私が私をすきなわけ


大逆転 その1



何時の事だったのか


それが何時始まったのか


私の記憶は定かじゃないんだけど



私が 開き直って生きていくと決めた時の事、


その瞬間のことは なぜかはっきり覚えている。






夫が亡くなるまで私の価値基準は「世間」だった。


もしくは私以外の誰かだった。


「世間の求める価値基準」

「世間が許してくれる価値基準」


結婚前は「家族の求める私」


それから結婚後は「夫の求める私」


それにあわせて 私は生きて来た。



だから 私は安全だった。


世間の常識と価値基準の中で私は 自分で考える事も無く



人が求める私であればそれでよかったのだ。


それで人は安心してくれたのだから。



私以外の人間が求める 私という人間像を表現していれば 皆は安心した。



もちろん その価値基準の中の許される範囲で


ささやかな自己表現をするにはしていたけど・・・。



経済的な事は夫が決めてくれる。


社会的なことは世間を基準に考えていれば問題は無い。


人間関係も自分と似た環境の人たちと付き合っていれば安心だった。



私の仕事は 子供達にとって優しい母 夫にとっての優しい妻


これが全てだった と言っても良いくらいだった。



実家が求める 「娘」という私


婚家先が求める 「嫁」という私


世間が求める 「○○さんの奥さん」という私


友達が求める 「面白い奴」という私



その全てを 私はそれなりに精一杯こなしてきたはずだった。


そして それは間違いではないはずだと ずっとずっと 信じて疑うことなど無かったのだ・・・。
















夫が自死して



私の全ては崩落する。




















それでも当初は その事実を頭で理解は出来ても


感情は激しくそれらを拒否した。



「そんなはずは無い」 という心の叫びは


現実を見ることを拒否した。


私は既に

 


実家の求めていた「娘」ではなく


婚家先の求めていた 「嫁」でもなく


友達の求めていた 「面白い奴」でもなく


ましてや世間の求めていた 「○○さんの奥さん」でもなかったのに。




私はその役を続けて演じていたかったのだ。


私はその役のままの私を 周りの全てに認め続けて欲しかった。




そして 私は頑張ったのだ。


神経をすり減らし 心をがたがたにするまで


周囲の求める「私」を演じ続けようとしたのだ。





そのこと以外の選択肢は その時私には見えなかった。


今までどおりの私を 皆は求めているのだと信じていた。


そして 何より私自身がその事を望んでいたのだ。
















頑張って 頑張って 平気なフリをして


心はぜんぜん平気じゃないのに


心は悲鳴をあげて 今にもちぎれんばかりに泣き叫んでいたのに




私はその気持ちを押し殺した。


押し殺して 「周囲の求める私」を演じ続けた。



心の弱っている人間は 


自分の事を自分では決められない。


自分の事が自分ではわからないから。


そして 私は私を心の底から憎んでいたから。



自分の事でさえ自分では決められなかった。



ただ ただ 湧き上がるのは



「ごめんなさい。私は悪い人間です。


 私など死んでしまえば良いんです。


 私など生まれてこなければ良かったのです。


 私は私という人間を頭の先からつま先まで


 いいえその先に伸びている影の先までも踏み潰し跡かたなく消してしまいたい。



 ああ でも 娘達がいるのです。


 ごめんなさい ごめんなさい 生きている私を許してください ごめんなさい」



そして


「いいや 許せない 絶対絶対許せない


 お前など 生きてて良いのか 偽善者め


 お前のせいで 見てごらん。


 彼は死んだ。


 お前のせいだ お前の!!」



それから


「なぜ 私一人にこんな重荷を残して行ったのですか?


 それほど私はひどい人間だったのですか?


 私だけならいい。でもこの子達をどうすればよいのですか?」















自分を責め


故人を責め


運命を責め



・・・・・・それでも同時に



ぱっかりとあいた心の傷口を 何とかふさごうと


以前と変わらぬように精一杯強気で振るまい 


以前と同じ境遇を求めていた・・。







ある日



とことん自分で自分を殺し続けていた私に電話口で友達が言った。



「どうして そんなに自分をいじめるの?」と。



「もっと 自分を大事にしなさいよ」と。



「あんたは 精一杯がんばっていたよ」と。







びっくりした。



私は私をいじめていたの?


私は私を大切にしていなかったの?


私は頑張っていたの?




それから受話器を握り締めたまま


私は 泣いた。


ぽとぽとと 涙はこぼれつづけ


友達は心配してくれた。


「大丈夫?」と。






・・・・・・・・・





私は 私を憎んでいた。


だから 苛めたのだ。


憎む理由もあったのだ。


十分過ぎるほどにあったのだ。



だから とことん自分を否定して踏みにじったのだ。


踏みつけて踏みつけて なじり続けたのだ。






でもね


同時に私は 確かに頑張ってもいたのだ。



辛くても辛くても その日一日を投げ出さず生きてきたのだ。



今日まで子供達を飢えさせることもなく


清潔な衣類を与え 風呂にいれ 病気をしないよう気をつけ


そして 自分自身も生きる事を投げ出さぬよう 精一杯気を張り頑張っていたのだ。





その瞬間から


私の価値観は大逆転を始める。




今まで私が守ろうとしていたものは 一体なんだったんだろう。


子供達と自分が一番大切 この点はゆるぎない一点だ。




でもね



世間が求めていた そして与えようと努力してきた「私」という人間


実家が求めていた そして与えようと努力してきた「私」という人間





私はこの点でも 精一杯頑張ってきたはずだ。


心はボロボロのはずなのに


私よりも幸せそうな人間の為に 何で私がここまで努力しなくちゃ行けないんだ?



私は今 私の事だけで精一杯のはずなのに。



もうイヤだ


もうやめた。



もう 世間の価値基準なんてくそ食らえだ。


わかり良い娘も 心優しい嫁も 旦那さんを亡くされても頑張っている奥さんも



全部やめだ。



一体それらが 私に何を与えてくれた?


私は 相当自分に無理して それらの「私」を与えてきたはずだ。


もちろん 見返りとして「以前と変わらぬお付き合い」も与えてもらってはいた。



でも そんなもので 私は楽になれたのか?



いいや



しんどいのは変わらない。


むしろ ますます心の傷口は広がるばかりだ・・・。




もうイヤだ



もう止めたい。



私は 世間の為じゃなく



私自身の為に 生きて生きたい。


死んだ彼の為じゃなく 私自身の為に生きて行きたい。




その事を「人でなし」と罵りたい人は罵ればいい。



もう 私以外の価値基準に縛られて


自分を傷つけて 自分を殺して生きて行くのは イヤだ。






見てごらん。



心の奥底に ひざを抱えて泣いている私がいる。


ボロボロに傷つけられて 泣き声さえもあげられないほど


傷ついて 傷ついて それでもこらえようとしている私がいる。






あのままだと きっとそこにいる「私」は死んでしまうよ。







あそこの「私」を 抱きしめてやらなくちゃ・・


傷ついてボロボロになってしまった「私」を 許してやろう・・・・





その瞬間から 今の私の価値基準の土台は作られ始めたのかもしれない・・・











自分で自分の事を許せるようになるにも やはり時間は必要で


1年 2年では 無理だったのだと今は思う。




私の歩いてきた道が正しいのかどうかは 私にもまだ解らない。


開き直って やけくそになって そうして手に入れたものばかりだ。


あまりお行儀がいいとは言えない。



でもね


今現在 それでも「幸せかも・・・」と思える自分がいることは


間違いないんだよ・・・。