樫の木で作られた机と椅子が可愛そう、と思える一方で、メーカーは学校中の机と椅子を生産販売して大儲け、と思うのでした。


註5) シロタクも兼ねることが出来、副収入も期待できます。 英国には輸出してるらしいですが。

註6) 漁場にいち早く到着、人より先に網を打つことが出来ます。

註7) フナアカ・・船の垢と信じていたところ、この垢の語源が西洋の言葉アカ(何と言う意味か忘れた)らしいのです。

註8) 今では何の役にも立ちませんが、和船の櫓が漕げることが自慢です。 時代劇などで出てくる櫓を漕ぐシーン。 二本のオールで漕ぐ洋舟と違い、和船の櫓は誰でもすぐに漕げると思ってはいけません。 練習が必要です。 特にカーブが難しい。

註9) この時代の防寒の流行はヤッケです。 ブルジョワののヨットマンは脱脂しない毛糸のフィッシャーマンズ・スワェターとかゴアテックスとかあったかもしれませんが、我々プロレタリアートはそのようなものがあることすら知る由もありません。 ナイロンのモーレツに熱に弱い繊維1枚だけでできた薄手の被り物で、フードがついていました。 雨合羽かポンチョのようなデザインです。 胸の部分にジッパー付きのポケットがあり、この中にヤッケを畳み込んでしまうと、薄手ですから、極めてコンパクトになるというものです。 それまでの繊維製品よりも細い繊維が密に織られているので風を通さず、安くて重宝したものでした。 今でも漁師のジサマが着ているのを見ます。

 ヤッケの正しいコーディネートは・・ヤッケの下には中間色のアクリル製セーター、ズボンはジャージ、黒のゴム長靴、目出し帽を被ります。 股引、腹巻は無論ですが、キリバイ社製の練炭カイロを持っているとグッと男が上がります。
 

註a)武器よさらば: Farewell to Arms 《米国》 アーネスト・ヘミングウェイの小説 (1929年) 

04年2月28日
たった今、バンコックに住むタイ人の友人から「もしも」と言うタイトルでメールが送られてきましたので、翻訳して紹介します。

もし床屋がミスしたら、それはニュースタイル。
もし運転手がミスしたら、それは事故。
もし医者がミスしたら、それは手術でない。
もし両親がミスしたら、それは新たな誕生。
もし政治家がミスしたら、それは新しい法律。
もし科学者がミスしたら、それは新発明。
もし仕立屋がミスしたら、それはニューファッション。
もし先生がミスしたら、それは新学説。
もし貴方の上司がミスしたら・・・
          ・・・それは貴方のミス。


04年2月25日 石と中華料理
 日本で石というと大抵はビルなどの建築の装飾に使われる石、あるいは墓石くらいしかイメージできない。 一寸見方を変えると、庭石、公園のオブジェ、小さなものでは碁石、砕石なども出てくるが、前述の2つは御影石であることと量も多いことで他の目的の石と異なる。

 ずっと前、福建省泉州に石の工場を見に行ったことがある。 中国大陸だけに猛烈な広さの石製品の工業団地(だろうなぁ)がある。 自分が見たのは日本向け製品の墓石、建築石材、エクステリアが専門の4社だ。 エクステリアとは石灯篭、ミッキーマウス、7人の小人、トラ、狛犬などである。 原石は中国国内は勿論、モンゴル、インド南アフリカと世界中から運ばれる。 福建省は日本の御影石製品の大部分を生産している。

 丁度昼に行った工場の社長が昼食に招待してくれた。 中華料理店の奥にある個室(30畳くらいに円卓が一つ)は香港映画の1シーン、中華系マフィアが集まりそうな感じの場所である。 社長、工場長、運転手、通訳(彼は数年来の友人)4人の中国人、日本人は自分ひとりの密室。 もしもこんなにもローカルなところで、自分が死んでも誰も知らない・・ いくら通訳が友人とは言え、中国語か福建語か言葉もわからないということは不安なものである。 ・・とは言え、中国人に招待される中華料理の醍醐味を味わえるチャンスなんてめったにないのだから、期待も十分なのである。 

 赤地に黒模様の中国ドレスを着た娘たちによって中国料理が運ばれてきた。 「カンペイ(乾杯)、カンペイ」で、飲めや食えやとなる。  通訳を介して会話される。 「家はどこ、東京、大阪?」 「日本の景気がいいときはたくさん出荷したもんだ。 神戸、横浜・・最近はめっきりだよ。」 「原石は福建が一番多い。」 次から次ぎへと料理が運ばれる。 旨い料理をパクつく。 社長は30代半ば、工場長は50歳くらいであろうか、2人はいかにも大食そうに腹は子持ちシシャモのように前に横に突き出ている。 水戸黄門じゃないが、「もういいでしょう。」というくらい飲み食い、自分のズボンのベルトは既に外されていた。 そんなことはお構い無く、料理はまだまだでてくる。 食べ過ぎて苦しい。 ところが、「遠慮しないで、もっと食べてくださいよ。」 と大食の社長は料理を勧めるし、これまた大食の工場長は取り皿に自分の分を取ってくれる。 もう料理はムリヤリ詰め込んでいる。 通訳の友人と、運転手は適当に食べているようだ。

 アンかけ鯉の姿揚げが出てきた。 内心ホットした。 というのは、小学校のときキョーシ生活25年の町田先生から「中華料理は鯉の姿揚げが出てきて終わる。」 と聞いていたからだ。  鯉は40〜45cm程あろうかという立派なものだ。 これで最後だという安堵感と、中華で鯉は初めてという興味から鯉を取り皿に取り分ける。 

 ところが・・中華料理はまだまだ続いた。 カンペイ、カンペイで、工場長と社長がまた取り皿に自分の分を取ってくれる・・ことを回避するために、自分で積極的に取り皿に取る。 モーションは大きく、取る量は少なく。 もう腹はパンパンに腫れ上がっている。 破裂する直前の風船のようだった。 やっと料理が終わった。 鯉のあとの料理は大部分が皿に盛られたままだ。

 店を出るとこのあたりに良くある薄い雲が直射日光を遮る蒸し暑い午後だった。 「写真とらせてください。」と頼んだ。 社長、工場長と3人で写真を取る。 腹のつき出た3人が腕をお互いの背にのばして並ぶ格好の悪い写真になった。  その後の車中では眠りこけた。 3っ目の工場に着く頃には腹もだいぶ治まっていた。 中華料理店では相当苦しんだが、今となってはいい思い出だ。
 
 話は変わって、タイには石が少ない。 地図で見ると、メコン川やメナム川で中国から運ばれた堆積土のような地形になっている。 例えばバンコックのビルの基礎工事を見ていると、泥沼のような土が深くまで続いている。 アユタヤにあった外国人町は堆積泥の地下に沈んでいる。 コラート台地を抜けてイサン平原になると今度は砂地のようになる。


04年3月16日 格言
 どんな美辞麗句もビジネス界では利益(=人気)の前にはかないません。


04年2月20日 若者の流行&オヤジの流行
近頃、若者の間では引ったくりが流行しているのであるが、こんなものファッションにされたんじゃタマラン。 一方、最近はオヤジ達の間でトレンドなのが鉄類の置き引き。 中国の建設ラッシュに引っ張られて屑鉄が値上がりしている。 屑鉄はかつて世の中には空き缶くらいたくさん落ちていたが、車のスクラップすらも無くなったと聞く。 最後の屑鉄を求めて、夜中に置き引きがある。 こちらもファッション化されたんじゃタマラン。 
 パチンコ球からブルドーザーまで、鉄でできたものには気をつけよう。 いくら重くてもダメだ。 彼らは重機でやってくる。 せいぜい消えないようにマジックで名前を書いておこう。 やや高度なテクニックとして、GPSを利用した発信機を取り付けるという手段もある。 原始的な方法として、見えない糸を痴漢よけ発声器につけておいてもよい。
 日本人もやっと他の国々のように危機感を持って生活できる世の中になったということで、海外に出ても初歩的な原因による遺失や犯罪が予防ができる人が育つかもしれない。

 「食足りて礼を知る」、「小人閑古して不善を成す」 職が足りないということはないが、中高年では給料に差がありすぎる。 若年層ではどこまでもパートタイム的仕事しかなく、未来への希望がなく身が入らない。 付加価値のない仕事をしてヌクヌクとしてるオヤジ達。 あなたの仕事と給料を分け与えなさい。 アナタの給料で日本の若者2人は救えるでしょう。(つまり3人分の給料をもらっている人です) そんなオヤジが150万人いると(いるんです)、日本の失業はなくなる。


04年2月23日 アイス・ホッケー
 最近ニュースにしばしば登場するクイーン。(註) 洋楽ファンだったので、この時代のヒット曲が流れるとどうしても耳を傾けてしまうばかりか、最近の放送はライブの部分まで流してしまうので、やや釘付けになってしまう。 ヒットのきっかけになったというドラマ。 内容は知らないが、アイス・ホッケーがバックになっているようだ。 ホッケーというと、ずいぶん昔、ロブ・ロウ主演の映画、「栄光のエンブレム」を思い出す。 アイス・ホッケーは格闘技並のゲームだということを始めて知ることになった。  オリンピックなどを見ても北米のプレーヤーはヘビー級の格闘技選手と同格の体格だ。

註) 英国のロック・バンドの名前です。 代表作にキラー・クイーン、ボヘミアン・ラプソディー他、この「編集後記」でもブライアン・メイのギターについて登場した。 フレディー・マーキュリーが両刀使い、エイズでなくなったことも有名。 因みに自分はフレディー・マーキュリーの曲では「バルセローナ」が最も好きである。 


04年2月20日 証拠写真
 当サイトの写真はWEB掲載を目的として撮られたものでなく、証拠写真として漠然と撮られたものである。 「証拠写真」という写真撮影の概念は愚弟から学んだ。 学生時代の彼は暇に任せて日常生活の一寸変わったところ、自分的事件を「証拠写真」と称し、自動焦点(註1)のキャノン・オートボーイ(註3)で撮っていた。 当時、自動焦点の家庭用のカメラが発売されて間もない(といっても3年ぐらいか)頃だった。 「オートボーイはいいよ〜ぉ。」 この話に影響され、早速同じカメラを買い、証拠写真を撮るようになった。 ピント合わせ不用なことは革新的だった。 約10年後タイの土を始めて踏んだ。 空港から出るや否やいきなり証拠写真の連続になった。

 20年ほど前、カメラに趣味のある友人から、「写真屋主催のモデルの撮影会がある」 というので会場に行った。 モデルには興味ないし、カメラ自体にも趣味もなかった。 ただ撮影会に来る人達を見たかった。 勿論、自慢のオート・ボーイなど持っていかない。 絶世の美人モデル(註4)が・・服を着ない撮影会もあるらしいが・・この場ではビロード色の華美な服をまといポーズをとっていた。(註5) 平均年齢推定55歳のオヤジ達30人ぐらいが夢中でシャッター・チャンスとアングルを作って写真を撮っていた。(註6) 友人もそのオヤジ達の中に消えていった。 一眼レフ(註7)の心地よいシャッター音が無数に聞こえた。 

<注釈解説>
註1) 自動焦点カメラ カメラに焦点合わせが必要だということを知らない世代の方々のために・・

 焦点を合わせるにはレンズを動かせばいいことぐらいは誰でも解っていたし、被写体までの距離測定方法もあった。 しかし、シャッターを押す瞬間に焦点をあわせるという、驚異的なスピードに対応させる方法が開発されてなかった。 レンズをバネ仕掛けで動かすことにより、ピントを合わせるための動作が瞬間的に出来るようになり、自動焦点カメラの技術は飛躍的に進歩、カメラの販売台数も上昇した。 それまでのカメラは、ファインダーから被写体を覗き、焦点をあわせるために手でレンズを動かしていた。 固定焦点のポケット・カメラが自動焦点の直前に流行したが、当然ピンボケで写真の出来栄えは悪かった。

 焦点合わせの他にも露出
(註2)やシャッター・スピードなども自分で調整して写真を写す。 これがビギナーからプロに共通の写真技術だったのであるが、今では一般の撮影ではそんなことを気にする必要もない。 物を見るとき、自分の目に "ここは薄暗いから瞳孔を開け" だの、"乾燥してるから瞬き多くせよ" などと命令しなくても自然にそれをやってくれるのと同様になったのである。 いい時代なのである。 そういえばフィルム選びなんてのもありますねぇ。 自分は100円ショップですが。

註2) カメラの中に光をどれだけ取り込むか、レンズの直後で取り込む間口の径を変える。 目だまで言えば瞳孔部分に相当する。

註3) 昔のフイルムにネガを映し出す、古典的撮影方式の種類である。 すなわちデジカメではない。 オート・ボーイは動かすとモーターなどの大きな音がする。 「ジ〜ジ〜ン」とか「ジャキ」など自動焦点レンズを動かすとき、フィルムの巻上げのとき、カメラ自体から駆動の共振が手に伝わる。  自動焦点の場合、写真は被写体の距離が近いほど難しい。 思い通りに焦点が合ってくれない。 何枚かとってネガを吟味してプリントしていた。 ところが、ある時期から急に安くなった。 おそらくオートメーション化であろう。 プリント1枚/XX円とかの看板が出始め、ついには0円にまでなった。 そこで、ネガを吟味する必要はなくなった。 フィルムさえも1本の値段で3本買えるようになった。 この価格では既にタイの価格よりも安くなっていた。 タイでこの当時1枚のプリントは3バーツ、安いところで2.5バーツだった。

註4) 30年ほど前、あるアマチュア画家がデッサンの練習には女性の曲線美を描くと一番勉強になると言っていたけれど、それが単なるスケベで発言してなければ、カメラでも被写体には女性が一番勉強になるのでしょうか。 自分のように変わった形の石を「証拠写真」と称して撮影するよりも人に好まれるかもしれませんしね。

註5) ひょっとすると、僕らが帰ってから第2ステージに、つまり、一糸まとわぬ方のステージになったかも知れない。  今となっては知る由もないが。

註6) あるものは無口にただひたすら、あるものは抱えてきた三脚で上から取り下し、またあるものは、あたかも本職カメラマンのようにモデルにポーズの注文をつけていた。 

註7) 一眼レフレックス・カメラ 無数にあるレンズの付け替えが出来るこの世の最高傑作銀塩(註9)カメラ。(
註8) 一眼とはレンズセットが一つということで、付け替えたレンズを通してファインダーから被写体を見る。 このとき、フィルムの前に鏡を置いてレンズから入った像を反射(=レフレックス)させる。 それをファインダーから覗き見るのである。 シャッターを押した瞬間、この反射鏡を動かすので、パシャっというこ気味良い音がするのである。 家庭用普通のカメラはファインダーとフィルムに映る像は別のレンズを通して見ている。

 その昔は二眼カメラというのがあった。 小学校のとき、キョーシ生活25年の町田センセが持っていた。 遠足などではよく撮っていた。 1枚50円で焼き増しして販売してもらった。(昔は写真は高かった) 不思議なことに、同じ径の2つのレンズが上下に並んでいるカメラを上から覗いて写真を撮るのである。 おそらく、フィルムに映し出すのとファインダー用が別々のレンズを通すのではないかと想像できる。

 話の流れとは関係ないが、坂本龍一氏の宣伝していたサムライという丁度今のビデオカメラのような形で、フィルムを半分ずつ使うカメラの結末はどうなった? ついでにソニ−のマビカは当時フロッピーディスクに記録する方式だったが、あのスペックはどんなものだったのか? どちらも開発者には拍手を送りたい。

註9) 銀塩カメラ デジカメ(デジタル・カメラ)の対義語。 銀塩とは塩化銀など光に反応する感光薬品の元素を言ってるのであろう。 


03年2月12日 タイの宗教
 ところで、今、タイの宗教編集中。 2ページ同時に編集している。 完成には2週間くらいかかるかな。 こんな編集していると、哲学的な考えが浮かんでくる。(註1) マホメットにしてもシャカにしてもキリストにしても、皆暖かい国のように思える。 寒い国では偉大な教祖は生まれないのかな? 寒い国では、もっと偉大な山の神とか雪の神に信者を奪われたかも知れない。 

<用語解説>
註1) 哲学思考のうざったい人は飛ばしてください。
 人類が知恵を持ったとき、宗教は生まれたのではないか、とか宗教の目的は今も昔も同じで、ラッキー(やハッピー、あるいは幸福)を願うものだったに違いないとか。

 医学や学問が発達している今では意味が薄れてしまったが、昔はどこの国でも、医学、言語、道徳、知識の集積だったに違いない。 知識の中に神通力(霊能力)も含まれていたものと推測できる。 霊能力の部分は全くわからないが、霊能者が見た、死者の魂の世界から、葬式とか結婚式とかのしきたりが出来たとは想像できる。 

 現代では医学は病院に、学問、道徳は学校へと移され、これらの伝道師であった僧侶の仕事は減った。 そう考えると、学問はともかく、学校に課せられた部分に道徳があることに注視したい。 最近の犯罪を見ると、特に幼児から小学生に至るまでの過程に何か新しい風を送り込んで欲しいものだと思うのであった。 日本人は無宗教とか言われるが、宗教がなくても道徳やらしきたりやらあって、それも無宗教という名の宗教の一部だったが、今も近接未来も、道徳やしきたりは無くなりっ放しなことは間違いない。 

  ブッダ、キリスト、モハメット、孔子、空海、皆超能力者だった。(見たわけでないので、〜らしいというのが正しい。) 宗教と超能力は関係が深い。 医学ではどうにもならないものを克服しようとする者、生まれた環境を克服しようとする者。 トライアルし続け在来の方法ではムリだと気づく。 ミラクルが起こらなければ・・ 超能力でもなければ・・ 超能力によって宗教が興される以上、人類史上宗教は存在し続けると思う。 


04年2月5日 「婆ちゃん&キー坊」にバグ発見 
 いけませんねぇ、カラン()が出せない文字がありました。 「ペン・ストローク」から「ブラシ・ストローク」(註1)を作リ出す段階でちょっとイロ気を出して、チョー・チーャン()とソー・ソー((註2)のフォント・デザインを凝った。 でチェックしてなかったんでしょうねぇ。 自分で作って使わないもんだから、こんなことになったんです。 こんなことはさておき、修正の為にブログラム(と呼べるかなぁ)を舐め回すように見ていたら、すっかり忘れて、何が何だかわからなくなっている。 でも適当にやってみたら修正できました。 やっぱり自分でつくったものですから断片的には記憶があるんですねぇ。
 
 先日コンピュータ関係のを本業にしている人から聞いたんだけれど、会社で使うソフトウエァって高いらしいですねぇ。 何億とかする上に、メンテナンス料と称して毎年何千万と払う。 しかも何かを一寸直すだけで百万円単位。 これは大儲けですなぁ。 資本も要らず(導入するところのコンピューターで開発すれば只)、事務所も不要。(全員在宅勤務にして、打ち合わせが必要になったら、公民館を使う。) 行き詰まった日本の産業の後釜にしてもいいかもしれませんなぁ。 でも、日本人は労働効率が悪いと言われているからなぁ・・

 小学生に算数や国語教えるのヤメて、いきなりコンピューターの勉強にする。 小学校も中学校もコンピューターの授業が半分ぐらいある。 この子供たちが大人になった頃には世界のソフトの半分は日本で作られるなどという世の中になれば、コンピューターソフトはポスト工業製品になるかもしれませんよ。

 ファミコンが世の中に出始めた頃、あれは20年ぐらい前か? 自分は将来のことを以下のように思った。
@殆どのパワー・アタッチメントがコンピューターでコントロールされるようになる。
 自動車、飛行機、重機に始まり、調理機、医療機などコントロールの必要な機器全て。 
Aそのため人間に力が不要になる。 反面、指先でコントロールするので、指先の動作に俊敏さと繊細さが必要になる。
Bファミコンなどで俊敏で繊細な動きに子供の頃から慣れている、ファミコン世代の方がこれからの世の中は便利な体になる。
CTVゲームは何かと勉強を阻害すると言われているが、上記の理由で、出来ないよりも出来る方が良い。
 今、この考えが現実のものにはなっていないが、この考え方は変わっていない。 ラクシーは、TVゲームをやると頭がよくなる、と思っている。(いくら頭が良くなっても想像力がなければダメだし、道徳を欠くようでもいけない。)

<文中注釈>
註1) 2月2日の注釈を参照してください。 両方ともラクシーのオリジナルデザインです。 (オリジナルってったって所詮文字ですから似たようなものかも知れませんが。)
註2) タイ文字の呼び方は日本語で言うならば、「朝日のア」「いろはのイ」みたいな呼び方をします。 似た発音や同じ発音の文字の間違いを避けるためです。 英語でもA for America B for Britenみたいなこと言いますよね。 ちょっと笑い話で、自分知る(当時)おねえちゃんは電話で、「テニスのT」と強調していましたが、その文字はTとPの区別のためでした。
 話を戻して、チョー・チャーンは「象のチョー」、「ソー・ソーは鎖」のソーと言う意味です。 タイ語の「あいうえお」に当たるものを「コー・カイ」と呼びますが、「にわとりのコー」と言う意味で、次が「卵のコー」で、タイでは卵よりも鶏が先ということになります。 小学生はコー・カイは文節で学習します。 たとえば、「チョー・チャン」=「皿のチョー」なら「チョー・チャン・チャイディー」、つまり「使いよい皿のチョー」と言うのです。 この文節も時代と共に替わるようです。 イタチョーからは「トー・ターハン・オットン」=「我慢の兵隊のトー」と聞いていたのに、ちょっと前に買った子供の学習本には「トー・ターハン・ラワン」=「安全な兵隊のトー」となっていました。


04年2月5日 乗り物関連用語集(日本語)
どうして、お料理以外にすぐに行ってしまうんでしょうかねぇ。 乗り物なんかどうでもいいからタイ料理に関する単語集を作らねばいけないんです。


04年2月2日 タイの乗り物関連 タイ語集
 タイ語は基礎単語の組み合わせ方が面白いですねぇ。 婆ちゃん&キー坊で編集した文字も美しいフォント(註1)なのでコレクションにしましょう。 タイ語のコレクション。(註2) 誰も集めたり取引しない。 あまり聞きませんねぇ。 電子情報のコレクション。(すぐにコピーされますから) しかも外国語の単語となってくるとおそらく、ラクシーだけでしょう。 将来高値で取引されることを期待していましょう。  そう言う意味ではラクシーのHP自体がタイ文化の電子コレクションですからねぇ。 売りに出しましょうか。 

 コレクションは、見たり取引されて始めて世間の価値がわかります。 コレクターが流行の昨今の調子で行けば、将来のコレクションは物凄く・・ 指数関数的速度で・・増えて置き場に困るようになり、実物は捨てられ、残すには電子情報保管しか手段がなくなるでしょう。 将来の博物館は・・水晶球に見えてきた・・コンピューターが何台も置いてあって、見たいものを映し出す。 今、研究されている立体映像の完成品で、凄く大きなやつ。 これにキャラクター・グッズやら有名人の生活品のコレクションが映し出される。 大きなものでは恐竜の化石をも実物大で映し出せる。 家庭用コンピューターでは縮小表示になるので、実大をみるために博物館に来るのである。 入館者は皆、写し出された立体映像を見たいところに行って眺める。(註5)

  物が増えた暁には博物館もバーチャルですか。(註3) そうすると、初めっからバーチャルでも何の違和感の無い(註4)時代がやってくるわけですね。 その世代では初めから電子情報のコレクションになる。 文頭の、「電子情報のコレクション」はそんな時代の先取りですよ。

 ところで「タイ語単語帳」サイトはたくさんある。 その理由を考えてみた。
@メジャーな辞書が売られていない。 
A付け焼刃で使いたい人が沢山いる。
Bタイ語講座をNHKで放送していない。

 自分が単語帳を作った理由は2つ。
@自分で覚えるため。
A人生のマイル・ストーン(ここまで来たぞ、という証拠を残す。 因みにマイルス・デイビスはトランペット奏者。 頬のふくらみがカエルの腹のようだった。

<文中注釈>
註1) フォント名: ラクシー・ブラシ・ストローク (Laksi Brush Stroke) 「ラクシー毛筆体」とでもいいましようか。 ブラシストロークはラクシーが欲しかった字体にするためにレタリングのように時間をかけてデザインしたもので、特に記号の部分の重ね合わせの美しさ、マイマラーイ()、マイトー()、マイムアン()などの大きな文字を手書き同様の美しさが出せるようデザインしました。 ロゴ作りに最適です。 当サイト、タイの歴史のロゴもこのフォントで作りました。(フォントの拡大にはちょっと細工が必要) 兄弟フォントにラクシー・ペン・ストローク(ラクシー・ペン字体)があります。 ご利用ください。

註2) たくさん溜まると、辞書とか言いますよね。 
註3) 悲しい結末ですなぁ、このシナリオでは。 
註4) オヤジになってからバンバーガーを食べている人と赤ちゃんの時代から食べている人とでは足の大きさが違う・・なんてことはどうでも良くって、例えば・・コンピューター・アレルギーの我々の世代に比べれば今の小学生は1年生からコンピューターに「親しむ」。 好き嫌いこそあれ、マウスやキーボードを使って、少なくてもゲームくらいは出来る。 というようなことをいいたいんです。
註5) 特定の方向からしか立体に見えない立体映像ではダメです。 新発明が必要です。  この時代になると記憶媒体も平面でなく、立体(3次元という意味)が一般的になるでしょうかねぇ。 


04年2月2日
 ハンバーガー屋で見ました。 照れくさくてハンバーガー屋に入れないオヤジ。 車にのったまま女房子供を待っていました。 時々見ますね。 中国では老人になって両脇を抱えられてもケンタッキー(肯徳基)やマクドナルド(麦当労)にきます。 しかし、自分も笑えません。 昔はサイアム・スクエア(タイ語でサヤーム・スクエー)にいけたのですが、最近は体裁が悪くて(オヤジでは目立ちすぎる)近寄ることもできないくらいです。 でも根性で(好奇心が羞恥心を打ち負かし)行きます。 自称「小学生の心を持つオヤジ」ですから。 もっと年甲斐もないことやってくれる人が多くないと、自分なんか目立っちゃっていけません。 


04年1月31日 仏教とヨガ
 シャカは古代インドヨガの実践者であったと聞く。 日本でヨガというと普通の人は例の型(ポーズ)しか連想できない。 本来のヨガはもっと範囲が広く、一種の修行のようなもので、哲学を含む学問、瞑想をはじめ様々な超能力開発を含むのである。

 実は自分もずっと前、世界が東西問題(註1)を抱えていたころ、ヨガ教室に通ったことがある。 ヨガの型は体内の気を通りやすくする。 実際にヨガの型を2時間やっていると、真冬でも体が温かくなる。 この感じだと、軽い肩こりや仮性近視などはよくなりそうだ。(註2) この教室にいた初老の婦人はヨガによって健康を取り戻したと言い、この導師を敬っていた。 この教室は彼女の自宅から約70kmほど離れているのに毎週来ていた。

 彼女は凄かった。 おそらく65〜70歳と想定できるが凄く体が柔らかいのである。 古いのは仕方が無いが(註3)、腹が出ていないからレオタードもお似合いなのだ。 どんな型も導師と同じように出来る。 自分など体が硬いので、導師と同じ酔うには出来ない上に、曲げる・捻るに力が必要なのだ。 彼女は教室終了後も何事も無かったかのようにしているが、こちらは力が抜けきっている。

 超能力者、ヒロ=ヤマナシ氏によれば、人間には天から注ぐパワーの流れがあり、頭のてっぺんから足に抜けている。 これが滞ると病気や肩こりなどになるそうだ。

<用語解説>
註1) 米ソが緊張していた。 大統領と書記長のボタン一つで、世界は核戦争、とさえいわれた。 ソユーズ対アボロ、ファントムvsミグ、M16対AK47、フルシチョフ対ケネディ(コレは古すぎ)。 あの緊張感は世界の若者にケジメをつけていたかもしれない。 

註2) 健康食品の宣伝広告などは「治る」と言う言葉は使ってはいけない。 これは商品広告の法律だ。 それで、「消えた!」という、不自然な日本語を使っている。 同様にこの状況では治る医学的根拠がないので、この場では「よくなる。」と表現している。 話は戻って、肩こりでも仮性近視でも血管が収縮しておこる。 血液の循環と気の通りは関係があり、血液が滞っていては決して気は通らない。

註3) 誰でも「お年寄り」になる日々は平等にやってくる。 この日々は回避も出来なければ、有給休暇にすることも出来ない。 エコヒイキや社会的地位関係なしで年寄り扱いしてくれるメデタイ日々なのである。  せいぜい今のうちから老人を敬う若者を育てておこう。 年功序列も復活させよう。 

 この日々は気分的に遠避けることは出来る。 私はその実践者である。 方法は”思い出を沢山作る”ことである。(悪い思い出でもよいがそれでは滅入る) 以前も書いたかも知れないが、20歳の時の時間感覚で一生を計ると平均寿命までには13年しかないそうだ。 「もう5年? 早いわねぇ」と言うようになる。 小中学校では、なかなか1年が過ぎなかった筈だ。 記憶力が段々衰えると記憶にある事象が減り、少ない時間感覚になる=短い時間、ということになる。 生活の同じ繰り返しをなるべく減らし、新しいことを取り入れる。 そこで心にマークがつく。 13年が15年とか17年にはなる筈だ。 これで私は楽しい。(ラクとも幸せとも言えないが)


04年1月29日 
カンチャナブリやメイホンソンで見たビルマ文字らしきものについて、自分はビルマ文字、と記述していましたが、これは必ずしもミャンマー(旧ビルマ)の公用文字とは限らないのではないかと思い改めました。 この地域では多くの言語と文字があり、文字が似ていて素人には見分けがつかないのです。 ビルマ文字と似ていると考えられる言語の文字を調べてみました。

  ピュー文字  モン文字  タイ・ルー文字
  タイ・ナ文字  ラーンナー文字  カレン文字 

 聞いたことも無いような言語が一杯。(註1) モンとはタイの北に住む山岳民族、(一説にはモンはモンゴルの意味)、カレンも山岳民族。 これ位は想像できる。 タイ・ルー、タイ・ナは中国内のタイ民族が使い、ラーンナはチェンマイ語のもの、ピューはビルマの民族ということで、写真の文字がいったいどれに相当するものか怪しくなってきました。

 タイ人の持つお守りの裏にもこのミャンマー文字のようなものが書かれています。 パーリー語だとイタチョーは言っています。 イタチョーの兄は出家したときに(註2)お寺でパーリー語(註3)を学んだので、昔は少し読めたそうです。 

 チェンマイにはラーンナ文字が書かれてるところがあるそうですが、ここまで混在していると、何がなんだかわかりません。 タイに住むラオ系の住民はタイ語でしか教育は受けていないのでラオ語を話しても、ラオス語の文字を使えません。

註1) 世界に言語は約2500。 一番使用人口が多いのが中国語(普通語)、次が英語、スペイン語、ロシア語と続きます。
註2) イタチョーの兄は9歳で出家し、大人になってから在家したが、92年の軍と民衆の衝突で行方不明になった。 
註3) タイ仏教の経典に書かれている言語  本文参照されたい。
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04年1月27日 タイの民俗音楽の歴史追加
 ラクシー・ワールドファンの皆様、こんにちは。 近頃、「タイの楽器」サイトを検索されてこられる方が多いなかで、ラクシーの楽器サイトは僅か5ページしかなく、大変恐縮に存じます。  特に恐縮に感じるのが、高価な楽器が少ない。 琵琶の形状をしたものやバンジョーの形状のもの、胡弓形状のものなど。 流石に大陸の国、タイの楽器は幅も奥も深いですなぁ。 様々な形状のものがあり、グレードもあります。 見たことはあっても写真がない、音は聞いたことがあるが、楽器を見たことがない、などなど。 王妃が琵琶型の楽器の奏者です。 バンコックのナショナル博物館に楽器と共に紹介されていました。 どんな楽器でもそうですが、機能美と言うか美しい形状をしていますねぇ。(註1) 特に弦楽器は形状のバリエーションに幅がある。 竪琴などはその典型でしょう。 長年の民族の知恵と感性が凝縮されているように思えます。(註2)

 タイの民族音楽について、昨年ラジオ放送で偶然、講演録音を聞きました。(かなり前の録音)本文中にその一節を入れました。 宮中音楽などは全く聴いたことが無く、勢ぞろいした楽器を見ると、「さぞかし凄いだろうなぁ。」などと想像するだけです。 アジアの楽器は西洋の楽器と比べると、金属楽器は殆どない。 ヨーロッパは金属の研究された歴史があることは事実ですが、何故、日本に金属楽器がないのかは不思議ではあります。 そういえばホルンと言う楽器は元々はホーン、つまり角笛だったと聞いています。 西洋の金属楽器も元々は自然のものだったのかもしれませんねぇ。

 自分自身は日本の伝統音楽はあまり馴染みがありません。 友人のじっちゃんが尺八(註4)で出演するってぇんで行った邦楽器の公演会。(註5) 親戚の民謡愛好家の独創尺八。 体系的なものは、歌舞伎、能、伊勢神宮で祈祷してもらうと演奏してくれる神楽くらいで、殆ど特殊な世界です。 津軽三味線などがビジュアル化されてきましたが単独イメージです。 東洋音楽の中でも日本の音楽は簡素なイメージがあります。 琉球音楽は明るさがあります。 琉球は唄の国、大和(ヤマト)は剣(ツルギ)の国とある時代劇のセリフにありましたが、このような差ですかね。 

<文中注釈>
註1) 中学生のとき、サクソホーンを友人に見せてもらいました。 毛足の長いフェイクファーの紺色輝く中張りの箱の中にはもっと輝く金色のサクソホーンが納まっていました。 マジマジと見ると寸分の狂いも無く流れる曲線で描かれた管には、タペットがリンクを介して複雑に付いています。 思わずこの楽器に対して隈敬の念が湧き起こりました。 XX万と聞いて「こんなものを普通の中学生が持ってていいのか?」などと思ったものでした。  話はタイに戻って、飛行機に竪琴を抱えて帰国する日本人を見かけました。 こういった楽器をその民俗音楽で演奏できると素晴らしいですね。

註2)反対に電気ギターでは、音響効果の不要な胴の部分はどんな形状でも(註3)いいし、極端に言えばボタンを押すだけでどんな楽器の音色も出てしまうのではこのような美しい形状は生まれないでしょう。 

註3)共振しない為に重さが必要だそうです。 思い出しますなぁ、ジーン=シモンズ(キッス)のV型胴、ポール=マッカートニー(ビートルズ)のビオラ風の胴。(あれはセミアコースティックだったかなぁ?) ブライアン・メイのギターは自分の生家の古い柱だったか梁を削って作られたとも聞いている。 あっ、今思い出した、約10年前、スクムビット通りのうどん屋に行くと何故かフレディー・マーキュリーのコンサートVTRがいつも流されていました。 話戻して、キッスのコンサートでは最後にギターを床にぶつけてメチャンコにしていましたっけ。 思い出されますなぁ、ミュージック・ライフ誌。 今でもあるのかなぁ。 ・・こりゃ全然話戻っていないか。

註4)ビブラートの掛かった音を出すだけでも難しく、「首フリ3年」と聞いていますが・・  

註5)琴の演奏が何組かありました。 琴といえば♪さくらさくら、♪春の海、くらいの曲を想像しますが、この公演の1つには大変な感動を覚えました。 琴の独奏。 1本であたかも合奏のように演奏するんです。 弦に挟まれた駒の位置をぐんぐん変えながら物凄い早弾き。 弦を押さえて張ったり緩めたり。 こうなってくると体の方もそうとう動かしている。 あの演奏は他の楽器ではできないでしょう。 琴をやってる人には一般的奏法だとか、亜流とか、いろいろな見方があるでしょうけど、 素人目には物凄い職人技にみえましたね。 このような琴の演奏は今もってテレビでも見たことはありません。 


04年1月25日 裸の王様
 聞いたところでは、近頃は年金が絞られているせいでお金の巡りが悪いという。 日本はアリの国、蓄えが必要、年金だけが頼りだ。 しかも、昔と違って、世の中どこまで悪化するか分からないってぇんで、握ったお金は離さない。 昔は「お金の切れ目が縁の切れ目」といったが、最近では「お金の切れ目の命の切れ目」になりかねない。 老後を見てくれるハズの子供は反対に親の年金を齧っている始末。 先の見えない世の中ですなぁ。

 裸の王様という話がある。 正直者にしか見えないという軽くて美しい最高級の服である。 家来も王様も正直者になりたいために、あたかも見えたフリをして王様に着せたり、それを着てパレードしたり。 パレードを見た巷の人々も王様の服を見て口々に「すばらしい!」という。 ところがある少年は「裸だ!」といった。 これがきっかけになり、本当は服などは最初から着ていない、という事実を皆が認めた。

 今の日本にも当てはまりそうですなぁ。  王様の服をXXXの服、とか○○○のバッグとか、高級△△△車、などに置き換えます。(註1) このような社会現象・・王様が多くなった・・世の中の一方では命の切れ目を必死に繋ごうとする。  何か水と油を混ぜた(やがて分離する)ような気がしますねぇ。 タイのように子が親の老後を看るという世の中はもう日本には来ないかもしれません。

註1) もしも私に無限にお金があったら、ブランド物で身を固めよう・・などというのは最後になりそう。 今、一番欲しいのは時間です。 次に商売の知恵、その次に優秀な人材や優良顧客です。 お金が無限にあっても商売や仕事はしたいですねぇ。 お金が無限にあるから儲かる必要はありませんが、世の中商売や仕事となれば、人気あるものは値段をつけないといけない。 忙しくても仕方がないから、高いものや技を少し売りましょう。 するとその商品はマニアックである必要がある。 マニアックになる勉強が必要だ。 すると好きなものでしかマニアックにはなれないから、必然的に趣味の方向に走る。  そうかぁ・・商売は趣味の延長で儲けよう。

 因みに私の趣味指向は機械物です。 機能美を感じるんです。 機械時計とか、モーターサイクルとか、アコースティック楽器とか・・ 
時計では、ブランパンかな。 セイコーやオメガよりも機能美を感じます。 手巻きのプラチナ製なんかいいですねぇ。(おそらく人生5-6回やり直さないと買えないでしょうけど。) HPだけでも美しい。
 ブランパンのサイト → http://www.blancpain.ch/e/

覚書:見かけの頁数193ページ(目次や重複する内容を除く)


04年1月23日 フライ・ボール
 2年くらい前になるけど、バンコックを去る前夜、タイの友人・知人達が食事会をしてくれた。  給仕が持ってきた、やや深いお皿に3つの野球ボール状のフライが入れられていた。 「コレ食べてみな。」 と頭(かしら)のカーカムヘンに勧められる。 チョー辛いフライ? ゲテモノ? 皆の顔を見回して様子をうかがう。 皆やや微笑みを浮かべて自分の一挙一動を見ている。 フォークで突き刺しておそるおそるかじる。 中はアイスクリームだった。 「どう?」レイが問う。 「うん、これ知ってるよ。(註1) 日本の漫画(註2)でずっと前に見たことある。 でも食べるのは初めてだなぁ。」 「今、これ流行なの。」(註3) アイスクリームの味は日本同様、ストロベリーとかチョコレートとかだった。 皆は半分に切り分けて食べた。 丸々1つでは大きすぎる。  

<文中注釈>
註1) この答えには0.3秒くらい考えてる。 @驚いたフリして皆を楽しませる。 A皆の期待はずれでも事実を知らせる。 お世辞の不得手な自分の潜在意識はAを選択した。

註2) ずっと前、まだ自分が少年だったころ、週刊雑誌、少年ジャンプ(註4)の「包丁人味平」に ”アイスクリームの坪揚げ” という名前で調理対決ワザとなっていた。 アイスクリーム=氷=水を百何十度の中に入れるというワザが凄いとされていた。(とけたアイスが加熱された油のなかで爆発する) 坪揚げは漫画の空想に過ぎない、と思ったものだが、ここのお店で簡単に出てきたところを見ると、調理対決の凄技でもなさそうだ。 おそらく、冷凍技術の進化で氷点下20度が平気で出せる今では、氷が溶けにくいと想像できる。 とすれば、この時代では凄ワザだったのだろう。

 この対決が体育館のような大きなところで催されていた事は、「料理の鉄人」のようなコンペのあることを知らなかった自分にとって、この対決自体がウソっぽいと信じていた。 この当時、自分はマンガ雑誌などという、読み捨て雑誌を買うという心の豊かさは持ち合わせていなかった。 すなわち偶然読んだのであった。  先日マンガ喫茶にいったところ、「包丁人味平」が何巻かあった。 この作品はタイトルの珍しさ(当時)と人物描画に強い印象を持っているが内容には興味がない。 ”アイスクリームの坪揚げ” だけは覚えていたのである。 


註3)どういう範疇で流行りか不明。 バンコクでか、ここの店でか?

註4)当時は少年マンガ週刊誌では売上1番だったと思うけど。 今もこの雑誌はありまして、喫茶店なんかに行くと必ず、「こちら亀有公園前派出所」だけ読みます。 これ以外は読みません。 基本的に本、新聞など読むものはキライです。 HPも読むのはキライで、そんな者が作るのでラクシ−のHPは写真中心になっています。 


04年1月22日  お料理番組の罪
 以前に比べてお料理に関する番組が明らかに増えた。 難しい時代に当りさわりがないから? 試食する側も、「おいしいですねぇ。」 などという安易な返事は許されない。 「○○の味がほど良く調和して・・・」 とか 「まろやかなコクが〜」などなど。 お料理番組には罪がある。 視聴者はTVを見ていると、どうしても食べたくなる。 余計に食べてしまい、余計なカロリーが溜まる。 それは世に聞く「成人病」の元である。

 話は替わって、ホームセンターで亀の子ダワシを20個くらい買っている人を見かけた。 思わず好奇心が発動して、何に使うか尋ねた。 「頼まれたんです・・」 父譲りのクセで根堀り葉堀り聞いてしまった。 南米某国の日本大使館員から頼まれ、持ち込むという。 その国では良い生活品がないので、日本から来る人には生活物資を沢山たのむのだそうである。 (より近くの米国でもいいと思いますが。 ・・亀の子ダワシは米国には無いか?)


04年1月20日  本国の味
 先日、韓国料理の扱われたTV番組があった。 都内の韓国料理店で食べている有名韓国人、韓国ゆかりの人に偶然か設定か出会ってインタビューする。 2軒とも「本場の味に近いんです。」と言う発言があった。 すると、都内の韓国料理店は本場の味に遠い店も多いって事になる。 確かにワールドカップ前年あたりからニワカに韓国料理店が増えたのは事実だけれど・・。 我々のようなタイ料理店から見るとこれは非情に不思議だ。 我々の知るタイ料理の店は必ずタイ人作っている。 しかし、出身地によって味が異なることは事実だ。 「本場の味に近い」のではないとすれば、地域性か、調理師の勉強不足か・・もう一つ・・日本人のウケを狙って日本人志向にしているかのどれかであろう。 



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